最終更新日(Update)'19.06.01

白魚火 令和元年5月号 抜粋

 
(通巻第766号)
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 5月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    塩野 昌治
「砂 丘」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(巻頭6句のみ掲載)
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
高橋 茂子、山田 眞二    
白光秀句  村上 尚子
白魚火坑道句会 一月例会 宍道湖グリーンパーク 吟行句会報  小林 永雄
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
    寺田 佳代子、斎藤 文子
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(磐 田) 塩野 昌治


夏燕銀座三越四丁目  吉村 道子
(平成三十年八月号 白光集より)

 駅前の商店街を銀座と名付けた光景は全国各地で見かける。この句はそんなどこにでもある銀座ではなく、正真正銘の高級店が並ぶ東京の銀座四丁目である。作者は岐阜県中津川の人で、夏燕は見慣れた光景であろうが、ビルの立ち並ぶ銀座に夏燕という取り合わせが地方の銀座とは違った味わいがあり絶妙である。長雨から一転して気持ちよく晴れた一日、その銀座のビル街を夏燕がすり抜けてさっそうと飛んでいるのを見かけた作者のすがすがしい気分を漢字のみ、名詞のみで端的に表現している秀句である。

一雨に研がれし嵯峨の緑かな  牧野 邦子
(平成三十年八月号 白光集より)

 京都の嵯峨野は京都市右京区に広がる広い地域の名称である。小倉山に沿って社寺が立ち並び、初夏になると一帯が緑に包まれるが中でも竹林の道は有名である。一雨が上がったころ、作者はその竹林を歩いたのであろう。よく整備された竹林を歩いていると、そこに日が差し込んで緑が一層鮮やかに透き通って見えた。日の光と竹林の見事なコントラストを雨で研がれたと表現したところが絶妙である。

さつき雨楽譜にあまた付箋付け  吉田 美鈴
(平成三十年八月号 白魚火集より)

 楽器名は書かれていないが、作者は全国大会でもその腕前の一部を聞かせてくれるハーモニカの名手である。その音色を支えているのは日頃の修練のたまものであろう。さつき雨の一日、今日も今日とて練習に励んでいる。何度も見慣れた楽譜であるが、気を付けるところがある。そこに付箋を貼りながら夢中に練習していると、知らぬ間に楽譜が付箋でいっぱいになった。練習熱心な作者の心意気が現れている一句である。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 春  隣 (旭 川)坂本タカ女
日の射して氷柱雫の急ぎだす
こぼれたる針がきらりと春隣
雪吊を解かれ枝ごと背をのばし
雪解川川上めざし北狐
水の音光らせてゆく春の川
ばりばりと薄氷を踏む靴の音
恋燕燕返しをくり返し
顔いつぱいの口を並べて巢の燕

 つばめ来る (静 岡)鈴木三都夫
春浅し未練を残す蓮の骨
臥竜梅ぱらぱら咲いてゐて見頃
白木蓮を見し目に優し紫木蓮
物の芽の食べられさうな物ばかり
節々に炎立ちたる牡丹の芽
うぐひすの次を待つ間のもたせぶり
父に似し羅漢を探すあたたかし
仕舞屋の名残りの梲つばめ来る

 櫻 (出 雲)山根 仙花
押せば開く枝折戸桜満開に
知らぬ人と言葉を交す夕ざくら
大土手の桜並木をくぐりゆく
初蝶に風新しくやはらかく
芽吹かんと空へ羽ばたく大樹かな
早春の光集めし大樹かな
椿落ち地に新しき影作る
春惜しむ思ひ思ひに空眺め

 芍  薬 (出 雲)安食 彰彦
三筋立つ芍薬の芽の影もてる
隠し井の深きところの落椿
糸桜眼のすずやかな女学生
春惜しむ雨が古川の句碑ぬらす
雨の園雨の躑蠋に雨の句碑
その上にまた重ね貼る遍路札
蜘蛛の囲を風と遊べる六地蔵
牡丹や留守らし浜の駐在所

 遠  足 (浜 松)村上 尚子
込み合うてゐる桃の日のレストラン
背に視線浴びて卒業証書受く
無雑作に踏まれて十二単かな
おかはりをする子に菜飯高く盛る
長男の素直がとりえ青き踏む
かげろふや城石垣の強き反り
遠足のこゑに牧牛立ち上がる
直角に曲がる運河や鳥帰る

 てのひら (唐 津)小浜史都女
てのひらに軽きマシュマロ春二番
うぐひすのこゑ倒木のあたりより
水草生ふ昭和の世代長く生き
かささぎのだみごゑとほる花の冷
さくら浴ぶるときはひとりもよかりけり
燈台を押し上げてゐる桜東風
四十雀来てゐる日向日影かな
父のこゑききたくなりぬ柚子の花

 紫 木 蓮 (宇都宮)鶴見一石子
天平の丘の薄墨桜かな
道鏡の菩提の寺や百千鳥
蓬餅暖簾を守る渓の茶屋
牡丹の芽の紅に陽やどる
蝌蚪の水少なくなりて寄り添へり
鳴き虫の山の隧道鳥引ける
会津街道西も東も畑を打つ
狸囃子聴こゆる大樹紫木蓮

 緑 立 つ (東広島)渡邉 春枝
余寒なほ掃き癖しるき竹箒
古井戸の竹組の蓋花菜風
つくばひに見馴れぬ鳥や緑立つ
くぐり門くぐり初蝶見失ふ
年ごとに変はる街並鳥帰る
約束の指切りしかと卒業す
予報士を目指す子の居て暖かし
抱き寄する子猫の鼓動わが鼓動

 みづうみ (浜 松)渥美 絹代
百年の桧伐り出す涅槃西風
雛の間の開けたるままに暮れにけり
囀や油の匂ふ農具小屋
春風やみづうみ行きのバスを待つ
着船の大きな揺れや山笑ふ
蕗のたう摘むに流れの石渡る
野遊の古墳の裾をまはりくる
種袋吊るみづうみの見ゆる軒

 二月果つ (函 館)今井 星女
抱いてみるまんまるとなる冬の猫
いつの間に実をつけてゐる君子蘭
春泥をきてかしましき句会かな
一枚の短冊かかげ鳴雪忌
多喜二忌やくやし涙は今もなほ
歳時記に師の句をみつけ水温む
ぼろぼろの歳時記めくり二月果つ
三月や予定で埋まるカレンダー

 稚魚放流 (北 見)金田野歩女
涅槃西風マーマレードを煮詰めをり
鳥声のする北窓を開きけり
風光る稚魚放流の園児らに
一服の濃い目の緑茶桜餅
海明けや矢棚に乾く青い網
瀬戸の塩鰊に加減の指遣ひ
風船に故ある種子を付け飛ばす
思春期の鞦韆思ひ切り空へ

 皇居東御苑 (東 京)寺澤 朝子
大君の在す御園生竹の秋
ご退位をさみしみ仰ぐ松の芯
御真筆の御製と御歌麗らけし
苑めぐる水路は迷路すみれ咲く
触れてみる皇居御苑のつくしんぼ
ひこばえも花もてるなり一二輪
百千鳥いつしか空は楽に満ち
一本一草名の無きはなし下萌ゆる



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 鼓 (浜 松)佐藤 升子
鶏の長鳴き二月終はりけり
啓蟄やがまぐちに鳴る金の鈴
鼓より音の離るる春の宵
おぼろ夜の硬き枕を裏返す
遠足のリュック根方に集めをり
永き日のキリンに角のありにけり

 風 見 鶏 (宇都宮)星  揚子
霾や頬骨高き伎楽面
幼子も胡坐を組んで花筵
晴れ女雨男ゐて朧かな
永き日の向きの変はらぬ風見鶏
野遊の籠の一つに犬入れて
腹見せて近づく鷗春の空

 春 の 雷 (名 張)檜林 弘一
春雷や牙の大きな鬼瓦
壁紙にめくれの少し春の雷
春寒し天津飯の底に龍
光り出す朝の鉄路や花こぶし
日の中に春大根の土落とす
航跡を春の潮目に加へけり

 梅見茶屋 (浜 松)織田美智子
風に乗り流るるごとく梅散りぬ
梅見茶屋花びら付けし傘たたむ
初蝶に出会ひし径を戻りけり
まんさくに風の冷たき日なりけり
ふるさとの風やはらかし花すもも
春暁の夢より覚めて疲れたり

 焼  野 (牧之原)辻  すみよ
火の山の硫黄の匂ふ花馬酔木
煤けたる岩をあらはに焼野かな
切つ先のまだ柔らかな菖蒲の芽
もつれては戻る柳のうすみどり
かたくりの花の盛りを俯いて
浦島草まだ幼くて糸持たず

 鰊  曇 (江 別)西田美木子
銭函とふ鰊曇の町歩く
小社の鳥居新し雪間草
起き抜けの白湯の染み入る余寒かな
荒磯に砕くる怒濤鳥雲に
啓蟄や土を商ふ金物屋
時計なき部屋に寝転ぶ日永かな



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 高橋 茂子( 呉 )

花束のリボンに消ゆる春の雪
鳥ぐもり畠の水槽みづ満ちて
たんぽぽやひとり列より外るる子
鳥雲に旧軍港の倉庫の灯
鳥帰るさざなみの照り遠くして


 山田 眞二(浜 松)

ひとすぢの雲に入りたる初雲雀
木剣に遅日の光とどまれり
国道に響く警笛山笑ふ
路線バス降りて駿府の青き踏む
いつまでも渚見てゐる遅日かな



白光秀句
村上尚子


たんぽぽやひとり列より外るる子  高橋 茂子( 呉 )

 子供の一団が、郊外か野道を手をつないで歩いている。そんな楽しそうな姿に出合うと思わず立ち止まって見取れてしまう。しかし、この句の気がかりなのは「列より外るる子」である。同じような意味に離るる、があるが微妙に違う。この子は何かを見付けて夢中になっているのか、あるいは思うことがあり外れざるをえなくなったのか…。何度読み返してもこの子が気になる。何れにしても「たんぽぽ」がやさしく微笑んでくれている。
  鳥帰るさざなみの照り遠くして
 毎年見馴れている風景だが、鳥の思いを推し量ることなど到底出来ない。この句の良さは眼前の景を述べているだけではなく、北へ帰る鳥達へ思いを寄せている作者の姿も見えるところにある。

路線バス降りて駿府の青き踏む  山田 眞二(浜 松)

 通勤のため、毎日電車とバスを乗り継いで目的地に着く。勤務先は駿府城址にある静岡県警察本部である。町のまん中に県庁と並び、一際高いビルの一室である。
 「青き踏む」は中国の風習で、三月三日に野に出て遊ぶということから始まっている。しかし、この句の面白いのは朝のわずかな時間を、城址の公園の緑を踏みつつ仕事へのスイッチを切り替えたという、現代的な季語の使い方である。
  木剣に遅日の光とどまれり
 この木剣は道場の壁に掛けられているものか、あるいは練習などで使われているのかよく分からない。しかし「遅日の光とどまれり」に一日の時間の経過と、その中にある一瞬の緊張感が伝わる。「青き踏む」の句と趣は違うが、作者の日々の暮しの一端が見えてくる。

蟻穴を出づ青空に雲ひとつ  廣川 惠子(東広島)

 啓蟄をさらに具体的に差した「蟻穴を出づ」である。天地が春の躍動を始め、喜びと活気に満ちてくるのは人間に限ったものではない。このような取り合わせの解釈は、全て読み手に委ねられる。

ちりばめて眩し真昼のいぬふぐり  落合志津江(雲 南)

 いぬふぐりが一面に咲いているのを見て「ちりばめて眩し」と表現した。言われてみればその通りだが、このように簡潔に詩的にそして自分の言葉で詠うのが俳句。いぬふぐりと一緒に春を謳歌しているのが分かる。

禰宜の売る達磨一寸木の芽風  野田 美子(愛 知)

 達磨は大きい方が目につくが、作者はあまりにも小さいのに驚き目を止めた。それも「一寸」。神様は大きさなどによって御利益に差をつけることはないだろう。折りしも吹いてきた「木の芽風」が加勢しているように思えるのも面白い。

合格と聞いて大きく見ゆる星  高田 茂子(磐 田)

 離れて住むお孫さんからの電話だろうか。嬉しい知らせにほっと胸を撫で下ろした。いつも見ている星がにわかに大きく見えたのは喜びのあかしである。人にはそれぞれの感じ方、表現の仕方がある。

手水舎に乾く柄杓や沈丁花  原田 妙子(広 島)

 神仏にお参りする前に使う手水。今日はまだ誰も使っていなかったのだろうか。それとも風が強くて乾いてしまったのだろうか。何となく見たことも言葉にしただけで俳句になることがある。見頃となったそばの「沈丁花」にしばし和やかな気持ちになっている。

不揃ひのポテトフライや春休み  佐藤 琴美(札 幌)

 子供達にとって春休みに家で食べるおやつは楽しみの一つ。これは市販のものではなく、家庭で揚げたてのものだろう。「不揃ひ」の言葉の中には、その場の様子が声となって見えてくる。

ふらここをこぐキューピーをおんぶして  中野 元子(浜 松)

 最近目にすることが少なくなった「キューピー」。かつて特に女の子に人気があった。この句は簡単な言葉でありながら、詩的であり、郷愁へもつながる。漢字が使われていないのも効果の一つと言える。

桜東風寄木細工のペンの皿  藤田 光代(牧之原)

 最近はきれいな色の化学製品の物が出回っているが、自然の素材に勝るものはない。ましてこれは手の込んだものである。そこへ置くペンともきっと合性が良いことだろう。

塗りたての椅子や見頃のチューリップ  平山 陽子(浜 松)

 吟行にはいつも杖を曳いて元気に出席される作者。塗り替えられてきれいになった椅子に腰掛け、目の前の「チューリップ」と楽しそうに会話をしている姿が見えてくる。


    その他の感銘句
エスカレーター風船さきに上りゆく
春灯となる牛小屋の百ワット
庭石の苔ぬれてをり落椿
珈琲のミルクの渦や花の昼
蕗のたう摘む指先のぬれてをり
別れ霜雑穀入りの朝ごはん
春風を奏づるアコーディオンかな
茶箪笥に置く福助や桃の花
野薊を牛のみやげに刈りてをり
息足して紙風船の甦る
春一番消防艇の受くる波
退職の夫の荷軽し春夕焼
細波の光寄せ合ふ春の湖
春霞大本山を遠くせり
蓬摘む神名火山に背を向けて
青木いく代
福本 國愛
鈴木けい子
神田 弘子
山下 勝康
太田尾千代女
宇於崎桂子
石田 千穂
若林いわみ
伊藤 寿章
高田 喜代
計田 美保
服部 若葉
岡部 章子
江角眞佐子


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 多 摩 寺田 佳代子

花種蒔く膝やはらかく折りまげて
オクターブ声裏返る恋の猫
春風や埠頭に舫ふ観測船
三椏の花や巡礼の杖を止め
古書匂ふ遅日の神田神保町

 
 磐 田 斎藤 文子

涅槃図のことりと音を発しけり
神主の沓に跳ねをり春の泥
子の声に送られ雛の流れゆく
梅が香や若き祢宜吹く笙の笛
口許に小さきほくろ石鹼玉



白魚火秀句
白岩敏秀


花種蒔く膝やはらかく折りまげて  寺田佳代子(多 摩)

  花種を蒔くには、前段に色々の作業が必要だ。土を耕し肥料を撒き、花壇を整える。肉体的にはつらい作業である。そんな作業にも耐えられるのは、美しく咲く花への期待感があればこそ。花を愛する人の気持ちの弾みが「やはらかく折りまげて」に表れている。
  古書匂ふ遅日の神田神保町
 東京の神田神保町は古書店の町。勤め帰りか、買い物の帰りか。ふらりと立ち寄って少し時間を費やした。古書の独特のにおいに囲まれて過ごすひととき。一日を十分に使い切っても、尚心のゆとりを感じさせる「遅日」である。

子の声に送られ雛の流れゆく  斎藤 文子(磐 田)

 雛流しは地方によって様々なやり方があるようだ。鳥取の場合は小さな桟俵に一対の男雛女雛を乗せて、女の子が合掌して川へ流す。揚句の雛は子の声に送られたという。「さよなら」と言ったのか「行ってらっしゃい」と言ったのか。雛との別れの寂しさがにじむ。
  涅槃図のことりと音を発しけり
 釈迦の入滅を嘆く弟子、諸菩薩、鬼神などを描く涅槃図。涅槃図からの音は軸先か風鎮が壁に当たったのだろうが、それを衆生の慟哭の声が涅槃図を揺らしたと感じた。涅槃図を見入っているうちに、画中の人になっていったのだろう。

オホーツクの海鳴り閉ざし流氷来  大河内ひろし(函 館)

 ロシアのアムール川からの水が流氷となってオホーツク沿岸に押し寄せてくる。そして、冬の海鳴りを閉じ込めて一面の氷原となる。海明けとなる三月中頃までは青い海を見ることはない。「海鳴りを閉ざし」にオホーツク海の大パノラマを出現させてスケールの大きい句。

春雲の流れ手紙に何書くか  安藤  翔(名古屋)

 窓の外を春の雲がゆっくりと流れている。作者の前に広げられた便箋は白いまま。心の中には書きたい言葉や伝えたい言葉が充満している。だが、書き出せない。書けば、言葉が実態のないただの符号となって微塵に壊れてしまう不安。下五の叩きつけるような表現に青春期の心の葛藤をみる思いがする。〈春月へ向け懸垂をしてゐたり〉は同掲の句。この「春月へ向け」に若者の名状しがたい屈折や焦燥を感じるのは深読みか。作者は大学生。

試着して夢の膨らむ卒業子  川本すみ江(雲 南)

 卒業式は学校生活の最後の日。明日からは社会人としての再出発である。その第一歩が服装を整えること。身に添う服装をしてこそ、社会人としての自覚も生まれて来よう。卒業子にも親にも夢の膨らむ春服の試着である。

無住寺の鐘鳴つてゐる花の昼  稲井 麦秋(西 条)

 お参りする人もない山の無住寺であろうか。その寺に鐘が鳴ったという。花の雲の奥から殷々と響く鐘の音はこの世のものとは思えない。泉下の人達が花見をしながら撞いているのだろうか。桜どきの白昼夢のような出来事。

春炬燵ふしぎな国へ迷ひ込む  栂野 絹子(出 雲)

 春炬燵は、あっても無くてもよいようなものだが、なければ忘れ物をしたようで淋しいもの。今日も春炬燵に入って新聞を読んだり、繕いものをしているうちに、いつしかうつらうつらと…。半ば夢のようで半ばうつつのようでまことに快い。この快い楽しき国が「不思議な国」。春炬燵の趣が溢れている。

如月の雲のゆたかに生まれけり  早川三知子(調 布)

 如月は陽暦の三月にあたる。春といえどもまだ風の冷たいときである。しかし、日光はだんだんと眩しさを増して、春が本格的に整いつつあるのが如月。地上が暖かくなり、雲が生まれやすくなる。それが「雲のゆたかに」である。「いきいきと三月生る雲の奥 飯田龍太」 万物が活気づいてくる如月である。

春休みテーブル狭き夕餉かな  鈴木 利枝(群 馬)

 学校のクラブ活動で忙しく、家族と一緒に夕食を食べられなかった子ども達。春休みになって一緒に食べられるようになった。普段なら十分な広さのテーブルも家族の食器でたちまち狭くなった。しかも、子ども達は食べ盛り。茶碗も皿も大きめ。テーブルの狭さに困惑しながらも、それを喜んでいる親心も垣間見える。


    その他触れたかった秀句     
待つといふ喜びの日々桜かな
野遊や切株に置く魔法瓶
猫柳芽吹きて水の匂ひ立つ
仰ぎつつ枝垂桜の中に入る
春の月幸せさうに浮かびをり
快晴の耕人となる一日かな
いい汗をかいて一畝耕せり
黒かばん横抱へにゆく霾ぐもり
雛しまふ蔵の二階は窓一つ
風船を天井に置き眠りけり
春耕や峡の棚田の昼餉どき
啓蟄や本降りのまま暮れてゆく
うぐひすや箏弾く両手ひざに置き
突堤に漁網干しある遅日かな
風光るおしやまになりて鏡見る
清明の明るき日射し爪を切る
内田 景子
山田 眞二
上早稲惠智子
河島 美苑
大石登美恵
板木 啓子
保木本さなえ
永島のりお
佐川 春子
榛葉 君江
松原 政利
小松みち女
桂 みさを
樫本 恭子
渡辺あき女
吉崎 ゆき

禁無断転載