最終更新日(Update)'18.07.01

白魚火 平成30年6月号 抜粋

 
(通巻第755号)
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 6月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    小村 絹子
「山の鉄路」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(巻頭6句のみ掲載)
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
根本 敦子、吉田 美鈴    
白光秀句  村上 尚子
句会報 栃木白魚火会総会・俳句大会   松本 光子
句会報 坑道句会報 第七号   荒木 悦子
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
     林  浩世、大石 益江
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(牧之原) 小村 絹子   


座布団の数が定員遊び舟  岡 あさ乃
(平成二十九年九月号 白光集より)

 夏の風物詩である船遊びの代表的なものは海なら松島、川なら嵐山と言われるが、湖としては琵琶湖周辺の水郷巡りも風情のあるもの。のぼり旗のはためく舟着き場には屋形船がお客を待つ。舟の中には絣模様の小座布団が置かれている。やがて船頭が艫綱を解き、舟は水面を滑り出す。
 この句は言うまでもないが、「舟の定員の数だけ座布団が敷いてある」と言うのではなく「ぱらぱらと乗り込んで来て座布団に座った人の数が今日の定員だ」と言った面白さにあるが、これによって遊覧の場所をはじめ船の仕様、乗客の数、肌にあたる涼風までが想像されて読む人に遊船の楽しさを味わせてくれる。楽しい季節の一句。

叱られて西日の当たる部屋で泣く  計田 美保
(平成二十九年九月号 白魚火集より)

 「叱らない子育て」が意味を履き違えたまま若い母親たちに広がって久しい。少し気掛りな点があったので「叱る子育て」の掲句に目が止まった。
 日常生活のひとこまではあるが、けんかの原因はおそらくおもちゃの取り合いだろう。負けん気の強い弟は兄と同じおもちゃを欲しがり母親に叱られた。叱られながらも「ごめんなさい」が言えずにまた叱られる。そのうち何で叱られたかも解らずただ泣きじゃくる。僕はただお兄ちゃんと同じ物が欲しかっただけなのに…。彼には理不尽な思いをした悔しさと西日の暑さが重なって来るのだ。
 「三つ子の魂百まで」とは古い諺かもしれないが、叱られる時には叱られて、逞しく育って欲しい。




曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 しやぼん玉 (旭 川)坂本タカ女
解けてゆく雪を追ひかけ福寿草
真つ直ぐにあがりし雲雀見失ふ
鞄より取り出しポストへ花の雨
春惜しむ心に逝きし人惜しむ
さくらさくら結んで開いて万華鏡
しやぼん玉とばす児にとぶしやぼん玉
おびただしき数の青鷺営巣期
風待つてゐる風鈴の窓あくる

 躑 躅 山 (静 岡)鈴木三都夫
鳴く雉の句碑へ誘ふ里曲かな
人杖を頼み句碑訪ふ躑躅山
振り返るたびに躑躅を眼下にす
苞弾く三葉躑躅の濃紫
一株を目に余したる躑躅かな
小走りに雉の消えたる朧かな
分身の句碑へ躑躅の緋と燃えて
群生の躑躅明りにつつじ句碑

 春 深 し (出 雲)山根 仙花
ひとりにも揺るる吊橋春深し
吊橋をゆらして春をゆらしけり
波音と囀り競ふひと日かな
東風の野へ出て体操の自由かな
一丁の鍬忙しき春ひと日
木々芽吹き囁く森を通りけり
囀の一樹やバスの停留所
バス降りて囀りの空見上げけり

 夏来たる (出 雲)安食 彰彦
透明なせせらぎうれし山葵沢
をちこちの早蕨妻と競ひ抓む
たんぽぽのあざやか鉱山の社宅跡
暮るるまでつくるたんぽぽ首飾り
陶房の白煙高し夏来たる
初夏や蛇口の水の透きとほる
編集を終へ大吟醸冷奴
発送をみんなで終へて握鮓

 飛 行 船 (浜 松)村上 尚子
春の日を句帳へ挟み晴朗忌
切株に鳥のきてゐる涅槃かな
近道といふ末黒野を踏んで行く
永き日の川を横切る飛行船
初つばめ川へ潮の香のぼりくる
川波の光を返すつばめかな
囀やもつとも太き絵馬の文字
青き踏むリュックサックに紙の皿

 無  職 (唐 津)小浜史都女
腰伸ばしのばして蝮草となる
春愁や無職と書きて二十年
山椒の芽赤絵の町の裏通り
雲の上の雲は動かず花通草
島人の棚田に老いて畦を塗る
畦塗りの終はりし棚田美しく
いつも先越されてをりぬ蕨狩
たかんなやふと足もとの犬の墓

 青  嵐 (宇都宮)鶴見一石子
浦島草釣糸を垂れ長閑なり
いかづちのくに春雷の袈裟懸けに
岩桧葉の耳をひろげて木の芽雨
朧夜の神に召されし命かな
陽炎を追ひ陽炎に見放され
青嵐杖とお別れしたきかな
番傘の似合ふ菖蒲田渉り板
鮨種は潮の薫りと磯の香と

 麦 の 秋 (東広島)渡邉 春枝
農学部囲む里山きぎす鳴く
菜の花の彩をこぼしてかくれんぼ
翁草育て媼になりしかな
声彈む空手道場夏に入る
宿帳にのこる志士の名花は葉に
頷きて史話に聞き入る麦の秋
思ひ切り髪を短く切つて夏
鍬入れて芒種の土を裏返す

 まむし草(浜 松)渥美 絹代
桜蘂降る牛小屋のしづかなる
山門の脇に春筍出でにけり
春深し木目あらはな寺の縁
発掘の古墳の裾のまむし草
禅宗の本堂の隅武具飾る
青楓野立の席に影落とす
潮騒を聞きつつ枇杷の袋掛
蛇泳ぐ小堀遠州作の庭

 卒 園 式 (函 館)今井 星女
卒園児六年保育の十九名
側転が上手に出来て卒園す
お絵書きが大好きといひ卒園す
卒園児十九名の独楽廻し
卒園証書高く掲げて「ハイポーズ」
ネクタイにスーツが似合ふ卒園児
卒園式歌で始まり歌で終ふ
紅白のお餅を配り卒園す

 鰊  船 (北 見)金田野歩女
農協の倉庫俄の苗木市
北辛夷鳥の声音の三種類
手を繋ぐ幼き姉妹花吹雪
大漁旗二棹掲げ鰊船
昨日より拡がつてゐる烏の巣
二輪草朽木を踏めば沈みたり
牧の子の子分は小犬鯉幟
いそいそと筍を煮る夕厨

 柳絮飛ぶ (東 京)寺澤 朝子
陽炎や父の遺品に軍事便
離郷六年鉢の春蘭花ひらく
新宿御苑花の名残のきのふけふ
柳絮飛ぶ上り下りの船の上
花銀杏薙刀肩に女子学生
読み返す「墨汁一滴」春灯
忌をひとつわれに増やして春の逝く
風なりに揺れて真つ白山法師



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 初  夏 (東広島)源  伸枝
草餅や幸せさうな愚痴を聞き
和紙すこし買うて出雲の春惜しむ
初夏や窓辺に乾く絵付筆
両足を投げ出し初夏の風聴けり
植ゑし田に夕映えながき飛鳥かな
ゆるやかに曲がる流れや桐の花

 夏 来 る (松 江)西村 松子
ふり返るとき山桜海へ散る
蝶の昼固き音して貨車止まる
朧夜のふはりと畳む嬰のもの
花ゆすらみどりごは手をひろげたり
水口に海石を据ゑ田水張る
神官の背筋きりりと夏来る

 春惜しむ (多 久)大石ひろ女
さくらしべ降る御仏の掌
円墳の裾の明るく揚雲雀
夏近きこと風音に水音に
醤油屋の大樽小樽つばめ来る
百年の蔵の格子戸春惜しむ
老鶯や目覚めにほぐす指の節

 山 若 葉 (群 馬)荒井 孝子
見るだけで戻る吊橋雪解川
蜘蛛の囲を繕ふ八十八夜かな
牡丹の風のふはりと物干場
白牡丹添水の音に崩れけり
桐の花空家の奥の蔵二つ
山若葉トンネル多き吾妻線

 永 き 日 (浜 松)阿部芙美子
永き日の部屋の畳を拭きにけり
川覗く人を見てをり暮の春
春惜しむ柵より松の枝のびて
鯉のぼり雨の気配を感じをり
足元の草刈つてあり船着き場
鮎釣の目配せをして場所変ふる

 出雲時間 (松 江)森山 暢子
野火を追ひ酔へるがごとく戻りけり
つばくらや教師居残る常のごと
小流れに山葵の根付く平家村
山車蔵の三つ連なる櫻かな
負鶏を横抱きにして女かな
蛇出づる出雲時間と言ふがあり



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 根本 敦子(北 見)

真白なるカップとソーサー百千鳥
玻瑠越しに雲をみてゐる春炬燵
タラップの風翻る春コート
オホーツクの海平らかに夏来る
はつ夏の風を孕みし綿のシャツ


 吉田 美鈴(東広島)

搭乗を待つ花どきのロビーかな
並足の馬のたてがみ風光る
人ごゑの下つて来たる蕨山
蝶々の影のもつるる水面かな
実桜や校舎に昼のチャイム鳴り



白光秀句
村上尚子


オホーツクの海平らかに夏来る  根本 敦子(北 見)

 「オホーツクの海」と聞いてすぐ思い付くのは、未解決のままの北方領土と、冬の荒れた景であるが、オホーツクにも春があり、夏があり、秋がある。旅行者の多くはその頃の明るい海しか知らない。しかし、そこに住む人にとっては全てがオホーツクである。
 作者は北見市にお住まいであり、特に冬の厳しさは知り尽くしている。夏を迎えたばかりの海を見てほっとしているのであろう。表現はいたって穏やかであるが、その喜びが静かに伝わってくる。
 はつ夏の風を孕みし綿のシャツ
 やはりオホーツクの海辺に立っているのだろうか。日本のどこに住んでいても四季は巡ってくるが、北国ではその変化が著しい。夏を迎えた喜びが、中七下五のフレーズで精一杯表現されている。

搭乗を待つ花どきのロビーかな  吉田 美鈴(東広島)

 おそらく海外へ出掛けるため、空港に来ているのであろう。窓の外には離着陸する航空機の姿が見えている。旅先への期待は膨らむばかり…。しかし、日本は丁度「花どき」である。帰る頃には散ってしまっているかも知れない。
 旅への喜びと、花への思いが入り混っている作者の姿が見える。
 並足の馬のたてがみ風光る
 広辞苑によると、「並足」とは馬の歩く速度で最もゆるやかなもの、とある。春の日差しのなかに吹く風が「馬のたてがみ」に触れることで、俄に躍動感が生まれた。情景のよく見える作品である。

クローバーの風も編み込む首飾り  大石 益江(牧之原)

 クローバーは、人に見付けられると摘まれる宿命にあるようだ。首飾りにするにはかなりの数が必要となる。野原のなかで摘んできたものを丁寧に編んでゆく。「風も編み込む」が一句のかなめである。

さきいかのこんがらがつて昭和の日  金子きよ子(磐 田)

 するめを火鉢の上で焙り、裂きながら食べることをしなくなった。今や、袋のなかに既に裂かれたものが入っている。手っ取り早いが味気ない。「昭和の日」との絶妙なバランスが生きている。

あら汁の大き目玉の桜鯛  太田尾千代女(佐 賀)

 「あら汁」は、魚の身を取り去った後残る頭や骨の類で吸物に仕立てたもの。身だけよりはるかに旨い。特にこの時期のものを珍重して「桜鯛」と呼ぶ。椀のなかの大きな目玉と向かい合いながら、舌鼓を打っている作者がいる。

ほんとの空ほんとの野原風光る  沼澤 敏美(旭 川)

 高村光太郎の『智恵子抄』をもとにした歌謡曲を思い出した。そこに出てくる空は東京だった。「ほんとの空ほんとの野原」は旭川にある。北国ならではの長い冬から開放された空の様子が、遺憾無く発揮されている。リフレインの効果も大である。

よく泳ぐ公民館の鯉幟  河野 幸子(浜 田)

 昔から、端午の節句を祝うのに鯉幟を揚げてきた。その風習が無くなった訳ではないが、少子化が進んだことと、都会では揚げる場所が減ってあまり見なくなってしまった。そんななかで、ある「公民館」に揚げられていた。大勢の人に見られて「鯉幟」も得意気に泳いでいるようだ。

麦の風額を撫でて行きにけり  中嶋 清子(多 久)

 一面の畑の麦が色付く頃は真夏の暑さとは違い、よく晴れた日は爽やかそのものである。この句はその時の状況を素直に表現している。余計なことには一切触れていない。「けり」の止めも効果的である。

手の平に仁丹ひとつ夏隣  金原 恵子(浜 松)

 昔から馴染の「仁丹」。商標名でもある。現在も愛好者がいることは確か。作者もその一人である。「手の平」に乗るたった一粒の仁丹が夏を呼んでいる。

初夏や杉原紙の葉書来る  廣川 惠子(東広島)

 電話やメールが身近な時代だが、手書きの便りを貰った時はまた別の喜びがある。それが歴史的にも価値のある「杉原紙」だったことにも注目している。作者の喜んでいる様子が見えるようだ。

今着きし船よりもらふ初鰹  加藤 美保(牧之原)

 旬の食べ物は特に旨い。まして魚は新鮮さが命。太平洋のすぐ近くにお住まいの作者ならではの作品である。一句にはスピード感があり、「初鰹」の味迄伝わってくる。


    その他の感銘句
子供の日はちきれてゐる稲荷ずし
折紙の恐竜動く万愚節
写経する一字一字に緑さす
春寒しチセ燻しても燻しても
尾鰭まではねて眼張の姿揚げ
万年を経たる氷河の端を食ぶ
沈丁の匂ふ肩幅ほどの路地
柿若葉蔵に錆び付く薬研かな
鷲掴みして蚕豆の計らるる
やはらかき雨ぼうたんの蕾解く
プランターの大麦小麦穂を揺らす
子供の日一升炊きの釜を買ふ
覗きたる鏡に泳ぐ鯉のぼり
養蜂箱三つ蜜柑の花匂ふ
シャーベット記憶の中に母の居て
阿部 晴江
花輪 宏子
大澄 滋世
今泉 早知
中村美奈子
溝口 正泰
鈴木 利久
井上 科子
内田 景子
陶山 京子
高井 弘子
藤尾千代子
大平 照子
加茂川かつ
西山 弓子


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 浜 松 林  浩世

海苔粗朶へしろがねの波寄せにけり
生ぐさき獣の息や春の闇
眼鏡いつも少しずれたる種物屋
和菓子屋の暖簾短し竹の秋
風車赤子大きく笑ひけり

 
 牧之原 大石 益江

嫁の名を記して増えし茶摘籠
茶刈り終へ雨のひと日を貰ひけり
知らぬ間に丈の縮みぬ更衣
昨日まで仲良し今日は水喧嘩
映るもの全て掴みぬ水馬



白魚火秀句
白岩敏秀


海苔粗朶へしろがねの波寄せにけり  林  浩世(浜 松)

 海苔粗朶のある湖は浜名湖だろうか。湖南部には海苔の養殖場が広がっている。
春の日差しにキラキラと反射してしろがねに輝くさざ波。波は海苔粗朶を梳くように次から次に寄って来ては遠ざかる。
広々として浜名湖の春をしろがねの波の一点に絞って美しく表現している。
  和菓子屋の暖簾短し竹の秋
 和菓子屋の暖簾は短いと作者は言う。暖簾も夏への更衣をしたのかも知れない。そう言えば、陳列してある菓子も涼味の溢れるものばかりである。季節の先取りが商売繁盛の秘訣というところか。

茶刈り終へ雨のひと日を貰ひけり  大石 益江(牧之原)

 茶は一年を通して、細心の注意と管理が必要と聞く。その一年の丹精の成果の茶刈りを終えた後に雨となった。雨に遇わずに無事に終わったことへの安堵と感謝。茶摘みも機械化になった。だから、茶刈りも季語となってもおかしくはないだろう。
  嫁の名を記して増えし茶摘籠
今までは夫に従って、茶畑の世話をしてきたが、今では嫁が中心的な役割を果たして呉れている。地区にも溶け込み、茶摘も馴れてきた。増えていく嫁の名入りの茶摘籠を眺めながら嫁を頼もしく思い、安堵している作者がいる。

春の雪解けて顔出す鬼瓦  萩原 一志(稲 城)

 春も深くなった頃、漸く解け始めた雪。雪解けの今を詠みながら、積雪の凄まじさを伝えている。「顔出す」の擬人化が春に向かって大きく挨拶しているように映る。旅で見た雪国の一齣である。

新緑や六戸をつなぐ回覧板  秋穂 幸恵(東広島)

 近頃は過疎化が進み、限界集落などという言葉がよく聞かれるようになった。この集落も御多分に洩れない地区のようである。昔からの家がぽつりぽつりと減って、六戸になってしまった。点在する家に届ける回覧板は、お互いの元気を確かめ合う掛替えのないものであり、六戸をつなぐ絆になっている。

尊きと思ひて踏みぬ春の土  赤城 節子(函 館)

 長い冬が終わって、雪解けとともに現れてくる黒々とした春の土。それは何ものにも代え難い嬉しいものである。花より先に現れる柔らかな土に雪国の人は春を実感する。この句の「尊き」には春を迎えた最上級の喜びが籠められている。北国に住む作者ならではの句。

席替へに胸のときめく五月かな  富樫 明美(多 久)

 学校に少し馴染んだ頃に行われる席替え。五月頃になると周囲を見渡す余裕が出来て、お気に入りの子が見つかったりするもの。さて、隣の席にどんな子が座るか。小さな胸をときめかす五月の席替えである。

朧夜や微熱のやうな風が吹く  大石登美恵(牧之原)

 同じ現象を昼は霞、夜は朧と区別するが、どちらも春の情緒豊かな季語である。
 作者は朧夜の風を「微熱のやう」だと表現した。巧みな比喩である。生暖かく気怠い風はどこか微熱に似ていて、春愁を誘うところがある。

初めての風に駆け行く仔馬かな  石川 純子 (旭 川)

 今年生まれた仔馬が、初めて触れる厩以外の世界。目に触れるもの耳に聞こえる物音も全て新鮮である。狭い部屋から解放され仔馬は、広々とした牧場を思い切り駆けてゆく。短いたてがみを初めての風に靡かせながら…。
 溌剌とした仔馬の姿が見事に描かれている。

去年より武者絵幟の増えにけり  渡邉知恵子(鹿 沼)

 地区に武者絵幟が一本増えた。
 五月の風に勢いよくはためく幟から、生まれた男の子の元気さが伝わってくる。抱っこされた赤ん坊を中心に、家族揃って幟を見上げている様子まで想像できる。

葱坊主すぐになくなるチョコレート  岸  寿美(出 雲)

 チョコレートは子ども達の大好きな食べ物である。勿論、大人たちも喜んで食べる。だから、いくら買ってもすぐになくなってしまう。
 揚句は食べてしまう犯人は誰かを、葱坊主を使って暗示させていてユニーク。


    その他触れたかった秀句     

一本の新樹に森のはじまれり
田水張り輝く村となりにけり
玄海の波の寄せて来浜ゑんどう
鉛筆の長さのそろふ入学児
飛花落花子らは昨日の子にあらず
新茶くむ亡きちちははも加はりて
薫風や五指入れ髪をほどきゐる
垂るる尾の藁に触れゆく厩出し
茶筅より生まるる泡の春めけり
手品師の素顔に戻る春夕べ
蓋開けて古井へ春日落としけり
うなぎ屋の急な階段青嵐
突きあげて空へ飛び出す紙風船
たんぽぽの絮一斉に風となる
香水の香り出て行く待合室
との曇る引佐細江の夏つばめ

西村ゆうき
川本すみ江
谷口 泰子
渡辺 伸江
中山  仰
鈴木 敬子
町田由美子
吉川 紀子
森脇 和惠
小嶋都志子
舛岡美恵子
加藤三恵子
杉山 和美
梶山 憲子
小渕 久雄
新屋 絹代 

禁無断転載