最終更新日(Update)'18.08.01

白魚火 平成30年6月号 抜粋

 
(通巻第756号)
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 6月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    星  揚子
「始発列車」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(巻頭6句のみ掲載)
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
鈴木 利久、石川 寿樹    
白光秀句  村上 尚子
句会報 静岡白魚火 総会記   横田じゅんこ
句会報 函館俳句大会入賞作品紹介   広瀬むつき
句会報 群馬白魚火会総会並びに句会   竹内 芳子
句会報 第五回栃木・東京白魚火 合同句会報告  萩原 一志
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
     斎藤 文子、原  みさ
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(宇都宮) 星  揚子   


捕虫網の兄の帽子を追ひ掛くる  金原 恵子
(平成二十九年十月号 白魚火集より)

 夏休み、兄弟が捕虫網を持って、元気に野山を駆けまわっている様子が目に浮かぶ。住んでいる家の近くであろうか。それとも、お盆のときに、母親の帰省に一緒について行った時のことであろうか。
 お兄ちゃんは夏休みの宿題の昆虫採集をしているのであろう。ふだんの学校生活とは違った大自然の中で、のびのびと捕虫網を振り回している。
 さて、弟はというと、虫を捕らえるというより、大好きなお兄ちゃんの後を追いかけているようだ。弟が捕虫網を持っているかどうかは、どちらでもよいと思うが、私は、兄を真似て同じ格好をしていると採りたい。前を行く兄を、その兄の帽子を時折躓いたりしながらも一生懸命に追いかけているのだ。
 作者のこの兄弟を見守っている、優しい眼差しが感じられる。

炎天へ帽子の鍔を矯めにけり  江連 江女
(平成二十九年十月号 白光集より)

 夏の真っ盛り。じりじりと太陽が照りつけ、気温も優に三十度を超えているだろう。じっとしていても汗が噴き出してくるような日である。ここ数年、全国あちこちで、夏日、真夏日の数や最高気温が記録を更新しているように記憶している。
 作者はこのような日に、何かの用事で出かけようとしているのだ。いつもの愛用の帽子を被って。しかし、ただ被っただけではない。太陽の光に対して、少しでも日が当たらないように鍔を折り曲げている。その折り曲げたことを「矯めにけり」と言ったことにより、作者の出かける前の決意のようなものを感じとれる。それは「炎天へ」の「へ」からも窺うことができる。
 さて、今年はどんな夏になるのであろう。作者のように、自分の意志で帽子の鍔を矯め、炎天へ颯爽と出かけて行きたいものである。




曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 北 辛 夷 (旭 川)坂本タカ女
紙めくるごと群れ発ちて鴨帰る
全身の花まみれなり北辛夷
又逢ふ日までと手を振る花の下
顔映るほど鍋みがく彌生かな
春の昼退屈さうな赤ポスト
鳶の笛終始無口の剪定夫
春惜しむこころに逝きし人惜しむ
寄り道をせるせせらぎや水芭蕉

 八十八夜 (静 岡)鈴木三都夫
葦叢の水の騒ぐは乗つ込みか
鳴く雉の二タ声づつの草朧
山里に老いて句も詠みお茶を摘む
洗ひ場の潺々として草清水
早苗まだ溺れ立ちなる植田かな
植田はや蛙を呼びて囃しけり
筍へ一撃の鍬誤たず
新茶汲むその銘八十八夜かな

 郭  公 (出 雲)山根 仙花
郭公や水音いつも峡濡らす
郭公や峡の暮しの猫車
草刈りし匂ひの小みち通りけり
夏草の匂ひの中へ腰下ろす
皮を脱ぎ竹の月日の始まりぬ
万緑や水一筋に走りけり
青梅の転がつてゐる水辺かな
ほととぎす峡の深さに鳴き競ふ

 夕 端 居 (出 雲)安食 彰彦
祖母吊す風鈴の音睡魔呼ぶ
参道の男も日傘ほしげなり
会釈せし女性日傘をたたみけり
わづかなる日傘の影をもらひけり
早乙女の並び太鼓と笛の音と
あの夢のつづきを見たし昼寝覚
夕端居くさめの声も父に似て
夕端居風のはこべる叱り声

 グリムの童話 (浜 松)村上 尚子
手水舎の手拭きひらひら夏に入る
街路樹のポプラ緑の風つなぐ
膝へ置くグリムの童話緑さす
水買ひに行く初夏の星の下
木の橋の釘浮く茅花流しかな
三人で褒め合つてゐる夏帽子
蛇衣を脱ぐ草むらにランドセル
尖りたる山に向かひて草矢打つ

 水  鏡 (唐 津)小浜史都女
首夏に入る金切りごゑの神の鶏
竹あれば竹の走り根ほととぎす
青匂ふ定家かづらのしだれかな
薫風や娘とのぞく水鏡
楠の気をもらひ涼しき身となりぬ
梅雨に入る南の方に南岳
西郷どんのあそびし川や夏つばめ
笊被る田の神もゐて梅雨入りかな

 青  岬 (宇都宮)鶴見一石子
磯節の磯前神社大茂り
身幅なる神明鳥井片蔭り
円座置くホテルのロビー潮の香
大礁小礁夏の海砕け
黑南風や巌礁に立つ大鳥居
青岬金剛濤の迫り来る
リハビリの心の離れ青岬
青葉潮岩礁越ゆる濤がしら

 登 山 帽 (東広島)渡邉 春枝
ポストまで歩く卯の花腐しかな
早暁のしじま破りてほととぎす
濡れ縁に今朝も来てゐる青蛙
緋牡丹の崩るるときの風さわぐ
籐椅子の軋みや心地よき睡魔
十字路の安全しかと梅雨に入る
八十を素通りしたる登山帽
生涯にあまたの別れ明易し

 桜 散 る (函 館)今井 星女
はこだての青柳町の桜かな
啄木もかく歩きけん花の道
啄木の歩みし道や桜散る
啄木の碑文をかすめ桜散る
このあたり啄木旧居花曇り
思ひ出を桜のごとく散らしけり
花疲少し暖房入れてみし
一杯のコーヒーうまし花疲

 梅雨兆す (浜 松)渥美 絹代
よき声の鳥の来てをり更衣
竹皮を脱ぐや回廊ややきしみ
堂守に筒鳥のよく鳴く日かな
朴咲くや修験の堂へ径細り
ほととぎす鳴き雑魚の群くづれけり
十薬の花首洗ひ井戸囲む
まつすぐに垣刈り梅雨の兆しけり
二泊して帰る子日焼してゐたり

 ボート番 (北 見)金田野歩女
身に付けし緑の石や緑の日
八合目這松辺りの星鴉
青蔦や足に優しき森の土
呉服屋の夜風を孕む夏暖簾
信号の消え入りさうな海霧の島
天牛や樹齢五百の展示木
隧道を抜けて雪渓目の前に
初心者に指南してゐるボート番

 子規庵へ (東 京)寺澤 朝子
虚子碧梧桐通ひし路地も夏に入る
紫陽花に色出て根岸二丁目路地
若葉して子規在りし日の刳り机
子規も見し萩の若葉をガラス越し
軒近く育つへちまの苗三本
ひつそりと律の部屋ある薄暑かな
健啖の子規在らばいま初鰹
昼顔や子規庵に子規終焉の間



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 薫  風 (浜 松)佐藤 升子
桐の花母に母ゐて父のゐて
早乙女の水光らせて足洗ふ
藻の花に水の流れの見えにけり
稿起こす先づ薫風を入れてより
薫風や肩で鑿押す硯切り
一斉に蟬鳴き晴れを戻したり

 葉  桜 (出 雲)生馬 明子
樟匂ふ手彫りの仏木の芽雨
海境まで一枚の紺夏近し
藤棚の下の小橋を渡りけり
葉桜や一年生の参観日
動くたび水を光らせ水馬
風の来てとうすみ蜻蛉連れ去りぬ

 短  夜 (浜 松)大村 泰子
衣更へて勝鬨橋を渡りけり
東京の短夜大股にて歩く
夕汽笛遠くに聞いて穴子めし
軽鳧の子の着水すこし前のめり
人ごゑに走り来る鳩麦の秋
はつなつの山の木一本づつ戦ぐ

 夕 端 居 (藤 枝)横田じゅんこ
初夏や薩摩切子に海の色
蛍呼ぶ男の太き声聞こゆ
風止んで日傘にはかに重くなる
夕端居独り暮しの者同士
予定などなくて楽しき水羊羹
水漬きつつ蘂は濡らさず羊草

 図 書 館 (宇都宮)星  揚子
漕ぐ足の離るるペダル若葉風
利き手よりリュックを背負ふ薄暑かな
初夏の八百屋きれいに箱重ね
胸釦一つ外して更衣
教会のやうな図書館若葉風
命綱つけて土塁の草を引く

 母 の 影 (浜 松)弓場 忠義
初夏の砂丘を踏めば鳴きにけり
衣更へて行く処なき一日かな
蟾鳴いて赤子すやすや胸の中
突風の螢さらつてゆきにけり
杣人の日暮は早し河鹿笛
母の影追うて卯の花月夜かな



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 鈴木 利久(浜 松)

方丈に山椒味噌の匂ひけり 
寺領より逸れし筍貰ひけり
黒竹といふ今年竹まだあをし
花とべら島より高き船の影
麦笛のとぼけたる音児と吹けり


 石川 寿樹(出 雲)

夕薄暑明日には虚子の鎌倉へ
読み難き虚子の崩し字花は葉に
緑蔭に墓標の如く句碑並ぶ
梅の実の落つるがままに句碑の庭
大いなる虚子の筆硯夏の雲



白光秀句
村上尚子


黒竹といふ今年竹まだあをし  鈴木 利久(浜 松)

 真竹、孟宗竹、淡竹、四方竹等、竹の種類はたくさんある中で、「黒竹」は筍の時も、竹らしくなっても、大方の人はそれとは気付かずに通り過ぎてしまうだろう。しかし言われてみれば、幹が黒くなる迄は他の竹のように青くて目立たない。
 見馴れている竹藪の風景も、季節によって見える景色は変わり、発見もある。ちなみに「竹取物語」の主人公「かぐや姫」が生まれたのは、きっと孟宗竹である。
  麦笛のとぼけたる音児と吹けり
 高価な楽器でも得られない「麦笛」の音色。吹くたびにその音色も高低も違う。吹いてみなければ分からないところも面白い。幼子と戯れに吹いている作者だが、本人が一番喜んでいるように見える。

読み難き虚子の崩し字花は葉に  石川 寿樹(出 雲)

 「鎌倉虚子立子記念館」、そして虚子ゆかりの地を訪ねられたようである。一連の作品には、前日からの心の高揚まで伝わってくる。いざその場に立ち、多くの作品をまのあたりにすると、その偉大さに圧倒されるばかりであった。庭に建つ大きな石には〈鎌倉を驚かしたる余寒あり 虚子〉と、「崩し字」で刻まれているのが読みとれた。「花は葉に」の季語には、虚子の生涯を振り返っている作者の感慨も含まれている。
  大いなる虚子の筆硯夏の雲
 かつて虚子が使っていたという筆と硯。どれ程の句をしたためたことだろう。「大いなる」は筆硯に留まらず、その人物像をも指していると思える。窓からは、青空に湧き立つ「夏の雲」が、あたかも作者の背中を押してくれているようである。

水槽の目高床屋に皮の椅子  高田 茂子(磐 田)

 どこかで見たような懐かしい風景。「水槽の目高」も「床屋の皮の椅子」もみんな知っているはずだが、十七文字の枠にはめてみると思わぬ世界が広がり、読者の意表を突く。典型的な取り合せの作品である。

田植笠遠嶺いちにち雲の中  高橋 茂子(呉)

 「田植笠」と言えば、昔は菅笠と決まっていたが、今では見掛けるのも稀である。しかし、変らないものはそこから見える四季折々の山の姿である。この日はたまたま見えなかったかも知れないが、作者の日々の暮しはその山と一緒にある。

鬣に乾く代田の泥匂ふ  秋葉 咲女(さくら)

 「鬣」というからには馬であろう。どのような経緯かは分からないが、たまたま鬣に付いた「代田の泥」が匂ったという。ある物語の一齣のような作品であり、馬をいとおしむ作者の声が聞こえてくる。

父ははに石ひとつ積む夏河原  三関ソノ江(北海道)

 山で亡くなった人を悼むために石を積み上げたものをケルンと言うが、その思いは掲句も同じ。作者のお歳から察すると、ご両親を亡くされてからかなり久しいであろう。しかしその思いは変わらない。「石一つ」積むことによって心は安らぐのである。

郭公の一声雨の止んでをり  小林 久子(宇都宮)

 林の中から「郭公」の声が聞こえた。それも「一声」だけ。気が付けば雨が止んでいた。二句一章のまん中の切れが、作者の心の動きと句の広がりに効果をもたらしている。

茄子植ゑて代官屋敷跡といふ  金原 恵子(浜 松)

 植えられたばかりの茄子の姿がよく見える。しかし、この句の言おうとしているのはそこが「代官屋敷」だったということ。平凡な風景もよく見ていると、思わぬ発見がある。

琉金の尾の一振りで向き変ふる  吉原 紘子(浜 松)

 江戸時代に琉球から渡来したという「琉金」。色はもとより、よく発達した尾や鰭の美しさが観賞用として喜ばれている。特徴あるその姿をよく見ていたことで、一瞬の動きも見逃さず一句が生まれた。

たんぽぽの絮一斉に風となる  剱持 妙子(群 馬)

 子供の頃から誰もが見たことのある風景だが、どこに焦点を絞り、どう表現するかで俳句の優劣は決まる。続編があるように感じられるのも良いところである。

夏草の長け太閤の遺髪塚  小松みち女(小 城)

 名護屋城跡の一角にある広沢寺の「遺髪塚」と思われる。朝鮮出兵により多くの犠牲を伴った秀吉や、兵の姿を重ねて見ているのであろう。「夏草の長け」がすべてを物語っているようだ。


    その他の感銘句
留守多き交番梅雨の兆しけり
しやぼん玉公園行きの風に乗り
サングラス赤子泣かせてしまひけり
人見知りのなき子を膝に夏祭
山頭火の句碑ありなんぢやもんぢや降る
ルピナスや裏山吾を呼んでをり
金魚売フランスの水飲んでをり
昼顔や砂丘の果ての波の音
大槙の幹のねぢれや風薫る
花楝空の青さにまぎれけり
十薬の花太閤の遺髪塚
初島を取り巻きてゐる卯波かな
初鰹捌く男の豆絞り
うまごやし始業のチャイム鳴つてをり
六月や仕舞ひしままの腕時計
坂田 吉康
高山 京子
高田 喜代
森  志保
牧沢 純江
吉川 紀子
林  浩世
保木本さなえ
山本 絹子
鳥越 千波
稗田 秋美
松本 義久
山田 哲夫
小玉みづえ
久保美津女


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 磐 田 斎藤 文子

縦縞のシャツ着て初夏のカフェテラス
更衣して自転車の二人乗り
カステラのざらめ卯の花腐しかな
ページ開けばおとぎの国へみどりの夜
右回りの好きな金魚と暮らしをり

 
 雲 南 原  みさ

万緑や野見宿祢の土俵塚
沓音の涼しかりけり真菰祭
風に乗る神楽囃子や星涼し
四脚門潜りかそけき滝の音
御祭風沖に鎮座のつぶて岩



白魚火秀句
白岩敏秀


カステラのざらめ卯の花腐しかな  斎藤 文子(磐 田)

 卯の花腐しは咲いている卯の花を腐らせるほどに降る霖雨のこと。鬱陶しく気分の晴れないものである。そんな日に口にしたカステラのじゃりじゃりしたざらめの舌触り。普段なら上品な甘みで、食感のよいアクセントになる筈なのだが…。ざらめと卯の花腐しの意外性のある組合せが、梅雨に入る前の鬱陶しさを増幅しているようである。
 縦縞のシャツ着て初夏のカフェテラス
 ここは街の一角に設けられたオープンなカフェテラス。そこへ縦縞のシャツを着たダンディな男性がやって来た。男性は席に着くと長い脚を軽やかに組んで、ウェイターに何かを注文している。
 これから物語が始まりそうな外国映画のワンシーンのような情景。シャツの縦縞がこの句のポイント。

沓音の涼しかりけり真菰祭  原  みさ(雲 南)

 真菰祭は『真菰の神事』といって正式には『凉殿祭』という。出雲大社で六月一日に執り行われる。
出雲の森から御手洗まで白砂が盛られ、その上に敷かれた真菰の上を国造が大御幣と供に参進する神事である。この真菰を頂くと病気にかからないとの信仰がある。
 揚句は古くから脈々と受け継がれて来た神事への敬虔な気持ちを「涼し」で表現した。
 御祭風沖に鎮座のつぶて岩
御祭風は「夏の風」のことで、陰暦六月土用のなかばを過ぎる頃に吹く北東の風。六月一六、一七日に伊勢神宮の祭があるところからこう呼ばれている。
「つぶて岩」は国譲りの使者武甕槌神(たけみかづち)に大国主命の子建御名方神(たけみなかたのかみ)が力くらべして、稲佐の浜から大きな岩を海へ向かって投げ入れてできた岩と伝承される。
 投げ入れられた岩が古代から鎮座している稲佐の海。出雲の悠久な歴史を感じさせる句である。

橋ひとつ渡りて薔薇の人となる  原田 妙子(広 島)

 橋を渡った辺りで薔薇展でもあるのだろう。初夏の涼やかな風の吹く橋を、気持ちよく渡っていった。薔薇園にはさまざまな色や形の薔薇が、よい香りとともに作者を迎えてくれた。美しい薔薇を見て廻っているうちに自分が薔薇の花になったような気分になってきた。花好きの作者であればこその仕合わせ感である。
 
金魚鉢見つけ金魚を買ひに行く  宇於崎桂子(浜 松)

 物置をごそごそしていたら、金魚鉢を見つけてしまった。随分と前に子ども達と一緒に飼っていたのだろう。汚れを拭いているうちにまた飼ってみたくなった。そこで、早速金魚屋へと行く仕儀となった。見つけなければという思いも、ちらっと覗いている句。

兄弟は競争相手豆の飯  池森二三子(東広島)

 兄弟といえども競争相手である。兄が褒められれば弟が発憤興起し、弟が褒められれば兄が発憤して頑張る。そして、お互いに競争しながら成長してゆくのである。しかし、いくら競争相手といっても兄弟は兄弟。仲の良いことは豆の飯が教えてくれている。

母の日も手甲取る間のなかりけり  山田ヨシコ(牧之原)

 母の日は五月の第二日曜日。作者の住む牧之原では茶摘みの最盛期であろう。それが終われば田植えが始まる。母の日といえども手甲を取って、ゆっくりしている余裕はない。時期を外すことの出来ない農作業のきびしさが伝わってくる。

祭笛駆け出して行く豆絞り  坂口 悦子(苫小牧)

 神社のほうから、祭笛が聞こえてきた。行きたくてむずむずして子どもが途端に、飛び出していった。短パンに祭法被を着て、小さい頭には可愛い豆絞りの鉢巻。脇目も振らず神社を目指す…。一目散とはまさにこのこと。

早乙女の裾を濡らして足洗ふ  島津 直子(江 津)

 早乙女達が一日の労働を終わって小川で足を洗っているところ。〈早乙女の夕べの水にちらばりて 高野素十〉の情景が思い浮かぶ。
 流れは早乙女の足の泥を洗い落とすと同時に裾までも濡らしてしまった。「裾を濡らし」ても気に掛ける様子もなく、むしろ楽しんでいるようである。一日の仕事が終わった開放感が溢れている。

万緑の山へ真つ直ぐ橋渡る  渡辺 伸江(浜 松)

 僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る/ああ、自然よ(略) (「道程」 高村光太郎)
 万緑の山へ向かう強い意志が、力強くダイナミックに詠まれていて見事。


    その他触れたかった秀句     

ペン先をきれいに洗ひ夏に入る
十薬や引き算しても良き人と
金魚玉に映り郵便配達夫
虞美人草人の気配に崩れけり
片屋根のゆるき勾配風光る
夏の雨夕餉の支度終ふる頃
母の日の煮豆ふつくら仕上がりぬ
雲の峰駿河湾より迫り上がり
絽を解きて母の匂ひを膝に置く
一渓に釣人二人遠郭公
昼寝覚め研屋の声の遠くあり
捲られぬままの日捲り茶摘終ふ
薫風や画板の上のB鉛筆
風船をかくクレヨンはいつも赤
枝蛙鳴くや仏間の灯のゆらぐ

小嶋都志子
仙田美名代
渥美 尚作
和田伊都美
原  和子
原 美香子
山田 春子
池島 慎介
篠原 凉子
伊東美代子
市川 泰恵
加藤 明子
重盛やすゑ
淺井ゆうこ
金織 豊子 

禁無断転載