最終更新日(Update)'18.06.01

白魚火 平成30年6月号 抜粋

 
(通巻第754号)
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 6月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    鈴木百合子
「民  話」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(巻頭6句のみ掲載)
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
保木本さなえ、遠坂 耕筰    
白光秀句  村上 尚子
句会報 名古屋句会   檜垣 扁理
句会報 浜松白魚火会第二十回(創立三十周年記念)総会・句会   鈴木  誠
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
     塚本美知子、遠坂 耕筰
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(群 馬) 鈴木百合子   


音も又一直線に滝となり  山西 悦子
(平成二十九年八月号 白光集より)

 滝には男滝、女滝、夫婦滝、凍滝といろいろあるが、この滝は一読して雄麗な姿を見せる男滝。滝口から滝壷に一気に落下する直瀑が連想される。巨大な岩山を覆っている木々の青葉若葉を大きく裂いて、しぶきをあげながら直下している滝の豪壮さが伝わってくる。
 だが、作者の眼目は単なる滝の景に留まらない。
 深閑とした一山を豪快に落下して来る滝を見上げながら、途絶えることのない轟音に作者の俳句の心が動かされたのである。滝壷を目指して迷うことなく直下して来る滝の音。音そのものを一直線の滝と捉えたのである。そして、直瀑ならではの一句一章の鋭い感性、新鮮な発想が素晴らしい一句を成し得た。
 滝は、四季を通じて詠めるが、夏の季語として扱われるようになったのは、明治以降とのこと。
 正に掲句こそ、涼感を誘う夏の季語に相応しい作品になった。

桐の花ふるさとの道坂多し  牛尾 澄女
(平成二十九年八月号 白魚火集より)

 ゆったりとしたリズムのなかに、郷愁を誘い読み手の琴線にしっかりと触れる一句。
 その昔、家に女の子が誕生すると花嫁道具の箪笥や長持にと家の周囲に桐の苗が二本植えられたと言う。
 桐は、十五~二十年で成木になり防湿性に富むことから家具材に適するということで前述のような風習が根付いたと思われる。
 五月頃になるとすらりとした高い樹の梢に淡い紫色の花を咲かせる。清楚な中にも気高さを思わせる花である。
 さて、この道、なだらかな坂の続く未舗装の乾いた道を想定したい。少し、でこぼこした道の其方此方に車前草が小さな花を咲かせている。道に沿って小流が美しい調べをたたえている。その道の遥か向こうには出し梁の大きな古い家が建っている。
 家の周りには、何本かの大きな桐の木が楚々とした薄紫の花を付けている。同掲の
  母ありしあの日のごとく桐の花
から、この坂の上の家の庭先に在りし日の優しい御母堂の御姿が見えてくる。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 春 日 和  坂本タカ女
凍れつきたる玄関の靴はがしくれ
陶工房硝子工房雪の里
夜べの雪朝の街並明るうす
家緩む音のしてゐし雨水かな
海人の部屋時計とラジオ春浅し
春めくや鼻に押し上ぐる眼鏡の度
春愁を引きずりをりし鏡かな
彩の合同句集春日和

 涅槃西風  鈴木三都夫
海へ向く羅漢百相涅槃西風
吟行や誰彼と逢ひ蝶と逢ひ
針の芽の疼きはじめし茶山かな
春二番雨を交へて暴れけり
なほざりの花菜畑も寺領かな
聞き止めて語尾あやふやな初音かな
三椏の隠れやうなき花の数
紫木蓮白木蓮と散り混じり

 落  椿  山根 仙花
春来ると音立て急ぐ小川かな
椿落ち地に新しき影つくる
今落ちし椿裏戸を飾りけり
落椿地に伏せ今日も暮れてゆく
高き樹の高きを占めて囀れり
囀りの真下句帳を開きけり
春の水硯の海に溢れけり
腕軽く組み囀の中をゆく

 海ゆかば  安食 彰彦
臨終のベッドの母に花翳す
老翁の花の下にて「海ゆかば」
将校の墓に静かに散る桜
昭和の日南洋の地図頭の中に
春鮒の刺身の残り一パック
砂吐きし大和蜆の口開き
目刺焼く大吟醸酒傍に置き
囀りや梨園の阿国の墓はここ

 四万温泉  村上 尚子
遠山の風見えてをり辛夷の芽
どこ迄もあをきダム湖や雪解風
そこひ迄見せ四万川の水温む
谷川のみづに力や木の芽風
水牢に午後の風吹く座禅草
のけ反つて仰ぐ岩山初つばめ
お茶講の席をロの字にうららけし
四万の湯に肩まで浸り夜半の春

 天 守 台  小浜史都女
ケーキより瓦煎餅春炉守る
春蘭や二日晴るれば三日降る
紅しだれざくらのしづく真珠色
彼岸寺嫋々と雨降つてをり
満潮に溺れてゐたり白魚簗
わが畑とつながつてゐる山笑ふ
鼓草城に丸井戸四角井戸
花散るやビルの高さの天守台

 里  桜  鶴見一石子
山高く渓深くして里桜
聞こえ来る雪解水音峠茶屋
春の雪なれどぶつかり遭へるなり
観桜会控へ目に座し車椅子
真似事の乾盃に酔ひ花に酔ふ
不機嫌な野州の空の百千鳥
那須岳の百景にして残る雪
張りつめし戦渦のくらし一夜酒

 春 の 川  渡邉 春枝
春の川堰越ゆるたび音違へ
国道の朝の渋滞畑を打つ
智恵の輪の解けぬままに卒業す
紅梅や古道歩きの列に着く
梅香る松陰ゆかりの涙松
つくばひに鳥の来てをり桜東風
好きな道好きに歩きて落花浴ぶ
配膳と言ふも一人や桜鯛

 巣  箱  渥美 絹代
鶏鳴の二三度あがる春炉かな
牡丹の芽蔵の中より人の声
卒業の子らに傷なき椅子並べ
囀やリボンを解くプレゼント
かへりたる蝌蚪に冷たき雨きたる
鉈を置く巣箱のかかる木の根元
民宿に山羊の仔生まれ燕来る
花の下肉焼く煙ただよへる

 兜太の忌  今井 星女
冬晴や九十八の荒凡夫
寒昴「兜太」の星と仰ぎみる
「兜太」の句口ずさみつつ春を待つ
ありのまま生きて悔なき兜太の忌
反骨の詩人「兜太」の忌なりけり
多喜二忌や金子兜太も星となり
兜太選なき新聞の冴返る
俳界にその名を刻む兜太の忌

 海 明 け  金田野歩女
店頭に心惹かるる春の靴
木道の腹這ひ堅香子接写せむ
初音聞く遺跡の森の笹小屋辺り
春泥を身軽に跳んで下校の子
海明けや船に妻の名息子の名
剪定夫脱ぎし上着を枝に掛け
啄木忌幣舞橋の入り日美し
花筏鯉の尾鰭に掻かれをり

 残  花  寺澤 朝子
軽く生きてみよう辛夷は花かかぐ
蕗のたうからりと揚がり夕餉です
恋の鳥らし犇めきて塀の上
花満開けふは亡母の誕生日
艶といひはたまた怨と貴姫桜
明け暮れの乱読三鬼の忌なりけり
ひとり草摘むよいもとに先立たれ
校庭に檄の声飛ぶ残花かな



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 遅  日 (浜 松)大村 泰子
犬ふぐり跼めば水の匂ひけり
空き瓶のレッテル剥がす遅日かな
立子忌や海の光に目刺干す
浅春の村のどこかに水の音
剪定の音の弾みしひと日かな
行く春の餌台にある御飯粒

  桜 (宇都宮)星  揚子
歯車の見ゆるからくり長閑なり
三日月の形に畳む紙風船
抱き来たる老犬下ろす春の土
樹齢三百花の重さに枝垂れけり
夜桜となりゆく嵩の白さかな
なめらかに車輪の止まる花の屑

 春  愁 (松 江)西村 松子
涅槃図の余白にこゑのなき嘆き
春愁や泡ひとつ吐く二枚貝
花なづな日は湖のうへ渡りゆく
一湾の光となれり春の海猫
蝶生まる妊婦の靴の底平ら
春耕の時折遠き海を見る

 木の芽張る (群 馬)鈴木百合子
ソプラノをフォルテに変へて恋の猫
梅が香の風に乗り来る忌日かな
句づくりの師系ひとすぢいぬふぐり
水牢に椿の落つる音ひとつ
漆黒の鉄瓶の噴く春炉かな
木の芽張る城山の岩天に座し

 苗 木 売 (東広島)挾間 敏子
囀りや大樹の覆ふ被爆の碑
お彼岸や一男三女二人欠け
苗木売り値引の沙汰は妻任せ
近所中見送つてゐる新入児
明るさは寂しさに似て春の昼
花の屑払ひて座るベンチかな

 桑ほどく (浜 松)早川 俊久
鉛筆の削り香匂ふ朧の夜
兵たりし兄の忌修す霾ぐもり
桑ほどく雪嶺遥か天に置き
山並の果の荒海鳥帰る
灌仏会甘茶の杓の四方より
投函の葉書一枚緑の夜



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 保木本さなえ(鳥 取)

啓蟄や一鍬ごとに土応ふ
梨の花白を尽くして峡埋む
花の山海見ゆるまで登りけり
雉子鳴いて山の夜明けのはじまりぬ
しやぼん玉飛んで雨情の空となる


 遠坂 耕筰(桐 生)

大方は杞憂で終はり雛納
北窓を開けば軋む家の骨
春嶺や空より青き四万の水
十五時の小腹を満たす櫻餅
散る花の下に佇みもの想ふ



白光秀句
村上尚子


しやぼん玉飛んで雨情の空となる  保木本さなえ(鳥 取)

 ♪しゃぼん玉飛んだ屋根まで飛んだ…歌い出したら今でもすらすら歌えてしまう。この歌は野口雨情作詞、中山晋平作曲の童謡として大正十二年に発表された。一見楽しそうに思える歌の背後には悲しい意味が隠れていることを聞いていた。雨情は長女を生後七日で、次女を二歳で亡くしている。
 最後まで歌ってみると、愛娘を失なった悲しみが強く反映されているのがよく分かる。
 作者は目の前の「しやぼん玉」の様子を見て、当時の雨情の悲しみに思いを重ねているのである。
  啓蟄や一鍬ごとに土応ふ
 季語に対してつき過ぎとも思えるが、この句には動作による手応えが伝わってくる。土と会話をしているような作者の姿と、春の躍動感が感じられる

春嶺や空より青き四万の水  遠坂 耕筰(桐 生)

 群馬白魚火の吟行会での作品。中之条町は温泉と美しい山や水等、自然の宝庫である。その上、有形、無形の国の重要文化財にも恵まれている。作者は桐生市から参加されており、これは四万川ダム湖での景。目前には新潟県境となる嶺が連なり、その麓にあるダム湖のあまりにもきれいな水を見て「空より青き」と讃えている。もうこれ以上の誉め言葉は見つからない。景のよく見える作品である。 
  十五時の小腹を満たす櫻餅
 「櫻餅」の句は、とかく香や葉に触れたものが多いなかで異色であり、男性的と言える。確かお酒を好まれるようだったが、甘辛両刀のようである。

一片の落花とび込む紙コップ  阿部 晴江(宇都宮)

 花の盛りは短い。今年は急に暖かくなり、あれよあれよという間に日本列島を駆け抜けて行った。掲句はそんな時の一齣。読みつつその場の景が広がり、素直に理解出来る。「紙コップ」が一句を支えている。

海からの風八朔柑の選果場  鈴木 敬子(磐 田)

 四季を通じて、最近は新種の柑橘類が次々と出回っているが、ここでは馴染の八朔柑。だが、重きを置いているのはその「選果場」。「海からの風」により、周囲の風景とその場にいる人の声、そして香まで伝わってくる。

朧夜や十三階のバーに居て  中村 公春(旭 川)

 お酒に関する句には種の尽きない作者。今日の舞台は「十三階のバー」である。季語によってその場の雰囲気はがらりと変わるが「朧夜」により、この日の作者の胸の内を覗いたような気がする。

鉱山のふもと地獄の釜の蓋  大澄 滋世(浜 松)

 「地獄の釜の蓋」は、きらん草の副題として角川書店の季寄せに、そして白魚火歳時記には例句として仁尾先生の〈結界の外れに地獄の釜の蓋〉がある。いかにも俳人好みの季語である。作者も先生のことを思いつつ詠まれたに違いない。

桃の花に鳥来て雨のあがりけり  大庭 南子(島 根)

 一句一章は得てして類句に陥りやすいが、掲句は新鮮である。近くで見かけた一瞬の景を、さもなく一句に仕立てた。型も整い、表現に無駄もない。

図書館の新聞コーナー花は葉に  永島 典男(松 江)

 ここは作者の行きつけの図書館と思われる。難しい専門書ばかり並べてある棚ではなく、「新聞コーナー」としたところに親しみがあり、日頃の穏やかな暮らしぶりが窺える。

野仏の頬杖つけり蝶の昼  谷口 泰子(唐 津)

 野仏に、庭先で摘んできたような季節の花が供えられているのを見るとほっとする。仏さまにもいろいろあるが、頬杖をついている姿は確かに見たことがある。「蝶の昼」という季語により、周囲の景色と作者のやさしさや明るさまで見えてくる。

忘れ潮いそぎんちやくの花並ぶ  横田美佐子(牧之原)

 「忘れ潮」は海水が満ちた時、岩のくぼみに入ったものが、潮が引いてからもそのままになっていることをいう。海水と一緒に紛れ込んだ「いそぎんちやく」の美しさを「花並ぶ」としたところが主眼。しかしなかには毒をもっているものもある。美しいものにはご注意。

雪の山近し山本五十六館  池島 慎介(浜 松)

 山本五十六は新潟県生まれの海軍軍人。数々の功績と秀れた人間性を称えて、長岡市に記念館が建っている。作者は「五十六」も眺めたであろう雪山を見ながら、その生涯に思いを馳せているのであろう。


    その他の感銘句
卒業子母に論文見せてをり
音散らし拭く鍵盤の春の塵
病室の昼のおむすび山笑ふ
空の青啄んでゐる冬の鳥
目借時夢の続きを見たきかな
紅梅の一輪母の忌なりけり
野遊や木陰で分くるチョコレート
流さるるままに流れて春の鴨
開拓村の電信柱鳥帰る
啓蟄やタクシーに積む車椅子
バオバブの押し上げてゐる春の雲
花衣脱ぎてコーヒー豆をひく
鉄棒をくるりと回り卒園す
神棚に階ひとつ桃の花
校庭を囲む白樺木の根明く

田口  耕
植田さなえ
大澤のり子
広瀬むつき
檜垣 扁理
早川三知子
宇於崎桂子
小村 絹代
石田 千穂
髙橋 圭子
古家美智子
大平 照子
朝日 幸子
佐藤 琴美
萩原 峯子


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 牧之原 塚本美知子

かたかごの花や木洩れ日までも美し
厳めしき幹より枝垂桜かな
田の水の張られたるらし遠蛙
長男に嫁して筍掘る破目に
筍の一つ一つの容かな

 
 桐 生 遠坂 耕筰

相撲花一匙ほどの土の上に
薺咲く傍に寝転ぶ外野席
ネクタイの結びを覚え卒業す
ときめきし日よ沈丁の香る午後
老体へ変身し行く朧かな



白魚火秀句
白岩敏秀


かたかごの花や木洩れ日までも美し  塚本美知子(牧之原)

 かたかごは漢字で堅香子と表され、「片栗の花」の傍題となっている。山林の傾斜部に群生してひっそりと咲いている。 
 〈もののふの八十娘子らが汲みまがふ寺井の上のかたかごの花 『万葉集』巻十九〉と大伴家持は詠んでいる。家持はかたかごの花に宮中の美しい娘たちを重ねた。揚句は木洩れ日を重ねた。そして、間髪を入れず、かたかごの上に揺れているひかりを「木洩れ日までも美し」と言い止めた。
 一都師は「(写生は)対象を自分の心に写して十七文字に現像する」ことだと教えている。読者は現像されたかたかごの花と木洩れ日の美しさをダブルで味わうことができる。
  厳めしき幹より枝垂桜かな
 「厳めしき幹」とは瘤の多いごつごつした老木の幹なのであろう。咲くかどうか心配していたのだが、何とまあ!見事に花をつけてくれた。しかも、枝からではなく幹から…。老木に対する称讃と労りの気持ち。達者で長生きはよいことである。

相撲花一匙ほどの土の上に  遠坂 耕筰(桐 生)

 「相撲花」はすみれの花。「相撲草」は雄をひじはと言ってイネ科の草で別種、秋の季語である。
 すみれはひ弱さうで可憐であるが、仲々にしたたかである。コンクリートの僅かな隙間からでも出てくる。現に、揚句のすみれは一匙ほどの土を頼りに咲いている。その強さに対する驚きが作者に相撲花の名前を選ばせている。相撲花も一匙の土も土俵を連想させて、句を面白くしている。
  薺咲く傍に寢転ぶ外野席
 地方の野球場ではベンチがあるのは内野席だけ。外野席はそのまま野の席であることが多い。この球場も正にそれ。
 熱戦の野球をよそに外野席でごろりと寝そべっている。そばには薺が春風に小さく揺れ、空には白雲がゆっくりと流れている。気の遠くなるような長閑かな外野席の午後のひとときである。

じわじわと野火近付きて葦倒る  中村 早苗(宇都宮)

 土手の野焼きだろう。勢いよく走っていた野火は、水辺近くで身をひそめるようにじわじわと葦に近付き、瞬時に葦に飛びつく。葦は◦火だるまになりながらゆっくりと倒れていく。スローモーションのような描写が、読者の手に汗を握らせ、息を詰めさせる結果になった。

見下せば阿波の一国春霞  石川 寿樹(出 雲)

 高所から俯瞰している図である。阿波の一国とあるから徳島城(別名猪山城)跡かも知れない。
 群雄割拠から長宗我部の時代を経て、蜂須賀家の治世、そして昭和二十年七月の徳島大空襲。様々な時代を経てきた徳島城である。
 その城跡に立ち、霞棚引く阿波の城下を、国見のように眺める。あたかも城主になったようなスケールの大きい句である。

春寒し愚痴のなかにも自慢あり  金原 敬子(福 岡)

 相手の愚痴に相槌を打ちながら聞いていると、時折自慢めいた話が挿み込まれる。はて、この方は愚痴を聞いて欲しいのか自慢話がしたいのかと鼻白む思い。作者の思いを代弁する「春寒し」である。

目貼剥ぐ息の仕方を思ひ出す  淺井ゆうこ(旭 川)

 隙間風を防いでくれた目貼を剥ぐようになると春である。冬の間、息をひそめるようにして寒さに耐えてきた生活も終わり。隙間風にもどこやら春の匂いがする。「息の仕方を思ひ出す」には春への開放感が弾けている。待ちに待った春の到来。

沈丁の香り濃くなる月夜かな  大原千賀子(飯 田)

 沈丁は木犀や梔子と並び称される香りを持つが、どことなく妖しい香気がある。上ってくる潤んだような春の月に、香りを濃くしてゆく沈丁花。これから何かが始まりそうな予感のする句である。花は違うが高野素十に〈夜の色に沈みゆくなり大牡丹〉がある。

押し寄せておほらかに引く春の潮  谷口 泰子(唐 津)

 たっぷりと春の日を浴びながらざぶりと渚に寄せて、再びゆっくりと引いてゆく春の潮。「おほらかに」の措辞が悠揚迫らざる春の潮を彷彿とさせる。眼前の海は玄海灘であろうか。


    その他触れたかった秀句     

飛び石のはたと途切れて臥竜梅
人がゆき人声がゆき水温む
三月の声美しき雀かな
春愁や水牢の水なみだ色
寿の封書真白く春の風
夕映えや被爆の川に柳絮飛ぶ
軒氷柱短き刻を輝けり
潮の香の町屋通りや風光る
げんげ野や田んぼの中の中学校
病棟の百個の窓の春灯
初蝶や文字の大きな時刻表
花の雨無人の駅に一人をり
料峭のあんず色なる夕べくる
花びらの残つてゐたる診察台
さへづりや整備工場の昼休み
軽やかにフレアスカート揺れて春

田口  耕
中山 雅史
佐藤 惠子
福嶋ふさ子
山羽 法子
上尾 勝彦
土江 比露
樫本 恭子
村松 綾子
髙橋 圭子
久保久美子
永戸 淳子
鎗田さやか
田中 明子
吉田 柚実
内山 純子 

禁無断転載