最終更新日(Update)'19.05.01

白魚火 令和元年5月号 抜粋

 
(通巻第765号)
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 5月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    竹元 抽彩
「過 去 形」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(巻頭6句のみ掲載)
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
青木いく代、三原 白鴉    
白光秀句  村上 尚子
句会報 いわた俳句大会  林  浩世
句会報 坑道句会 三月例会古川句碑を訪ねて  大菅たか子
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
    坂田 吉康、山本 絹子
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(松 江) 竹元 抽彩   


バスガイド旗振り歩く薄暑かな  武永 江邨
(平成三十年七月号 鳥雲集より)

 掲句下五に「薄暑かな」と初夏の頃わずかに感じる暑さの季語を置かれた。
 晴天で爽やかな五月の気候であるが、歩いていると日陰が恋しくなる雑踏を「バスガイド旗振り歩く」と表意された。作者は出雲の人、行楽期の観光地、地元の出雲大社を詠まれた写生句だ。
 旗を振り歩くのは添乗員のバスガイドであろう。雑踏の中、客が離ればなれにならない様、又交通事故のない様に声を掛け旗を振る。「旗振り歩く」と「薄暑」を重ねたことで気遣いと少々疲れ気味で日陰が恋しい心状まで表意されて季節を感じる確たる一句となった。

はつ夏の風を孕みし綿のシャツ  根本 敦子
(平成三十年七月号 白光集より)

 掲句「はつ夏の風を孕みし」と一見鯉幟を想起するが、作者は「綿のシヤツ」と近景を活写して五月の風を表意された。意表を突く鋭い感性が光る。
 作者は北海道北見市に住む人。地図を見るとオホーツク海沿岸まで約三十キロ、広々とした平地が続く農産物の集産地で、近年玉葱の生産地として有名。「綿のシヤツ」と事実だけの写生は、竿に干してあるシャツとも思えるが、それなら「濯ぎもの」としたであろうから、このシャツは袖口の広い半袖の作業着と思いたい。新玉葱の収穫風影を連想させてくれる。「はつ夏の風」はオホーツク海から吹く風か、オホーツク海に向けて吹く風か、いずれにしても「風を孕みし綿のシャツ」の近景から北海道の広々とした大地を連想させる爽やかな初夏の詩ではある。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 鉛  筆 (旭 川)坂本タカ女
鉛筆の思案してゐる夜長かな
炉火つつき笹小屋に狐の来しはなし
声のして見えざる鴉雪の杜
北風や物言ふ眉の動きたる
月昇るかすかに鴨のこゑなりし
入口も出口も鳥居どんど焼
口笛に犬呼びもどす冬木立
巣作りの烏大きなものくはへ

 涅 槃 会 (静 岡)鈴木三都夫
臆病に咲いて日を恋ふ冬牡丹
窈窕と日本平の二月富士
法の池あぎとふ鯉の水温む
奉る春灯一燭涅槃像
涅槃図の微か揺れしは慟哭か
涅槃図の隅の余白は何ならむ
涅槃図の絵解き猫にも及びけり
山門を衆生へ開く涅槃かな

 山 笑 ふ (出 雲)山根 仙花
峡底の暮しの中に春立ちぬ
神の山仏の山も笑ひけり
目に見ゆる限りの山々笑ひけり
縁側はわが家の憩ひ場山笑ふ
不意に鳴る貨車の警笛春寒し
春寒し一峡音もなく暮るる
堰越ゆる大き水音春兆す
今落ちしばかりの椿今日終る

 余  寒 (出 雲)安食 彰彦
あれこのその名前うかばぬ脳余寒
老ひとり座りし椅子にある余寒
雨に打たれても紅椿凛として
売れ残る草餅いまだやはらかし
さう云へば辞典の上の蓬餅
白鳥帰るための大空青くして
人生をふりかへりつつ青き踏む
これよりは老の坂道青き踏む

 春 一 番 (浜 松)村上 尚子
春一番取り残されし島ひとつ
薄氷をゆらして月の上りけり
地虫出づ紐新しきスニーカー
行く手より沈丁の香の曲がりくる
とんび舞ふ島の畑の葱坊主
永き日の八重浪断崖にて戻る
校庭の前はすぐ海燕来る
春夕べ離ればなれに岬の灯

 言 の 葉 (唐 津)小浜史都女
くちびるに残る寒さのありにけり
佐用姫の領巾振る海のおぼろかな
十五代つづく濁手梅真白
濁手はあたたかき色陶ひひな
ひひなより言の葉すこしこぼれさう
窯元の力作ならぶ陶ひひな
絵付師のひとりに一つ春灯
茎立つや夕べ冷たき水使ふ

 浅 蜊 汁 (宇都宮)鶴見一石子
うららかや天狗の里の大鳥居
残る雪化粧直しの春の雪
沈丁花米粒の紅香を放つ
湖を抱き菖蒲ヶ浜の菖蒲の芽
鷽鳴くや日光街道一里塚
峠茶屋品切れとあり浅蜊汁
西会津望楼に聴く初雲雀
逞しき余一の里の草矢の子

 風 光 る (東広島)渡邉 春枝
行く春の仕込最中の蔵の窓
花冷や「美人の井戸」の水ふふむ
金文字の酒の商標風光る
酒蔵の窓の高さを雀の子
本陣の開かずの扉木々芽吹く
日の温み包み込みたる蕗の薹
飛石を少し離れて地虫出づ
春寒し日にいく度のティータイム

 取 り 箸 (浜 松)渥美 絹代
青竹の取り箸春の立ちにけり
みづうみへ鳶の流るる梅日和
敷藁に湿りのすこし牡丹の芽
雛壇の見ゆる框に座りをり
雛の家鴨居に火縄銃かかる
春雷や一寸ほどの雑魚の影
山裾にあをき煙や菊根分
遅き日の濁りて出合ふ川と川

 鳴 雪 忌 (函 館)今井 星女
猫にやる餌買ひに行く小春かな
野良猫がとびこんできし冬の家
まんまるい冬毛の猫を抱いてみる
多喜二忌やくやし涙は今もなほ
一枚の短冊飾る鳴雪忌
凍てゆるみどどつと落つる屋根の雪
ぼろぼろの歳時記めくり二月果つ
三月や予定で埋まるカレンダー

 欠  伸 (北 見)金田野歩女
枯柏鳴らす浦廻の旋風
だしの香に食欲戻る蟹雑炊
着ぶくれの土工の振りし赤い旗
四温晴靴を揃へて脱ぐ五歳
靴底の三和土にへばり付くしばれ
春隣口溶けの佳きチョコレート
日脚伸ぶ嬰の欠伸につられをり
早春や軒の薪の嵩減りぬ

 竜 天 に (東 京)寺澤 朝子
寺多き町なり戸毎梅咲いて
相傘のめをと狛犬春の風
針持たぬことを寂しみ針供養
仲見世の路地にあがなふ草団子
返信をかしこで結ぶ春の雨
ほころびし花は彩り花菜漬
健啖をけふは褒められ山笑ふ
竜天に登る肩書名刺無く



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

バレンタインの日(藤 枝)横田じゅんこ
丸く盛る仏飯バレンタインの日
畦焼の煙青空を狭めゆく
雛の日静かな雨となりにけり
鯉の尾に力のあふれ水温む
ふはふはと綿菓子太る初桜
百歳の手のひらに置く桜餅

 正 文 忌 (浜 松)林  浩世
起上がり小法師をつつき春を待つ
白梅の光となりぬ正文忌
跳びこえてみたき川ありいぬふぐり
父の鉈に父の艶あり木の芽風
詰めあうて坐る居酒屋春灯
名を知らぬ鳥の顔出す巣箱かな

 駅  弁 (宇都宮)星  揚子
蹴る仕草してゐる赤子あたたかし
梅の花突つくお手玉ほどの鳥
駅弁を買つて帰りぬ卒業子
灯を消せば一気に静か雛の間
一向に引かぬ釣り糸春の雷
県境は指さすあたり春霞

 春  暁 (東広島)源  伸枝
春立つや頬にやさしき化粧筆
早春の灯しぽつりと陶工房
料峭や影を重ねて足場組む
春暁の一灯うるむ始発駅
春愁や指に遊ばすボールペン
石庭の砂紋を乱し恋雀

 木の芽風 (浜 松)佐藤 升子
発条の透くる時計や春めける
海苔干し場男二人の入りゆけり
みづうみの遠きが光り雛飾る
シーソーの土のくぼみや木の芽風
古書店の中なる迷路春灯
暮つ方沈丁の香の重くなり

 遮 断 機 (松 江)西村 松子
風花は還らぬ人の吐息とも
寒禽の飛礫のごとく過りたる
ふはふはと生きて枯野の端あるく
梅東風や縁より乾く手漉和紙
鋭角に嘴あけて鳴く春の鳥
軋みつつ上がる遮断機雁帰る



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 青木いく代(浜 松)

うす紙に入れデパートの蕗の臺
公園の鳩ついてくる二月かな   
仏像に残る金箔春しぐれ
金平糖こぼれて春の日の中に
風強き日や枝先に小鳥の巣


 三原 白鴉(出 雲)

練り切りの色あはあはと春立てり
大盛の海軍カレー建国日   
硬き音立て残雪の踏まれけり
悪童の真つ先に踏む薄氷
揚雲雀ぜんまい解けて墜ちにけり



白光秀句
村上尚子


風強き日や枝先に小鳥の巣  青木いく代(浜 松)

 同じ春の季語に〝鳥の卵〟があるように、この季節は鳥たちの繁殖期となる。その大切な卵を育てる巣は、鳥の種類によって大きさも作り方も様々である。鳥に詳しい人は見ただけで何の巣か分かるらしい。特に「小鳥の巣」は丹誠に作られている。
 この日は風が強かった。芽吹き前の枝先に掛けられた巣は、ともすれば落ちそうにも見える。やがて巣立ってゆくだろう小鳥たちに心を寄せている作者の姿が見える。
  公園の鳩ついてくる二月かな
 こんな経験は誰でもしているはずだが、見過ごしてしまう。厳しい寒さのなかにも「二月」という、季節の大きな変り目ならではの作品である。人の暮しのそばにいる他の鳥とは、また違った関りがあることにも気が付く。

揚雲雀ぜんまい解けて墜ちにけり  三原 白鴉(出 雲)

 繁殖期に縄張りを宣言するためというが、雲雀が鳴きながら空高く舞い上がり、そして下りてくる姿を見るのは楽しい。この句は特に下りてくる時の様子だけに焦点が絞られている。目一杯上り詰めたあとは下りるしかない。その時の様子を「ぜんまい解けて」とした。そして「墜ちにけり」。玩具そのものである。比喩は的確に大胆に使われてこそ効果がある。次に「揚雲雀」を見たときは、きっと「ぜんまい」付きだと思うだろう。
  硬き音立て残雪の踏まれけり
 暖かくなっても解けずに残っている雪は、場所によって残り方が違う。この雪は町なかでも一日中日の当たらない場所か、山や岩の陰で、冬の間降り積もったままのものだろう。周囲の早春の景色との対照は美しいが、寒かったであろう冬の厳しさも想像させる。

冬の浜水ごりの藁貰ひけり  西川 玲子(函 館)

 一連の中の〈御神体抱く青年冬怒濤〉と共に、神事の一齣であることが分かる。掲句はただ見たというだけではなく、「水ごりの藁」を貰ったというところに実感がある。一年の無病息災などを願うものであろう。

二分咲きの梅園ポップコーン買ふ  宇於崎桂子(浜 松)

 梅の副題に〝春告草〟があるように、冷たい空の下で他の花にさきがけて咲く。待ちきれずに出掛けてみたが「二分咲き」だった。梅見もそこそこに「ポップコーン」を買ってよしとした。確かに春は足元まで来ている。

春愁や耳にあてたる貝釦  計田 美保(東広島)

 人間であるからこそ感じる「春愁」。この句はそれ程深刻ではない。そばにあった「貝釦」を耳に当ててみた。作者だけに聞こえる音や声に頷いているようだ。

対岸の船渠にフェリー鳥帰る  松崎  勝(松 江)

 「船渠」は船の建造や修理をする施設。色々な船のなかの「フェリー」に目を止めた。その思いの先には次々積み込まれる車両と、大勢の乗客の姿が見える。「鳥帰る」により、様々な人間模様と広い世界が見えてくる。

電卓のキーは不可解日脚伸ぶ  花輪 宏子(磐 田)

 今や、そろばんより「電卓」が身近であり、ありがたい存在である。余程難しい計算をしているのだろう。「不可解」をどう解釈するかでもこの句のイメージが変わる。「日脚伸ぶ」で気分を立て直したと思われる。

傘立の傘に雨粒春淡し  野田 弘子(出 雲)

 日頃の暮らしのなかの些細な所に目を止め、見たままのことをそのまま言葉にしてつないでいる。これが〝春深し〟では句にならない。俳句にとってやはり季語は命である。

春風やダンスシューズの踵減る  野田 美子(愛 知)

 「春風」に誘われ、いよいよダンスにも身が入る。踵が減るほど練習を重ね、晴れの舞台へ立ったのだろう。特に「ダンスシューズ」という、はっきり目に見えるものを提示することにより、躍動感が実感として伝わってくる。活発な作者の姿が頼もしい。

砂を吐く蜆の息の泡ふたつ  谷田部シツイ(栃 木)

 浅蜊と共に食卓に馴染深い「蜆」。調理の前にはしばらく水に浸けて砂を吐かせる。その途中の様子をじっと見ていた。作者の最も言いたかったのは「泡ふたつ」である。根気よく観察した結果の佳句である。

踏み入りてげんげ田に水ありしとは  横田 茂世(牧之原)

 最近めっきり減ってしまった「げんげ田」だが、見付ければ近付いてみたくなる。しかしそこは窪地のせいか水捌けが悪かったらしい。「水ありしとは」と思いもよらなかった事への嘆きをうまく表現している。


    その他の感銘句
出荷前の植木屋の梅八分咲き
駆けて来るおかつぱ頭風光る
梅あまた仰ぎて空を見失ふ
種子袋振つて佳き音撒きにけり
雁帰る郵便受けに鍵二つ
船頭の棹の撓りや春隣
忘れざる中也の詩句や春の雪
洗濯機の中に浮きをり年の豆
マンドリンのころがしてゐる春の音
狛犬の耳立ててをり虎落笛
植木鉢並べ変へては春を待つ
春光や午前十時の花時計
国分寺の一樹なんぢやもんぢやかな
一碧の空にあまたのいかのぼり
百歳の媼の作る紙雛
中野 元子   
阿部 晴江
山本 美好
吉田 美鈴
大庭 成友
石川 寿樹
檜垣 扁理
金子きよ子
池森二三子
高山 京子
勝部チエ子
上松 陽子
埋田 あい
田渕たま子
加藤 葉子


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 浜 松 坂田 吉康

春一番結びて余る靴の紐
耕人の地下足袋土に馴染みたる
霾や桶屋の膝の鉋屑
剪定の千の木口に日の当たり
うららかや鯉の揺らぎに水濁り

 
 出 雲 山本 絹子

離陸する飛行機の音枯木道
かさかさと枯葦鳴つて日暮れ来る
寒の湖舟傾かせ鋤簾上ぐ
はだれ雪斐川平野の築地松
梅ふふむ静かに午後の庭手入れ



白魚火秀句
白岩敏秀


春一番結びて余る靴の紐  坂田 吉康(浜 松)

 春一番が吹き荒れている時、よんどころない用事で外出することとなった。用心のため、しっかりと結んだ靴紐が余ってしまったという。スニーカーなどの靴紐は長く出来ているものだが、はて、どうするか。帯に短し、襷に長しとはこのこと。困惑振りをさらりと春一番に托して俳諧味がある。
  うららかや鯉の揺らぎに水濁り
 寒い時はじっとして、動かなかった鯉。池の水も温んでくると動く気になったらしい。尾鰭の動きで水が濁った。濁りは決して美しいものではないが、そう感じさせないのは「うららか」の季語の故。季語を信頼して生まれた一句。

梅ふふむ静かに午後の庭手入れ  山本 絹子(出 雲)

 梅の蕾も膨らんで、明日か明後日には開こうとしている。そう思えば気のせいか仄かな香りもするような…。
 そんな日の午後、柔らかな日差しを背中に受けながら庭の手入れをしている。「静かに」とあるから、周囲の人声や物音に煩わされることなく、心行くまで庭手入れをしているのだろう。日常のひと駒が気負いなく詠まれている。
  寒の湖舟傾かせ鋤簾上ぐ
 この句は「寒の湖」「鋤簾」と寒蜆を想像させながら、「舟傾かせ」と具体的に表現してイメージを定着させた。引き上げた鋤簾がこぼす水音までが聞こえてきそうである。

涅槃図の裾は畳に広げらる  谷口 泰子(唐 津)

 旧暦二月十五日は釈迦入滅の日。各寺院はこの日に涅槃像や涅槃図を掲げて、法要を営む。このお寺の涅槃図は余程大きなのだったのだろう。裾の方は畳に広げられているという。大きな涅槃図は入寂を悲しむ仏弟子などが大きく描かれていて、深い嘆きが伝わって来る。涅槃図の大きさを言葉で説明するのではなく「裾は畳に広げらる」と目に見える形で表現して成功した。

火の玉となりて飛び出す恋の猫  中西 晃子(奈 良)

 春は猫の恋の季節。あの大人しい猫のどこにそんな力があるのか不思議な気がする。今夜もなにやらそわそわとしいると見ていたら、いきなり火の玉となって飛び出していった。恋の成就への一途さが「火の玉」にある。

どの家も幸せ色に春夕焼  榛葉 君江(浜 松)

 うららかな一日が暮れようとしている空に、春夕焼けが広がった。夏ほど強くはないが、ほんのりとした色である。色に意味があるとすればそれは幸せ色。幸せ色の春夕焼けは、また明日の幸せを約束しているようだ。〈家々や菜の花いろの燈をともし 木下夕爾〉は夕焼けが消えたもう少し後のことである。

あたたかや負けて両手にランドセル  永島のりお(松 江)

   学校からの帰り道。
  「じゃあ、あの曲がり角まで」
  「じゃんけんぽん、あいこでしょ」
  「太郎ちゃんの負け。はい、どうぞ」
 かくて、太郎ちゃんは両手に友達のランドセルを持つこととなった。日永の下校道はまだまだ暮れない。

目いつぱい踏みつけてみる春の泥  野浪いずみ(苫小牧)

 雪解けや雨の降ったあとに出来るぬかるみは、普通は避けて通るものだが、この作者は敢えて踏みつけたという。しかも目いっぱいに。好奇心の強い作者かも知れない。あるいは、飛び越せると思って飛んだところ、失敗して春泥の中に落ちたとか…。様々なことを想像させてくれる「春の泥」である。

屋根の雪落ちて気掛かり一つ消ゆ  吉田 智子(函 館)

 何時までも降り続く雪である。知らない間に屋根に堆く積もっている。雪は軽そうに見えて意外と重たい。なす術もなく、じっと家に籠もっている不安な日々。そんなある日、どっどっと音がして屋根雪が落ちた。その音によって気掛かりから一気に解放された安堵感。雪国に住む作者ならではの句である。

留守番の母としばらく春炬燵  渡部 正幸(出 雲)

 息子一家はどこかへ出掛けようとしている。一緒に行こうと誘ったが、寒さのせいもあり、遠慮して留守番をすることにした。息子は母親を一人で残すことが心配なのか、母の春炬燵に入って、しばらく時を過ごしている。そんな母親を気遣う場面を想像した。


    その他触れたかった秀句     
一都碑の裾の日溜り名草の芽
蕗の薹つつむ両手をふくらませ
本命に届かずバレンタインの日
庭師きて木と語りゐる日永かな
春みぞれ賢治の詩句の胸にふる
多喜二忌の駅を下るれば坂の町
下萌や八十歳のよく笑ふ
宍道湖へ声の伸びゆく初鴉
春ショール心もとなき軽さかな
太鼓橋大きく反りて春日向
囀の一樹に籠もる夕日かな
一人居の孤独が並ぶ日向ぼこ
救急車はたと止まつて寒戻り
桃生けて雛の間らしくなりにけり
寒椿形乱さず落ちにけり
奥座敷雛をかざりて静かなり
中村 早苗
西村ゆうき
鈴木けい子
早川三知子
檜垣 扁理
高田 喜代
村上  修
船木 淑子
富士 美鈴
加藤三恵子
川神俊太郎
梶山 憲子
山田しげる
髙添すみれ
植松 信一
中澤 武子

禁無断転載