最終更新日(Update)'13.03.01

白魚火 平成24年1月号 抜粋

(通巻第691号)
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 1月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    渥美尚作
「冬 至」(近詠) 仁尾正文
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
鳥雲逍遥  青木華都子
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
鈴木喜久栄 、秋葉咲女  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
句会報 花みづき句会  松本 光子
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          小村 絹子、出口 廣志  ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(浜松) 渥美尚作   


雛飾る母の癖ある覚え書  齋藤  都
(平成二十四年五月白魚火集より)

 今年も雛を飾る頃となった。
 中学二年の時、担任から「君の母さんは手馴れた上手な字を書くね」と言われ、自分のことのように面映く、また誇らしく思ったものだ。
 遊学中、月に一度、送金をしてもらっていた。その現金封筒の中に、必ず母の短い文が添えられていた。いくつになっても母は懐しく、良い思い出しか浮かばない。
 雛を飾る手順を事細かに記した母の覚え書き、それを見ながら、丁寧に箱から取り出し、並べていく作者。母の顔、物言い、仕草まで浮かんでこよう。最後の行には、「雛の日が済んだら、遅れないように仕舞いなさい」と書かれていたに違いない。

春の泥付けしまま訪ふ友の家  福田  勇
(平成二十四年五月白光集より)

 官公庁を始め、おおかたの職場は、四月一日が年度替わりである。三月末で退社、退役する者は、四月一日よりはまったくの自由人となる。当座は雑用も重なり。何とはなしに月日が経っていく。その時期が過ぎると、日々の身の処し方を考えていかなければならない。作者は鍬弄りというまことに恵まれた処方を手に入れた。晴れた日には畑に出、雨の日には机に向かうという生活。やがて、年を重ねるうちにいろいろな種類の作物を、本職に近いほど上手に作ることができるようになった。近くには同じ頃退職した仲間や地域の友人がいる。何れも気のおけない人達ばかりである。今朝は新鮮な葉物を配ろうと、畑から泥の付いた地下足袋のまま友人宅へと向かった。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 年  賀  安食彰彦
保育所に行く子年賀の一の客
豪快な笑声あぐる賀客かな
年賀状鬼籍の父にまたきたり
国造様より盃を頂く初詣
七日粥退院といふ良き便り
風花を捉へんとする兄妹
児の見詰む硝子に付きし雪六花
寒鴉群れてみさごの雛脅す

 初 電 話  青木華都子
一葉も残さず橡の枯並木
青白き雪虫いつの間にか消ゆ
霜柱踏む快感を土踏まず
木の実踏み木の実に足を取られたる
韓国語辞書傍らに賀状書く
ハングルの文字は横書き年賀状
名無しでも解かる姉の字年賀状
アンニョンハセヨカムサハムニダ初電話

 故  郷  白岩敏秀
鹿鳴けり背山に深き谷なきに
冬蝶や空は昨夜の雨残し
湯ざめして種火のごとき女の目
神在や風が笛吹く築地松
星消えてずしりと寒くなる故郷
雪折の竹の真青き円弧かな
行く年の山のかたちに山暮るる
寒に入る握りの細き母の杖

 魔 法 瓶  坂本タカ女 
唇に来て冷たかり雪虫は
小振りなる文字をちりばめ大文字草
産み余したる鮞雪を染めをりし
閊へ棒は流木なりし風囲
虎挟み引きずりゆきし鹿の跡
柚子ふたつ浮かせひとりの柚子湯とす
年の夜やまなこのごとき仏の燈
年つまる魔法の失せし魔法瓶

 去年今年  鈴木三都夫
染まらんと楓紅葉の下に佇つ
方丈の離れの茶室笹子鳴く
禁漁区知つてか沼の鴨浮寝
沼の鴨驚き易き水走り
当て所なく舞うてはかなき冬の蝶
何もかもみんな忘れて日向ぼこ
一行を埋めて去年の句今年の句
句会もて年のはじまる四日かな
 枯 木 立  山根仙花
仰ぎては登る急磴冬紅葉
鍵一つ置く短日の机上かな
時雨るるや古釘泣かせ泣かせ抜く
橋架けて眠れる山を繋ぎけり
落葉降るかそけき音の積りけり
星屑の寒く散らばり町眠る
夕日今燃えて華やぐ枯野かな
稲荷社へ続く鳥居や枯木立

 初  氷  小浜史都女
鴨のこゑをさなき声も加へたる
豬除けの柵ぼろぼろに山眠る
侘助や山が夜へと沈みゆく
観音の裏手へまはり氷割る
ぼけ封じ観音さまの初氷
天山をひたに隠して吹雪けり
魚屋の水槽に蛸年詰る
火の粉浴び火の粉を踏んで年惜しむ

 神の御膳  小林梨花
数へ日の墓域木洩日燦々と
浦路地の風の刃や年詰まる
塗り物の神の御膳を年用意
風音も雨音もなく去年今年
各々に語る言葉や明けの春
楪の濃き紅よけれ神の膳
初凪の江に差し伸ぶる松の枝
ほかほかと浦に日の差す初句会

 草  萌  鶴見一石子
晩年は優柔不断懐手
ためらはず死の話して蒲団干す
桟太き天狗の里の白障子
笹鳴や道鏡塚の竹矢来
寒茜消えゆく闇のけもの道
それなりの顔をつくりし初鏡
地滑りの傷痕深く下萌ゆる
懸崖の茶店の床几さくら餅

 初 景 色  渡邉春枝
道岐れわかれて冬の海に尽く
盛り上がる話コートの衿を立て
冬ばらや疎遠となりし人のこと
心足る一書に年を惜しみけり
硯海に墨たつぷりと年つまる
てにをはの一字に迷ふ去年今年
海光に鹿立ち上がる初景色
ふり向けば鹿もふりむく恵方道


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 歌かるた  寺澤朝子
星座やや傾ぶく夜番もどるころ
菩提寺のいま懐かしき除夜の鐘
一文字を書いて筆おく初昔
初空へ放つ鳩舎のレース鳩
昆布じめの魚を俎始めかな
取り札の文字美しや歌かるた

 巫女秋沙  野口一秋
推敲を重ね蜜柑の皮を積む
寒釣の魔法瓶より温め酒
鴨の名の巫女秋沙とはかはいらし
冬の蠅武蔵のやうに箸掴み
素人の作る白菜球なさず
逝く年の墨痕淋漓金の文字

 十 二 月  福村ミサ子
綿虫とぶ小山はなべて古墳なる
冬の浪砂嘴へ砂嘴へと砂運ぶ
畳屋の夜を耿々と十二月
極月の予定の中に母の忌も
くろぼこの土寄せてあり囲ひ葱
降る雪やみどりに点る非常口
 茜 さ す  松田千世子
初富士のまだ明けやらぬ濃紫
茜さす茶山に満つる淑気かな
一枚となり初凪の伊豆の海
初鴉足を揃へて降り立ちぬ
初渚焚火の匂ひ漂へり
初夢の汐騒遠く近くかな 

 淑  気  三島玉絵
老幹の松の枝張る淑気かな
元朝の厨ことこと動き出す
裏白のちりちり乾く末社かな
勢溜りにて待合はす初詣
一羽来てもう一羽来て初鴉
寒の紅目立たぬ様に引きにけり

 日  光  今井星女
眠り猫みる日光の小六月
二十基の殉死とありし露の墓
霧降りの滝見て華厳の滝を見ず
百体の並び地蔵や秋深し
身に入むや首のなかりし化地蔵
菊日和百の部屋ある御用邸


鳥雲逍遥
青木華都子

伝説の賴朝の湯や木の実降る
農耕の合間豬垣組んでをり
ひと日家事のがれ勤労感謝の日
絵馬作る焼印匂ふ師走かな
宮の杜煙らせてをり落葉焚く
紅葉濃し国境迄来てしまふ
神送り空軽くなる出雲かな
片手間の大工仕事や菊日和
命ある物のごとくに舞ふ落葉
初雪に逢ひし大原女金閣寺
花芒疾風が波の向きを変へ
茨の実赤し木道修理中
たをやかに臥す八溝嶺や秋の雲
神在りの浜に寄す波かへす波
日の温み吸ひ尽したる木守柿
綿虫の飛ぶには非ず漂へり
付いて来し穂絮を風に返しけり
綿虫の消えて夜越しの雨となり
焚く菊の山に火種を落しけり
小春凪隠岐にひとりの姉見舞ふ

田村 萠尖
武永 江邨
関口都亦絵
野口 一秋
福村ミサ子
松田千世子
三島 玉絵
織田美智子
笠原 沢江
上川みゆき
上村  均
野沢 建代
星田 一草
奥田  積
梶川 裕子
金井 秀穂
坂下 昇子
奥木 温子
横田じゅんこ
池田都瑠女



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選


 鈴木喜久栄

髪切つてポインセチアを抱き帰る
遠目して枯野の風を聞いてをり
のど飴をみんなに配り日向ぼこ
火伏札貼り替へ大根煮てをりぬ
掃き終へし後の落葉は手で拾ふ



 秋葉 咲女

ひとり泣きつられて泣く子寒稽古
茶の花や布巾真白く乾きをり
ふつふつと幸せふくるる薺粥
しなやかに身を反らし見る初鏡
屠蘇祝ふ座卓ひとつを足しにけり



白光秀句
白岩敏秀


掃き終へし後の落葉は手で拾ふ  鈴木喜久栄

 その時期になると木の葉は際限なく降ってくる。積もった落葉を朝に掃き、夕べにまた掃く。掃き終えたあとにはらはらと散ってきた落葉。それは手で拾えるほどの枚数であった。掲句はそろそろ終わりの頃の落葉のようだ。
 芽吹きから若葉青葉を経て紅葉そして落葉。枝に僅かに残っている葉もやがて散ってしまうのだろう。「手で拾ふ」という何気ない動作に一年のサイクルを終えた落葉への愛惜と春の芽吹きを待つ気持ちが感じられる。
のど飴をみんなに配り日向ぼこ
 楽しい句である。のど飴は一つ二つと手渡しに配ったのではなく、袋ごと回したのであろう。作者の手許に戻ってきたときにはほとんど無くなっている。それでいいのである。ここには皆と同じのど飴を頬ばって、日向を共有した暖かい時間が流れている。

しなやかに身を反らし見る初鏡  秋葉 咲女

 しなやかに身を反らすのは作者である。若々しくもあり、こいつぁ春から縁起がいいわいと思わせる句でもある。
 「初鏡」といえば「歳相応」とか「皺」とか身体の一部が出そうなものだが、ここでは全身が表現された。しかも、しなやかに…。
 和装であれ洋装であれ、きりりと威儀を正した服装で見る初鏡。新しい年が始まる。

忘年会膝触れ合うてより親し  坂田 吉康

 人間とは思わぬことで親しくなることがある。掲句がそれ。同じ職場でも普段はあまり喋ったことのない人もいるし、好感を持てない人もいる。そんな人達でも忘年会で膝が触れ合っただけで、親しくなったりする。多分、スキンシップによって一年を共に頑張ってきたという連帯感が生まれるのであろう。人の善意の機微がさりげなく表出している句である。

向き合うて一つ机に年賀書く  錦織美代子

 暖かい部屋で気持ちが一層暖かくなる。夫婦共通の友、夫の友人、作者だけの友人。賀状一枚一枚に相手の顔を浮かべつつ、こころの籠もった言葉を添えていく。時には共通の友達のことが話題になり、賀状を書く手が止まることもあるだろう。
 一つの灯りの下で同じ机に向かい合って書く賀状。丁寧に手書きする賀状に夫婦の暖かな充足感がある。

樹も星も台詞のありし聖夜劇  齋藤  都

 一人一役、一人一台詞。お母さん達の手作りの衣装を着て、役になりきっている園児達である。
 思わぬハプニングを起こしながらも、樹は樹なりに星は星なりに台詞を言って立派に演技した園児達。その目はきらきらと輝いている。演技が終われば美味しいクリスマスケーキが待っている。

除雪車の音に雪嵩計りけり  三関ソノ江

 正岡子規に〈いくたびも雪の深さを尋ねけり〉がある。この句は東京の子規庵で詠まれたもの。掲句は北海道北見で詠まれたものである。子規の句は病床吟であるが,庭の雪景色を想像して楽しんでいる気持ちが感じられる。ソノ江句は除雪車のエンジンの唸りに積雪の量を想像している。雪の量はすぐさま生活に影響するからである。
 積雪の多少に心を煩わせながらも「計りけり」と突き放した表現に、雪国に根をおろした生活の力強さを感じる。

明日会へる子等に正月料理盛る  福間 弘子

 気持ちの弾みがそのまま句の弾みになってる。
 子の好きなものはこれ、孫の好物ものはこちらへと並べながら、心づくしの正月料理を盛りつけていく。子や孫達に会える喜びと新しい年への期待が重箱に盛り上がっている。明日はきっと明るい笑い声と家族の暖かさが家中に満ちていることだろう。

湯たんぽの足真先に眠りけり  松原 政利

 かっての湯たんぽは洗濯板のようなブリキで作ってあったが、今のものは軽くてきれいで瀟洒である。
 瀟洒な湯たんぽの温もりに優しく包まれたら、足も何時までも起きて愚図っているわけにもいくまい。羽毛の軽さでふわりと眠りに落ちてしまう。今日のことも明日のこともすべて暖かな夢のなか…。健康な足の健康な眠りである。


    その他の感銘句
冬至湯にいのち明るく老いにけり
懐手尖る男の喉仏
初氷踏めば軍靴の音したり
晴れ着の子ふくよかに年はじまれり
降りつづく雪の御堂の仏かな
包装の真紅のリボン聖夜くる
てらてらと海の揺れをり初茜
冬の日や青空を鳶使ひきる
どやどやと声の近づく除夜詣
室の花いつせいに咲く農学校
乾杯のシャンパングラス星月夜
初春の玄海灘の波がしら
薬喰六人きりの同窓会
早朝の靴音にある淑気かな
凩に星磨かれてこぼれけり
竹田 環枝
和田伊都美
阿部 晴江
鳥越 千波
中山 雅史
小林布佐子
小村 絹子
若林 眞弓
竹内 芳子
吉田 美鈴
山羽 法子
谷口 泰子
田口三千女
仙田美名代
海老原季誉


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

 牧之原  小村 絹子

初渚風紋しかと踏みにけり
篝火の火の粉浴びつつ初日待つ
お元日鍋の奉行は年男
喰積を詰め直したる二日かな
短日やポケットの舌出して干す

 
 江田島  出口 廣志

冬めくや漬樽洗ふ縄束子
神の留守火伏護符貼る登り窯
鴛鴦の余念なかりし羽づくろひ
鴨の湖雨の水輪に昏れゆけり
懸大根夜風に皺を増やしけり



白魚火秀句
仁尾正文


短日やポケットの舌出して干す  小村 絹子

 ポケットの中には、ハンカチや携帯塵紙、携帯電話や俳句手帳、時には飴玉や貰った蜜柑が入ることもある。尻のポケットには財布を入れるが、これには身分証明書やプリペイドのバス券や病院の診察券等々が入っている。ポケットは至極便利であるが殆んど中を見ることがないのでキレイなのか汚れているのか分からないけれど余り気にしたことはない。
 掲句は、洗濯機で普段着のズボンを洗い、ポケットの袋の滓を除去して袋の部分を干しているところ。「ポケットの舌」といわれると誰でも分かり、これが「短日」と取り合わされると滑稽味も出て俄然面白い句となった。まぎれもなく写生句であり、写生の域を広めたところに作者の器量を感じた。

風花の祖谷の川辺のぬる湯かな  出口 廣志

 屋島の合戦で敗れた平家の落人が逃れてきたのが、阿波のどん詰りの祖谷。大歩危、小歩危という難所もあり、支流の祖谷川も險阻な〓字渓谷を為している。観光名所の祖谷のかずら橋は、太い葛を何本も縒り合せて両岸の大木に架けこれに葛の橋を吊ったもの。攻め手が来ると太い葛を切り落せば三十メートルもある絶壁状の崖を下り、又攀じ登らねばならず、事実上進攻は不可能だ。かずら橋は生活の橋であるが、元々は戦略上のものだった。
 掲句は、かずら橋に近い街道沿いの祖谷温泉であろう。街道レベルに飲食店があり地場産品などを土産用に売っている。宿泊はこの店の下、崖沿いに設けられていて、旅客は斜度三十数度、長さ五十メートル余のインクラインのケーブルカーに乘り川辺の温泉に至る。
 掲句の「風花の祖谷」は、八百年も前の落人の忍住に思いを馳せたもの。「川辺のぬる湯」の「ぬる湯」にとぼけたような味があり一句をなごませて旅吟の佳品となった。

たらちねの白寿の年の立てりけり  佐藤  勲

 この作者に「終戦日即ち父の忌なりけり」という遺族にとって諦め切れぬ句がある。終戦になった情報が伝わらず終戦の日に父は戦死したのである。母は、父の剰した命を貰ってか、今年は白寿になる。父に取って伴侶が長生きしてくれるのは何よりの供養になっていると思われる。
 俳人黛まどか氏の第十六回「日本文化による国際貢献を考える研究会」の講演は、政財界、芸術各部門のトップクラスを前にしたもの。少し長いが引用する。
 「最後に被災者の方が詠まれた一句とその背景となる言葉をご紹介して、この講演を終わりにしたいと思います。私がこれまで饒舌に話してきたことはすべてのことがこの一句に込められています」
 身一つとなりて薫風ありしかな
 岩手県野田村の佐藤勲さん、七十代の方の句です。「思いも寄らない大津波に遭い、家と半生で積み上げた形あるものを悉く流失した。呆然自失の日々から覚めた時、かけがえのない家族がいて、今年も生れたばかりの薫風が吹いていた」(中略)「私は震災後、講演会などさまざまな場面でこの句を紹介してまいりました」(後略)

霊長類ヒト科集ひて年忘れ  永島 典男

 霊長類は十二科六十属百八十種に分かれている。ヒト科はサル目に属し、人類はヒト科の中の動物で智恵が発達し直立歩行ができ、手を巧みに使い道具を作って使用することができる、と解説されている。
 掲句は、忘年会で酔っぱらって傍若無人になった者をサル目ヒト科のヒトとだけ捉えて人格や人智を云々する前の動物としている。兼好法師は徒然草第百七十五段で、酒を無理強いする風習を痛烈に批判している。人を酔いつぶし狂人に仕立てあげ、足腰立たぬ病人におとし入れる無慈悲な者と。掲句のヒト科のヒトはこれよりも遥か下等の動物だと言っているよう思う。ユニークな作品である。

狐火を生涯にただ一度だけ  榛葉 君江

 闇の夜山野や墓地の宙空で青白い火がゆらめいていることがある。狐が口から吐く火だと各地で言われているが、その正体は光の異常屈折あるいは灯火を狐火と見誤ったものだという。掲句もこれは狐火に違いないと思ったことが生涯に一度だけあった。狐火というものはないと信じていただけに火の玉のように見えて膝ががくがくした。ないと信じたものが現れるのは怖さが増幅されるのである。

寝違へて首の廻らぬ十二月  茂櫛 多衣

 寝違えて首が痛いのはユーウツ。右に向くにも体を右に向けねばならぬ。一句は十二月と取合わせて読者に借金を思わせる。作者の狙いを承知の上で面白がるのも一興である。



    その他触れたかった秀句     
別邸は渚へ十歩野水仙
窯場まで人巾に雪掻かれをり
御籤結ふ椿のつぼみある枝に
妹はマリアさまなり聖夜劇
狼を見下ろしてゐる烏かな
煤納め遺影の位置を正しけり
焼芋を掻き出す棒の燃え始む
雪に明け雪に暮れたり初山河
ファックスの二枚吐き出す大晦日
身に余る院号賜ふ実万両
やはらかく羽根を返して母子なり
良き日和しかと選んで松迎へ
初風呂や稽古終ふるを見計らひ
春信を告ぐる便りの届きけり
戸車に油を差して十二月
渥美 尚作
荒井 孝子
原  和子
神田 弘子
平間 純一
山田ヨシコ
伊藤 寿章
小林さつき
古川志美子
高樋 保子
海老原季誉
青柳 誠一
河野 幸子
加藤みつ江
大橋 時恵

禁無断転載