最終更新日(Update)'12.12.01

白魚火 平成24年10月号 抜粋

(通巻第688号)
H24.9月号へ
H24.10月号へ
H24.11月号へ
H25.1月号へ


 10月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   中村 國司
「新蕎麦」(近詠)  仁尾正文
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
内山実知世 、川本すみ江  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          原  和子 、岡田 暮煙  ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(鹿 沼) 中村 國司

  
しづけさや落葉の中へ散る落葉  田中 藍子
(平成二十四年二月号白光集より)

 掲句には「落葉」って何だろうと考えさせてくれる、そういう不思議な仕掛けがあるようだ。地面に落ちたものは落葉、木に着いているのは木の葉だが、この句の落葉は何か。そこで広辞苑を引くと「散り落ちた葉。特に、晩秋から冬にかけて散る落葉樹の葉」とあるので、散りつつある木の葉も落葉と言ってよいのだとわかる。
 あらためて掲句を読むと、落葉の上に重なり散るひとひらの落葉、それを見届けている作者の静謐なまなざしが浮かぶ。周到な一句なのである。

焼芋の匂ひにつられ並びけり  石原登美乃
(平成二十四年二月号白魚火集より)

 師走の焼芋屋の風景。軽自動車ではなく、今は少なくなったリヤカーを引いての焼芋売りを思いたい。客寄せには鐘を鳴らしたり、拡声器で売り声を流したりするが、やはり鰻屋と同じで、匂いが最高の客寄せ道具。
 掲句はそのあたりの機微をズバリ活写して「匂ひにつられ並びけり」と言い切った。「つられ」は、やや露骨な印象だが、その露骨さゆえに、焼芋の野趣な匂いまで一句の中に表現できたのであろう。匂いにつられて列に並ぶ素直さに魅かれる。

大いなる冒険十年日記買ふ  本倉 裕子
(平成二十四年二月号白魚火集より)

 年の瀬になると、書店や文具店のコーナーを占めて様々な日記が並ぶ。大・小や色合いなど、外見の違い。罫線幅や見出しの取り方など、手にしなければ分からない違いもある。
 掲句の作者はそうした日記群から、十年間書き記すことのできる日記を買ったのだ。今は十年一昔どころか、三年一昔とも言われるくらい変化の激しい時代。果たして向後十年を生きている前提で日記を買うことが、「大いなる冒険」と言わずして何と言えようか…なのである。作者の人生観の巧まざる表出が面白い。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 金 木 犀  安食彰彦
金木犀風とぎれなく吹きにけり
天高し斐伊の河原の草ロール
片時雨滲みてをりし躙口
ひいき目に想ふふるさと秋の虹
温め酒何も云はずに手を握る
香煙を一身に浴び鳥雲に
諾と否どちとも云へず鳥雲に
枯色の飛蝗とびつく義民の碑

 銀やんま  青木華都子
園丁の赤き軍手や秋暑し
稲刈るや田んぼの中の一軒家
風呼んで波打つてゐる芒原
紅白の並んで五本彼岸花
秋あかね来てゐる寺の長廊下
指先に来て赤蜻蛉向きを変ふ
神の池水すれすれに銀やんま
枝振りの自在に伸びし新松子

 軟 着 陸  白岩敏秀
通り雨過ぎし洗ひ場ちちろ鳴く
かがやいて白露の朝の玉子飯
父母を初代に秋の彼岸かな
塩ふつて秋茄子の紺誘ひ出す
生命線左右で違ふ夜長かな
加速して高き帰燕となりにけり
米を磨ぐ台風圏の端に居て
秋の蚊の軟着陸をする羽音

 狼ドーム  坂本タカ女
男郎花そよげり靡く女郎花
名乗らざる男にビール注がれけり
鼻からの内視鏡なり穴まどひ
秋暑し狼ドームの覗き穴
秋天や麒麟の首が河馬のぞく
蜻蛉をとり逃したるフラミンゴ
フラミンゴの池に影なす柳散る
秋草を噛む檻のドア青葉木莵

 一 都 忌  鈴木三都夫
一都忌の形見の硯洗ひけり
床の間の飾り扇に一都の句
睡蓮の頃を過ぎたる花の数
吟行の草矢を飛ばす峠口
秋蝉として今生の声を張る
鰯雲灘へさざ波広げけり
聞き分くるともなく虫を聞いて秋
新米を届けてくれし心かな
 小鳥来る  山根仙花
重ね置く歳時記と辞書小鳥来る
鷺羽搏つ秋夕焼に胸染めて
片流れして大斐伊の水澄めり
古里に過ごす一夜の虫時雨
鵙鳴くや朝の空気の張り詰めに
小鳥来る観音さまに小さき錠
鳥渡る浜に汐木を焚きし跡
廟門に朽ちゆく乳鋲鵙高音

 天  山  小浜史都女
高きへとのぼれば高き空ありぬ
山々は肩組み合へりとりかぶと
天山は男の山やとりかぶと
怖さうな男に会ひぬ鳥兜
とりかぶと口数減つてきたりけり
霊峰の祓はれてより秋深む
松虫草蔓りんだうも尾根の花
稜線の長きを歩き秋惜しむ

 月  光  小林梨花
対岸の灯り濃くなる無月かな
どしや降りの雨の中なる観月会
説法に息吸うて吐く月見寺
月光の射し込む古き屋並かな
慣らし笛止みて一峡月明かり
十六夜の月中天へ急ぎけり
月光に輝く峡の赤瓦
客去りて閉ざす御堂の大障子

 鬼 胡 桃  鶴見一石子
万葉の硬さを殻に鬼胡桃
リフトより眺望絶佳大花野
百圓の渡し舟ありゑのこ草
すり抜けて擦り抜けて来し藪虱
花野より花野へ雲の流れゆく
東慶寺門限とあり蟲のこゑ
流れ星小さき願ひ載せゆけり
目でひろふ一個一音木の実落つ

 木の実降る  渡邉春枝
湯上りの爪やはらかき白露かな
番犬のまどろみ易き秋日和
生涯をひろしま訛り稲を刈る
一人づつ来て皆集ふ豊の秋
キャンパスの端の厩舎や木の実降る
馬小屋の優勝リボン秋ざくら
馬洗ふ女子学生の爽やかに
秋うらら馬の瞳に見つめられ


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

  朴 落 葉  横田じゅんこ
がちやがちやの手荒く闇を壊しけり
蓑虫の出来そこなひの一張羅
大股に秋風を連れ歩きけり
よき風の来たり殿様ばつた飛ぶ
木の実独楽囃され廻れ右をせり
落つるたび空明け渡す朴落葉

 秋ざくら  浅野数方
手を浸す海新涼の風少し
風軽き砂州の河原の草雲雀
流木に寄りては離る秋の蝶
風あれば風に応ふる秋ざくら
実を飛ばす蓮や水を輝かす
敗荷や水面に赤き太鼓橋

  猪  渥美絹代
湖に潮しづかに差せる新松子
朝顔の種採る母の誕生日
新松子夕風たちて舟戻る
まつ青な菊の蕾の礼所かな
天辺に夕日の残る松手入
罠捕りの猪を荷台に積みてゆく
 泣き角力  柴山要作
くつきりと筑波の双耳威銃
一斉に朝風に鳴る破れ蓮
捨て猫や十月桜咲いてをり
北辺は藁塚の衛士守る国分尼寺
万葉碑打つて弾める木の実かな
最後まで泣かず仕舞ひや泣き角力 

十 六 夜  西村松子
秋茄子の紺の深きを捥ぎにけり
産土神のいと形良き新松子
香二本立てて露けき遺髪塚
十六夜の殊に横笛澄みにけり
次郎柿てふ父の名の柿を捥ぐ
小面の錦の袋秋深む

  鷹 の 爪  森山暢子
かまつかや蔵造りなる納骨堂
門柱に蜥蜴の遊ぶ厄日かな
鷹の爪干さるる峡の日和かな
月を待つ棕梠の葉擦れを聞き乍ら
色物を干して露けき尼の寺
冷やかなものに火起し道具かな


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選


 内山実知世

陸中の夏の岬に津波の碑
蘇る浄土ヶ浜の盛夏かな
狛犬の河童に胡瓜供へあり
天南星青き実をつけ不気味なる
籾殻を焼く煙たつ陸奥の国



 川本すみ江

蕎麦の花丘の起伏の風白し
一等判押されし袋今年米
千枚の棚田燃えゐる曼珠沙華
新藁の香りの中に仔牛生る
角皿をはみ出してゐる焼秋刀魚



白光秀句
白岩敏秀

陸中の夏の岬に津波の碑
新藁の香りの中に仔牛生る
夜木莵稲架棚田一枚づつ組めり
栗飯の栗の多きを供へけり
鈴虫の今宵の鈴の下ろし立て
秋風や一と日一と日の命継ぎ
秋天を引き寄せてゐる麒麟かな
歳問へば指で応ふる赤とんぼ
また一つ宙の渚へ流れ星
文机に月の光の折れ曲がる
ちちろ虫心待ちなる子の電話
天高し大の字に干す柔道衣
今日兄となりし子を抱く夜長かな
草むらに秘かに弾け黄釣舟
世界地図は一枚の紙鰯雲
大将のハチマキねらふ運動会
新藁の匂ひ撒きゆくコンバイン
背山より薄紙のごと月登る
栗の実や散策コースしぼりこみ
新米の躍り出でくる精米機
駄句とてもへたることなく秋灯下
蜻蛉の群に囲まれ野良終ひ
誰かれとなしに飛び付く草虱
川なりに光の帯や芒の穂

内山実知世
川本すみ江
竹元 抽彩
鈴木百合子
藤田ふみ子
柿沢 好治
大塚 澄江
飯塚比呂子
栗田 幸雄
斎藤 文子
髙橋 圭子
竹内 芳子
塚本美知子
西田美木子
林  浩世
計田 美保
峯野 啓子
横田美佐子
池森二三子
大石美枝子
川島 昭子
知久比呂子
橋本 快枝
樋野久美子



白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

 出 雲  原  和子

一面の稲穂の波や夕日影
天井低き京の商家や竈馬
祝はれて座布団小さき敬老日
かんぺうと母のメモ書き秋彼岸
虫すだく母の戒名朱を黒に

 
 東広島  岡田 暮煙

集落は十戸に満たず花南瓜
稲の花ふるさとはみな代替り
言ひさして黙りし妻や虫しぐれ
剥落の絵馬に色なき風通ふ
噴煙の浅間を遠に豊の秋



白魚火秀句
仁尾正文


かんぺうと母のメモ書き秋彼岸  原  和子

 「かんぺう」は干瓢の旧仮名。秋彼岸の献立などを誌した母のメモの中にこの字を見付けて作者は、はっとした。俳句を始めて旧仮名に強い関心が生れていたからだ。
 私共戦中派は旧仮名の教科書で学習してきたが、昭和二十一年GHQという占領軍総司令部の指示で余り審議もされないまま、表音式の現代仮名遣いに改変させられた。
 江戸幕府の公用文字であった歴史的仮名遣い(旧仮名)は明治政府にも引継がれ、公用文や教科書等々すべてがこの旧仮名であった。それが表音式の現代仮名遣いとなり、規則正しく変化する口語の国文法は壊滅し先人の遺した大きな文化遺産を失ってしまった。私ども旧仮名派は、新仮名遣いの習得に苦労し、やっと使いこなせるようになった時俳句を始め、忘れていた旧仮名を又習い始めたのである。
 掲句、「かんぺう」と旧仮名で書いた母堂は、かなり高齢だろうと思う。そして「かんぺう」という旧仮名が書けたのは少女時代しっかりした教養を身につけていたようにも思われる。
 同掲の「祝はれて座布団小さき敬老日」「虫すだく母の戒名朱を黒に」が頭掲句の前後に置かれているのを見ると母は長煩いをせず安らかに天寿を全うしたのでなかろうか。弔いの句は、とかくネガティブになり勝ちであるが一連の句は普段着で普段の心で詠まれているけれども心の奥処に沁み込んだ。

稲の花ふるさとはみな代替り  岡田 暮煙

 筆者らの年配の者が葬儀で久々に帰郷すると親族席の半分以上は初めて会う若衆である。幼い頃仲よくしていた従兄弟は既に故人となったり、又遠出を億劫がったりしてそれらの子達が家を継いでいるという。紹介されても顔も名もすぐ忘れてしまう。
 掲句。作者のふるさとは大家族の農家だったのでなかろうか。離郷して年月が経ち、帰郷すると浦島太郎になったような気がしたのであろう。この思いは多くの読者に共感されると思う。

九回の裏ツーアウト蚯蚓鳴く  中村 國司

 九回の裏ホームチームが攻撃しているのは同点か負けている時だ。大敗なら作者は句にしなかっただろう。一、二点の僅差で僅かな望みがなくはないが悲観しているのは間違いない。そういう思いをさせるのは「蚯蚓鳴く」の季語による。仲々うまい句だ。

一輪の朝顔を挿し向き合へる  榛葉 君江

 花入れに朝顔を一輪だけ挿してしげしげと見入っている。紺青が澄みに澄んで先人が朝顔を秋の季語にしたことを諾っている。この句の「向き合へる」は千利久が太閤秀吉を自宅の茶席に招いた逸話が念頭にあったのではなかろうか。利久は花圃の朝顔を一つ残らず摘み取って、只一輪だけを茶席に挿して朝顔を際立たせた。侘茶とはかくの如きものという秀吉への批判だという説もある。

秋の雲眺むる人のそばにゐし  才田さよ子

 同掲に「病床の夫に聞えぬ鵙の声」があるので頭掲の「人のそばにゐし」の「人」は夫君の素粒子氏であろう。氏は白魚火巻頭を取った程の実力作家であったが誌上から名を消して杳としていた。長く病気を養っていたようであるが今は静かな旦暮を送っているとのことでほっとした。是非作品を又見せて欲しい。

榧の実に年切りのあり今降れり  福嶋ふさ子

 年切りは果実の不作のことをいう。榧の実が昨年は不作だったが今年は成り年で沢山実をつけた。この作者は語彙の豊富なことで定評がある。言葉の入った引出しを自由に開けて取り出せることは、作家としてのアドバンテージである。

斐川野に真赭の芒波打てり  今津  保

 「真赭の芒」は穂が赤みを帯びて美しいさまをいう。このように花芒を荘重なしらべで詠むと須佐之男の大蛇退治にまで思いは拡がって行く。

殿の歩み楽しき花野かな  大澤のり子

 戦場の殿備えは、退却時、勢のついた追手を防ぎつつ本隊を逃す大役であった。だが、掲句は「泉への路おくれゆくやすけさよ 波郷」に通じる平安な殿である。

よそみしてゐる間に霧のなくなれり  斉藤くに子

 雨後の霧が急速に山肌を這い上っている景。よそ見をしている間にもう見えなくなったのである。自然は色々な顔を見せる中の一場面だ。



    その他触れたかった秀句     
無花果を食べて失せ物思ひ出す
枝折戸につづく枝折戸乱れ萩
エックスに稲を刈り置く田圃かな
新涼や片付き過ぎて見付からず
武家屋敷秋日届かぬ車井戸
しのび足なれど鳴き止む虫の声
小鳥来る預金満期の通知かな
芒野の果に芒野ありにけり
子の死未だ認めたくなしちちろ鳴く
もう少し使へる手足菜を間引く
蹲踞に知足の文字や十三夜
お隣はみんな出世し草茂る
秋晴や鏡磨きて鏡見る
銀漢や天馬にのりて渚まで
明日炊かむもう三度目の栗の飯
台風のあとふつくらとパン焼けり
老いしこと笑ひ合ひけり秋桜
塩野 昌治
鈴木百合子
高野 房子
古藤 弘枝
安達美和子
松原 政利
山口あきを
大石登美恵
安達みわ子
佐野 栄子
中村 義一
加藤 美保
中村 和三
黒崎 法子
長谷川文子
篠原 凉子
稲垣よし子

禁無断転載