最終更新日(Update)'11.11.30

白魚火 平成23年10月号 抜粋

(通巻第676号)
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 10月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    二宮てつ郎
「吉備の国原」(近詠) 仁尾正文 
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
鈴木百合子 、檜林弘一  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
句会報 静岡白魚火「穂波句会」 坂下昇子 
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          森山暢子 、牧野邦子  ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(八幡浜) 二宮てつ郎 

  
短日やゆつくり外す本の帯 計田美保
(平成二十三年二月号白光集より)

 何かと忙しい日々、やっと取れた自分の時間を、読書に当てておられるのでしょう。
 その喜びが、〝ゆつくり外す〟に、良く現われていると思います。栞代りに頁の端を折ったりなど決してなさらず、読書時間が終ったら、また、きちんと帯を掛けられるのだろうと思います。この季節、まだまだ忙しくなりそうですが、もっともっと作者の自由時間が得られん事を、祈りたいと思います。

軒に吊るものからからと十二月 新村喜和子
(平成二十三年二月号白光集より)

 軒と言う場所は、種々様々な形で利用されるようです。その時季その時季で、いろいろなものが吊るされ、そんなこんなの諸々を時間が流れて行き、もう十二月。吊るされたものの立てる乾いた音に、過ぎ去ってもう帰って来ないものを、しみじみと偲ばれている作者の寂寥と、同時に、からからと音を立てているものの淋しさも感じさせていただいております。

あなじ強し横歩きする通し土間 渡部美知子
(平成二十三年二月号白光集より)

 「あなじ」は冬の北西の季節風で、あなじの当らない場所は無いと言われるほど強く、時に雪を連れて来たりもする寒風です。
 当然この季節の付物で、ただでさえ暗い日々を更に暗くします。ですが春までの辛抱でもあります。強風に押されて横歩きをされている作者と一諸に、一日一日を、右の肩を先立てたり、左の肩を先立てたりしながら、春を待ちたいと思います。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

花 芒  安食彰彦
自然薯やお七の墓の草の丈
零余子採る日本海を眺めつつ
内濠に石垣のなし椿の実
内濠にかざす漆の初紅葉
コスモスを揺らし駅伝走者過ぐ
薄紅葉恋のおみくじ五十円
絵馬を画く女秋日を背に受けて
花芒明日に向かつて頑張らう

 柚 子  青木華都子
炉を囲みほど良く焼けて子持鮎
虫すだく陶工房は留守らしき
湯煙りを上げつ湯の湖の秋深む
ほんのりと紅さし雨後の酔芙蓉
子蟷螂既に戦ふ構へして
落栗を籠いつぱいに坊の妻
柚子を捥ぐ刺にさされし薬指
椀種に青柚子一つ捥いできし

 靴 音  白岩敏秀
靡びゐる丈のそれぞれ草の花
鉦叩平均寿命また延びて
靴音の大きくひびく良夜かな
相席の社員食堂焼秋刀魚
虫の音に応へて星の増えてくる
コスモスの駅に停りぬ津山線
結界の橋渡りくる秋日傘
組み替ふる足の退屈秋の昼

 鬼 の 子  坂本タカ女 
右往左往して斑猫や墓の径
夕蝉や背中合せの墓と寺
墓の上声をかぎりの法師蝉
鬼の子のまみれてをりし墓を撫づ
手間取りし墓の線香秋暑かな
つくつく法師しかと仕舞を聞きとめし
在来線の膝にたたみし秋日傘
綿に似し傘雲九月の富士なりし

 貝 割 菜  鈴木三都夫
夏萩と言ふべし斯かる花を見せ
目の慣れてきてその数の青蜜柑
刈草のむんむん匂ふ日照雨かな
刈り残す庭の芒も月見前
澄む声を一つ加へて虫時雨
色に出てまだ気付かれぬ紅葉かな
台風の山河崩して暴れけり
間引かれて列を正しぬ貝割菜
 鵙  山根仙花
砂煙あげて残暑の庭を掃く
刃物研ぐ金木犀の散る水辺
みやげ屋の吊すあれこれ小鳥来る
半眼に在すみ仏小鳥来る
野菊咲く道々人に遲れゆく
鵙鳴くや今日の塵焼くマッチ擦る
一峽の空筒抜けに鵙鳴けり
まだ生きてゐるかと鵙に鳴かれけり

 朱 印 状  小浜史都女
倉敷の柳うらがれそめにけり
下馬跡の白まぎれなし玉すだれ
八千草やくろがねもんに実を結ぶ
大納戸櫓にこぼれ榎の実
鯱のきんぴかに触れ雁の棹
貝殻山金甲山も秋澄めり
途中だけ読めて秋思の朱印状
声かけて応ふる鶴や秋深む

 湖 国  小林梨花
鰡の飛ぶ音の他なき入江かな
田仕舞の火のめらめらと湖の風
満月に響かむばかり慣らし笛
茫洋としたる湖国や後の月
神名火も湖も仄かに十三夜
名残月湖畔に点す紙燭かな
ぬばたまの闇の境内残る虫
夕闇に浮く住職の白き足袋

 鰯 雲  鶴見一石子
晴れやかな津軽の天の唐辛子
水音の聞ゆるやうな鰯雲
山茶花の散るも咲けるも仏施かな
首塚の名残の堂宇虫の声
満月を賜はるビルの十五階
百落ちて一つくるりと木の実独楽
うどん打つ太きが嬉し茸汁
曼珠沙華一生一誌もて歩く

 鉦 叩  渡邉春枝
物置となりし子の部屋虫すだく
佛の間灯せば近き鉦叩
もてなしは地酒がよろし月を待つ
手品師の種明かしたる月の宴
家中の窓開け放ち今日の月
跳ぶものの光となりて山粧ふ
夢中になるものに智恵の輪鵙猛る
秋燈下まづ後記より読む句集


鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 八 千 草  源 伸枝
地の匂ひ水の匂ひや稲稔る
大きさの揃はぬむすび朝の鵙
桔梗や師の短冊のかかる部屋
天領の真青き空や雁渡る
風紋に残るぬくもり月のぼる
八千草や束ねて白き母の髪

 ゆ く 秋  横田じゅんこ
長き夜一人遊びの紙相撲
誰もゐぬ丸椅子一つ瓢棚
威銃青空に穴開けにけり
初もみぢ木椅子の背の温みかな
忍者ごつこ団栗といふ飛道具
ゆく秋やじんわり溶くる角砂糖

 櫟 の 実  浅野数方
樺広場さくら広場や初もみぢ
あをあをと大楢小楢櫟の実
熊注意横目に秋日濃かりけり
案山子より案山子へ風の便りかな
鳥渡る折りさしの鶴置き去りに
秋天の雲のひと刷毛フェリー発つ

 秋 の 声  富田郁子
動員学徒の慰霊塔より秋の声
天高しはばたけ塔の鳩八羽
宵の秋慰霊の灯り点るかな
広島に一夜泊りや星月夜
美術の秋忙し市美展グループ展
秋麗や広島のあと大阪へ
 彼 岸 花  桧林ひろ子
水引草素直な風を通しけり
一刷毛の雲の彼方へ鳥渡る
字の名は城下の名残り彼岸花
神の庭盗人萩の花は実に
藤袴緻密な花を揚げにけり
色褪せて秋の簾となりにけり

 秋 深 し  田村萠尖
面長の姉さ被りの案山子かな
名月に視線移さず病める妻
粋人で通るご隠居彼岸花
狂ひ咲くつつじの白さ秋深し
切りたての竹竿重し柿を〓ぐ
飲み仲間減りつぐ秋を惜しみけり

 踊  橋場きよ
美しきフィルターめきて簾越し
秋立つやまた繙ける古今集
人に町に立ち籠む熱気踊の夜
鉦・太鼓山に谺し踊り来る
独り言ほど水引の花の揺れ
少しづつ遅るる歌や敬老会

 秋 深 む  武永江邨
高原に来て深秋を身近にす
綿雲が綿雲を押す牧の秋
放牛の歩みに添うて秋深む
栗拾ふ山の日山を廻りけり
敗荷や月に一度は遺跡訪ふ
蓮は実に里に新たな研修館


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

  松江  森山暢子

露けさの地に余したる撞木の緒
秋陰や飼はるる鶴が嘴交はす
竈焚いて占ふ吉凶秋日濃し
備中や備中鍬もて秋耕す
十階に宿りて夜の鰯雲


  出雲  牧野邦子

色変へぬ松国分寺の勅使門
天平の礎石に結ぶ苔の露
秋天に鵄尾金色の天守閣
秋風や竈に熾す神事の火
椅子の背の赤鬼吉備の赤まんま


白魚火秀句
仁尾正文

露けさの地に余したる撞木の緒 森山暢子

 備中国分寺の鐘である。「露けさの」は「地に」にかかる修辞であるが、淡い旅愁があるしっとりとした季語である。「地に余したる」「撞木の緒」が秀れた写生である。鈴木三都夫氏に「風鎮を畳に余す涅槃絵図」という秀作があるが、頭掲句にも撞木の綱の余りが地を這っている景がよく見える。
 備中国分寺の鐘楼は頭上に床が張ってあり人々は床の隙間より垂れた綱で鐘を撞く、従って頭掲句はそれに触発されて創作したものである。いわゆる「虚にいて実」を行ったのであるが、情も景も実以上のものを出し得た。吟行の写生も溢るる主観を客観的な手法で表現すべき、この句はその典型だ。

秋天に鵄尾金色の天守閣 牧野邦子

 鵄尾は、古代の宮殿、仏殿の大棟の両端に取り付けた瓦や石で作った装飾であるが、後世はしゃちほこ、鬼瓦を言うようになった。烏城、岡山城には二十に近いしゃちほこがある。頭は竜のようで背に短い棘がある。鯱に似た形で烏城の魔除け。それらがすべて金張りである。金は権勢の象徴である。
 掲句は、「秋天に」という澄んで潔よい季語を置き、金のしゃちほこを数多置いた岡山城を褒めている。とりも直さず岡山の地や人々に心からなる挨拶を送ったのである。

さはやかな声を三鬼の墓の上 大村泰子

 津山市生れの西東三鬼は、昭和三十七年四月一日癌のため六十一歳で没した。「万愚節半日あまし三鬼逝く 波郷」はその追悼句。墓は、津山市寺町の浄土宗成道寺にある。御影石の右側を細長く磨いて「西東三鬼之墓」左側の下半分を磨いて「水枕がばりと寒い海がある 三鬼」の句が何れも山口誓子の筆により刻まれている。
 岡山から津山まではJR津山線の鈍行で片道一時間二十分程かかる。三鬼ファンが居て折角岡山へ来たのだから是非墓参をと思いそれを果したのだと思っていたら作者は私共と行を共にした浜松の大村泰子だった。以前三鬼の墓を訪ねたことがあったのであろう。こういう先行投資の如き旅吟を、岡山へ来て岡山の俳句大会で出句するのは一向に構わない。むしろ俳人はどんどん投資をすることを奨めたい。
 句は「を」という切字の切れ味がよい秀句。三鬼居士へのよい供養になった。

丸の内二丁目烏城径さやか 山田敬子

 丸の内とは城郭などの本丸の内のこと。皇居の東方一帯も丸の内で「丸ビル」などはその略称である。岡山城の地番は丸の内二丁目であった。何処かにその標示があったのであろうがこの作者以外は気付かなかった。吟行では何にでも興味をもって目配りすると何かの発見があることをこの句は示している。

五重塔どこからも見え早稲を刈る 小村絹代

 古代の吉備の国は大和や出雲に匹敵する強国であったせいか備前・備中一の宮、備前・備中国分寺、国分尼寺などがよく残されている。掲句は備中国分寺の五重塔で、天平以来ずっとそこに残されている。秋夕焼の褪せかけた頃の五重塔は最も美しく、国原のどこからも見られる。天平の人々が仰いだように作者も五重塔を仰ぎ懐古したのである。

虫集く点字で記す由緒書 荻原富江

 この句も好奇心が旺盛。吉備の国の寺社の縁起や由来書が点字で書かれていたという。身体的な弱者への心あたたかい句である。誰かの作に「英語くじ」というのがあったが、これは外人に親切だ。

金の鯱の上目づかひや鳥渡る 中村國司

 生物の鯱はクジラ科の体長が九メートルもあるが「鯱」はしゃちほこも意味する。しゃちほこが上目づかいであるというのが「足もて作った」効能である。

首塚の辺りもつとも虫しぐれ 大澄滋世

 水攻めで名高い備中高松城址を吟行したが、礎石はもとより城址らしいものは何もなく、沼地に自生の蓮が実をつけているだけであった。周辺は市立公園となっていて青芝の首塚があるだけ。天正十年(一五八〇年)羽柴秀吉は梅雨の出水川を堰止め城を水の中に孤立させた。城主清水宗治は、城兵五千の命を助けるため切腹するという和議が成立した。首塚は、宗治を顕彰するために後年作られたもの。
 句は、首塚の辺りの虫時雨が最も盛んだと感銘を抑えて詠まれているが、その抑えたところは読者が掬み取ってくれる。

    その他触れたかった秀句     
備中は今し晩稲の熟るる頃
竹の春吉備の昏鐘一打かな
山畑の雲より高し蕎麦の花
窯元は一徹居士や吾亦紅
余生とてまだ夢のあり今日の月
天領の町家の格子秋簾
初鴨の飛来日誌を覗き込む
豊の秋みな良き名前もつ地酒
松手入準備始めし国分寺
新涼や珈琲の香の客間まで
色鳥や機嫌で選ぶ服の色
待つといふ受身の攻や蜘蛛の網
鷹渡る両手はぐうの新生児
何もせぬことが仕事の案山子かな
秋風や幟の裏の鏡文字
陶山京子
新村喜和子
荒井孝子
福田 勇
本杉郁代
小松みち女
渡部昌石
横手一江
川上征夫
多久田豊子
秋葉咲女
黒崎すみれ
一宮草青
橋本快枝
山田美恵子


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選


  鈴木百合子

待宵の旅の枕を均しをり
陶房に国語辞典や秋桜
こぼれ萩くづれ文字なる窯印
十六夜の月どこまでも在来線
喪帰りの虫の音今を極まりぬ

  
  檜林弘一

飛石は藩主の歩幅水の秋
秋声や奥に二の蔵三の蔵
日の温み残る白桃剥きにけり
真金吹く吉備に立つたる黍嵐
芋虫の天与の衣纏ひけり


白光秀句
白岩敏秀

待宵の旅の枕を均しをり 鈴木百合子

 今年の全国大会(岡山)での作品。
全国大会では句会が二日間ある。妙なもので第一日目に上位入賞すると次の日の句会では入賞を逃す。そして、一日目が駄目な場合は二日目には上位を獲得している。もっとも両日とも上位に入賞している猛者もいることはいる。
 全国大会の二日目の九月十二日が十五夜にあたり、待宵は十一日のこと。空のきれいな夜であった。
 久しぶりに再会した全国の句友との楽しい喋りや前夜祭の快い興奮の余韻など。全国大会でしか味わうことのできない充実感に満ちた待宵の夜である。
喪帰りの虫の音今を極まりぬ
 「高橋花梗様逝去」と前書がある。
 花梗さんは群馬県伊香保の人。「白光集」の十一月号に「花木槿火花散らして石を彫る」を〈感銘句〉にとりあげた。力強い句と思っていたが、これが最後の投句であったとは…。ご冥福をお祈りしたい。

飛石は藩主の歩幅水の秋 檜林弘一

 岡山大会での句。この句も選者の先生方に非常に評判がよく特選五点、入選三点の好得点であった。
 この飛石は季語の「水の秋」からして、曲水や沢の池などがある後楽園の飛石であろう。後楽園は回遊式の大名庭園で広さが約四万坪ある。池田家四代目藩主綱政の命によって作られた。その後も藩主の好みで色々と手が加わって来ただろうが、飛石の歩幅だけは藩主のそれに合わせて配置されてきたのだろう。
 作者は秋晴れの一日を後楽園で遊んだ。そして、伝い歩いた飛石の歩幅が自分の歩幅に合っていることに気づいた。藩主と同じ歩幅、この発見が素直に喜びとして表現されている。まさに天下の名園で胸を張りたくなる一句。

穏やかな二百二十日を旅にをり 村松ヒサ子
 
 今年の二百二十日は九月十一日即ち白魚火全国大会の当日である。会場の岡山は「晴れの国」としてのイメージがある。年間の降水量も少なく、日照時間も長いことなどの理由によるのだろう。
 当日は待宵の月もきれいだったし、句友との再会や前夜祭も楽しかった。穏やかな天気に恵まれた全国大会への二日間の旅。
 この句を読み返すたびに暖かいものが胸に膨らんでくる。

斑鳩の塔の九輪に月かかる 森井杏雨

 斑鳩の塔と言えば法隆寺の五重塔が思い浮ぶ。塔の高さは地上から相輪まで約三十四メートルある。わが国最古の五重塔である。
 「ちとせあまり みたびめぐれるももとせを ひとひのごとく たてるこのとう」。歌人会津八一が千三百年の時を経ても昨日建てたように威厳がある、と感動を籠めて詠んだ。
 永い時を経ても凛然と立つ五重塔の九輪にいま十五夜の月がかかっている。
 この月はかって聖徳太子が仰ぎ見た月でもあったろうし、我々が岡山で眺めた月でもあったろう。時を越え、場所を変えても変わることのない美しい十五夜の月である。

まつすぐにまつすぐな列曼珠沙華 大石益江

 「まつすぐに」を二度使いながら構図的には全く別なことを表現している。初めの「まつすぐ」は曼珠沙華の茎の状態でしかも一本。後の「まつすぐ」は並んで咲いている状態で複数本。縦と横方向の構図をもち、かつ単数と複数の「まつすぐ」である。
 複雑な内容を言葉の取捨選択と助詞の巧みな使い方によって一幅の絵に仕立てている。
 曼珠沙華は花の赤と茎の緑も不思議だが、花の形も茎の形も咲く時期も不思議な花である。

道草の子らに追はれて稲雀 佐藤陸前子

 稲雀にとって現代は受難の時である。コンバインが稲を刈ってすぐ脱穀し、藁を裁断して田にばらまく。雀が美味しい新米のおこぼれを頂戴する機会がない。それでも稲が実ると雀たちはやって来る。子ども達に追われても追われてもまた戻ってくる。
 そんな逃げたり追ったりの繰り返しのなかに稲の秋は深まっていく。

農に生きし父よ新米炊き上る 森山世都子

 この新米は亡くなられたお父様にまず供えられたことだろう。
 農を守り家族を守り抜いた父の一生であった。だからこそ家族の今がある。感謝の思いが強い呼びかけの言葉で表現されている。頑固ではあったが優しい父であった。

子の発ちて空いつぱいの鰯雲 佐川春子

子の乗った飛行機が鰯雲へ突入するように高度を上げ、やがて視界から消えていった。
 子が去っていった心の空白を埋めるように鰯雲が空いっぱいに広がっている。秋の別れはどこか淋しい。

    その他の感銘句
佇める人をゆらして水澄めり
きちきちや備中鍬の置き忘れ
喪帰りの喉の渇きや虫の闇
桔梗の色冴えざえと日の表
かなぶんの止まりしままにシャツ乾く
木犀や蔵に金箔菱家紋
望の夜の地下へと続く靴の音
山百合のとどかぬ距離に揺れてをり
過ぎし日のよきことばかりをみなへし
蔦茂るレンガ倉庫の小さき窓
日の射して観音堂の薄紅葉
祭笛吹けて少女の片ゑくぼ
風さやかとげぬき地蔵なでにけり
ひよいと来て畦に自転車菜を間引く
遠きほど光りてをりぬすすき原
須藤靖子
栗田幸雄
高橋圭子
久家希世
大久保喜風
田中ゆうき
谷山瑞枝
海老原季誉
秋穂幸恵
細越登志子
嘉本静苑
梶山憲子
塚田紀子
若林光一
浅見善平

禁無断転載