最終更新日(Update)'10.01.30

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第653号)
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3月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    出口サツエ
「秋惜しむ」(近詠) 仁尾正文  
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
岡あさ乃、大村泰子 ほか    
白光秀句  白岩敏秀
白魚火函館全国大会
  ・動画
  ・大会参加記
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          牧沢純江、檜林弘一 ほか
白魚火秀句 仁尾正文

季節の一句

(江田島) 出口サツエ

冬満月宿直の禰宜の沓の音 渡部美知子
(平成二十一年三月号 白光集より)

 神話の国出雲には沢山の神社がある。一昨年松江での全国大会の折、八重垣姫伝説の八重垣神社、苔むした石段と最古の大社造りの神魂神社、大国主命伝説の出雲大社に参拝した。いずれも国宝の由緒ある荘厳なお社に圧倒をされた。
 掲句は出雲大社で詠まれたお句と拝察いたします。私どもは日頃、夜の神域に足を踏み入れることはありませんので、宿直の禰宜さんがおられるとは思いがけない驚きでありました。昼間の騒めきも鎮まり、凍てつく空にこうこうと冬の満月が上ってきます。社殿に月が映え、深閑とした社叢の中、玉砂利を踏む禰宜の木沓がギュッギュッと規則正しく響いてきます。
 作者は冬の満月を愛でるため神の庭に赴かれたのでしょう。神の国出雲にお住まいの作者でなければ詠めない詩情あふれる秀句であります。「禰宜の沓の音」に平安の絵巻を見るような雅びな響きを感じ取らせていただきました。

仕舞湯に夫の一くべ冬ぬくし 古川志美子
(平成二十一年三月号 白魚火集より)

 一日の仕事から解放された妻のため、夫が風呂の炊き口にかがみ込んで焚き付けを投げ入れています。小さな煙突から煙が勢いよく立ち昇ります。
 くべるとは「物を火の中に入れて燃やす」ことですが、現代生活では煮炊にもくべる物自体がなくなり、風呂の湯もボタン一つの便利な世の中です。若い人にはもはや死語とも言える言葉かも知れません。
 掲句の「夫の一くべ」に、長く連れ添われた夫婦の深い情愛が滲んでいると思います。〝一くべするからゆっくり温もれや。〟〝どうもありがとう。〟こんな穏やかな会話が風呂の内と外で交わされている光景が目に浮かんできます。私たちの心の中にある遠い古里の原風景を彷彿とさせてくれます。
 凩の寒い夜も作者にとっては「冬ぬくし」なのです。身も心もきっとほっこりと温もったことでしょう。ほのぼのとした情感のあふれる一句でありました。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

  駒 ケ 岳  安食彰彦

さはやかに幼児言葉のバスガイド
一位の実トラピスチヌの黙ふかし
ななかまど函館の街かたむけて
島小島うすく色づくななかまど
団栗は栗鼠の食物島小島
ななかまど小さな島に彩こぼす
日のあたる大沼小島ななかまど
秋雲に突き刺りたる駒ケ岳


 キムチ甕  青木華都子

出口なき十万本のコスモス田
穂芒や雨呼ぶ風が風を呼び
豆腐屋の間口一間吊し柿
国道に干されてをりし籾筵
ここからはみちのく蕎麦の花真白
刈り頃に少し間のあり蕎麦は実に
暮れ早しハングルで書く置き手紙
冬に入る等身大のキムチ甕


 ななかまど  白岩敏秀

函館の雨に真つ赤なななかまど
秋晴をつなぐ北国旅三日
ジャズを聴く皿の林檎にフォク立て
紅葉して山は谺を返しけり
山晴に音響かせて木の実落つ
秋草の濡れてゐるなり金閣寺
遅刻の子待つて始まる夜学かな
芦を刈る音のうしろを川流る


 なんだ坂こんな坂 坂本タカ女

函館やなんだ坂こんな坂ダリヤ咲く
駅弁のお品書読む素秋かな
雁や袴を着けし啄木像
コスモスに海よりの風異人墓地
露天湯の簀子天井望の月
爽やかや逢ふも別れも握手なる
指定席電車に立待月あがる
霜月や電車のどこか軋み鳴る


  函館片々  鈴木三都夫

一位の実ふふめば甘き旅情かな
かく燃えて紅葉もつともななかまど
雫して霧の晴れゆくななかまど
啄木像後ろ姿の秋思かな
秋天を統べ火の山の尖り聳つ
函館はホ句のふるさと今日の月
天心の月下へ展べし夜景の灯
二泊三日釣瓶落しの別れかな
 落 語 会  水鳥川弘宇
さびれたる城内小路冬ざくら
人気なき石炭王の冬館
「花、草木折らないやうに」窯の秋
文珍の落語にほろり秋深し
円楽も逝きたる秋の落語会
秋冷や師を失ひし楽太郎
博多には落語が似合ふ秋の風
楽太郎も文珍も好き秋の夜

  穂絮とぶ  山根仙花
そこにある湖に音なし穂絮とぶ
波音に紛れ紛るる虫の声
湖の日の眩し花石蕗濡れて咲く
末枯れの野に立つ沖とは遠きもの
身も影も吹かれて秋の深まれり
長き夜の机に無意の刻過ごす
日の匂ひして十月の雑木山
大空を傾け落葉又落葉

  月 の 帯 小浜史都女
秋雨前線いま函館のど真中
祈るかにルルドの萩のしだれけり
秋雨や弥撒の流るる椅子にかく
五稜郭タワーが灯り霧深し
啄木鳥の穴栗鼠がときどき顔を出す
栗鼠の尾の見え隠れして一位の実
津軽まで海峡にある月の帶
函館に三日目の夜や新走

 初 鴨  小林梨花

初鴨の陣とは云へぬ程の数
初鴨のときどき声を零しけり
平なる湖にこぽりと鰡飛べり
朝露に足元濡るる湖畔かな
ま青なる空錦木の実を弾く
風もなく音もなく飛ぶ荻の絮
みづうみの果にうつすら霧の街
半円は神在の湖まつ平

  在 祭  鶴見一石子
稲刈のすみて夜空の軽くなり
鷹の爪爪括られて吊されし
七蔵を守る大樹の鵙高音
右読みの屋号の続く在祭
烏瓜ひとつ遺りしけもの道
怨霊のゐさうな塚の一位の実
木枯や友ひとりづつ死んでゆく
売られゆく牛の鼻環初しぐれ

 夜の長し  渡邉春枝
写経の筆新しくして夜の長し
先達の鈴に蹤きゆく山紅葉
一葉落つ弘法の水湧くところ
参道の木の実うやうやしく拾ふ
富士の山指呼にありけり秋惜しむ
坐禅会の次回の知らせ萩は実に
冬に入る駿馬の蹄まで磨き
大根煮る巡礼の旅終へてより


鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 朝 市  清水和子
一つづつ配られ旅の青蜜柑
朝市や蝦夷駒ヶ岳秋天に
五所川原の林檎をリュックより貰ふ
北国より冷ゆる故郷へ戻りけり
椎拾ふ戦後の暮し聞きながら
鳩の子の啄む草の実の零れ

 一位の実  辻すみよ
一位の実ふふめば募る旅心
教会の鐘の音高し一位の実
秋時雨海へ向きたるクルス墓
秋の蝶天使の像に来て翔たず
望郷の啄木像の秋思かな
啄木の像玫瑰の返り咲き

 秋 耕  源 伸枝
剥製の鹿の眼うるむ夕月夜
エプロンで猫の足拭く露しぐれ
秋耕す朝のひかりを鍬にのせ
秋草を活け人待つは恋に似て
白き雲ゆつくり流れ馬肥ゆる
茶柱のゆつくり沈み十三夜

 炉 開 き  横田じゆんこ
捨つる句を拾ひ直して秋灯
ものをいふやうに鶏頭たね零す
蝗追ふ顔の蝗になつてをり
崩れ簗水の遊んでをりにけり
立冬や紙の耳もて手を切りし
炉開きの種火ときをり火花して
  秋 日 和  富田郁子
秋日和叩いて締むる鼕の綱
爽やかや法被の腰に鼕の撥
音立てて落葉が走る三の丸
秋気澄む松の参道句帳手に
秋麗ら大注連に銭投げ入れて
海桐の実はじけ灯台近きかな

 冬 隣  田村萠尖
熊除けの鐘試し打つ続けざま
熔岩流抜けやうやくに草紅葉
冬隣足湯してより神詣で
立冬の風ひとつ無き天下晴
雨雲の中より熟柿選び捥ぐ
大豆稲架すこしの風に音あぐる

 返 り 花  桧林ひろ子
七変化毬を崩さず枯れにけり
新松子山城跡は風ばかり
石乘せて使はぬ井戸や葛の花
ゐるだけの小鳥の声の社かな
花石蕗のひとかたまりの蕾かな
日の差せば色消えさうな返り花

 茎 の 石 橋場きよ
どう見ても獣の舌や鶏頭花
木綿縞の胸元はだけ瘠せ案山子
身に余る励ましの文秋の虹
鉄橋を轟音一過峡の秋
かけがへなき備品となりぬ茎の石
掃納机辺さみしくなりにけり

白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

      浜 松  牧沢純江

おとがひの尖る神父や野紺菊
城郭の五角等しく小鳥来る
枯れてなほ矜恃を保つ吾亦紅
鳥の巣のばさつと落つる松手入
青空を歪めて熟るる榠〓の実


      名 張  檜林弘一

帰りにはワインを抱へ葡萄狩
冬瓜の屈託のなく横たはる
末枯の丘にヤコフの寝墓かな
漁火をさそふ漁火暮の秋
親鹿の耳をそばだつ神の留守


白魚火秀句
仁尾正文
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 謹賀新年。今年も会員諸兄姉のご健吟を祈念している。当方よりは雑誌に掲げた新年詠で賀状に代えたのでご諒承いただきたい。

おとがひの尖る神父や野紺菊 牧沢純江

 函館全国大会の初日、自由吟行で北斗市の男子トラピスト修道院に赴いた。教会がありここは一般の観光バスが入れるが、私どもは「かつらぎ」同人である今井星女さんのはからいで外部の者を遮断した修道士の礼拝堂に入ることを許された。ちなみに「かつらぎ」の前主宰阿波野青畝はクリスチャンでこの修道院の俳人達の指導に訪れたことがあり聖地内に句碑もある。
 修道士は、清貧、貞潔、従順の三誓願を立てて修道院に共住を許された者である。俳句のよく分る神父が私どものために修道士にされるのと同じような説話を切々としてくれた。小さな声であったので少し離れた所に居た者には内容が分らなかったが、この作者らはいたく感銘したようだ。「おとがひの尖る神父や」の措辞は長身痩躯の、この神父の描写であるが、鷹羽狩行氏の「昔より聖者は痩せて枯芭蕉」の「痩せた聖者」を強く感じたのにちがいない。季語の「野紺菊」がそのことを表徴している。
 忌わしい事件や事故が頻出し、政治経済も大変な現世にあって清廉潔白な別世界を垣間見た爽快を神父を描写することにより表出したことを高く評価したのである。

末枯の丘のヤコフの寝墓かな 檜林弘一

 函館観光コースの中に外人墓地がある。函館港の防波堤上方の山の斜面にあり、露人の寝墓や十字架の墓、中国人の墓域などに分れている。
 掲句は「ヤコフ」という一読してすぐにロシア人と分る固有名詞がよい。十ばかりの寝墓の頭の方が少し高くなっているのは、理由は分らぬがもの悲しく、また遥か生国ロシアの方へ向いていることにも感慨を催された。
 俳句に用いて成功する固有名詞については機会ある毎に持論を述べているが仲々理解しない向きがあって残念。松島における全国大会で、五大堂へ渡る長さ三十m程の橋は真中に二十cm位の隙間があり二十m下の海が見られる仕組みになっていて「すかし橋」という標示があった。「夏潮に一橋二橋すかし橋」「サンダルで踏み外したるすかし橋」等が出句されたが辞書に出ていない固有名詞は通用しない。「白蓮白シャツ彼我ひるがへり内灘へ」という社会性俳句を代表する句であるが「内灘」という地名は今や殆んどの人が知らない。だから「ダメ」な句だ。角川の『俳句大歳記』に例句として出ているのは社会性俳句というものがあったという墓碑として残されたのであろう。高名な作家の作品「小田実死す夏果の午前二時」が俳句綜合雑誌に出ていたがこの句も頂きかねる。小田実は、作家、歌手、哲学者、ジャーナリストや市民運動家等錚々たる人と交流した立派な人だったようだ。この作者も心酔していたことが誌されている。だが、大家が心酔したことと俳句作品とは別個のものである。

愛の羽根胸に祝詞の星女女史 坂田吉康

 函館における白魚火全国大会には一五七名が集り(内一三二名は本州・九州より)大成功裡に終わった。行事部とよく連携をとった今井星女さんを中心にした地元会員の尽力による。星女さんは、この大会の為に十名余の新会員を増やし結社の全国大会の目的をすべて達成させた功労者でもある。
 掲句は、函館へ参集した会員の感謝の気持を俳句で示したもの。大会の冒頭、星女さんが歓迎の挨拶をされたが胸に赤い羽根を付けていたことをこの作者は見逃さなかった。感謝の気持を強くもっていたから見付けたのであろうが、さすが俳人である。
 なお、前句で固有名詞のことを長々と述べたが、結社内は別である。一都忌、古川忌、碧魚忌、平人忌や吾亦紅忌などは他の結社の人が知らなくても一向に構わない。白魚火の会員は皆連衆、仲間に分かって貰えばそれでよい。

おんぼらと暮す幸せ萩の花 勝部アサ子

 日本国語大辞典によると「おんぼら」は石川県の一部、福井県の一部で使われる方言で「男の子」という意味と記されているが、島根県の出雲方言では「ゆったりと」とか「ほのぼのと」の意味として使われているようだ。これが分ると一句の解説はいらない。

身ほとりに混種語いくつ文化の日 上武峰雪

 先ずは作者が米寿を過ぎて尚矍鑠としていることを慶びたい。栃木県白魚火会員時代は足利より宇都宮の俳句大会に一泊で集り、全国大会へもよく出てきていた。語彙の豊富なことも社内で一、二を争う程。掲句の「混種語」というのは「表門」の如く和語と漢字、「紙コップ」の如く和語と外来語の取合せをいう。意識して探すと身辺には混種語は沢山ある。

    その他触れたかった秀句     
割挟み届かぬ先は木守柿
茶の花に遅速のありて疎らかな
本線といへど単線花芒
川沿ひに歩いてゆけば冬が来る
末枯れの風悠々と湖を這ふ
近寄りてきかと目にとむ冬桜
かさと音かさかさと音朴落葉
異国語の新酒試飲の仲間たち
眼鏡拭く台風情況聞きながら
つづら折れ登る度秋深まりぬ
群鮎の水引つぱつて落ちにけり
立冬の我が家に灯り嫁が来る
工事屋のさも旨さうに柿を食ふ
白もまた燃ゆる色なり蕎麦の花
駅前の通行手形赤い羽根
石原登美乃
良知由喜子
原 和子
山口あきを
渡部信子
福島ふさ子
森 淳子
五嶋休光
高橋花梗
谷口泰子
塚本美知子
大野洋子
松澤 桂
宮原紫陽
青木源策


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

  岡あさ乃

鵙高音磨きあげたる床柱
紅葉づるや結界までの石の階
謄写版隅に置かるる文化の日
どんぐりや母をあづけて帰る道
米櫃の底の見えゐてそぞろ寒


  大村泰子

秋風や大き靴音来て止まる
箸立のはしの長短小鳥来る
冬めくや牛舎にぽつとつく明かり
豆を引く爪かさかさと乾きけり
霜の夜のしろき音たて白き皿


白光秀句
白岩敏秀

鵙高音磨きあげたる床柱 岡あさ乃

 ここには二つの世界が描かれている。鵙という生き物と木としての生命を失った床柱の世界。それは生きるために自らの存在を主張する鵙と人の手で磨かれることによって存在を主張する床柱。野生的なものと人工的な二つの世界が、何の夾雑物もなくストレートに結び付けられている。しかも、鵙の高音の後に続く静寂。
 掲句の鵙の鳴く庭木があり、磨かれた床柱から、保存された古民家が歴史的な建物であろうか。忍ばせて歩く足音まで想像される。
 大いなる沈黙は大いなる雄弁である。作者の喋らないことが色々のことを想像させてくれる。
謄写版隅に置かるる文化の日
  謄写版とは懐かしい印刷器である。『白魚火』誌も謄写版によるガリ版印刷から始まった。昭和三十年九月のことである。それから一度の欠刊も遅配もなく、平成二十二年一月で通巻六五三号を数える。
 嘗て謄写版は多量の通信文や文化の伝達に必要なものであり、最もポピュラーなものであった。しかし、今ではその存在さえ忘れられている。
 「文化の日」という晴れやかな舞台に、謄写版を登場させて意外性のある句となった。

霜の夜のしろき音たて白き皿 大村泰子

 皿の影さえ見せない白一色の世界。霜夜のカンと張った空気の中で、白い音をたてて皿が触れ合った。音を色で、しかも白い色で捉えたところに感性の鋭さがある。
 シ音の繰り返しや白い音は作者の感覚が直截に捉えた、ポエジーとして昇華させた言葉だ。
 白で統一された霜夜がクリスタルの透明感をもって見えてくる。白魚火賞受賞作家の力量であろう。

新米のずしりと重し父の皺 大作佳範

 日本人が食べる米の量を一日に三合とすると、一年三百六十日で約千合、即ち一石である。一石の取れる田の面積を一反としたという。一反から収穫する米の量を増やすために、農民はつらい農作業を続けてきた。農業機械の発達した現代でもその辛さには変りがない。
 辛い作業に耐えて米作りを支えてきた父。ずしりとした新米の重みは父の皺の深さに比例する。仁尾先生の「ものを通して気持ちを伝える」教えが結実した句。

縦糸の残る織機や小鳥来る 上野米美

 かって農家には糸繰り道具や機織機があった。祖母が縁側で糸を繰ったり、土間で機を織ったりしていたものだが、今では全く見なくなった。
 掲句は伝統伝承館か博物館に展示された機織機であろうか。機機には何時でも機織りできるように縦糸が仕掛けてある。かっては女性たちの夢を紡いだであろう織り機が役目を終えて静かに置かれている。高窓からは秋の日差しと小鳥の声が入ってくる。
 美しい情景の中に、歳月の流れに忘れられていくものの哀れさがある。

小春日の海を見にゆく誕生日 稗田秋美

 若々しい句である。
 誕生日即ち海を見に行くという、気持ちと行動力がストレートに一致するところに若さがある。誕生日を境にこれから始まる未知の世界。それは小春日の穏やかな海のように広々とした世界である。
 弾むリズムにこれからの明るい未来が乗せられていて、読む者を楽しくさせる。

詩仙堂訪ふ綿虫の舞ふ日かな 福永喜代美

 詩仙堂を訪れた日に綿虫が舞っていたという。詩仙堂は京都市一乗寺にある。詩仙堂丈山寺。
 静かな詩仙堂に音もなく舞う綿虫。そして詩仙堂を彩る冬紅葉。美しい名を持つ詩仙堂と冬紅葉を背景に、今を懸命に生きる綿虫の小さな命が美しく詠み上げている。「かな」と止めた余韻が句を味わい深くしている。

秋うらら皆出払つてをりにけり 村松ヒサ子

 家に中が静かと思ったら、皆が秋うららに誘われて出払ってしまっている。家の中はまさにがらんどう…。
 居残り組の淋しさをちょっぴり覗かせながも句柄は明るい。夕食の頃には家族が皆揃って、今日の楽しい話に花が咲くことが分かっているからだ。家族を信頼し、家族に信頼される暖かい作者が作品の真ん中に座っている。

雲集ふ十一月の風の音 小沢房子

 掲句は出雲の作家から生まれた。出雲地方の十一月は「神在月」である。出雲に集う雲の一片にも神が宿ると捉えている。出雲大社に集まる神々に対する敬虔さに気持ちを打たれる。

    その他の感銘句
笹鳴や日当りのよき父の墓
記念樹の柚子ひややかに黄金なす
冬の沼おのれの色となりにけり
鴨の漁水に籠らす嘴の音
一服を終へて牛蒡を引き始む
塩の道信濃へ続く稲架日和
十三夜紅おしろいを持たぬ母
せせらぎの音をひろげて谷紅葉
台風や一泊したる回覧板
赤とんぼ群れて落暉を目指しをり
名月を迎へる空のととのへり
籾焼きの那須の五岳を燻しけり
秋の宿腰を据ゑたる土佐料理
鶏頭の不動の疲れ色となり
ふらここに身をまかせをり冬日向
山西悦子
稲野辺洋
田久保柊泉
久家希世
大城信昭
古川松枝
福嶋ふさ子
大滝久江
桑名 邦
柿沢好治
藤田ふみ子
江連江女
篠原米女
川本すみ江
脇山石菖

禁無断転載