最終更新日(Update)'09.09.30
白魚火 平成17年3月号 抜粋
(通巻第649号)
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3月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句  奥野津矢子
「花うばら」(近詠) 仁尾正文  
曙集鳥雲集(無鑑査・上席同人作品 安食彰彦ほか)
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
村上尚子、小川恵子ほか    
白光秀句  白岩敏秀
句会報 静岡白魚火「穂波句会」  
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          柴山要作、村上尚子 ほか
白魚火秀句 仁尾正文

季節の一句

(札幌) 奥野津矢子 

チセになき大黒柱独活は実に 宮野一磴
(平成二十年十一月号 鳥雲集より)
 全国大会が旭川で開催された折、北邦野草園にある笹小屋に入られた方も居られるかと思います。
 そこはアイヌ文化を正しく保存、伝承するために設けられたコタン(アイヌ語で集落)で、チセの他にプー(食料庫)チャシコツ(砦跡)も正確に復元建立されています。
 山菜の第一位に名の上がる独活は、先人達も食しながら大事に私達に残してくれました。
 その実は黒真珠のようです。季語が生きている事を実感します。
 “医師との余命の余談涼新た 一磴”
 旭川白魚火の重鎮、宮野一磴氏はこの号を以て白魚火を退会されました。本当にお疲れ様でした。

吾亦紅活け替へ父の忌を修す 鈴木百合子
(平成二十年十一月号 白魚火集より)
 吾亦紅の花を知る前に、鈴木吾亦紅氏の名前を知りました。それ以来大好きな花の一つです。野原に見掛ける事は少なくなってきていますが、いつも自由に自在に、そう感じさせてくれる花です。葉を揉むと微かにスイカの様な香りがするとか、美味しい香りは大歓迎です。

烏賊を剥く事も教へて嫁にやる 赤城節子
(平成二十年十一月号 白魚火集より)
 いよいよ函館での全国大会が近づいて来ました。
 函館と言えば「烏賊」、そんじょそこらのイカとは違います。地元の烏賊刺身を食べたら、今迄のは何だったのだろうと思うはず、です。
 実は烏賊の皮を剥くのは大変です。見様見真似では中々上手く剥けません。山育ちの私は、烏賊の耳の皮の剥き方を義母に教わった時は感動したものでした。
 お嫁に行く前のお嬢さんに教える気持ち、よく解ります。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

  鳥羽離宮   安食彰彦

京巫女のやさしき言葉宮涼し
鳥羽離宮禊の滝のはなやかに
曲水の流れきらきら額の花
曲水の庭に片蔭なかりけり
曲水の流れを跨ぐ橋涼し
からうじて夏萩の辺に一句を得
蓮の花見てゐて一句まとまらず
思ひ思ひに歩く日傘に追ひ越され


 落 し 文   青木華都子

樹下涼しベンチに誰もゐぬ薄暮
サングラス外し心を許しけり
炎昼の前行く人の影踏みつ
亀石の背に夏苔のへばり付き
石灼くるジョギングコースの休憩所
風死すやひくりともせぬ杉木立
酷暑日の携帯電話鳴り通し
山鳩の咥へて来たる落し文


 鯉 太 る   白岩敏秀

更衣鏡の中を出て来たり
夏服の軽さに歩く知らぬ街
沢蛍水に星空つくりけり
万緑や池に飼はれて鯉太る
滝落ちて流るる音をつなぎけり
無駄な音大きく立つる蠅叩
打てばすぐ釘の曲つて梅雨寒し
合歓の花鞍馬へ道の岐れけり
  文 鎮   坂本タカ女
臆病なサフォークの耳剪毛期
すぐ乾く髪の湿りや花海棠
春愁や文鎮といふ重きもの
春灯や懐紙の透かし雪月花
鴨去りし川のみどりの深まりし
羽化したるばかりの蝶や太宰の忌
寸足らずなる尺蠖の尺をとる
鮨屋遅日あかにしあなごあぶりいか

  草 笛   鈴木三都夫
花菖蒲妍を競ふは揺れあへる
花菖蒲天与の彩をもて競ふ
夏萩の豊かに撓み色を見せ
ぬばたまの闇に怪しき蛍の灯
草笛の草の替りし音色かな
噴水の小躍り揚る高さかな
草刈機小判草とて容赦なし
刈り捨てといふ二番茶の安値かな

  青 嵐   水鳥川弘宇
老鶯や一軒にして二軒茶屋
螢の夜女流の占めし俳誌読む
おしろいや夕べ賑はふ浜通り
三代の靴干し並べ梅雨晴れ間
初採りの胡瓜の曲るだけ曲る
どこまでも田植最中の唐津線
植ゑ足らぬ貌して子等の植田去る
青嵐ここより仰ぐ城が好き

  端 居   山根仙花
蟾鳴いて池の平らに風澱む
蟾蜍雲の重さに低く鳴く
青芒水音峡を貫けり
青芒青春といふ昔あり
若さとは風切つてゆく夏帽子
合歓咲いて昔のままの峠道
濡れて着く封書一通合歓の雨
端居して思ひ思ひの老二人


鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

   花 菖 蒲   桧林ひろ子
河骨の律儀に咲いて水明り
ほととぎす孟宗竹の辺りより
なほざりの風船かつら花つけし
生くる世を違へ螢となりしかな
目差しを遥かに草の笛を吹く
紫の袱紗解きし花菖蒲

  青 嵐    橋場きよ
一字づつ埋むる原稿早苗月
武士も命惜しかろ敦盛草
護送船めく飛魚に囲まれて
波風の怒濤と迫る沖縄忌
空へ挙ぐる枝の声々青嵐
新茶映ゆ金縁細き白磁碗

 らつきよ   武永江邨
らつきよ掘る手の平の泥かさかさに
らつきよ掘る妻に携帯電話鳴る
薤漬くる昭和六年生れなり
壺に書く薤を漬けし年と月
行く先を迷うてをりし梅雨の蝶
舟虫の隠るる隙間知つてをり

  梅 雨   上川みゆき
かにかくに先師の顔や竹煮草
振り向かぬひとに草矢を打ちつづけ
くれなゐの領巾振つてゐる金魚かな
夏雲や海光らせて地曳網
梅雨に観し美女と野獣のミュージカル
射干やくれなゐ映ゆる裏鬼門
 梅雨晴間   上村 均
新緑や人の気配に鯉が寄り
束の間を翡翠が視界過ぎにけり
ゆつくりと吊橋渡る谷若葉
沖の帆のみるみる近し梅雨晴間
六月の潮を掬へる浚渫船
豌豆を捥ぐや遠嶺は茜色

 日光連山   加茂都紀女
松蝉の落葉松林より登る
雪折れの一枝に満つる峰ざくら
銀蘭の光を零す谿の風
森林に妖精のごと九輪草
青胡桃湖畔の宿の舫ひ舟
梅雨の雷黒髪山を真二つに

 阿弥陀寺   桐谷綾子
蛍袋閉ぢたる雨の弁財天
トンネルに名残の一花岩煙草
紫陽花の藍阿弥陀寺を埋め尽し
み仏も耳かたむけし沙羅の雨
杉並の深くより現れ黒揚羽
羅漢から羅漢に蜘蛛の糸渡す

 花 木 槿   鈴木 夢
昨日初今日は五十ヶ花木槿
桑の実を頬張つてみる三粒ほど
よく来たと夏鶯が迎へくる
惨殺かそれとも輪禍青大将
廃屋をすつぽり包み夏椿
起抜けの公園で逢ふ青大将


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

     鹿沼  柴山要作

閑古鳥ただ今試験監督中
麦熟るるしかと風癖つきしまま
ゆつたりと水は二手に夏柳
讃美歌のもれ来る窓辺枇杷熟るる
千木よりも高き泰山木の花


     磐田  村上尚子

出来具合褒めて茅の輪をくぐり行く
抱きて行く児に形代をねだらるる
夕風に触れて形代乾きけり
研屋より戻る包丁夏まつり
昇降機開く先頭のパナマ帽


白魚火秀句
仁尾正文
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千木よりも高き泰山木の花 柴山要作

 簡潔でポジティブ(肯定的)なところがいい。耳ではっきり聞き取れて内容が分るところがいい。何の苦労もせず楽々と出来上がったように見せている所に一芸があっていい。
 誰にでも経験があることだが,書いては消し、消しては書いた愛着のある句が、句会では誰も採ってくれなくて落胆することがある。時を経て見直してみると,強くこだわった固有名詞が明快さを欠く原因になっていて、この五音の固有名詞をカットし描写を詳さにすると見違えるように佳くなった経験を筆者も持っている。
 掲句の朗々たるしらべは韻文である俳句のよろしさを十分に見せてくれた。作者の生気などはくどくど言わなくて十分な一句だ。

研屋より戻る包丁夏まつり 村上尚子

 テレビショッピングの画像で、ダイヤモンドダストを取り入れたシャープナーが切れない包丁の刃を裏表一回擦っただけで見違えるようによく切れるが、ヤラセ・トリックはないのだろうかと邪推したりする。
 対して掲句は昔ながらの研ぎ職人。荒砥・中砥・仕上げ砥を用い、よく切れて見目も美しくして戻してくれる。馴染の研屋で年一度すべての包丁を砥いで貰っている。この包丁類が戻ってこないと夏まつりは始まらぬのである。
 この句も前掲句同様耳で聞いてはっきり内容が分かる。上代の歌垣も室町頃の歌合せも耳で判別できなければ話にもならなかった。活字が溢れて目で見る俳句が殆んどの頃日、この両句は注目されてよい作品だ。

余り苗等間隔に置いてあり 稗田秋美

 余り苗は田植で余った苗、欠落した箇所へ補植するためのものである。十センチメートル四方位のものを水口や田の隅に何個か残しておく。それが等間隔であったということがうれしい。農家の人々の律儀さや米作りの愛情がずっと昔から等間隔に置く習性を継いでいるのである。俳壇には、やたらと感動を言う作家が居る。筆者は、この「等間隔に」という「おやっ」と思ったことで十分だと思う。この語から「豊葦原の瑞穂の国」の米作りは「永遠」だと感銘した。

サルビアは最も夫の好きな花 中田秀子

 この句は筆者指導の句会で見た。句の中の夫は健在であるが、筆者にテレパシーが働いたのであろう、この一句の主人公は故人だと感じ特選にした。披講ではやはりなき夫であった。作者がサルビアを愛してやまなかった夫と一句の中で共に居た、その思いが強かったので選者に響いてきたのである。
貫頭衣の少年少女田を植うる 水鳥川栄子

 貫頭衣は一枚の布に頭を通す穴をあけただけの衣類で袖などは一切ない。縄文遺跡に配置された人形が着ているので見た向きは多かろう。
 課外授業で赤米の田植えをし刈り取って食べる所まで実践している学校がある。縄文人になり切るため衣類まで貫頭衣にしたのだ。

心太次男は言葉数少な 大村泰子

 親離れをしつつある青少年は何故か母親との会話を避けんとしている。共通の話題がないのも一因であろうが、青少年特有のいわれなき憂愁であろう。それにつられておろおろする母の心情が「心太」。的確な季語に感服した。

日焼して声も男の子に似てきたる 岡田暮煙

 短髪、破れジーパンを穿き男言葉をばんばん飛ばす少女が日焼けして声まで男に似てきた。片方ではぐずぐずして引き込もり勝ちの男子が居ていらいらする。現世相の一断面であるが、元気な少女も意気地ない少年も親離れ中の憂愁。前句と本質は変らぬのであろう。

青しぐれ古今和歌集聴く講座 脇山石菖

 「青しぐれ」は山本健吉編の歳時記に載る外はない。雨後木の葉に溜っていた雨滴がぽたりと落ちるものである。アオシグレと言葉のひびきがよいせいか今号沢山この季語が出句されたが殆んどは緑雨のことで大方は没にした。その中で掲句は「青しぐれ」らしい雰囲気がある。が、膝を叩いて賛同とまではゆかない。

翡翠の飛べば瑠璃色目に残る 荒木 茂

 翡翠は辛抱強い鳥である。魚の群れている水面を一時間も眺め通し狙いを定めると水中に突入し、魚を咥えると一直線に飛び去る。その鮮やかな瑠璃色は、作者の眼底に残って離れなかった。
 みごとな魚獲と鮮やかな羽根の色を美しく詠んだこの一句も筆者の印象に強く残った。


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

     村上尚子

雨を行く声の明るき登山帽
木道のかろき靴道ちんぐるま
稜線に動く人影岩ひばり
山降りて岩魚骨酒飲み干せり
焼岳の噴煙近き露台かな


     小川惠子

あぢさゐの色まだ置かぬ裏鬼門
梅雨蝶の翅を重たく塀越ゆる
モーターボート湖袈裟懸けに梅雨晴間
九輪草群咲く山毛欅を天蓋に
留守二日茄子は臀を土につけ


白光秀句
白岩敏秀

雨を行く声の明るき登山帽 村上尚子

 山頂を目指して出発した日は、どうやら雨の日のようだ。しかし、山頂は晴れているので、登山には躊躇はなかったのであろう。一行の明るい声が夏山登山への期待に弾んでいる。
 作者の一行はちんぐるまを見て、岩ひばりを聞いている。もう高山地帯である。
 作品を読み進みながら、読者も登山に参加しているような気持ちになる。そう感じるのは一句一句が独立して、しかも相互に響きあって「詩」となっているからである。
 飯島晴子は「言葉として書きとめられれば、その時以後は言葉があるだけであり、言葉は証人も弁護士もいない法廷で、自力で〝詩〟を出現させなければならない」と『水原秋桜子の意義』で言っている。参考になる言葉である。
 「焼岳の噴煙近き露台かな」。ここで初めて、登った山が焼岳と分かる。焼岳は北アルプス南部に聳える海抜二、四五五メートルの活火山である。登頂を果たした焼岳の噴煙を作者は親しいものと感じたのだろう。
 これは登山行の絵巻である。登山することによって触れた大自然が細やかな感性で描き出されている。

留守二日茄子は臀を土につけ 小川惠子

 茄子には無駄花はないと言われる。次々と花が咲き、次々と実がつく。そして実が大きくなるのも早い。掲句は実の太る速さが詠まれている。留守をして云々の句は多くあるが、「臀を土につけ」は作者の発見だ。しかも、「尻」ではなく「臀」。具体的な描写が茄子の太りよう目に見える形で示している。メタボになった茄子を支えている枝の喘ぎまで聞こえてきそうな句だ。

七月の土曜の寄港巡視船 樋野洋子

 巡視船の任務は沿岸や港湾の海上を巡行警備することである。その巡視船が港に寄港することに不思議はない。しかし、土曜日となると少し事情が違うようだ。
 海上では暦の上の土曜日はあっても、勤務の緊張から解放されることはない。陸上にあって初めて実感される土曜日である。その開放感が「の」を重ねたとんとんとしたリズムに盛り込まれている。乗組員には良い週末だったのだろう。

明け易し夢の中まで厨ごと 渡邊喜久江

 「男子厨房に入るべからず」は今では意味のない言葉となったとはいえ、やはり台所は主婦の城である。
 一日三度の食事の用意、一年三百六十五日。それが十年、二十年とまさに気の遠くなるような回数である。 
 夕食の後片づけをして、戸締まりをして就寝すればすぐに朝。明け易すの夢の中ですでに朝食の準備が始まっている。それもこれも家族の健康を気遣っているからこそ続けられる厨ごとであろう。明け易すの厨で立てる包丁の音のリズムに狂いがない。

雲の峰延長戦の草野球 山本まつ恵

 少年野球であろうか。一点を取れば試合終了となる延長戦。選手にも応援する方も力が入る。空には入道雲が…。
 息詰まる延長戦の試合に余計なお喋りは不要。皆と一緒に両方を応援することにしよう。

明易きものに一夜の宿鏡 山田春子

 気心の知れた友達との旅行なのであろう。夜遅くまで楽しい喋りに費やした明易の旅の一夜。朝が来れば楽しい旅も終わりである。朝の身支度を映す宿の鏡が旅の終わりを告げている。
 明易が鏡という日常性のあるものを通して詠われたところに女性らしい感慨がある。

滝水をぶつかけ行者滝に入る 後藤よし子

 烈しく落ちる滝に身を打たせる滝行は人間の精神を極限まで高める荒行である。
 滝に素肌を打たせながら、手に印を結び口に経を唱える。そして、不動の姿勢で滝に同化して金剛不壊の精神を養う。作者は滝行へ念力を集中する行を「滝水をぶつかけ」と切り取った。気迫のある表現がこの句にリアリティーを与え、滝行を見える形にした。

時鳥二度寝決めたる薄明り 加茂川かつ

 時鳥の声で目覚め、窓の薄明りで二度寝を決めてしまった作者。動く時鳥と布団から動かぬ作者そして空の出来事と地上の出来事。二つの関係のないものが明易の朝を共有している。この発想がユニークだ。

禁無断転載