最終更新日(updated) 2010.01.07
支部・地方の便り
期間:平成21年10月3-5日
   於:函館市  花びしホテル
目次
1.大会動画
2.函館大会参加記
 大会動画
大会の動画を掲載します。
内容:     ・白魚火賞受賞のお礼の言葉
      ・トラピスチヌ修道院
      ・五島軒のカレーライス
      ・懇親会乾杯挨拶及び会の一こま
      ・静岡白魚火の懇親会出し物
      ・閉会の万歳三唱

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支部・地方の便り  
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ルルドへの道           (札幌)佐藤琴美
碧 血 碑        (士別)小林布佐子
函館の月              (広島)大隈ひろみ
イクラご飯            (群馬)町田 宏
函館大会に参加して     (栃木)小川惠子
函館吟行記          (松江)竹元抽彩
全国大会に参加して    (静岡)山本康恵
函館一日目         (浜松)林 浩世
!の思い出       (出雲)渡部美知子
季題との出会い     (三重名張)檜林弘一
   平成21年1月号へ


「ルルドへの道」白魚火俳句大会in函館
 (札幌)佐藤琴美
 十月二日(金)北見よりの金田野歩女さん、札幌よりの奥野津矢子さん、二人の笑顔に迎えられ、新札幌より私が乗車、苫小牧よりこれまた百万ドルの笑顔で浅野数方さん乗車。初参加の不安と好奇心をのせ一路函館へ。小林布佐子さん、今泉早知さんは夫々単独で函館へ。和やかな雰囲気の中車中で第一回句会。句会係津矢子さんの提案で自句が披講されても、旅程中の句会では名乗らない事に。代表選者野歩女さん、数方さんへの配慮とのこと。作者名は後日解ったものです。
 田畑が過ぎ左に海、右に樽前山、有珠山と列車の進む中コーヒーで一息。大沼、小沼、駒ヶ岳を臨みながら、函館到着。いつからか雨になっていました。数方さんが予約してくれた車に荷物を積み、朝市で昼食、五目海鮮丼はお腹に美味しく収まり、いざ吟行の始まりです。
 海は雨でけむり、海猫が帰る準備をしている海沿いを走り、トラピスト修道院の裏手に到着。雨が少しずつ強くなる中「ルルドへの道」を登ります。ルルドとはフランスの少女が聖母マリア様に会って奇跡が起き巡礼地となった所とあります。牛舎の横より続く杉林の道を歩き、途中信徒墓地にてしばし佇む。
 更に石段 を登る途中津矢子さん煙茸発見! その後も津矢子さんの眼力続く。箒の先 が上 に向いて咲いているような箒茸発見!
 マリア像に到着です。石垣を大きくくり貫いた中に聖母マリア様が。海に向かってロザリオを腕に提げ、私たちを迎えてくれました。蔦が色付き始め雨に濡れ荘厳な雰囲気が漂い、唯々沈黙の時間でした。
 蔦の門を潜り帰り道の途中赤い実を付けた草丈一メートル位のもの発見。蝮草の実との事、驚きです。
 雨の中正門へと移動。かたく閉ざされた大きな門、海まで続く一本の急な坂道、修道士たちは何をしているのかと思いを馳せました。
 外人墓地へ移動、一通り歩き四阿に入り烏賊舟や大型船を眺めてから喫茶店へ。温かいロシアンティで人心地ついて今日の吟行はこれまでです。
 ホテルに着き、雨に冷えた身体にお風呂を頂き至福の時間でした。夕食後第二回の句会。
秋潮にすとんと落つる裾野かな  数方
火の山に山の重なる初紅葉 津矢子
箒茸ルルドへ祈りの磴のぼる 野歩女
杉林によつきと蝮草は実に 琴美
 十月三日(土)昨日の雨は句を詠むため神からの賜物であった気がします。今日は一転秋晴れ。朝食前に朝市へ。観光客も多く楽しい散策、唐黍を分け合って食べながら、生簀の中で立泳ぎしている烏賊、鮭や蟹等々朝市の活気をそのまゝ持ち帰り、朝食後は第三回の句会。
 電車で大会会場の花菱ホテルへ移動。大きな看板に圧倒されながらロビーへ。中庭の百日紅が歓迎してくれました。受付を済ませ次の吟行地「香雪園」にタクシーで向かう。
 雪の中に梅香る園ということでこの名が付いたとの事。又篤志家が私財を投じて代々守っているという庭園でもあります。百年以上経っている樹々の太さと高さに圧倒されました。赤松が青天まで峙つ光景は見る者を無へと運んでくれます。雲の流れと共に園内をゆっくり散策。尺取虫の行き先を案じ、栗を拾い、五十雀が来てくれ、まさしく「小鳥来る」です。
 ビジターセンター前の杉の大木の丸椅子と、一枚仕立ての分厚いテーブルで第四回の句会。
秋澄むや買ふあてもなき朝の市 野歩女
色鳥や朝一番の電車発つ 津矢子
団栗も栗もたはたは栗鼠来たる 琴美
豪商の蔵の復元小鳥来る 数方
 ホテルへ戻り、さあ投句の用意。初日は三句です。嬉しくて嬉しくて多弁になりました。句を作れなかったらどうしようと不安いっぱいでしたから、何とか投句できる句があり目標達成です。万歳!皆さんに感謝!
 その後、数方さん、津矢子さんは披講や句会係の打ち合わせやお仕事に。私は野歩女さんと投句係を一緒にさせて頂きました。
 午後四時より総会、六時半より懇親会。選者席は決まっており、津矢子さんと野歩女さんのテーブルに坐らせて頂きました。皆さんは一年振りの再会、椅子の温まることのない程飛び回っていました。私は隣の栃木県の方とお話させて頂き楽しい時間でした。初参加という事で野歩女さんが主宰はじめ先生方に紹介して下さいました。
 初日最後のイベントは希望者のみ夜景見学。雨上りの空には満月、絶好の夜景日和、私は句になりませんでしたが、皆さんは俳人でした。
 十月四日(日)早知さん、布佐子さんも合流、鹿沼の田原桂子さんもお誘いして立待岬、碧血碑への吟行でした。谷地頭小・中学校出身という地元のタクシー運転手さんの、子供の頃の函館の話も聞かせて貰い楽しかったです。ホテルに戻って第五回句会。
 記念写真、式典と続き、句会の前には机上に初日の句のプリントが配られていました。四百句もあり、読み応えがありました。披講の時間となり、入選特選が次々発表され拍手、拍手。すばらしい!選評で仁尾主宰が「特選は大会の華」と仰しゃっておられたのがとても印象に残りました。
 星田一草先生特選に
 秋雨の音の他なしトラピスト 津矢子
 懇親会の余興では、世界の蜷川も負けそうな旭川の吉川紀子さん演出で「ベルサイユの薔薇」配役も衣装も決まっており、文明堂のコマーシャル替え歌「俳句は一番、投句は二番、三時のおやつは特選よ」を何人か背中に貼りカンカン踊りをしました。楽しさ最高潮でお開きとなりました。
 十月五日(月)野歩女さん、数方さんは代表選、津矢子さん、布佐子さん、早知さんは句会係に。私は栃木県の方々と散策です。河口近くで鯎の大群を眺め、津軽下北半島、函館山もはっきり見えました。「函館山は昔の人は象を見た事がないから臥牛山と名付けたけど、あれは臥象山だね。」との言葉に大笑い。言われてみると象にそっくり。帰りは浜菊、野ばらの実、初鴨に出合いました。
 句会の披講、選評も時間通り終り、最後は万歳三唱。来年は浜松での大会です。又お会いしましょう。帰りは布佐子さん、早知さんも一緒でした。
 アイヌ名の駅のつづきし草紅葉 布佐子
 秋雨のホテルの聖書開きけり
 新聞に秋烏賊包みお裾分け 早知
 臥牛山声の明るき小鳥来る
 鐘楼のひもに秋風触れてをり 桂子
 秋汐の色変りをり魚群かも
 出会った多くの皆さんに感謝いたします。



碧 血 碑
(士別)小林布佐子
 全国大会に参加するようになって何年経つだろう。数えて九回目になるが、今年は我が北海道での開催とあってひときわ心待ちにしていた。ところが私は事情ができて初日の参加を断念。二日目からの参加となり、初日の夜行列車に乗って駆けつけることにした。
 そんな経緯で、士別から函館まで私はひとりで六時間の夜行列車の旅をすることになった。列車に飛び乗った瞬間の開放感、「さあ、大会へ!」という胸の高鳴りはいつもながら不思議な感覚だ。日常を離れることで、頭が異次元空間に入ってしまう。しかも夜行列車となれば、銀河鉄道さながらの夢の世界であった。車内は混み合うこともなく静かで、乗客のそれぞれが読書の秋を楽しんでいる。闇の中を列車だけが煌々と灯って一本の光となってすり抜けてゆく。やっぱり進路は空へ向かっているのではないかと、ひとり錯覚にとらわれそうになる。俳句をやっていて良かったという想いが幾たびも湧いてきた。
 二十三時、終着の函館駅へ。鉄路がふっつり切れているのを見て、「終着駅」という感慨に浸る。駅舎を出て歩き出し、旅鞄をころころ転がしながらビジネスホテルへ入った。
 次の朝は六時に起きて、有名な朝市へと向かう。どの店からも活きのいい声がかかって清々しい。誘われるままに一軒の食堂へ入り、蟹汁つきの海鮮丼をいただく。市場では、浜ことばのお姉さんに勧められるままに「早煮昆布」「昆布飴」をまとめ買いしてしまう。得したような損したような…。旅鞄は早くもパンパンになってしまった。
 その足で路面電車に乗り込む。朝陽を眩しみながら街並を眺め、句帳とにらめっこしていたら「湯の川温泉です」のアナウンスとともに停車。ハッとして降り口へ走り、あわてて料金表を確かめる。
 花びしホテルに着いたあとは、懐かしい人に次々と出会い、仲間と合流し、こんどは「白魚火の宇宙」に入り込む。句の師、句の友と過ごす時間はすばらしい。仲間と吟行に出かけたのは立待岬と碧血碑。「碧血碑」とは土方歳三の眠るところで、碑文によると『正義の血は碧い』のだそうだ。では俳句の血は何色だろうと、ふと思った。こんなにも私を惹きつけてやまないもの。日本人の底流にある感性のひびき。どんな色にも素直に染まる透明な血潮にリセットしてから対象を見つめたらよいのではないか。自分に流れる俳句の血を無色透明に切り替える瞬発力が欲しい。
 帰りの電車では仲間と俳句談義に花を咲かせて、笑顔でお別れ。何とも浮世離れの三日間であった。函館のみなさん、ありがとう。全国大会バンザイ!
 錦秋やふくらんでゐる旅鞄布佐子 


函館の月
(広島)大隈ひろみ
 函館空港に着いたのは六時を少し過ぎていた。小雨の中、ホテル花菱に入った私たちは早速夕食をとることにした。予約をしていなかったのだが、レストランで供された料理は、リーズナブルな料金であったにもかかわらず前菜からデザートまで、とても美味だった。さすが函館、とみんな満足顔である。さて、この後の時間を無駄にするわけにはいかない。聞けば函館山への観光バスがホテルに迎えに来るとのこと、天候に不安を感じつつ、とにかく行ってみようということになった。いざバスに乗り込んでみると、今夜の乗客は我々六人のみ。ライトアップされた摩周丸や教会を車窓に見てバスはやがて深い霧の中へ。山頂に着くと、展望台は四方厚い霧に閉ざされ、全く眺望はきかなかった。途中二合目の木々の間から、一瞬、夜景を見ることができたのがせめてもの慰めであった。
 大会初日はきれいな秋晴れ。出口さん夫妻と合流した私たちは立待岬から函館市内を精力的に回った。ホテルに戻り、総会が始まる。広島からは源伸枝さんが同人賞の表彰を受けられ、私たちまで誇らしい気持ちで一杯になった。一日目の出句をすませてやれやれという時、中村さんが「懇親会までに五稜郭へ行って来よう。」と言うので、夕闇が迫る中、私たちは電停に急いだ。五稜郭に着くと、折りしも一の橋の奥、松林の上に大きな月が昇ってきた。しばし言葉もなく見とれてしまった。しかし、ゆっくりはできない。大慌てでホテルへ帰ったのであるが、すでに懇親会会場では、みなさん席に着いておられる。それぞれ空いた所へ案内していただいたのだが、何と私は仁尾主宰のお隣に座らせていただくこととなった。恥ずかしさに冷や汗が出てくる。それでも主宰は私に親しくお言葉を掛けてくださった。お言葉の端々に主宰の優しさ、温かさを感じる。この時のことは、私にとって今大会での何にもまさる思い出となった。懇親会終了後、多くの方がバスで函館山へ向かわれたが、昨日バスに乗った私たちは海へと歩いた。瀬戸内海とは違う力強い波の音が聞こえてくる。広く澄みきった函館の空に、まさに「隈なき」月。波頭が月光に照らされ、ますます白い。今まで見た中で、最も美しい月だ、と私は思った。これを句に表現できない私の力量の無さを残念に思うばかりである。
 二日目は改めて五稜郭を訪れ、タワーからの見事な眺めを楽しんだ後、ホテルに戻り、出句の時間まで、頭をひねる、捻る。
 渡邉春枝さんはおっしゃる。「全国大会へ一回出席するとね、平素の句会の三年分に当たるほど勉強になるのよ。」句材を求めてひたすら歩く。時間の制約の中で句を仕上げる。代表者選の披講では、みなさんのすばらしい俳句がシャワーのように降り注いでくる。そして、仁尾主宰の的確にして明快なる選評。とても深いことを私たちにもわかりやすく話してくださる。
 私にとって三回目の全国大会となるこの函館大会でも、私は実に多くのことを教えられた。自分の未熟さを改めて痛感し、もっと学びたいという思いを強くしながら、私は大会最後の万歳三唱に加わった。
 流れるように進行した大会日程であるが、私たちの見えないところで長期間、周到なる準備をし、三日間全精力を傾けて、大会運営に当たってくださった皆様に、心より感謝を申し上げて、大会記の結びとしたい。
 本当にありがとうございました。



イクラご飯
(群馬)町田 宏
  はるか先の事と思っていた全国大会が足早に迫る。キップも手許に届き、旅の準備は整った。
 セーターを持つか持たぬか明日は旅 吉村道子
 待宵や句帳一つの旅用意 櫻井三枝
北海道はもう寒いんじゃないか、こんな心配をよそに降り立った函館空港は、青木副主宰よりいただいた大会案内状にもあった通り穏やかな秋の陽が、そして心地よい風が我々一行を迎えてくれた。
 さはやかな北の大地に降り立てり 金井透穂
 しかしこの案内状の行間に、あるすばらしい仕掛けがちりばめられていた事は後になって知る処となる。
 開会迄寸暇を惜しんで吟行に出掛ける。
そして向かった先の修道院は、その昔訪ねた時と変わらず、秋風の中静かな佇まいを見せてくれた。
 教会の午後の讃美歌秋深む 三上美知子
 圧巻は大会初日の夜に設営されていた。
それは歓迎の宴の後、副主宰肝煎で、函館山での夜景と満月に迎えられた事であった。
 函館山に向う車内の灯は消され、幻想的な百万弗の夜景が右に左に展がる、宴の酔いも加わって慣性の法則のおもむくままに身を委せる、同じ道に精進する友と満月と夜景のコラボレーションは、一年に一度いや一生に一度の忘れられぬ夜の巡り合いとなった。
 ほろ酔うて函館山へ月を見に 竹元抽彩
 名月に一歩近づく山の上 鈴木ヒサ
 バスのガイド嬢がくり返し乗車バスの番号を確認させていたが、約束の時間になって駐車場に戻って来て納得した。これ程の数のバスが山頂の駐車場にひしめいていたとは。
 名月を置き去りにして山下るる 渡部美知子
 北海道は寒いだろう、一枚余計に羽織って行こうか、こんな心配が少し丈役に立ったのは、これから迎える厳しいシベリヤからの北風をちょっぴり感じさせた、ここ函館山でほろ酔の頬をなでた夜風であった。
 色変へぬ松亭々と五稜郭 出口廣志
 お世話になったタクシーの運転手さん、客の我儘に、道順よくかつ軽妙な話術で見えない処まで案内してくれる。車内は笑いあり感動ありの賑やかな道行となる。
 どの坂もよき名がついて秋うらら 吉田智子
 散策の途中立寄った蔵造りの店のあたたかいコーヒーのもてなしも心に残る。
 一位の実ふふみて歩く北の街 野田弘子
 パチリと撮った写真の遠景にかつてあこがれの地北海道に誘ってくれた青函連絡船が、今は港に海の記念館として繋留されていた。
 黒船の着きし港を鳥渡る 大石ひろ女
 函館のすぐれた素材を名シェフのバスのガイドさん、タクシーの運転手さん方の腕によりをかけた案内により函館がより一層好きになりました。
 想い出となりし函館冬近し
 群馬は今、利根川の氾濫防止と首都圏の水がめとしての八ツ場ダム建設中止でゆれています。そんな情況の中会員一同全国の誌友に伍して句の道に精進して行きます。
 北海道白魚火の皆さん、仁尾主宰始め本部の先生方、それからそれから多くの句友に、感謝感謝、函館白魚火推奨のイクラご飯に腹鼓を打ち、再会を約し全国に散った句友の皆さん、三年後五年後立派な鮭になって相まみえる日のある事を念じつつ、参加してよかった、そして楽しかった函館大会の記とします。



函館大会に参加して
(栃木)小川惠子
 楽しみにしていた函館大会の前日より、都紀女さんの綿密な計画のもと、静枝さん、揚子さん、惠子の四人組の旅が始まった。
 海峡トンネルを抜けての夜行寝台という始めての体験に胸がときめき、眠られぬ長い夜となった。早朝函館に到着。『腹が空いては戦は出来ぬ』とばかり、早速荷物をコインロッカーに預け、駅前の朝市に直行した。名物の烏賊、帆立等のお刺身に潮の香の味噌汁をしっかりお腹に納めてから、威勢のいい声の飛び交う魚市場の中を吟行開始。水槽の中を窮屈そうに泳ぐ烏賊、秤に乗せられじたばたしている蟹に見惚れて句作りを忘れるほどだった。また市場の片隅では十五夜用の芒や萩などの秋草が売られており、今夜は名月が見られますようにと祈るばかりだった。
 真四角に括られ蟹の売られをり
 次にタクシーで立待岬に向かう。岬は思った通り風が強く、崖にしがみつくように浜菊が白い花を震わせ、名残の玫瑰の実がじっと風に耐えていた。また、ここには啄木一族の墓や与謝野寛・晶子の歌碑もあった。
 玫瑰の実となる丘の比翼歌碑
 岬を下る途中昨日の雨でぬかるみになった山道を少し登り、碧血碑(旧幕府軍の戦死者の慰霊碑)に立ち寄った。碧血とは義に殉じて流した武人の血は三年経つと碧色になるという故事に由来するもので、明治維新の若き志士達に思いを廻らせ、しばし吹き渡る松籟に耳を傾けた。
 残る蚊に待ち伏せさるる碧血碑
 次に外国人墓地、ハリストス正教会そして石畳の坂道を港まで散歩。午後はトラピスチヌ修道院を訪ねたあと受付時間も間近になってきたのでホテルに入る。
 当日の前夜祭は早めに切り上げ、世界三大夜景の一つである函館山へバス三台を連ねて出発した。ガイド嬢の話によれば昨夜は霧で何も見えなかったとか。今夜は最高の夜景が見られるとのこと。バスの中は灯を消して暗い山道を登って行く。木々の間より街の灯が次第に浮き上がり、これから展望台で見る夜景に益々期待が高まってきた。展望台に到着。月は天心にあくまでも青白く、その光は海を白銀色に浮き立たせていた。下界に目をやると街の灯が黒ビロードのドレスの上に銀河の星を撒き散らしたように瞬いており、言葉にならないほど素晴らしい眺めだった。
 夢色の函館山の良夜かな
 翌日は残しておいた五稜郭を吟行し、たっぷりと函館の秋を満喫させてもらった。
 二日目の懇親会の終わりに全員で輪になって日光和楽踊りを踊った時、正に白魚火誌友の心が一つになった思いに胸がいっぱいになった。そして名残を惜しみつつ来年の浜松での再会を誓った。
 最後に大会の運営に携われた皆様に心よりお礼を申し上げます。


函館吟行記
(松江)竹元抽彩
1、はじめに
 十月二日(金)から五日(月)まで、前泊を含めた全国白魚火俳句函館大会の三泊四日の印象を吟行を通して書かせて貰った。従って大会行事内容については他の人の大会記に譲って、主に他県白魚火句友との交流を書いた。個人名をご容赦願いたい。
 出雲空港出発以後帰着まで団体行動でお世話になった、言わば身内の句友の事は極力省略した。
2、十月二日(金)
 秋霖にけぶる空港出雲発抽 彩
 午前十時三十五分発東京行きで飛び立った。島根県からの参加者は、安食彰彦編集長、山根仙花、小林梨花曙同人。武永江邨、上川みゆき、寺澤朝子、福村ミサ子、梶川裕子鳥雲同人。みづうみ秀作賞三上美知子以下二十一名は同じ飛行機に同乗した。
 雨雲の上空一万米を超えると、下方は真っ白な一面の雲。見渡す限りの雲平線…。上空は日射の強い真っ青な宇宙…。飛行は快適だった。
 雲の上飛び秋天のまさをなる 抽彩
 東京羽田空港を経由して一飛び函館空港へ…。函館市街を見下して低空飛行、左手に星形の五稜郭の堀とタワーを見て午後二時過ぎ無事到着。
 着陸の機窓をよぎる秋岬 寺澤朝子
 一歩踏む北の大地の北の秋 抽彩
 雨になりそうな空模様の中、迎えの観光バスに乗り函館市内へ。始めに向った吟行先はトラピスチヌ修道院(女子修道院)。戒律が厳しいらしく修道女の姿には逢えなかった。マリア像を見て雨は本降りになった。世情と隔離する如く建物の蔦と一位の赤い実が印象に残った。ガイドさん曰く「一位はアイヌ語で(おんこ)」。
 一位の実戒律厳しき門くぐる 武永江邨
 味見せるトラピスチヌのおんこの実 福村ミサ子
 蔦紅葉修道院に似つかはし 抽彩
 次に函館市街元町界隈を吟行。バスガイドの説明を聞きながら傘を差して教会群を見て回った。カトリック元町教会で、仁尾正文主宰、上村均さん一行。鈴木三都夫同人会長一行と出逢い、懐かしい面々との再会にそれぞれの話が弾んだ。
 秋雨や再会の笑み傘にあり 抽彩
 我々はそこから又別行動。石畳の大三坂は、ななかまどの街路樹が続き、湾岸まで急坂で見下ろす「日本の道百選」の名所。その先の急坂「チャチャ登り」に続く。「チャチャ」とはアイヌ語で「おじいさん」の意。急な登りのため背を丸めた、おじいさんの姿になるところから付いた。「おばあさんは何んと呼ぶ…?」と聞くと、ガイドさん曰く「ジヤジヤ」。
 大三坂チヤチヤ上りして秋暑し 抽彩
 十月の北海道函館は私達が訪れた日は想像を超える暑さで、急坂を歩くと汗を掻いた。
 湾岸から函館山の麓に形成された、弥生町、元町、青柳町は、こうした急坂が二十ばかりある。その中でも八幡坂の海を見下ろす景観は一見の価値あり。
 ななかまど函館街をかたむけて 安食彰彦
 どの坂も海見ゆる坂秋の雨 山根仙花
 それぞれの名を持つ坂や秋深き 福村ミサ子
 島根に住む我々にすると、東に位置する函館の日暮れは早い、夕暮れ霧の晴れるのを待ってバスで函館山に上った。五合目、七合目で世界三大夜景の一つと言われる函館街の灯に歓声をあげながら頂上に着いたが、再び霧が出て街の視界はゼロ。反対側の津軽海峡の烏賊釣の漁火を見ながら霧の晴れるのを待った。
 たちまちに山頂隠す霧襖 寺澤朝子
 霧籠の函館山頂身じろがず 小林梨花
 夜景観る函館山に冷ゆるまで 抽彩
 霧の流れの中に垣間見えた街の夜景も亦良し、すっかり冷え切って宿の函館国際ホテルに直行団体行動としての一日を終えた。
 夕食は自由行動と言うことなので、私は函館の夜を飲みたくて一人ホテルを出て約五百米のところにある「金森赤レンガ倉庫群」を先に見物することにした。湾岸にある赤レンガ倉庫群は、潮の香が漂い、夜霧してチチロ虫が弱々しく鳴いていた。まるで映画の夜霧のシーンの主人公になった気分で、なにやら異国情緒を満喫した。
 郷愁や煉瓦倉庫は夜霧して 抽彩
 そこから引返し函館駅近くの居酒屋に入り取りあえず生ビールを注文した。他に客はなく店の若い女性が二人気軽に話しかけてくれた。店のお勧めの烏賊の活造りを注文すると、水槽から生きた烏賊を目の前で調理してくれた。動いている足の吸盤が舌に吸い付く食感で、歯切れも良く美味かった。驚いたのは肝臓をぶつ切りにした生食が、生海胆に劣らぬほど美味だったこと。ビールのお代りに後は藷焼酎とアルコールも進んだ。
 烏賊の味思い出にして北の秋 抽彩
 追加で食べた海鞘の刺身、冷奴イクラも絶品で函館の食を満喫してホテルに帰った。
 明日は中秋の名月でもある。晴天を祈ってベッドに入る、ホテルの窓からは雨で待宵の月は見えない。
 旅枕明日の名月夢に出て 抽彩
3
、十月三日 (土)
 朝四時半起床。早く暮れる分夜明けは早い。風呂に入り午前五時過ぎホテルを出て約三百米の所にある函館朝市を見物。朝食は朝市の食堂で食べる様にホテルから食券を貰っている。島根の同僚とは途中で離れて気儘な単独行動。朝市の海産物は思った以上に高価であったが、秋刀魚は箱売が二千五百円前後、肌艶の良い青光りした大型の秋刀魚が二十匹ぐらい入っていて、その中で一際大きな丸々肥ったのが目に付いた。
 その中にメタボの秋刀魚朝の市抽 彩
 さすが北海道、こんな秋刀魚は初めて見た。メタボの言葉を使っても最大級の賛辞である。朝市では多くの句友に出合った。北海道の坂本タカ女、平間純一さん一行、懐しい顔に親しくご挨拶させて頂いた。浜松、磐田の皆様、又今年の京都吟行句会で顔馴染みになれた、加茂都紀女、野沢建代さんにも親しく声を掛けて頂いた。朝食に入った食堂では偶然に鹿沼の斉藤都、高島文江さんに会い、同席させて貰い同じ海鮮丼を美味しく食べながら親しく会話させて頂いた。
 ホテルに帰ってすぐ午前八時出発の観光バスで吟行に向かった。本日願い通りの快晴、先ず向かった先は大沼国定公園。駒ヶ岳の火山噴火で堰止められて出来た湖で、大沼、小沼、じゅんさい沼からなる。大小百を超える島が浮かび木々は薄紅葉に色付き、背景は空を突き刺す如く聳える駒ヶ岳を望む絶景である。観光船に乗り作句に取り組んだが名勝の地は未熟な私には気に入った句にならない。
 秋雲に突き刺りたる駒ヶ岳 安食彰彦
 紅葉せる島浮き上がる大沼湖 武永江邨
 さすが両先生の句、思い出として共有させて頂く。
 再び函館市街地に戻り、星形の堀を巡らせた五稜郭を見物。日本唯一の洋式城郭だが、大名の住む城ではなく箱館奉行所の庁舎とのこと。ここでは栃木の鶴見一石子先生一行、佐賀の小浜史都女、大石ひろ女さんとも出合った。大会ではどんな俳句を見せて頂けるか楽しみだ。五稜郭タワーで一番の人気は土方歳三の銅像。余りの男前と言うことで頬を撫でられたり、一緒に写真に納まったりで、女性達には時空を超えたロマンを感じられた様だ。
 昼食は朝市の場所で自由行動。寿司を摘む者、海鮮丼、ラーメン、生ビール等々一時間を楽しんだ。
 午後は立待岬。ロマンチックな名前であるが魚が来るのを立って待った見張場所に名が付いたものとのこと、イメージは違ったが岬の景観は雄大で、おりからの風に潮の香が吹き上って来た。
 玫瑰の実をふふみ立つ岬の端 山根仙花
 蝦夷野菊ふかるる風の岬かな 福村ミサ子
 帰路は歌人石川啄木一族の墓所をバス車内から右手に拝み市街地末広町に戻り最後の自由行動。金森赤レンガ倉庫群近辺を吟行して夜と又違った趣きを味わった。昨日と変わって晴天で真夏日を思わせ、アイスクリーム片手に歩く姿も見られた。
 そこから大会会場の湯の川温泉「花びしホテル」に直行、午後三時に到着した。
 ゆったりとした和室で二泊を山根仙花先生と同宿することとなったが、後になって考えると、暇を見ては句帳を開いて書いている先生の静かな背中を見せて頂いたのは私にとって何よりの勉強になった。
 午後四時から白魚火総会の会場へ。本大会の私の目的の一つは全国句友の皆様に顔と名前を知って貰うこと。最前列の席に陣取った。昨年の地元松江大会でお世話になった青木華都子行事部長、柴山要作副行事部長、地元函館今井星女さんにご挨拶申し上げた。
 総会に続き前夜祭の模様は他の人の文章に譲るが、今年の同人賞広島の源伸枝さんと同席になったのは幸運だった。
 今宵は中秋の名月。前夜祭終了後ホテルからバスが出て希望者を函館山に運んだ。山頂での名月と函館夜景の見物は雲もなく函館観光の最大の贅と言える。
 ほろ酔うて函館山へ月を見に 抽彩
 充実した一日の疲れを湯に流して眠る。
4、十月四日 (日)
 朝食はバイキング。私はイクラ丼、烏賊塩辛、生野菜を主にたっぷりと腹拵えをした。午前八時自由吟行で皆三三五五ホテルを出て行った。私は徒歩で単独行動、晴天で風が気持良い。湯の川温泉のホテル街から海岸に出て、立待岬及び本土の遠望を楽しんだ。散策して市立体育館のある公園で噴水を見ながらメタセコイヤ(杉科)の葉蔭のベンチに座り缶ビールで涼を取った。
 秋日濃しメタセコイヤの蔭に入る抽 彩
 午前十一時四十分から写真撮影、昼食、式典、披講と予定通り進行した。
 私は最前列の席で浜松の新鋭林浩世さんの隣に座った。運良く特選短冊二つと安食彰彦副主宰の俳句揮毫の扇子を頂き、これ又特選短冊を貰われた隣席の浩世さんと喜び合った。本日の注目の一句。
 霧の函館忍び逢ひなどしてみたし 出口サツエ(広島)
 「しのび逢う恋をつつむ夜霧よ…」言わずと知れた石原裕次郎「夜霧よ今夜も有難とう」の名曲。昭和九年生れの裕次郎は生誕七十五歳。我々七十代の者には、正に青春真っ只中。「胸キュン」の思い出の一つや二つは持っている。函館はそんな思い出の募る霧の港町…。仁尾主宰他多くの選者の特選となり会場をアッと言わせた一句であった。
 今夜の懇親会は平素尊敬している広島の酒豪出口廣志氏をお誘いして、同人会長鈴木三都夫、白光集選者白岩敏秀先生のテーブルに同席した。一席空いていたので、席を捜しておられた白魚火のスター俳人村上尚子さんを強引にお誘いして座って貰った。隣のテーブルは舞台に向って左に仁尾正文主宰、安食彰彦副主宰。右のテーブルには曙同人小浜史都女、鳥雲同人大石ひろ女さん…。最良の席で皆様のお話しを聞きながら楽しい酒を飲んだ。
 終了後はホテル一階のラウンジに集合、青木華都子先生の肝入りで二次会。仁尾正文主宰、安食彰彦副主宰、鈴木三都夫同人会長、白岩敏秀白光集選者、白魚火ホームページ開設の大城信昭、白魚火賞の大村泰子、みづうみ秀作賞の鈴木敬子、司会役の柴山要作氏以下二十名余りが参加して盛り上った。割勘の予定を「今夜は私の奢り」と青木華都子先生。皆で思わぬ恩を受けて仕舞った。「その折は有難うございました。」
5、十月五日 (月)
 朝食は今日もバイキング、すっかり顔馴染みとなった句友と気持の良い挨拶を交わしながら自分の好みを選んで食べる食材を楽しんだ。大会も今日が最終日。裏方さんの御蔭で予定より早目に進行して披講の運びとなった。各選者の特選が読み上げられると拍手と喚声が上った。私も運良く「ほろ酔」の句で特選を頂いた。今日の一番人気は、昨日「忍び逢ひ」の句で会場を沸かせた広島出口サツエ様の御主人出口廣志氏。選者特選を一人総嘗された感があった。氏とは前夜の懇親会で同席一緒にたっぷりお酒を飲んだ仲でもあり、自分のことの様に嬉しく心から拍手を送った。
 大会終了後は会場で一緒に昼食を取り、三三五五の散会となった。私達は午後一時半のバスで空港に向かい、東京羽田を経由して午後七時五十分無事出雲空港に到着解散したが、函館空港ではホテルで別れたはずの鈴木同人会長一行、鳥雲同人坂下昇子、横田じゅんこさん一行、朝市の食堂で同席した鹿沼の斉藤都、高島文江さんと再会、待ち時間をゆっくりお話して羽田まで同じ飛行機に乗った。来年の浜松大会での再会を約束して…。
6、おわりに
 今回の函館行きは、地元白魚火ファミリー団体のツアーを組んで頂いた、安食彰彦編集長と久家希世さんに負うところが大変大きかった。和気藹々の団体行動と函館は期待以上に行って良かった素晴らしい街であり、良い思い出を沢山貰った全国俳句大会であった。改めて関係者の皆様に深く厚くお礼申し上げる。
 本大会では仁尾正文主宰の「俳句は多作から」のお話が印象に残った。来年の浜松大会のスター目指して多作の精神で頑張りたいと念じている。


「全国大会に参加して」
(静岡)山本康恵
 静岡白魚火会からは十七名の参加でした。貸切りバスで早朝五時出発、大雨予報も心配なく羽田空港着は予定通りの九時三十分でしたが、航空便の遅れから函館着は十三時となりました。
 空港からは予約バスで一日目の吟行地「トラピスチヌ修道院」へ。街路樹もすっかり秋の気配で異国情緒の爽やかな苑内を一時間ほど散策。いよいよ全国大会が始まったことを実感した緊張の一時間でした。
 一位の実ふふめば甘き旅情かな 三都夫
 秋の蝶修道院に刻惜しむひろ子
 秋気澄む諸手広げしマリア像 康恵
次の吟行地は大森浜「啄木公園」へ。三都夫先生から一都先生が現地で詠まれた句を元に吟行句についての御指導を受けながらの約一時間、啄木像に、真っ赤に色付いた玫瑰の実に、一握の砂に、想ひを巡らせました。
(玫瑰の香や啄木の砂踏めば) (一都)
 啄木像後ろ姿の秋思かな 三都夫
 秋惜しむ啄木の砂手にとりて 昇子
 啄木の浜の玫瑰実となんぬ すみ代
 啄木の像にもたれて秋惜しむ 喜代
 浜菊の白を尽して残り花 康恵
 ホテル着十五時、受付けをすませて部屋へ、総会までの約一時間を落着く間もなく投句に焦る。総会のあと始めて寛いだ気持で部屋へ戻って空を眺めるとお目当ての名月が目の前に、今夜の月見に心が躍ります。夕食懇親会を早々にすませて函館山へ。
 天心の月下に展べし夜景の灯 三都夫
 望の月次第に色を見せにけり 喜代
 名月に一歩近づく山の上 ヒサ
 満月の函館山の小賑ひ 康恵
 名月と夜景の美しさを堪能し、余韻を残してホテルに戻ると宿の中庭がライトアップされロビーには月見の供物が三方に盛られ、その心遣いに心が和みました。
 中庭の芒そのまま月の供華 ひろ子
 灯を消して障子明りの良夜かな 康恵
 二日目の吟行は小雨のぱらつく中、外人墓地、ハリストス正教会等周辺を嘱目、御案内は勿論三都夫先生、いつしか雨も止み雨傘も秋日傘に変わって絶好の吟行日和。ここでも一都先生が詠まれた句の解説を伺いました。
 クルス墓マーガレットの上に海 一都
 虹梁に彫る波涼し岬寺 〃 
 嘱目吟は「よく観察すること」「発見のあること」「季題を効かすこと」等を先師の句から学ばせていただきました。
 やがて来る雪の岬に遊女の碑 三都夫
 草の露行年二才のクルス墓 昇子
 末枯れの丘にヤコフの寝墓かな 弘 一
 色鳥に小窓開きて朝のミサ康 恵
 楽しくも緊張の二泊三日でした。句会は真剣勝負の場、参加者一人一人の個性や、自分と違ふ視点感覚、表現方法、等々沢山なことを学ぶことが出来ましたし、全国大会という不思議な魅力に憑れた思いもいたしました。
 函館という開催地の素晴らしさと、迎えて下さいました地元の方々の行き届いたお心遣いにあらためて感謝申し上げます。



函館一日目
(浜松)林 浩世
 リュック姿で円坐B句会の仲間の宇於崎桂子さんと晴天の函館空港に降り立ってから、慌しくも楽しい白魚火全国大会が始まった。大きく広がる青空にこれからの三日間への期待が膨らむ。
 栗田幸雄さんと待合わせをした駅で、若い修道女が通り過ぎていかれたのが、函館らしいと思われ、なんだかわくわくする。
 秋風に吹かれて若き修道女 浩世
 まず、栗田さんお薦めのワンコインバスで旧函館区公会堂へ。明治時代の俤を濃く残しており、函館港を見下ろす絶好のロケーションのバルコニー、ダンスパーティーをしたであろう広間と、少々ハイカラさん気分。
 函館はあまり大きな街ではないので、三人でゆっくりと歩いて回ることにし、たっぷりと秋を満喫した。沿道の木々も北国にやって来たのだなと思わせる樹種で、いちいの実は一粒ずつかわいらしく生っており、ななかまどの鮮やかな赤い実が青空に映えている。蔦はところどころ燃えるような赤さで、建物を彩っているし、草花も美しい。すれ違う人はみな旅人のようだ。
 秋薔薇の美しい旧イギリス領事館では、ティータイムとし、イギリス風のお茶を楽しんだ。
 ハリストス正教会までの道は車が一台ほどの秋の日のあふれる素敵な道だった。教会の建物は小さいのだが、一歩中に入るととても心打たれるものを感じた。信仰の厚い教会に自ずと頭が下がった。キリスト教についてあまり詳しくない私たちに、牧師の方は優しく教えてくださった。
 穏やかな牧師の声や蔦紅葉 桂子
 カトリック元町教会は抜けるような青空に教会の尖塔が鋭く延びていて、大きく、厳かな佇まいだった。懺悔室も片隅にあり、手ずれの聖書や讃美歌の本があった。木の椅子に少し腰を掛けてみた。
 聖ヨハネ教会はモダンな建物となっており、上から見ると十字架の形をしているそうだとか。受付の女性が温かく迎えてくださった。
 どこの教会も信者の方々の思いが息づいていると感じられ、今も深く心に残っている。
 一山の秋を深むるミサの鐘 幸雄
 夜の懇親会の後、皆でバスを連ねて函館山まで行くことになった。津軽海峡を照らす名月。振り返れば函館の素晴らしい夜景。後で聞いた所によると、当日の夜景は中々見られないほどの美しさだったとか。仲秋の名月と函館の街の夜景を楽しむという贅沢な体験を全国から集まった白魚火の皆様とできたということは、本当に嬉しい思い出となっている。
 句友みな肩を並ぶる良夜かな 浩世
 全国大会の楽しみは吟行だけでなく、誌上でしか知らない遠方の方々と知り合うことが出来ることだと思う。私にも少しずつ知りあいが増えてきた。お会いできることの嬉しさといったら! また、円坐B句会でご一緒で、現在佐賀のひひな句会に所属されている金原敬子さんにお会いできるのも全国大会だからこそ。
 楽しい三日間でした。お世話をしてくださった皆様、ありがとうございました。
 来年は浜松大会です。お待ちしております。



!の思い出
(出雲)渡部美知子
 全国大会への参加は今回で四度目。全日程をゆったりと楽しんで帰って来ました。
 思えば、初参加の時に何に一番驚いたかというと、白魚火誌友の熱気でした。再会を喜び合い、吟行と作句に集中し、入選句を讃え合い、懇親会では弾け、来年を約して別れる…。日常を離れた数日を、メリハリつけて楽しむ姿に圧倒されました。今回の函館大会もまさに熱気あふれる大会でした。
 初めに素敵な吟行句の思い出から―。大会前夜の函館山は濃い霧に包まれていました。世界三大夜景も今夜は無理かもしれないと、半ばあきらめつつ、皆でバスに乗り山頂へ向かいました。街を抜け山道へ入った途端、霧がうすく濃く流れ始め、バスは霧に誘われるように進んで行きました。
 その時ふと浮かんだのは、石原裕次郎が歌う“夜霧のしのびあい”…しのび逢う恋を~包む夜霧よ~知っているのか~ふたりの恋を…場所は違えど、こんな夜を歌ったんだろうなあなどと、一人甘い気分に浸った私。
 ところが山頂は人人人で、甘い気分は一蹴され、修学旅行の学生に混じって歩く内に裕次郎の歌はそれっきりになりました。時折霧の底に夜景が浮かび、その都度大きな喚声があがります。私は何とかして霧を詠もうと、その晩遅くまで霧と格闘しました。
 俳句大会当日、次々と読みあげられる入選句を聞きながら、次の一句に!
 霧の函館忍び逢ひなどしてみたし
 披講された瞬間、会場の雰囲気が一ぺんに和み、拍手が起こったのを覚えています。私も思わず拍手しました。格闘とは程遠いところから生まれた一句、と思いました。
 次は出会いの思い出です―。白魚火誌上で“美知子”と書く名の作者は確か四人。機会があれば自分と同じ名の作者に会いたいと思ってきました。
 今回その内の一人、三上美知子さんに会うことができたのです。しかも宿は同じ部屋でした。自己紹介してお互いに「あ!」と声をあげた次第。驚きが先になって、受賞のお祝いを言うのがあとになってしまいました。食事もお風呂も一緒という幸運な出会いを喜び、部屋では寺澤先生、上川先生、三上さんと四人、話が弾んで楽しい二晩をすごしました。
 誌上の作者に会えることは大会の楽しみの一つですが、声をかけるには勇気が必要で、気弱?な私はなかなか声がかけられません。今回もきちんと話せた人はわずかでした。それでも名札があるし、いろいろな場で作者を知ることはできます。いつか話してみたいと思う気持ちは、次の大会まで大切に残しておくことにします。
 大会準備に奔走された皆様、充実した三日間をありがとうございました。


季題との出会い
(三重名張)檜林弘一
 北海道には三年ほど駐在していた時期がある。俳句には全く縁のない頃であったが、函館の町には何かしら惹かれるものがあり度々訪れていた。そんなこともあり、当時の写真や、「函館物語」(辻仁成)等を顧みながら大会参加を心待ちにしていた。大会初日、空港着後JR函館駅前へ。三重からは単独参加だが、一人吟行に相応しい秋日和である。まずは駅前の海鮮市場内の見覚えのある飯屋で腹ごしらえをする。
  駅頭の飯屋かはらぬ鮭づくし 弘一 
 早速、山の手方面を散策しながら函館山を眺める。期待していた紅葉は、薄紅葉というにもまだ早い。感じるままの一句を初回代表選にて坂本タカ女先生に選をいただいた。
  ゆつくりと粧ふつもり臥牛山弘一 
 当夜は、おりしも仲秋の名月に巡りあう。鶴見一石子先生とバスに隣合い、函館山へ観月ツアーにでかけるが、山頂は予想以上の人出とかなりの冷込みである。函館の街灯り、漁火、名月を三点セットにしたこの景はまさに一期一会と思う。
  深秋の渡島の月と睦みけり 弘一 
 大会二日目は、鈴木三都夫先生率いる静岡白魚火会のバスに便乗させていただき吟行に出かける。函館山の裏手の外国人墓地は欧米露中の方々の墓地がある。函館に住み着いた神父、船で漂着した船員等、さまざまな人間ドラマがありそうである。ロシア人墓地の丘から見える海の遥か彼方には、この地で果てた人達の故郷があると思うと感慨深い。「足もて作る」という教えを実感する句材と出会う。
  末枯の丘にヤコフの寝墓かな 弘一 
 大会最終日、仁尾主宰から身に余る賞を頂戴した。今後の句作の糧にしていきたいと思う。大会終了後、「新たな句会の立ち上げを。まずは三人から。」という主宰からのちょっと重い宿題を背に帰途に着いた。
 大会参加のたびに確信することは、諸先生・先輩との交流が句作の無形の財産になっていることだ。「石中に火あり、打たずんば出でず」、火打石に例えて人の能力を引き出すためにはどうするか、ということに引き合いに出されるフレーズである。この「打つ」は、句作者の立場においては、対象・季題をよく見ること、感じることに通じていると思うが、一方、周囲の先生・諸先輩に「打たれ」、詩心が目覚めることにも通ずるのではないかと解釈する。来年においても、打つ場、打たれる場として大会に参加したいと考える次第である。
 最後に、大会開催に御尽力いただきました行事部の皆様、今井星女先生はじめとする函館白魚火会の皆様、大会成功の裏では並々ならぬご苦労をされたものと推察いたしました。厚く御礼を申しあげます。
  大会の余韻の少し寒露の夜 弘一 


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