最終更新日(Update)'09.10.31 | ||||||||||||||||
|
||||||||||||||||
|
|
|
(アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。) | |
季節の一句 清水和子 | |
「無党派」(近詠) 仁尾正文 | |
曙集・鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか | |
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載) 森山暢子、佐藤升子 ほか |
|
白光秀句 白岩敏秀 | |
現代俳句を読む 中山雅史 | |
句会報 出雲「JAふれあいの家句会」 | |
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載) 出口サツエ、後藤政春 ほか |
|
白魚火秀句 仁尾正文 |
|
季節の一句 |
|
(浜松) 清水和子 |
|
湯畑は草津のまほら新松子 竹内芳子 (平成二十年十二月号 白魚火集より) 日本三名泉の草津温泉は自然湧出量日本一。そして日本有数の酸性度で雑菌などの消毒作用は抜群とのこと。その上、源泉掛け流しの宿が多いということで人気のある温泉地である。湯畑は、その中心にあり草津温泉のシンボルとなっている。高温の湯を冷気にさらし湯の花もとれる。 以前、湯畑からの実況中継の映像を見て、是非行きたいと思った温泉で、五年ほど前、念願かなって夫婦で行く予定を立てた。しかし数日前に夫が突然入院することとなりキャンセルした。その後は機会に恵まれず未だに実現していない。憧れの温泉ではある。 掲句は簡潔に草津を表現し、まほらという言葉からは作者の草津温泉に対する誇りが感じられる。座五の新松子は、緑色の締まった初々しさが上句を受けとめ清潔感がある。草津温泉への讃歌だ。 待宵や灯台の灯の回りそむ 鈴木三都夫 (平成二十年十二月号 鳥雲集より) 「御前崎」の表題がある。御前崎灯台は海岸から一気に急坂を登ったところにあり、長い海岸線のほとんどの場所から望むことができる。月の出を待つ未だ暮れきらない頃灯台に灯が点った。まもなく待宵の月が駿河湾の彼方に現れるだろうという一瞬の景。 今年の白魚火全国大会は、十月三日から三日間、函館、湯の川温泉で開催される。奇しくも三日は旧暦八月十五日。中秋の名月にあたる。湯の川の月は、やはり海から上るのだろうか。紅葉も美しいだろうし、できれば三日間快晴であって欲しい。 |
|
|
|
曙 集 | |
〔無鑑査同人 作品〕 | |
|
|
郷 宿 安食彰彦 宍道湖に嫁ヶ島置き夏料理 夏雲やまたロッキードグラマンか 海凪ぐややんまの止まる錆碇 玄関の黒き大梁昼の虫 虫喰ひの代官位牌白桔梗 秋海棠運上銀の飾らるる あきつ飛ぶ銀運上の革袋 地下蔵に蟹の置物ちちろ虫 送り梅雨 青木華都子 折りたたみ傘畳まずに送り梅雨 変装は幅広帽にサングラス 草清水あふるる寺の外厨 茂りにも濃淡のあり橡並木 公園のベンチに誰もゐぬ暑さ 対岸で変る町名ほととぎす 神杉にしがみつきたる蝉の殻 稲は穂に庭続きなる三世帯 夏 座 敷 白岩敏秀 烏賊釣火一途に沖を目指しをり 鬼灯の青き色買ふ誕生日 敷居よく磨かれてゐる夏座敷 蓮咲いて水の深さを隠しけり 雲の峰北へ流るる潮あり 千枚田力尽して田水沸く 水無月の音をつなぎて川流る 野の風に白のふくらむ捕虫網 |
観 世 音 坂本タカ女 ふらここや崩れては立つ虫柱 鳴いてゐる鳥なんの鳥さくらんぼ 手の届く高さなりけり朴の花 二階より犬降りてくる日永かな 陶房や千手涼しき観世音 峰雲やケースの中のトロンボーン 女将なる酒のソムリエ単帯 祭笛畦に長けたる余り苗 洛外旅吟 鈴木三都夫 木の暗に梅雨の暗さを加へたる 夏萩にしてその花の稚なき ここだ散り花も名残りの夏椿 滴りの侘に適へる庵かな 化野の賽の河原の道をしへ 梅雨の傘たためば杖の鞍馬口 たたなはる山々模糊と梅雨霧らふ 喉越しの六腑にしむる冷し飴 花 茗 荷 水鳥川弘宇 わが狭庭何もなけれど花茗荷 本降りとなりし茅の輪をくぐりけり 外人のちらりほらりと祇園祭 写生子に分捕られたる浜日傘 夏シャツの胸に躍れるスヌーピー ひと張りのキャンプなれども姦しき 世界ヨットレース終りし鱚を釣る 腰痛の牛歩歩きや梅雨深し 夜 の 秋 山根仙花 揃へ置く靴の先なる青野かな 向日葵の横顔ばかり海荒るる 夏帽の鍔ひらひらと渚ゆく 賽打つてしばらく滝を仰ぎけり 蝉の声湧き揃ひたる大樹かな わが影に躓きのぼる梅雨の磴 梅雨荒き鏡に今日の顔を剃る 膝に置く指のしたしき夜の秋 |
|
|
|
鳥雲集 | |
〔上席同人 作品〕 | |
一部のみ。 順次掲載 | |
|
|
てんとむし 関口都亦絵 くらがりの水のきらめき夏越の灯 神官につづき茅の輪をくぐりけり 麻の葉の青き匂ひの茅の輪かな 近づけば背ナより落つるてんとむし 合歓の花駆込み寺に投句箱 産院の朝のしづけさ花木槿 夜 の 秋 寺澤朝子 あるやうにあるがまま活け紫草 水音や彩り淡き川床料理 くずもちに僧につこりとされにけり 飛ぶさまに歳月ゆけり晩夏光 兵児帯のままに子の寝ね夜の秋 おはぐろの数ふる間にも数ふやす 駒 草 野口一秋 琅玕の渕に隠れし土用鮎 日盛りの砂風呂浴ぶる雀かな 羅に本家の衿恃自づから 駄駄つ子を寝かせつけたる遠花火 散歩する犬にも香水吹きかけし 駒草や御釜を覗く剣が峰 梅雨晴間 福村ミサ子 調教の白馬が駈くる梅雨晴間 この辺り標高六百田草引く 岳人の大きな靴に追越さる 登頂を果し笑顔の汗を拭く 白雨来と僧が取込む濯ぎ物 白南風や干物竿にコルセット |
白 南 風 松田千世子 夏の浜脚長美人闊歩して 白南風やウインドサーファーひた走る 波乗りの女もすなる宙返り 昼餉の座蝉のライブを浴びながら 年毎に渚狭まる月見草 鈴花の香に村中の寧らへる 風 蘭 三島玉絵 磯蟹の出入りの穴や潮日和 風蘭や宝篋印塔峡に古り 四ツ目菱尼子所縁の堂涼し 白妙の鷺の溺るる青田かな 眼鏡拭き目を拭き梅雨の深きかな 向き変へて坐る畳や夜の秋 青 蚊 帳 森山比呂志 青蚊帳に蛍放ちし頃のこと 僧涼し折目正しきものを着て 気配といふ涼しさのありにけり 今はなき商店の名の古団扇 夜神楽の灯がちらちらと禊川 神楽舞ふ神に夜食の蕎麦届く はまなす 今井星女 玫瑰や立待岬と人の云ふ 啄木の眠れる岬の実玫瑰 潮かをる岬の玫瑰実となんぬ はまなすの花の盛りに波しぶく 玫瑰を摘むためらひのありにけり 海峡は紺を深めて蝦夷黄菅 |
|
白魚火集 |
〔同人・会員作品〕 巻頭句 |
仁尾正文選 |
|
江田島 出口サツエ 牛蛙鳴くや隠り沼響ませて 白日傘まはして古稀を迎へけり 鴎外忌夫の書架より一書抜く 七十を子等に祝はる鱧の皮 人形浄瑠璃よよとくづるる晩夏かな 高松 後藤政春 山清水たぎるうどんの釜に差す 首筋に受くる滴り龍河洞 昼寝覚五体の有無を確かむる 訓練の犯人役のサングラス 棕櫚の葉の団扇で冷ます酢飯かな |
|
|
白魚火秀句 |
仁尾正文 |
当月英語ページへ |
|
七十を子等に祝はる鱧の皮 出口サツエ 「人生七十古来稀なり」と中国の李杜の時代にはいわれたが、昨年の日本人の平均寿命は女性が八六・五歳、男は七六・三歳であった。「七十は遊び盛りよ」という句もある位だから古稀の祝いは金婚式や米寿祝に比較にならぬ位軽い。 そうではあるが、歴史的にも七十は一つの節目。掲句は何人かの子やその家族に古稀を祝福されているのである。鱧は関西で喜ばれる料理であり、同掲作品からしても大阪近辺へ招待されたようだ。高級魚の鱧は骨切りをして湯引きにし酸味噌などでいただく。また鱧の身は高級蒲鉾として珍重される。この際に残るのが皮。これを細かく刻んだのが「鱧の皮」で胡瓜の酢の物にしたのは鱧料理の脇役だ。 掲句は季語に置いた「鱧の皮」が一句の切れ味をよくしているだけでなく宴の内容や雰囲気を伝えてくる。「こと俳句」の成否を決めるのは季語であるが「鱧の皮」がいい。句の姿もこれでよくなった。 昼寝覚五体の有無を確かむる 後藤政春 誰にでも経験のある昼寝覚め。まず自分は誰かが分らない。ここは一体何処なのであろうか、早暁なのか夜なのか等々が、だんだん分ってきて、やっと此岸に帰ってきたような気になる。掲句は、そのことを具体的に言い止めていて佳。「命あっての物種」という俚諺が連想されたりしてユーモラスでもある。なお「猫の昼寝」という句稿が沢山あったが昼寝は人間に係る季語。猫の姿態が昼寝しているように見えても季語の昼寝ではない。 凌霄花の咲きつつ散らふ日暮かな 寺本喜徳 「散らふ」の「フ」は接尾語で、散りに散るという意味である。この句に注目したのは古今集の和歌のような優雅なしらべで、「散らふ」がその役を担っている。そして俳句の韻文のよろしさを満喫させてくれた秀句だ。 三人の蛇の長さに違ひあり 花木研二 「逃した魚は大きい」といわれる。初め頃は両掌の間隔を十五cm位にして、これ位あったと言っていたが人が変わる度にこの間隔は広くなって遂には倍にもなってしまう。掲句もそれに似ている。青大将が目の前を過ぎ去り悲鳴を上げた。騒ぎが納まって今の蛇は三尺位あったというと次の人はもっと大きかったと言い、一番怖がった人は五尺は十分あったと言い張る。 人の印象は咄嗟の場合この蛇の長さの如く違うのであるが、その人にとってはどれも本当の長さなのである。 水のある所どこにも水馬 橋本快枝 百合山羽公に「水馬出水の間天にゐる」という秀句がある。大出水の間は全く見えなかった水馬が流れが緩くなるともう浮んでいる。出水の間はきっと天に居たのだろうという。掲句の発想もこれに近い。棚田に水を張ると夕方にはもう水馬が浮いている。天に居た水馬にちがいない。 花火果て星々空にもどりけり 挟間敏子 花火大会が終り煙が流れ去ると今まで何処かへ行ってしまっていた星々が空の定位置に戻ってきたのである。前掲句と内容は違うが発想は似ていて両句共面白い。 どの街も祭の準備平人忌 檜垣扁理 峨堂忌や燈心蜻蛉翅をたたみをり 福嶋ふさ子 湯浅平人氏が逝いてよりもう何年になるのであろうか。街の祭り準備さ中の頃であったことが思い出された。 笛木峨堂氏は百歳迄俳句を作るといっておられたが忌日は夏であったか。大会の会場隅々にまで響き渡る「フエキイ・ガドウオ」の名告りは今も耳底にある。 ある霊能力者が、故人は現世の人が生前のことを思い出してくれるのが一番嬉しいのだという。両氏共よい供養をされたのである。 蝉の鳴く秋葉街道汗馬沢 菅沼公造 太平洋岸の牧之原市相良から掛川、秋葉山を経てフオッサマグナ沿いの塩の道は、遠州からも信州からも信仰の道秋葉街道であった。掲句は「汗馬沢」という塩の道の固有名詞がいい。塩はすべて馬の背に乗せられたので「汗馬沢」は何処にあるのか知らぬが汗だくの馬が難渋した急登を示す地名だ。 泥つけぬ翁上座の泥落し 島津昌苑 一読して早苗饗を思ったが「泥落し」は歳時記にない。日本国語大辞典に方言として石見、広島、大分、宮崎県などで使われている。田植が終わった集落あげての骨休め。当然の如く酒盛りもあったのであろう。字一番の長老を上座にした早苗饗。後々まで継いで欲しい。いい伝統だ。 |
|
|
||
白光集 | ||
〔同人作品〕 巻頭句 | ||
白岩敏秀選 | ||
|
||
森山暢子 のりかへの駅に玉葱吊つてあり 黒南風や海に出ぬ日は畑に出て 天牛が障子の骨を咬みにけり 八百万の神の護符貼る登山宿 さびた咲き明治の灯台日を返す 佐藤升子 だんまりを通すほかなし氷水 噴水のしぶきが散つて鳩立たす 滴りを受くる左手添へにけり 燈籠の思はぬ方へ流れけり 白露のごとき端座をしてをられ |
||
|
|
白光秀句 |
白岩敏秀 |
|
黒南風や海に出ぬ日は畑に出て 森山暢子 黒南風は梅雨の陰鬱な頃に吹く南風で、もともとは漁師言葉である。嘗ては風の向きや雲の動きを見て、出漁するかどうかを決めたそうだ。おそらくこの漁師もそうして漁を続けてきたのだろう。 沿岸で操業する小型船とそう広くもない自家用菜園程度の畑。海に出ない日は畑作りに精を出す。父も祖父もそうしたように。 黒南風が白南風に変わる季節になれば、鍬を捨てて海の男に戻る。自然に無理強いをすることなく、漁の時には漁に生き、農に生きる時は農に生きる。自然に従順して生きる安堵感がすつぱりとした口調で捉えられている。 のりかへの駅に玉葱吊つてあり 乗換え駅には幹線から幹線への乗換えもあれば、ローカル線それも地元の人しか乗換えしない駅もある。掲句は後者。 駅員と乗換え客とは顔なじみばかりなのであろう。吊ってある玉葱は駅員が貰ったものなのか、近所の人へ軒を貸したのか分からないが、暖かな交流があることは確か。暑い夏の乗換え駅で見た清涼剤のような玉葱であった。 白露のごとき端座をしてをられ 佐藤升子 露と言えばすぐ川端茅舎を思い出す。「白露に阿吽の旭さしにけり」「金剛の露ひとつぶや石の上」等。また茅舎は比喩の天才でもあった。「白露に鏡のごとき御空かな」「一枚の餅のごとくに雪残る」等々。 掲句も比喩の句。 この句の「ごとき端座」と表現して「ごとく端座」でないことに注目したい。「ごとく」であれば白露の外側の描写に終わってしまう。それを「ごとき端座」として端座の人の人となりまで言い表している。 おそらく作者の尊敬する人なのであろう。その尊敬の深さから生まれた一句であり、表現に細心の心配りのある一句である。 茅の輪より抜く一本の青さかな 阿部晴江 『備後国風土記』に「茅の輪を腰に付ければ疫病から免れる」という茅の輪の起源説話がある。旧暦六月晦日に行われる祓いの神事である。 茅を輪にして作った茅の輪、その中から抜く一本の茅の青さ。一本の青さの総和が茅の輪そのものの青さである。 虚子は高野素十の「朝顔の双葉のどこか濡れゐたる」について「朝顔の双葉を描いて生命を伝え得たものは、宇宙の全生命を伝え得たことになる。鐘の一局部を叩いて其全体の響を伝え得ると一般である」と評している。(『ホトトギス雑詠句評抄』小学館) 掲句は一本の茅の青さが茅の輪全体の瑞々しい青さを表現している。 病院の音のいろいろ明易し 荒木千都江 病院は本来静かなところである。ところがこの句は「音のいろいろ」と言って、音によって病院の朝を描写した。 朝は看護士が病室を見回る音から始まる。やがて、洗面の音、廊下を歩く音。挨拶の声、雑談の声。病院の朝には様々な患者のそれぞれの音がある。夜の暗さや心細さに耐えて迎える朝は患者にとって救いであろう。 明るくなっていく空を眺めながら、いろいろな音を聞いている作者。入院の人たちの気持ちに心を重ねた「明易し」であったろう。 眠る子のぬくもり膝に遠蛙 岩崎昌子 遠蛙を子守唄に眠ってしまった子。全体重を作者の膝に預けて安心しきっている。抱く子の温もりが膝を通して全身に伝わり、やがて気持ちの温もりとなる。平和で穏やかで愛に包まれたひとときである。この子が大きく成長した時、遠蛙を聞いてきっと作者の膝の温もりを思い出すことだろう。 運転の夏手袋の白さかな 原千恵子 シンプルであるが、スピード感のある句である。 一台の乗用車がすっと脇を通り過ぎて行った。すれ違う一瞬に見えた運転席の白い夏手袋。夏手袋は安全運転の為にしっかりとハンドルを握っていた。炎天下で見た夏手袋だけをクローズアップして、何時までも印象に残る白さを強調した。 石屋より匂うてきたる蚊遣かな 中村美奈子 蚊遣がどこから匂ってきても不思議ではないが、堅い石を相手とする石屋との取り合わせに意外性がある。 とは言え、蚊だって生きるためには必死。獲物があるところには何処へでも飛んでゆく。石屋と蚊との戦いは当分続きそうだ。 山百合に山の静けさ抱き帰る 井上科子 小さな百合から大きな山そして山の静けさを抱く作者と、読むに従って対象がずんと大きくなっていく。 「抱き帰る」と終わっているが、このあと活けられた百合の清楚な香りから百合の育った山のしんとした静けさが伝わってくる。詩心の澄んだ一句。 |
|
その他の感銘句 |
蚊遣下げ日暮の畑に漢立つ 万緑の中や熟睡の乳母車 僧兵の道を女の登山杖 野外劇三千人の団扇風 四葩より四葩へ架かる太鼓橋 丁寧に過ごすいち日原爆忌 神鶏になつかれ茅の輪くぐりけり 桔梗の涼しき色を供へけり 武家言葉残りし村の蝉しぐれ 祝事に着し羅に風入るる 雨過ぎし後の青空確と秋 梅雨の寺池に小さな橋かかり 水打つて乾きの早き石だたみ 棚経の僧に道順ありにけり 水揚の上手に出来て濃紫陽花 |
遠坂耕筰 上武峰雪 小玉みづえ 小川惠子 飯塚比呂子 伊東美代子 松浦文月 山本美好 谷口泰子 今村文子 篠原正治 木下緋都女 高橋静香 飯塚冨士子 国谷ミツエ |
|
|
現代俳句を読む |
|
中山雅史 |
|
音絶えて西日の坂となりゆけり 原田青児 「みちのく」五月号(通巻七百終刊特別号)「北京は遠し」より この句の景に、西日の坂はあっても、往来する人の姿はない。それは上五の「音絶えて」が、物音と共に人の動きもなくし、下五の「なりゆけり」が「坂」以外のことを問題にしないからである。それでいて、この下五は、坂を見ている視点の存在を強めている。西日が強烈なほど、その坂がしんどそうなほど、読者はこの句の視点に引き寄せられ、そのような景を目の当たりにせざるを得ない。その強引さが、坂の景と共に、甚だ男性的である。 諸般の事情により、原田青児氏の主宰する、俳誌「みちのく」は、この五月号(通巻七百号)をもって終刊となった。 桜蘂降る日はしきり坂が呼ぶ 原田かほる 同誌「時の過ぎゆくままに」より 同じく終刊号の、かほる夫人の句。「坂が呼ぶ」とあるが、あくまで作者の思いに留まり、読者に強いるところがない。この句は一昨年発行の自註句集にもあり、「桜並木の坂にある更科蕎麦(東京柿の木坂の支店)へはよく行った。ただしその蕎麦屋が呼んでいるわけではない。ただなんとなく…」とだけ述べている。男性的な前句とは、好対照なのである。桜蘂も、それが転がる坂も、何かしら作者の心に適うのであろう。 桜しべ帰るところのありにけり 原田かほる 同誌「原田青児年譜」平成二十年三月の項より 巻末の原田主宰の年譜に、主宰自身が記した、かほる夫人の句。昨年三月の項である。以下はその抜粋。『この頃、リハビリに行って留守の、妻の持ち物を整理していたら、奇麗に畳まれた紙片が出てきた。それには次のように書いてあった。「わたくしが、このようになって申し訳ございません。どうぞ、お許しくださいませ」。それには、一句添えられていた。/桜しべ帰るところのありにけり/看護婦に見られぬように、そっと涙を拭く。/三月二十三日、次孫青、森亜由美と挙式。/五月三日、伊東市より妻に介護認定書「要介護4」来る』。(以上、原文のまま)。 掃いてまた花の箒となりゐたり 西山 睦 「駒草」七月号(九百号記念号)「桜どき」より 箒を使うことには、人の心を落ち着かせるようなところがある。若い僧が専心、寺の境内などを掃いていると、そのような心を見る思いがする。この句も同じ。何かゆったりとしていて快い。「花の箒」とは、一見約(つづ)めた言い方なのだが、季語の「花」のスケールが大きいためか、反って大らかである。そして「掃いてまた」の「また」が、その中七以下の大らかさへと弾みをもって繋がる。ハナノホーキトナリイタリ。大樹のゆっくりとした落花を、彷彿とさせるではないか。その落花を、ただ一本の箒が受けとめて揺るがないのも、掃く人の心の自若とした有り様を、そこに重ねているからではないだろうか。 この句の載った「駒草」九百号記念号は、西山睦主宰と前主宰の蓬田紀枝子氏の対談を載せている。その中で蓬田氏が昨日庭を掃いていたら」竜の玉が転がってきたので、 竜の玉掃かれることを楽しめり 紀枝子 (後に「いと楽しげに掃かれたる」) と詠んだと述べると、西山氏が「竜の玉の気持ちにすっと入って行くのが自然体ですね」と応じている。大らかな主宰の句、コメントに対して、若々しい、前主宰の句である。 校庭の四隅より焼け入学期 加藤憲曠 「俳句」八月号「船縁を叩く」より 新入生にとって、学校とは迷宮である。自分の教室以外は、めったに行けるところではない。校庭も同じ。四隅には、遊具や鉄棒、花壇や百葉箱と、如何にもそれらしい大道具、小道具が並ぶ。夕焼けはまず、それらのものを極彩色に染め上げた。この句が印象深いのは、「入学期」という季語が、あの放課後という時間帯、しかも夕日が差して、家に帰らなければならない時間帯で詠まれたからであろう。この句自体が、読者の様々な記憶の景を呼び起こし、しかも初々しいのである。 白波の湾にあまりし夏帽子 松本ヤチヨ 「手」二十八号「立神」(二八)より 「湾にあまりし」は白波の方だが、この夏帽子も鍔の広い、ひらひらしたもののようだ。白波を「余す」のだから、この湾は、内海と言った方が良い、小さなもの。外海のような波風は立たない。しかし、気の抜けたような白波が立って、いくら眺めていても消えないのだ。作者が夏帽子を持て余し、半ばはそれに興じているように、この湾もゆるゆると延びる白波を持て余し、かつ無聊を凌いでいるのだろう。気怠い夏の日の一こまである。 藪蚊出づ戸袋の手を抜きにけり 山田 征司 「晩紅」三十三号「痴れ猫」より 昔はどの家も雨戸をよく使った。その戸袋には藪蚊が潜んでいた。蚊帳もよく吊った。厳重に雨戸を閉ざすかと思うと、蚊帳だけを吊って、窓や戸を開けっ放しにして平気だった。プライバシーの感覚が、ひどくいい加減だった。「戸袋の手を抜きにけり」には、そのような昔、変な所から何かが飛び出たり、物事がいい加減だったり、単調なようで突飛でもあった頃の感じがあり、愉快である。 筆者住所 浜松市中区 |
|
禁無断転載 |