最終更新日(Update)'09.05.31

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第645号)
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3月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
・しらをびのうた  「自註現代俳句シリーズ西本一都集」転載 とびら
季節の一句    横田じゅんこ
「梅東風」(近詠) 仁尾正文  
曙集鳥雲集(無鑑査同人作品 安食彰彦ほか)
・「白魚火燦々」転載 13
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
新村喜和子、 阿部晴枝ほか    
14
・「白魚火燦々」転載 39
白光秀句  白岩敏秀 40
・白魚火作品月評    鶴見一石子 42
・現代俳句を読む    中山雅史  45
・百花寸評        青木華都子 47
・再び島根を訪ねて  内山実知世 50
・俳誌拝見「遠嶺」3月号  西村松子 51
句会報 鹿沼いまたか俳句会   52
・鶴見一石子句集「太郎杉」上梓祝賀会 53
・「甘藍」3月号転載・[港」3月号転載 54
・今月読んだ本      弓場忠義       55
・今月読んだ本     牧沢純江      56
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          陶山京子、高岡良子 ほか
65
白魚火秀句 仁尾正文 108
・窓・編集手帳・余滴       

季節の一句

(藤枝) 横田じゅんこ

 のどけしや表札庭の木に下げて 安澤啓子
          (平成二十年七月号 白光集より)

 表札というと普通その家の居住者の名字や名前を、戸口や門などに標示する名札を思い浮かべます。その形も長四角が定番のようです。最近は郊外にも次次と新しい家が建ち、瀟洒な造り、モダンな造りが増えました。庭木のたくさんある家は贅沢ですね。表札を下げた木はどんな木だったのでしょう。季節が来れば花がいっぱい咲く木。実のなる木。葉の造形の美しい木。下げるのに打ってつけの枝のある木など想像します。そしてその表札には可愛いペットの名前もあるかも……。形もきっと手造りのオリジナル。楽しい物でしょうね。私がお茶の稽古に通った先生の家の庭木には「在釜」と木札が下げてありました。その意味を伺うと「釜をかけ湯が沸き茶の湯の用意が出来ていることを知らせる為の物」と教えられました。小鳥も訪うであろう表札にゆったりした句意を味わいつつ、泉下の恩師を思い出した一句でした。

分校はバスの終点入学す 後藤政春
         (平成二十年七月号 白魚火集より)

 入学児は大きなランドセルを背負ってバスに乗り込んだことでしょう。路線バスが貴重な交通手段で通学の子ども達は、毎日このバスで登下校しているのですね。そこには顔馴染になった運転手さん、村の人達との明るい交流が目に見えるようです。毎日見ている顔が見えなければ、運転手さんはきっと「誰誰ちゃんはどうしたの?」と聞くだろうし、遠足、運動会などの楽しいお話もすることでしょう。同掲の「分校の先生の子も入学す」も想像がふくらみます。校長先生の子どもかも知れません。あるいは優しい女の先生の子どもかも知れません。その子にとっては、お父さんお母さんであっても学校では、先生と呼ぶのかしらなどと考えたら、何とも微笑ましくなりました。次世代を担う子ども達、温かく見守って育んでいってほしいものです。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

  牡丹の芽   安食彰彦

牡丹の芽稚児のことのは多くなり
牡丹の芽すでに彩もち影をもち
旅伏嶺の風やはらかし牡丹の芽
牡丹の蕾に昨夜の雨雫
ランドセル縺れもつれて土筆土手
山までが明るくなりし花菜土手
卒業子漫画の本をあきもせず
卒業子やはり眼鏡をかけたるか


  日脚伸ぶ  青木華都子

春雪に埋るる山の殉職碑
一羽きてまた一羽来て囀れり
囀や神木の名は太郎杉
下萌やおろしたてなるスニーカー
川底にうごめいてをり蝌蚪の紐
杉花粉よく飛ぶ日なり輪王寺
遠目にもそれと解りし犬ふぐり
酒蔵の開かずの窓や日脚伸ぶ


 孔雀の羽根  白岩敏秀

鬼やらひ最後の豆をひとつ噛む
早春の土をよろこぶ足の裏
針供養終へて喫茶店に居る
春寒や印影うすき認印
残雪や風の死角のけものみち
蕗の薹映して水の流れけり
風二月孔雀の羽根の円となる
駆けて来る鶏に真つ赤な落椿
  君 子 蘭   坂本タカ女

眠さうな流れなりけり浮寝鳥
寒紅を引く唇を近づけし
見知りなき人と画廊に結氷期
空つぽのサイロの響き冴返る
牛小屋の猫のくぐり戸春浅し
魚氷に上るゆつくり牛の立ち上る
嵌りたる和風ステーキシクラメン
一茎の花一打君子蘭

 待 春    鈴木三都夫

菰内を一宇としたり冬牡丹
冬牡丹うしろ姿のなかりけり
逆しまに目白の遊ぶ椿かな
落椿今朝の順路を塞ぎけり
藪椿日当る数を見せにけり
凍ゆるむ一水の糸したたらせ
すぐそこに春の来てゐる海の色
波消しに頽れ舐る春の潮

 高傳禅寺   水鳥川弘宇

春寒や大山門のかぶさり来
本堂の重き板戸も春寒し
佛の座墓所の一劃占めてをり
春寒し糞のからびし寺廂
坐禅会の標も古りて春寒し
お禮肥戴きてをり臥龍梅
墓碑よりも低き梅林なりしかな
蜷の道お子様墓所の小流れに

 早 春    山根仙花

丁寧に爪切ることも春近し
早春の日溜り漁るはぐれ鶏
早春の光を乗せて川流る
子等の声野に満ちて水温みけり
ものの芽の動く気配の雨なりし
椿落ち地の安らぎにとどまれり
芽吹かんと囁き合へる雑木山
眉濃ゆき少年とゆく木の芽道


鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 雛 祭   大屋得雄
入学を待つ喜びの書類書く
春光を歩きて足袋を替へにけり
あかあかと煙の見ゆる春田かな
校庭に春の落葉を焚きにけり
蓄音機ことこと回る雛祭
雛祭庭木の上に月のぼる

 福 豆   織田美智子
ストーブや頬火照らせて車座に
八十の媼に貰ふ葱の束
福豆のこぼるる部屋に通されし
春一番税申告を終へにけり
伐られたる梅につぼみの紅の濃き
地を蹴つて鞦韆空へ届きけり

 白 木 蓮   笠原沢江
芽起しの雨に繙く農事メモ
手を当ててみる石榻の暖かし
腰下ろす芝に針ほど緑さす
白木蓮の空に浮きたる今朝の晴
封印の箱置いて発つ入学子
淡々と包の香る桜餅
 春 の 禽   金田野歩女
満月を冬木の梢弾きたり
問診の二言三言四温かな
猛吹雪我が家吹つ飛ぶかと思ふ
流氷の接岸わづか三日程
啓蟄や通つて呉れぬ針の耳
里山のたしかな息吹春の禽

 鎖ゆるむ   梶川裕子
楮蒸す甑吊らるる伝習所
霜解けの草ぐさ光る湖畔かな
蕗のたう売られをりぬ鯖街道
己が影入れて耕す意宇の里
句碑囲む鎖ゆるみぬ木の芽雨
追ふ鷺も追はるる鷺も抱卵期

 春 雪   金井秀穂
交々に閉づる日開く日福寿草
日脚伸ぶふと思はるる我が余生
葉牡丹のちりめんの渦盛り上げし
日に幾度庭に佇つ妻名草の芽
春雪のその潔よき解けつぷり
蜜蜂の幽かな羽音室いちご

 


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

     雲南  陶山京子

鳥帰る古墳の空を斜交ひに
初音してしつとりと背戸濡らす雨
正調に近き初音と聴き止めぬ
杉花粉とぶ谷の戸の四五戸かな
赤子よく眠りさくら湯ひらきけり


  鹿沼  高岡良子

こぼれては散れる雪間の小雀かな
境内に響く鑿音春めける
クレーンに吊られ神樹の剪定夫
車窓より見し初花に途中下車
長閑けしや叩いて開くるジャムの瓶


白魚火秀句
仁尾正文
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赤子よく眠りさくら湯ひらきけり 陶山京子

 さくら湯は八重桜を塩漬けしたもの。湯を注ぐと器の中で淡紅の花がひらき見目美しいものである。少し塩味があるが清々しくておめでたい時に用いられることが多い。
 掲句は、赤ん坊が誕生し経過もよく予定通り退院した所へお慶びに行ったのであろう。肥立ちがよく、すやすや眠っているのを見ることは家人にも来訪者にも至福のとき。もてなしに出されたさくら湯がきれいに開いて、この場の雰囲気を表徴しているようだ。
 先師一都は「技巧(表現技術)は俳句の華」と言ったが波郷の「俳句はうまくなくてはならぬ」と同じ意味である。掲句はうまい。

車窓より見し初花に途中下車 高岡良子

 今年の三月十四日東京では雪が降ったが、福岡市では例年より早く開花宣言があった。テレビの開花予想図では関東、甲武信以西はすべて三月末迄に開花予想圏に入っていた。
 掲句。開花はまだ意中になかった作者が電車の窓で一本の初花を見つけたのである。矢も楯もたまらず、予定を変えて次の駅で途中下車し初花を訪うた。強い魅力を感じた、つまり興味が湧いてすぐ行動に移したのである。本誌三月号のこの欄で「知音」主宰西村和子氏の、老化を遅らせるのには「カキクケコ」を意識したらよい、カは関心キは興味、クは工夫ケは健康コは恋をと紹介したが、この作者は老化防止ということよりも直ぐに行動に移して若々しい。サムエル・ウルマンは「青春とは人生のある期間ではなく心の持ち方を言う。年を重ねるだけで人は老いない。理想を失ったとき初めて老いる」と言った。
 作者は六十歳代だが、今青春の真っ只中に居る、といってよかろう。

帽子屋の店頭に早や春来る 加藤雅子

 デパートや衣類の店の展示の季節は、暦や歳時記とは少し違う。冬物のバーゲンが終るともう春物が店頭に出る。掲句の帽子屋には早や春物の瀟洒な帽子が並べられている。試着などして春帽子に触れていると、窓外に雪景色が見えていたとしても、作者は「春のひと」になり切っているのである。この店頭には一足「早や」く春が到来しているのだ。

豆撒くや狭庭の巣箱にも少し 加茂康一

 毎年、年の豆を撒く役を仰せ付かっているが大きな声を張り上げるのは何となく気恥ずかしい。撒いた後みんなして拾って笑い合いながら適当に食って節分の儀式をすます。この作者も豆撒き役であろうが筆者と違うのは、庭に設えた巣箱にも五六粒撒いたところ。丁寧な撒き方がいい、その上に春たけなわの頃この巣箱に寄る小鳥にも心を寄せている気持ちがあたたかい。

電話切るしほどきさがす寒戻り 谷口泰子

 ストーブを離れて受話器を取り上げると俳句の先輩からであった。少し聞こし召されているようで舌が滑らか。初めのうちは「そうですね」と相槌を打って応対していたが、だんだん寒くなっているのに話の切れ目がない。こんなとき家人が気をきかして救ってくれるといいのだが、温く温くとテレビに興じているのが恨めしい。酔っ払いの長電話は本当に困りものですね。

菰内に半ばは散りし寒牡丹 本杉郁代

 鶴岡八幡宮や市立のフラワーパーク等には見事な寒牡丹が展示されている。清楚で美しく寒牡丹自体が芸術品だとさえ思われる。優れた芸術品を詠むということは桁外れの力がないと叶わないのだが、掲句の如く真正面から寒牡丹と対峙はせず斜から楽々と取り組んで成功している。参考になる手法だ。

霧氷してをり雪吊の縄支柱 甲賀 文

 霧氷は樹木の表面に水蒸気や過冷却水滴が凍結してできる白色不透明の氷屑である。この霧氷が雪吊りの縄や支柱にできたというのである。北国の厳しい気象を知らぬ者にもすさまじい景がよく見えてくる。

梅古木神籤にしかと縛らるる 武田貞夫

 おみくじを畳んで梅の古木に縛ったのであるが梅の古木はおびただしいみくじにいつも縛られてうんざりしている。何でもない景であるが視点を替えるとかく面白い一句となった。

小正月こども歌舞伎に大向ふ 高部宗夫

 大向うは舞台から見て正面に当る観客席の後方、料金の安い立見席。一幕だけ見の席であるが芝居の好きな目の肥えた客席だ。「大向うを唸らせる」というのは役者の願望だった。掲句はこども歌舞伎がよく出来たので激励の喝采を少しく誇張してかく表現したのである。おひねりが山になる程飛んだことであろう。

    その他触れたかった秀句     
田の神に酒を振舞ひ畦を焼く
飲みさしの湯呑が二つ春炬燵
細き枝揺らし揺らしてほーほけきょ
仁王像指の先まで春埃
ささめ雪京の茶店のお品書
永き日の鴨居にははのくぢら尺
春障子パソコンに貸す一畳間
ゆるやかに纒ふスカーフ柳の芽
鷹鳩と化す日や昼の酒少し
遠目にも芽吹の見ゆる雜木山
鉋屑薄くれなゐに春日透く
水溜り早春の空落しけり
受験生絵馬掛くるにも目立つ場所
鶯や国道の無き島に老ゆ
奉納の酒樽積まれ梅ひらく
藤江喨子
宇賀神尚雄
稗田秋美
柴山要作
海老原季誉
出口サツエ
奥野津矢子
三上美知子
萩原峯子
黒田秋枝
甘蔗郁子
漆原八重子
市川泰恵
藤井敬子
三岡安子


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

        新村喜和子

揚雲雀空を余さず使ひけり
ひばり落つ素直に力抜きにけり
吸ひ込まれさうな夕日や茂吉の忌
夕映えの空に止まりし凧ひとつ
初花を見し天平の国府跡


   阿部晴江

靴紐を結び直して草青し
紺碧の空よりこぼれ犬ふぐり
切株の木の香あたらし春の雪
早蕨を手折ればぽんと日に弾み
春風や水車ことりと音紡ぐ   


白光秀句
白岩敏秀

初花を見し天平の国府跡 新村喜和子

 天平期は奈良時代の聖武天皇(在位七二四年~七四八年)の治世。『万葉集』に「あをによし奈良の都は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」と詠われた天平文化の花開く時代である。国府には多くの貴人、官人そして女性が都風な華美な衣服で立ち働いていたことだろう。
 今は、往時を偲ぶよすがさえない国府跡に初花を見つけた。一輪の花から薫るがごとき奈良の都に思いを馳せている。シルクロードを経て来た正倉院の美術品、天平の美しい寺院や仏たち。「初花」が「天平」の抒情を引き出している。
夕映えの空に止まりし凧ひとつ
 夕映えが山を染め、家々の屋根を染めている。そして、空には凧が。
 空のどこも動かず、凧も動かない。静かな平和な夕暮れのひとときだ。時が矢のように流れて行く今の世にこんな風景があってもいいと思う。時間がたっぷりあった幼い頃の記憶つながる句。

早蕨を手折ればぽんと日に弾み 阿部晴江

 早蕨といえば『万葉集』の志貴皇子の「石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも」が思い浮かぶ。
 早蕨は萌え出たばかりの蕨のこと。その中には春が一杯詰まっているに違いない。
 「日に弾み」は始まった春へ弾むような喜びの表現。それは折られた早蕨の弾みというより、作者の心の弾みであろう。
 春の明るい開放感を目に見える若々しい早蕨で表現してくれた。

燭入れて息やはらかく雛とゐる 清水静石

 三月三日は雛祭りであり、五節句のひとつ。雛飾りが豪華になったのは室町時代からで、庶民にまで広がったのは江戸時代だという。今は女の子のいる家庭では、ごく当たり前の行事となっている。
 作者は雛の間に居る。そして、静かに雛と向き合っていると雛と同じ息づかいになってくる。それが「息やはらかく」なのであろう。作者の細やかな情感が伝わってくる。
 作者は『万葉集』の研究家である。万葉集のひとつひとつの歌と息を合わせることによって、万葉人と心を通わせているのだろう。

なんだ坂こんな坂冬の坂登る 奥野津矢子

 坂道を登る掛け声がそのまま句になった。
 坂を登り始めた時の掛け声が「なんだ坂これしき登れるわよ」。坂の途中で息が切れ始めた時が「こんな坂なによ」。そして、登り切る寸前の疲労困憊の時が「冬の…坂登る」で動作が完全にスローモーションである。
 この句は「もの」の描写ではなく、「音」を描写している。しかも、言葉で言い表せない内容をリズムで表現している。
 十七音の中に「坂」を三度も使いながら、邪魔にならないの
はリズムがあるからである。リズムの大切さを学ぶ一句である。

日脚伸ぶ草をくぐれる水の音 大石登美恵

 日が少し長くなったかなと感じるのは一月末頃で、寒さの中にも冬が間もなく終るという気持ちの弾みがある。
 春へ弾む心が聞き慣れているせせらぎの音の変化に気付いている。伸びた日差しを乗せた軽やかな水音。長い冬を流れ続けた水は確実に春へ向かって流れている。今は寒さで伏している草もやがて立ち上がってくる。春への準備がすでに水の音に始まっている。

春寒しあの日三月十日かな 柿沢好治

 一九四五年三月十日である。東京大空襲。戦後六十年以上経た今でも消えることがないなまなましい傷跡を残している。
 この句には季語と日付と「あの」しか言葉がない。「あの」の中には三月十日の恐怖、悲惨さ、悔しさ、辛さなど言葉では言い尽くせない作者の体験が詰まっている。
 「春寒し」は季節の寒さであるとともにあの日、あの時の気持ちの寒さでもあろう。
 昼夜の区別なく鳴る空襲警報に逃げ惑ったり、サーチライトが美しい夜空を焦がすことは今はない。平和のありがたさをしみじみと思う。

冴返る切れ字のごとく星光り 竹内芳子

 切れ字は俳句のいのち。「霜柱俳句は切字響きけり」と石田波郷も詠んでいる。
 冴返る夜空に楔を打ち込んだように星が光る。その光は全ての寒さを統率して、まるで切れ字のようだと作者は言う。
 直截な断定が透き通るほどの寒さと照応して快い響きがある。

嬉しさは声となりけり犬ふぐり 渡辺恵都子

 喜怒哀楽は人間の生理である。かっては顔で笑って心で泣いてと言われたが、不自然である。可笑しいときは笑い、悲しいときは泣く。では、嬉しいときはどうなるか。嬉しさは声になるのである。
 麗らかな春の日の散策で見つけた可愛らしい犬ふぐり。それを嬉しいと素直に喜ぶ作者の明るさに屈託はない。

    その他感銘句
きさらぎの月円かなる忌日かな
雪晴の明るき納屋に米を搗く
落椿花の重さを地に預け
堅雪の里を横切る狐ゐて
紅梅を見て白梅の前に佇つ
冬木立我の強き子に育ちけり
甘くするとりわけ母の葛湯かな
豊かなる牧の湧水厩出し
喪帰りの車中物種蒔く話
沈丁花すこしジャンプをしてみたる
椿落ちぽとんと音を沈めけり
雪虫の渦の大きく日の差せる
日を乗せて水車へ急ぐ春の水
白梅は父紅梅は母の色
春愁や少年駅舎に本を読む
荒井孝子
渡辺晴峰
曽根すゞゑ
平間純一
大久保喜風
大石美枝子
萩原峯子
須藤靖子
西田 稔
高添すみれ
河森利子
後藤よし子
三上美知子
黒崎すみれ
岡本千歳

禁無断転載