最終更新日(Update)'09.07.31

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第646号)
H21.2月号へ
H21.3月号へ
H21.4月号へ
H21.5月号へ
H21.7月号へ
H21.8月号へ


3月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
・しらをびのうた  「自註現代俳句シリーズ西本一都集」転載 とびら
季節の一句    後藤政春
「百千鳥」(近詠) 仁尾正文  
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
奥野津矢子、藤田ふみ子 ほか    
15
白光秀句  白岩敏秀 40
・白魚火作品月評    鶴見一石子 42
・現代俳句を読む    中山雅史  45
・百花寸評        坂下昇子 47
・曙・鳥雲同人特別作品 50
平成21年度 第16回「みづうみ賞」発表 51
・八年生(こみち)  広瀬むつき 66
・俳誌拝見「田」 3月号  西村松子 67
句会報 浜松白魚火 梧桐句会   68
・白魚火の原点である「坑道句会」の紹介 安食彰彦 69
・「かつらぎ」転載 70
・静岡白魚火会総会 本杉郁代 72
・今月読んだ本      弓場忠義       74
・今月読んだ本     牧沢純江      75
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          本杉郁代、東条三都夫 ほか
76
白魚火秀句 仁尾正文 123
・窓・編集手帳・余滴       

季節の一句

(高松) 後藤政春

   尺蠖の立ち上がりては風を聞く 奥木温子
         (平成二十年八月号 白光集より)
 尺蠖とは、シャクガと呼ばれるガ類の幼虫で、特徴のある歩き方に愛嬌がある。細長い全身を使って長さを測っているように見えることから「尺取虫」と呼ばれ、又、枯れ枝に擬態するものもいる。
 子供の頃、棒に尺取虫を登らせ、天辺に着くと別の棒を継ぎ足してそれを登らせるという遊びをよくやった。これを繰り返すと彼らは途中で立ち上がり、辺りを見回す所作をするのである。これは、彼らが通った道には匂いが付いていて、これはおかしい?と気付いたのではないかと、私は考えていた。
 掲句は、尺蠖が立ち上がって風音を聞き、風に当り、それによって方向、強弱、匂い等を読み取って危険の有無を感知していたと受け取れ、私の幼児体験そのものと納得した次第である。

   入院を拒みし母の豆御飯 石田博人
        (平成二十年八月号 白魚火集より)
 老いてからの入院の辛さは想像に難くない。寝たきりの生活から来る急激な筋力の衰えとストレス、そして気力の萎えが最も悲しいと、私の母が言っていたのを思い起こす。
 掲句は、家族らの心配をよそに断固入院を拒否し、自分の好物で得意料理でもある豆御飯を作って皆に食べさせ健康を誇示しようとする母の愛、或いは、入院を余儀なくされそうな母に、好物の豆御飯を食べさせて元気をつけようとする家族の愛、どちらとも受け取れるが、私は、前者の母の思いと受け止めたい。
 明るく、たくましく、激動の昭和を生き抜いてきた肝っ玉母さん。おおらかな人柄とともに周りに対する気配りと愛情、そして、自身の生き様への覚悟の程が読み取れる。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   


   万朶の桜   安食彰彦

今生の別れ万朶の桜かな
雲雀野になりたる斐伊の河原かな
裏参道地獄の釜の蓋さがし
椿落つ堂朽ち棟の瓦落つ
白躑躅今は路地裏露兵墓
薮椿座りの悪き炭佛
つばめ来る湖北の木綿街道に
木綿街道造酒屋の青簾


 遠 霞    青木華都子

寝羅漢に春雪容赦なく積る
春禽の鋭き声どの木からとなく
三月の風あたたかき桜島
霞とも雲ともさくら島見えず
遠霞知覧に少年兵の遺書
散るさくらこれからといふ山桜
桜蘂降る木の下で待ち合はす
花は葉に知覧に朽つる特攻機


 山 国   白岩敏秀

返り来る谺の若し芽吹山
雛飾る空の明るき日なりけり
山国の水の冷たさ雛流す
駈け戻る遠出の鶏に春疾風
雨過ぎしあと沈丁の匂ひけり
鳥帰る山の続きに山つづく
いつまでも日当る一樹囀れり
蜆舟島のうしろへ廻りけり
   赤 牛   坂本タカ女
手袋の先まで牛の匂ひかな
鼻寄せて赤牛甘ゆ寒戻り
どれにも名付けず赤ベコ芽立時
狛犬の口中暗し風光る
水温むオール自動洗濯機
雛納南部ひつつみ汁よばれ
きさらぎや手探りに引く灯り紐
より道のついでより道柳芽に

  雨 水   鈴木三都夫
富士遥か茶の芽の動く雨水かな
蝌蚪の子のへらへら紐を離れけり
洗ひ場の低き掛出し蕗の花
花挙げて空の眩しき辛夷かな
咲きも咲き散りも散つたり藪椿
囀りの始まつてゐる山路かな
花莚陣取つてあり誰もゐず
二分咲きの下の静かな花の宴

 春 の 月   水鳥川弘宇
剪定の自己流のやや切り過ぎし
鵲の巣の大枝小枝積み上げて
すぐそこに呆けのきてゐる春の風邪
坊守はお話好きや桃の花
春昼のテトラポットの所在無げ
軽トラの触れゆく枝垂桜かな
丸太椅子ぽつんと置かれ花の句碑
寄合の五分で終る春の月

 啓 蟄   山根仙花
ゆく雲に誘はれ芽吹き急ぐ木々
鶯や幾度曲る男坂
啓蟄の土踏みたくて庭に立つ
揃へ置く啓蟄の土踏みし下駄
水温む棚田一枚づつに雲
馬柵の戸の崩れしあたり草おぼろ
おぼろ夜の時計おぼろに鳴りにけり
ごつとんと水車はねむし花ぐもり


鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

  蝌蚪の紐  坂下昇子
剪定の音に惜しげの無かりけり
水よりも風の冷たき若布採り
かげろふの中を浮き来る一輌車
鶯や本丸跡は何も無し
丸木橋二つ渡つて蕨摘む
水底に温みの見えて蝌蚪の紐

  春 眠  二宮てつ郎
啓蟄や岬は雲を急がせて
峡の夕日山桜桃の花に来て長し
春眠に雀の鳴いてゐる時間
鳥雲に水は光りてひもすがら
歩くかな絶好調の鶯に
花曇働かぬ昼我にあり

 春 の 旅  野沢建代
藁苞の納豆買ふも春の旅
滝音のこだまを返す雑木の芽
母子草絵付の筆の干されあり
陶片の一山なせる茎立菜
利き酒や芽吹きの雨のつめたかり
花曇り滝は空より現れり
 涅槃西風  星田一草
穏やかに山茱萸の雨煙上りたる
雨音の雪に変はりし雛の夜
毛の国の義経橋や鳥雲に
三十余尺通し柱の雛の家
涅槃西風開け放たるる農機小屋
啓蟄の通してもらふ道普請

 桜 東 風  奥田 積
白梅や池のさざ波照りかへす
パレットにあはき色溶く春の雨
神前に誓ふ二人や桜東風
あたたかや失せ物いつも身ほとりに
畑中に残る古井や初蝶来
石工屋に大き丸鋸沈丁花

  雪 解 風 浅野数方
ほろほろと海に零れり雪解風
朧夜の明くるまで飲む一周忌
手足もて笑ふ赤子の雛祭
雛の宴膝に二人の女の子
捨つる物捨てられぬ物菊根分
春の雪神居古潭に降りて消ゆ

白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

   牧之原  本杉郁代

水仙花足るを知る日々いとほしむ
潮入のひたひた隠す葦の角
吹かれては舞ふ初蝶のおぼつかな
春潮の豊かに満てる河口かな
店頭の真中に並ぶ桜餅


   旭川  東條三都夫

乳搾るホルスタインに日脚伸ぶ
立春やジャージー牛の角太き
福を呼ぶ豆と信じて拾ひけり
明日雪の予報昨日の雪を掻く
リクルートスーツ颯爽春うらら


白魚火秀句
仁尾正文
当月英語ページへ

潮入のひたひた隠す葦の角 本杉郁代

 満潮になってきて潮入川の葦の角が、後三十秒もたたない内に沒しようとしている。先程まで水面から三、四十センチ頭を出していたのであるが、今まさに見えなくなりそうな一瞬を捉えて詠んだ。ここに至る迄の時間の経過や潮が引いて再び葦の角が生々と見えるようになる迄の想像は自由である。眼前の一景の一瞬をしっかり切り取った所にこの句のインパクトがある。写生の骨法に適っているのである。
 山口誓子の〈冬河に新聞全紙浸り浮く〉も眼前の川面に浮く新聞全紙だけを見せて、その前後の時間の経過は読者の想像に委ねているので強靭なのである。

明日雪の予想昨日の雪を掻く 東條三都夫

 平成の大合併で人口八十三万となった浜松市には全国各地から人々が転入してきている。航空自衛隊基地があるので雪国から来て、そのままここに住み付いた人も多く雪国の話をよく聞く。雪のない浜松は楽でとてもよい。だが、ちょっぴり雪が恋しい思いもあるという。雪掻きには郷愁のようなものがあるのであろう。
 さて掲句。十二月頃から根雪となって一年の内三分の一は雪と格闘している人々の労苦は筆者らには想像がつかない。「明日は積雪五十センチ」などという予報があると昨日降った二十センチの積雪は掻いておかねばならぬのである。だが句は「明日雪の予報」「昨日の雪を掻く」と八、九のリズムながら弾んでいる。だから今日の雪掻きは余り苦にしてないように思われる。これが日常の生活と達観している所に雪国の人々の逞しさがある。
 
遺品みな言葉を持てり朧月 荒井孝子

 遺品というと大方は身近な人の形見である。どの形見にも深い思いが込っている。よい着物を粋に着付けていた羨望の言葉やせがまれて根負けして買い与えた折の子供の喜びの声等々。遺品を見るたびにその言葉が思い出されるのだ。「遺品みな言葉を持てり」は凄い迫力がある。季語の朧月が形見にまつわる悲しさを増幅させているよう思われる。
 
船名を呼び合ふ漁師あたたかし 小沢房子

 「朝霧丸」とか「カネ三丸」というような船名の乘組員を呼ぶのに家号の如く船名を呼び捨てにしている漁師仲間である。気心がよく知られているので祭りや飲み会や旅行にはいつも一緒である。ぞんざいな言葉は昵懇の証であることを季語の「あたたかし」が示している。
 
ひこばえの椿やうやう蕾持つ 大澤のり子

 わが家に梅の古木があった。幹に大きな空洞があり薄くなった幹が水や養分を吸い上げて毎年一升程の実をつけていた。ある年の台風で根元からすぱっと折れた。気にかけてもいなかったが翌年元気なひこばえが十余本も立っていて感嘆した。一本だけ残して置いたら翌々年から実をつけ出した。
 掲句は美しい椿のひこばえ。待ちに待った花がついたのである。待望された幸せなひこばえではあるが作者は、椿の生命力に改めて感じ入ったのである。

川の名のここより変はる桜かな 牧沢純江

 長篠城址で二川が合流する。東側は宇連川、西側は寒狭川、合流して豊川と名が変わった。全国でもこのような例は多かろうが、地図で探してみると石狩川、最上川、利根川、四国の吉野川等は上流から河口まで川の名は変わっていない。名だたる川は支流を吸収しながら大河になって行っている。
合流を果しての緩冬芒 上田五千石
月見草悠然と川合流す 田原 桂子
これらは頭掲句同様対等の合流である。

新聞を二つに開き春炬燵 黒田一男

 朝早く出掛けるときは、食事をしながら新聞の大きな活字の題をそそくさと拾い読みする程度だ。対して掲句は朝食をすませて悠然と春炬燵で新聞を見ている。「新聞を二つに開き」というゆっくりとした声調から大小のニュースや社説、三面記事の外碁、将棋欄まで目が届いているようだ。それもこれも具象的に詠んだ手柄による。

高校に合格番号貼り出さる 広瀬むつき

 解説の要のない一句である。ここに採り上げたのはこの「合格」という季語が入学試験の合格だということが瞭然としているから。どの歳時記にも「入学試験」の副季題として「合格」があるが、この季語の力が弱くなってきている。日曜日のNHKの「のど自慢」に鐘が沢山鳴ったのも「合格」であるし、車の免許試験に通ったのも「合格」である。合格は掲句の如く入学試験の合格であることを明確にしなければならぬ。又「老人ホーム」なのか「プラットホーム」なのか不分明なものもある。注意して欲しい。
 
鰊来る我が人生は蝦夷に老ゆ 前川きみ代

 作者は九十四歳。社中の最高齢者の中の一人だ。永い間不漁が続いた鰊は今年豊漁とのこと。「鰊来る」と嬉しい季語を置いた「我が人生は蝦夷に老ゆ」は「わが人生に悔なし」であろう。

    その他触れたかった秀句     
新聞にくるまれ母の黄水仙
日脚伸び歩程も少しづつ伸ばす
命あるはすばらしきこと芽水仙
白れんの大樹の下の幼き日
踵からつく足音や青き踏む
桜貝潮騒遠くなりにけり
二分咲かせ踵返しの春寒し
半眼の月光菩薩さくら咲く
気にかかる言の葉ひとつ諸葛菜
算盤の指のつまづく納税期
春炬燵しびれてきたる腕枕
男雛女雛見詰めあふことなかりけり
霾晦また悔ひ残し転勤す
大枝に咲き満ち微動せぬさくら
爼板に鱗とびちる鰊かな
青木いく代
金子フミヱ
中曽根田美子
藤江喨子
稗田秋美
渡部美知子
加藤明子
江角トモ子
平山陽子
山田敬子
藤尾千代子
内田景子
久保徹郎
土江ひろ子
原 英子


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

     奥野津矢子

丸薬が二つ耳順の春来る
野ばらの芽噂話の美酒めきて
海風のこゑ聴きながら笹起くる
揚雲雀大気圏へと消えにけり
刃物屋の灯り煌煌連翹忌


     藤田ふみ子

猫好きの猫を捜して寝釈迦見ず
伏す母の傍耳となり聞く初音
初蝶の生まれし花の真つ黄色
置薬空つぽとなる春の風邪
風船を攫ひし風の高さかな


白光秀句
白岩敏秀

野ばらの芽噂話の美酒めきて 奥野津矢子

 「あのね」で始まって「これ、内緒よ」で終わる噂話。大抵は尾鰭のついたたわいもない話が多いが、なかには煙を霞と間違えた噂話もあって、された当人は至極迷惑することがある。しかし、掲句の噂話は楽しくて身を乗り出したくなるような内容なのであろう。まさに美酒のような噂話である。
 悪意や中傷になりがちな噂話を別の角度からさらりと切り込んで軽妙。ただし、野ばらには棘があり、美酒には二日酔いがあるからご注意…。
  海風のこゑ聴きながら笹起くる
 季語は「笹起くる」。雪の重みで地に伏せていた隈笹が春の雪解けによって、立ち上がってくることを言う。雪国ではしばしば見られる現象であるが、寒さの厳しい北海道では特に春になった喜びが大きい。北海道ならではの風土色の強い季語である。
 それぞれの地方には先人達が積み重ねて来た伝統行事や風土に溶け込んだ季物が沢山あるはず。それらを佳句によって季語として定着させたいものである。

伏す母の傍耳となり聞く初音 藤田ふみ子

 私の持っている辞書には「傍耳」は載っていなかった。多分、作者の造語と思われる。「傍耳(そばみみ)」―母の耳となってと言う意味であろう。辞書に似たような意味合いの言葉として〈代位〉=他人にかわって、その地位につくこと=が載っていた。
 日野草城に「妻の持つ薊の棘を手に感ず」の句がある。病に伏していた草城が妻に感謝した夫婦愛の句である。
 掲句は母へ対する娘の愛情。病に伏す母の手足となりそして眼や耳となって献身的に介護する姿が見えてくる。
 初音があれば春は本格的に整い始める。初音に母の病の回復の兆しを感じている作者である。

花満ちて浄土の色の月昇る 江見作風

 この句を読んだとき、私は東山魁夷の『宵桜』を思い浮かべた。この絵に「満開の桜。峰をでる満月。両者の巡り会う一瞬に、この世のいのちの充足を見る」(東山魁夷小画集『風景との巡り会い』 新潮文庫)と魁夷の短文が添えられている。
 今年の『白魚火』の表紙も「夜桜」。月も桜も懸命に輝いている。
 私は生憎、浄土も浄土の色も知らないが、往復切符があれば行ってみたい世界ではある。

鍬担ぐ人と話せり桃の花 渥美尚作

 鍬を担いでいる人はこれから耕しに行く人ではあるまい。畑から家に帰る途中の人。
 話していることは作物の出来具合なのか天気模様のことなのか。何れにしても混み入った話や急を要する話ではないことは「鍬担ぐ」に表現で分かる。
 暮れの遅くなった畦に影を長く落としながら話し続ける二人。「桃の花」が読む者を桃源郷へ誘ってくれる。
 人も自然もそして時間さえも包み込んだようなのどかな世界に心惹かれる。
 
咲かせるといふ幸せのチューリップ 小村絹子

 球根の植え付けから日常の草取りや水遣り。チューリップは作者の期待通りにすくすくと育ってくれた。今はチューリップも満開、作者の心も満開となっている。
 一つのいのちを大切に育て、花を咲かせることの幸せ。幸せを素直に幸せと喜べる作者は豊かな心の持ち主に違いない。

花愛でること挨拶に代りたる 久保美津女

 「春になっても寒いですね」から「桜がきれいに咲きましたね」に代わった挨拶。
 四季の移り変わりに従順に対応して、日本人は豊かな情感を育ててきた。そしてそれに相応しい美しい季語をつくった。その代表的なものの一つが「桜」である。
 桜に寄せる作者の深い想いが伝わってくる一句。

流鏑馬や的は桜の下にあり 山本千恵子

 明智光秀は「敵は本能寺にあり」と馬首を廻らして織田信長を討った。この流鏑馬の的も「桜の下にあり」。見事に一矢で的を射抜いたことであろう。気の張った句の調子に大地を蹴る蹄の音や矢音の響きまで聞えてくる。

死の話大笑ひして日向ぼこ 中山雅子

 「迎えが来たら留守と言え」再度来たら「まだ早いと言え」再三来たら「用があればこちらから行くと言え」…呵々。日向ぼこの主人公八十九歳。

    その他の感銘句
遺跡掘る土を貰ひにつばくらめ
みちのくの遠野の里の蕗の薹
春鹿となるべく雪の崖渡る
バス降りてすぐ春風に乗り継げり
我がための小さき雛飾りけり
塔多き斑鳩の空鳥帰る
揚雲雀音で高さを測りけり
月出でて白木蓮の総立ちに
ほちやほちやを抱かせて貰ふ花の昼
つくづくしすつくと立ちて相触れず
お彼岸といふぬくもりを供花として
湯上りの爪やはらかし桜咲く
囀に起床楽しくなりにけり
観音の裳裾菜の花明りかな
植替の穴ほつこりと春の土
横田茂世
福田 勇
平間純一
田久保柊泉
牧野邦子
森井杏雨
塚本美知子
北原みどり
川崎ゆかり
高岡良子
井原紀子
木下緋都女
大滝久江
角田しづ代
三関ソノ江

禁無断転載