最終更新日(Update)'09.02.05

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第642号)
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平成21年度 「白魚火賞」・「同人賞」・「新鋭賞」発表
・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
季節の一句    加茂都紀女
「飛騨街道」(近詠) 仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
鈴木敬子、山本まつ恵ほか    
14
白光秀句  白岩敏秀 40
・白魚火作品月評    鶴見一石子 42
・現代俳句を読む    中山雅史  45
・百花寸評        坂下昇子 47
・俳誌拝見「海程」11月号転載   森山暢子 50
・「白魚火賞」発表 52
・「同人賞」発表 56
・新しい仲間(こみち)  田部井いつ子 61
・「新鋭賞」発表 62
・「俳句文学館紀要」第15号転載 66
・「山暦」1月号転載 69
・「山暦」2月号転載 70
・浜松・飯田・中津川白魚火鍛錬会 後藤よし子 72
・「山陰のしおり」山陰合銀発行 '09・1転載 75
句会報 浜山句会 76
・今月読んだ本      弓場忠義       77
・今月読んだ本     牧沢純江      78
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          後藤よし子、早川俊久 ほか
79
白魚火秀句 仁尾正文 127
・窓・編集手帳・余滴       

季節の一句

(宇都宮) 加茂都紀女 

湖の波ざぶんざぶんと春を呼ぶ 山崎朝子
  (平成二十年四月号 白魚火集より)

 昨年の全国大会の開催地松江の、あの大宍道湖の景が目の前に広がってきます。
 寒く厳しい冬から少しずつ凍がゆるび、湖にも春の兆しが見え始めた光景なのでしょう。「ざぶんざぶん」の波音に、春を待つ万物の息吹が伝わって来るようです。
 「宍道湖の千の顔」の一齣が「春を呼ぶ」で更に大きく表現され感動の一句となりました。

鬼は外さらに声張り福は内 関口都亦絵
  (平成二十年四月号 鳥雲集より)

 以前は節分ともなると、近所の家々から高らかに、豆撒きの声が聞こえて来たものでした。最近の各ご家庭ではどうでしょうか?
 この句には「鬼は外」と大声をあげ、福を呼ぶため「さらに声張り」の中七が見事に利いて、豆撒きの様子と共に、福の神様の満足したお顔までが見えるようです。

節分豆一と日遅れて撒きにけり 南 紫香
  (平成二十年四月号 白光集より)

 何かご都合があって節分の日に豆撒きが出来なかった作者が、翌日立春の日に思い切って豆を「撒きにけり」なのでしょう。「一と日遅れて」とは「神様ごめんなさい」とお詫びしている気持ちが込められていて、私はほのぼのとしたお人柄と、更にそれを俳句に詠み、誌上に発表したことに、作句への情熱を感じ「俳句をやっていて良かったですね」と握手をしたい春の一句をいただきました。


鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 同 窓 会   安食彰彦

同窓会紅葉遊山の京泊り
躙口までの飛石薮柑子
実南天水琴窟に膝ついて
キリシタン燈籠歩む冬の蜂
朴落葉伴天連燈籠かたむけり
冬紅葉散れば自づと風生まる
湯豆腐や露地の信楽狸かな
嵯峨御所の門前茶屋の隙間風


 葉付き柚子  青木華都子

朝刊のインクの匂ふ菊日和
霜柱踏む快感をスニーカー
歳月や今も母校に冬ざくら
軒低き陶工房の吊し柿
一丁目一番通り銀杏散る
木の実落つ片開きなる寺門
鳶舞ふ雪の男体山の上
門前で売る籠盛りの葉付き柚子


 雀       白岩敏秀

さわさわと竹の嵯峨野の初しぐれ
残る虫明るき方へ来て鳴けり
返り花すとんと暮るる峡の村
一人去り一つ空く椅子日向ぼこ
乗せてもらふ落葉切符の縄電車
水のなきプールに雀神無月
初霜や水が湯となる鍋の音
風音に耳聡くなる十二月


 初 時 雨   水鳥川弘宇

狭庭には狭庭の景の初時雨
寒波来る紐鶏頭の長き尾に
たまさかの筆定まらず冬の夜
神の鷹海猫の群には眼もくれず
冬鴎杭一本を住処とす
敷くといふほどなき鴨の陣なりし
生家への一本道の冬雲雀
ためらひもなく買ふ三年日記かな


  落 葉    山根仙花

落葉して安らぎにある幹に寄る
落葉積む庭ふんはりと歩きけり
歳月は遠ざかるもの落葉積む
峡の日の届かぬ遠さ枇杷の花
照り陰りして一峡の枯れ兆す
この庭のこの静かさの返り花
大斐伊の真ん中流るる青菜かな
陸軍歩兵上等兵の墓時雨けり
    鮟 鱇    鶴見一石子
粉雪舞ふ海は一面なまり色
虎落笛附き来る浜の裏通り
鮟鱇の相伝の出刃白布解く
鮟鱇の腸を出し胆を出し
砂止めの杭が風生む虎落笛
朴落葉吹かれ吹かれておもてうら

  猪 罠    小浜史都女
曳き売りの小菊ばかりを商へり
かりがねに青すぐる空ありにけり
猪罠を仕掛けしままに古びたる
途切れては途切れては虫名残りかな
笹鳴のこゑのはつきりしてきたり
ひとつとはやさしき数よ冬椿

 石 舞 台    小林梨花
装へる山一直線に抜け来たり
鵙猛る仁徳天皇御陵かな
秋夕焼包み込みたる大伽藍
古墳まで廻り道して吾亦紅
宮跡を探しあぐねて日の短か
枯葦の光仄かに石舞台

 明 日 香    渡邉春枝
冬の畑打つて明日香の古墳守る
水涸るる崇神天皇陵の堀
石舞台に入りてしぐれをやり過す
御神体は三輪山なりし冬紅葉
まほろばの謎めく石や冬すみれ
日の昇る静けさにをり冬の湖

 冬 仕 度    田村萠尖
湯の町の隅つこの茶屋走り蕎麦
ひとりごち増えし老妻冬仕度
冬木立夜来の雨にけぶらへる
樫垣に当り散らせる北颪
吹雪く中登山センター閉所式
級友の二人も欠けし年暮るる

 銀杏黄葉     桧林ひろ子
初鴨の賢しら貌に浮いてゐし
悪役も真面目な顔に菊人形
茎省き冬たんぽぽの咲きにけり
橋渡る中ほどにある寒さかな
日の差せる且つ散る銀杏黄葉かな
ゴンドラの窓に嵌めたる谷紅葉

 冬 帝   橋場きよ
冬帝へ千年杉の袖拡ぐ
父と子に言葉はいらず冬ぬくし
膝掛や父子相伝の木地師技
刈田中一筋細き古道かな
花八つ手指が覚ゆる杓作り
忌の膳に姉の遺せし芋茎漬


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

  中津川  後藤よし子

冬紅葉木曽川光りつつ流る
山窪に日の差す時雨雲動き
山祇に仕へ山守り大根干す
山の町は木の家ばかり白障子
木屑燻らせ木地を干す日の短か


  浜松  早川俊久

色変へぬ松や殉死の墓の寂び
十二月地平はるかに北斗の柄
冬紅葉荒挽きあとの木地燻し
木曽川の〓音幽かに神渡し
十二月飛騨より美濃へ雲流れ


白魚火秀句
仁尾正文
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冬紅葉木曽川光りつつ流る 後藤よし子

 十一月十八、十九日中津川、飯田白魚火会の合同鍛練会が中津川で行われた。浜松からも筆者に同行する者が居て総勢二十三名。橋場きよさんが中心となり中津川の会員がよく働いていた。飯田よりの出席者が全員NTTのOBであったので同じくOBである後藤さんが実行の主体となっていたが、各所に細かい気配りをしてくれて参会者を喜ばした。村歌舞伎の明治座、早川曲物工房や木地師の大蔵家等すべてが親切に接してくれた。この作者の配意によるもののようであった。
 二日目は標高三百メートル程の遠山氏の居城苗木城址を吟行した。小藩であるが江戸幕政三百年間一度も国替がなかった。城址は至る所に花崗岩が見え城垣にも自然のまま組み込まれ、本丸は岩塊がすべての礎石になっていて珍しかった。掲句は、この本丸から見た穏やかな木曽川。何の苦労もなく出来たような写生句であるが二日目の特選一位に推された。眼下の木曽川は苗木城の天然の濠をなしている。今は静かであるが、梅雨や台風の時は狂乱し又旱天の時は渇水し平穏な日ばかりではなかった。遠山氏も三百年の間には幾多の艱難があったであろうが都度切り抜けて、今は静かな城址を残すのみ。木曽川に遠山氏の歴史が重なったのであろう。客観写生からこのように思いが拡がるのは「余韻」によるのである。

十二月飛騨より美濃へ雲流れ 早川俊久

 中津川市は平成の大合併で長野県山口村(名のある馬籠旧宿場がある)と越県合併した。第一日目の吟行地では飛騨街道を北上して見せて貰った村歌舞伎の明治座や千年杉は加子母町にあり隣りは飛騨の下呂市である。
 掲句は、飛騨から美濃へ吹く風に乗り雲が流れてきているが、声調がゆったりとしていてあわただしい十二月を思わせない。加子母より一つ南の付知町には大相撲で力士に力水を渡す柄杓を只一軒だけ作っている曲物師が居り、又木曽の名木を加工する大蔵木地屋が技を誇っている。飛騨の匠の技は、掲句の雲の如く美濃にも確実に流れてきていることを強く感じた。

街路樹に電飾点じ師走くる 山口あきを

 街路樹に赤、黄、紫などの豆電球を飾りつけ、夜になると華やかに点滅する。「ああ、もう師走だ、クリスマスも直ぐにやってくる」と人々は気付く。本来は師走が来てクリスマスも近づいてくるので電飾を点すので、掲句は倒置された技法である。だが、掲句が余りサプライズを呼ばないのは、人々があくせく忙しくしているからだろう。

枯菊を焚く黄のけむり黄のかをり 高梨秀子
 この句上十二までは素直であるが「黄のかをり」に驚いた。上句のしらべがよいので、その勢いで「黄のかをり」という虚構に余り気づかなかったのだが、二、三度朗誦してみると確かに黄のかおりが感じられた。

日短かと言ひ山行きのバスに乗る 田原桂子

 かつて作家高橋治が「渡る世間は鬼ばかり」の橋田壽賀子を批判して「せりふが多くて長過ぎ、俳優の芸の見せ場がない」「何人かが一杯飲んで、では明日は海へ行こうと約束して別れた場合、翌日の画面は打ち揃った山行きの装いでないと面白くない」と書いていて俳句に通じると感じ入ったことだった。
 掲句も「日短か」を挨拶の如く言って別れたのに山行きのバスに作者は乗った。山好きの作者なので山麓まで行って翌日登山するのであろうか。だが読者は化かされたような気がした。意表をつかれたからだ。

ひと日ひと日余生減らしつ冬に入る 中山雅子

 作者は八十九歳。俳人協会の県支部や方広寺観月句会の募集等に応募し特選や秀逸賞に何時も名を連ねていて感心する。掲句も句姿がよく内容も充実している。この作者は俳句に生き甲斐を感じているのである。
 
かつぶしと暦を添へて衣配り 甘蔗郁子

 源氏物語にも出ているが、昔時歳末に正月の料として親しい人に衣を配った。この作者は古い大きい寺の大黒である。檀徒など寺の関係者に今も衣を配っているのであろうか。かつぶしも高島暦も実用品であるが何となくめでたさを感じさせる。
 
除夜の鐘一打一打を過去とせる 山本波代

 除夜ほど一刻を意識することはない。一刻を惜しまれることはない。今しがた撞いた鐘がもう去年になるのである。「一打一打を過去とせる」が年を惜しみ、惜命の趣き迄漂わせている。

今年また同じつつじの返り咲く 松原トシヱ

 気まぐれな返り花は今年も去年咲いた同じ木に咲いた。咲かれた木は木樹勢を取られ放しだ。

    その他触れたかった秀句     
就中安房の浦曲の小春凪
布団干して昨夜の夢の続き見む
虎落笛耳傾けて聞きにけり
風花や屋根付いてゐる煙出し
先陣の真鴨一群れ湖和む
頂上は見渡す限り枯尾花
繞道のご神火都より継がる
石蕗の絮とばす彼方に湖展け
朝少し雨が降りけり日記買ふ
錦秋の中馬通ひし塩の道
高間 葉
加茂川かつ
坂本清實
小林さつき
寺本喜徳
加藤雅子
矢本 明
伊藤和代
新屋絹代
藤田光代


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

      鈴木敬子

日向ぼこ忘れ上手な人とゐて
火の番の過ぐる追伸書き足せり
掛大根の力抜きたる越の国
あひづちは風音ばかり冬耕す
冬の雷車中に靴の紐とけば


     山本まつ恵

山程の豆幹にして枡の豆
日溜りに腰据ゑ老の豆叩く
懸け大根穏やかな日も風の日も
着慣れたる野良着勤労感謝の日
着ぶくれし嬰抱く吾も着ぶくれて


白光秀句
白岩敏秀

火の番の過ぐる追伸書き足せり 鈴木敬子

 かって、火の番は子ども達や消防団が拍子木を打ちながら町内を廻っていたが、今では消防団の自動車がエンドレスのテープを流しながら廻っている。時代も変わったものである。掲句は拍子木を打ちながらの火の番のようだ。
 本文を書いて追伸を書いて、なお何か書き落としている手紙。思案の止まった時に聞いた火の番の声に、書くべき事柄に思い至ったのである。
 掲句は「火の番の」から始まったため句に飛躍が生まれた。「追伸書き足せり」から始まっていれば、単なる報告に終わってしまう。構成の巧みな句である。
冬の雷車中に靴の紐とけば
 靴の紐をといた時に雷が鳴った。何故、車中で靴の紐をとくのか理由は分からない。が、雷が鳴ったのは事実。そして靴の紐をといたのも事実。事実と事実を組み合わせて反論を許さないつよさがある。

山程の豆幹にして枡の豆 山本まつ恵

 「まめがら」は普通「豆殻」と書き「豆幹」とはめったに書かない。振り仮名があったお蔭で国語辞典で簡単に確認することができた。大豆など豆類は籾殻などと違って茎や枝が多いので、作者は「豆幹」の字を当てたのだろう。
 たしかに大豆などはからからに乾いた茎や枝を山ほど積み上げても、収穫した量は枡に収まる程のもの。
 「~にして」は使い方によっては説明になりやすい言葉であるが、ここでは大量の豆幹と少量の豆の落差を表すために有効に使われている。表記は俳句の技である。

白鳥のめざむる声に湖明けて 渡部昌石

 白鳥の声から湖が夜明けていく様子がたおやかな調べで詠まれている。
 湖が夜明けたから白鳥が鳴いたのではなく、白鳥の声に湖が目覚めを促されたのである。冬の湖が目覚め、朝のひかりを広げていくなかで、白鳥の姿が次第に明らかになっていく。白鳥の声で湖は目覚めを促され、湖の短日は白鳥に眠りを促す。こうして冬を深めた湖はやがて春を迎えて白鳥を送り出す。
 この湖は宍道湖であろうか。昨年の白魚火大会で見た美しい宍道湖が懐かしく思い出される。
茎よりも影枯蓮となりゐたり 古川松枝

 ものが在るからこそ影は生まれる。いわば影はものの存在証明。茎は実像、茎の影は虚像である。しかし、実像が必ずしも真実を伝えている訳ではない。蓮の盛りには茎はすっと水面に立ち、葉は水に影を見せない程に繁っている。今見る蓮は葉を落として隙間だらけであるが、茎は気品を残して直立している。一方、冬の水に映った影は寒々として本物の茎よりも一層枯蓮に見えたのである。 
 本物と影との比較を通して、枯れの本質に迫る深い観照がある。

笑ひ声たてて子の来る炬燵かな 金原敬子

 まさに額面どおりの句。
 明るい家庭からは明るい子どもが育つ。
 作者は全国大会で明るいよく通る声で、はっきりと名乗りをあげる人。その明るさがそのまま句の明るさになっている。
 無垢な子どもの笑い声は寒い冬を暖かくしてくれる。                                                
旅伏嶺の日射し戻りぬ神立つ日 原 菊枝

 仁尾主宰の『白魚火燦々』は評判のよい本である。歯切れのよい的確な評言は何度読んでも魅力的である。本の中に「荒木古川の俳句」の論評があり、古川句集『湯谷川』から先師の手記の引用がある。「旅伏嶺(たぶしね)の作品をよく詠ったものである。…わがふるさとの山として、出生から死まで、私たちに無言で語りかけてくれる山、それが旅伏嶺であり、私の句帖の中にもつねに詠われつづけてきた」 作者もいつも旅伏嶺を見て暮らしているのである。そして、旅伏嶺に戻ってきた日射しを神の旅立ちに感応した天の恵みと感じ取ったのである。作者は島根県斐川の出雲平野に住む人。

折鶴の舞ひ降りてゐる冬座敷 早坂あい女

 この折鶴は作者が折ったものであろうか。親鶴や小さな子鶴が翼をぴんと張って、炬燵の上に並べてある。「折鶴の舞ひ降りて」とは素敵な表現。空へ舞い上がる優雅な姿さえ連想してしまう。童話の世界に遊んでいるような楽しい雰囲気がある。                                        
返り花沖から戻る舟一つ 濱田安房子

 「舟」と「沖から」とあるから漁を終えた一人乗りの小さな舟であろう。長時間の孤独な漁から解放された漁師。掲句の弾むようなリズムに大量の漁を得て、家族のもとへ帰る漁師の喜びがある。出迎えてくれた返り花がまことに可憐。

    その他感銘句
糶すみし牛あがらはず雪催
梓川凍てつくほどに光りけり
酢牡蠣食べ伊良湖岬の雨に遇ふ
病む牛を牛と見てゐる冬の朝
時雨に宿る洋館の古時計
木々の色豊かに峡は冬に入る
山影を重ねて山の眠りけり
綿虫や日のとどまれる蔵の窓
椋の群引込み線を太くせり
小春日や日の匂ひして猫戻る
江見作風
増田一灯
松村智美
今泉早知
浅野数方
柳川シゲ子
飯塚比呂子
安納久子
山田敬子
高間 葉

禁無断転載