最終更新日(Update)'09.02.05 | ||||||||||||||||
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・しらをびのうた 栗林こうじ | とびら | |
季節の一句 谷山瑞枝 | 5 | |
「ななかまど」(近詠) 仁尾正文 | 7 | |
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか | 8 | |
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載) 栗田幸雄、 小林布佐子ほか |
16 | |
白光秀句 白岩敏秀 | 42 | |
・白魚火作品月評 鶴見一石子 | 44 | |
・現代俳句を読む 中山雅史 | 47 | |
・百花寸評 今井星女 | 49 | |
・鳥雲集同人特別作品 | 52 | |
・奉燈句 (こみち) 福嶋ふさ子 | 54 | |
・俳誌拝見「槐」10月号 森山暢子 | 55 | |
句会報 群馬白魚火磴の会 | 56 | |
・実桜総会記 再会 今泉早知 | 57 | |
・「白魚火燦燦」転載 | 58 | |
・うつのみや文芸協会俳句大会 和田伊都美 | 59 | |
・俳人協会静岡県支部大会について 福田 勇 | 60 | |
・「俳句生活」転載 ・「狩」転載 ・「遠嶺」転載 | 61 | |
・今月読んだ本 弓場忠義 | 62 | |
・今月読んだ本 牧沢純江 | 63 | |
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載) 小川惠子、渡辺晴峰 ほか |
64 | |
白魚火秀句 仁尾正文 | 111 | |
・窓・編集手帳・余滴 |
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季節の一句 |
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(唐津) 谷山瑞枝 |
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初詣をんなも大志抱かねば 横田じゅんこ (平成二十年三月号 白光集) 少年期を疾うに過ぎた私には、クラーク博士の「少年よ大志を抱け・・」の言葉があるように、身に沁みる力強い一句。女性への励まし、応援句のようで気合が入っていてありがたい。 初詣という季語により、作者の心に秘めた新たなる決意がうかがえる。 「抱かねば」のねばは、巳然形+ば=順接の確定条件(NHK俳句10月号参照)おんなも大志を抱かなければ、となる。はい、そうですね。 道問へば頬被解く女かな 横田じゅんこ (平成二十年三月号 白光集) 唐津市は平成十七年の市町村合併で二つの村が消えた。村は消えても田舎は田舎で風景もそこで暮らす人も何ら変わりはない。 畑仕事中に、車から降りて来て道を問われ、仕事の手を休め頬被りを解く仕草、身振り手振りで、地方言葉に時々標準語を交えた説明をする女。その姿に、都会の洗練された女性の姿は微塵もないが、寒さの中頬被りを解く女は、この上なく温かくお人よしであろう。問う人も教える人も共にぺこぺこと頭を下げている光景は暖かく微笑ましい。 をんなと女、一句の中での存在感があり素敵に輝いている。 |
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鳥雲集 | |
〔無鑑査同人 作品〕 | |
一部のみ。 順次掲載 | |
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寧 楽 安食彰彦 回廊の円柱朱色いぼむしり いかめしき奈良の佛に菊一輪 落葉掃く爺東塔語りけり 式部の実微笑む吉祥天女像 鰯雲笛吹く天女風を呼ぶ まほろばの明日香の里の秋桜 秋澄める奈良の茶粥のまろき味 蜜柑捥ぐをみなに径を尋ねけり 棒 稲 架 青木華都子 秋滝の岩百畳の滝だたみ 秋蝶に追ひ越されたる上り坂 みちのくへ乗り継ぐ駅の昼ちちろ みちのくの棒稲架隊を組みし如 山上湖凪いで錦木もみぢかな 午後からは一面霧の山上湖 栗拾ふ自給自足の山暮し 初雪となりし深夜の露天風呂 兎の前歯 白岩敏秀 唐辛子風を加へし今日の色 親子鹿水飲みに来る分教場 潮の香の軒端に海女の吊し柿 雀来る落穂拾ひの帰りし田 秋耕の人隣田へ移りけり 秋深むひかりに透かす手漉和紙 秋遍路淋しき笑顔返しけり こりこりと兎の前歯初しぐれ とろろあふひ 坂本タカ女 夭折のおもかげとろろあふひかな 黄落や角の重たき犀の首 稲妻やつづらの中の父の文 底突きし口紅のべに蛇穴に 萩白しをみなひとりの酒すこし 群ごとの向き首揃へ鴨来たる ポケットの句帳を探る秋の山 芭蕉忌の大向日葵の枯れなりし 十 三 夜 鈴木三都夫 彼岸花この世の秋を誤たず 一枝のかばかりにして薄紅葉 園丁のお茶のひととき小鳥来る 行く秋の砂丘へ零す草の種 月見草花も名残の十三夜 眺望の砂丘に惜む暮の秋 目に止めて三百六十五度の秋 人影の月の浜辺となりにけり |
櫨 紅 葉 富田郁子 献灯に石工の名あり櫨紅葉 海桐実に灯籠傾ぐ志士の墓 露けしや勤王志士といふも死語 佐比売野の芒に友を見失ふ 三瓶三山姫を神とし霧の中 ましゆまろのやうな真白き茸かな 秋 の 日 栗林こうじ 長芋を値切るもよけれ古戦場 菊の供華挿す現し世の墓ばかり 槍ヶ岳影絵に釣瓶落しかな 畑隅に残りて終の虫時雨 胸板に及ぶ秋の日阿吽像 善光寺平をよぎり鳥渡る 冷 ま じ 金井秀穂 御魂社に浦安の舞菊日和 色づきて柚子全容を顕せり 秋祭たつた五坪の村社 山側から乗客埋まる紅葉船 外されて棒稲架の心よろけをり 冷まじや枯るるものなき恐山 草 の 絮 坂下昇子 木犀の押し合うてゐる香りかな 蓑虫の蓑より垂るる雨雫 暗闇に猫の目光る十三夜 積まれたる藁に凭れて捨案山子 蔓引けばたわいなく寄る烏瓜 草の絮風の行方を追ひにけり 烏 瓜 二宮てつ郎 ナースコール遠く鳴りゐて十三夜 陸橋の裏見え秋の祭過ぐ 同室の一人退院鰯雲 ちちろ虫病衣四六時身に馴染み 透明硝子透明硝子鳥渡る 烏瓜終日道路工事音 下 り 簗 野沢建代 青竹の太きを渡し下り簗 錆鮎の卵ぽろぽろこぼし食ふ 落鮎の魚籠に犇き合うてをり らんごくに食べて落鮎づくしかな 山の日の透けて渦巻く下り鮎 手作りの丸太椅子置く下り簗 溶 岩 原 星田一草 溶岩原の花野は白き花ばかり 神杉を攀りて蔦の初紅葉 大鬼怒の鳶ひとつ乗る秋の風 秋の蝶日当たる花をたどりゆく 朴は実に湯川の流すエメラルド 腰下す丸太に茸の匂ひかな |
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白魚火集 |
〔同人・会員作品〕 巻頭句 |
仁尾正文選 |
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栃 木 小川惠子 会津西街道釣瓶落しかな 落人の里の重たき稲架を解く 急流の渦の放さぬ紅葉かな 搗きたての新米ぬくき紙袋 実石榴の頤はづし熟れてをり 津 山 渡辺晴峰 青梨を苞に砂丘を後にする 買手まだつかぬ通草や朝の市 何磨ぐとともなく木賊刈つて干す 手を掛けしとたん実の散る紫蘇を抜く 雨三日いちどに秋を深くせり |
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白魚火秀句 |
仁尾正文 |
当月英語ページへ |
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謹賀新年。会員の諸兄姉が今年も健やかで佳句を見せてくれるよう祈念して止まない。本誌グラビアに新年の祝句を掲げて年賀状に代えさせていただいたのでご諒承願いたい。 急流の渦の離さぬ紅葉かな 小川惠子 落椿われならば急流に落つ 鷹羽狩行 の自註に「桜とちがって椿は老残の姿となって落ちる。いっそ、いさぎよく、たちまち渦に呑み込まれる急湍に落ちてほしい」がある。対して掲句は急流の渦に沿って回っている紅葉。折りには渦に巻き込まれて見えなくなるが、やがて又浮き上って渦と一緒に回り下流には流れてゆかない。美しい紅葉なので急流が手離さないのである。紅葉もまたここを離れたくなかったのであろう。 見るともなくこの景を見ていた作者は、渦に巻かれている紅葉が流れてゆかぬので凝視を続けた。美しいと紅葉を褒めながら。そのために急流も渦中の紅葉を心の中を垣間見せたのである。愛惜の目で自然に目差しを注ぐと自然もこれに応じるのである。写生の秀句は、おしなべてこのようにして生れる、と思う。 何磨ぐとともなく木賊刈つて干す 渡辺晴峰 木賊はトクサ科の常緑性のシダ。径四・五ミリ、高さ三十センチから一メートルに及ぶものもある。野生種であるが栽培された時代もあった。今は観賞用に庭先に植えられたものが主である。茎に珪酸を含むのでこれを煮て乾燥させたもので昔は木細工等を磨ぐのに用いられた。「磨ぎ草」が「トクサ」になったもの。 掲句も特に目的があって作ったものではなさそうだ。昔から邸内に生える木賊を刈って干しているが家例のごときもの。用途があってではない。一連五句はいずれも平易であるが平板ではない。読む者に何の負担も負わさない。何れも単純化されているが永年磨いてきた芸がものをいっている。 狩仕度初陣の犬落着かず 黒崎法子 かなり訓練された猟犬であっても初めて猟場に行くのは緊張してまだ出発をしていないのに落着きがない。 かつて三陸に勤めていた頃、狩猟好きの社長が血統書付きの子犬を連れてきて猟犬になるよう訓練してくれと事業所長に頼んだ。事業所随一の腕の者が選ばれたが、この人は病気や怪我をさせてはいけないと心身をすり減らしていた。そして毎日二回三十分ずつ子犬を繋いで耳元で紙ピストルを鳴らし続けるのである。犬は悲鳴を上げて暴れていたが何ヶ月を経るとすっかり馴れてきたように見えた。もうよかろうと猟の現場へ連れてゆき銃を一発撃った途端驚愕して逃げてしまった。見付ける迄一週間は事業所は大騒動であった。 白芙蓉知覧を飛びし夫の忌 白岩茂子 この夫は若き日の陸軍飛行特攻隊員であったよう思われる。知覧を飛び立つ日は自決の日。飛び立ったが飛行機の故障で引き返してきた。或いはやはり故障で不時着したのかもしれぬ。以後敗戦日までこの若鷲は苦悩に苛められたことであろう。当時の「戦陣訓」には「生きて虜囚の辱しめを受けず」という條があり捕虜になることは恥という風潮だった。特攻が又基地へ帰るということはそれよりももっと辛い厳しいことであった。掲句の「夫の忌」は七七忌であろうが、作者より編集長に新年号にはふさわしくないから没にして欲しいとの作者の伝言の付箋がこの句に付いていたが新年号であるからこそ、この秀句を鑑賞して不戦を誓い合うべき。採り上げたゆえんである。上句に置いた「白芙蓉」に亡夫への気持が象徴されている。 冬凪げる礁に波のだぼんでぼ 古田キヌエ 「だぼんでぼ」という冬波の擬音語に初めて接した。冬凪のやさしい波が礁に這い上がるときの音が「だぼん」だろうか。礁の裾の方に寄せた音が「でぼ」であろうか。とにかく手垢のついてない「だぼんでぼ」が秀逸、読者もおだやかな気分になる。 絹で拭く漆器の盆や新走り 柳井英子 この漆器は家伝の名のある塗物であろう。大吟醸の新酒が手に入ったので大切にしている盆を取り出したのである。酒器も九谷とか伊万里の名品が用意されたことだろう。そういう想像が拡がるのは「絹で拭く」の具象がよいからだ。 流鏑馬のたてがみ秋を馳け抜くる 清水孝を 流鏑馬は騎射、すなわち馬を疾走させながら鏑矢を次々と的中させる武芸。平安時代には端午の節句の行事として宮中の選ばれた精鋭が技を競い、優秀な者には帝が褒美を下賜された。今は各地の神事技芸として残されているのみだが時期はまちまちである。掲句の流鏑馬もこの祭事に練習を積んだ若者像を颯爽と描いた。「流鏑馬のたてがみ」と省略して動きの総てを描き切っている。 |
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白光集 | ||
〔同人作品〕 巻頭句 | ||
白岩敏秀選 | ||
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栗田幸雄 門灯を濡らす夜霧となりしかな 桔梗や間口二間の小間物屋 落日へ向き整へて雁渡る 鬼瓦月の雫に濡れゐたり 読み止しの源氏絵巻や秋の暮 小林布佐子 雪ぼたる文学館の明り窓 行く秋の鴨の争ふ水しぶき 空よりの光を手繰り芒原 落ち葉踏む車椅子より音生れ 深秋の水に降りゆく一羽かな |
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白光秀句 |
白岩敏秀 |
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落日へ向き整へて雁渡る 栗田幸雄 映像のスローモーションを見るようである。先頭の雁が向きを変えたため、雁の列がばらばらに解けた。もし、空に雁の曳く水尾があれば、落日に美しい波紋を広げたことだろう。 雁は乱れた列をゆっくりと整えながら、落日へ向かっていく。時間にすれば数秒の空中での無音劇だが、雁の緩やかな羽ばたきが見えてくる。 雁の長い棹は点となり、やがて落日の中に消えていった。残ったものは落日の空。遠くへ渡って行く雁を、何時までも見送る作者に孤愁がただよう。 桔梗や間口二軒の小間物屋 的確な写生句である。世の流行にへつらうことなく、昔からの構えを守ってきた小間物屋。間口も変わることのない二間のままである。 桔梗の凛とした姿が店主の心映えを象徴していよう。 深秋の水に降りゆく一羽かな 小林布佐子 掲句が呈示したものは「深秋」の季語と水と言う普通名詞そして「一羽」の数詞。湖の水なのか川の水なのか明らかにせず、どんな鳥かも説明していない。しかし、具体的イメージは確か。 作者は高く飛翔する鳥の姿勢から降下する姿勢そして着水する姿勢までの全てを見定めている。しかも、数を一羽と絞って。 説明や色彩を省いた簡潔な描写から鳥の動きが瞭かに見えてくる。見慣れた水辺の光景が墨絵で描かれたような一句である。 コスモスや中学校はテスト中 大庭南子 私が学んだ中学校は旧兵舎であった。田舎の中学校ではあったが、テストは頻繁にあった。中間テスト、学期末テスト、実力テスト、各教科の小テスト等々。戦後十年程経過した頃の話である。 テストの期間中は賑やかな校庭や教室が奇妙なほど静かになる。しかし、テストが終わればまた元の元気で賑やかな中学校に戻る。 中学校の近くに住み、いつも学校を身近に感じていないと気づかない変化である。親に反抗し、先生に反抗しながも大人に成長していく多感な中学生。思春期の揺れやすい気持ちがコスモスに暗示されている。 籾殻焼く同じ日差しに子と犬と 鈴木敬子 かっては籾殻を焼く煙は随所で見られたものだが、最近は少なくなった。コンバインの普及でライスセンターを利用する農家が多くなったのであろう。 籾殻を焼く母親について来た子ども。子どもについて来た犬。籾殻を焼く同じ日差しの中で遊んでいる。時が緩やかに流れる平和なひと時である。 籾殻を焼けば田仕舞い。田の神も安心して山へ帰られることであろう。 日本の秋はこうして過ぎ去って行く。穏やかな風景が穏やかに詠まれている。 東京に木枯吹きて驚きぬ 瀬谷遅牛 虚子に「鎌倉を驚かしたる余寒あり」の句がある。湘南の温かい地を襲った余寒が淡々と詠まれている。 対して掲句は東京に吹いた木枯に驚いている。木枯は東京に限らずどの地方にも吹くもの。しかし「東京に」と思う。高いビルが襖のように林立する東京の何処に木枯の抜け道があるのだろうと。それでも季節が来れば木枯は吹く。 寒さに首をすくめて驚くことも俳諧である。 永らへて愛さるる日々日向ぼこ 中山雅子 愛されるなどの表現は甘美で言葉に凭れ易いものであるが、掲句はそれを見事に裏切っている。 長生きをして人の役に立ち、人から愛されて暮らす毎日。長命が良い方へ良い方へと回転している。年齢欄には八十九歳とある。日向ぼこは最高の贈り物である。 落暉いま板東太郎染めて冬 海老原季誉 板東太郎は利根川のこと。利根川は群馬県北部の丹後山付近に源を持ち、その流域は一都五県に及び、関東平野を貫流して銚子で太平洋に注ぐ。幹線流路延長三百二十二キロ。まさに板東太郎と呼ぶに相応しい大河である。 掲句は利根川の大景を詠んで、対象に迫る気迫が凛として響く。 大根を洗ふ男の藁束子 若林光一 時は夕暮れ、場所は門川。男が無心に大根を洗っている。手には藁で作った束子。大根を洗う男の動作は、大雑把に見えても藁束子の動きにはリズムがある。水から出た大根はつやつやと白く光っている。 十七音の言葉からこれだけの景が見えてくる。更に言えば、男の横に山積みされた土付き大根も…。 |
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その他感銘句 |
豆を煮る火を細めたる十三夜 待つことに慣れて母老ゆ吾亦紅 色変へぬ松方丈の御座所の間 バザールの裸灯に売る鬼胡桃 手鏡のすこし重たく木の葉髪 親族の端といふ席菊の寺 松手入れ来客多き日なりけり ひとり観るひとりを惜しむ十三夜 獅子舞ひを終へ風の子に戻りたる 草の花ビーカーに挿す化学室 |
西村松子 稲井麦秋 野田早都女 齋藤 都 稗田秋美 田久保柊泉 村松ヒサ子 篠原米女 五十嵐藤重 高野房子 |
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