最終更新日(Update)'07.05.26

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第621号)
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・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
・季節の一句    吉澤桜雨子
春 泥」 仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
奥田 積、清水静石 ほか    
14
白光秀句  白岩敏秀 41
・白魚火作品月評    水野征男 43
・現代俳句を読む    村上尚子  46
百花寸評    青木華都子 48
・こみち (風によせて)   鈴木百合子 51
・「俳壇」5月号転載 52
・史跡足利学校界隈   田村萠尖 54
鎌倉吟行記      福田 勇 56
・鈴木三都夫先生、句碑誕生記    静岡白魚火会 58
 句会報「榛句会」   59
・ひなまつり茶会    小松みち女 60
・仁尾正文先生へのお便り 61
・俳誌拝見 (かつらぎ)      森山暢子 62
・青木華都子先生 句集「遠望」上梓祝賀会 63
・今月読んだ本       中山雅史       64
今月読んだ本      影山香織      65
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
     浅野数方、本杉郁代 ほか
66
白魚火秀句 仁尾正文 115
・窓・編集手帳・余滴       

鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 岬      安食彰彦

山寺に柴蘇に漬けたる春の蕗
菓子箱の焙り若布のふくよかに
菊根分け磴の上なる鎮守さま
トロ箱に少し足らざる菊根分け
春の露廃屋跡の屋敷神
背負籠の老婆の降りる梅の坂
黄水仙委細わからぬ無縁墓
梅東風や裏参道の庵と堂

 三 月     青木華都子

男には男の話題日脚伸ぶ
芽吹き急山より女声のして
流されてときに向き変ふ春の鳰
三月の少しゆる目のループタイ
啓蟄や鶏放ち飼ひにして
丸窓の嵌めころしなる春障子
山焼きの煙に犬もむせてをり
忙中閑花芽起こしの雨の旅

 たんぽぽ   白岩敏秀

枕木を井桁に組みて駅は雪
花時計針一巡に日脚伸ぶ
早春の谺返らず遭難碑
海へ向け椅子置き替ふるクロッカス
遅れ来て椅子を軋ます針供養
朝寝して夢のかけらをつなぎをり
たんぽぽや遠くの海に貝生まれ
青空の風をつなげて風車

 すずり匣    坂本タカ女

裸木のうしろに廻りみたりけり
山眠るポケットに持つ文庫本
丁寧に落款を押す雪催
雪を掻くつくづく雪の重きかな
雪卸す親綱といふ命綱
ひとひらづつのてつさしばらく箸にせる
箸長く持つは父ゆづりふぐと汁
きさらぎや和紙を貼りたるすずり匣

 椿 園    鈴木三都夫

落椿点景として椿句碑
落椿突と華やぐ椿句碑
掃かである椿を園の布置とせる
狼藉の限り椿を荒す鵯
名にし負ふ一花重たき玉椿
菰内に息をひそめし冬牡丹
冬牡丹娘盛りを菰内に
山茱萸のちまちまちまと黄なりけり
 涅槃西風 福村ミサ子
白魚食ぶ身の内澄みてゆくごとし
野梅咲く神話の川の高鳴りに
梅の花風の死角にとく匂ふ
行くほどに小暗き径や藪椿
黒猫の畦突走る涅槃西風
耕しを待つや堆肥をどかと置き

 地虫出づ  松田千世子
梅東風の道を迷うて悔もなく
海臨む三つ葉葵の涅槃寺
好い加減申すな寝釈迦聞いてをる
紅椿落ちて弾んで句碑開き
冬牡丹日差しの色となつてきし
発掘の石に経文地虫出づ

 水温む 三島玉絵
春立つや牛飼ひの積む草ロール
山の音海の音聞き木の芽張る
春嵐湖に雲影飛ばしけり
雨一と日自分のための雛飾る
洗ひ場に浸す砥石や水温む
あしおとの闇やはらかく通り過ぐ

 寒念仏 森山比呂志
鉦の音が路次を曲れり寒念仏
良寛忌いろはの言へぬ子のふえて
全身が声のかたまり寒稽古
ものの芽の尖ることより始まれり
松根油採りしは昔山笑ふ
合格の嬉しさ母を抱きしめり

 採氷現場 今井星女
火の山の裾の採氷現場かな
大沼の端の端より採氷す
息白く二言三言採氷夫
その中に女が一人採氷夫
採氷や湖の碧さもとぢこめて
沼まつり氷で造る滑り台

 春の雨  大屋得雄
一の滝二の滝雪解水落す
春日和手にペンギンの縫ひ包み
木端屑白く飛ばしぬ犬ふぐり
菜の花や裸足で遊ぶ男の子
ランドセル食み出してをり春の雨
春の雨学生服を部屋に乾す

 風光る  織田美智子
愛蔵の書を賜りぬ竜の玉
寒晴の父母の墓詣でけり
魚は氷に上り老いても漁師かな
風光る百の鴎を飛び立たせ
風花とまぎるる梅の散り急ぐ
初蝶は黄色なりけり門より来


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
    白岩敏秀選


     奥田 積

舌を刺す蔵出し原酒春立てり
晩じるは出雲のことば辛夷の芽
砂に描く方円相や春の雪
足場解く音のこだまや山笑ふ
島の上に海を重ねて春耕す


       清水静石

立春の空より雀こぼれけり
いのち濃く生きむと噛めり鬼の豆
引き抜きし穴に日の差す大根畑
旅人らの詠みたる川や水温む
抱きし嬰の足でよろこぶ薄紅梅
  


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選


     北見  浅野数方

初釜や亀香合の座り良し
水仙花男点前に開きけり
流氷の引く柔らかきうねりかな
晴れきつて余寒厳しきオホーツク
猛禽の足跡またぐ雪解風


     牧之原  本杉郁代

涅槃経涅槃の燭を揺らしけり
涅槃図のところどころの破れかな
寒牡丹合掌解く菰の中
仰向きて蕊を晒せし落椿
摘み草のすぐに萎れてしまひけり


白魚火秀句
仁尾正文
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晴れ切つて余寒厳しきオホーツク 浅野数方

 気象情報で「今夜は放射冷却現象が起るので明朝は厳しい寒さになる。」というような報道がよくある。放射冷却の仕組みはよく分らぬが、予報通りオホーツク海は雲一つなく晴れて厳しい余寒であった。同掲に
 流水の引く柔らかきうねりかな 数方
がある。アムール河口にて結氷したものが海流と風の影響でサハリンの北を廻ってオホーツク海へ二月末から三月にかけて到達するのが流氷。
 頭掲句の余寒からはオホーツクの雄大な流氷群が見えてくるのである。

寒牡丹合掌解く菰の中 本杉郁代

 花の中でも寒牡丹は健気さと美しさで最も愛惜されるものの一つである。宝珠の蕾は芽出しの頃から瞭然としていて人の目を引くが、苞が割れて花の色が見え初めると毎日目が離せなくなる。作者は珠玉の蕾を「合掌」と描写した。菰の中の寒牡丹は長い間の合掌を今やっと解いたのである。

草餅に添へし手紙の湿りかな 齋藤 都

 到来のボール箱を開けている途中から芳しい草餅の香がしてきた。手に取ってみた草餅はまだ柔らかくてそのまま食べることができる。草餅には簡単な手紙が添えられているが、少し湿っていた。搗きたての草餅をその日のうちに届くように配慮したものであった。「手紙の湿りかな」の具象は、作者と送り主の普段の付き合いが如実に分り読者を羨まがせる。

うららかや潮見坂まで遠廻り 鎌倉和子

 「潮見坂」は浜松と豊橋の境の小さな峠をなした場所である。この土地を知らない人でも海が一望できる小さな坂が容易に想像できるであろう。その上「潮見坂」ということばのひびきが詩的である。
 一句の中の固有名詞によって作者の器量が分る。掲句は作者の力量を示している。

粕汁や世話女房になれぬまま 渡辺幸恵

 この作者は、服飾関係の事業を経営しているキャリアウーマンだと記憶している。事業に専従しているので「世話女房になれぬまま」の日々を送っている。だが、永い間連れそってきた夫君には、作者の気持ちは十分に通じている。掲句は是非夫君に音読して聞かせて上げて欲しい。

島中が朧月夜となりにけり 田口 耕
 作者は隠岐島に住む。地図の上では只の一点にしか見えぬが、その地に立つと結構広く島前が晴れていても島後はしぐれていたりする。だが、今夜は雲一つない朧月夜。島の何処に居ても朧月が同じように見えるのである。

春の風邪わがままを言ふ少し言ふ 小林さつき

 「春の風邪」というと何となくやさしく感じるが症状は冬の風邪と変わることなく、インフルエンザになったり肺炎になったりもする。
 掲句。最初の「わがままを言ふ」は夫や子に精一杯介護を頼んだもの、後の「少し言ふ」は遠慮しながら。一句としては「わがままを言ふ少し言ふ」の対句。「少し言ふ」で俄然面白くなった。

節分草杣のせせらぎ音たてて 成田幸子

 掲句は「杣のせせらぎ」に立ち止まされた。「杣」は①樹木を伐木する山②杣山から伐採した材木③杣木を伐採するのを業とする人の意味があるがこの句は③の杣人すなわち木樵ととるのが面白い。杣人の住む近くのせせらぎが快よい音を立ている。春到来に敏感な節分草を配して里山の早春を描き出して穏やか。心がなごむのだ。なお「せせらぐ」と動詞に用いたものがあるが、これは誤り。「せせらぎ」の用法は名詞だけに限られる。

雪国の音の籠れる冬花火 平間純一

 新潟県十日市市の雪祭を見たことがある。この時澄み切った冬空に花火が揚ったがその清冽なことに瞠目した。南国では見られぬので殊の外印象深かった。
 掲句の「雪国の音の籠れる」の「籠れる」に注目した。旭川でも雪像を展示した雪祭が行われていると思うが、この「籠れる」はそれに係る人々の熱気であろう。何日も雪像に丹精を込めている人々や種々の準備に献身する人々のことに作者は思いを馳せたのであろう。

 ここで投句上の注意を二、三申し上げる。①何故か句稿を封筒の長さにぴったり合わして折って封入する人がいる。開封すると折った所から切れるのでセロテープで貼り合わしたものが毎月何枚かある。②作者の県名又は市名と氏名を書かぬ者が二、三名居る。左に作者の本名や年齢、職業を書くのでそれで十分と勘違いしているようだ。

その他触れたかった秀句        
春炬燵膝だけ入れて文を書く
石鎚に昨夜の雪輝る野梅かな
そのしぐさ母にそつくり水温む
禰宜乗せて磯に舟着く午祭
寒つばき一輪で足る茶室かな
馬鈴薯植うひとつひとつに語りかけ
鷹舞ひて眩しき空となりにけり
山笑ふ万年筆の試し書き
先先のこと考へず春着買ふ
落椿ぽつとり落ちて坐りけり
加藤雅子
稲井麦秋
片貝芳江
角谷 明
岡崎健風
重岡 愛
吉田智子
上野米美
中曽根田美子
長尾喜代

        
百花寸評
(平成十九年二月号より
青木華都子


熱燗や妻にも言へぬこともあり 福田 勇

 一読してためらいのない一句です。それ故に聞いてみたくもなります。しかし夫には妻に、妻には夫に言えないことは有るのです。でも互に隠し事ではなく、夫婦の気遣いなのです。熱燗でちびりちびりと楽しみながら、酔った良い気分で、ふともらした「言へないこと」聞いてしまへば何の事は無いのです。掲句から作者の思いやり、が伝わってきます。

旅に出て句帳に挿む冬紅葉 岩崎昌子

 周囲の景のひとこまひとこまを書き止めて冬紅葉の一葉を句帳に挿して即吟の掲句が、作者の旅の思い出の一句なのです。

紅葉狩帰途は足湯に寄り道す 森野糸子

 雲一つない青空 濃淡の紅葉に自づから人の心は弾み、旅心をかきたてるのです。句帳を片手に、少し足を伸ばして、気分転換、足湯にしばしの癒しのひと時を楽しんでいるのです。血液の循環が良くなることは、もちろん、全身の力を抜いて、忙中閑のこの時がストレス解消にもなり、また明日への活力となる、足湯にはさまざまな効果があるのです。

父親のピアスの光る七五三 早坂あい女

 三歳の五歳の子の手を引いて、七五三を祝う父親の耳のピアスが気になったのでしょう。それだけでなく、長髪に茶髪の若い父親…近頃では珍しくないのです。「時代は変ったのね」作者の一人言が聞えるようです。

年つまる上の子ばかり叱らるる 佐山佳子

 平成十八年も残すところ数日、数え日ともなると気が急いでいて、目の前をちょろちょろされるだけでも、いらいらするのです。叱られるような悪い事をしていないお子さんは、なぜ自分だけ叱られるのか、同じ“ちょろ”でも下の子は要領も良く逆にほめられ役なのです。親は解かっていても、つい叱り易い上の子を叱ってしまうのです。でも叱られても気にしないのが上の子なのです。叱ることは親の愛情なのです。上の子はその愛情をしっかり受け止めているのです。

「老化です」医者の一言冬はじめ 鈴木シゲ

 風邪にしては、ちょっといつもと違う? 気になって、かかりつけの医者に行って…カルテを見ながら医者の一言が「老化です」とはっきり言われた時は、一瞬がっかりしたことでしょう。しかしその反面悪い病気ではないと解かって、ほっとしたことも事実なのです。元気過ぎてブレーキのかからない患者の体調も性格も知り尽くして、さり気なく、「老化です」と言い切れる正に名医なのです。「老化」を感じさせない、また感じない作者は、いつまでも若々しいのです。

マフラーもおしやれの一つ街を行く 竹渕秋生

 マフラーの色、柄またその掛け方や巻き方で幾通りにも、おしゃれを楽しめるのです。ファッションに気を配り、そしてそれが似合う時、男性にしても女性でも毎日が充実しているのです。着て似合う時、食べておいしい時、俳句にのめり込める何事にも一途な作者の心が伝わって来ます。「街に行く」ファッションは人の目も楽しませるのです。おしゃれを楽しんでいる作者に拍手を送ります。

縄飛びの大波小波菊日和 佐野智恵

 少子化の時代勉強に追われている今の小学生に遊びの時間がほとんど無いと聞きますが、学校と塾通いだけでなく縄飛び遊びが出来るような、ゆとりの時間を学校もまた家庭でも、もう一度見直してほしいですね、大げさに聞こえるでしょうが、次世代を担う子供達に欠けているのは豊かな心の教育です。路地のあちこちで、校庭のひと隅で、子供達の明るい声が聞こえることを期待して…季語の「菊日和」が佳。

紅葉を二人占めして野天風呂 木下ひろし

 「一人占め」はよく聞きますが、掲句「二人占め」が意外な言い廻しです。この野天風呂には、たった二人であると言うことが強調されているのです。のんびりと話の弾む二人、湯あたりをしなければ良いのですが。

つづら折枯すすき又枯すすき 依田照代

 右に左に曲る度、風も日射しも景もさまざまに変って、風に揺れて光を放つ枯すすきもまた趣があるのです。色づきはじめた初もみじに、目の前に広がる空の色、このような大きな景のひと所に脇役としての枯すすきが、そこにあるから良いのです。「九十九折」景も「九十九折」に楽しめるのです。

つつましく散りつつ咲ける冬桜 大石越代
 
 「つつましく」冬桜にとって嬉しい表現ですね。花も小さく、その色は冬日の色とでも言いましょうか、そそとして、いつの間にか散ってしまうのです。

知らぬ子に挨拶されて爽やかや 櫻井三枝

 「お早ようございます」「こんにちは」と元気な子、その子は作者を知っているのです。爽やかな成長を願って。

大股に構へて一気大根抜く 杉原 潔

 気合を入れて…尻もちをつかないように。

妖精の乱舞のごとく散る紅葉 本杉智保子

 風のままに乱舞しながら散るもみじを見て妖精のようにと表現した作者の目もきらきらしているのです。


 筆者は宇都宮市在住

その他の感銘句
音楽部美術部分かつ落葉道
膝立てて爪切る息子冬ぬくし
草の根をさくつと上げて霜柱
冬麗どこか遠くへ行きたき日
一茎の影も残さず蓮枯るる
うそ寒し蟹仰向けに計らるる
銀杏散り天に高さのもどりけり
唐突に駆け抜けて行く冬の雷
飽きるほど潜りてゐたり鳰
惜しげなく剪りて呉れたる冬薔薇
高間 葉
錦織美代子
谷田部シツイ
中田秀子
藤田ふみ子
檜林弘一
橋本公子
吉岡柏枝
山下英子
常吉峯子


白光秀句
白岩敏秀


晩じるは出雲のことば辛夷の芽 奥田 積

 この句は故荒木古川前主宰の「晩じるといふ里ことば稲の花」の句に唱和されたのである。
 古川先生のこの句の句碑が前平田市の愛宕公園に建立されたのは平成八年十月である。その翌年六月に全国大会―島根大会が玉造温泉で開かれ、愛宕公園へ吟行している。
 「晩じる」は「今晩は」「お晩です」という出雲の言葉である。
 句碑の周囲には辛夷の木が多く植えられている。作者は何かの所用があってこの地に立ち寄ったのである。そして句碑の周囲の辛夷の芽立ちに誘われるように掲句を得たのであろう。
 『白魚火』の発展に尽くされた亡き古川先生への上質なあいさつである。
 「砂に描く方円相や春の雪」
 「方円相」を調べたが辞書にはなかった。作者の造語であろうが、句の全体から寺院の庭だと見当がつく。たとえば、竜安寺の石庭である。竜安寺の縁側に近いところの白砂は直線の方形な模様であるが、石を囲むところは円形の模様となっている。作者は方形と円形との組み合わせの模様を方円相と名付けたのである。
 方円相に薄く積もった春の雪が、砂の凹凸に従ってつくり出す淡い陰影は、悟りの静寂相を思わせるものであったろう。

立春の空より雀こぼれけり 清水静石

 この雀は昨日まで寒雀と言われていた雀ではない。立春の日まで天上に閉じこめられていた雀である。目の前に降りて来た雀を見て作者はそう感じ取ったのである。
 立春によって天上の春の扉が開かれ諸々の春がこぼれ、雀がこぼれたのである。作者は驚きの目で現前の雀を見ているのである。この驚きが「降りにけり」というありきたりの表現では満足ならず「こぼれけり」の表現を採らせたのである。的確な表現である。
 山本憲吉の「表現が正確だということは、感動が正確だということだ」の言葉を思い出さずにはいられない。  
 なお、富安風生の「まさをなる空よりしだれざくらかな」を思い起こすことも無駄ではないであろう。

デッサンの頬の輪郭春の雨 小林布佐子

 作者は「頬の輪郭」だけを呈示して、その頬が誰のものか明らかにしていない。男性なのか女性なのか、老人なのか若いのか一切不明である。
 真っ白な画用紙の上に一本の線が引かれ、それが広がりを持ち形となりそして頬となる。頬は濃淡がつけられて影と光をもつ。
 一枚のデッサンは画布の上に凝縮された画架の生命なのである。
 掲句は色彩の溢れる日常世界にあって、白と黒の単色で頬の輪郭を描き出して、その存在感に揺るぎがない。

絵馬堂を包みて桜咲きにけり 梅田嵯峨

 数本の桜の老木が思い切り広げた枝に、あり余るほどの花をつけて咲き満ちている。その真ん中に板葺きの絵馬堂がある。時折吹く風が落花を誘い、絵馬堂の庭や屋根に散りかかる。
 市女笠の女が通り、物売りの男が通る。貴人の乗った牛車が通る。
 この句にはそんな平安朝の絵巻物を見るような美しさがある。
 
春障子開けて青空見上げけり 星 揚子

 一面に日の当たった障子が開かれて春の青空が出現する。白の世界から青の世界への見事な転換である。
 この転換に違和感がないのは作者の動作が特殊なことではなく、日常的に読者も行っているからであろう。だから読者は安心して作者と一緒に青空を仰ぐことができるのである。 この句は四ケ所にア音を使って、春へ弾むこころをも伝えている。
 構えのない句であるが、滋味ある完成度の高い作品である。

春苗の区割あれこれ耕せり 山口菊女

 秋の収穫の楽しさもさることながら、苗の植え場所をあれこれ考えることも楽しいことである。耕しながら植える場所の区割を目で描き、目で描きながらまた耕す。
 日の永くなった畑で作業する作者に、春の土は機嫌良く裏返ってくれる。春の耕しの楽しさである。

恋猫に真直な道のなかりけり 長谷川千代子

 春は猫には恋の季節。逃げるためには曲がらねばならず、追うためには近道をしなければならない。恋猫に真っ直ぐな道はないのである。掲句は縦横無尽に走りまわる猫族を軽く揶揄してユーモラスである。
 その他の感銘句
立春の時報に合はす腕時計
折り上げて影の生るる紙雛
絵馬掛けて一礼深き受験の子
ほめてやり咲かす一輪桃の花
自転車で来て畑打を始めたる
言葉なぞ無かり熱燗注がれけり
ひなげしに触れゆく風の軽さかな
鶏が隣へ抜け出す寒の明け
梅一枝迷ひの鋏ならしけり
嫁ぐ娘に最後の雛飾りやる
中曽根田美子
渡邊喜久江
岩崎昌子
平間純一
西田 稔
五嶋休光
大石越代
山中しづ
佐野栄子
井原紀子

        
鎌倉吟行記
浜松  福田 勇

 梅花咲く旧正月(二月十八日)の日曜日、初生・梧桐句会を中心に浜松地区の会員及び、仁尾主宰・上村会長の参加を得て一行三十一人のメンバーで北鎌倉の吟行会を実施した。
 前夜から降り出していた春雨のなか、初生町~浜松駅前経由で東名高速道路を貸切りバスは順調に東進、雨も途切れ大井川を通過するころ急に春の虹が現れ、振り返るいとまもなくあっと言う間に消え去ってしまった。富士山は雲に隠れて見えなかったものの、山々からは雲が湧き出て墨絵の世界が眺められたり、県境を通過するころバスは濃霧の中を突き進んでいた。
 車内はだんだん静かになり句帳を開く人、構想を練る人様々であった。海老名サービスエリヤを過ぎたころ、早目の弁当を開き車中で腹ごしらえをし、正午少し前に目指す北鎌倉の円覚寺に到着した。
 春雨は降り続いていたが、思い掛けなく円覚寺門前で、地元の大久保喜風さん・黒川美津子さんの出迎えを受け大変感激した。お祝儀やお土産までも頂き有難うございました。会員はそれぞれのグループに別れ、句帳片手に広い境内に散って行く。帰りの車内句会が予定されているので皆真剣である。
 境内は、臘梅・まんさく・紅・白梅が見ごろで、春の雨・春泥・雨滴に光る茅葺屋根・芽だし前の木々等、春の気配に満ち溢れ途中から雨も上がるなど、豊かな句題にも恵まれ、絶好な吟行日和であったように思う。足を伸ばし縁切り寺であると言われる東慶寺や月光院にも足を運んだ人もあったが、時間に遅れる人もなくバスに戻って来て頂いた。
 その後、バスは鶴岡八幡宮に移り各人三句の投句が終わり、皆さんが参拝に行っている間に句会係で短冊貼付・句稿作成(近くのコンビニで印刷)を済ませ、予定の午後三時半に鎌倉を出発し帰路につく。帰りの車内が句会場である。
 バス出発時に全員に句稿を渡し、仁尾主宰・上村会長を選者として、互選は五句として、東名高速道路に入ってからの車内句会となった。揺れる車内での筆記はできないので、名前を隠した句稿により、番号と句を読み上げての互選で本人披講とした。二つしかない車内マイクで披講を始めるも、句作者の返事が聞こえないハプニングもあり、急遽もう一つのマイクでの代返に変えることとした。笑いあり沈黙ありで和やかな雰囲気のなかで互選も進み、いやが上にも句会の盛り上がりが見られた。
 各人の互選披講も終わり、いよいよ仁尾主宰・上村会長の本選である。先づ最初に上村会長の特選五句・入選句の発表。次に仁尾主宰の特選七句・入選句の発表である。本選に入り特選・入選句の発表の度に歓声が上がり、どよめきと共に熱気が伝わりこの上ない句会となり、仁尾主宰の講評と合せ二時間余の車内句会はあっと言うまに終わり、気が付けば藤枝付近を通過中であった。
特選句は次の通りです。

 仁尾主宰特選

春の虹旅の初めに立ちにけり  林 浩世
まんさくや句帳を開く傘の中  花輪宏子
鎌倉の余寒に出会ふ旅となる  林 浩世
蝋梅の残花となりし縁切寺  三井欽四郎
紅梅の色深めたる雨上り  富田育子
参道に時折激し春の雨  三井欽四郎
まんさくやかやぶき屋根の東慶寺  柴田純子

 上村会長特選

春泥の靴あとたどり座禅堂  島田愃平
春雨や墨かすれたる朱印帳  福田 勇
鎌倉の余寒に出会ふ旅となる  林 浩世
茅葺の御廟の庭や臥竜梅  福田 勇
結界の竹青々と菖蒲の芽  野沢建代

 特選になった方々の健闘をお喜び申し上げます。おめでとうございました。今後のご活躍を期待いたします。
 この鎌倉吟行会の企画に当った島田愃平さんには本当に有難うございました。浜松白魚火会始まって以来の本格的なバス車内での句会が成功裡に終わったのも皆さんの協力の賜と感謝いたします。
 また、本吟行に参加した三井欽四郎さんから次のコメントも頂いております。
「吟行のお誘い有難うございました。晩学で俳句講座が中心の私には吟行の経験も少なく良い勉強になりました。
 北鎌倉では傘をさしての吟行となりましたが、それも俳句の味わい、帰りのバスの披講で往路の車窓でみた虹をはじめ、この日らしい句に出会いました。私の春の雨の句も主宰の選を頂き望外の幸せでした。
 帰りの車中句会も初めての経験、句稿作成の手際良さには感服しました。主催の皆さんの陰のご苦労に感謝です。」
 入会したばかりの坂田吉康さんも「初めての参加で、楽しい有意義な吟行で勉強になりました」と感想を述べておりました。
浜松白魚火会では、今後このような吟行を各支部で企画し、全会員で押し上げて行くことを確認し合い、楽しい吟行会を終わり無事浜松に着き解散致しました。次回の吟行を楽しみにしております。


禁無断転載