最終更新日(Update)'07.02.03

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第616号)
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・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
・季節の一句    三浦香都子
姿川(主宰近詠)仁尾正文   
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
出口サツエ、前田清方 ほか    
14
・「山陰のしおり」転載  39
白光秀句    白岩敏秀 40
・白魚火作品月評    水野征男  42
・現代俳句を読む    村上尚子 45
百花寸評    今井星女  47
・俳誌拝見(燕巣)   森山暢子  50
句会報   「函館白魚火会」 51
・ 群馬県・栃木県白魚火合同俳句大会 52
・こみち(狭庭)   荒木千都江 55
・今月読んだ本        中山雅史       56
・今月読んだ本       影山香織      57
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
      渡辺晴峰、藤江喨子 ほか
58
白魚火秀句 仁尾正文 107
・窓・編集手帳・余滴       


鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 一 番 星    安食彰彦

鉦叩美男に在す辻地蔵
速達車止まる紫苑の駐車場
郵便夫白萩の径来たりけり
晩稲やゆつくり一輌電車過ぐ
一番星助手席の子の指させり
地蔵堂紫苑の供華のあるばかり
秋の日を溜むる八雲の横顔に
間引菜の馬穴二杯となりにけり


 日 本 晴   青木華都子

師を迎ふ秋晴れといふ日本晴
がうがうと水の大渦小渦澄む
露葎踏む踝を濡らしては
秋天にとどきさうなる太郎杉
蔦もみぢ螺旋に巻ける二の鳥居
昼ちちろ坊の厨の手揉み井戸
石畳継ぎ目つぎ目の草もみぢ
旅の荷に迷ひ込んだるつづれさせ


 水 澄 む   白岩敏秀

こほろぎの鳴いて特急通過駅
秋の日や旅のかばんに文庫本
芒野に風満ち空に星満つる
牧の牛芒の風をみてゐたり
水澄めり天の真名井と名をもちて
秋の雷ふつふつと飯炊きあがる
遅れたつ一羽加へて去ぬ燕
閉ぢてまた夜長の本を開きけり


秋 彼 岸   水鳥川弘宇

海風にいよいよ固し新松子
露草の色に濃淡無かりけり
溝蕎麦のはびこる径といへば径
五分咲きといふ静けさの秋桜
生家までゆつくり歩く秋彼岸
わが足に適ふ里山鵙日和
ひと部屋に三つの時計秋深し
蒲団干し老の一日始まれり

 鳥 渡 る   山根仙花

汚れなき帰燕の空となりにけり
虫鳴くや土間に転がる火吹竹
鍋釜の鎮もる虫鳴く夜の厨
秋の夜の身ほとりに添ふ影多し
走り根にからむ走り根秋の雨
文鎮は古鏡の形小鳥来る
皿に買ふ豆腐一丁鳥渡る


鮭 の 秋   宮野一磴

実より葉へいろうつろへりななかまど
ムツクリの韻き古潭の秋思かな
窄めらる梁組む河口鮭の秋
ウエットスーツ乾して昼寝の鮭の蜑
珊瑚草朝湯滾らせ湖畔宿
木道は旧き枕木つづれさせ


 秋 の 潮   富田郁子

旅に汲む釣井の水も澄めりけり
回廊に立つ十月の嫁御寮
朱の鳥居より秋潮の満ちて来し
ひたひたと脈々と満つ秋の潮
社家通り孤独な鹿にあひにけり
神の鹿町家通りの辻々に


 秋 光   栗林こうじ

鰯雲黒姫山を低うせる
秋光の眼窩にとどくお賓頭盧
飛ぶ火山鋭峰ゆるぶ秋霞
犀川の碧流のゆく秋高し
爽籟やどつかと海津城址の碑
鹿島槍双耳に釣瓶落しかな


 一   途  鶴見一石子

山あれば渓ある釣瓶落しかな
百羽来て二百翔び立つ稲雀
日暮れ来る潮を一途に雁渡る
大甕に秋七草を溢れしめ
草もみぢ入るを許さぬ忠治墓
笑ひ茸笑つてみたく指觸るる


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
    白岩敏秀選

     
     出口サツエ

草の花兵を運びし鉄路跡
全校の児童三人小鳥来る
小鳥来る海人の社に力石
賢治の忌乗り放題といふ切符
一つ家にゐてそれぞれの夜長かな



     前田清方

母死してより無花果の乳白し
原稿の枡目埋まらず穴まどひ
女人より貰ふ毒茸かも知れず
代々の墓地に代々曼珠沙華
千恵蔵の時代劇かな熟柿かな


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

   津 山  渡辺晴峰

積ん読の本を取り出す秋初め   
大雨に叩かれ大根蒔き直す
容赦なく水口切つて落し水
稲刈を横目に一輌列車過ぐ
中日を過ぎても燃ゆる百日紅



   出 雲  藤江喨子

休み田を純白に染め蕎麦の花
灯台に影を落して鳥渡る
神の嶺に一灯ともる居待月
潮の香に釣糸垂るる良夜かな
どこからか木犀香る社家通り    


白魚火秀句
仁尾正文
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容赦なく水口切つて落し水 渡辺晴峰

 稲が実って穂が垂れる頃田の水は不要になるので畦を切って落す。今月号で
棚ごとに違ふ音色を落し水 大澄 滋世
という秀句があるが、歳時記が解説する落し水の本意はこのような作品である。
 対して頭掲句は、緊急に畦を何ヶ所か切って落している水のようだ。きっと台風の大雨により稲田に危険が迫ってきたのであろう。「容赦なく」と具体的である上、一句全体の声調が厳しい。
 最近排気ガスが増えて地球が温暖化し、台風やハリケーンの被害が予想を遥かに上回っている。豆台風位かと思っていたものが上陸すると死者十数名行方不明数名……という風に。「野分」は死後と化した感さえある。頭掲句からは、どうしようもない農家の憤りのようなものが感じられる。

どこからか木犀香る社家通り 藤江喨子

 社家は世襲神職の家筋のこと。作者の住む近くには天下の出雲大社があり何軒かの社家がある。大社教の千家、出雲教の北島国造家等々。北島家などは八十代も続いているというからさすがである。
 掲句の「社家通り」というのは、地図に載っている通りではなく、土地の人が昔から呼び馴らしている、社家が何軒かある通りであろう。その辺を歩いているとどこからか木犀がかすかに香ってきた。遠州地方の方言で木犀を「七里香」というが花は見えなくても随分遠くより香りは届く。出雲大社の辺に暮して大社を誇りにしている作者に社家通りの木犀の香は心身をすずやかにしたのである。

向日葵の全身種となりにけり 吉川紀子

 大きな向日葵は丈二~三メートルにも及び横向きの茎頂花の径は三十センチにも及ぶ。周辺の舌状花は鮮黄色、中央の無数の管状花は紫複色でこれが種になる。
 掲句には誇張があるがそれを思わせない迫力がある。作者の気魄が籠った描写だからだ。

新聞の折目揃へて萩の花 杉浦千恵

 前句の奔放に対しこの句はつつましい。新聞を読んだ後きちんとページ通りに折目を揃える人も居るが、わが家の主の如くページも折目もくしゃくしゃにする人も居る。
 掲句は右のような几帳面な人なのか。あるいは、新聞屋が毎月各戸に故紙回収に来る景か。庭先に四角に畳んで紐で縛った新聞紙はどれも折目がきちんと揃っている。
 何れにしてもこの句に「萩の花」という絶妙の季語を配した作者の感性は仲々のもの。

冷まじや雪隠にある刀掛 吉岡房代

 よく保存された武家屋敷であろう。広い間取りの厠の一処に刀掛があったのだ。「常住戦陣」の武士の心根がこの刀掛から読み取れて作者は、はっとしたのである。

ご本家の厚き釜蓋栗御飯 浅見善平

 大家族時代の本家では五升炊の釜が竈に据わり毎日の炊飯に使われていた。だが、時代が代り今は正月餅を搗くとか、何かの祝ぎ事のときおこわを作るときしか使われない。作者は釜に載った蓋の随分と分厚いことに感じ入り改めて本家の長い歴史を思っているのである。

一日の寿命惜しまず花芙蓉 太田新吉

 沙羅の花捨身の落花惜しみなし 波 郷 
の如く、沙羅も芙蓉の花も美しく咲いて一日で落ちてしまう。惜しまれつつ夕方花を落す芙蓉が一際美しい。潔い。この作者は今病臥中である。美しい芙蓉の花が寿命を惜しまず落花することに胸を熱くしているのだ。

夫のこと忘るも供養秋の風 古田川美穂子

 生前の夫のやさしくしてくれた場面や楽しかった旅などがしきりに思い出される。ああもして上げたかったこうもしてやりたかったという思いに明け暮れの毎日であった。しかし時間が経過して、このように沈んでいるより明るく暮らし、むしろ夫のことを忘れてしまうことの方が泉下の夫には喜ばれるのでないかと気付いた。その方が追善供養になると気付いたのである。

六十年連れ添ふ妻と月の庭 神田穂風

 六十年も連れ添ってきた妻、つまり、ダイヤモンド婚をすませた夫婦である。病気もせずに日々を静かに暮している「変りない暮し」が最高の幸せである。名月の夜庭に立っている二人に心からなるエールを送りたい。

畦道に花魁のごと曼珠沙華 佐野智恵

 後れ毛もなく投げ出された曼珠沙華の蕊はまさしく花魁の髷といっていいだろう。


    その他触れたかった佳句     
箍すこしゆるびし桶に秋の草
数珠玉やお手玉にある数へ歌
大文字草ちんまり咲かせ子種石
見送って見送られたる良夜かな
秋蝉やまだ陶搨にあるぬくみ
一抱へ余の萩括る大童
かすかなる風に香のある萩の道
稲刈機止まるのを待ち声を掛く
夜神楽の大蛇小さくたたまるる
猪の股を広げて丸焼きに  
船木淑子
大塚澄江
飯塚比呂子
奥野津矢子
福田恭子
大関ひさよ
稲野辺洋
寺本喜徳
藤本基子
諸岡ひとし 


百花寸評
     
(平成十八年九月号より)   
今井星女

神苑に風の飛脚の落し文 片瀬きよ子

 落し文は楢や樺などの葉が筒状になって落ちているのを言うが、これは「おとしぶみ」という昆虫がその中に卵を産みつけているのであると歳時記にある。昔の人は「鶯の落し文」とか、「時鳥の落し文」とかなかなかしゃれた云い方をしていた。
 この作者は、「風の飛脚」とロマンチックに表現して詩心を高揚させている。この落し文は何を神に願ったのであろうかと想像するのもたのしい佳句である。

蔵中に飾る遺品や桜桃忌 高野房子

 青森県津軽地方、金木町に作家太宰治の生家がある。(本名津島修治、明治四十二年生れ)
 太宰治はこの地方の大地主津島家に生まれ、青森中学から東大へ進学している。ご存知のように「斜陽」「人間失格」「桜桃」などを発表したが昭和二十三年東京玉川上水で自殺した。金木町の生家は父親の代に建てられた。(明治四十年)建坪二五四坪の豪邸で二階建の大きな蔵が太宰治の遺品の展示室になっている。現在は斜陽館として町が管理している。
 太宰ファンなら一度は金木町へおいで下さい。斜陽館から北へ徒歩十五分のところに芦野公園があり、太宰治文学碑が建っている。『選ばれてあることの恍惚と不安と、二つわれにあり』太宰が愛誦したというヴェルレーヌの詩がきざまれている。

妻籠宿本陣燻す夏囲炉裏 土屋 允

 長野県木曽街道の馬籠は文豪島崎藤村の出身地であり、そのすぐ近くに妻籠がある。
 藤村の初期の詩集「若菜集」より
   初恋
 まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり この詩のモデルは妻籠の少女だったといわれている。
 妻籠、馬籠については藤村の小説、「木曽路はすべて山の中である……」で始まる「夜明け前」にくわしいが、本陣は江戸時代、諸大名が江戸へ往復の途中に宿泊した公認の旅館。藤村の生家もそうであったように、当主は村の庄屋が多かった。
 今も残っている旧脇本陣跡の妻籠の宿。来客のために名物の五平餅を囲炉裏で焼いてくれたのであろうか。
 妻籠宿の保存は『売らない、貸さない、壊さない』の妻籠憲章によって守られている。

父の日やビルマに向きて頭たれ 服部正子

 作者のお父様は太平洋戦争の最中、南方のビルマで戦死なされたのであろう。
 「父の日」といっても何一つ親孝行の真似もできない淋しさ。無念の思いで戦死した父の心を思うと心が張りさけそうな気がする。「あゝあの戦争さえなかったら……」と今はしずかに南の国の方向へ向って頭を下げ父の冥福を祈るだけの父の日なのである。

花を植う平和憲法記念の日 山田敬子

 今、憲法を変えようとか、いや憲法第九条は絶対守るべきだとか、日本中を二分して世論が湧き立っている。
 作者は平和憲法を守り、二度と戦争をする国にしてはならないと誓い、日本中に美しい花を植えたいと願っているのだ。
 私もまったく同感です。

徴兵は命かけても阻むべし
母、祖母、おみな牢に満つるとも 石井百代

 この短歌は、かつて「朝日歌壇」で四人の選者の中、近藤芳美、前川佐美雄両先生の、第一首に選ばれた作品である。作者は明治三十六年生まれの東京の人で、後日瀬戸内晴美が『嵯峨野日記』の「みそはぎ、女の祈り」の中で激賞している。そして『戦争は男のするもという考え方はもはや旧い。戦争責任は男だけのものではないと思う。愛国心の前に、人類愛の方があるべきだと私は思う。』と結んでいる。

舟盛りに動いてをりし烏賊の足 井上春苑

 眞烏賊の最盛期。生け簀からとりあげた烏賊でさっそく刺身をつくり、大皿に盛り付ける。おやおや添えられた烏賊の足がまだ動いているよ。そんな新鮮な烏賊料理を食べさせてくれる店は港町でなければない。
 私の住んでいる函館港の朝市の食堂でも、人気料理の一つとして食べさせてくれる。

汗だくで泣く子笑ふ子保育園 原田妙子
 「汗だくで」という表現が、子供の姿をよく描いている。幼児の笑い顔も泣き顔も本当に可愛いものだ。全身で感情を表す幼児の姿を、愛情をこめて見守っている保育士。賑やかで楽しい保育園のひと時。

蜘蛛の囲の必ず顔の高さかな 広岡博子

 そういわれてみれば、そうかもしれない。よく気がつきましたね。発見ですね。
 蜘蛛は木から木へ一本の丈夫なナイロン製のような細い糸を張って、真中に藝術品のようにまるい網をつくる。その中央にご本人は獲物が掛かるのをじっと待っている。網は、蚊や蝶も人間をねらって刺すことがあるから、人間の目線の高さが効果的なのかも知れない。苦労して生きるために作った蜘蛛の巣は破らないで、そっとしておいてあげたい。

夏祭り黒子の役に徹したり 岡あさ乃

 黒子は歌舞伎で、役者の後見役。また、後見役が着る黒い装束のことを云うが、この句は裏方のお手伝いの方と解したい。表舞台には出ないが、着替えの手伝い、神酒の用意、又お接待の料理づくり、裏方の力がないと祭典は始まらない。万事手ぬかりのないようにと氣を配るのも、重要な仕事の一つ。そんなお役目をひきうけてくれた作者にごくろう様といいたい。

蕨山熊と格闘せし話 岡田万由美

 作者のお父さんは林業を生活としておられる方なのかもしれない。
 久しぶりに実家に里帰りした娘に、父が熊と出合った話を聞かせてくれた。
 山で熊と出合って、夢中になって追い払い命びろいをしたとのこと。
 元気なお父さんの少々オーバーな話を、真剣に聞いてくれる家族。「よくまあ、無事で、よかったこと。大変でしたね。格闘?本当?」そんな声も聞こえそう。

   筆者は函館市在住
           

白光秀句
白岩敏秀

 一つ家にゐてそれぞれの夜長かな 出口サツエ

暖かい家族の絆のなかでのそれぞれの夜長である。一家団欒のあと、各人の部屋に籠り、思い思いに長い夜を過ごす。ある部屋からは軽い咳の音が聞え、ある部屋からは静かな音楽が流れてくる。また、ある部屋は音もなく靜かである。恙ない毎日の生活に、健康な家族の幸せが感じられる。同時発表の「全校の児童三人小鳥来る」は微笑ましい。小鳥が来るのだから山の分校であろう。西東三鬼に「緑蔭に老婆三人わらへりき」の句がある。ある人が三鬼に、なぜ三人かと訊ねたところ、三鬼は「三人は天の声だ」と答えたそうだ。この句の三人は実数だったのだろうか、或いは天の声だったのであろうか。この作者は童心のたっぷり入った袋を持っているに違いない。

 母死してより無花果の乳白し 前田清方

この作者は白魚火全国大会に出席するたびに、選者の短冊を必ず持って帰る。私が親しみを込めて大会荒しと呼ぶ所以である。私は彼の本を二冊持っている。「前田清方個人年鑑」①と②である。その一冊に次の句がある。「鏡に航くは船火事その秋のトットリーノ」「木の実ふる広大に降りニュートリノの墓」。彼はこの句を「私自身の若き日の故郷喪失感を詠ったつもりである」と説明している。故郷喪失のカオスの中から生まれた句なのであろう。さて、掲句である。無花果の乳は古来から白いものである。それを母上の死を契機い白と認知したことは、彼の意識のなかで故郷が復活したことを意味していよう。無花果の乳の白さは母への想いであり、母の生きてきた故郷への想いのように思われる。剛情なまでに純粋でありながら、故郷への含羞のあるあいさつと言える句である。

 烏瓜届かぬ高さなれば欲し 横田じゅんこ

山道を歩きながら、ふと目についた烏瓜である。蔓の先でぶらぶら楽しそうに揺れている。採りたいと思うのだが、高くて手が届かない。普通ならここで烏瓜を写生して、一句成れりと句帳を閉じるところ。しかし、作者は見るだけでは満足できず、欲しいと思ったのである。採れぬ高さならば尚更なことである。主情の強い句に拘わらず、それを柔らかく包んでいるのは、色づき始めた周りの木々や秋空の青さが句の背景に隠されているからである。あざやかな表現技術である。

 コスモスの丈の少女の笑顔撮る 澤 弘深

コスモスと少女-何とも可憐な組み合わせである。しかし、甘さはしっかり抑えてある。この句、苦労なしに完成したように思われるが、「コスモスの丈の」という形に定まるまでは、作者は何度も案を練り、推敲されたことと思う。たしかに、コスモスと少女の組み合わせがあれば、一通りの句は出来る。しかし、作者は尋常な句には満足できなかったのであろう。出来上がった句には推敲の苦労の跡はない。あるのは風に揺れるコスモスと少女の笑顔である。この句、コスモスをみるたびに、「少女の丈」を憶い出させて呉れそうだ。

 水割りの薄く残りて夜寒かな 竹元抽彩

飲み残した水割りの氷が溶けて、ウイスキーの琥珀色が薄くグラスの底に残っている。その薄くなって残ったウイスキーに作者は夜長を感じ取ったのである。私はこの句に長谷川素逝の「ふりむけば障子の桟に夜の深く」の句を思った。山本健吉は素逝の句を「桟の黒い影にあたりに、不気味な空気が凝縮しているようだ」と評している。掲句も薄く残った水割りに夜寒が凝縮しているのである。作者は剣道の師範と聞いたことがある。きっと豪気さと繊細さを持ち合わせた剣士なのであろう。

 手のひらを返す風向き大根蒔く 勝部好美

蒔く種が風に飛ばされないように、風の向きに合わせて手のひらを返す。なるほどと思う。この句、二度三度と繰り返し読むうちに、返す手が盆踊りの手の動きに似てくるから不思議である。リズムも踊りに乗っている。それはさて措き、手の動きなどは実際に蒔いて初めて気付くことであろう。経験から生まれた句ほど勁いものはない。

 猫の手となりて手伝ふ豊の秋 篠崎吾都美

この句は「猫の手も借りたいほど忙しい」を逆手にとって、ユーモラスである。近頃は機械化が進み、人手はあまり必要とないが、それでも忙しい。たいして役に立たないと知りつつ、手伝っている作者にエールを送りたい。



     その他の感銘句
秋更くる左の肩に鞄かけ
爽やかや百まで生きるつもりらし
初紅葉アキレス腱のよく伸びて
ひたすらに咲いて野菊となりにけり
竹伐つて鉄砲かつぎに僧下り来
高原の馬の耳立つ秋の風
水底の石磨かるる九月かな
蟷螂が小さい顔でよく怒る
暗がりに転がつている南瓜かな
斉藤 萌
大石登美恵
谷山瑞枝
坂下昇子
森井章恵
村上尚子
名波綾子
瀨谷遅牛
安食充子

禁無断転載