最終更新日(Update)'07.05.22

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第620号)
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    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
・季節の一句    松田千世子
寒梅(主宰近詠)仁尾正文   
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
田久保柊泉、荒井孝子 ほか    
14
白光秀句    白岩敏秀 41
・白魚火作品月評    水野征男  43
・現代俳句を読む    村上尚子 46
百花寸評       今井星女  48
・こみち(初弘法)     大塚澄江 51
・青木華都子第二句集
  「遠望」の世界に寄せて  鶴見一石子
54
・青木華都子第二句集
  おめでとうございます    伊藤通明
59
・「毎日新聞」19.2.11号転載  59
・「下野新聞」19.2.5号転載 59
・俳誌拝見(百鳥)    森山暢子 60
句会報   「江の川吟行句会」 61
・烏山和紙工房の竣工を祝って  鶴見一石子 62
・白魚火同人会監査会句会    三島玉絵 64
・「山陰中央新報」2月1日号転載 65
・「山陰のしおり」'06 11号転載 66
・「春月(戸垣東人主宰)」3月号転載 67
・「山暦」2月号転載 68
・今月読んだ本     中山雅史 69
・今月読んだ本       影山香織      70
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
      鳥越千波、舛岡恵美子 ほか
71
白魚火秀句 仁尾正文 120
・全国大会日程  122
・平成19年 白魚火全国大会申込書
・窓・編集手帳・余滴       


鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

  梅  安食彰彦

雪雫落す侠烈殉難碑
水仙や網代袖垣手水鉢
蝋梅や棗の形の手水鉢
春の闇表書院の釘隠
警策に草書の無の字春日影
紅梅や東司の文字のうすれをり
紅梅の香のある庭の筧かな
緋衣の達磨大師や梅真紅

 
 寒 四 郎  青木華都子

窯出しの壺に耳あり寒四郎
ニイハオの国の消印寒見舞
寒禽の間を置いてまた別の声
一枚の葉を閉ぢ込めて厚氷
風呂敷の女結びや寒明くる
こちらかと思へばあちら笹子鳴く
腕種の親指ほどの蕗の薹
防火用桶にも家紋水温む

 
 室 の 花  白岩敏秀

ふくよかな影を重ねて鏡餅
初便り意志の強さの文字に出て
叱る子を座らす室の花のそば
てのひらに子の悴みを移しけり
寒弾きのつまづく音の続きをり
からつぽの汽車を走らせ鉄路冷ゆ
ひとすぢのしづくに細る軒氷柱
投げる子へ弾み返りて竜の玉

 
 春立てり  水鳥川弘宇

頬被見分けのつかぬふたりかな
大寒波刃のごとき風連れて
風邪籠仏頂面は生まれ付き
玄関も裏戸も応へなく凍つる
投げ入れし梅のもつとも梅らしく
年の豆噛みて昼餉となせりけり
走り書くはがき三枚春立てり
吾が齢諾ふ春の立ちにけり

  
 日脚伸ぶ 山根仙花

山深き一寺の抱く鳰の池
鳰の池までを飛石伝ひかな
鬚剃つて今年の顔となりにけり
水音の闇を貫く淑気かな
傾ぎ合ふ四温の村の辻仏
汲み置きの水に日脚の伸びにけり
麦の芽の起伏豊かに海へのぶ
もう春の雲なり山々越えてくる
  初 湯  桐谷綾子

ほのぼのと心やすらぐ初湯かな
初鏡うしろ手で結ふ袋帯
直筆の年賀の友はすでに亡く
水上スキーで鬼逃げまどふ追難式
春立てりふつくらできし卵焼き
万葉の歌垣の山春立てり

 
 女 正 月  鈴木 夢

拗ねてゐる小犬抱へて初詣
背伸びして高く結はへし初みくじ
小半日吹雪き七日の空戻る
古き良き友の集ひや女正月
侘助のぷいと横向く一枝切る
春燈や一度で通る針のめど

 
 春 の 雲  関口都亦絵

一音もあらず白白寒の月
福引の馬穴ぴかぴか初不動
酒一合豆腐半丁鬼やらふ
梅野点琴十三弦の袖袂
一村の要の一宇梅の花
春の雲受胎の牛の目に映る

 
 寒 雁  寺澤朝子

夕空へ翔ちて寒雁鉤の手に
鳰潜く世は寒々とありにけり
大寒や糸より細き月懸かり
寄植ゑにひともと添ふる野水仙
荒行の僧の帰山や梅二月
ごとと鳴り刻打つ時計冴返る

 
 乃木清水  野口一秋

檻の鶴ひもじくなれば凍るかも
袋田の凍らぬ滝となりにけり
ひともぢの俎にある微塵縞
座禅草その源流は乃木清水
紙漉場潰えし辺の芹の水
縄文のみぢかき柱節分草

 
  予 後  笛木峨堂

師譲りの端渓をもて初便り
歳時記をベッドで抱いて三ヶ日
寒蕗の焼餅届く病院に
癌退院予後の炬燵の雑然と
如月や音なく突如雪降り来
予後の身に税の確定申告書
 


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
    白岩敏秀選

     
    田久保柊泉

寒禽の去りて木立の切り絵めく
相槌のいつか寝息に霜夜かな
待春の机上にひろぐ旅案内
水溜りきらり二月の来てゐたり
春昼や一音糺す調律師


    荒井孝子

靴音の戸口に止まる寒夜かな
終電車大寒の町走りけり
滾る湯の音閉ぢ込めし障子かな
春の日の桶にあふるる車井戸
春立つや扉開きし文庫蔵
    


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

   
     唐 津  鳥越千波

あらたまの水琴窟に耳寄する
境内の名木古木淑気満つ
御神酒は廃止となりし初詣
鳩の餌のおこぼれもらふ寒雀
神苑の六百株の寒牡丹


     東広島  舛岡美恵子

秒針のことりと動き年新た
正月の人出に混る番鳩
自転車を立ち漕ぐ少年息白し
山茶花や使はぬ脚立たてかけて
寒禽の声仏塔のあたりより 


白魚火秀句
仁尾正文
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神苑の六百株の寒牡丹 鳥越千波

 簡明で歯切れがよい一句だ。句意は境内の庭園に六百株の寒牡丹が咲き盛っていることよ、である。十年程前に見た鶴岡八幡宮の寒牡丹は五百株であったので掲句の神苑もかなり大きいようである。
 この句の佳いところは「ロッピャクカブ」の声調が清朗なところ。この句のような場合中句に詠み込める数詞は三百、四百、六百、七百、八百、九百であるが促音の入ったものが力強い。すると六百と八百になるが八百は「嘘八百」が連想されたりして好悪がある。対して六百は「大般若経六百巻」などが思われ重厚でゆるがぬひびきを感じる。この句を生したとき作者には正気が充ちていたとさえ思う。「俳句は韻文」を思い出させてくれた。

秒針のことりと動き年新た 舛岡美恵子

 大晦日のテレビは年が改まる四、五秒前に秒針を大写しし「ポン ポン ポン ポーン」と最後の秒音を大きくしこれが鳴ると「明けましておめでとうございます」と御慶が述べられる。
 筆者も毎年産土に初詣するが正零時になる迄は五列縦隊に並ばされたまま。総代二人が年が改まった時報を聞いて拝殿を開き初詣が許される。
 掲出句は、如上のどちらでもない家居の越年のようだ。秒針がことりと音を刻んで年が明けたのである。掲句はこの「ことり」という擬音語が古い掛時計を思わせ、時計の掛った柱も年を経た日本の家を浮かび上がらせ、家例どおりの年越しをしたことが分かる。「秒針のことりと動き」の具象が色々なことを読者に伝えてくるのである。

冴返り冴返り星近くなる 東條三都夫

 「冴え返り冴え返りつヽ春なかば 泊雲」は冴え返る日に間隔があるが頭掲句は来る日も来る日も冴え返っている。こうした厳しい冴え返りはその都度寒気も透明度も増してくる。ために星はいよいよ澄んで手が届きそうに近く感じるのである。

母といふ盾失へり寒夕焼 後藤よし子

 この母堂は確か昨年百二歳で逝去されたと聞いている。長寿の母が元気であったので、自分の死については殆ど考えなかったが、母に死なれてみると盾を失い次の矢は否応なく自分の方へ飛んで来ることに気付いたのである。母の生存は、とてつもなく大きくて重かったことを今更の如く感じているのだ。

隣りの火我が家に移り火事地獄 山崎朝子

 隣家の火事が作者の家に移り全焼させられたようである。昼間であったので怪我人はなかったようであるが一物も残さず灰燼に帰してしまった。誠に気の毒であるが、その直後の今月白魚火に投句してきたことは立派。この気概があれば、俳句に癒されて心身、物心共に立ち直られるであろうことを疑わない。

始まりの二人となりぬ年酒汲む 林 浩世

 「始まりの二人」は結婚した時の二人。子弟を社会人に育て上げ、今年の正月は都合で夫婦二人だけで過ごすことになった。心静かに二人で交す年酒もいい。長い後半生もこのような二人だけの暮しが続くという心構えは十分できているかのようだ。

寒紅の吐ける辛口批評かな 岡田暮煙

ゆづられぬ話となりぬ女正月 山田十三子

 前句の「寒紅の吐ける」は鋭い表現。美貌で理知的な批評は男に向けられたものに違いない。
 後句の「ゆづられぬ話」は女同志の諍いであろうが、あっけらかんとしていてよい。
 両句共材料は目新しくないが包丁捌きがみごとである。

鬼様となりたる吾子や雪祭 佐川春子

 作者の住所を見ると長野県阿南町新野となっているのでこの雪祭は、柳田邦男が発掘して顕彰した「新野の雪祭」である。三遠南信に数多い祭事芸能で重要無形文化財になった夜祭である。
 掲句の「鬼様」は祭りの花形、選ばれることが名誉なのである。所によっては別棟で一ヶ月間斎戒沐浴を日々行うという修行も課せられている。掲句はその息子を誇りにし、一句を呈して激励したのである。

立春の小松菜およぐ鍋の中 山根恒子

 立春という生命が輝くような季語に配したものが沸騰の鍋の湯に泳ぐ小松菜であった。意表をつかれた感がしたのは手垢がついていないからで小松菜の真みどりも生き生きとして生命力を主張している。

    その他触れたかった佳句     
海荒れやとんどの竹の寝かせあり
雪の田においてけぼりのトラクター
妻逝きて枯菊を焚く炎かな
自転車を乗り捨て参ず初句会
往診の医者のくつさめ二度三度
着脹れて遊びざかりの齢となり
身巾ほどの剥海苔を身に添はしみる
野水仙荒田の中の一気咲き
一分三十秒真赤な冬日沈むまで
粕汁や世話女房になれぬまま
森山暢子
谷田部シツイ
内山多都夫
重岡 愛
小松みち女
中曽根田美子
渡部八代
檜林弘一
平田くみよ
渡辺幸恵


百花寸評
     
(平成十九年一月号より)   
今井星女


深秋の蓑虫庵を訪ねけり 中田秀子

 伊賀上野(三重県)は俳聖松尾芭蕉の生れ育った城下町である。この地にある蓑虫庵は芭蕉翁の門弟、服部土芳の草庵で、貞享五年(一六八八年)三月庵開きの祝いとして芭蕉翁が贈った「みの虫の音を聞きにこよ草の庵」にちなんで名づけられたという。
 筆者も一度この草庵を訪ねたことがあるが、庭には小さい古池があって、芭蕉の出世作「古池や蛙とびこむ水の音」の碑が建っていた。この草庵は芭蕉翁五庵のひとつとされているが、この中で唯一現存しているのはこの蓑虫庵だけ。時々句会や茶会が開かれていると聞く。
 掲出のこの句、季語にもってきた深秋が蓑虫庵にぴったりで動かない。季語の重みが十分に発揮されている。俳句は省略の文学ともいわれているが、作者の感動が、余韻として読者のイメージをふくらませている。
 芭蕉が生れたのは江戸時代三代将軍家光のころだが、伊賀上野には芭蕉像記念館があり、観光客の訪れが絶えない。俳人であれば一度は行ってみたいところである。

風邪癒えず病床六尺などのこと 重岡 愛

 今年の風邪はなかなかなおりにくく、作者もいらいらしながら蒲団の中で何日かを過ごしたのだろう。そんな時、ふと正岡子規のことを思ってみた。
 「病床六尺」は正岡子規が高浜虚子の口述筆記により死の二日前まで書き続けた随筆集である。
 「病床六尺、これが我世界である。しかも此六尺の病床が余には広過ぎるのである。」の文章で始まるこの随筆は、腰部脊ずい炎による高熱と苦痛の病床において、超人的な意志をもって書かれた名文である。そして、明治三十五年、九月十九日未明、三十五歳の若さで亡くなられた。
 掲句、作者は、これしきの風邪に、負けてなるものか、と思ったに違いない。

歌碑の辺に蜻蛉群るるよトラピスト 石井玲子

 函館市郊外に男子トラピスト修道院があり、その前庭に詩人三木露風の碑が建っている。露風は明治二十二年兵庫県竜野市に生れ育ったが、晩年北海道のトラピスト修道院に文学講師として招かれ、大正九年から十三年まで、この地で生活していた。
 童謡「夕やけ小やけの赤とんぼ」はこの地で作った詩といわれている。
 そんなことを下地として、一句が生れた。たまたま訪れた露風の歌碑の附辺には、昔と変わらず蜻蛉が群れとんでいた。トラピスト周辺は絶好の吟行地でもある。

朝刊の届いてをらぬ文化の日 加藤徳伝

 十一月三日、昔はこの日を明治節といっていたが、戦後は「自由と平和を愛し、文化をすすめる祭日」と定められ「文化の日」と改められた。演劇、音楽、舞踊、映画、そして文学、俳句もその中の一つ。
 作者は毎朝、新聞に目を通さなければ一日が始まらないという文化人。
 今日は朝刊が遅いな、どうしたんだろう。文化の日だというのに……といらいらしている作者の顔が想像される。
 文化の日の異外性を俳句になさったこの句、ユニークでおもしろいと思った。

体育の日は休養の日なりけり 山下恭子

 国民の体育向上をはかるために設けられた祝日、「体育の日」
 秋晴れのこの日は、子供連れでハイキングに行くとか、スポーツの観戦に行くとかで楽しい一日を送る人が多いようだ。
 この作者は、職場で責任のある仕事にたずさわり、緊張の連続で少々体調を崩してしまったらしい。
 体育の日なのに私にとっては休養の一日、と割り切って、それを一句にした。ちょっと変わった表現で、あれ?と思ったが、そんな日もありますよ。早く元気をとりもどして下さい。意外性というのも俳句のおもしろさだといわれています。

乗つてみるだけの渡船や鰯雲 挟間敏子

 東京柴又と、対岸の千葉県を境にした江戸川でしょうか。たしか、細川たかしの歌で有名になった「矢切りの渡し」と思います。
 数年前、私も葱畑のひろがる千葉県側から渡船に乗って、柴又の帝釈天の近くで草団子を買ったことがあった。
 今では珍しくなった渡し船。乗ってみたい気持になるのが俳句づくりの習性か。
 わずかな距離の渡船の体験だが、映画「寅さん」が今にも現れそうな土手の空には、鰯雲がひろがっていて、庶民の町のなつかしい風景がそこにある。

読みかけのページに栞小鳥来る 清水静石

 読書好きなこの作者、好きな小説などをのんびりと読む至福の時間……。
 そんな時、突然庭に小鳥の声。あれ!何の鳥かな?よみかけの本の頁に栞をはさみ、庭に目をやる。椋鳥か、鵯、それとも鵙かな、小鳥に移す作者の目は、もう俳人の観察力するどい目となっている。
 「小鳥来る」は秋の季語、渡り鳥の副題として歳時記にある。

脇役が主役を食へる村芝居 藤田ふみ子

 村芝居の脇役は老練な役者。好顔の美青年は主役だが、まだまだ経験不足でいまいち。そんな舞台だが観衆は拍手喝采。
<主役を食へる>とは何てユニークな表現と感心した。村芝居の素朴でたのしい様子がよく表現されている。

あちらかと思へばこちら秋の蝶 尾下和子

 あっ!蝶々だ、おやおやあっちから、こっちへ、またあっちへ……ひらひら飛ぶ蝶に目をうばわれている作者の目は正に俳人の目。
 俳句では蝶といえば春の季語になっているので、春以外の蝶は、夏の蝶、秋の蝶、凍蝶などと特にことわるといわれている。
 秋の蝶であれば、秋の蝶らしさが好しいので、この句の場合秋蝶の動きがよくとらえられていて読者の共感を呼んでいる。

長き夜や兄の綴りし農夫の記 佐久間和子

 作者は北海道の人。吉永小百合主演の映画、「北の零年」をみた方も多いと思うが、北海道開拓にたずさわった人々の苦労は並大抵のことではなかった。
 農機具もない状態の中で人力で森林を伐り拓き、何度もつまずきながら、汗と涙の中で農業に挑戦してきたのだった。掲句、作者のお兄さんの血のにじむような思いで記したであろう農業記録を、ある夜たんねんに読んで、尊敬の念をもってお兄さんを偲んでいる作者の姿が目に見えるようです。
<長き夜>がいいですね。

    筆者は函館市在住
           

白光秀句
白岩敏秀


春昼や一音糺す調律師 田久保柊泉

 手元にある辞書で「ただす」をひくと「正す」「質す」「糺す」の三つ単語が出てくる。前二つはよく眼にする言葉であるが、「糺す」は馴染みがない。「糺す」は「正す」と同源で、意味は「よしあしを明らかにする。罪を問い調べる」とある。
 とすると、作中の調律師はピアノの一音を正すだけでなく、その不調和な原因をも調べていることになる。作者は「糺す」を使って「正す」より更に深い意味を持たせているのである。
 ピアノを調律する音が間を置いて或いは連続して、たけなわの春に開かれた窓から響いてくる。季節感も十分に伝わり、リズムに揺らぎのない一句である。
 「相槌のいつか寝息に霜夜かな」
 隣で相槌を打っていてくれていた妻が返事をしなくなった。聞いているのかと言いながら横を見ると妻はもう寝息をたてている。何かはぐらかされたような、喋ったことを損したような気分になる。しかし、それも一時で妻の安らかな寝息に納得して、自らも眠りに入っていくのである。
 平凡に恙なく暮らす夫婦の暖かさが伝わってくる。

終電車大寒の町走りけり 荒井孝子

 大寒の日に終電車が走ったというだけで見過ごされ易い句であろう。しかし、この句には「今、ここに、我」がある。
 終電車は今日一日の一回だけ走る電車である。大寒の日は年一回のみである。そして、それを見ている我は昨日の我でも明日の我でもない。只今現在の我であり、繰り返すことのない一回性の今の我である。
 終電車を大寒の日に目にすることは特別なことではない。しかし、それを結びつけて句にしなかった。終電車を見ていながら、実際には見ていなかったのである。
 見ようとする者にとってのみに大寒の日に町を走る終電車が見えるのである。

夫婦てふ妙なえにしのお正月 清水静石

 生まれも育った環境も違う二人が、ある日出逢い夫婦となって生活を一緒にしている。思えば不思議なえにしである。
 静かな正月の部屋で妻と炬燵で向かい合いながら、ふとそんなことを考える。思えば自分も妻も年を取ったものである。夫婦として連れ添ってきた年月が長いようでもあり、あっという間のような気もする。
 縁あって夫婦となって、共に乗り越えた年月へのしみじみとした述懐であり、そしてこれからも添い遂げるいう夫婦の自信と余裕が感じられる。

シーソーの上がりし方に初雀 後藤政春

 公園のシーソーに降りた初雀。しかもその上がっている方へ降りてきたのである。
 雀は作者に見られていることも知らず、小さな胸を張って鳴いたり、羽繕いして逃げようともしない。無心に遊ぶ雀を作者は可愛らしく思い、立ち止まって眺めているのである。
 ある公園の楽しく小さな正月の光景である。

合併の村の銀座に残る雪 梅田嵯峨

 どこの市や町にも○○銀座や△△銀座という通りがある。合併したこの村にも銀座通りがあったのである。おそらくここも市か町になつたのであろうが、銀座通りは合併前と変わりなく、閑散としているに違いない。
 商店街に掲げられている銀座通りの看板も残っている雪が溶けるように消えていくのであろう。そして、銀座通りのかっての賑わいのみが昔話として残るのである。消えていくものの寂しさである。

大顎の写楽の影も師走かな 篠原俊雄

 写楽こと東洲斉写楽は謎につつまれた不思議な絵師である。江戸・寛政年間に彗星のように現れ、忽然と消えた。本名も生まれも分からないままである。写楽は当時の歌舞伎役者を描いたが、その鼻と顎は特徴的である。大鼻、大顎なのである。
 掲句は歌舞伎役者が「写楽の影も師走かな」と見得を切る台詞を想像させるものがある。この台詞が写楽の役者絵に繋がり、役者の大顎に結びつく。そして、再び掲句へ還り循環を繰り返すのである。
  
縄跳びの影の大きく日脚伸ぶ 知久比呂子

 日脚が伸び始めたとはっきり感じられるのは節分の頃でであろうか。その頃には木々は芽吹きの準備を始め、鳥たちは恋の用意をする。公園には男の子達の声が飛び交い、女の子達の縄跳びの縄が大きくまわり、影が大きく動く。
 春の近づきを肌で感じ、春へ向かって解放された気持ちの弾みがある。


     その他の感銘句
冷え極む鉄扉イスラム神学校
燃えさかる火事の修羅場に目を据ゑて
立春やメモになきもの一つ買ふ
白菜を漬けて十日の塩加減
浅き春窓のすき間に来てゐたり
もう一人家族のふえて初写真
本流へ奔る水音日脚伸ぶ
冬耕の肩より高く鍬光る
風花の奥に星空ありにけり
裸木の片側にある日の温み
五十嵐藤重
山崎朝子
狭間敏子
福田 勇
荒木千都江
影山香織
野田早都女
沢柳 勝
鷹羽克子
竹渕志宇

禁無断転載