最終更新日(Update)'07.03.27

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第619号)
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・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
・季節の一句    吉澤桜雨子
権宮司」 仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
石田博人、荒井孝子 ほか    
14
白光秀句  白岩敏秀 41
・白魚火作品月評    水野征男 43
・現代俳句を読む    村上尚子  46
百花寸評    田村萠尖 48
・こみち (母の残したもの)   小林さつき 51
平成19年度白魚火全国(松島)大会について 52
・「俳壇」3月号転載 54
・俳誌拝見 (春月)      森山暢子 56
 句会報「群馬白魚火 磴の会」 55
・「蕗」12月号転載 58
・「白桃」1月号転載 58
・第26回 柳まつり全国俳句大会開催要領 59
・今月読んだ本       中山雅史       60
今月読んだ本      影山香織      61
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
     鈴木百合子、谷山瑞枝 ほか
62
白魚火秀句 仁尾正文 111
・窓・編集手帳・余滴       

鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 臼 と 杵  安食彰彦

餅臼も杵も蒸籠も納屋の隅
年用意坊ちやん刈りと丸刈りと
冬帽子被りてゆけと児等の言ふ
明日よりは暴風積雪との予報
今朝ばかり初日に向ひ深呼吸
ゆつくりと正月の庭掃きにけり
屠蘇を注ぐ若き国造眩しかり
初夢に英語数学鬼教師

 お 年 玉 青木華都子

ぶつかつて水立ち上がる寒さかな
箒目を乱す四五羽の冬雀
近づけばまた遠ざかる笹子かな
数へ日の数へ時間となり暮るる
打つ鐘の余韻や年の改まる
威風堂々たる男体の初景色
若水をいただく神の竹柄杓
不意に来てすぐ帰る子やお年玉

 山 眠 る 白岩敏秀

冬帝や牛一列に山くだる
焼藷屋遠き怒濤を見てをりぬ
冬の日の藁塚より低く雀飛ぶ
潜りたる水輪に鳰の浮びけり
枯葉鳴る空のかたさにどこか触れ
天井をくすぐつてゐる煤払
大峰に添うて小峰の眠りけり
年の暮佃煮買うて戻りけり

 電話番号  坂本タカ女

鳥渡る電話番号語呂合せ
電話してゐる間の釣瓶落しかな
耳揃へ積む酒蔵の今年米
人肌に酒米冷ます根雪来る
威丈高なる酒母樽や山眠る
手洗米自動洗米寒造
もろ肌を脱ぐ麹室寒造
冬ざれや蔵にトロッコ軌条跡

 竜 の 玉  鈴木三都夫

箒目を再び隠し散る紅葉
面影を僅かに残したる枯野
忙中に一刻の閑菊を焚く
弄れば目を眩しめる竜の玉
近づいてくる笹鳴のもたせぶり
笹鳴に歩をゆるめては止めては
冬紅葉一葉に色の乱れなし
冬紅葉色を極めて誤らず
団扇太鼓 武永江邨

退屈な午後四時冬至南瓜買ふ
柚子風呂や縫はれてありしほぞの下
膝くづし炬燵の人となりにけり
声上げて追焚き頼む初湯かな
初勤行白装束の法華僧
初空へ団扇太鼓の揃ひ打ち

 山  始 笠原沢江

亡き友の育てし菊も焚きにけり
落葉して日射しを貰ふ卵塔墓
初詣一つ灯れる地蔵堂
頑くなな顔のゆるびし賀状かな
枝打ちを敷いて御饌置く山始
すずしろの歯応へありぬ七日粥

 漱 石 忌 金田野歩女

栗鼠の尾の美しき膨らみ冬柏
熱燗や段々大きくなる話
母を訪ふ振つて畳みぬ時雨傘
図書館の奥に全集漱石忌
歳晩の村社の磴の篝かな
開の文字あとは雪中開拓碑

 寒  詣  上川みゆき

山茶花の散り敷く中の葬りかな
伊勢海老を先づは遺影に供へけり
日輪はあまねく母へ福寿草
土器に怒濤ひびけり寒詣
二歳児と歌留多取り合ひ泣かせけり
井戸蓋に石ふたつ載せ年明くる

 冬 紅 葉  上村 均

葱の香を残しリヤカー行き過ぎぬ
ゴンドラの影の這ふなり冬紅葉
冬山の近き野鳥の掲示板
綿虫や行く程せまき峡の空
鴨鳴くや遠嶺に残る夕あかり
冬晴や庭師息子へ代替り

伊賀上野  加茂都紀女

歳晩の伊賀の忍者に迎へらる
新装の俳聖殿に冬雀
万年青活け芭蕉生家の年用意
彩どりの落葉寄せあり草鞋塚
旅人に釣月軒の置火鉢
お飾りの済みたる蓑虫庵を訪ふ


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
    白岩敏秀選

  石田博人

息吐いて息の白さを確かむる
城壁の反りゆるみなし片時雨
葱きざむ妻の機嫌の音に出て
負真綿母と形見の話など
明日の靴きちんと揃へ大晦日


  荒井孝子

霜の夜の静寂といふ音のあり
凍湖の風の足跡残しけり
ほうほうと赤児をあやす去年今年
初笑卒寿の父母の一と間より
浅間噴くお籠堂の初燈    


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

  群馬  鈴木百合子

唇に取り粉つきたる十日夜
集合は流鏑馬通り花八手
家苞は数珠ひとつなりお茶の花
夕凍ての一切経の輪をまはす
菩提寺の裏の山より松迎ふ


  唐津  谷山瑞枝

猪鍋を囲み上座の男かな
隣家も煙突のなき聖夜かな
逆縁の葬送に灯の凍ててをり
幾つ目の除夜の鐘やら夢ん中
初夢のいまも白衣を着てゐたり


白魚火秀句
仁尾正文
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集合は流鏑通り花八手 鈴木百合子

 この作者は平成九年に逝去した前群馬白魚火会長鈴木吾亦紅(白魚火賞、一都賞受賞)の長女である。その遺族が一周忌に遺句集を出した。俳句歴五十年の吾亦紅氏の作品は大学ノート五冊にびっしり誌されていたが、白魚火、若葉の他新聞や雑誌から句を探し出すのに門弟が奔走した。作者はそれ程門弟に仰がれていた父の俳句を勉強してみたいと白魚火へ入ってきた。従って句作歴は八年程になる。「門前の小僧習わぬ経を読む」の譬えのように初めから纒った句を見せていた。が後一息残一句が仲々であった。
 今回の一連は薄墨色を帯びた五句のすべてが俳句的な充息を見せている。その中で一番明るい掲句がよい。この句は「流鏑馬通り」という固有名詞が清冽なひびきをもつ詩語になっている。流鏑馬が行われる神社周辺の道であろう。固有名詞の使用は作者の器量を示すが、掲句はその点でも一進境を見せている。

幾つ目の除夜の鐘やら夢ん中 谷山瑞枝

 四十歳代の作者が大晦日のテレビも見ず随分と早寝したものだと訝しんだが、投句欄の職業に「看護師」とある。年末年始は外泊の患者がいくらかあるが多くはベッドの上で越年する。看護師も平常より少ない人員で看護するから十数時間も勤務し続けゴールデンタイムのテレビも見ず睡眠をとったのでなかろうか。除夜の鐘を夢うつつに聞いているので幾つ目の鐘かは勿論分らない。「夢ん中」の用法が独自、造語と思うが唄のように聞える。

アリバイは太陽が知る日向ぼこ 池谷貴彦

 スリラーで無実を証明するのにもっとも有効なのは被疑者がそこに居なかったというアリバイ。白日の下日向ぼこをしている者が、事件現場に居なかったことを太陽はちゃんと見ていてくれている。日の神である太陽は決して嘘をついたりはしない。
 日向ぼこの句では前人未到の作品ではなかろうか。

姑に似てきし立ち居女正月 高岡良子

 年を重ねてくると人間は共通して変わるものがある。一つは老年期の父母に顔が似てくること。もう一つは立ち居振舞が、一緒に暮らしてきた義父母に似てくることである。殊に女性は「嫁姑」と言われる程姑と共に居る時間が永い。良い嫁姑の関係もあれば、悪い関係もある。不思議なことは良いものも悪いものも、それぞれそのまま次の世代に引き継がれていくこと。恐らく千年経ってもこのことは繰り返されてゆくのではなかろうか。季語に置かれた「女正月」から、この句の姑とは良い関係であったと思われる。
 なお、この句「姑」を「しゅうとめ」ときっちり読ませて好感した。「姑」とふりがなをつけているのは、やはり言葉の虐使だ。

切り貼りの大きな花や山眠る 安納久子

 障子の破れた所だけを補修するのが切り貼り。鎌倉幕府の重鎮北条時頼の母、松下禅尼が、障子の切り貼りをして倹約の範を示して時頼を薫陶したことは戦前の修身の教科書に出ていた。
 掲句はその切り貼りと「山眠る」との取り合せ。「山眠る」の切れ味が小気味よい。

古稀まぢか正直過ぎる初鏡 村松綾子

 九十歳近い名優が二十歳も若く見えるのは、顔の手入れがよいことと化粧がよいことによる。古稀が近いこの作者が素っぴんで初鏡に向かって驚いた。齢相応の顔を鏡は憎い程正直に映し出していたのだ。作者は「鏡さん、正直すぎるのではないの?」とむくれてみせたのである。

若き日の顔しか知らず賀状書く 岡田暮煙

 何十年ぶりかで会って顔が分からぬのは小学校の同級生。級会だから何とか思い出すが、町ですれ違ったときは全く気付かぬであろう。学生時代の友人は成人していたので、よく見ると思い出す。年賀状を何十年も習性の如く書いているが若い時の顔しか思い出せないのである。誰もが持つ感慨であろう。

地下道の入り口出口年の暮 青木いく代

 地下道の入り口出口は普段でも人が集中する。年末ともなるとその数は倍増する。年の暮や数え日は季語の本意が忙しいので忙しく詠んではいけないが、掲句は「忙」の具象化。「忙」よりも忙しく詠み上げている。

我の強き性格いまだ仏の座 鈴木桂子

 「三つ子の魂百まで」という譬えがある。幼い時の性格はあの世まで持ってゆく外ない。この句も我の強い自分の性格をよく知っているのだが季語の「仏の座」で読者もほっとする。それ程深刻ではないからだろう。

その他触れたかった秀句        
大薬缶提げて枯野をゆきにけり
枯葦の擦れ合ふほどの小波かな
着ぶくれて隅より埋まる通夜の席
短日の引戸に指を噛まれけり
金色のまなこの小犬今朝の春
標札をまつすぐ正し年用意
転がして転がし運ぶ餅の臼
じわじわと柴で沸せし冬至風呂
クリスマスツリー点滅髪を切る
男子われ厨房に入り葱きざむ
林 浩世
木村以佐
出口サツエ
松本光子
西田美木子
星 揚子
大石益江
福嶋ふさ子
大田尾利恵
今村 務

        
百花寸評
(平成十八年十二月号より
田村萠尖

天高し高しと棟の上りけり 手銭美也子

 この句に出合って天高しという気分に自然と引き込まれていった。筆者の近所にも秋から初冬にかけて三棟も新築が始まった。うち二棟は今様の背高な二階家で、いずれもクレーンを使って木材を高々と吊り揚げ、手際よく作業を進めて行く。昔のように大工さん達が大勢して、手作業で運び揚げた時代の面影は既に無くなっていた。掲句は上五の天高しに加えて更に高しと強調され、クレーンの動きまで見えて秋にふさわしい句となった。

唐黍をきゆつと鳴らして捥ぎにけり 森野糸子

 唐黍の房の毛色が変ってくると、そろそろ収穫する時期が近づいてくる。すると獣類(熊、狢、猿など)や烏に荒される恐れがでてくる。そこでさまざまの予防手段がとられ、ようやくにして収穫を迎える。
 太目の房を握って捥ぐときの“きゅう”と鳴る音は当事者以外には味わえない満足のいく心地よい響きなのだ。きゅっとという具象的な表現が利いている。

夕菅の色を残して沼暮るる 田久保柊泉

 日暮れ時になると、淡い黄色の花をひそやかに開く夕菅。日光黄菅より幾分尖ってやや長めで、たそがれ時にふさわしい淡黄色がなんとも言えない風情をたたえている。暮れかかった沼のほとりに浮ぶ夕菅の花、観点を変えるならば、竹久夢二の描く美女の面影が重なりロマンの薫る句といえよう。

秋の蝶息子の縁談持つて来よ 村上 修

 農村部を中心に嫁不足の話しが多く聞かれて久しい。作者もご子息の縁談を待つ一人なのだろう。
 秋の草花を訪ね廻る秋の蝶にそっと、“よい嫁の話しを持ってきてね”と呼びかけてみる切実な親の心が句の中に滲みでている。
 よいお嫁さんが見つかるよう祈りたい。

双手さし入れ新米を握りもつ 鷲津幸男

 “双手さし入れ”まで一気に読む上七、中五調の句で、農に生きる人の新米に対する愛情と、豊作のよろこびがこの句を通じて伝わってくる。
 双手差し入れの双手が一層実感を深めてくれていて、男らしさの溢れる句。

稲を刈る夕日背中を押しに来る 大原千賀子

 面白い着想の句だ。稲を刈る背中を「早く刈らないと日が暮れるぞ」と夕日が押しに来たという。背中を押したのが夕日だから面白く、読んでいてうれしくなってきた。

敬老日軽いシューズの贈り物 黒崎すみれ

 敬老の日の贈り物の選び方は、さまざまの思惑がからみ合ってなかなかむつかしい。この句の場合、ご当人の希望にかなった散歩に適した軽いシューズが贈られた。軽いシューズの働きによって、この送り主との普段の人間関係まで想像され、敬老の日にふさわしい暖か味のある句となった。

新前のまだ許されぬ松手入 今村 務

 吾が家では年一回の松手入と、庭の刈り込みを今年も町の人材センターに依頼した。今回は顔なじみの人達にまじって、新顔の六十才前ぐらいの人も来てくれた。例年のことながら松手入れは古参の人が当り、比較的軽易な作業や雑用は新顔にまかされていた。技術と経験が必要なこの世界の一端を見ることができ、掲句の観賞に幅を持たせることができた。新前が効いている。

茸山含み笑ひの人と会ふ 渋井玉子

 この句の“含み笑ひ”がなんとも曲者である。念願の松茸を採れたことの笑みなのか、茸刈り仲間との競走に打ち勝っての喜びの顔なのか、或は、「今頃行ったってもう無いよ」という勝者の驕りの笑いなのか、まさに曲者である。

累々と鉱夫の墓の曼珠沙華 荒川政子

 作者は宇都宮の人であることから、この鉱夫さん達の墓は足尾銅山に関係があるように思われる。一時代を築いた銅山の繁栄の陰に、殉死された多くの人々の墓。それを見守るように今年も曼珠沙華がみごとに咲いた。今は供花もない墓を押し包むように咲いた彼岸花が何故か胸を打つ。

一番星落ちてきさうな里の秋 伊賀治子

   明るい明るい星の空
   鳴き鳴き夜鴨の渡る夜は
   ああ 父さんのあの笑顔
   栗の実食べては思い出す

 昭和二十年に作られた“里の秋”の一節で昔なつかしい童謡である。
 山里の秋は星がきれいで、とても大きく見える。星空をぢっと見つめていると、大きく輝やく一番星が今にも落ちてきさうな気がしてくる。
 星空の美しい平和なふるさと。自然がいっぱいの里の秋である。

河原まで続く花野に牛放つ 井筒生子

 構成の大きな句である。河原まで続いている放牧場には、秋の草花がいっぱいに咲き乱れている。放たれた牛たちは、やがては幾つかの小群れに分れて広野へと散らばって行く。空は青く、まさに天高しである。

新米を美味しく炊いて旅に出る 庄司誠発

 新米はおいしいものというのが通り相場となっているが、掲句はこと更に美味しく炊いてとこだわっている。そして下五に“旅に出る”との落ちがついた。こんなところに、ほのぼのとした作者の家庭の様子が伝わってくる。沢山なお土産を期待してもよさそうな句でほほえましい。

  筆者は群馬県吾妻郡在住


白光秀句
白岩敏秀

葱きざむ妻の機嫌の音に出て 石田博人

 家族がまだ目覚めないうちから、寒い台所で家族の朝食の準備をする妻。
 作者の寝所に朝の味噌汁の匂いと葱をきざむ音が届いてくる。葱をきざむ軽やかなリズムは妻の機嫌のよい証拠である。作者は妻の機嫌の良い原因をあれこれ考えながら蒲団の暖かさを楽しんでいるのである。
 長年連れ添ってきた夫婦の微妙な交信の醸し出す上質な句である。
 「負真綿母と形見の話など」。生前に形見の話をすることは、必ずしも不吉なことではない。むしろ、譲る人の意志をはっきり伝えて必要なことと思う。この句、形見の言葉がありながら、暗さを感じさせないのは、「負真綿」の季語の働きによる。これによって母上の年齢が自ずと分かる仕掛けになっている。しかも「話など」と下五がさらりと流して句に透明感がある。年を重ねた親子の交わり水のごとしである。

初笑卒寿の父母の一と間より 荒井孝子

 父が笑い控えめな声で母が笑う。しみじみと気持ちの和む句である。
 子供にとって両親が息災で長生きしてくれることが一番嬉しい。
 この作者は『雪螢』で平成十七年の「みづうみ賞」受賞した。そこには若くして亡くなった息子さんに対する、母親の悲しみが切々と詠まれている。その悲しみはいつまでも消えることはないが、掲句のほのぼのとした句が生まれたことは嬉しいことである。日当たりのよい部屋で、炬燵に足を伸べながら初笑いしている父と母。喜びや悲しみを共に分け合いながら生きてきた卒寿の父と母。父母の仕合わせを自らの仕合わせとする作者がいる。

玉砂利の音絶えまなし初詣 山本まつ恵

 日本人はクリスマスを祝い、大晦日には除夜の鐘を聞き、元旦に神社に初詣に出掛ける不思議な人種である。尤も、そんなことに拘らないところが日本人の日本人たる所以であろうか。さて、掲句である。普段は静かであるが、正月三ケ日に賑わっている神社である。玉砂利が一面に敷いてある神社であれば、相応に広い境内を持つ由緒ある神社であろう。
 初詣の様子を人や物を通すのではなく、玉砂利の音を使い、しかもその賑わいを「絶えまなし」と表現したところに注目した。俳句の基本的な「見る」という行為を通すことなく、音という聴覚のみを使って成功した一句である。

廃坑の町ふところに山眠る 飯塚比呂子

 北海道の夕張市を思わせる句であるが、廃坑のある町は夕張市だけではあるまい。石炭に限らず有用な鉱物を採掘するため、人が集まり町を作り、やがて掘り尽くされて忘れられていく町。このような町はどこにでもあるであろう。この句、情景をいろいろと解釈するより、読者の記憶のある廃坑の町や山を揺り起こせば十分であろう。
 栄枯盛衰の無常、廃坑に生きる人間の強さ、人の営みを超越した山の泰然さ、それぞれの感じ方や解釈があっても良いと思う。

汚れなき五日の空を見て病める 木下緋都女

 一月五日のきれいに晴れた日である。この日が仕事始めのところもある。かっては宮中で叙位が行われ日であり、手斧始めの日でもあったという。作者は清々しい五日の空を見上げながら、病に耐えているのである。耳には活動を始めた町騒の音が聞こえたであろう。
 身体が思うに任せられない焦燥感と病気に対する孤独感がひしひしと感じられる句である。一日も早い回復を祈りたい。

白息につつまれてくる言葉かな 山田春子

 白息につつまれてくる言葉が怒りや叱咤であるはずがない。きっと球のような優しい褒め言葉であろう。「つつまれて」という言葉に作者の人柄が偲ばれる。

年賀状まだ来ぬひとを案じをり 長谷川文子

 毎年寄こす人からまだ届かない年賀状。仲違いしたわけでもなし、さては病気であろうかなどと気を揉んでいる作者である。心配する友を持つことも、心配して呉れる友を持つことも大切なことである。その大切さを教えられた一句である。

三代の年号生きて屠蘇の盃 南 紫香

 大正、昭和、平成の三つ年号を生きて、今年の目出度い屠蘇の盃をお受けになった作者である。お歳を拝見すると九十一歳とある。俳句冥利につきると言うべきである。ますますのご健康と長寿をお祈りしたい。

 その他の感銘句
一歩づつ違ふ寒さの坂の町
水澄んで水の姿に戻りけり
芙蓉の実鳴つて夕星誘ひだす
日向ぼこ三度目の話かもしれぬ
煤逃の夫散髪をして戻る
大年や最後の米を研いでをり
大寒の水音固き厨かな
新雪の松の雫となりにけり
打ち終へし桴天を差す初太鼓
樹々ゆれて森は霙の中にあり
横手一江
峯野啓子
清水静石
杉浦延子
高添すみれ
田久保峰香
渡邊喜久江
中組美喜枝
横田茂世
足立美津

禁無断転載