最終更新日(Update)'25.07.01

白魚火 令和7年7月号 抜粋

 
(通巻第839号)
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7月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句  小林 さつき
惜春 (作品) 檜林 弘一
校歌の山 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭1位〜10位のみ掲載)
白光集 (奥野津矢子選) (巻頭句のみ掲載)
  工藤 智子、斉藤 妙子
白光秀句  奥野 津矢子
〜雪が解け芽吹きが始まる支笏湖での実桜句会総会吟行記〜 服部 若葉
白魚火集(檜林弘一選) (巻頭句のみ掲載)
  安部 育子、滝口 初枝
白魚火秀句 檜林 弘一


季節の一句

(旭川)小林 さつき

夢ひとつ叶ひ四葩を飾る朝  工藤 智子
          (令和六年九月号 白魚火集より)
 作者の「夢」はどのようなものだったのでしょう。句は何も言っていませんが、「四葩」を飾ることでその瑞々しい喜びが感じられます。紫陽花は朝に剪るといい、と言います。夏の朝、まだ朝露の残る花を剪って飾る。夢をひとつ叶えた自分へのささやかなお祝いでしょうか。爽やかな夏の一句です。

バイク遂に原付となり遠花火  川上 征夫
          (令和六年十月号 白魚火集より)
 作者は何よりのバイク好き。浜松から旭川までナナハンでツーリングに来たほどの人ですから、この句は衝撃的でした。人はある時を境にして、挑戦から撤退せざるを得ない。あれほど好きだったものも諦めて…。それはまるで「遠花火」のよう。季語の力で、その切なさが痛いほど伝わって来る句でした。

梅雨入や塩をひと振り糠床へ  柴田 まさ江
          (令和六年九月号 白光集より)
 夢が叶っても、夢を諦めても、夏という季節はエネルギーに満ちています。糠床の菌たちも元気になり過ぎて、酸っぱくなることもあるのでしょう。そこで「塩をひと振り」。日々の暮しを丁寧に、大切に過ごすことをこの句は教えてくれます。
 句を詠むこと、句を読むこと。私も日々を慈しみながら過ごしたいと願っています。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 古川の忌 (出雲)安食 彰彦
一杯の酒杯でよろし古川の忌
墨書などなかなか枯淡古川の忌
軍服に星ふたつ付く昭和の日
ブランデー提げて悪友みどりの日
婿殿は少し幸せ葱坊主
たんぽぽの絮をとばして走り去る
つくしんぼひいふうみいよ転びたる
つくしんぼ前歯が揃ふひまごかな

 金花糖 (浜松)村上 尚子
立春大吉鳥の形の金花糖
春星にひらく天文台の屋根
ぺんぺん草みなおしやべりをして通る
佐保姫を容れて国際女性デー
春の夢置いてきぼりにされてをり
花冷の畳に座り庭を見る
絵本より鳥の飛び立つみどりの日
行く春や一度も履かぬハイヒール

 流木 (浜松)渥美 絹代
木の洞に木彫の仏鳥の恋
貝塚に教会の鐘草青む
鳥雲に流木骨の色となる
魯山人の写しの皿や春の宵
花御堂のうしろを猫のよぎりゆく
竜天に登り遺跡を掘り返す
藁屑の混じる土壁緑さす
青嵐役行者の降りし岩

 身の内 (唐津)小浜 史都女
おにぎりを鳩と分け合ふ駅長閑
甲冑も銃もおぼろの天守閣
身の内の閂はづしさくら浴ぶ
横たはる南蛮砲や春闌くる
中国語韓国語花浴びてをり
ひんがしもにしも棚田や種下す
風すこし小手毬たのしさうに咲く
見おろして見あげて余花の天守閣

 耡ふ (宇都宮)中村 國司
春の土耡へば明日の見え来たる
かぎろひの兵あまた起つ王の墓
菜の花の海にみささぎノアの嶋
はなくづをうろこに恋の鯉太郎
夜の句会果て春眠にすべりこむ
田水張る厭な匂と佳きにほひ
花は葉にはくらん会の幕あがる
平らかに早苗待ちたる水田かな

 またあした (北見)金田 野歩女
雪解急石仏の肩見えてをり
木の芽晴湖岸の石はみな丸し
青き踏む灯台の影大いなる
春霞伏線多きミステリー
初虹や句敵集ふ出湯の宿
遊歩道逸れ隠沼の蝌蚪の紐
花鯎アイヌ語の名の小川かな
「またあした」ぶらんこは未だ揺れてゐる

 春尽く (東京)寺澤 朝子
きのふ来て今日来てチュンと雀の子
藤咲くや遥かとなりし離郷の日
朗々と和上の誦経虚子忌なり
さくら散る格子の奥に観世音
閼伽桶に浮きて落花の二三片
韓鐘に流転の由緒残る花
剝落の仏恋ひつつ春闌くる
読み書きに過ごせし一と日春尽くる

 春三日月 (旭川)平間 純一
雪囲解かれて薔薇は棘を研ぐ
春三日月やネモフィラ色の宵の空
晴れ女といばつてみせぬ初桜
北辛夷棉吹くやうにほつと咲く
蝦夷山桜ラジウム温泉に沈む
腰降ろす身重の人につつじ咲く
大鏡祀りて社春の燭
わが心の満開に咲くさくらかな

 潦 (宇都宮)星田 一草
遠見にも向かうの山も初桜
青き踏むことも鳥語を聞くことも
褒められてゐるマルチーズ飛花の中
青き踏む丘なだらかに牛の声
鍬洗ふひとり住まひの春の暮
草餅や婆に贔屓の力士あり
桜散る中に忿怒の不動尊
八重桜散りてはなやぐ潦

 春惜しむ (栃木)柴山 要作
水漬きたる草魚のむくろ蘆の角
鯉跳ねて黙深めたる春の水
味噌だなの厚き田楽がぶり食む
万葉歌碑垂水たるみにもまれ春落葉
雲雀野に座せばこの世の遠くなる
草餅搗く摘みたる草をふんだんに
藍甕場築百年の春埃
尼寺僧寺跡に遊びて春惜しむ

 初音 (群馬)篠原 庄治
峠茶屋蕎麦を待つ間の初音かな
たんぽぽや眼を閉ぢ並ぶ野の仏
木々芽吹く甌穴雑魚の影走る
引越しの荷物見送る花の下
残雪の山借景の里ざくら
繚乱と連翹垣の百花かな
田を返す畦に三時のお茶莚
山吹の誘ふ山路九十九折

 牧の柵 (浜松)弓場 忠義
春の空ほくほくとくる杖の音
つばくらめ光となりて橋くぐる
竜天に登る大地へ雨が降り
若草やペンキの匂ふ牧の柵
海道に茅花の波の立ちにけり
鉄瓶の鳴つて八十八夜寒
田水引き棚田の夕日分かちをり
水口の石くろぐろと代田かな

玉響たまゆら(東広島)奥田 積
玉響のいのちこぼるる花の中
妻に髪切つてもらひぬ花曇
咲き満ちてこの世の時を八重桜
手ですくふ水温みたり雑木林
囀や庭園に影おとす木々
なに待つでなく揺れてゐる姫女苑
てらてらとまだ幼な顔葉睡蓮
石楠花の一枝明るき床頭台

 膝を並べて (出雲)渡部 美知子
眠りたる蓮田に春の雨頻り
小流れの堰となりたる落椿
谷深く径の続けり竹の秋
聞き覚えある靴の音春障子
紙風船畳の上に息を吐く
病める子と膝を並べてしやぼん玉
人力車桜吹雪の中を行く
遠足の殿を行く救護班

 風渡る (出雲)三原 白鴉
研ぎ上ぐる鎌や身を反るつばくらめ
花散るや御堂に小さき半跏仏
桜散る散るを楽しむごとく散る
藤房に来たりて風の紫に
日を弾き奔る畦川柿若葉
穂麦田や大河のごとく風渡る
水が水押して代田の豊かなる
長き灯を曳いて代田の夜汽車かな

 山の宿 (札幌)奥野 津矢子
春潮を曳いて船着く澪標
春の波デコイのやうに鷗置き
青き踏む下ろし立てなるスニーカー
蛇穴を出づみづうみに知らぬ波
朝まだき霞の谷の鳥のこゑ
山の宿傘に穀雨のにほひあり
けものみち隠す熊笹春の鹿
檜葉垣の出口入口雀の子

 雀の顔 (宇都宮)星 揚子
ふんはりと膨るる古墳木の芽風
木簡に手習ひの跡つくづくし
御用堀に水たつぷりとつばくらめ
清明や雀の顔のよく動く
飛花落花空の深さの潦
抓みたる満天星の花こきとなる
春日傘樹下美人図のごと立てり
古戦場の風より出づる黒揚羽

 万愚節 (浜松)阿部 芙美子
正座して端に加はる花筵
骨董屋の値札は裏に万愚節
花冷や鴉一鳴きして去れり
藤棚の六百畳に風渡る
リラ咲けばシャンソン口を衝いて出る
饅頭に花の焼印春惜しむ
万華鏡に色生まれたり夏はじめ
遮断機の降りて唸りぬ青嵐

 時計 (浜松)佐藤 升子
堂内に充つる香煙お開帳
校門の時計は三時風光る
鳥籠を春日の枝に吊りにけり
晩春のカウベルの鳴る喫茶店
脇道にいまも名画座春の暮
春の宵鈴を持つ猫持たぬ猫
川の名のここより変はり花の雲
硝子窓一枚へだて花吹雪



鳥雲集

巻頭1位から10位のみ
渥美絹代選

 巣箱 (函館)広瀬 むつき
自転車を飛ばす少年風光る
軍手はめ春が一気に動き出す
丁寧に繕ひてある巣箱かな
春天へ風となりゆく鳩の群れ
碁会所に車が二台春夕焼
置き忘れの眼鏡の温み昭和の日

 燕来る (高松)後藤 政春
初蝶に子ら攫はれてゆきにけり
散る花を見るともなしに歯科の椅子
葬列のゆるりと進む花の下
桜蕊降るや懸垂ままならず
古里に母居る限り燕来る
人柱立てたる池や蝌蚪の紐

 春宵 (浜松)塩野 昌治
みどりの日朝の花屋に鳥の声
ちりめんじやこ少しこぼれて干し上がる
黄砂来る海をまぢかに溶鉱炉
親しげに駝鳥の寄り来春の昼
びんづるさまの花一片を払ひけり
春宵や上ル下ルの路地に入る

 花冷 (多久)大石 ひろ女
花冷を纏ふ羅漢の背のまろみ
花の塵旅の衣に連れ歩く
発心の寺の鐘の音花楓
過ぎ去りし日々ふところに青き踏む
古文書の文字を繙く遅桜
松原の松の傾き海朧

 梨の花 (鳥取)保木本 さなえ
菜の花の生みたる風を受けてゐる
茶摘するしづかな音の移りゆく
灯台は海のはじまり鳥帰る
真つ青な空が一枚梨の花
次々と水を光らせ上り鮎
芋植ゑて夜の雨音聞いてをり

 緑立つ (浜松)大村 泰子
文庫蔵は子供図書館緑立つ
しなやかに背を反らすヨガエリカ咲く
猫の恋すぐ行き止まる島の径
春昼のことことをどる落し蓋
甲斐駒をまなかひにして桃の花
朧夜の鴨居にあづけ鯨尺

 桜東風 (旭川)吉川 紀子
狛犬の脇腹にひび桜東風
太鼓橋の影を離れず残る鴨
春眠やせせらぎの音汽車の音
うららかや朗読劇の鼻濁音
春雨や一筆箋を選びをり
ヒヤシンス指輪ははづしたるままに

 甘茶仏 (群馬)鈴木 百合子
句碑の辺に朱をほぐしたる牡丹の芽
小流れに飛石ひとつ木の芽風
ひもすがら立ち通しなる甘茶仏
雨粒のさくらの花を落つる刻
松の芯法螺につづける鬨の声
雪形の駒のたてがみ削がれをり

 四手網 (鳥取)西村 ゆうき
釣竿の風切る音や初桜
四手網湖の朧に沈みたる
春の月本に一枚遊び紙
かたくなに傾ぐブローチ鳥の恋
吸ふ息のほのかに甘き春野かな
トンネルへ列車の尾灯山桜

 春雷 (呉)大隈 ひろみ
樺細工の茶筒の艶も花のころ
ゆく雲や草に二人の花筵
図書室にペン落つる音花の昼
春雷や甘辛く煮る瀬戸の魚
鎌倉彫の母の鏡台春惜しむ
行く春や備後絣の機の音



白光集
〔同人作品〕   巻頭句
奥野津矢子選

 工藤 智子(函館)
歩の遅き母へたんぽぽ揺れてをり
雨の香の残るふらここ揺らしけり
小手毬を指ではづませ風を待つ
せせらぎの中のクレソン摘みにけり
国蝶の羽化の予定日夏近し

 斉藤 妙子(苫小牧)
ふらここを漕ぎて無敵と思ひけり
わが街の顔の一つぞ北寄貝
再会の笑顔輝く花のころ
草若葉ベンチの裏の鬼ごつこ
囀や野鳥の森へ声ひらく



白光秀句
奥野 津矢子

歩の遅き母へたんぽぽ揺れてをり 工藤 智子(函館)

 歩みの遅い母を気に掛けてゆっくり歩いたり、ちょっと話かけたりと心は母に集中している。勿論まわりの危ない物にも注意は怠らない。そんな中たんぽぽが只揺れている。きっと御母様への応援歌を唄ってくれているのでしょう。
何気ない日常を無理なくさりげなく句に仕立てるのが上手な作者。病院勤務の忙しい中で母の日を一緒に過ごす事が出来た幸せを想像させてくれる優しい句になった。
 国蝶の羽化の予定日夏近し
国蝶の「オオムラサキ」の羽化に予定日があるとは初耳である。植物園などの温室では飼育員の方がおおよその見当をつけていると思う。「夏近し」が蝶の未来。蝶は羽化するとすぐに相手を探して次の世代へと命を繫ぐと聞いたことがある。

ふらここを漕ぎて無敵と思ひけり 斉藤 妙子(苫小牧)

なんと力強い宣言のような句に拍手をおくりたい。落ち込んだり悩んだりで躓いてもぶらんこを漕いで風を受ければすっきりするのだろう、とは理解出来るが「無敵」と思うことに作者の芯の強さと秘めたる力を感じ取る事が出来る。こちらも勇気をもらったような気持ちになる。辺りを気にせずすぐにでもぶらんこに乗って思い切り漕いでみたい。
 草若葉ベンチの裏の鬼ごつこ
若葉は木々の新葉を指すが「草若葉」は草の新芽が若葉になることで子供達の鬼ごっこには適した季語。公園か広い野原での追いかけっこを想像するがベンチの裏と断定したことで良く見ている臨場感のある句に仕上がった。

草競馬白砂青松海真青 加藤 明子(牧之原)

「草競馬」は角川俳句大歳時記には季語として掲載されていないが白魚火の歳時記には夏の季語として例句が載っている。掲句の漢字のみの表記に現場の景色、情況、迫力が伝わってくる。仁尾正文先生の句集「晴朗」には牧之原市相良と詞書きのある「草競馬」の句が載っている。
〈草競馬取材のヘリが幾度も〉
〈フライングに咎めなどなし草競馬〉
〈勝馬に余勢まだあり草競馬〉

菩提寺の和尚加はる花筵 周藤早百合(出雲)

一家が代々帰依して仏事等を行う菩提寺で、桜が満開の時期に法事が行われた。その後寺の庭で親族が花見も兼ねた直会の席に和尚さんも笑顔で加わった。その景が仏事ではあるが明るく「花筵」の季語が親しみを与えてくれた。

をとこやもめ酔へば電話魔夜半の春 中村 公春(旭川)

最愛の奥様を亡くされて何年たったのでしょう。いずれは皆一人になってしまうのですが「をとこやもめ」に自虐を感じます。それでも明るく呑んで電話魔に変身、皆さんきっと又か・・と笑って付き合ってくれているのは作者の人柄の良さですね。

春の宵透影揺るるフラメンコ 佐藤やす美(札幌)

フラメンコの妖しくて情熱的な踊りを見ている作者。
透影とは物の間からもれてくる光、あるいは薄いものを透かして見える姿。目を閉じると真っ赤な衣装に口にバラを銜えた踊り子が見えてくる。「春の宵」の季語が効果的。

春の宵外湯巡りの下駄の音 鈴木けい子(浜松)

温泉地へ出掛けて近くのいくつもの温泉を巡るのは楽しみの一つ、宿の浴衣でカラカラと下駄の音が響いてくる。掲句も「春の宵」が効いている。

青空へ吸ひ込まれたる雲雀笛 ⻆田 和子(出雲)

雲雀を捕らえるための笛で水を使って雲雀の囀るような音を出す雲雀笛、今は鳴き声を真似る玩具として売られているのではないかと思う。空に向かって吹けば空に吸い込まれてしまった。素朴な詠みかたに好感が持てた句。

春の夜や母の匂のマダムジュジュ 舛岡美惠子(福島)

マダムジュジュをご存知でしょうか、発売から七十周年を迎えた小林製薬の保湿クリームで潤いとハリを与えシワを改善と夢のようなスキンケア商品です。祖母や母が使っていたと言うかたも多いのでは。「春の夜」のなんとなく生暖かく気怠い時間の母恋しの匂なのかもしれません。

一斉に松の芯立つ皇居前 岡  弘文(流山)

松の芯は松の新芽で直立不動のように何本も立ち上がる。掲句は上五の「一斉に」と、下五の「皇居前」が効果的に据えられていて背筋が伸びる見事な句になった。

蒼朮を焚き退院の身を正す 中山 雅史(浜松)

室内の湿気を払うためおけら(朮)の乾燥した根を焚いていぶす。蒼朮を焚いた経験がないので想像だけになってしまうが、作者は退院の身を正すための儀式を真摯に行っている。
どうかお元気でありますようにと祈ります。


その他の感銘句

醬油屋の古き大樽花山椒
雲上と云ふ高さまで揚雲雀
長閑なり床屋のポール良く回る
五月五日柱の傷は飴色に
風はらむ形に作る春の服
百円で動くシマウマうららけし
花冷やナウマン象の太き骨
桜まじ彼女を連れて来ると言ふ
仙花忌や庭につがひの燕来る
船絵馬の奉納卯波立つてをり
県庁の十三階の春の月
陽の優し風も優しき苗障子
誰を真似て老鶯になり損ねしか
夏落葉父の遺愛の榧碁盤
若夏やメガホン鳴らす応援団

三島 明美
山口 悦夫
鈴木  誠
髙橋とし子
中  文子
坂口 悦子
武村 光隆
山田 惠子
江角トモ子
佐藤 琴美
内田 景子
川本すみ江
鈴木くろえ
松崎  勝
森山真由美



白魚火集
〔同人・会員作品〕   巻頭句
檜林弘一選

 松江 安部 育子
鶯の鳴けば里山晴れ晴れし
あたたかやすぐそこにある神の山
吟行のペンは三色風光る
古の宿めく野風呂朧月
さくら散るラストシーンのやうな里

 静岡 滝口 初枝
けぶり立つ潮入川の夕桜
跪き膝もて進む蕨摘
ビブラート効かせて今朝の花見鳥
寄り添うて離れまた寄る花筏
菜の花の中洲押し上げ盛りけり



白魚火秀句
檜林弘一

あたたかやすぐそこにある神の山 安部 育子(松江)

「暖か」は心地よい春の時候の季語だが、一句の背景には心理的なあたたかさも含まれている場合が多い。
春の陽気に包まれて歩いていると、ふと視界の先に静かにそびえる神の山が見える。それは遠景ではなく、まさに「すぐそこ」にあるという。神と人の距離が近い島根県ならではの信仰心や風土が、やさしく描かれている。この句柄に派手さはないが、平明さの中に深みのある一句。
 吟行のペンは三色風光る
三色ボールペンのようなものを想像する。メモやスケッチ、句の推敲などにフル活用されているのであろう。実用的であり、どこか現代的なモチーフと思う。春を迎え、ますます季題が溢れ、やがては風薫る初夏へと向かっていく時候である。三色ペンは句作の刺激の一助になりそうな感がある。「ペンは三色風光る」という語の展開がイメージを広げており印象的である。

けぶり立つ潮入川の夕桜 滝口 初枝(静岡)

潮入川は海からの潮が入り込む川。潮の満ち引き、川と海の境等々、動きと独特な気配を持った舞台である。春の夕方に見られる霞や水蒸気、あるいは光の揺らぎのなかに夕桜が佇んでいるというのである。光と水、時間と花の移ろい等を一つの風景に凝縮している。現実にありそうだが、どこか夢の世界のようでもある。「夕桜」の叙情を活かし、深い余韻をもたらす作品。
 跪き膝もて進む蕨摘
蕨は春の山菜の代表格の一つであり、山などに分け入り、かがみこんで摘む作業は、春の風物詩として親しまれている。跪くは、「膝を地につける」という動作。そこからまさに「膝でにじるように前へ進む」というのである。山の斜面や草むらで、地面に近い目線で丁寧に蕨を探す姿に臨場感がある。掲句の表現には、実体験に根差した描写力を感じることができた。

虚子像になんぢやもんぢやの花の塵 小嶋都志子(日野)

この植物の正式名称は「ヒトツバタゴ」。雪が舞うような白い花を無数に咲かせる高木。「なんじゃもんじゃ」は俗称であるが、ユーモラスで親しみやすい響きがある。
「なんじゃもんじゃ」という素朴な響きと、「虚子像」という威厳ある存在との取り合わせに軽やかな妙がある。大らかな虚子の俳句に対するリスペクトも感じられる一句とも思えた。

蟻出でてまつすぐに行くところあり 浅井 勝子(磐田)

春の陽射しの中、蟻が冬眠から覚めて出てくる。そしてためらいもなく、一直線にどこかへ向かっていく。その小さな行為がなぜか印象深い。句柄は写実的だが、蟻には真っ先に行く特定の場所があるのかもしれないという作者の眼がある。「あなたには、春になってまっすぐ向かうところがありますか?」という読み手への問いかけのメッセージが、どこかに潜んでいるようにも思えた。

風が風ほぐして廻す風車 山田 哲夫(鳥取)

当たり前だが風は目に見えない。掲句では風車を媒体として風の見える化をしている。しかしながら単に風が風車を回すだけでは常套の域を出ない。「風が風ほぐして」が言い得て妙といえる。「ほぐす」という言葉には絡んだものを解く、 緊張を緩める、ゆるやかにするといったニュアンスがあり、風の力をただの物理的な力ではなく、優しい作用や気配のように捉えているところが秀逸。

急流あり瀞あり旅の花筏 水出もとめ(渋川)

作者は百寿を超えられている。月々の句稿の文字は確かであり、その身辺詠に好感を持つのである。掲句は写生句でありながら作者の人生の来し方をうかがわせる句柄であろう。川の流れのように、人生にも急流(波瀾)と瀞(安穏)があった。「あり」の繰り返しが、淡々とした回想を生み出すごとくである。流れゆく花筏はまだ旅の途上であると思う。

水馬そんなに遠くには行けず 大石 益江(牧之原)

小さな昆虫の動きと存在感を、静かなユーモアを交えて描き、味わい深い一句。水面をすべるように動くさまに風情がある水馬。あまりにも自由気儘でどこにでも行ってしまいそうな感があるが、作者はどうもそうではなく出不精なのではないか?との感を持たれたのである。これは小さな発見だが、俳句のネタとしたところに作者の力量を感じるのである。「そんなに~ではない」という曖昧さが、句に奥行きと読者に解釈の余地を与えている。


    その他触れたかった句     

リヤカーで届く花見の幕の内
山里の夜の製茶のにほひかな
モータースの社長泣かせの燕の巣
花は葉にこまめに水を飲んでをり
切株に座して昼餉の遍路かな
息災の膝を交へて豆御飯
島流しのやうなる人事青嵐
若葉風親子で作るプラモデル
墨の香の仄かににほふ初桜
パフォーマーの缶に投銭花曇
母訪へる施設の三時桜餅
昭和の日時折は鳴る黒電話
春泥をつけて野点の緋毛氈
花種蒔く指ひと節の穴をあけ
山茱萸の名札付けられ山に咲く

後藤 春子
砂間 達也
加藤 明子
髙添すみれ
鈴木  誠
藤江 喨子
山田 眞二
妹尾 福子
熊倉 一彦
伊藤 達雄
岡  弘文
前田 里美
三島 明美
野𥔎 泰子
小村 富子


禁無断転載