最終更新日(Update)'24.08.01

白魚火 令和6年8月号 抜粋

 
(通巻第828号)
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8月号目次
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季節の一句  牧野 邦子
結の手甲 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭10句のみ掲載) 安食 彰彦ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
  鈴木 誠、山口 悦夫
白光秀句  村上 尚子
実桜句会総会・吟行報告  (札幌)成田 哲子
令和六年度栃木県白魚火第一回鍛錬吟行会  本倉 裕子
静岡白魚火総会記  辻 すみよ
浜松白魚火会第二十六回総会及び俳句大会  清水 京子
令和六年度浜松白魚火会吟行記  武村 光隆
坑道句会五月例会― 出雲大社・稲佐の浜吟行句会 ―  久家 希世
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
  野田 美子、鈴木 誠
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(出雲)牧野 邦子

灯台の螺旋階段鰯雲  高橋 宗潤
          (令和五年十月号 白魚火集より)
 この灯台は出雲大社から車で二十分程の所にある日御碕灯台であろう。
 日本一の高さを誇る、白亜の石造りのその灯台は、日本海に突き出た岬の断崖の上に立っている。
 内側の百六十三段もある螺旋階段は上るにつれて幅もせばまり、高所が苦手の人は足がすくむかもしれない。
 作者はその長い螺旋階段を上り切って外の展望台に立った。見上げた空に浮かぶ鰯雲。
 掲句は名詞を重ねて光景を描き上げており、季語の「鰯雲」から晴天の空の色とそこにすらりと浮かび立つ純白の灯台の美しさが見えて来る一句である。

特大のユニホーム干す雲の峰  青木 いく代
          (令和五年十月号 白光集より)
 特大のユニホームを着る人はどんな人なのだろう。年令は? 身長は? 体型は? 作者との繫がりは? 一句から様々に想像がふくらむ。
 特大のユニホームから見えて来るまぶしく輝くたくましい若人の存在。それを頼もしく眺める作者にとっては湧き上る雲の峰のように雄々しい存在に違いない。こちらまで元気づけられる句となっている。

帰省子の水ふんだんに使ひをり  横田 じゅんこ
          (令和五年十月号 鳥雲集より)
 この句を一読して、大学生だった息子が夏休みの帰省時に一日に何枚ものバスタオルを使うのに閉口した折の「家に帰って来た時の僕のゼイタク」との言葉を思い出した。
 親元を離れて過した日々の緊張が実家での屈託のないひとときに解きほぐされて心おきなくシャワーに打たれて心身を安らげている「帰省子」さんの様子が目に浮かぶ。「使ひをり」と現在形で記されていて、聞こえて来る水音に子の帰省を喜び安堵する親の姿も見えて来る。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 夏座敷 (出雲)安食 彰彦
離陸する飛行機まぶし麦の秋
終はりたる風土記の講座風薫る
卒寿まで生きて生かされ青嵐
こふのとり二羽の立ちゐる植田かな
梅雨曇癖ある稿の届きけり
鮓ひとつつまみ校正はじめをり
夏座敷のぞけばねむる赤ん坊
肖像は頭取の祖父夏座敷

 伊勢国 (浜松)村上 尚子
伊勢国の一の鳥居や南吹く
小判草揺れつつ人に媚びてをり
揖斐川の風を捕ふるあやめぐさ
薫風や人から貰ふにぎり飯
緑さす「推敲亭」といふ茶室
足音に亀と緋鯉のせめぎ合ふ
拝観の一の間二の間風薫る
氷菓子舐めて桑名の旅を終ふ

 のみの市 (浜松)渥美 絹代
きずのある大黒柱武具飾る
住職が幟の杭を打つてをり
軒菖蒲くどの煙の触れゆけり
新緑の参道に立つのみの市
豆飯や夫が語る母のこと
戦前のままの駅舎や緑さす
よき風をぼのくぼに受け更衣
夏の雲筆洗のみづ野にこぼす

 呼び水 (唐津)小浜 史都女
封筒の窓にわが名や遠蛙
怠ればひと日みじかし茄子の花
呼び水の手押しポンプや五月晴
蛍袋はびこり咲くを許しおく
浜昼顔遠くにフェリー発着所
鳥たちの顔の小さきよ虎が雨
横断の毛虫急いでをりにけり
窯裏に花を終へたる芭蕉の木

 浜松凧祭 (名張)檜林 弘一
秘め事のあらぬ遠州凧祭
大凧を上げ遠州の空広し
浜風にうなぎのぼりの凧ひとつ
遠州の風に気負へる凧落つる
龍の文字風を窺ひ凧上がる
空を統べ六畳大の凧上がる
なだらかな弧を天上へ凧の糸
遠州の男言葉を祭髪

 崑崙草 (宇都宮)中村 國司
観音に尺蠖虫や立ち上がる
筍や空に向かつてゐて斜め
酔族館とふ名の店の水中花
筆太く命と書けり晶子の忌
万緑に染まる杣家の丸木箸
夏草の城址野球に鬨あがる
酒を酌む生の一こま月涼し
ゆくりなく崑崙草に夏の蝶

 新樹光 (東広島)渡邉 春枝
菓子箱に甘き残り香夏に入る
対話なき一日暮るる聖五月
石段を数へて登る初夏の風
念願の一書得てより風薫る
名曲に似たる瀬音や新樹光
二の鳥居一の鳥居と濃紫陽花
廃屋の庭に咲きつぐ花南天
山法師咲くたびめぐる夫忌日

 ひらがなの文 (北見)金田 野歩女
白鷗の胸毛の乱れ桜東風
蛙の子覗けば散りぬ山の池
師の句碑の窪より抓む余花の蕊
葉桜を手繰りて結ぶ神籤かな
夏めくや今は開かぬバスの窓
母の日のひらがなの文宝物
薄暑光カーブで軋む市電かな
翡翠の獲物を狙ふ下枝かな

 麦の秋 (東京)寺澤 朝子
反り強き城の石垣麦の秋
ひつそりとお成の間あり夏めける
今年竹いま伸び盛り廃寺跡
鉄鉢にいくばくの喜捨夕薄暑
仮寓せし彼の地も麦の熟るるころ
かばかりの砂場吹き寄せ南吹く
通し鴨流れの見えぬ運河にも
夏服のどつと乗り込むエレベーター

 浮いてこい (旭川)平間 純一
リラ咲くやキューピー売るる蚤の市
地下鉄の地より人湧くリラ祭
背を正す馬上の淑女花は葉に
甘く鳴き海猫高くひるがへる
サングラスに視線をそらす鷗ゐて
屹立の赤岩砕く夏怒濤
我楽多市かんかん帽と蓄音機
いつの間に我楽多なりし浮いてこい

 山若葉 (宇都宮)星田 一草
「考える人」考へてゐる飛花の中
シャガールの人飛ぶ空や暮の春
菜種梅雨ひとりショパンを聴く夕べ
真つ白な雲の湧きたつ立夏かな
水の音風の音立つ山若葉
早暁の空盛り上がる橡の花
音ぎゆつと立てて筍掘られけり
誕生日庭に真つ赤なばら咲けり

 梅雨灯 (栃木)柴山 要作
遠郭公ふみ読み終へし窓辺かな
砲声のいまもどこかで若葉風
子育て稲荷頭を垂るる日傘かな
心地よき川風蔵の街薄暑
地図を手にめぐる谷根千やねせん薄暑光
開け放つ聖堂の玻璃青葉風
教会の固き木椅子や走り梅雨
祈る人の美しきかんばせ梅雨灯

 梅雨出水 (群馬)篠原 庄治
遠浅間墨絵ぼかしに春霞
師の句碑に影置く楓若葉かな
麦の秋上州田圃の二毛作
万緑に白衣観音すらり立つ
かはたれに啼くほととぎす峽に住む
葉隠れの痘痕ゑくぼの梅靑し
観世音御座する洞窟滴れり
甌穴に渦の揉み合ふ梅雨出水

 白帆 (浜松)弓場 忠義
みづうみに白帆立ちたり風かをる
万緑やテニスコートの白い線
病室を抜け出でて夜の新樹かな
月上げて濁り消えゆく代田水
あま蛙ひとりぼつちのてのひらに
十薬を刈つて妻の手汚さるる
つくばひの水打つ雨や花菖蒲
早朝の馬鈴薯の花ひかりあふ

 夏蝶 (東広島)奥田 積
もつれあふ夏蝶いのちはなやげる
風五月セーラー服の二人連れ
更衣実家離れし子の写真
卯の花垣のまぶしき光登校児
海風に馬鈴薯の花きらきらす
道に出る亀やあやめの群れ咲いて
滴りやここまで来れば悔いはなし
脚立降りまた上りては実梅捥ぐ

 沓の音 (出雲)渡部 美知子
歪なる粽も加へ卓囲む
初夏の海へ開けたる大き窓
新樹光杜の奥より笑ひ声
薫風に乗りて勅使の沓の音
仕舞湯に風を聞きをり新樹の夜
味噌煮派に持つて行かるる鯖一尾
稜線の色濃くなりぬ麦の秋
萎えてをり少し遠出の夏帽子

 きらきらと (出雲)三原 白鴉
麦秋やまだ新しき売家札
窯跡に遺る煙突柿若葉
若葉風ベンチにヨガの入門書
饒舌に潜む寂寥額の花
緋目高の鉢に火花のごとく散る
日を載せて流るる水や行々子
きらきらと雨上がりたる青田かな
雨降つて太る水音神の滝



鳥雲集

巻頭1位から10位のみ
渥美絹代選

 声涼し (島根)田口 耕
波残しフェリー去りゆく薄暑かな
入江はさみ赤翡翠の鳴き交はす
校庭の隅じやがいもの花盛り
夏草を踏み分けてゆく流人墓地
艦上に敬礼の列雲の峰
みささぎにあふるる鳥の声涼し

 タイムカプセル (旭川)吉川 紀子
花吹雪風の明るきチセの森
かたかごの群れ咲く刃物供養塚
深く挿す夏炉の隅のイナウかな
くちなはを跨げる赤いハイヒール
新緑や釉薬溶くる窯の中
蟻迷ふタイムカプセル埋設地

 あめんぼ (藤枝)横田 じゅんこ
夏来る蛇籠をくぐる水の音
紙飛行機端午の風に乗せてやる
頑固者真つ赤な薔薇を咲かせけり
あめんぼのひつぱつてゐる池の水
形代やわが身どこから祓はうか
かぶと虫持たされし子が泣き出せり

 抱卵の鴉 (浜松)大村 泰子
藤の花言葉少なき夫とをり
抱卵の鴉ビル風受けてをり
はつなつや磨きしグラス透かし見る
煎薬のふつふつ沸けり麦の秋
ぎやうぎやうし目の衰へのにはかなり
朝ぼらけ羽音大きく親鴉

 風わたる (呉)大隈 ひろみ
花水木旗日しづかに暮れゆけり
風わたる立夏の水に金の鯉
葉桜や高き鉄扉の大使館
楼門の確かな木組新樹光
袋掛沖ゆく船をまなかひに
単線の乗客まばら麦の秋

 緑蔭 (牧之原)辻 すみよ
生命線確かめ合うて草の餅
蜜蜂の花粉まみれに飛び立ちぬ
発掘の遺跡のぞけば亀鳴けり
ファンファーレ鳴ればスタート草競馬
緑蔭にゐて波の音風の声
老鶯のよく鳴く夫の正忌かな

 蜜豆 (浜松)阿部 芙美子
大凧に繰りだす糸の唸りけり
車座となりて祭の後のピザ
牧牛の乳に草の香夏めきぬ
ヘアピンで留むる癖毛や更衣
借りし本開かぬままや若葉寒
蜜豆に付き合つてゐる男かな

 蛍の夜 (佐賀)大石 ひろ女
馬場径に蹄の音や桐の花
母の日や簞笥に残る負ひ紐
花あふち学び心の未だありて
水音より静寂深まる蛍の夜
醬油差し白磁に変ふるみどりの夜
星のなき夜を分かち合ふ青葉木菟

 水色の星 (宇都宮)星 揚子
雀二羽飛び出してゆく麦の秋
ほし組はピーマンの苗一つ植う
みどりさすマリアの細き足の指
水色の星を真中に白あぢさゐ
ほんたうの色はこれから七変化
矢狭間を覗けば蜘蛛の垂れゐたる

 水の郷 (東広島)溝西 澄恵
桜鯛備前の出刃を研ぎ直す
夏めくや糊を効かせて敷布干す
生え初むる小山羊の角や緑さす
田植して豊かな水の郷となる
早苗田の一面となり村しづか
釣糸に絡む流れ藻大西日



白光集
〔同人作品〕   巻頭句
村上尚子選

 鈴木 誠(浜松)
白牡丹言ひたき事の一つあり
光琳の絵より飛びだす燕子花
竿はねて雲より高く鮎光る
薫風を吸ひジェット機の離陸せり
白南風や汀伝ひに岬まで

 山口 悦夫(群馬)
水温む川の喜び音に出て
とりあへず猫ちやんと呼ぶ子猫かな
テーブルに予約のカード蔦若葉
一日は雨に暮れたり竹の秋
一片の反りて牡丹の咲きはじむ



白光秀句
村上尚子

光琳の絵より飛びだす燕子花 鈴木  誠(浜松)

 尾形光琳は京都の呉服商の生れの画家。弟は陶芸家として名高い乾山。尾形家は本阿弥光悦と姻威関係にあり、淀君や徳川家の婦人たちの御用を勤めたという。由緒ある家系と経済的にも恵まれていたことは、華やかな画風からも察することができる。
 琳派を代表する国宝の「燕子花図屛風」は本やテレビなどでも一度は目にしたことがあるだろう。今、目の前に咲いている燕子花を見て光琳の「燕子花」と合致した。「絵より飛びだす」は作者固有の感性である。
 晩年の代表作「紅白梅図屛風」と共にその名作が思い浮かぶ。
  白南風や汀伝ひに岬まで
 文字通りの光景が見えてくる。「白南風」は梅雨が明けた後吹く南風のこと。梅雨明けの開放感が伝わる。もし「黒南風」としたら俳句にはならなかった。

一片の反りて牡丹の咲きはじむ 山口 悦夫(群馬)

 牡丹は華麗さと気品を兼ね備えているにふさわしく「花の王」と言われるが、得てして散る様を詠まれたものが印象に残る。
 高浜虚子は「花鳥風詠」と「客観写生」を両輪としてきた。又仁尾正文前主宰は「心は物を通さなければ伝えられない」として、具象的な表現を主張されてきた。
 掲出句はまさにそのお手本である。待ち侘びて何度も庭へ降り立ったのだろう。
 簡潔な表現をもって言い尽している。
  とりあへず猫ちやんと呼ぶ子猫かな
 理由はさて置き、子猫を飼うことになった。珍しさもあり代わる代わる抱いてみたくなる。その時名前を呼びたくなるが、まだ付いていない。咄嗟に出たのが〝猫ちゃん〟だった。
 今頃はかわいい名前が付けられすっかり家族の一員となっていることだろう。

反対の主張も大事バナナむく 髙部 宗夫(浜松)

 物事を多数決できめることはよくあるが、反対の意見が悪いとは言えない。その訳を言いたいところだが、すっかり士気を失なった作者はそばにあったバナナをむき始めた。

海を見て初ものの枇杷すすりけり 鳥越 千波(唐津)

 山野にも庭にも見られる枇杷だが、有名な産地のものは味も大きさも値段も高級で手が届きにくい。敢えて「初もの」ということはそのような枇杷のことだろう。背景の海が一層味を引き立ててくれる。

国引の神話の里や麦の秋 山羽 法子(函館)

 「国引き神話」に伝えられる島根半島発祥の地に立っている。「白魚火」会員としては特別な場所でもある。函館市から訪ねられたとなればその思いは尚更である。古代から続く出雲の麦秋の風の中に立ち、長い歴史に思いを馳せている。

夏帽子のリボンに一寸ためらひぬ 橋本 晶子(いすみ)

 被ったり外したりしてやっと決めた夏帽子。しかし家の鏡で見たところどうも〝リボン〟が気になった。しかし、一度思い切って外へ出てみれば何のことはない。誰かに褒めてもらえるかも知れない。

夏雲やナイフの沈むパンケーキ 萩原 峯子(旭川)

 開け放たれた部屋か戸外か。全員が揃ったところで手製のパンケーキを切り始めた。どうやら上出来のようだ。「夏雲」によりその背景と健康的な家族の様子が想像できる。

薔薇百本の花束に開く自動ドア 妹尾 福子(雲南)

 薔薇は一本でも存在感がある。百本の花束を抱えて行くのはどんな所だろう。自動ドアも人ではなく薔薇に驚いて開いてしまったという。斬新な発想に目を見張る。
 加藤登紀子の「百万本のバラ」を思い出す。

草に伏す子山羊三匹柚子の花 古橋 清隆(浜松)

 山羊を野原に放すことで草刈の手間が省けると聞く。この子山羊もその一端を担っているのだろう。今はお腹も一杯になり休憩中らしい。そばに咲く柚子の花が見守っている。

余花に会ふ雑木林の端の端 市川 節子(苫小牧)

 余花は特に咲き残っている桜を指す。
 春の間楽しませてくれた花々。町なかではすっかり散ってしまったが、訪れた森にはまだ見ることができた。「端の端」からは森の広さが感じられる。

紫陽花や小窓は猫の出入口 榎並 妙子(出雲)

 最近の紫陽花の種類の多さと美しさには楽しませて貰っている。このお宅にはその庭に出入りのできるようにと猫のために小窓が作られている。飼主のやさしさの計らいである。


その他の感銘句

ロボットの手旗信号こどもの日
どの畑も三畝ばかりの藷の花
遠き日のシュプレヒコール麦の秋
能登鉄道がたんと夏へ動き出す
母の日の伝言板の大きな字
畑より手を振る祖母や緑さす
草笛を吹く故郷を呼ぶやうに
卒寿とて生きとし生けるものに虹
仰ぎ見る滝や天空より落ちぬ
ビールもて唇濡らし兄送る
誰が触るることもなく散る桜かな
幾度も家のほとりの青き踏む
骨董市の数多の皿や新樹光
鳥の声聞きをり筍流しかな
ガーベラに似合ふ一輪挿しを買ふ

花輪 宏子
貞広 晃平
武村 光隆
髙橋とし子
仙田美名代
森山真由美
高橋 宗潤
山西 悦子
江連 江女
神田 弘子
杉山 和美
三関ソノ江
栂野 絹子
岡部 章子
清水あゆこ



白魚火集
〔同人・会員作品〕   巻頭句
白岩敏秀選

 愛知 野田 美子
葉桜や砲弾型の慰霊の碑
バケツごと友へ筍届けたり
更衣蛇行のたびに川膨る
小判草こぼれ寄り目の撫仏
夏萩や列車のよぎる裏参道

 浜松 鈴木 誠
新緑の丘のカリヨン正午告ぐ
波を追ひ波に追はるる夏帽子
鳴くほどに闇の増し行く青葉木菟
黒南風や補陀落渡海ありし浜
堰板を抜きて水番去り行けり



白魚火秀句
白岩敏秀

更衣蛇行のたびに川膨る 野田 美子(愛知)

かつて更衣は五月に一斉に行っていたが、今は警官や消防署員など一部の職業の人を除いて自由に行っている。「蛇行のたびに川膨る」には、蛇行という節目節目に成長していく自分の姿が現れていよう。更衣によって身体も気分も伸びやかになっている。
 夏萩や列車のよぎる裏参道
これらの神社や寺院には、例えば横須賀線の北鎌倉の円覚寺、鎌倉の建長寺参道。一畑電鉄の粟津稲生神社などがある。奈良平城京の敷地内には近鉄奈良線が走っている。その理由は様々であろうが、それを「よし」とするのは日本人の古来からの「和」の精神であろう。

黒南風や補陀落渡海ありし浜 鈴木  誠(浜松)

補陀落は観世音菩薩が住む山といわれ、南海上にある極楽浄土。最初の渡海は八六八年に和歌山県熊野からである。死を覚悟の渡海であるが、その日が近づくにつれて恐怖のため発狂した僧侶の小説を読んだことがある。正岡子規は「大悟とは死を恐れないことではなく、死ぬるときまで平然と生きていること」と喝破した。死とは難しい。
 波を追ひ波に追はるる夏帽子
波打ち際で波と戯れている思春期の少女。引く波を追い、寄せて来る波から逃げる。屈託のない動作に恋の駆け引きを思わせ、伸びやかな青春性を活写。

掛けてみて畳みて撫ぜて母のセル 冨田 松江(牧之原)

或る晴れた日に思い切って衣類の虫干しをした。その中に大事にしまっていた母の形見のセルがある。風通しのよい部屋の衣紋掛けに吊り、丁寧に畳み、そして何度も撫ぜてみる。セルを着た母を偲びつつ、母と暮らした日々を懐かしんでいる作者がいる。

巻き上げて湖一つなり青簾 高橋 宗潤(松江)

この湖は作者のお住まいから宍道湖であろう。青簾から入ってくる涼しい湖の風、上げれば美しい湖の景色。清少納言の『枕草子』の「『少納言よ、香炉峰の雪いかならむ』と仰せらるれば、御格子あげさせて、御簾を高くあげたれば」を思い起こすのも一興。

早瀬より引き抜く鮎の光かな 溝口 正泰(磐田)

鮎釣りには色々な方法がある。友釣り、ルアー釣り、コロガシ釣り、エサ釣りなどで、一番ポピュラーなのは囮鮎を使った友釣りであろう。鮎の掛かった手応えに、素早く竿を上げるその瞬間に水から引き抜かれたように跳ねる銀色の鮎。「引き抜く」に釣れた喜びと鮎釣りの醍醐味がある。

田植機の波に飲まるる雨蛙 神保紀和子(群馬)

俳句で単に「蛙」と言えば春の季語。読み方も「かわず」である。この頃に鳴くのは雄の求愛活動で、雨や水とは関係がない。雨蛙や青蛙は夏の季語である。間違いやすいので注意が必要。この句、水を張った田で湯治気分でのんびりしていた所に突然の大波。雨蛙の驚いた大きな目にユーモアがある。〈蛙の目越えて漣又さヾなみ 川端茅舎〉とはおもむきも季節も別趣。

ひらひらと空に階段夏の蝶 齋藤 英子(宇都宮)

春の蝶の初々しさに比べて、夏の蝶は勢いがあり力強い。いま、大空を目指して夏蝶が舞い上がっているところ。「空に階段」には蝶が高く低く上下しながら上昇するさまを捉え、「(階段)あるごとく」が省略されている。蝶の飛び方を深く観察して生まれた一句。

微笑めば母も笑みたり若葉風 金敷 宗弥(宇都宮)

若葉風の通る部屋にあるベッドなのだろう。病臥の母を明け暮れに看病しているのだろうか。意思の疎通が十分に叶わない母に微笑めば母も笑みを返してくれる。何時でも、どんな時でも変わらない母と子の愛情の絆である。

藤房を斜めに風の通り抜く 佐々木美穂(東広島)

藤棚の下で花の薫りを楽しんでいたところ、ふっと風が来て藤房を揺らして通り過ぎた。風は左右前後どこからでも吹いてくる。この時は斜めから吹いた。芭蕉は「物の見えたる光、いまだ心に消えざる中にいひとむべし」と言った。この句は誰もが経験し、知りながら、誰も句にしなかった一瞬を言い止めている。

薔薇の香や自分に甘き言訳す 栂野 絹子(出雲)

「あの失敗は何々で、私の責任ではない…」とか「あれは体調のせいで…」などとよく自己弁解をする。他人が聞けば理由にもならない言訳だが、それで自分を納得させている。薔薇の香りも甘いが、自分に甘くなるのも世の常である。


    その他触れたかった句     

日曜の明るさに咲く牡丹かな
グローブを磨く少年梅雨の星
鮎跳ねて那須の山なみ耀けり
山藤の杉の高さに咲きにけり
青年のことばに力楠若葉
どこまでも道どこまでもリラの花
散髪屋出でて取り出すサングラス
畔で食ぶゆひの持て成し豆の飯
鯉はねて浮草一つ離れけり
子燕や爪先とんと靴を履く
風薫るふりがな付けし初子凧
箱庭にベンチを置いて出来上がる
背の高き髭のをとこに香水の香
縫ひ物を窓辺に広げ若葉雨
若葉風眉ととのへて旅仕度
目白来て茶房に朝の始まりぬ

工藤 智子
熊倉 一彦
菊池 まゆ
佐々木智枝子
小林 永雄
中村喜久子
松原 政利
伊東美代子
鈴木 利久
太田尾利恵
伊藤みつ子
富士 美鈴
金原 敬子
湯澤千代子
大栗 玲子
村上千柄子


禁無断転載