最終更新日(Update)'20.06.01

白魚火 令和2年6月号 抜粋

 
(通巻第778号)
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6月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   原 みさ
「塗箸」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭6句のみ掲載) 鈴木 三都夫ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
        江⻆ トモ子、高田 茂子
白光秀句  村上 尚子
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
       渥美 尚作、舛岡 美恵子
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(雲南)原 みさ

牡丹の風が無くとも崩れけり  橋本 快枝
         (令和元年七月号 白魚火集より)
 牡丹は「花の王」といわれるだけあって、華麗さと気品に溢れ大輪の花を開く。品種は玉緑、百花撰、楊貴妃など様々。近年は改良が重ねられ、黒紫、薄紅、白、黄色、絞りなど楽しむことが出来る。ちなみに牡丹は島根の「県花」でもあり、私も毎年この季節が来ると狭庭の牡丹を愛でている。
 掲句をみて一番に浮かんだのが、あの有名な与謝蕪村の「牡丹散つてうちかさなりぬ二三片」である。
 いくら美しく豪華に咲いても、時期が来れば必ず散ってしまう。美人薄命とか…人生もまた然り。この世に縁が尽きれば必ず命が果てる。それにも相通じるものがある。
 〝風が無くとも崩れけり〟の措辞で、より果無さが感じられる一句である。

いきいきと令和の空を鯉のぼり  藤原 益世
         (令和元年七月号 白魚火集より)
 五月の青空にいきいきと鯉のぼりが泳いでいる。淡々と表現してあるが、新しい御代の令和の空である。  万葉集の梅の花三十二首の序文(漢文)の一節から、梅の花のように不屈な精神で大きく花開く時代になるようにと、そして「人々が美しく心を寄せ合う」と云う願いの基に、令和の御代となった。
 掲句はそんな願いの中で作られたのだと思う。
 あれから一年、今世間では新型コロナウイルスの感染拡大で世界中が振り回されている。思いも寄らぬ出来事である。どうか一日でも早く終息し、平和で明るい平穏な生活が出来る世の中になるようにと祈らずには居られない。
 今年もまた五月の鯉のぼりの季節が巡って来た。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 錨草 (静岡)鈴木 三都夫
数ほどの花を見せたる臥竜梅
うぐひすのご機嫌の語尾張りにけり
白木蓮の一片欠けて冴返る
初蝶の視野より消えし黄なりけり
初花に続く万蕾満を持す
葉を噴きて影やはらかき山桜
山桜あたり優しくしたりけり
錨草錨を上げて咲き揃ふ

 花 (出雲)安食 彰彦
やはらかき雨音聞こゆ春障子
長閑けしや鏡に写る髯の顔
おきざりにされてしまひし春の夢
春の風邪新型コロナかと思ふ
佇めば風を撫でゐる糸桜
はるかより絵手紙来たる花明り
まどろみの夢に友ゐて花に酌む
散る桜空青ければ遊びをり

 龍天に登る (浜松)村上 尚子
白鳥引くたがひの声をつなぎ合ひ
やはらかく牛が膝折る春の風
日の当たる岸に人ごゑ蘆の角
漁師兼民宿軒につばめの巣
島風にひらひら乾く若布かな
龍天に登る梯子の濡れてをり
永き日や島の高みに鳶の笛
内浦に沿ひ春の灯の揃ひけり

 かたき拳 (唐津)小浜 史都女
芹の水音ありさうでなかりけり
百歳にまだ余白あり花大根
判で押すやうな申告クロッカス
天山の夕むらさきに種下し
うぐひすの昨日のこゑとけふのこゑ
川原焼く火からのがれし黄水仙
早蕨のかたき拳を摘んできし
鳰のこゑ子を潜らせてしまひけり

 春の雪 (宇都宮)鶴見 一石子
菜の花の黄の風五臓六腑まで
空真青峠の茶屋の花菜漬
那須岳の地獄極楽草青む
雪柳雪降るごとく花盛り
会津富士拜するを拒む春の雪
峠茶屋牀机の脚の地虫かな
杉千本雑木千本山笑ふ
会津富士泰然自若青嵐

 花筏 (東広島)渡邉 春枝
卒業生初めて付くるイヤリング
翁草ふゆるにまかす塀の内
落椿踏まじと歩幅乱しけり
春の風邪どこへも行けぬ靴磨く
本棚は昭和の匂ひ花菜風
海上にとどまる巨船鳥帰る
花筏淀む流れに渦巻きて
記念樹の桜古木に夫婦の名

 辛夷 (浜松)渥美 絹代
貝殻にくれなゐのすぢ雛祭
蓬摘むときをり昼の月仰ぎ
高くまであがる煙や鳥帰る
山羊小屋にかぶさる欅芽吹きけり
日に二便のバスの終点山葵咲く
係留の船のしづかや入り彼岸
囀やぼんぼん時計遅れがち
石組みのゆるぶ棚田や辛夷咲く

 彼岸寺 (北見)金田 野歩女
雪解風湖より牧へ吹き上ぐる
春嵐河畔の雑木唸り出す
老僧の声よく通る彼岸寺
初雲雀一節空耳かと思ふ
海明けの航路眩しく船出かな
古書店の春光届かぬ専門書
木の芽晴樺肌美しき農学部
万愚節担がるる振り好々爺

 桜散る (東京)寺澤 朝子
促々と迫る疫病や桜咲き
忍び歩きめくよ人無き花通り
流言蜚語飛び交ふ巷彼岸も過ぐ
啻ならぬ疫病奔るか春の闇
幻のごとくに桜隠しかな
弥生尽居宅勤務も三週に
東都いま緊急事態桜散る
連翹忌書架にひつそり智恵子抄

 明日行く鴨 (旭川)平間 純一
髭面の山春眠をむさぼりぬ
まるまると今年の鰊煮付けらる
チセの窓閉ぢしままなり木の根明く
白鳥の明日の帰北の羽づくろひ
絵らふそく灯して暮れぬ春時雨
笹起きるさはさは風の渡りけり
春燈をともし唱ふる正信偈
万羽なす明日行く鴨の光り合ふ

 雪形 (宇都宮)星田 一草
引売りの青年が来る建国日
春一番雀の群の横つ飛び
男体山の雪形五指の爪のあと
河原に影を大きく春の鳶
平らかに高さの揃ふ梨剪定
ふらここにゆだね孤独を思ひけり
春愁や紅茶にたらすウィスキー
沈丁花雲を映せるにはたづみ

 春愁ひ (栃木)柴山 要作
コロナウイルス子らの三月空しうす
男体山より高くふらここ兄弟
黄水仙王国の王拝命す
花万朶こちんこちんの土竜塚
堰越えてまた列正す花筏
防人の碑今し芽吹ける三毳山
墳頂より望む産土風光る
阿修羅像に見えて募る春愁ひ

 蝌蚪の紐 (群馬)篠原 庄治
谿川の流れに遅速春近し
手で掬ふほどの小流れ雪解沢
春泥に塗れし老いの足柔し
棄て畑に土竜の上ぐる春の土
畑に佇ち春の息吹をひとり占め
啄木鳥のドラムの谺峡のどか
雨上がり地面膨らむ名草の芽
陽の温みとどく深きに蝌蚪の紐

 春の埃 (浜松)弓場 忠義
朧夜の町を掠むる偵察機
革靴の春の埃を拭ひをり
鳥雲に入る水平線の歪みをり
もの影のかすかにゆるる春の昼
手に触るる水の清さよ雛流し
波音遠く春蟬の鳴きにけり
竹秋や瀬音に急かれ雑魚の群
芽柳に触れつつゆけば足軽し

 春雷 (東広島)奥田 積
蕾千まづ一輪のこぶし咲く
菜の花や石積高き段畑
城山を騒がせてゐる木の芽どき
天平の伽藍の跡や揚ひばり
酒蔵に美人画ポスター春の雷
桜山ここに防空監視哨
島渡し一人の客に散るさくら
なだらかな野末にほへる榛の花



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 初蛙 (多久)大石 ひろ女
ひろびろと湖心を空けて残る鴨
三人の耳それぞれに初蛙
きゆつと鳴く塩瀬の帯や夕桜
灯を消してひとりに深き花の闇
ももいろの落雁鳥の帰るかな
花吹雪一木彫りの観世音

 座椅子 (浜松)佐藤 升子
手水舎に吊らるる手拭き春北風
座椅子に背あづけて春の風邪長し
鴨引くや池の端より雲流れ
鳥居より奥の霞の濃かりけり
永き日や竹籠・箒吊つて売る
波が波洗ふ音聞く遅日かな

 麗か (出雲)武永 江邨
病人が病人見舞ふチューリップ
麗かやまこと小さき虚子の句碑
囀りやもののふ眠る塚の上
一舟を湖心に浮かべうららけし
久闊の友の来る日よ風光る
新婚の嫁より筍飯貰ふ

 献体 (出雲)三原 白鴉
にじり寄るごとくに進む畦火かな
学級名標す木札や名草の芽
引越の荷に一鉢のシクラメン
春泥の径譲り合ふ遺跡かな
教卓の水槽に蝌蚪泳ぎけり
霾や献体となる兄送る

 船溜り (浜松)林 浩世
うららかや潮の香淡き船溜り
春光や木の桟橋の五尺ほど
繭蔵の残る小路や鳥雲に
蔵壁に折釘の影木の芽風
つばくらやきこきこ曲がる三輪車
永き日やきりんの口の動きづめ

 亀の首 (宇都宮)松本 光子
風音に重なる瀬音座禅草
涅槃西風円空仏のどつしりと
鳥帰るけふ見納めのランドセル
卒業す班長の札引き継いで
一礼し山門潜る卒業子
春愁のぴくりともせぬ亀の首



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 江⻆ トモ子(出雲)
神楽殿に響く太鼓や蝌蚪の紐
餡パンにゑくぼが二つ蛙の子
ガーリックパン噛めば三月来りけり
産気付く牛の鳴き声春の闇
菜の花の光の中に遊びをり

 高田 茂子(磐田)
衣手の句碑鶯の声の中
囀や大寺の屋根下に見て
三重塔を支ふる木の芽山
浮橋の揺れもたのしや養花天
閉店の大き貼り紙貝母咲く



白光秀句
村上尚子

ガーリックパン噛めば三月来りけり 江⻆ トモ子(出雲)

 大きな工場で作り、既に袋に詰めたもの、あるいは焼きたてをすぐ店頭に並べるものなど、最近のパンの種類の多さには驚く。その中で今日食べたのがガーリックパンだった。一口噛むと香りが口中に広がった。その時の感覚を一気呵成に表現したことで、春への期待が強く伝わって来る。これが餡パンやクリームパンでは生ぬるい作品となる。
  餡パンにゑくぼが二つ蛙の子
 餡パンにえくぼや臍があるという捉え方は珍しくないが、「ゑくぼが二つ」あるというのは今回初めて見た。パンを食べている目の前の池には、蛙の子が元気に泳いでいる。
 典型的な取り合わせの妙味である。

三重塔を支ふる木の芽山 高田 茂子(磐田)

 三重塔の最古の遺構は、飛鳥時代に建立された奈良の法起寺のものである。しかし、この塔がどこのものかを特定する必要はないだろう。一読して景を想像することは容易である。様々な木の芽が吹き始めた山々は冬の姿とは違う力強さや喜びがある。
 擬人化した「山笑ふ」という季語があるが、それとは違った趣がある。
  浮橋の揺れもたのしや養花天
 単に浮橋と言っても規模はいろいろである。しかし橋桁が無いことからどれも揺れるという点では同じである。怖がる人もいるが、手摺さえあれば大丈夫。
 ″花曇〟の副題である「養花天」としたことで、語感と共に一句を大らかなものにしている。

庭桜誉められ薄茶点ててをり 橋本 晶子(いすみ)

 「庭桜」は庭梅の変種を指すこともあるが、ここでは単に庭に植えてある桜とする。
 訪ねてきた人があまりにも誉めてくれるので、すっかり気を良くして、「どうぞどうぞ」と薄茶を点てて振る舞った。さぞ話も弾んだに違いない。

ビードロの文鎮なじむ納税期 吉川 紀子(旭川)

 ビードロはガラスの古称だが、室町末期に長崎へ渡来したオランダ人が製法を伝えたことを知ると、ロマンが広がる。文鎮の形や色も気になる。「納税期」という堅い季語との取合せが意表を突く。
 因みにこの季語を掲載している歳時記は少ないが、『白魚火歳時記』には載っている。

さくらさくら天女降りくるやもしれぬ 原田 妙子(広島)

 三保の松原の〝羽衣の松〟の話は知られているが、こちらは松ではなくて〝さくら〟である。それも数本ではない。そんな光景を目の前にして思わず出てきた十七文字。ユニークな発想が物語を生んだ。

母の夢見て草餅を買ひにけり 鈴木 敦子(浜松)

 夢の内容は決して特別なものではなかった。しかし、その夢を見たことで草餅を買いに行くことになった。母上を思い出しながら食べる味は又ひと味違う。年齢に関わらず、母親を思う気持に変りはない。

春ごとのはじまる髪を切りにけり 前川 幹子(浜松)

 春ごとは、関西と関東では風習の違いがあるように、日取りもやり方も様々のようである。いずれにしても外へ出て春の喜びを味わうものである。そのために髪を切ったという。女性らしい思い付きに納得した。

物干しにジーパン二本花菜風 荻原 富江(群馬)

 読みながら光景が目に浮かぶ。ジーパンは健康的且つ活動的なイメージがある。そして「二本」には若い親子、あるいは兄弟を想像させる。自然に囲まれた平和な暮しが明るく表現されている。

種浸すたな井の鯉の浮いて来し 加藤 美保(牧之原)

 種籾を袋に入れ、水に浸けて発芽を促すという「種浸し」。ここには特定の池があり、普段は鯉を飼っているらしい。今日の作業に驚いて浮いてきた。田起しに続く農村の平和な風景である。

雪吊や日差しに金の弦となる 富田 倫代(函館)

 金沢の兼六園を想像した。木の姿はもとより、縄が織り成すその美しさは又格別である。雪に反射する日差しに縄のすべてが弦のように見えた。その一本一本がいろいろな音色を奏でているようだ。

うぐひすのこゑ洗濯の日和なり 鍵山 皐月(唐津)

 朝からよく晴れ、鶯が鳴いている。思わずあれもこれもと洗って竿に掛ける。主婦にとって洗濯物がよく乾くのは、ささやかな幸せの一つである。


  その他の感銘句

春光やぜんまい緩ぶオルゴール
春の蚊の出てきて直ぐに打たれたり
一ページに一語の絵本春の昼
文鎮の代りに茶碗春日和
履き慣れぬ靴脱ぎてより花疲れ
子の開けし穴三つあり春障子
風光る兄がコーチの一輪車
花筏動きて水の流れけり
羅漢坂それて地獄の釜の蓋
あたたかや十時ちやうどの熱海行き
問診票出す受付のチューリップ
啓蟄や僅かな税の還付来る
窓硝子研けば春の光入る
着水の音をしづかに春の鴨
今日がまた過ぎて行くなり春障子

石田 千穂
富田 育子
小林 永雄
大庭 成友
野田 弘子
高井のり子
小嶋都志子
山田ヨシコ
大塚 澄江
砂間 達也
大平 照子
松本 義久
平野 健子
山口 悦夫
篠原  亮



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

 浜松 渥美 尚作
雪解の沢音バスの反転地
初蝶の手押車の前をゆく
窓開けて囀を聞く瀬音聞く
初蝶や魚板の三分ほどへこみ
渡し場に新しき小屋風光る

 福島 舛岡 美恵子
水温む園舎の窓にパンダの絵
しやぼん玉縁の下より鶏の声
春蚊鳴く裸電球灯す蔵
東京市とトランクにあり鳥雲に
芭蕉像の旅の荷少し桜咲く



白魚火秀句
白岩敏秀

渡し場に新しき小屋風光る 渥美 尚作(浜松)

 渡し場は、かつては庶民の交通手段として利用されてきた。万葉集にも古河の渡し(茨城県古河市)が詠われている。しかし、道路の整備や自動車の普及などで徐々に廃止されていった。ところが、いまだに元気で活躍している渡し場の小屋が新しくなった。新しい小屋と春の明るい風に送られた人たちが川を渡り、別の活動を始める。変わらない日常に、句読点のような新しい渡船小屋である。
  雪解の沢音バスの反転地
 バスの反転地は大抵が終点。ここは山里のどん詰まりのようだ。無造作な二行書きの表現であるが、山峡の早春の息吹が感じられる作品である。不要な説明を省いてシンプルだからである。

東京市とトランクにあり鳥雲に 舛岡美恵子(福島)

 東京市は東京府に明治二二年から昭和一八年まで存在していた市である。最終的な市域は現在の東京都の二三区に相当する。そんな昔の住所のトランクが大事に保存されていたものだ。手作りのよほど頑丈なトランクなのだろう。まさに「明治は遠くなりにけり」の感が深い。
  芭蕉像の旅の荷少し桜咲く
 芭蕉は『奥の細道』で福島県に十三日もいた。旅に明け暮れた芭蕉ではあるが、彼の像を見る限り荷物は少ない。福島や伊賀の芭蕉像のいずれも少ない。世俗の物を捨て去って風雅に専念したのだろうか。桜を愛した西行を慕う芭蕉に心を寄せた一句。

天耕の島見渡せり初桜 久保 徹郎(呉)

 天耕は山口誓子の〈天耕の峯に達して峯を越す〉からきている。「耕して天に到る」を誓子が天耕と造語した。「そのような天耕ぶりに、私は感動した。…日本の農夫のたくましい耕筰精神のあらわれである。…たくましいと云うだけでは云い尽くせないたくましさだ」と誓子は自句自解している。作者はこの島を音戸の瀬戸に架かる音戸大橋から眺めて詠んだのだろう。

手抜かりのなき丹精の茶の芽立つ 加藤 芳江(牧之原)

 おいしいお茶をつくるために茶樹の管理が一年間を通して行われる。冬眠から覚めた茶樹への施肥、整枝、防霜。夏の茶摘、冬の秋の整枝、冬の防寒や改植などどれも手を抜けない作業である。それだけに元気な芽立ちほど嬉しいものはない。「手抜かりのなき」に熟練した長年の技がある。

天守より玄界灘の春がすみ 谷口 泰子(唐津)

 この天守閣は唐津城のもの。唐津城は鶴が羽根を広げた形に似ていることから舞鶴城とも呼ばれる。海へ突き出たように唐津城からは玄界灘が見晴らせる。しかし、今は近くの島々も遠くの水平線も茫洋とした春がすみの中。玄界灘の満目の春がすみが句のスケールを大きくした。

軸足を定め筍掘りにけり 塚本美知子(牧之原)

 夏を待ち切れないように顔を出してきた筍。さっそくに唐鍬を担いで筍掘りにと出かけた。筍の曲り具合を読み、足場を固める。そして、狙い定めて唐鍬で一撃…。〈春筍に介錯の鍬振り下す 正文〉「それは介錯に似ている。見事な介錯を毎回望むのだが…」(自註 仁尾正文集) 掘り上げた筍にひとつの疵痕も残さないのが見事な介錯である。

春寒や開花待ちゐる旅鞄 門前 峯子(東広島)

 今年は春になってもなかなか暖かくなってくれない。炬燵の上にある旅のガイドブックが色々な旅を誘っている。遅い桜の開花を待ちわびているのは、どうやら人間だけではなさそうだ。

花だより少し明るい服を着る 田中かほる(浜松)

友達からの花便りでも、新聞などで知った花だよりでもいいが、桜が咲いたことに気持ちが弾んでいる。そんな気持ちの表れが「明るい服を着る」である。とはいえ、「少し」に作者の慎ましさが出ていよう。

松江より電車五駅の日永かな 酒井 憲子(松江)

 仕事帰りか買い物か。少し前までは、松江駅で電車に乗ったらすぐに日が暮れてしまったが、今は五駅過ぎた頃にようやく暗くなってきた。日永という目に見えない時間を通過駅の具体的な数で示してユニーク。


    その他触れたかった句     

階段で繋がる校舎花の雲
囀を聞く石段に腰おろし
人声の集まつてくる雛流し
水槽に仲間のふえて春休み
うららかや満員になる縄電車
茶碗蒸しフルフル揺れて二月尽
畑に立ちさてと算段夢見月
推敲のもつれてきたり目借時
亀鳴くや並縫ひの線曲がりゆく
青空を少し残して春の雨
裁ち板に篦の古疵針供養
下校の子一人外れて土筆摘む
福寿草咲いて話題のひとつ増え
廃校は閂挿して花吹雪
春の川蒟蒻村の道細し
東風強し峡の一戸へ郵便夫
花菜咲く線路づたひに帰りけり

遠坂 耕筰
村松ヒサ子
大平 照子
大菅たか子
溝口 正泰
森脇 和惠
佐川 春子
小杉 好恵
栗原 桃子
橋本 晶子
福嶋ふさ子
春日 満子
堀口 もと
渡部 忠男
西山 弓子
藤原 翠峯
松原トシヱ


禁無断転載