最終更新日(Update)'19.03.01

白魚火 平成31年3月号 抜粋

 
(通巻第763号)
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 3月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    大庭 南子
「午後の手紙」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(巻頭6句のみ掲載)
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
田口  耕、森脇 和惠    
白光秀句  村上 尚子
句会報 旭川白魚火「忘年句会」  下吉まこと
句会報 平成三十年栃木白魚火 忘年句会報  中村 國司
句会報 栃木白魚火新春俳句大会  高橋 裕子
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
    渥美 尚作、塩野 昌治
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(島 根) 大庭 南子   


はるかなる山に春雪正文忌  渥美 絹代
(平成三十年五月号曙集より)

 春を迎えたばかりのある日、遥かなる山に目をやれば、山では春雪が頂を覆っている。その光景に見入っていると何時のまにか仁尾正文先生のことに思いが移る。
 春雪の句には眼前の雪の様子を詠ったものが多いが、遥かなる山の春雪はいろいろなことを思わせ詩情を生む。その思いの中には作者の大切な仁尾先生のことがあったのであろう。私も先生には二度お目にかかる機会を得てお話をした。また、一度は私の作品についてお手紙で指導をいただいた。

犬ふぐり空広すぎて高すぎて  大石 益江
(平成三十年五月号白魚火集より)

 犬ふぐりは小さな青い瞳をいっぱいに見開き、きっと空を見つめているように地際近く咲く。野みちを歩いている私たちに、ああもう春なのだなあと気づかせてくれる。一斉に地面にちりばめる花はメルヘンの世界へ誘うようだ。咲いたばかりの花たちには、空は高すぎ広すぎよう。私の大好きな花である。そういえば白魚火のモットーは「わが俳句足もて作るいぬふぐり 西本一都」であった。

ぽつとあける埴輪の口や黄水仙  髙島 文江
(平成三十年五月号白光集より)

 春の野を割って首を伸ばして咲く喇叭水仙は強い存在感があり見ていると気持ちが浮き立つ。日本水仙の清楚さと比べ西欧的でポジティブである。また花弁は幾重にも重なり、真ん中は埴輪の口のようにあどけない形状をしている。埴輪の口の上には深い眠りから覚めたばかりの目があるがこの句からそれも連想される。
 この句から受ける形や色は優しくほんのりと季節の雰囲気を漂わせていて好きである。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 雪しまく (旭 川)坂本タカ女
蛇穴に入る熊笹の風さわぐ
羽打ちゐし白鳥水面に立ちあがる
流されて足を搔きけり浮寝鳥
俄か雪川風右往左往せる
山の宿ペチカの上の鹿の角
真昼間を灯し吹雪の一輌車
マントひるがへる銅像雪しまく
屑籠の屑動く音年詰まる

 柚 子 湯 (静 岡)鈴木三都夫
紅葉して谿流逸りをるところ
返り花ならず十月桜かな
睡蓮の狂ひ咲きとも溺れ咲き
鷭が鳴き鴨の寄りくる沼日和
手庇に捉へて眩し冬紅葉
万葉の里の家並の枇杷の花
松自若己が松葉を敷き詰めて
ひとときを柚子湯の柚子と遊びけり

 大  寒 (出 雲)山根 仙花
俳句手帳真赤冬立つ机上かな
山眠る馬穴に沈む束子かな
白壁に今日の影置く枯木立
大寒の橋長々と渡りけり
大寒の水音峡を貫けり
物音もなき寒林の隙間かな
大粒の寒星峡の空飾る
蛇口漏る水音春の近づけり

 買  初 (出 雲)安食 彰彦
元朝の旅伏の嶺の鳶の笛
国造の関に置かるる名刺受
礼帳に吾が名を印す草書にて
卒寿の師賀状の文字のふるへをり
教へ子の児を抱く賀状なつかしく
恩讐の彼方の友の年賀状
買初はスコットランドオールドパー
買初の一書は石原莞爾伝

 新しき年 (浜 松)村上 尚子
刈り込まれ山茶花窮屈さうに咲く
鐘の音の透きゆく冬の紅葉かな
電柱の影は冬田を逸れにけり
振り返るたびに冬日の遠ざかる
枯葦に寄する夕べの風の音
クリスマス花屋の前の濡れてをり
大歳の吊橋揺らしつつ渡る
富士山が見え新しき年に入る

 龍 の 目 (唐 津)小浜史都女
返り花すこし遅れてもう一つ
天井の龍と目の合ふ寒さかな
刻々と海暗くなる神迎
高波にさらはれさうな年の暮
少し病みすこし旅して晦日蕎麦
初雀水琴窟のよく鳴れり
方丈の日を奪ひ合ふ寒椿
寒禽や藩校の門ギーと鳴る

 九十九里 (宇都宮)鶴見一石子
待つことに慣れし常陸の初日の出
初明かり心は跳べり金の鯱
宜しきは会津漆器の屠蘇の膳
切り岸の六角堂の水仙花
五色沼瑠璃色に展べ鴨の陣
会津西峠の茶屋の味噌御田
リハビリの杖頑張つて霜柱
初夢や一歩踏み出す九十九里

 淑気満つ (東広島)渡邉 春枝
夫になき八十路を生きて初日の出
海風に椰子の葉ゆるる初景色
首里城の門に一礼淑気満つ
海底の魚に餌をまく二日かな
初春の海の底まで透けてをり
枯芝やどこまで続く基地の柵
咳止めの黒糖の飴舌にのせ
島ことば解らぬままに年酒受く

 蓄 音 機 (浜 松)渥美 絹代
蔵にゐて鴨の争ふ声を聞く
煤けたる柱に熊手掛けにけり
空色の石鹸かをる冬の雨
焚き口をはみ出す炎笹子鳴く
均されしままの畑や十二月
縄を綯ふ師走の光巻き込んで
冬の日をのせて蓄音機のまはる
大梁を仰ぐ榾火の爆ずるたび

 雪 晴 れ (函 館)今井 星女
雪晴れといふ神よりの贈物
雪晴れや窓全開し風通す
何はさておき玄関の雪を掻く
吹雪いても行かねばならぬ一事あり
雪道を両手ひろげて歩きけり
お互ひに道ゆづりあふ雪の道
一と時の雪の晴間に小買物
タクシーにチップをはづむ初詣

 願 ひ 事 (北 見)金田野歩女
大鷲の数多湖岸の水楢に
鳰小舟の艫へ浮く一羽
酢牡蠣鉢無口な夫に褒めらるる
餌台の早口言葉初雀
初詣絵馬をはみ出す願ひ事
烏骨鶏のまだ温みある寒卵
凍滝に耳をすませば音微か
冬柏を矯むる年月海の風

 花 の 春 (東 京)寺澤 朝子
産土は雪くるころかしぐれ虹
一席に泣いて笑つて年惜しむ
出雲より手打蕎麦くる小晦日
むかしなら米の祝の年明くる
相老いていまを健やか花の春
このところとんと見掛けぬ嫁が君
淀むなく過ぐる日月寒に入る
氷下魚焼くかつて住みし地恋ふる夜は



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 師  走 (浜 松)大村 泰子
手品師のトランプが消え冬に入る
目つむりてゐて水鳥の岸にをり
風干しの魚の透けたる師走かな
笹子鳴く耳の揃はぬ藁半紙
鳰浮くを見届け水を飲みにけり
咳ひとつ話の接ぎ穂探しをり

 小春日和 (出 雲)荒木千都江
神還る小春日和の風にのり
一舟に初冬の光あつめけり
ふりむけば冬凪の海真青なり
散るもよし散り敷くもよし冬紅葉
千枚の田を積み上げて山眠る
こまごまと咲いて影なき冬桜

 日向ぼこ (出 雲)渡部美知子
白息に白息重ね遅刻の子
冬霧を割つて潮騒聞こえくる
日向ぼこぼんぼん時計ふたつ鳴る
冬の湖遠嶺はうすく空にとけ
をさなより広がつてゆく初笑
読初は初学の頃の俳句帖

 冬 の 梅 (藤 枝)横田じゅんこ
よろひ戸の中まで冬日百葉箱
毛糸玉引けば引くほど逃げにけり
日向ぼこだんだんみんなゐなくなる
泡のまま乾く石けん冬旱
目覚しが鳴り大年となりにけり
眼に力入れて見てゐる冬の梅

 焚 火 守 (名 張)檜林 弘一
引く波を押し戻す波十二月
天狼の光眉間にクリスマス
年忘れ揺りかごとなる終電車
伽藍みな初空へ屋根広げけり
漁の舟待つ浜の焚火守
雪女郎高速道路を塞ぎけり

 柞 の 森 (浜 松)林  浩世
山よりの水に冬菜を洗ひあぐ
枯葉踏む柞の森の明るさに
忘れ物取りに戻りて冬夕焼
冬の日や棚田一枚づつ光る
リフトより冬青空に降り立ちぬ
御札売る巫女の大きなマスクかな



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 田口  耕(島 根)

冬鳥の声につつまれ目覚めけり
隠江や底さらひゆく海鼠舟   
町中の川へつがひの白鳥来
赤飯を炊き子を送り出す三日かな
舞初の扇ぴしやりと閉ぢにけり


 森脇 和惠(出 雲)

夕時雨粥くつくつとしてきたる
聖夜待つロビーに四重奏を聞く   
月白く残り聖夜の明けゆけり
冬霧をまとひ自転車現はるる
ゆく年の米寿の母の背中かな



白光秀句
村上尚子


隠江や底さらひゆく海鼠舟  田口  耕(島 根)

 「海鼠」の副題に「海鼠突」があるように、漁の仕方としては一番分かりやすい。この句は小舟に網を仕掛けて海の底をさらってゆく方法である。一匹ずつ銛で突くよりはるかに効率がよい。しかし旅行者が通りすがりに見掛けても、きっと見落してしまうだろう。この句はこの地に住んで、海の様子をよく知っていてこそ分かる風景である。隠岐は歴史や風光明媚だけではなく、豊富な海の幸にも恵まれている。
  赤飯を炊き子を送り出す三日かな
 一緒に過ごした年末年始の休暇も、あっという間に過ぎてしまった。今日は任地へ帰る日である。せめて「赤飯」でも炊いて前途を励まそうということである。言葉には出さずとも、親ごころは痛いほど分かる。

夕時雨粥くつくつとしてきたる  森脇 和惠(出 雲)

 「時雨」は昔から歌の素材として愛されてきた。冬の初めに降る雨で、極地的なものである。作者のお住まいも、東に宍道湖をひかえている他は、ほぼ小高い山に囲まれており、時雨が降りやすい地形である。夕方の家事の一場面と「夕時雨」により詩が生まれた。「冬の雨」では一句の趣が変わってしまうだろう。
  冬霧をまとひ自転車現はるる
 単に霧といえば秋の季語で、冬に立ちこめるものは「冬の霧」として区別をしている。枯れ果てた周囲の景色や、冷たい空気等から考えても、陰鬱で重苦しいものである。この句は、その中から「自転車現はるる」と言って意表を突いた。固定観念にとらわれない、若い発想が光っている。

柚子風呂に傷ある柚子と語り合ふ  髙部 宗夫(浜 松)

 今回の作品の中に、柚子と戯れつつ入浴するという内容のものがたくさんあったが、この句を秀句とした。理由は中七、下五にある。自分の健康を願いつつも、柚子を慈しむ気持が素直に表現されている。〈頑丈に生んでくれたる柚子湯かな仁尾正文〉を思い出す。

風呂吹の余りて昭和遠くなる  廣川 惠子(東広島)

 寒い時の食べ物は温かいものに限る。「風呂吹」もその代表的なものの一つだが、この句の面白いところは、只事からの鮮やかな転換にある。五月からはいよいよ新しい元号となる。「昭和遠くなる」は実感である。

若水の青き懸樋を走りくる  陶山 京子(雲 南)

 「若水」は、元日の朝初めて汲んだ水であり、それで福茶を沸かしたり、雑煮などの料理に使う。「青き懸樋を走りくる」はまさに新年を迎えるにふさわしい水である。

ずわい蟹みな腹見せて糶られをり 鈴木 敬子(磐 田)

 生きたまま売られるものもあるが、これは茹でたものを並べて売っている。腹を見せるのは雌雄を見分けやすいためであろう。今年の鳥取港での最高値は一匹二百万円だという。ご祝儀相場とは言え驚くばかりである。

冬夕焼しづかに動く潮の色  高橋 茂子( 呉 )

 冬の日没は一年で最も早く、寒い中で夕焼を楽しむことは少ない。しかしその美しさは他の季節に勝るとも劣らない。写生に徹した表現で、「動く潮の色」により、冬の情緒を存分にかもし出している。

十枚の棚田見回る四日かな  貞広 晃平(東広島)

 四季折々に変わる「棚田」の景色は美しい。しかし、農家としては美しさだけに捕われている訳にはいかない。まだ正月気分の残るこの日、早速様子を見に出掛けた。「四日かな」は作者が棚田を思う気持そのものである。

初暦浅野数方の句に印  大村キヌ子(札 幌)

 〈さいはての朱夏に雲吐く利尻富士 数方〉が今年の俳人協会のカレンダー六月の句として掲載されている。それを見付けた作者は、早速そこに大きな印を付けた。「白魚火」の仲間としての誇りと喜びが素直に表現されている。

海苔掻女不作の籠を見せあへる  山田ヨシコ(牧之原)

 自然相手の仕事は自分の努力にかかわらず気象に左右される。この日も張り切って出掛けてみたが、思うような収穫はなかった。仲間同士の落胆の声が聞こえてくる。

水神の幣ひるがへり寒波くる  川本すみ江(雲 南)

 「水神」を祀ってある「幣」が、風によってひるがえった。見えているものはただそれだけだが、「寒波くる」によって一句が俄に生き生きとしてきた。季語の大切さを思う。



    その他の感銘句
埋火をつついて日暮早めけり
長編の小説五冊冬ごもり
山鳩のつつく冬日の水たまり
道案内サンタクロースの服を着て
日に遊べ風に遊べよ寒雀
欠けてゐるらしき日輪寒に入る
鬼柚子の転がしてあるカウンター
両の手に輪ゴムの跡や大晦日
自動ドア出て門松の風を受く
冬紅葉沓脱ぎ石の二間ほど
年の瀬の人の流れに加はりぬ
冬日和引佐細江にこふのとり
見えてゐて遠き夜道や火事見舞
わが背にはザック天には六連星
背なの子の寝息やはらか冬銀河
斎藤 文子
鈴木  誠
阿部 晴江
伊藤 達雄
萩原 一志
森田 陽子
檜垣 扁理
埋田 あい
野田 弘子
原田 妙子
髙添すみれ
豊田 孝介
秋葉 咲女
淺井ゆうこ
村上千柄子


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 浜 松 渥美 尚作

枯尾花透かし夕日の沈みけり
式台に冬日の届く山庄屋
美しき木目欅の箱火鉢
真鍮の長き火箸や笹子鳴く
温かき色を灯して飾売る

 
 磐 田 塩野 昌治

木曽谷の渦巻く風や冬の鳶 
焚火して丸太の節目あらはなる
影の来て不意に開きたる白障子
鰭酒を飲んで妻子に恙なし
指切りの手の温もりや去年今年



白魚火秀句
白岩敏秀


温かき色を灯して飾売る  渥美 尚作(浜 松)

 ジングルベルの歌が聞こえなくなると、街角のあちこちで露天の正月飾売りが始まる。通りすがり人や買い物客が、飾売りを取り囲むようにして飾りを選んでいる。玄関飾り、神棚の注連縄や輪飾り。これらの飾りには藁の青さや匂いの残っていて、清々しいものである。温かい色の灯がやがて来る正月の目出度さにつながっている。
  枯尾花透かし夕日の沈みけり
 高原の芒原のなかへ夕日が沈んでいく情景。冬の日は短い。しかも、沈むにもスピードがある。空に青さを残したまま、一瞬の光芒に夕日が消えていった。残された大空の青さと広い高原の枯芒の白さ。その大きなコントラストが作り出す幻想的な高原の世界。 

影の来て不意に開きたる白障子  塩野 昌治(磐 田)

 他家を訪問した時の出来事であろう。客間に通されて、冷えた体が暖房に温まってくると、やおら調度品などを見回す。しかし、見終わっても、まだ主人は現れてこない。何時、主人が現れるとも知れないので、正座は崩す訳にはいかない。足の痺れに耐えていると、障子に影が映ったと思うと不意に障子が開いた。訪問客の気持ちを見透かしたような「不意に開きたる」である。
  木曽谷の渦巻く風や冬の鳶
 「木曽路はすべて山の中にある」と島崎藤村は『夜明け前』に書いた。そんな山の中の木曽谷の冬の空を、一羽の鳶が舞っている。鳶は吹きつける谷風に自由に飛ぶこともままならぬ様子。
 見えない「渦巻く」風の動きを、鳶を出現させることによって、見える形で示してくれた句である。

島の絶壁隼の急降下  田口  耕(島 根)

 名詞ばかりで作られた句。それでいて動きが感じられる。切り立った絶壁と急降下する隼の垂直な線。それらを押さえ込むような冬の荒天と荒波の水平な線。垂直な線を軸に水平な線が揺れ動く。島の冬の荒々しい情景を活写している。

忘年会締めは校歌となりにけり  小杉 好恵(札 幌)

 久し振りに同窓会が開かれた。初めは思い出せない顔に戸惑いながらも、時が経つにつれ、酒が入るにつれて、だんだんと青春時代に戻ってきた。あちこちで思い出話に花が咲いている。二次会の話もまとまったのか、最後は肩を組んで蛮声をあげての校歌合唱となった。年末のひととき青春に戻った顔、顔が輝く。

初売りの干支の揃ひし飴細工  花木 研二(北 見)

 デパートのようなところの初売りの光景だろうか。透明な飴を竹串につけて、くるくると巻いて猪の形をつくり、美しく色づけをしていく。作られた飴細工は陳列台に並べられている。十二支が揃った干支の美しさに新年の目出度さがある。

風邪に寝てすこしわがまま言ひにけり  村松ヒサ子(浜 松)

 体の調子が変だな、と思いつつ無理をしていたら、案の定、風邪で寝込んでしまった。普段が丈夫なだけに、家族の方が心配して色々と気を遣ってくれる。そんな家族に甘えてすこしのわがままを言ったという。きっと作者は自分がわがままを言うより、家族のわがままを許す人となりなのだろう。「すこしわがまま」につつましさが表れている。

煤逃や床屋の客のまた一人  熊倉 一彦(日 光)

 年末に行う大掃除である。なんだかんだと理屈をつけて、逃げ出したもののこれといった行く先もない。取り敢えず馴染みの床屋に行ったところ、煤逃げとおぼしきご近所さんの先客。軽く挨拶を交わしたものの、お互いに煤逃げのことは一言も言わない。それが大人の付き合いというもの。

靴跡を比べてをりぬ雪の朝  羽柴ひろこ(旭 川)

 随分と冷え込んだと思ったら、夜のうちに雪が積もっていた。庭では子ども達が雪に靴を踏み入れて、その大きさや深さを比べてはしゃいでいる。雪のために遊具で遊べなくなっても、子どもは直ぐに新しい遊びを見つけだす天才なのである。

初笑娘と同じタイミング  渡邉知恵子(鹿 沼)

 居間でのことか台所でのことか、場所もきっかけも分からない。ただ、分かっていることは母と娘が同じタイミングで笑ったということ。母と娘の同じDNAがなせるわざか。


    その他触れたかった秀句     
むささびの飛ぶ磐座の星明り
凍滝や青き龍神眠らせて
渦潮に巻き込まれ行く寒夕焼
踏む音の落葉に戻る日和かな
蜜柑山日暮れのなかに香りけり
ひと筋の道あきらかに雪の駒ケ岳
白むまで夜を使ひ切る里神楽
日蝕の始まつてゐる注連飾
嬉々として眉と紅引く初鏡
初茶湯古希の男の点前かな
賞状のまるまつてゐる大晦日
冬の雷役員決むる阿弥陀くじ
表札に嫁の名入れて注連飾る
初御空静かに村の目覚めけり
日向ぼこ父親に似る爪を切る
大澄 滋世
伊藤かずよ
友貞クニ子
竹山久仁昭
原田万里子
内山実知世
梶山 憲子
宮澤  薫
福間 弘子
吉田 柚実
竹中 健人
野々村とみ子
藤原 翠峯
山根 弘子
茂櫛 多衣

禁無断転載