最終更新日(Update)'19.02.04

白魚火 平成31年2月号 抜粋

 
(通巻第762号)
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 2月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    永島 のりお
「記念切手」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(巻頭6句のみ掲載)
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
根本 敦子、坂田 吉康    
白光秀句  村上 尚子
平成31年度「白魚火賞」・「同人賞」・「新鋭賞」発表
平成30年度 静岡全国大会参加記
句会報 坑道句会 十一月例会  渡部 幸子
句会報 群馬白魚火会  遠坂 耕筰
句会報 白岩主宰を招き一泊  忘年吟行句会広島白魚火俳句会  溝西 澄恵
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
    寺田佳代子、秋葉 咲女
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(松 江) 永島のりお   


噛みそこなひし短日のホッチキス  鈴木 喜久栄
(平成三十年四月号 白魚火集より)

 ここでのホッチキスは、家庭でよく使うハンディタイプのものであろう。それを使って紙を綴じていたら、「噛みそこな」って(針の先端がくずれて)うまく綴じられなかった。紙が多かったのか、押し方がわるかったのか。そういうことが幾度か繰り返されたのではないか。ふと気がつくと、もう日暮れがきている。ホッチキスが噛みそこなったうえに「短日」で、イライラ感、切迫感、さらには無力感、自嘲も感じられる。複雑な心情が「噛みそこなひし」で受けとめられ、句またがりのリズムによってイライラ感が増した。

ひび割れし木喰仏や梅早し  砂間 達也
(平成三十年四月号 白魚火集より)

 木喰仏は、木喰という名の遊行僧が彫った仏像を指す(千体以上彫ったという記録がある)。それらの像で目を引くのは、何といっても満面に微笑みをたたえた多くの像である。作られて二百年以上経つ(二〇一八年は木喰の生誕三〇〇年であった) ので、中にはひび割れが数か所あるものもある。痛々しくも見えるが、こぼれんばかりの微笑みがそれをも包み込む。
 作者はそのひび割れた像に、「梅早し」を取り合わされた。早咲きの梅の花がぽつんと気高く咲いている、と。作者の思いやりの心と前向きな姿勢が感じられる。木喰の生誕地を訪れたものには、春まだ浅き甲斐国丸畑村(木喰の生誕地。今の山梨県南巨摩郡身延町古関丸畑)が想起される。
 同じ号の別のページに、「料峭や畑の中の木喰堂」(江連江女白光集)もあり、合わせて鑑賞させていただいた。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 女  滝 (旭 川)坂本タカ女
鯉まれにはぬる音して雪の宮
日の射して氷柱雫の急ぎあし
山々の雪待つ上川盆地かな
山暮れてくる身ほとりの寒気かな
うすうすと昼の太陽浮寝鳥
十五階よりの展望雪祭
唇がほど口あけ凍てし女滝かな
閊へてあかぬ引出し年つまる

  菊  (静 岡)鈴木三都夫
暮し向き似たる家並や柿の秋
倒伏の稲穂重たき野分跡
発掘の遠き世の石城の秋
木の実降る歩兵聯隊跡とのみ
行く秋の丸子に残る歌枕
懸崖の菊に富士の名裳裾曳く
どう見ても一等賞の菊ばかり
駿府城落葉籠にも葵紋

 冬に入る (出 雲)山根 仙花
穏やかに穏やかに今日冬に入る
わが家にはわが家の暮らし冬に入る
出まかせの老いの体操小春凪
落葉掃くことも日課となりにけり
冬雲を乗せて裏川急ぎをり
大冬木傾くをやや遠くより
目の前に山一つ置く冬座敷
佇めばわれに寄せ来る冬の波

 風  邪 (出 雲)安食 彰彦
誰がのむか減りし富山の風邪ぐすり
祖母に聞く素直な思ひ玉子酒
洟風邪もひいてはをれぬ稿を書く
風邪に臥しただ聞こゆるはおのが息
風邪三日あも髭面になりにけり
はやり風邪ひけば近づく冥土かな
冬の田に老農ひとり煙草吸ふ
御紋章の盃冬日澄みとほり

 今朝の冬 (浜 松)村上 尚子
庭石に鳥のきてゐる今朝の冬
我が影の伸び茶の花に触れてゆく
綿虫としばらく歩く高野道
女人堂高野槙よりしぐれくる
ストーブの効き過ぎ法話続きけり
宿坊の提灯点す冬の雨
倒されし冬木の芯の真紅
枇杷の花咲き始めとも終りとも

 縄 電 車 (唐 津)小浜史都女
目の前によき富士があり柿熟るる
棒稲架の一竿に稲納まりし
田の神も加はつてゐし案山子展
案山子村かかしの子らの縄電車
白粥を駿府にすすり秋惜しむ
東海道宿場をあるき暮早し
富士山の遠かがやきに返り花
空耳のやうで笹子の二三こゑ

 里 神 楽 (宇都宮)鶴見一石子
白鷺の杜を彩る冬紅葉
寒椿一気呵成に咲き競ふ
裸木のぐるりと囲む道の駅
尊徳の眺めし鬼怒の虎落笛
金次郎所縁の大地冬ざるる
阿亀火男笛に誘はれ里神楽
大鬼怒の風に諍ふ枯尾花
石蕗咲ける秩父青石渉り石

 小 春 日 (東広島)渡邉 春枝
二の鳥居一の鳥居と落葉踏む
飛ぶものの光となりて枯野原
一鳥の声すき透る冬木立
日溜りの落葉の中に動くもの
水明り落葉明りに緋鯉浮く
小春日を使ひ切つたる旅二日
早口が耳を素通り十二月
見くらべて一盛選ぶ冬りんご

 大  梁 (浜 松)渥美 絹代
紅葉且つ散る卵抱く烏骨鶏
湯気こもる厨勤労感謝の日
羽根ひろげ鶏走る神の留守
算盤のはみ出す鞄冬ぬくし
炉話の板の間すこしきしみけり
反転のバス石蕗の花に触れ
炭継ぎてかつぱのことを語り出す
大梁に百年の煤冬ぬくし

 秋 の 旅 (函 館)今井 星女
この道は東海道へ秋の旅
富士見えて拍手が起こる秋の旅
いく度も歓声あがる秋の富士
天高し富士はやつぱり日本一
秋高し弥生文化に触れもして
復元の高床倉庫登呂の秋
復元の竪穴住居秋の風
稲を刈る弥生時代の遺跡より

 手  鉤 (北 見)金田野歩女
蝦夷栗鼠と胡桃分け合ふ鄙の宮
陽は句座へあまねく注ぐ小春かな
凋落と云ふには美しき黄葉散る
永年の夫の手塩の枇杷咲ける
十種余夫の好きなおでん種
あざやかな手鉤のさばき鱈外す
初夢の辻褄合はぬまま覚めし
冬柏単線列車一人待つ

 冬  日 (東 京)寺澤 朝子
芭蕉庵跡地に稲荷冬うらら
石蕗咲いて芭蕉の愛でし石蛙
賽銭の音のことりと神の留守
散りそめて柊咲くと知られけり
木の葉散るいま渡りゆく小名木川
日向へと陣立て直す鴨一団
ばら紅し冬日あまねくゆきわたり
波郷忌のこれより波郷の往きし道



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 神の留守 (浜 松)安澤 啓子
どんぐりを拾つて踏んで暮れにけり
神の留守噴煙ときに向きをかへ
樟の十一月の葉擦れかな
綿虫のゆくて夕日の沈みけり
音たてて草を食む馬小六月
冬の虹あふぐ夫の墓の前

 歩 み 板 (東広島)源  伸枝
小春日や仔山羊に指をなめられて
さざ波を胸に眠れる都鳥
短日や下船にしなふ歩み板
酒米を蒸す香を路地に風凍つる
梯子めく蔵の階段寒波来る
蔵深く酵母いきづく霜夜かな

 古き落書 (宇都宮)星  揚子
蟷螂の逆さに下がり枯れゆけり
日をまるく弾きて静か花八ツ手
冬の日を吸ひ込んでゐる埴輪かな
手轆轤を回し冬日を回しけり
短日や薬簞笥の小抽斗
押入れの古き落書冬日射す

 敗  荷 (浜 松)大村 泰子
行く秋の灯ともす頃の雨となり
敗荷や遠嶺より雨上がりくる
藁苞の自然薯少しはみ出せり
シーツぴんと乾いて冬に入りにけり
グラタンの焦げ目薄ら神の留守
葛湯吹く明日のことなど考へて

 鰐  口 (唐 津)谷山 瑞枝
木守柿仁王の胸に穴ひとつ
枇杷の花青磁の壺に耳と足
線香の煙をもらふ神の留守
崩れたる石も仏や冬苺
鰐口の頼り無き音寒烏
石仏の臍の高さに空つ風

 冬 夕 焼 (浜 松)織田美智子
手のひらに受けて味見や菊膾
冬木の芽十歩にあまる太鼓橋
前山にかつと日の差す冬紅葉
折つて切る半紙いちまい石蕗の花
夕時雨煮炊きにくもる玻璃戸かな
冬夕焼書かねば一句すぐ消ゆる



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 根本 敦子(北 見)

色変へぬ松や皇宮警察官
靴替へてランナーとなる水の秋
手袋の馴染んで君の手の形
横断歩道の縦横斜めしぐれけり
白鳥に光集まる濤沸湖


 坂田 吉康(浜 松)

MRIに身を入れ神の留守 
駄菓子屋に武者絵のめんこ冬ぬくし
閼伽桶の逆さに干され雪催
相傘の肩に手を置く冬帽子
寒星の零れむばかりバスを待つ



白光秀句
村上尚子


色変へぬ松や皇宮警察官  根本 敦子(北 見)

 皇居前に立つと、先ず目に付くのがよく手入れされている松である。回りの木々が色付き始め、落葉が始まるなかでその姿は一際美しい。そして出合ったのが「皇宮警察官」。俳句にはいささか堅苦しい言葉だが、想像しただけで空気が伝わってくる。
 典型的な取り合わせの妙味が、無駄なく表現されている。
  横断歩道の縦横斜めしぐれけり
 「しぐれ」の季語は、京都など一定の場所で見られる現象として使われてきたが、今では都会の冬の通り雨にも使われるようになった。この句は最近よく見られるスクランブル交差点であろう。「縦横斜め」という、見たままの様子を素直に表現したことが要となっている。

MRIに身を入れ神の留守  坂田 吉康(浜 松)

 病気の発見や治療の一貫として、「MRI」による検査は一般化してきた。この句の「身を入れ」には実感がある。結果を聞くまでの不安は言うまでもない。作者には幾つかの病歴があると聞いていた。しかし季語から察して、深刻ではなかったと理解した。
 「神の留守」をどう解釈するかで、作者の気持を窺いつつも、この句の面白味が分かるような気がする。
  相傘の肩に手を置く冬帽子
 「相傘」は言うまでもなく、一本の傘を男女二人でさすこと。生真面目な作者の句であるが故に、素通りする訳にはゆかない。相手が誰であるかは読者次第。二人のうしろ姿がほほえましい。温かい冬の雨である。

口数の減りし鸚哥や十二月  古家美智子(東広島)

 長年話し相手をしてくれた鸚哥。近頃は手に乗せて言葉を掛けても反応が悪い。お互いに首を傾げることが多くなった。この寒さのなか、作者の心配しているようすが見えるようだ。

木の葉散る思ひ出話するやうに  檜垣 扁理(名古屋)

 木の葉の散るさまは、木の種類や色や天候によって違う。又その時の心境によっても違って見えることがある。「思ひ出話するやうに」と思ったのは、作者独特のロマンである。

白樺の高きに風や神の旅  吉村 道子(中津川)

 青空の下ですっかり葉を落とした白樺の木。その梢を風が通り過ぎて行った。目に見えるものはただそれだけだが、「神の旅」という季語との出合いにより、「白樺」に新しいイメージが生まれた。

炉開や棚に富山の置き薬  若林 眞弓(鳥 取)

 「富山の置き薬」とは懐かしい。紙風船が楽しみだったという話はよく聞いた。ここでいう「炉開」は茶道のことか、普通の家で囲炉裏を開くことかはっきりしない。しかし、俳句としては前者の方がはるかに面白い。

船艦の手旗信号冬の虹  山田 眞二(浜 松)

 広辞苑によれば「手旗信号」は、右手に赤、左手に白の小旗を持ち、これを振り動かして遠くの相手に通信する信号とある。しかし「船艦」となればそんな簡単なものではない。突然表われた「冬の虹」の美しさに、しばし緊張もほぐれたに違いない。

冬の雷睡眠薬の効いて来し  小松みち女(小 城)

 「冬の雷」は、夏の雷のように天地を裂くような烈しいものではなく、思い出したように鳴っては、いつの間にか止んでしまうことが多い。寝がけに飲んだ「睡眠薬」もいつの間にか効いてきたようだ。

約束に少し間のあり落葉掃く  樋野久美子(出 雲)

 嬉しい約束事がある日は朝から気分が良い。早目に仕度を整え、時間がくるのを待つばかり。外へ出て友達が来るのを待っていたが、落ち着かない。たまたま目に付いた少しばかりの「落葉」を掃き始めた。働き者の作者の姿がよく見える。

息かけて押す印鑑や山眠る  山田 春子(函 館)

 「息かけて押す」とは、何か重要な書類かも知れない。心を籠めて押し終えた作者のほっとした気持は、「山眠る」によって伝わってくる。

雪漕ぐや見知らぬ人に会釈して  山羽 法子(函 館)

 仕事となれば除雪されていない所へも行かなければならない。お若い作者はそれを物ともせず、雪を搔き分けてゆく。「見知らぬ人に会釈して」には、素晴しい人間性まで見えてくる。思わず〝頑張って〟と声が出た。
 北海道で働く作者ならではの作品である。



    その他の感銘句
晩秋の富士白雲を集めをり
上棟式柱すつくと冬天へ
小春日和とりあへず杖持ちて出る
掃き寄する落葉一枚づつ光る
説教の始まる前の咳ひとつ
小六月柱の傷は猫の丈
おむすびの湯気まつすぐに今朝の冬
大根稲架三方ヶ原の風の中
浮寝鳥時々目ざめ水脈つくる
冬空へ飛行機雲のほどけ行く
掃き寄せし落葉逃ぐるが如く舞ふ
回りさうで回らぬ風車冬紅葉
三代の富士額なり七五三
塩飴を口にころがし秋惜しむ
灯しても消しても一人夜長かな
松本 義久
田部井いつ子
大野 静枝
阿部 晴江
髙部 宗夫
池森二三子
野田 美子
山下 勝康
高田 喜代
岡田寿美子
伊藤 妙子
大菅たか子
三谷 誠司
樋野タカ子
落合 勝子


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 多 摩 寺田 佳代子

箒目の白砂の波へ散る紅葉
水に透く恋占ひや冬あたたか
神在の稲佐の浜の小貝かな
手袋を脱ぎて見入るや魁夷展
晩鐘や一山冬を深めたり

 
 さくら 秋葉 咲女

風に干す藍の繰糸鵙日和 
祝ぎ事の電話の響く菊日和
素焼干す障子明かりの轆轤土間
風寒し奇形生みつつ雲飛べり
伸子張る藍に染まりし胼の指



白魚火秀句
白岩敏秀


水に透く恋占ひや冬あたたか  寺田佳代子(多 摩)

 水占いとは「水を用いてうらなうこと」と広辞苑にある。有名なところでは京都の貴船神社や松江の八重垣神社などがある。「水に透く」とあるから、これは貴船神社での水占いであろうか。
 水に浮かせた白紙の神籤に文字が浮かび出て、恋の行方を占う。文字の現れを胸をときめかして待つ…。吉か凶か。季語の「冬あたたか」が恋の成就を祝福している。
 神在の稲佐の浜の小貝かな
稲佐の浜は全国の神々を迎える「神迎神事」が行われる浜。そこで小さな貝を見つけた。手に取って眺めているうちに、この貝に乗って神が来たのではないかと思えてきた。神話に満ちた出雲の旅ならではの思い。
 
素焼干す障子明かりの轆轤土間  秋葉 咲女(さくら)

 先程まで作業していた陶工たちが去って、静かになった轆轤土間。残されたのは障子明かりが作る、淡い影を持った素焼きの壺や皿だけである。
 もう土に戻れない壺や皿。釉薬を掛けられるまでの時間を、障子明かりが静かに包んでいる。静物画のような静謐な空間を描く。
  風に干す藍の繰糸鵙日和
 藍は古来からある染料で、徳島県が一大産地。明治の頃は外国人にジャパンブルーと呼ばれていたという。
 揚句は濃淡様々な藍染め糸が、秋空の下に干されている情景。藍糸はときには秋風に揺れ、時には静かに日を浴びている。澄み切った青空と引き締まった藍の色。両者が響き合っているのは季語の「鵙日和」のゆえ。

山眠る木曽の五木の香をまとひ  大澄 滋世(浜 松)

 「木曽の五木」とは「木曽谷から産出するヒノキ・サワラ・クロベ・アスナロ・コウヤマキの総称」と広辞苑にある。これらは江戸時代には伐採禁止の樹木であった。その甲斐あって、現在まで美林として残っているのである。そんな木曽の山々は今、先人達の保護に育てられた木々に囲まれ、静かに眠っている。人間と自然の共存を感じさせる。

大根引く足らぬ力に声足して  難波紀久子(雲 南)

 ある冬晴れの日、大きく育った大根を取ることにした。両足を踏ん張って引くのだが、なかなか抜けてくれない。ついつい声に力が入る。「声足して」で抜く力が二馬力になったのである。立派な大根に育った喜びがある。

蔵町のほのと酒の香十二月  友貞クニ子(東広島)

 この「酒の香」は「酒都」西条の新酒の香である。蔵町には赤いレンガの煙突がある。
 作者は東広島市在住。冬晴れの日に蔵町を散策か吟行をして蔵元を覗きながら、試飲でもされたのだろう。熱くなった頬に風がここちよく当たる。「ほのと」の措辞が冬のあたたかさを感じさせ、酒の香をいっそう引き立てている。

大斐伊の蛇行に秋の落暉かな  船木 淑子(出 雲)

 昨年の『白魚火』二月号の特別作品に、故森山暢子さんの「壺神」と題した一文がある。その冒頭に「斐伊川は、小きざみに蛇行をくりかえし、浅瀬や深淵をつくっている。(以下略)」と書いてある。
 その斐伊川に反射する秋の落暉は、あたかも『古事記』にある八岐大蛇(やまたのおろち)の鱗のような輝き。出雲神話を背景にスケールの大きな句である。

初雪や挨拶ほどの積もり方  吉野すみれ(苫小牧)

 冷え込みが一段と強くなったと思ったら、案の定、初雪となった。ところが、雪はすぐ止んで挨拶ていどの積雪で終わった。
 挨拶というのは、前段の切り出しの部分。本題は挨拶のうしろにある。挨拶と軽く詠み流してあるが、背後に本格的な積雪が隠されている。北海道に雪の季節が始まった。

北風のばうばうと瓶鳴らしをり  淺井ゆうこ(旭 川)

 再利用するために、集められた酒瓶や醤油瓶が並んでいるところに、北風が吹いてきた。空へ向けた瓶の口が一斉に「ばうばう」と鳴り出したという。たしかに、瓶の口に息を吹きかけるとボーボーと音がする。俳句は観察、発見だとあらためて思い致す句である。

神等去出や出雲は雲を低くして  朝日 幸子(雲 南)

 出雲に集まった神々が帰ってゆく神等去出の日は、出雲地方の空は荒れる。「お忌み荒れ」という。低く垂れた雲はその前兆か。神意の発揚を見守る作者。畏敬の念が伝わってくる。


    その他触れたかった秀句     
五平餅焼く合掌に炭を組み
行く秋や温もりのある卵むく
秋刀魚焼く煙の中へ帰りけり
アルバムに昭和をさがす夜長かな
冬日和さくら貝めく嬰の爪
髪切つて冷たき耳となりにけり
冬うらら山を見ながら山談義
年輪の残る朽木や山眠る
釉薬を寝かす軒下菊枯るる
曖昧な日和に紛れ雪ばんば
里神楽足の先より舞ひ初むる
切株に斧の傷跡冬日和
貼り替へて障子明かりの中に居る
暖房の風に前髪揺れてをり
炭小屋の棚に炭割る小さき鉈
坂田 吉康
小玉みづえ
落合 勝子
山越ケイ子
西村ゆうき
石田 千穂
根本 敦子
荻原 富江
江連 江女
大川原よし子
中村美奈子
石川 純子
小長谷 慶
吉田 柚実
坪井 幸子

禁無断転載