最終更新日(Update)'19.01.01

白魚火 平成31年1月号 抜粋

 
(通巻第761号)
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 1月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    広瀬 むつき
「鹿  沼」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(巻頭6句のみ掲載)
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
鈴木 敬子、竹内 芳子    
白光秀句  村上 尚子
句会報 平成三十年度栃木白魚火 第二回鍛錬吟行句会  星  揚子
句会報 旭川白魚火「見本林」吟行会  淺井 ゆうこ
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
    髙島 文江、稲井 麦秋
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(函 館) 広瀬むつき   


年賀状書く幸せをかみしめて  今井 星女
(平成三十年三月号 曙集より)

 年賀状に向かう時には、必ずそのおひとりおひとりに対して何らかの感慨をこめて書き始める事と思います。
 一年間の御無沙汰をお詫びする事もあれば、新しい年もお互いに恙なく過ごせる事を願っての一枚だったりすることもあるでしょう。
 掲句は、句歴六十数年を数える星女氏の作品ですが、句を通し、また賀状を通した多くの方々との暖かな交流がしみじみと伝わってくるような一句と思います。
 年賀状を通して、書く喜び、貰う喜びが、恙なく続く平和な一年でありたいものです。

余生とて目指すことあり日記買ふ  西村 松子
(平成三十年三月号 鳥雲集より)

十年か五年か迷ひ日記買ふ  鈴木 敦子
(平成三十年三月号 白光集より)

思ひ切つて十年日記買ひにけり  原田 妙子
(平成三十年三月号 白光集より)

前進と大きく記す初日記  大塚 澄江
(平成三十年三月号 白光集より)

 新しい年に掛ける願いは、自分の生き方にあう日記帳をあれこれ迷いながら選ぶ事から始まり、思いを込めた初日記の一ページ目へと清々しく続いていきます。大塚氏の「前進」の二文字が力強くはばたくかのようです。

鉛筆の芯尖らせて初句会  柴田まさ江
(平成三十年三月号 白光集より)

 心晴れやかに出かける初句会、ちょっとおしゃれをし、鉛筆の準備も万端、心に新しい風を入れて柴田さん共々私達の俳句年の始まりです。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 ひとりごと (旭 川)坂本タカ女
八方へ声の逃げ去る稲雀
窯里と呼んで親しき秋日和
さみしさの増す雪虫にまつはられ
吹雪めく雪虫に顔そむけけり
海鳴りの浜のたんぽぽ返り花
褪するなき師の扁額や冬薔薇
冬ごもり言うてことすむひとりごと
夕刊をくはへし扉暮早し

 残 る 虫 (静 岡)鈴木三都夫
紫陽花の終りの色も褪せにけり
せせるとも忙しなきとも秋の蝶
耿々と一舟点ず月の道
待つ鴨のまだ来ぬ川の虚ろかな
売りに出し家敷に一つ木守柿
繋ぐ手を離してよりの花野かな
散る銀杏仏足石へ惜しみなく
呼び止むるでもなく縷々と残る虫

 鳥 渡 る (出 雲)山根 仙花
海に音ある日なき日を鳥渡る
峡底の生活の空を鳥渡る
腰下ろす石のぬくみも雁の頃
一歩づつ紅葉の磴を踏みのぼる
木犀の花こまごまと散りにけり
返り咲くもののしたしき夕べかな
夕暮れが来てゐる淡き返り花
返り咲くものに夕べの鐘の音

 甘  藷 (出 雲)安食 彰彦
甘藷掘るたぐれば遠き飢ゑし日々
鰐山をすつぽりつつみ山眠る
眠る山眠らぬ海は子守唄
時折は風車まはらず山眠る
冬帽を摑んで会釈する男
目の合ひし枯蟷螂の面構へ
コンビニのおでんを選ぶ夫婦連れ
「妻逝く」と喪中の葉書十二月

 葵の御紋 (浜 松)村上 尚子
太めなる家康像や木の実降る
ゴンドラに葵の御紋秋うらら
稲すずめ遊ぶ竪穴住居跡
掛稲に富士の風くる登呂遺跡
とんぼ止まる倉庫の鼠返しかな
県庁の車回しや小鳥来る
秋ざくら富士は稜線延ばしけり
秋深めゆく羽衣の松に風

 機  首 (唐 津)小浜史都女
晩秋の雲つき刺して機首を上ぐ
臭木の実駿河国の海の紺
草の絮駿河の遠き波の音
ゐのこづち付けて払ひて登呂遺跡
こゑ出して遺訓を読めば木の実降る
久能山より純白の秋の富士
珈琲で終はる晩餐冬隣
しろじろと富士遠ざかる秋の暮

 滑子蕎麦 (宇都宮)鶴見一石子
風繞く阡𠀋の崖谿紅葉
秋夕燒地球が円く見ゆるなり
流れ星昭和の頃が懐かしや
玄関にリハビリの杖昼の虫
よく食べてよく寝る齢虫の声
夢の仲気儘に歩く天の川
我が城は電動寝台羽根蒲団
就中天狗の里の滑子蕎麦

 菊 日 和 (東広島)渡邉 春枝
烏骨鶏放されてゐる紅葉寺
音すべて谺となりぬ紅葉谷
苑ごとに香りの違ふ雁渡し
まな板に余る秋鯖捌きけり
山門に説話の知らせ菊日和
途中より歩いて帰る星月夜
秋冷の一歩に力よみがへる
深秋の史跡めぐりの海に果つ

 豊  年 (浜 松)渥美 絹代
地芝居の小屋組みてるてる坊主吊る
稲の香や石もて磨く石包丁
旋回の鳶田仕舞の煙よぎる
松手入終へたる松の雨雫
新蕎麦を待つや水車の音を聞き
赤米を炊く火に木の実投げ入れし
豊年の岸より舟に声をかけ
冬隣堅穴住居より煙

 読書の秋 (函 館)今井 星女
わが庭を選びて蜘蛛が巣をつくる
蜘蛛の囲の眞ん中に居て主顔
蜘蛛の囲に空中ブランコしてをりぬ
足の爪きれいに切つて夏終はる
テレビより読書を好み秋に入る
一人居の米寿の秋を祝ひけり
秋彼岸何をおいても寺詣り
ただ祈るのみ台風の去ることを

 吊しの灯 (北 見)金田野歩女
供華とせむ母の好みし千日草
秋鯖を捌く店奥よりラジオ
色鳥の群れて街路樹膨らます
店頭の林檎の艶や吊しの灯
秋まつり射的賑はふ今昔
懸崖の黄菊地面へ傾れうつ
翁の忌巨きな句碑は村はづれ
悠然と小春の庭を野良の猫

 浜離宮の秋 (東 京)寺澤 朝子
色変へぬ松の威容も浜離宮
初鴨や池よりつづく富士見坂
台風禍まざまざ樹々の潮傷み
雁渡しお成の間なれば膝行して
船笛のかすかに聞ゆ花芒
色葉散る離宮にしばし時忘れ
潮入の濠をめぐらせ狩場跡
石蕗の黄のやがて彩る浜御殿



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 豊 の 秋 (浜 松)野沢 建代
古代米育てし登呂の豊の秋
土笛に七つの穴や小鳥来る
火起しの煙真つ直ぐ鵙の声
新蕎麦や天井低き二階部屋
梁に手の届く二階や火恋し
飛び石に古き石臼冬に入る

 浮 寝 鳥 (藤 枝)横田じゅんこ
小鳥来る独り暮しの窓を拭く
稲架組みの済みたる棒の余りけり
伽羅の香聞き縁側に秋惜しむ
茶の花や日暮はいつも風の中
人ごゑの集まるところ帰り花
遠きほど水の光れり浮寝鳥

 紙 の 音 (宇都宮)星  揚子
爽やかにミシン目を切る紙の音
綱伝ひビルの窓拭く秋の空
青空の端の白雲秋祭
軒先に笊吊し干す秋日和
背伸びする梯子の上の松手入
休園の動物園や秋の蝶

 廻  廊 (浜 松)佐藤 升子
鰐口を鳴らせば秋の蚊の来たり
山鳩の晩秋の声こぼしけり
高床の使はぬ梯子小鳥来る
廻廊を行く踝に秋の風
銀杏を炒るまどぎはの暮れてをり
栗の飯食べて早寝をしたりけり

 雨夜の月 (浜 松)安澤 啓子
葛の咲く嬬恋村に入りにけり
回廊に裸電球昼の虫
本堂を雨夜の月に開け放つ
擦れ違ひざまに牡鹿のにほひけり
庭石に雨水の残る十三夜
蓮の実の飛んで富士山晴れにけり

 初  雁 (松 江)西村 松子
台風一過月かうかうと渡るのみ
夫に炊く粥はしろがね小鳥来る
田仕舞の煙や暮れてゆく水辺
破れ蓮に山の日ざしのざらつきぬ
露けさの結界に置く石ひとつ
初雁にいまみづうみの波の綺麗



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 鈴木 敬子(磐 田)

三保の松原三万本の松手入れ
草叢の猫が振り向く鰯雲   
姥捨山の婆も下り来て栗拾ふ
熱燗や昭和の歌のつづきをり
炉火明り父が戦の話して


 竹内 芳子(群 馬)

秋うららすこし派手目の服を買ふ 
秋麗や雲一つなき富士仰ぐ   
幹傾げ三保の松原秋深し
十階の窓より見ゆる夕紅葉
秋晴やけふ三度目の濯ぎ物



白光秀句
村上尚子


三保の松原三万本の松手入れ  鈴木 敬子(磐 田)

 全国大会は好天に恵まれ無事に終った。前日の昼迄の雨も嘘のように上がり、富士山もこの秋一番の姿を見せてくれた。
 「三保の松原」は、古来より富士山を望む景勝地であり、謡曲や和歌にも詠われてきた。又、平成二十五年には、富士山と共に世界文化遺産に指定された。
 この句の良さは、何と言っても七キロに及ぶ松林の松の数を「三万本」と言い放ったところにある。俳句の表現に遠慮は不要である。
  熱燗や昭和の歌のつづきをり
 五月には新しい元号になる。「昭和」はいよいよ遠くなるばかり…。昭和生れにはやはり「昭和の歌」がしっくりくる。「熱燗」の酔いが大いに応援してくれているようだ。

秋うららすこし派手目の服を買ふ  竹内 芳子(群 馬)

 女性が服を選ぶ時間は楽しいものである。この句は大会当日の吟行の途中の出来事と聞いた。芳子さんはいつも地味目な服を選ぶと言うが、この日は回りの友達にも勧められ、思い切って「派手目な服」を買った。短い時間のなかで、日常とは違う景色を見て、即、俳句を詠むのは楽しさのなかにも焦りがある。そんな気持のなかでも、通りすがりの店の前で足が止まった。今大会の吟行句のなかでは異色であり、特に女性としては大いに頷ける。
 「秋うらら」ならではの一句である。
  十階の窓より見ゆる夕紅葉
 こちらは、ホテルに戻ってからの光景であろう。「十階」から見えるものには色々あるだろうが、上から見下ろす紅葉は又、格別であろう。「夕紅葉」は昼とは違う美しさもあり、旅先ならではの感傷も入り混る。

宝永山の瘤のとんがり秋気澄む  遠坂 耕筰(桐 生)

 大会では皆さん、富士山を堪能されたと思う。その中腹辺りに見える宝永山は、宝永四年に爆裂した寄生火山である。その頂の姿を「瘤のとんがり」と表現した。このようにはっきり見えたのも、澄み切った空からの賜物である。

晩秋の日差しや部屋の模様替へ  井上 科子(中津川)

 「晩秋」ともなれば朝夕の寒さと共に、野山はいよいよ冬の気配となる。その反面、部屋の奥まで日差しが入るようになりありがたい。その中での「部屋の模様替へ」。きっと思ったように事が進んだであろうことが窺える。

ドガの絵の奥へ奥へと秋の蝶  淺井ゆうこ(旭 川)

 ドガはフランスの画家で、彫刻、版画等多くの作品を残した。なかでも踊り子の連作を通して、独自の画風を確立したという。作者は、それらの踊り子の姿と「秋の蝶」を重ね合わせているのだろう。三十四歳という若さならではの発想がユニークである。

秒針を合はせ勤労感謝の日  大澄 滋世(浜 松)

 〈総身にシャボン勤労感謝の日〉これは仁尾先生が鉱山の仕事に従事されていた頃の句で、自註には「健康の自讃である。」と書かれている。掲句は同じ季語でも趣が全く違う。作者はこの秋、骨折で長い間入院生活を送ったという。病院での長い一日と、もどかしさからの発想かも知れない。

ゴンドラのふんはり停まる花野かな  大野 静枝(宇都宮)

 麓から山頂へかかる「ゴンドラ」は、高度が上がると共に視野が広がり、期待はふくらむ。そして停まった所が「花野」だった。掲句の十七文字の中には、その数倍の景色や思いが詰まっている。

秋澄むや宙に火の星水の星  池森二三子(東広島)

 月のない夜空の明るさを星月夜というが、なかでも太陽系の惑星は馴染深い。その中の火星を「火の星」、水星を「水の星」と表現した。上五の切字がより広い宇宙を連想させる。

留守番を詰碁で過ごす文化の日  貞広 晃平(東広島)

 作者はこの日「留守番」という一つの義務を負ったが、幸い作者には詰碁という趣味があった。碁盤を前にすると時間の経つのも忘れてしまった。良い「文化の日」だったに違いない。

腰下ろす庭の千草に沈むごと  山本 美好(牧之原)

 日和に誘われて外に出ると、その一角に腰を下ろした。「庭の千草に沈むごと」とは何と詩的な言葉だろう。その姿がいつ迄も脳裏をかすめる。

日の匂ひ巻き込み簾納めけり  水出もとめ(渋 川)

 秋の日差しに吊るのが秋簾。その必要がなくなると〝簾外す〟、〝簾納む〟となる。色褪せや汚れを見ながら、ひと夏を懐かしく思い返している作者の姿が見えてくる。



    その他の感銘句
蹲踞の水音秋の深まり来
水瓶にみづ溢れをり小鳥来る
県庁は三の丸跡文化の日
鰹木に鳩の集ひぬ神の留守
秋の浜十六文の靴の跡
白菊や水のごとくに雲流れ
おばしまに凭れ駿府の秋惜しむ
秋日和唐子の遊ぶ蟇股
ゴンドラの葵の紋や小六月
夫にある女ともだち柿日和
新藁を敷けばすり寄る牛の顔
新米炊く丼ほどの炊飯器
孕牛新藁厚く敷かれけり
口元の鋭き秋刀魚買ひにけり
砂時計ひつくり返し秋惜しむ
原  和子
勝部アサ子
松崎  勝
鈴木  誠
寺田 悦子
川神俊太郎
陶山 京子
江連 江女
江⻆トモ子
古家美智子
渡辺  強
若林いわみ
藤原 益世
赤城 節子
新屋 絹代


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 鹿 沼 髙島 文江

秋高し大きな富士に迎へらる
秋晴るる駿河の海の眩しさに
秋風と抜くる駿府町一番地
安倍川の餅屋賑はふ新松子
山頂へ続く茶畑鷹現るる

 
 西 条 稲井 麦秋

また来ると更に一杓墓洗ふ 
病者らは窓際が好き小鳥来る
起き抜けの身に木犀の香を充たす
櫨紅葉付け火の如くはじまりぬ
襷掛けして住職の竹伐れり



白魚火秀句
白岩敏秀


秋晴るる駿河の海の眩しさに  高島 文江(鹿 沼)

 今年の白魚火全国大会が終わった。よい天気に恵まれて、二百名近い句友が晩秋の静岡を楽しんだ。この句は暖かく白魚火の諸氏を迎えてくれた駿河への挨拶。 
 仁尾先生は「旅吟に於いて「そこを詠む」ことは行きずりの旅人には至難である。「そこで作者自身」を詠むのである」と教えた。更に「訪れた先の固有名詞を用いるときは根底に「その土地への挨拶」の気持ちが必要だ」とも教えている。揚句は駿河の海や空の美しさを称えて、先生の教えが生かされた句と言える。 
  山頂へ続く茶畑鷹現るる
 静岡は茶の産地である。整然とした茶畝が山頂まで続いているのはみごとな光景である。鷹は冬の季語であるが、季節の行き合いの頃にはままあること。鷹は作者が感じた季節であり、鷹好きな家康への挨拶でもある。

病者らは窓際が好き小鳥来る  稲井 麦秋(西 条)

 病室には窓が一つしかない。だから、カーテンなどで仕切りされると、窓の反対側のベッドでは外が見えなくなる。病者にとって病室の窓は外の景色に繋がる唯一の場所。朝日が来て、夕日が来て、そして小鳥が来る。窓は病者にとって救いであり、慰めである。
  また来ると更に一杓墓洗ふ
 久し振りに盆帰省して両親の墓参り。実家から離れて住んでいるのだろう。「また来る」に何とも言えぬ親しみと慈愛が籠もっている。懇ろに墓を洗い、去り際に一杓の水を灌ぐ。亡き人を偲んで丁重な供養である。

月今宵猫の家出を許しけり  中村 國司(鹿 沼)

 一日を室内に閉じ込められている猫である。十五夜の明るさに誘われて、夜遊びをしたくなっても不思議ではない。そんな猫の気持ちを察してやった作者。「猫の家出」がなんとも可笑しい。家出も二、三日で終わるだろうとの気持ちの余裕が「許しけり」である。「よく遊べ月下出てゆく若衆猫 西東三鬼」とは別趣。

知らぬ町歩き疲れて草虱  中山 啓子(諏 訪)

 作者にとって「知らぬ町」は諏訪だけではない。投句住所が東広島、高知、諏訪と変わっているからである。知らない町を知るにはあちこちと歩き回るのが一番である。しかし、知らないからこそ疲れるのも事実。草虱が道なき道まで歩いたことを思わせ、説得力がある。

手古舞の少女のゑくぼ花芙蓉  谷田部シツイ(栃 木)

 これは「鹿沼秋まつり」で詠まれた句である。この祭は国指定重要無形民俗文化財であり、ユネスコ無形文化遺産になっている「鹿沼今宮神社祭の屋台行事」のこと。手古舞は祭の彫刻屋台を先導する役目の少女である。この祭に合わせて東京・栃木白魚火合同吟行句会が行われ、揚句は高得点を獲得した。

嫋やかに来て滔々と冬の滝  脇山 石菖(唐 津)

 冬の滝と言えば、一般に水の涸れた細々とした滝をイメージするが、そんな滝ばかりではない。揚句のように滔々と落ちる滝もある。滝となるために、じっとエネルギーをため、そして一気に落ちる。〈滝となる前のしづけさ藤映す 鷲谷七菜子〉。君子は豹変するものである。

最後まで疑心暗鬼の茸汁  乾  坊女(鹿 沼)

 「この茸、大丈夫?」
 「ああ、茸をよく知っている人に確認したから大丈夫」
 「でも、この色、ぬめり。本当に大丈夫…」こんな会話が聞こえてきそうな夕餉の食卓である。

言ふなれば似た者同士木の葉髪  梶山 憲子(牧之原)

 言ふなれば―言ってみれば、私達は似た者夫婦なのですよ。そうは言っても、夫婦は初めから似た者同士ではない。元々は他人だったのだから…。こう言えるのは、長年連れ添って、幾度の喜びや困難を経験したからこそである。「似た者同士」に共白髪の仲の良い夫婦の、仕合わせな暮らしぶりが表れている。

柿紅葉庭に置きたる父の椅子  佐藤やす美(札 幌)

 秋晴れのある日、柿紅葉の庭に父の椅子を用意する。それだけのことを叙していながら、その背景の見えてくる句である。置かれた椅子に父が座り、母が来て作者が来る。柿紅葉の庭に家族の暖かい時間が流れていく。


    その他触れたかった秀句     
外したる眼鏡のぬくみ十三夜
一匙の母の重湯の今年米
秋時雨零して空の軽さかな
刺子さす一針づつの夜長かな
さわさわと風の音生む花芒
南座の空に全き十三夜
大風の過ぎ大根の芽吹きをり
列車待つベンチに聞けり虫時雨
秋日和旅先で聞く広島弁
秋夕焼孔雀の羽根の如き雲
仲直り上手な少女式部の実
綿虫にスカイツリーは高すぎる
秋光や走れば風の音がする
鍵穴をさぐる手釣瓶落しかな
冬浅し石燈籠に雨のあと
金子きよ子
萩原みどり
福本 國愛
神田 弘子
多久田豊子
松浦 玲子
川上 征夫
松原トシヱ
廣川 惠子
工藤 智子
菊池 まゆ
松島 湖月
淺井ゆうこ
髙添すみれ
鈴木 花恵

禁無断転載