最終更新日(Update)'18.11.01

白魚火 平成30年10月号 抜粋

 
(通巻第759号)
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 10月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    佐藤 升子
「風 の 庭」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(巻頭6句のみ掲載)
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
林 浩世、檜垣 扁理    
白光秀句  村上 尚子
句会報 白魚火坑道句会日御碕吟行句会報  安食 彰彦
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
    鈴木 敬子、溝西 澄恵
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(浜 松) 佐藤 升子   


鴨の陣一羽動けば続きけり  本杉 郁代
(平成三十年一月号 鳥雲集より)

 晩秋から初冬にかけて日本に渡ってくる鴨ですが、身近な湖沼や河川等で見る事もできますので、毎年の飛来を楽しみにしています。鴨の鳴き声や動き、はばたき・浮寝等々見続けて飽きる事はありません。掲句は鴨の陣を詠んでいます。一羽が先ずすっと前に出ます。少しの間があって他の鴨も前を向き始め、やがて一群れで動き出します。この様な鴨の常の行動を、作者は「一羽動けば続きけり」と簡明に表現されました。感銘句です。

 小鳥来る赤子の重さ渡さるる  林  浩世
(平成三十年一月号 白魚火集より)

 小鳥は仲秋から晩秋にかけて飛来してきます。鳴き声は澄んだ大気の中で明るく響き渡ります。掲句は、赤子の重さを渡されたという事だけを感覚的に述べておられます。「赤子の重さ」の措辞、他の言葉では言い表わせない思いなのでしょう。赤子を大切に思い慈しむ気持ちが読み手に強く伝わってきます。
 元気な赤子を中心に、赤子を抱く作者と赤子の母親や周りの方々の明るい笑顔がうかがえて、小鳥という季語が相応しい一句です。

 縁の日をからめて毛糸編みにけり  飯塚比呂子
(平成三十年一月号 白光集より)

 この句を読んで、かつて我が家に縁側があった事を思い出しました。冬日がくまなく当たる縁側で、作者が黙々と編物をしている情景が浮かんできます。編物はこの先の寒さに備えてのセーターでしょうか。掲句の眼目は「縁の日をからめて」です。この措辞で機械編みでなく手編みである事が想像されますし、縁側の明るさと暖かさが感じられます。編棒の動きまで見えてきます。
 小春日和の縁側で編物に精を出す、作者の穏やかで充実した暮らし振りが伝わってきます。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 クラシック (旭 川)坂本タカ女
道草の雀が庭に翁草
草茂る静もる句碑の森を行く
ほの暗き御輿倉なり青葉光
クラシック流して牛舎明易し
風あそぶ花ひと文字の夏暖簾
夏果つるゆるみのみゆる釦穴
新涼や久久に訪ふ一都句碑
鉛筆の思案してゐる夜長かな

 蔓  荊 (静 岡)鈴木三都夫
花びらの総てを曝したる蓮
蓮の花崩れんとして力抜き
筒抜けの風の涼しき海の家
サーファーの一人に一つづつの波
倒れたるサーファーに波容赦なし
舟虫と生まれ渚のほか知らず
舟虫も生きとし生けるものとして
蔓荊に汐騒髙き日なりけり

 帰  燕 (出 雲)山根 仙花
おだやかにひと日暮れゆく夕すだれ
炎天の屋根に架けたる長梯子
水捨つる音のしてゐる盆の月
露の野へ太陽身振ひして昇る
朝露の山河をつなぐ丸木橋
音たてて急ぐ小川や秋晴るる
何もなき帰燕の空となりにけり
小川には小川の音や秋晴るる

 新  酒 (出 雲)安食 彰彦
届きたる新酒を供ふ登窯
この友と指しで酌みたし今年酒
枝豆を指で押し出し酒を酌む
新酒酌む話上手の下戸と居て
新酒酌みながら彼の世を語る友
美味しうまし焼けば火も飛ぶ初秋刀魚
隣りより焼き秋鯖を一尾だけ
秋扇たたみ句会にのぞみけり

 八月十五日 (浜 松)村上 尚子
噛み合はぬ話八月十五日
食卓にメモあり西瓜減つてをり
二百十日ミントの強き歯磨き粉
新涼や生まれたてなる稚の尻
切株に北と南やばつた飛ぶ
街路樹の影立ち上がる野分あと
抜け道は坂道ばかりゐのこづち
秋遍路明日の予定を尋ね合ふ

 豊前街道 (唐 津)小浜史都女
錆浮きし立坑の塔草の花
とんぼうや坑口跡の錆匂ふ
槍鶏頭豊前街道小さき路地
雨脚のかはる山道萩こぼる
山雨とも狐雨とも葛の花
八千代座の桟敷にききし秋のこゑ
鱚ほぐす箸の先にも秋来る
馬刺屋の幟はためく竹の春

 蕎麦殻枕 (宇都宮)鶴見一石子
寝につけぬ蕎麦殻枕はたた神
稲妻や野州の郷を袈裟懸けに
藥師寺に僧の塚あり曼珠沙華
那須岳の噴煙白く濃竜胆
観月会誘ひの手紙胸中に
手づくりの紙の御輿や踊りの輪
颱風の余波らし風は地より吹く
住み慣れし我が家我が土地虫すだく

 盆 の 月 (東広島)渡邉 春枝
初秋の風うら返す象の耳
新涼や一人に一つ割る卵
朝刊を大きく開き終戦日
行く船にとどまる船に秋入日
そつと置く訃報の電話つくつくし
引潮のごと子等の去る盆の月
刃を当つる砥石のくぼみ稲は穂に
城跡より一望の街小鳥来る

 百舌鳴く (浜 松)渥美 絹代
蜘蛛の這ふ二百十日の汽車の中
秋風や地に譜を開く辻楽師
かなかなや庫裏に畑のものとどく
山羊の仔のぎす鳴く原につながるる
吊るし売るもののよく揺れ燕去る
蚯蚓鳴く父の蔵書の減りにけり
百舌鳴くや僧のゆるりと坐禅解き
ひと雨のあとの夕日や秋遍路

 揚 花 火 (函 館)今井 星女
函館湾一萬発の花火の夜
次々と魔法のごとく揚花火
人間の技とは見えぬ揚花火
かけのぼる竜のごとくに花火上ぐ
花火の夜一萬発の音たのし
大輪に大輪重ね揚花火
花火師の姿はみえず花火の夜
次々と重なりあつて花火消ゆ

 露  草 (北 見)金田野歩女
水引草婚儀案内の手漉き和紙
豆ランナー競つて花野駆けゆけり
煮染芋まだ妣の味に近づけぬ
押し並べて何処かに疵の鮭の群れ
鳥兜山上湖畔の湯のホテル
露草の露落ち切つてゐる真昼
秋雨や駅へ下校の傘の波
松茸の篭北アルプスの道の駅

 秋 の 蝶 (東 京)寺澤 朝子
銃後てふことばは死語か仏桑花
秋暑し暑しとのみの見舞状
今日一と日語部となる敗戦忌
秋夕焼美術展より案内状
稲妻や彼方は吾子の住める街
母命日洗つて供ふる黒葡萄
睦みつつ高き際へと秋の蝶
真の闇知らぬ邯鄲鳴く夜かな



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 灯火親し (藤 枝)横田じゅんこ
草笛の鳴るまで父のそばにゐる
寝不足の朝丸かじりするトマト
灯火親し時々こぼす独り言
誰彼に触られ太るねこじやらし
青蜜柑村がだんだん重くなる
よそ見してゐる間に蓮の実の飛んで

 祈りの母 (東広島)挾間 敏子
八月や祈りの母のふしくれ手
雨去ればたちまちもどる踊りの輪
大根蒔くきのふと違ふ雲を見て
露草や村の名消えて碑が一つ
ついて来るやうな気のする赤蜻蛉
御霊あまた鎮め水澄む爆心地

 駄菓子屋 (宇都宮)星  揚子
軽く萩押さへ通りぬベビーカー
遠くより高き笛の音秋祭
二度頭下げて近づく秋日傘
駄菓子屋の秋の風鈴鳴り出しぬ
水量計の太き目盛や野分雲
回覧板野分の前に届きけり

 秋 初 め (浜 松)佐藤 升子
バック・ミラーに向日葵の遠ざかる
きつちりと新聞たたむ今朝の秋
五・六艘出て湖の秋初め
校正の処暑の眼鏡を拭ひけり
秋めくや布に滑らす裁ち鋏
風呂敷のするりと解け涼新た

 秋 の 声 (名 張)檜林 弘一
洛中の袋小路の秋暑かな
露草の花を増やして休診日
秋遍路風に向かへる喉仏
夕暮の色に染まりし秋遍路
秋声を一つふたつと聞く座禅
湖に波の睦める良夜かな

 蚯蚓鳴く (浜 松)弓場 忠義
爽やかや小柄の妻は良く動く
野分中眼鏡探してをりにけり
長居して苞に苦瓜貰ひけり
ちちははと暮らせし町や蚯蚓鳴く
かなかなや夕日に山河包まれて
鰡飛んで玉島湾の暮れにけり



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 林  浩世(浜 松)

海辺まで一直線に跣の子
サイダーを片手に海へ走り出す   
母に手を振つて涼しき道戻る
蟻の列またぎて仁王門の前
献立に迷ふ夕立くる気配


 檜垣 扁理(名古屋)

屋上より紙飛行機を夏の果  
金の鯱も泳いでゐたる鰯雲   
野分雲ビルそれぞれに避雷針
夕風の立ちそめ白き桔梗かな
星合や賢治の鉄道かと思ふ



白光秀句
村上尚子


海辺まで一直線に跣の子  林 浩世(浜 松)

 今年の夏は本当に暑かった。
 海辺へ行けばこのような光景はいくらでも目にするはずだが、当り前すぎて焦点が絞り切れないことがある。掲句は大勢の中から、たった一人の子供の姿を捉え、「跣」という季語によって生き生きと表現している。少ない言葉の中にも目の前の海の色、そこへ向かって走り出す子供の姿や声迄も聞こえてくる。「一直線」という臨場感のある言葉が、この作品をゆるぎないものにしている。
  蟻の列またぎて仁王門の前
 蟻の習性は蜜蜂とよく似ており、蟻としての社会生活を営んでいるという。この「蟻の列」も何かの目的があってのこと。その場所が、たまたま「仁王門の前」だったというのも面白い。俳句はいつどこで何に出合うか分からない。日々発見の連続である。

屋上より紙飛行機を夏の果  檜垣 扁理(名古屋)

 「紙飛行機」は、折紙の中で最も簡単なものの一つだが、うまく飛ばそうとすると、それはそれで難しい。
 作者はすっかり少年になり切っている。少しでもよく飛ぶようにと「屋上」へ上がった。一瞬の風に乗って、紙飛行機は空高く飛んで行った。「夏の果」を感じた瞬間である。
  星合や賢治の鉄道かと思ふ
 「賢治の鉄道」と言えば、説明するまでもない、宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』である。空を見上げると牽牛と織女が見えた。銀河鉄道に見立てた天の川は、二人を乗せて大空に瞬き続けているのである。ロマンチストの作者ならではの発想が光っている。

厭世を言ふさつまいも手の平に  中村 國司(鹿 沼)

 俳句ではおよそ使いにくい「厭世」という言葉。その内容について触れる必要はない。この句の面白さは何と言っても取り合わせにある。この時期に最も庶民的な「さつまいも」に目をつけたことが特に意表を突く。

ダンサーの過ぎて香水匂ひけり  鈴木けい子(浜 松)

 踊の場は舞台の上だけとは限らない。客席への通路であったり、街頭であったりすることもある。華やかな「ダンサー」が通り過ぎて行った。その残像には「香水」のかおりだけが残っていた。

初月夜仏足石の歩み出づ  鈴木 敬子(磐 田)

 単に月と言えば秋全般を指す。この句は敢えて「初月夜」としている。歩くはずもない「仏足石」が歩き出したように見えたのは、作者ならではの感覚である。

揚花火遠くで赤子泣いてをり  内田 景子(唐 津)

 最近の「揚花火」はいろいろな趣向をこらし、観客を飽かせない。群集の視線はみな空へと集まり、拍手や喚声で埋まる。そんな中で耳に留めたのが赤ちゃんの泣き声だった。来年のこの席では、きっと一緒に喜ぶことが出来るだろう。

盆過ぎの夜風にはかに募りくる  吉川 紀子(旭 川)

 今年もご主人のお盆の供養をされたのだろう。しかし、それが過ぎると吹いてくる風まで変わったような気がした。特に今夜の風の動きに御主人との思い出を重ね合わせている。
 全国大会でお会いする紀子さんは、いつも笑顔である。

大根蒔く高みに妻の墓ありて  若林 光一(栃 木)

 農作業は、収穫するまで天候に左右される。この日は天候に恵まれ、遠くには日光周辺の山々も見えていることだろう。そしてすぐそばの高みには、奥様のお墓がある。作者の日々の暮しは二人の思い出と共にある。

木天蓼の葉音一過の風となり  井上 科子(中津川)

 「木天蓼」は、落葉蔓植物で切り立った場所に這い上るように伸びる。葉の表面が白色に変わるという特性があるので、遠くからでもよく分かる。しかしこの句はその姿ではなく、そこを通り過ぎた風の音を捉えたところが異色である。

有珠新山昭和新山秋澄みぬ  内山実知世(函 館)

 有珠山は洞爺湖の南にある二重式活火山。平成十二年、大規模の水蒸気爆発があった。昭和新山は昭和十八年に、有珠山のマグマが地表近くに上昇して出来た小火山。「秋澄みぬ」の季語が非常に効果的である。

サーファーの波去なしては挑みけり  相澤よし子(牧之原)

 牧之原市はお茶の産地であり、その南側には太平洋が広がり「サーファー」の姿は冬でも見られる。見馴れた光景の中でも作者の観察の目は鋭かった。一人のサーファーの動きは、大きな画像を見ているようだ。



    その他の感銘句
秋愁ひマリオネットをあやつる紐
箱庭に置きたきものに水車小屋
風を待ち風に応ふる花すすき
大山に雲一つ浮く残暑かな
箱庭に子の拾ひきし石を置く
新涼や匂ひ袋の白き紐
爽やかに奇術師鳩を飛ばしたり
平成の最後の蝉として鳴けり
いくたびも落つる肩紐西瓜食ぶ
雨音に目醒め八月十五日
をさな児の「はい」のひとこと小鳥来る
竹伐るや庫裏にかしきの煙立つ
廃校の渡り廊下やいわし雲
ペディキュアの貝殻色に夏惜しむ
種取りてまだまだ生くるつもりなり
高田 茂子
青木いく代
北原みどり
山田 哲夫
宇於崎桂子
高橋 茂子
山田 眞二
植田さなえ
山羽 法子
森田 陽子
髙添すみれ
藤島千惠子
八下田善水
仙田美名代
若林いわみ


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 磐 田 鈴木 敬子

奥利根の廃船真菰がくれかな
ひらがなのやうなかぜふく里の秋 
父の風母の風ある秋団扇
波頭けつて海鳥秋夕焼
俎板に鱗はりつく野分かな

 
 東広島 溝西 澄恵

香煙のかすかな揺れや夜の秋 
蛇崩れの山肌いくつ昼の虫
文字失せし地図の折目や秋遍路
ピオーネや瑠璃色深く日をとどめ
蓮の実の飛ぶや佳境に入る句会



白魚火秀句
白岩敏秀


ひらがなのやうなかぜふく里の秋  鈴木 敬子(磐 田)

 「ひらがなのやうなかぜ」と読んできて読者に、はて?と思わせつつ最後の「里の秋」で納得させるところが巧い。
 「里の秋」と言えば小鮒釣った小川や、蜻蛉を追った畦道がイメージされる。稲穂を吹く眼前の風を詠いながら、幼い頃の景を紡ぎ出している。その仕掛けがひらがな書きと「里の秋」。このように懐かしさと今をオーバーラップができるのは、豊作の秋を喜ぶがゆえである。
  俎板に鱗はりつく野分かな
 魚を料理していた時に、ゴウーと大きな音で野分けしたという句意。野分して鱗が俎板に張り付くことはないのだが、突然の轟音に思わず魚を捌く手に力が入ったのだろう。日常的な夕餉の支度の中で、野分の一瞬を捉えた「はりつく」なのである。

文字失せし地図の折目や秋遍路  溝西 澄恵(東広島)

 遍路旅の仕方も色々あるが、この句の秋遍路は徒遍路である。札所寺までの道順を何度も地図で確かめながら巡っているのだろう。地図の折り目の文字が消えているのは、遍路に出てから、長い月日を物語っている。
 八十八番札所を巡る秋遍路の真摯な姿が地図の折目に表れている。
  香煙のかすかな揺れや夜の秋
夜まで残っている昼の暑さを払うために香を焚く。静かに昇る香煙が暑さを鎮めてくれているようだ。その香煙が風にかすかに揺れた。『古今集』の藤原敏行は「風の音に」秋を感じ取ったが、揚句はその更に前に、香煙の揺らぎで秋隣を知った。「かすかな揺れ」に「夜の秋」を捉えた繊細な句である。

銀木犀野外授業の椅子並べ  渥美 尚作(浜 松)

 日中にはまだ暑さが残っている秋半ば。夏休みの習慣が抜けない生徒たちに先生が言った。「今日は野外授業に切り替える」。生徒たちの歓声と椅子を並べる賑やかな音。
 やがて…静かになった生徒たちの間に銀木犀の馥郁とした香りが漂ってきた。

夫の背にちよいと呪ひを猫じやらし  橋本 晶子(いすみ)

前を歩く夫の背に、猫じゃらしを振って呪いを掛けたという。この句の面白いのはわざわざに「ちよいと」と断っているところ。
 仲よく散歩している途中に、妻がちょいと夫へ悪戯している場面。

停電の大地に触るる銀河の尾  小林さつき(旭 川)

 このたびの北海道の地震、被害者の皆様にお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復興をお祈りします。
 作者も地震に遭遇した一人ではあるが、幸い被害はなかったようだ。しかし、長い停電による恐さを味わったという。
 揚句は停電によるブラックアウトの北海道の大地に銀河の尾が触れている情景である。夜空を流れる壮大な銀河。その大きなエネルギーが銀河の尾を伝って北海道の地に流れてきていると作者は感じている。北海道に対する作者の熱いエールが伝わってくる。

鎌を研ぐていねいに研ぐ秋の朝  北原みどり(飯 田)

 夏に茂った草が伸び放題になっている。早速、草を刈るべく鎌を研ぐことにした。一通り研いでよく見ると、まだよく研げていないところがある。そこで、またていねいに研ぐ。何ごともないがしろに出来ない几帳面な作者が想像できる。

敬老日生くると言ふは大仕事  鮎瀬  汀(栃 木)

 敬老会に招待された。出てみると久し振りに会う顔に出合う。どの顔もこれまで一生懸命に生きてきた顔ばかりである。改めて、生きるということは大仕事だとしみじみ感じている作者。同時掲載に〈敬老日九十五歳達者です〉がある。達者で長生きが一番。めでたいことである。

前足の宙に浮きたり瓜の馬  松浦 玲子(東 京)

 盂蘭盆が近づいてきたので、盆棚に飾る瓜の馬を作った。出来上がった馬をみると何と前足が浮いているではないか。「宙に浮きたり」にすぐにでも走り出して、祖先の霊を迎えに行きたい作者の気持ちを表出。

共に来て離れて垂るる鯊の  糸林あさ女(松 江)

 仲良く一緒に突堤まで来ていながら、いざ鯊を釣る段になると分かれて釣っている。お互いに釣り方などを干渉されたくないのだろう。釣り終わった後で、釣果や釣り逃がした魚の大きさ(多分、実際より魚は大きくなっている)などを比べ合うのも楽しい。


    その他触れたかった秀句     

秋風や野鍛冶の跡の鉄の塊
夏のれん揺れて味噌屋の瓦屋根
Tシャツの洗ひ晒しを着て九月
夏行くやカセットテープ指で捲く
秋めくやふるさと切手貼る便り
曲がりつつ川ひろごれり花樗
蓮の実の青き突起に触れてみる
手花火の声を包みぬ庭の闇
向日葵の群れて夕陽を送りけり
たつぷりと鉢に水やる広島忌
雑巾を肋木に干し夏休み
七月の待合室にゴッホの絵
夏帽ではたいて今日の仕事終ふ
やはらかな新藁の香を束ねけり
髪洗ふ仕付の糸をはづし終へ
出雲路は命あまたや神在月

荻原 富江
杉山 和美
植田さなえ
小嶋都志子
妹尾 福子
稲井 麦秋
伊藤 政江
原田万里子
溝口 正泰
赤城 節子
髙橋 圭子
椙山 幸子
藤尾千代子
冨田 松江
北野 道子
打田  薫

禁無断転載