最終更新日(Update)'18.12.01

白魚火 平成30年10月号 抜粋

 
(通巻第760号)
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 12月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    原  みさ
「欅 立 つ」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(巻頭6句のみ掲載)
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
渥美 尚作、落合 勝子    
白光秀句  村上 尚子
句会報 白岩敏秀主宰をお迎えして  第六回東京・栃木白魚火有志合同吟行会  中村 國司
句会報 旭川白魚火  「鷹栖句碑の森」吟行会  淺井ゆうこ
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
    高橋 茂子、内田 景子
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(雲 南) 原  みさ   


診察の後のあんパン冬日向  吉村 道子
(平成三十年二月号 白光集より)

 診察を受けて帰宅、そして縁側に日向ぼっこをし、あんパンを頬張っている作者を想像して微笑んでしまった。
  常日頃、健康の為或いはダイエットの為にと食べたいものも我慢している作者。同じ女性である私にも共感出来て思わず苦笑い。
  たまたま血液検査の結果が良好でるんるん気分。あれ程気にしていたコレステロール値も中性脂肪も血糖値も正常値。明日からまた気を付けようという嬉しい気持ちの中に、でも今日だけは我慢していたあんパンを食べようと、とても幸せな気持ちで日向ぼこしている作者。
  昨今、テレビでも元気で長生きを目指す健康番組が多い。健康であればこそ、このような俳句が出来るのだと思う。

鏡みて作る笑顔や冬の朝  森下美紀子
(平成三十年二月号 白魚火集より)

 寒さの厳しい冬の朝である。作者は朝起きて先ず一番に顔を洗いふっと鏡を見る。ぞくぞくと感ずる寒さ、しかし今日も忙しい。でも「さあ、今日も頑張るぞ!」とにっこり笑顔を作ってみる。その意気込みが感じられる句である。
  誰かの話の中で、人は一日に五回笑って五回感動することが大切であると聞いた。心の底から笑う必要は無い。例えば昨今「笑いヨガ」という健康法もある。可笑しくなくても笑う。そして何よりも笑顔が大切である。昔から「笑う門には福来る」ということわざもある。
  その朝の作者の鏡の中の笑顔から素敵な一日が始まるのである。何気ない日常生活の中からこのような素敵な句が生まれるのも俳句の魅力なのかもしれない。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 天 高 し (旭 川)坂本タカ女
トンネルを抜け底抜けの天高し
群れてゐる雀のこゑやおんこの実
縋るものなく草つかむつるもどき
稲妻ややがて激しき雨庭に
吹雪めく綿虫に顔そむけける
ふゆるほど募る淋しさ雪蛍
びつしりと岸に日暮の鴨の群
落葉して音たて風の走りだす

 残  暑 (静 岡)鈴木三都夫
山百合の花の重さを伏せにけり
片蔭のしばらく人を許しけり
はたた神一閃天地くつがへす
流灯会待つ間この世の愚痴話
幻想の雨の灯籠流しかな
地蔵盆草矢を飛ばし偲びけり
歌碑読めば吾も旅人草の花
炎帝の忘れてゆきし残暑かな

 そばの花 (出 雲)山根 仙花
風吹けば風吹くままにそばの花
固まつて雲のゆくなりそばの花
刈田には刈田の匂ひ日に乾く
鴉二羽争つてゐる刈田かな
寺秋の箒目丸く掃かれたる
何時しかに虫鳴く夜となりにけり
研ぎ澄ます刃物一丁鵙の下
み仏の後姿に時雨れけり

  咳 (出 雲)安食 彰彦
秋扇俳句を習ひ五十年
巻紙の文読み返す秋灯下
誰れもゐぬ落穂を拾ふのは雀
穭田の伸び逞しく雨の中
経島へ足を投げ出し根釣かな
末枯るる川に玩具の流れをり
咳ふたつ老父所在を明らかに
なにごともさらりとかはす咳ふたつ

 桃 吹 く (浜 松)村上 尚子
露草のつゆをだいじに目覚めけり
虫の音に坐禅の脚を組みなほす
桃吹くや瀬戸内の日を弾きつつ
水切りの小石飛び込む草の花
秋遍路先行く人の鈴の音
蚯蚓鳴く甲骨文字をなぞりゐて
年寄りの日や屋上の観覧車
小鳥来てゐる駅前のカフェテラス

 維 新 博 (唐 津)小浜史都女
雨脚のかはる山みち葛の花
コスモスを挿して白磁のかがやけり
千草咲く流れに音のなかりけり
窯場まで花野の道となりにけり
新生姜酢加減をみるたなごころ
佐賀維新博へとつづく曼珠沙華
十六夜や男もしたるスキンケア
葉隠の旧街道の柳散る

 茸  汁 (宇都宮)鶴見一石子
烏天狗祀る御屋代法師蟬
台風の逸れて野州の茶臼岳
おしろひの咲ける寺町木賃宿
夢の筋どこまでも夢星月夜
久久に天狗の里の茸汁
断りもなく稲妻の奔りをり
リハビリの杖二本置き墓洗ふ
八十路とてまだまだ坂を月今宵

 竹 の 春 (東広島)渡邉 春枝
迂回路の矢印に沿ふ竹の春
海までの径七曲り草紅葉
草の花半ば埋もれし犬の墓
梵妻の保母も兼ねゐて爽やかに
赤白のワイン飲み分け秋深し
実紫こぼし尽くして雨上がる
小説の中に身をおく夜長かな
浮雲の動かぬままに九月尽

 待  宵 (浜 松)渥美 絹代
小鳥来る四十分の坐禅終へ
葛の蔓からむ電気の通る柵
初鴨に遠つ淡海の夕日かな
研ぎ減りし草刈鎌や野分だつ
蛇穴に入る神官の沓の音
待宵の草を擦りゆく乳母車
新米を左官の置いてゆきにけり
山裾の町に住み馴れ月仰ぐ

 終 戦 日 (函 館)今井 星女
一日を悔いなく過ごし夕涼み
八月や戦争体験語る夜
電灯の母衣をはづせし終戦日
生き方を変へし八月十五日
終戦日まつかな薔薇を咲かせけり
八月も終はりわれらは戦中派
天に星地に虫たちの大合唱
外に出でよ星の降る夜の虫の声

 化 粧 石 (北 見)金田野歩女
停電中の贈り物なり星月夜
昼の虫足湯の底の化粧石
月代や小劇場は屋敷跡
里帰り鮞丼のリクエスト
秋晴の磯波子守唄のやう
絶食を解かれ新米噛み締むる
森の径帽子に野菊差す母子
里山に蝦夷栗鼠現るる栗拾ひ

 夜  寒 (東 京)寺澤 朝子
園児乗せポニーぽくぽく秋高し
底紅や路地の奥まで日の差して
「占ひ」の軒燈ともる宵の秋
畳紙解く遺品となりし秋袷
鮎落つる頃やと出雲よりの文
銀漢や消息絶えし幾人ぞ
偲ぶてふ歳月永し吾亦紅
机辺はや夜寒の気配書を閉づる



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 木の実降る (藤 枝)横田じゅんこ
新涼の懐紙にこぼれ金平糖
秋ともし吸取紙の薄ピンク
追ひついて並んで歩く花野かな
ガラス屋が来て秋天を嵌めてゆく
色変へぬ松や突つ支ひ棒二本
木の実降る小さな山の大きな木

 秋あかね (松 江)西村 松子
今朝秋と思ふたたみをきゆつと拭き
湿原のひかりとなれり秋あかね
蔓引きて森の秋気を揺らしけり
秋気澄む真白き布を裁ちにけり
秋思ふと子に追伸を二行ほど
推敲のはかどらぬ夜や火の恋し

 野 菊 晴 (東広島)源  伸枝
手のひらに集めて軽きこぼれ萩
修復の鉄路ことりと野菊晴
一灯を低く夜長の筆工房
庭石に乾く軍手や赤とんぼ
稗をぬく一人に夕日沈みけり
秋刀魚焼く夫なき暮しけぶらせて

 厄  日 (札 幌)奥野津矢子
結界の縄索緩む厄日かな
鯖雲を曳いてゆきたる山颪
鳴き交はす山鳩秋の出水あと
上流に靄の漂ふ鮭の川
故郷の濁りし川を鮭のぼる
みみず鳴くメタセコイアの葉の化石

 彼 岸 花 (東広島)奥田  積
秋の薔薇少女背丈の伸びにけり
開墾碑囲む花野や風渡る
ボール投げ禁止の標示ねこじやらし
音もなく流るる水や吾亦紅
不揃ひに出て咲きそろふ彼岸花
水の色はつかに染めてもみぢ谷

 秋澄めり (群 馬)鈴木百合子
しばらくは芒の風に吹かれをり
神杉に架かれる秋の虹二重
笙の音の高きに月の出を待てる
玉砂利に浅沓の音秋澄めり
一舟の水脈を追ひたる秋思かな
秋の日を鏤め坂東太郎かな



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 渥美 尚作(浜 松)

繋がるる二匹の仔山羊曼珠沙華
堰越えて音うらがへる秋の川
みづうみにエイトの声や天高し
稲刈りの背山に響くチエンソー
教会の野外集会木の実落つ


 落合 勝子(牧之原)

日が落ちて風見えてくる百日紅 
新涼や振り上げし鍬天を突く 
風紋に影を重ねて秋の蝶
ついと来てすいと逃げ行く赤とんぼ
稲刈つて夕日大きく落ちにけり



白光秀句
村上尚子


堰越えて音うらがへる秋の川  渥美 尚作(浜 松)

 見馴れている川も、四季によって表情が違う。流れている場所や、水量によってもさまざまに変わる。作者の耳には、上流からきた水が途中にある「堰」を越えた途端に、その音がうらがえったように聞こえた。
 俳句は誰も気付かなかったことや、聞き留めなかったことに気が付くことが、大きな鍵となる。そして、それを如何に自分の言葉で平明に表現するかである。〝春の風野川の流れ音となる 敏秀〟を読んでみても、「音」から捉えただけの川にも季節の違いが明らかに分かる。掲句の川も徐々に冬の音に変ってゆくのであろう。
  みづうみにエイトの声や天高し
 「エイト」は、その言葉通り八人で漕ぐ競走用のボートのこと。読み下すと目の前の景と、元気な声が広がってくる。特に中七の切れはリズムに加え、十七文字以上の効果をもたらしている。

新涼や振り上げし鍬天を突く  落合 勝子(牧之原)

 秋の歳時記には「鍬」を必要とする項目が目に付く。葛、牛蒡、薩摩薯、里芋、自然薯を掘る等々……。いずれにしてもかなりの力を要する。掲句はその内容には触れていないが、「振り上げし鍬天を突く」という具体的な表現が一句を成している。「新涼」という季語の取り合わせにより、作者の気持と意気込みが伝わってくる。
  日が落ちて風見えてくる百日紅
 江戸初期には渡来していたという「百日紅」。夏の盛りを咲き継ぐ馴染の庭木である。夕暮となり、やっと周囲の草木に目が向いた。「風見えてくる」には暑い一日を終えた作者のほっとした気持が込められていよう。

秋日和経木に包むおやきかな  吉村 道子(中津川)

 化学製品の普及に伴いすっかり影をひそめてしまった「経木」。ビニールでも紙でもアルミ箔でも用を成すが、経木ならではの良さがある。「秋日和」に助けられ、旨そうにおやきを頬張っている姿が目に浮かぶ。

形良き一房シャインマスカット  埋田 あい(磐 田)

 「シャインマスカット」は比較的新しい葡萄の品種で、皮ごと食べられるのもうれしい。「形良き一房」にはその姿のみならず、食べる前からの期待と喜びが見えてくる。

長き夜のラジオの古典落語かな  青木いく代(浜 松)

 部屋で一人縫物か、編物でもしているのだろうか。しかし耳はラジオの声から離れることはない。時々頷いたり声を出して笑ったり……。その間も手元は動いている。これが「古典落語」というのも面白い。「長き夜」ならではの一句である。

良く動く車夫の太股秋高し  佐藤 琴美(札 幌)

 観光地でよく見掛ける人力車を引く車夫。その逞しさに思わず目を止めることがある。作者はそのなかで、短パンから覗く「太股」の動きだけに注目したところがユニークである。「秋高し」の季語が後押しをしている。

試射の矢の大きく逸れて秋高し  遠坂 耕筰(桐 生)

 「試射」というからには本番ではない。気軽に放った「矢」が思いも寄らぬ方向へ逸れてしまった。本人も驚いたが、周囲からはどっと笑い声が上がったかも知れない。秋ならではの健康的な一句。

トンボロの道を消し行く秋の潮  鈴木  誠(浜 松)

 あまり聞き馴れない「トンボロ」という言葉だが、陸地と島などをつなぐ砂洲のこと。そこへ寄せる波によって、その姿が消されてゆくことを詠んでいる。特別な風景ではないが、そこへ注目した句を見たことがない。

思ひ出はいまも花野のなかにあり  沼澤 敏美(旭 川)

 昔訪れた「花野」の美しさ、あるいはそこで起きた忘れられない出来事か、いずれにしても女性的でロマンチックな作品。しかし、作者は大自然をこよなく愛する男性である。美しいものへの愛着は男女を異にしない。

停電の街をペガサス照らしをり  高田 喜代(札 幌)

 九月に起きた北海道大地震。多くの犠牲者を出し、停電や断水で大変な思いをされた。まさにその一夜の景。特に「ペガサス」は秋の夜空の指標となる星である。札幌の闇をペガサスが慰めているようにもみえる。

秋の声聴く神杉の梢かな  船木 淑子(出 雲)

 秋は特に空気が澄み、遠くの物音もよく聞こえる。境内の杉の大木を見上げていると、今迄聞こえなかったものが、聞こえたように感じた。秋ならではの感覚であり、「神杉」であったことも特別である。



    その他の感銘句
捨てもせず納屋に転がる藁砧
向う鎚の空気ハンマー秋日和
しかと組む稲架に湖北の風の道
秋燕大宍道湖の水澄めり
菊の日や二人の話題ちぐはぐに
夕映えに呑み込まれたる赤とんぼ
大雪山はカムイの遊ぶ花野かな
書を読みて夜長の瞼閉ぢにけり
秋桜泣いてゐる子に声をかけ
老人にまだなりきれぬ敬老日
笊に溢るる抜菜摑めばひと握り
病窓に雲を見てをり敬老日
十六夜の街川音をたて流る
秋気澄む指呼に中海伯耆富士
冠水の稲田の畦に立ち尽くし
脇山 石菖
鈴木 利久
佐々木よう子
小林 永雄
清水 春代
大野 静枝
石田 千穂
塩野 昌治
安川 理江
吉原絵美子
鈴木 ヒサ
宮﨑鳳仙花
江角眞佐子
朝日 幸子
柿沢 好治


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

  呉  高橋 茂子

石段に寺の歳月こぼれ萩
露草や観音堂へ細る道
話しつつうなづきあうて衣被
ひとり鳴る浮桟橋や秋深し
手を添へてとぎ汁こぼす豊の秋

 
 唐 津 内田 景子

懸命に育てしゴーヤー持て余す 
月明り未だ新品の母の靴
ちんちろりん知らぬ間に母眠りをり
野分立つ朝は戦の四世代
傍らにいつも新聞文化の日



白魚火秀句
白岩敏秀


話しつつうなづきあうて衣被  高橋 茂子(呉)

 卓袱台で向かい合いながら、夫婦で衣被を食べているところ。お互いの話に相槌を打ち、うなづきあいながら静かな時間が流れていく。話の内容が難しいことではないことは衣被から分かる。よき時代のホームドラマのような日常であるが、日常が詩になる為には、よく吟味された季語の働きが必要。十五夜の月が想像される衣被である。
 石段に寺の歳月こぼれ萩
 本堂に続く石段が大きく擦り減っている。長年にわたって、多くの善男善女が参詣し、願いを叶えてきた古刹。石段の一部を表現することで寺の長い歳月やたたずまいを伝えている。こぼれ萩は古刹の仏への散華のよう。

懸命に育てしゴーヤー待て余す  内田 景子(唐 津)

 毎日、水を遣り懸命に育ててきたゴーヤーが、ようやく収穫できるようになった。初めの二個や三個は珍しく大事に料理もし、家族も喜んで食べてくれた。ところが、収穫量が多くなるにつれて、家族も食べなくなり、ご近所へのお裾分けも迷惑がられる始末。毎日なりつづけるゴーヤーに溜息をついている作者。過ぎたるは猶及ばざるがごとしとはこのこと。
 野分立つ朝は戦の四世代
 四世代とは親、作者、子そして孫をいう。朝は家族それぞれの支度が同時進行となる。朝食の支度、弁当の準備、眠そうな孫の世話、まだまだあるかも知れない。朝の二時間ほどが戦のような時間でもある。四世代の平日の朝はいつも野分け立っている。

鍬につく土の頃合大根蒔く  山田ヨシコ(牧之原)

 九月に入ると大根の種を蒔く。その前段の作業が畝作り。鍬が土を切る音がさくさくと気持ちよく響く。土が強く湿っていると鍬に土がついて、作業がやりにくいが、揚句は頃合いの湿りだという。大根の種が一番喜ぶ湿り具合である。太くて立派な大根への期待が膨らむ。

蕎麦の花白紙一枚伸べしごと  河島 美苑(東 京)

 畑一面に咲く蕎麦の花は美しいものである。更には風が来て、花が一斉に白を靡かせるのも美事である。その隙間のない白さを「白紙一枚」と捉えた。これは作者が発見した新しい表現であり、手柄である。

静けさを水に映して良夜かな  三加茂紀子(出 雲)

 今日は仲秋の名月。月の明るさに誘われてそぞろ庭歩きをしたのだろう。ふと見ると池に十五夜が映っている。その美しさに見入っていると周囲の物音が消えて、映っているのは月ではなく、静かさではないかと思われた。十五夜が誘うお伽噺のような幻想的な世界…。

らふそくを秋燈として地震に耐ふ  広瀬むつき(函 館)

 平成三十年九月六日午前四時、北海道で震度七の地震が起きた。「北海道胆振東部地震」である。その後に続いた未曾有の停電。ブラックアウトである。いつもなら明るい秋燈のもとで家族の団欒がある。しかし、いまは心許ない蝋燭の灯りで地震の恐怖に耐えている。
 罹災者の方々へ心からのお見舞いと、一日も早い復興を願うばかりである。

草紅葉寢ころべば雲動き出す  藤原 翠峯(旭 川)

 土手か野原を散歩していたのだろう。足許の秋草はすでに色付いている。その色付きに誘われるように寢転んでみた。空には秋の雲がゆっくりと流れ、地には頬を吹いた風が草紅葉を揺らしてゆく。かつての映画「青い山脈」を思わせる青春の香りのする作品。

父の愛なり吾が名の由来十三夜  埋田 あい(磐 田)

 子どもの名前にも色々と流行があるらしい。随分と以前の女の子の名前は平仮名で二文字、続いて子のつく名前、今では振り仮名がないと読めない名前がある。しかし、いつの時代であっても、子どもの名前には親の願いや愛情が込められている。〈父がつけしわが名立子や月を仰ぐ 星野立子〉がある。

兄が持ち込む新米の重さかな  松原 政利(高 松)

 農業を継いだ兄が今年も新米を持って来てくれた。田植えや稲刈りにも行かず申し訳なく思っているのだが、兄は頓着になく米袋を運んでくる。そんな元気そうな兄の姿にも老いの影が見える。長い間、父祖の田畑を守ってきた兄。「新米の重さ」は豊年の重さのみならず、兄への感謝が加わった重さなのであろう。


    その他触れたかった秀句     

新米に稲穂を添へて送りけり
秋冷や身ぬちに響く真夜の地震
知床や秋の一夜の波の音
露けさや堂前にある女下駄
秋寂ぶや人形遣ひの無表情
掌の中へ数珠玉くれて転校す
桐の実やうすくれなゐの鉋屑
秋の浜喪明けの潮を汲みにけり
晴れ女一人加へて紅葉狩
彼岸花無縁墓地ある里はづれ
遠足の列コスモスの道を行く
湯上りの一杯の水ちちろ鳴く
目印は赤き靴下運動会
秋の蝶光と翳をまとひつつ
雑草の露の重さを払ひけり

大石美千代
吉川 紀子
溝口 正泰
小村 絹代
舛岡美恵子
小玉みづえ
渥美 尚作
森脇 あき
服部 若葉
神保紀和子
山口 俊治
鶴田 幸子
萩原みどり
早川三知子
宇於崎桂子

禁無断転載