最終更新日(Update)'18.09.01

白魚火 平成30年9月号 抜粋

 
(通巻第757号)
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 9月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    宮澤  薫
「図 書 館」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(巻頭6句のみ掲載)
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
保木本さなえ、渥美 尚作    
白光秀句  村上 尚子
句会報 坑道句会(七月例会)報  三原 白鴉
句会報 平成三十年度 「浜松白魚火会」吟行記   坂田 吉康
句会報 平成三十年 実桜総会・吟行会  服部 若葉
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
    田口  耕、鳥越 千波
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(諏 訪) 宮澤  薫   


くちなはを啣へ鴉の高く舞ふ  原  みさ
(平成二十九年十月号 白光集より)

 梅雨半ばのある朝、マレットゴルフに親しんでいる筆者は、河川敷で全く同様な光景を目にして驚いた。ただし、その光景は、鴉でなく鳶であった。
 鳶や鷹が湖沼の大きな魚をわしづかみにしたり、時には道端へ落としてゆく様には時々出会うが、長々とした蛇を啣えて空高く飛んで行く光景は初めて。しばらく唖然と見つめていた。この時の蛇はただの長い紐となって鳶の為すが儘。
 樹上で子等にちぎって与えるのだろうか、又この獲物を狙って他の猛禽に横取りされるのかもしれない。
 暮しの中で様々な生き物達の命の営みに出会うことは少なくない。それは生態の変化であったり、生きんがための弱肉強食の姿であったりするが、生々しい生命のやり取りの場面に出会うとき、己がホモサピエンスと云う動物の一つであることを思い知らされる。しかしそんな命の遣り取りを詩に浄化出来るのも人間。俳句という映像
に納めたことにより、共感が呼び覚まされました。

梅雨湿り岩波文庫の小さき文字  小林さつき
(平成二十九年十月号 白魚火集より)

 岩波書店の創立者岩波茂雄(一八八一~一九四六)は我が郷土長野県諏訪市の生まれで、一九二七年岩波文庫の創刊者である。又出版人として文化勲章も受けている。
 地元生家の跡には、「低処高思」の碑が立ち、近くに洋風な「風樹文庫」(岩波文庫出版全書を納める図書館)が建てられている。文学に興味のある者なら誰でも岩波文
庫A六番の冊子の五冊や六冊は持っていよう。
 改めて「風の又三郎」や「夜明け前」「こころ」など開いてみると、よくぞこの小さな文字を何の問題なく読んできたものよと思う。作者も我が世代の方かしらと親しみを感じ心に残った句でした。梅雨湿りの季語により深く郷愁を覚えました。




曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 青  蛙 (旭 川)坂本タカ女
風光る牛舎より野に牛放つ
牛飼の花の苗植う小半時
四阿に寄りそふしだれ柳かな
蕗の葉に戻してやりぬ蝸牛
夏草や川越ゆる牛しぶきあげ
水けつて頑具のやうな青蛙
蚋除けと言ふてハンカチ振り歩く
うなりあぐ牛舎の手造り扇風機

 磨 崖 仏 (静 岡)鈴木三都夫
沢風に溺れせせりし蜆蝶
大戸までぺんぺん草の空き家かな
山清水ふふみて拝す磨崖仏
岩に彫る不動明王ほととぎす
堂縁に扇子の風を畳みけり
滴りの滴りを追ふ速さかな
人一人通す吊橋河鹿鳴く
蚕屋として残る一間の夏炉かな

 万  緑 (出 雲)山根 仙花
雨となるらしき雲ゆく麦の秋
大粒の雨万緑の中走る
十薬の花浮き日暮となりにけり
万緑の真只中へ腰下ろす
俄雨音立て過ぐる青野かな
万緑の中繃帯の指重し
作業衣の固く乾ける麦の秋
枝先に彈んでをりし手毬花

 大  暑 (出 雲)安食 彰彦
梅雨明くる亀亀にのる神の池
大鳥居昨日も今日も炎天下
灼けてゐる鳥居も阿吽の狛犬も
岬と海明るき波止場大暑かな
御馳走を食べて極暑にさからはず
灼けてゐる鬼の瓦のかがやけり
灼けてゐる浜の辺にたつ磯馴松
箸紙の裏に句を書く句座は夏

 父 の 日 (浜 松)村上 尚子
富士山に雲父の日のバス走る
バス降りてすぐに散らばる夏帽子
梅雨晴間賽銭箱にかろき音
愛想良き祢宜の話や風薫る
舞殿を吹き抜けてくる若葉風
難しき神の名常磐木落葉舞ふ
汗拭いて神の名すぐに忘れけり
神域を離れてよりの暑さかな

 よき距離 (唐 津)小浜史都女
よき距離に島ある城址ほととぎす
どの波も青水無月のしろさかな
梅雨深し出丸やぐらに馬場やぐら
沖波のかがよふ梅雨の晴間かな
ひろびろと本丸の草刈つてあり
どの島もこちらを向きてゐて涼し
馬駆けし馬場に露おく螢草
ほくほくと咲きて出丸の藪からし

 雲 の 峰 (宇都宮)鶴見一石子
万緑や東北高速道直向きに
天童は駒刻む里桜桃
南部風鈴若き日の音奏で
梔子の白き薫りを総身に
雪の下東照宮の瑞籬に
紫陽花や寺につたはる七不思議
雲の峰リハビリの杖二本つき
人生百年九十の坂ほととぎす

 風  鈴 (東広島)渡邉 春枝
夏霧や地図をたよりの島めぐり
南吹く一枚岩の太鼓橋
船宿の主は不在軒風鈴
船宿の庭に咲きつぐ立葵
吉日を選び飛び立つ燕の子
マネキンの人待ち顔に梅雨深む
友逝くや夜の風鈴鳴り止まず
両の手の日焼ぴりぴり多佳子の忌

 夏 木 立 (浜 松)渥美 絹代
裏山の青葉かぶさる古墳かな
乳母車ゆく大学の夏木立
総門を出て風鈴の鳴つてをり
デッサンのモデルうつすら汗にじむ
描きかけの裸婦の絵提げて風涼し
土手刈つて十日経ちたる出水かな
フルートの聞こえてきたる水遊び
夕焼や垣根をすこし刈りかけて

 山 独 活 (函 館)今井 星女
山独活を掘る日を記すカレンダー
山の神へ感謝をこめて独活を掘る
スコップをグサッと差して独活を掘る
山うどを掘る渾身の力込め
独活を掘る男の力借りにけり
ほろにがき山独活の皮うすく剥く
ホイッスルを首にぶらさげ夏山へ
初夏の山ゆきの鈴鳴らしけり

 道  草 (北 見)金田野歩女
梅花藻の揺らぎに合はす山女かな
糸蜻蛉課外授業の郷土館
翠巒より降る老鶯のしきりなる
黒揚羽昆虫博士鳥博士
吟行へ持つ夏帽子万歩計
母亡くば里がらんどう虹の橋
吟行の道草ばかり蝦夷黄菅
夏の海魂奪はるる碧さ

 深 大 寺 (東 京)寺澤 朝子
菩提咲く苔むす山門守るごとく
若楓天蓋と為し露坐仏は
緑蔭に寂と波郷師弟句碑
青嵐おん指欠けし如来像
かさと踏む武蔵台地の夏落葉
墓碑銘は「石田波郷」沙羅の花
清水引く此処深大寺蕎麦処
しんがりも佳けれ若葉の深大寺



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 露  草 (出 雲)荒木千都江
初夏のそらへ真つ直ぐ暢子逝く
植ゑし田と並びて湖の光りをり
文机に種五つ六つさくらんぼ
製材所匂ふ木屑や梅雨じめり
立話日傘うなづきあつてゐる
露草の一花の紺の深みかな

 月 涼 し (名 張)檜林 弘一
明易し丸めし反古の音立つる
朝曇りボタンで呼べる昇降機
境内に釘を打つ音梅雨晴間
沖合はペルシャンブルー南風吹く
盃を川に濯ぎて川床料理
月涼し入江を出づる舟灯り

 今年の音 (出 雲)渡部美知子
青葉風出雲一国吹き抜くる
風鈴の今年の音をひとつ足す
青梅雨の夜を刻める機の音
雨足の太きを縫うて七月来
夏座敷どこからとなく人の声
十代の話へ飛んでかき氷

 夏 料 理 (唐 津)田久保峰香
たかんなのみな竹となる陣屋跡
梅雨空や玄海灘のけふ平ら
青田風名護屋城址へ吹き上ぐる
木洩れ日の三の丸跡蟻の列
大南風櫓台より壱岐の島
愛想よき茶屋の女将や夏料理

 合歓の花 (宇都宮)加茂都紀女
髪洗ふ明日は玄海灘泊り
肌白き唐津美人や合歓の花
麦を刈る少しの晴れ間見逃さず
投句箱に一句を投ず滝見茶屋
目ン玉動く烏賊刺食べよと言はれても
朝市や背負うて帰る烏賊鮑

 短  夜 (浜 松)安澤 啓子
鐘楼の隣茄子苗五六本
あぢさゐに色出て三日後に手術
短夜や手術まぢかの爪を切る
効き過ぎの冷房手術の刻迫る
初蛍こまかき雨のきたりけり
木の洞に五寸の仏滝の音



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 保木本さなえ(鳥 取)

一山の谺となりて滝落つる
水打つによき夕影となりにけり
噴水に晴れ晴れといふ高さあり
萍の雨の水輪に揺れてをり
ハンカチに一日の疲れ握りしむ


 渥美 尚作(浜 松)

一陣の風ほうたるを攫ひけり
青田風列車の音を乗せて来る
円墳の錠前に錆夏の蝶
老鶯や木花之開耶姫祀る
平飼ひの鶏のひと声雲の峰



白光秀句
村上尚子


噴水に晴れ晴れといふ高さあり  保木本さなえ(鳥 取)

 仁尾先生の句集『晴朗』に〈助走つけ大噴水の揚りけり〉がある。噴水のあがる途中の様子を克明に観察している。掲句はその結果を見ているようだ。最近は噴水の大きさや形も様々だが、「晴れ晴れ」という言葉を使うことで、その全てが理解出来るような気がする。晴れ晴れとは、心にくもりがなくさっぱりしているとか、空がよく晴れ渡っている時などに使われるが、これは作者自身が「噴水」になり切っているように見える。言葉の思い切った使い方が噴水の新しい世界を生み出した。
  萍の雨の水輪に揺れてをり
 「萍」そのものではなく、雨の水輪に揺れている様子を詠んでいるところが面白い。やがて水面を覆うようにして花を付けるがそれも目立たない。視点を変えたことで一句得た。

老鶯や木花之開耶姫祀る  渥美 尚作(浜 松)

 掲句は「このはなさくやひめ」と読むとパンフレットに書かれている。正しくは「木花之開耶姫」と言い、富士山の祭神とされ浅間神社に祀られている。本宮は富士登山の表門戸として富士宮市にあるが、作者が訪れたのは静岡市にある浅間神社である。社殿の裏には社を守るかのように小高い山があり、しきりと「老鶯」の声が聞こえてくる。いたって簡潔な作品だが、上五の切れの効果により、広い境内の様子を感じ取ることが出来る。
  平飼ひの鶏のひと声雲の峰
 狭い鶏舎ではなく、広々とした場所で自由に動き回っている鶏であり、おのずと鳴く声も伸びやかである。健康的な鶏の姿が「雲の峰」に象徴されている。

草笛を旨く吹く子にみな寄りぬ  小玉みづえ(松 江)

 一度は吹いたことがあるに違いない「草笛」。身近にある草や木の葉を唇に当てて吹くだけ。何とか音は出ても思うようにはゆかないのが普通。「旨く吹く子に」回りの子供達が「どうして、どうして?」と寄ってくる様子が声と共にいきいきと表現されている。

蕨翳し男土手より現るる  広瀬むつき(函 館)

 山菜採りはつい夢中になってしまう。この男性も思ったより多くの収穫に気を良くし、作者を見つけた途端「おーい採ったぞー。」とか叫びつつ現れたに違いない。数秒間の出来ごとだが、このシーンの続きも見えてくるようだ。

掃き寄せて根方へ戻す夏落葉  渡部 幸子(出 雲)

 場所によっては掃き寄せた落葉をきれいに片付けなければならないが、ここではその必要がないようだ。「根方」へ寄せることで木の養分になったり、生き物の活動の場にもなる。自然への思いやりと作者のやさしさが見える。

蓮の葉の一つ揺るればみな揺るる  横田美佐子(牧之原)

 「蓮の葉」は、成長すると水面を離れて五、六十センチにもなり蓮田を覆い尽くす。風が吹くと丈の長いものから揺れ始め、やがてうねりとなって全体が揺れる。写生に徹した作品と言える。

二階へと登りつめたる蔓涼し  大石美千代(牧之原)

 胡瓜、ゴーヤー、薔薇等が思い当たるが、それが何の蔓であるかは想像だけでよい。作者は二階まで登りつめた「蔓」そのものをいとおしく思っているのであり、思わず「涼し」という言葉が出た。

梅雨晴やうづまき多き子どもの絵  西村ゆうき(鳥 取)

  子どもの絵は邪念がなくて良い。どのように描こうと、その時の成長の証である。「うづまき多き」からは、年齢や、その時の様子まで見えてくる。「梅雨晴」の明るい季語がよく効いている。

さくらんぼまづ頭数かぞへをり  内田 景子(唐 津)

 「さくらんぼ」は見ているだけで幸せを感じる。しかしそれを大勢で分けるとなったら大変。「まづ頭数かぞへをり」と正直に出た言葉がこの句の鍵である。うまく割り切れなかったものは〝じゃんけん〟などして……。

きゆつと鳴く運動靴や走り梅雨  砂間 達也(浜 松)

 擬音語や擬声語は適切に使われてこそ効果がある。掲句は「きゆつと」が促音便だったこともあり、「運動靴」とよくマッチして、若さ溢れる作品となった。

梅雨明の畦に追肥の空袋  若林 光一(栃 木)

 畦に空っぽの肥料袋が置かれているだけで、農作業の手順や周囲の風景までも連想することが出来る。「梅雨明」には作者の安堵感が伝わってくる。


    その他の感銘句
来客のあり陶枕隅へ押しやりぬ
空の青足して咲きつぐ四葩かな
索麺のよく冷え話つづきをり
無口なる夫の一言冷奴
ほととぎす鳥居峠を越えて来し
くれなゐの病葉拾ふ三の丸
文庫本伏せて南風に吹かれをり
短夜や机の上のイヤリング
境内の大樟梅雨の空支ふ
髪切つて夏の一日を過ごしけり
サルビアを植うる警察署の花壇
片蔭やいつも手元に鎌と鍬
のぞかれて水掻き回す源五郎
次々に咲く母の日のカーネーション
モビールのかもめ涼しき文学館
村松ヒサ子
梶山 憲子
谷口 泰子
高橋 茂子
大澄 滋世
髙添すみれ
渡辺 伸江
花輪 宏子
中村美奈子
堀口 もと
植田美佐子
中西 晃子
松尾 純子
内山実知世
三浦 紗和


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 島 根 田口  耕

夏草に背まで埋むる子牛かな
濡れ縁の下のどくだみ列をなす
ゆらゆらと遠流の島の蛍かな
雲の峰そびゆる島に着きにけり
校舎跡に缶蹴りの声海涼し

 
 唐 津 鳥越 千波

玄海の島正面にほととぎす
杉谷の風ひんやりと四葩かな
初蝉や樹々の暗さの三の丸
滝しぶきとどく近さに仰ぎけり
露草や石垣くづれ馬場の跡



白魚火秀句
白岩敏秀


ゆらゆらと遠流の島の蛍かな  田口  耕(島 根)

 蛍は非業の死を遂げた人の怨霊だとか先祖の御霊が蛍に化したなどの言い伝えがある。昔の人は蛍の光を人の魂と見ていたのだろう。
 確かに、蛍のふわふわした飛び方はどこか鬼火に似ている。まして、場所が遠流の島。都へ帰ることが遂に叶わなかった後鳥羽上皇の無念の島である。蛍火が御火葬塚あたりをゆらゆらと妖しく浮遊している。
  校舎跡に缶蹴りの声海涼し
 海の見える岬に小学校があった。今は取り壊されて夏草が生い茂っているばかり。その人気のない校舎跡で、缶蹴りをして遊ぶ子ども達の楽しそうな声がする。小泉八雲の『耳なし芳一』の怪談を思わせる怖い話。

玄海の島正面にほととぎす  鳥越 千波(唐 津)

 玄海灘の波は静かであった。強い日ざしを受けながら、鏡山(別名「領巾振山」、標高二八四メートル)に登った。六月二四日に行われた「佐賀白魚火鍛錬会」の時である。
 唐津の玄海灘には松島、神集島、高島などの七つの島があるが、鏡山の正面に見えるのは「高島」であろう。鏡山の展望台から見る玄海灘の大パノラマ。雄大な景色の中に放り込んだように鳴く時鳥の一声が印象深い。
  滝しぶきとどく近さに仰ぎけり
 これも鍛錬句会で行った「見帰りの滝」での吟。
  「見帰りの滝」は作礼山(八八七メートル)にある。落差一○○メートルは怖い位の迫力。遊歩道が整備され、吊り橋などもあるが、滝の近くまで行くにはなかなかの勇気がいる。〈神にませばまこと美はし那智の滝 高浜虚子〉。そんな思いにさせられる荘厳な滝である。

杏の実日の温もりの色となり  橋本 晶子(いすみ)

 杏は中国が原産地。中国古名の杏子(アンジ)から転じたと言われている。梅の花が終わった後に淡いピンクの花を咲かせる。そして、夏の陽光を十分に受けながら実って、橙黄色に熟れていく。杏の成熟しきった色を「日の温もりの色」とした措辞が見事。太陽への感謝も感じられる。

考への出払つてゐる昼寝覚  花木 研二(北 見)

 暑い盛りの昼寝は極楽にいる心持ち。一切考えを捨て去って、頭が空っぽになっているためか、目覚めた時にぼんやりとしている。それは「考への出払つて」いるからだという。遠くまで遊びに行った考えが帰ってくるには、しばらく時間がかかりそう。 
 飄逸な詠みぶりもベテランの味。

打水の一瞬膜を見せて消ゆ  遠坂 耕筰(桐 生)

 打水には下手と上手があるようだ。下手は柄杓の水が広がることなく、上からどさりと撒かれる。上手は水が横に薄く広がってさっと撒かれる。  
 揚句は上手な撒き方の瞬間を捉えている。「一瞬膜を見せて」は打水が、恰も生き物のように翼を広げて、灼けた地面を覆っている感じ。上手の打水は手品を見ているようである。

水番の背広で巡る朝かな  荻原 富江(群 馬)

 現在は用水路が整備されて、かつてほど水の管理はシビアではないが、それでも通水には注意を払う。〈水番の筵の上の晴夜かな 福田甲子雄〉は一昔前のこと。今は、出勤前の背広姿で自家用車で来て、水回りを確認する。不都合があれば携帯電話やスマートフォンで連絡する。背広の青年は農村の今を伝えている。

定位置に物みな戻す良夜かな  吉田 博子(東広島)

 十五夜の光が部屋にさし込んで、全ての物の影を正しく映し出している。ふと机を見るといつもの所にいつもの物が置いてない。ついと手を伸ばし元の位置に戻す。こうした動作も背筋を正して正座したくなるほどの明るい良夜の故。

夏風邪の治りし朝は化粧して  吉崎 ゆき(函 館)

 ぐずぐずと長引いていた夏風邪もようやく治ったようだ。早速に起き出して、鏡の前に座る。そして、いつもの手順で軽く化粧をする。「化粧」することによって、夏風邪の気分を一新したのだろう。女性らしい句である。

音立てて犬が水飲む原爆忌  勝谷富美子(東広島)

 その日、被爆者たちは水を求めて、苦しみながら川へ群がったという。被爆者たちが命と引き替えに欲した水。今ではいつでもどこでも飲むことの出来る水。現代の無駄の多い消費中心の生活を犬に批判させているようだ。



    その他触れたかった秀句     

城跡の旗竿石の灼けてをり
草の香の真中をくぐる茅の輪かな
六月の湿りを帯びし暦剥ぐ
線香の匂ひのなかの蚊遣香
梅雨の闇風呂の捨て湯の匂ひ来し
夏掛けや大きな足の子の熟寝
時鳥平和な村に鳴きにけり
尺蠖の時に空見てをりにけり
模様替して金魚鉢おきにけり
田水張り雲脚早くなりにけり
剃刀の翳りて梅雨に入りにけり
梅雨晴や葬華やかで悲しくて
水無月や産着の支度整つて
青梅を見つつ梯子の位置定む
意味もなく冷蔵庫開け考ふる
大泣きの稚の目の追ふ夏の蝶

新開 幸子
小林さつき
山田 哲夫
松浦 玲子
安達美和子
金子きよ子
清水 春代
野田 弘子
藤島千惠子
倉成 晧二
淺井ゆうこ
藤尾千代子
藤井 倶子
難波紀久子
清水あゆこ
渡辺 加代

禁無断転載