最終更新日(Update)'18.10.01

白魚火 平成30年10月号 抜粋

 
(通巻第758号)
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 10月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    生馬 明子
「伝 書 鳩」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(巻頭6句のみ掲載)
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
福本 國愛、野田 弘子    
白光秀句  村上 尚子
句会報 平成三十年度栃木白魚火 第一回鍛錬吟行句会報  柴山 要作
句会報 佐賀白魚火鍛練会   田久保峰香
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
    石川 寿樹、鈴木喜久栄
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(出 雲) 生馬 明子   


柔順な駱駝の瞳ほたる草  奥野津矢子
(平成二十九年十二月号 鳥雲集より)

 この駱駝は鳥取砂丘の観光用でしょうか。初めて乗る時は不安ですが、作者は駱駝の瞳を見て「柔順そう」と安心された。「瞳」が「ほたる草」のように澄んだ色をしていたからです。「月草」「露草」ではなく「蛍草」を選び、ひらがな表記にしたところに、作者のことばへのこだわりを感じました。

 雑念を浮かべ座禅や秋の風  阿部芙美子
(平成二十九年十二月号 白光集より)

 座禅は静かに背を伸ばして坐り、精神を集中させる禅宗の行法です。ところが作者は雑念を浮かべているのです。「払おうとしても払えないのか、雑念にどっぷりつかりそうなのか」と思いながら読むと、「秋の風」とあります。爽やかな秋風が吹いてきて、雑念を吹きとばしてくれました。ユーモアのある一句です。

 ぽん菓子のぽんぽん弾け秋祭  内田 景子
(平成二十九年十二月号 白魚火集より)

 この地では毎年秋祭にぽん菓子屋が来るのでしょう。ぽん菓子の弾ける大砲のような音は村中に届き、この音に誘われて老若男女が宮へ宮へと集まってきます。いか焼きの匂いの中、金魚すくいに興じる子、一年ぶりに会う旧知の友など、境内の様子も浮かびます。太鼓や笛の音ではなく、「ぽん菓子の弾ける音」が新鮮です。氏神様を敬う地域の人々のおだやかなくらしも見えてきます。

 今更の文語文法秋暑し  鈴木けい子
(平成二十九年十二月号 白魚火集より)

 「秋暑し」は「一度涼しさを感じた後にぶり返す暑さ」ですから、作者は今まで認められる句を作り、句作を楽しまれた。ところが、「文語」につまづいたのです。その時の「独り言」を一句にまとめたところが、お見事!



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 四  葩 (旭 川)坂本タカ女
色重ね花びら重ね四葩かな
まだ青き匂ひの茅の輪くぐりけり
踏みぐせの靴の踵や花南瓜
草茂る捨て牛舎はた捨母屋
新涼や畳に開く大辞典
木の葉揺れして磯舟や昼の虫
七夕やことりと郵便受の蓋
ちちろ鳴く屑籠の屑動く音

 掛かり鮎 (静 岡)鈴木三都夫
咲くほどに且つ散るほどに夏椿
目移りの白へ止まりし花菖蒲
葉畳を座に睡蓮の寂光土
参道に座禅の案内半夏生
二番茶を刈るころいつも梅雨最中
向日葵の西日にそつぽ向きてをり
鯵刺の餌を捕らへたる水しぶき
掛かりたる鮎の踠ける荒瀬かな

 炎  天 (出 雲)山根 仙花
空瓶の中に詰まりし炎暑かな
わが影を踏み炎天を急ぎけり
土煙あげ炎天の庭を掃く
鴉二羽この炎天を歩きをり
何事もなく炎天のひと日暮れ
風吹けば風吹くままに萩の花
荒縄でくくりし萩の盛りかな
萩抱きて急げば胸に萩の風

 冷  奴 (出 雲)安食 彰彦
夏料理のレシピを見つつ味噌拉麺
麦茶飲む出雲の国を傾けて
既にして初戦敗退夏休
羨まし息子と嫁の夏賞与
冷奴端から崩しコップ酒
冷奴崩しつつ聞く悪巧み
冷奴青絵の透きし玻璃の皿
ひとり居のくらしにもなれ冷奴

 玄 界 灘 (浜 松)村上 尚子
みな低き肥前の山やほととぎす
夏つばめ領巾振山をかすめけり
あぢさゐや三畳ほどの籠り堂
滝しぶき浴び前髪を濡らしけり
大皿に呼子の烏賊の活けづくり
島五つ見え六月の波戸岬
夏あざみ漁船は沖へ舵を取る
玄海の波にまぎるるつばめ魚

 提 灯 屋 (唐 津)小浜史都女
浜木綿や雨が恋しくなる日暮
青柚子にしたたるやうな月ありぬ
天山に見られて汗を拭きにけり
人杖はやさしき杖よ涼しさよ
男臭き子のふたりゐる熱帯夜
三伏の喉にはりつくオブラート
白桃のしづく師のこと母のこと
昼ちちろむかし呼び名の提灯屋

 会津西街道 (宇都宮)鶴見一石子
師の官舎跡形も無く蚊食鳥
目を瞑る瞼重たし合歓の花
蝸牛江戸へ百里の薬研坂
万緑を抜け那須岳を拝しけり
草矢吹く少年与一ゐるごとし
馬鈴薯の花咲く会津西街道
手づくりの蕎麦殻枕明け易し
九十の坂登りゆくほととぎす

 炎  暑 (東広島)渡邉 春枝
雷に打たれてよりの多弁かな
暑き日の手櫛ですます身繕ひ
打水の路地奥に買ふ養命酒
ミシン目の反れて見る間の出水川
災害の後の道なき炎暑かな
サングラス土砂の中より掻き出され
蟬しぐれ爪跡しるき山の肌
夏の夜の眠れぬままに聴くラジオ

 目高の鉢 (浜 松)渥美 絹代
旅に買ふあをき竹笊麦の秋
背ナの子の眠り蜜柑の花匂ふ
風涼し素描にうすく色をのせ
金魚提げ預かりし子の帰りけり
喪服着て目高の鉢をのぞきけり
夕焼や山羊の仔泥のつきしまま
海風にあふられ夜店組みあがる
三伏の魚市場を鳩歩く

 はまなすの島 (函 館)今井 星女
はまなすの島と名づけし無人島
はまなすが緑の島を埋めつくす
はまなすの刺にさされし小指かな
卯浪寄す大志抱きしジョセフの碑
国脱けの男の話卯浪寄す
借景にヨット浮かべてジョセフの碑
島めぐりほのと紅さす実はまなす
潮風に耐へはまなすは実となんぬ

 小 瑠 璃 (北 見)金田野歩女
すべすべの汐木に掛けて小瑠璃聴く
オホーツクへ緑蔭つづくバスの旅
石蔵の茶房ひんやりアイスティー
蟬捕りのちびつこ博士島の朝
玫瑰や汀伝ひの遊歩道
長き夜や無沙汰の詫びを書き連ね
虫音聴く枯山水の橋の上
秋風や双子胸の差テープ切る

 夜 の 秋 (東 京)寺澤 朝子
声の佳きおん僧二代安居寺
「無我に生きよ」父の一言レース編む
昭和平成流寓に過ぎぬ麦こがし
短夜のいま終電の通るころ
星見えぬ空がいちまい熱帯夜
炎昼やこの身一つが火の柱
火星接近戦火絶えずして晩夏
作中の江戸に遊ぶや夜の秋



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 舟 遊 び (宇都宮)星 揚子
幼子の跳ねて茅の輪をくぐりけり
口あけて鯉付いて来る舟遊び
舟遊び幸来橋のほとりまで
電線の平行に垂れ朝曇
竹垣のきちんと結はれ寺涼し
黙禱や空に膨るる蟬の声

 熱 帯 夜 (浜 松)大村 泰子
歳時記も白きズックも一つ荷に
三伏や小銭取り出す革財布
炎帝に鉾立つる縄飛ばしをり
百日紅古希の祝ひの豆を煮る
熱帯夜卓にワインのコルク栓
風鈴や果実酒の瓶赤く透け

 夜 の 秋 (名 張)檜林 弘一
路地裏をごつた返して鉾祭
洛中の袋小路の極暑かな
風の手を借りてヨットの帆を立つる
天窓の星座傾く夜の秋
稜線の闇のうしろの遠花火
はるかより初ひぐらしの声ありぬ

 月 見 草 (牧之原)辻 すみよ
炎帝と向き合うてゐる鬼瓦
幼子を抱かせて貰ふ汗の胸
梅花藻の花立ち上がる水面かな
夕暮や朝とは違ふ蝉の声
風にまだ熱気の残る月見草
百八燈風を去なして消えもせず

 酢  飯 (浜 松)佐藤 升子
初夏の日の斑の揺るる文机
吾が影の外に散りける目高かな
万緑の中や土偶の大き尻
夏座敷の窓に川船よぎりけり
三伏の酢飯の匂ひろげたる
夜の秋ズボンの裾のまつりぬひ

 落 し 文 (苫小牧)浅野 数方
巨船一灯夏霧を連れて来る
夕紅や影の伸びたる木のサイロ
幽谷の生絹のごとき女滝
土用太郎雑巾きりりと絞りけり
拾うては捨つる愚痴なり土用藤
落し文風の集まる樺林



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 福本 國愛(鳥 取)

道をしへ風紋蹴つて消えにけり  
打水や十米のゴムホース   
子の背丈越え俯ける日輪草
漁火と一番星と月見草
豆腐屋のラッパ近づく晩夏かな


 野田 弘子(出 雲)

力抜ける人体模型大西日  
時刻表確かめてゐる滝の前   
帰省子の出て来る駅の南口
夏木立末社の千木の見え隠れ
ジャムの蓋開かずじまひやちちろ鳴く



白光秀句
村上尚子


道をしへ風紋蹴つて消えにけり  福本 國愛(鳥 取)

 俳句では大方の虫が秋の季語に含まれ、その鳴き声に重きが置かれているが、「道をしへ」は夏の季語であり、その名の通り動き方に注目されている。平地、山地に係わらず見られるが、ここはやはり鳥取砂丘であろう。広大な場所で偶然出合った喜びもあり、しばらく付いて行ったが、ふいに姿を消してしまった。「道をしへ」本来の姿であろうが、突然の心変りに肩すかしを食わされた。一匹の虫と作者の短いドラマである。
  漁火と一番星と月見草
 こちらは夕暮となった砂丘の景。三つの名詞をつなげてその景を明快に詠っている。太宰治の『富嶽百景』の一節、「富士には月見草がよく似合ふ」、は有名だが、鳥取砂丘にも「月見草」がよく似合うことだろう。

帰省子の出て来る駅の南口  野田 弘子(出 雲)

 夏の風物詩とも言える帰省のシーンは、毎年テレビでも放映される。掲句は母親として「帰省子」を出迎えるシーンである。改札口からなだれるように出て来る人の波から我が子の姿を追っている。混雑を避けてか、利便のためか、待ち合わせ場所を「駅の南口」と限定した。余計な表現は無いが、帰省子を待つ母親の心状は充分に伝わってくる。
  時刻表確かめてゐる滝の前
 日本の三大名瀑と呼ばれるものに、那智の滝、華厳の滝、袋田の滝があるが、その大小に係わらず、人それぞれに好みがある。作者は余程この滝が気に入っているのだろう。それを滝の様子ではなく、「時刻表確かめてゐる」という言葉で、時間に追われながらもその場を去りがたい気持を言い尽している。

草を刈る天皇陛下の通る道  花木 研二(北 見)

 陛下が八月三日から五日にかけて北海道を訪問された。掲句が今回のことであったかどうかは不明だが、「草を刈る」という日常的な事柄と、「天皇陛下が通る」という特別な事柄を結び付けたところに独自の発想がある。

秋連れてホームに電車すべり込む  水島 光江(浜 松)

 今年は異常な暑さが続いている。ホームに立っているとお目当ての電車が着いた。秋の気配を連れて……。そう思ったのはこれから向かう旅先への楽しみや憧れが、そう感じさせているのかも知れない。

飲み干して晩夏の隠岐の透くグラス  西村ゆうき(鳥 取)

 「グラス」から連想するものは、特に夏場は清涼飲料水だ。しかしそれには触れず空になったグラスに、海を隔てた「晩夏の隠岐」を発見したと言う。常識を覆し、新たな世界を展開している。

吹き寄せのサラダ青紫蘇刻みけり  鈴木 敬子(磐 田)

 この「吹き寄せ」はあくまで食べ物である。色々なものを大皿に盛り込んだが、最後に気が付いたのが色取りだった。思わず「青紫蘇」を刻んで散らしてみた。ほんのひと手間による出来映えに、作者も満足気である。

茜雲引つぱつて瀧落ちにけり  高橋 茂子( 呉 )

 この「茜雲」は朝日でも夕日でも良い。その美しい雲が丁度滝の上に架かり、それを引っぱるように滝が落ちてゆくのである。たまたま出合った光景だが、幻想的な一幅の名画のように表現されている。

ドライカレー平成の夏逝かんとす  森田 陽子(東広島)

 来年五月一日から元号が変わる。正に今でなければ詠めない作品。「ドライカレー」と「平成の夏」は何の関係もないが、言われてみると頷かずにはいられない。俳句は理屈ではない。それぞれの感性である。

板の間の涼しさつかむ足の裏  関本都留子(群 馬)

 絨毯でも畳でもない「板の間」を歩いている。進むたびに足の裏が喜んでいるような気がしてきた。「涼しさつかむ」は素足ならではの実感である。

タオル地のハンカチ狐日和かな  遠坂 耕筰(桐 生)

 「狐日和」は、狐の嫁入りと呼ばれるような日和のこと。掲句の季語は「ハンカチ」。今年のような猛暑には薄手のお洒落のものより、汗をよく吸う「タオル地」のものがありがたい。その実感がこの作品につながった。

僅かなる風にも応へ百日紅  加藤 明子(牧之原)

 「百日紅」は中国を経て、江戸時代初期に渡来したと言う馴染の庭木。真夏の空に両手を広げるように咲く姿には、思わず立ち止まることがある。一物仕立の作品は、ともすれば説明に陥りやすいが、この作品には作者独自の目がある。


    その他の感銘句
秋澄むや遠き筑波の雲切れて
一の滝二の滝三のめをと滝
夕立や百万本の松林
夏惜しむ洗ひざらしの服を着て
童謡のミニコンサート星涼し
スリッパに疲れの見ゆる大暑かな
手作りの餃子大きく暑に耐ふる
ラジオより陛下のお声沖縄忌
一寸の草に朝の露光る
よく遊ぶ子らに明日あり鰯雲
城山の岩に炎暑の日を返す
漁場へと船足揃ふ朝曇
草刈機豚菜の原に音立つる
木の下に憩ふ墓参の道半ば
滲みたる訂正印や星月夜
若林 光一
陶山 京子
谷口 泰子
村松ヒサ子
大澄 滋世
吉田 博子
河野 幸子
中村 國司
飯塚比呂子
鈴木喜久栄
加藤 葉子
寺田佳代子
内山実知世
坪井 幸子
久保美津女


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 出 雲 石川 寿樹

早々と天に昇りし夏至の月 
神鏡を仄かに揺らす青田風
水迅き堀川急いて蛇渡る
会釈して社家通りゆく白日傘
風待ちの浦の港に梅を干す

 
 磐 田 鈴木喜久栄

夜干しの梅に美しき星の数 
玉子焼ふんはりできて朝の蟬
敗戦忌灯台今も直立に
稲光水につけある皿二枚
松手入終へて夜空の匂ひけり



白魚火秀句
白岩敏秀


風待ちの浦の港に梅を干す  石川 寿樹(出 雲)

 作者の住む出雲で〝風待ちの浦〟といえば日御碕の東にある宇龍の浦であろう。この浦は天然の良港として栄え『出雲國風土記』には「宇礼保の浦」として「船が二十隻ぐらいは泊まることができる」とある。
 広々とした風待ちの浦と小さな干し梅。海の青さと干し梅の赤さ。大と小の組合せに色彩を加えた構図が新鮮である。
  会釈して社家通りゆく白日傘
 社家通りは出雲大社の東の参詣道のこと。かつての神官たちが暮らしていた家屋が建ち並び、古を思わせる静かな通りである。
 暑い夏の真昼、白日傘の女性が軽く会釈をして通り過ぎていった。社家通りの空気も動かさず、汚さず、ふっと消えていった女性。白昼夢のような出合いを巧みに捉えている。

敗戦忌灯台今も直立に  鈴木喜久栄(磐 田)

 戦争が終わって七十三年、日本人の考え方や暮らし方は終戦を機に、大きく変化した。
 欲しいものは何でも手に入り、食べたいものは何時も食卓にある。そんな中にあって、灯台は戦前も戦後も愚直に直立し、航海の安全のために海を照らし続けている。敗戦忌と組み合わされたこの灯台には、平和を照らす象徴との思いがこめられていよう。
  夜干しの梅に美しき星の数
 「三日三晩の土用干し」と言われるように梅干し作りは手間がかかる。この句は筵一杯に広げた梅に、美しい星を重ねておいしい梅干しを作っているところ。「星の数」とは干し梅のひとつひとつにかけた作者の愛情の数であろう。

今日のことしやべり尽くして日焼けの子  久保 徹郎( 呉 )

 「あのね、今日ねー」で始まった止まるところがない子どものお喋り。真っ黒に日焼けした顔の目をきらきらと輝かせながら、今日の一日の出来事を夢中になって話している。喋り尽くすと、今度は聞く耳持たずとおやつに夢中。家の外はにいにい蝉が鳴いている。楽しい夏休みの一齣である。 

大暑かな傾く時計直しをり  藤島千惠子(浜 松)

 連日の暑さにうんざりしていたら、今日は大暑だという。そう聞けば一層暑くなる。時計も斜めに掛かったまま。見るものも聞くものも暑さを増幅させるものばかりである。「暑き故ものをきちんと並べをる 細見綾子」。時計の傾きを直すことも消暑法の一つ。

葭簀より笑ひの洩るる理髪店  松尾 純子(出 雲)

 この葭簀は理髪屋の入り口に立て掛けてあるのだろう。葭簀の陰の入り口は開け放されたまま。だから馴染みのお客の笑い声が道まで聞こえて来る。店の天井には大きな扇風機がゆっくりと廻っていることだろう。電気バリカンやクーラーとは無縁な懐かしい理髪店ではある。

端居して雲の行方を眺めけり  豊田 孝介(浜 松)

 一日の仕事を終えて、縁側で暮れていく空の雲を眺めている。〈おうい 雲よ/ゆうゆうと/馬鹿に のんきさうぢやないか/どこまで ゆくんだ/ずつと 磐城平のほうまで ゆくんか 山村暮鳥「雲」〉 思わず雲に声を掛けたくなるような、くつろいだ気持ちの端居である。

台風一過休校となり米洗ふ  久保美津女(唐 津)

 台風が無事に通過したものの、学校は臨時休校となってしまった。昼食は給食と思っていたのだが、休校となればそうはいかない。そこで、急いで昼食の御飯をつくることに相成った。思わぬ休校による慌てぶりが見えてくる句。

風鈴の鳴つて王手を掛けにけり  古橋 清隆(富士宮)

 腕は互角の将棋仲間なのであろう。縁側あたりで沈思黙考していたときに、不意に鳴った風鈴。それを合図にぴしりと王手かけて内心ニヤリ。相手に緊張が走る。音のひとつが二人の気持ちの明暗を分けている。ひょっとしたら王手飛車だったのかも知れない。

端居して夕餉の相談などしたる  堀口 もと(函 館)

 縁側で夕端居しながら四方山話に時の経つのを忘れていたが、ふと気づくとそろそろ夕餉の時刻。とりとめのない話が夕餉の相談になっていった。仲のよい夫婦の穏やかな暮らしぶりがいかにも涼しげである。


    その他触れたかった秀句     

もつれつつ夏蝶玄界灘に消ゆ
高く咲くものに晩夏の光満つ
打ち水や店先に選る奈良晒
白球を追ふ青春の汗光る
灯台の片陰海へ傾きぬ
稲咲いて風の匂ひの変はりけり
夫と云ふたしかな支へ籠枕
神の田の朝のひかりに稲の花
集合はコンビニの前夏帽子
ひとり居や人待つやうに水を打つ
白鷺の白扇のごと舞ひ上がる
蟬捕りの子等桑畑の奥に消ゆ
さるすべり真つ赤隣の空き家かな
風死すやくるりくるりとまはる椅子
秋隣昨日と違ふ風の色
蝉時雨シャワーのごとく湧き立てり

原  和子
川神俊太郎
寺田佳代子
太田尾利恵
福本 國愛
飯塚比呂子
金子きよ子
大澄 滋世
根本 敦子
牛尾 澄女
長谷川文子
佐川 春子
藤浦三枝子
鈴木 花恵
髙際 菊代
板木 啓子

禁無断転載