最終更新日(Update)'18.05.01

白魚火 平成30年4月号 抜粋

 
(通巻第753号)
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 4月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    岡 あさ乃
「魔 法 瓶」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(巻頭6句のみ掲載)坂本タカ女 ほか
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
森  志保、髙島 文江  ほか    
白光秀句  村上 尚子
句会報 坑道句会 荒木古川句碑吟行記   森山 暢子
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
     中村 國司、斎藤 文子  ほか
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(出 雲) 岡 あさ乃   


パンジーの黄色が正午花時計  山口 悦夫
(平成二十九年七月号 白魚火集より)

 パンジーは、春の花壇を彩る代表的な花で、花色、咲き方も極めて豊富で、家庭、公共施設等の場所で見られる。
 春ともなれば、誰もが戸外へ出たくなる。「やあ久し振り」、「待った?」とか、いろんな言葉が行き交い、うきうきした様子が見てとれる。
 花時計のパンジーが精一杯の笑顔で、正午をさしている。何一つ難しい言葉や、言い回しをしていない作者の写生眼を称えたい。
 黄色のパンジーの耀きを描写することで、弾んだ心の有様もうかがえる。

 

鯉幟空を元気にしたりけり  橋本 快枝
(平成二十九年七月号 白光集より)

 桜の季節が終わると、初夏へのバトンを引き継ぐ鯉幟が大空を泳ぎ始める。
 以前は、よく見る風景だったが、最近は少なくなり寂しい気がする。少子化も影響しているかと思われる。
 三匹の鯉は、家庭を表し、子どもの健やかな成長を願う親心が込められている。風をはらみ泳ぐ鯉幟に、作者も元気をいただかれたことだろう。眩いほどに爽快な一句となった。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 河  烏 (旭 川)坂本タカ女
嚔や鉛筆思案してをりぬ
雪を掻きあぐるに声の力借り
雪を掻くたつた一人の真昼かな
少々のめくじら雪を掻きをりぬ
灯を消してより雪あかり月あかり
夜を降る雪のぞく細目の厨窓
釘浮いてをりし餌台雨水かな
岩の上浅瀬なりけり河烏

 涅  槃 (静 岡)鈴木三都夫
ひたすらに暦を信じ春を待つ
椿園鳥を加へて賑はへる
落椿娘盛りの面伏せ
噴き出してきて梅蕾の色微塵
しだれ梅拗ねし一枝の撥ね返り
剪定の枝を土産の梅見茶屋
涅槃図へ遅参のごとく跪く
手枕に微笑み涅槃し給へる

 古川句碑 (出 雲)山根 仙花
濡れてゐることも春立つ木々の肌
公園は淋しきところ猫の恋
梅寒し遠くで電車過ぎし音
早春の日を貰ひたる古川句碑
草青む句碑へ四五歩の磴のぼる
先づ句碑へ声かけ春を告げにけり
芽吹かんと枝こまごまと交はしあふ
野を焼きし記憶の小みち通りけり

 「よすみ」 (出 雲)安食 彰彦
春愁や四隅突出墳丘墓
美しき「よすみ」に遊ぶ雀の子
春雨にけぶる「よすみ」の三号墳
春惜しむ雨が「よすみ」の裾ぬらし
桜餅青き須恵器に盛られをり
亀鳴くや王の褥の水銀朱
身につけし碧色首輪陽炎へる
万愚節「よすみ」にねむる出雲王

 折  紙 (浜 松)村上 尚子
縄跳びの波を交はして春立ちぬ
折紙のはじめ三角春浅し
山頂の祠小さし春の雪
恋猫の水飲んでゐる窯場かな
足音にうすらひ岸を離れけり
貝寄風や鍵のかからぬ小抽出し
窮屈になりたる鉢の桜草
群れ咲きて一輪草の触れ合はず

 しをり紐 (唐 津)小浜史都女
鳰の恋水の底まで見えてをり
初音きくそのこゑ珠のごとくなり
まだ青きうぐひすのこゑ一の堰
ひらきたる和紙のぬくみや貝雛
いのししも鹿もオブジェや草青む
不意に鳴くからすの真下冴返る
春愁やしをり紐なき本を閉づ
杉いまも天をめざせり山笑ふ

 脳 梗 塞 (宇都宮)鶴見一石子
縄飛びの大波小波日脚伸ぶ
寒明けの脳梗塞の杖二本
リハビリの一歩は百歩雪解道
田中正造直訴の沼の葦芽吹く
葦を焼く阿鼻叫喚を目の当り
嗚呼と唯々嗚呼と応へし春の山
道鏡の落葉浄土の朧の夜
栃木県庁前大いなる橡芽吹く

 雀 の 子 (東広島)渡邉 春枝
筆箱の中混沌と二月尽
見なれたる古墳の起伏地虫出づ
胸に抱く子猫いつしか眠りをり
師の句碑に佇てば物みなうららけし
句碑あまた抱きて山の芽吹きけり
補陀落の庭を出でざる雀の子
萩小町てふ名の椿てのひらに
石段の一段づつの落椿

 正 文 忌 (浜 松)渥美 絹代
朝刊のなき日白梅よく匂ふ
師の忌近づく囀のしきりなる
草むらを鳥歩く音水温む
はるかなる山に春雪正文忌
ひるからは雲ちぎれとぶ野梅かな
葦の芽に触れ釣糸の戻りきし
山笑ふ柵に二匹の仔山羊の名
首塚の裾たんぽぽの五六株

 皆既月食 (函 館)今井 星女
皆既月食見んと冬空仰ぎけり
赤い月徐々に欠けゆく冬の空
極寒の地球の影に月沈む
極寒の太陽に手を合はせけり
雪被き「重たいよう」と木が叫ぶ
極寒の窓あけ空気入れ換ふる
大寒や訃報の電話しばし置く
うつかりミス多きこの頃春遠し

 凍  鶴 (北 見)金田野歩女
バス賃の小銭冷たき音立つる
水鳥のくぐもる声や靄深し
生姜湯を吹き読了の上下巻
ストーブにすね肉任せ俳誌繰る
あかときの凍鶴脚より解け初むる
早春や石と見紛ふ川烏
魚は氷に上る漁船の番瀝青塗り
採血の逸らす目線に梅の鉢

 二月尽く (東 京)寺澤 朝子
待ちかねし春がいもうと攫つてゆく
順違へしことを憾みに春薄暮
躓くな急ぐな黄泉路とて春ぞ
兜太先生いもうと逝かしめ二月尽く
夜蛙や生涯姉妹ふたりきり
相逢うて雛なつかしや句会場
樹々芽吹く駒込過ぐる山手線
囀りやいよよの晩年これからは



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 初  蝶 (藤 枝)横田 じゅんこ
指のきず口にふふみて余寒かな
咲くだけの光集めしクロッカス
好きなだけ紅梅剪つていけといふ
ときめきの言葉短く合格子
初蝶とその初蝶の影一つ
春の鳰潜きしままでありにけり

 春遅々と (宇都宮)星田 一草
はだれ雪笹のみどりの撥ね返る
雛飾る戦の痕の遺る蔵
百年の廊下の艶の冴返る
春浅し鎧ふがごとく薔薇の刺
春遅々と湖吹く風の尖りたる
飛石を跳びて小川の春めける

 梅 見 頃 (浜 松)野沢 建代
蕗の薹水は見えねど水の音
熊笹に軽き風音梅見頃
踏青や浜名湖の端見ゆるまで
敷藁に弾力のあり牡丹の芽
長靴を干して昼餉や菖蒲の芽
客殿に午後の日射しや聞茶せり

 春 一 番 (浜 松)佐藤 升子
腕時計のベルトのほつれ寒明くる
古新聞束ね建国記念の日
春一番金平糖の棘優し
仲春や鍋のスープの吹きこぼる
アルバムに隙間のありて鳥雲に
車椅子の母は睡りて木の芽風

 蜆  舟 (松 江)西村 松子
鳥帰る日は宍道湖をかがやかす
さみどりの湖面を蹴りて鴨引けり
山鳥の一声に春動きだす
波の綺羅散らして戻る蜆舟
孕鹿の旧知のやうに近寄りぬ
湯谷川といふ親しき名水の春

 寒明くる (浜 松)阿部 芙美子
散髪屋の真白きタオル寒明くる
斜めより拝む観音春立ちぬ
浅春の超辛口の生酒かな
風光る金平糖の角の消え
竹筒の酒酌む春の炉端かな
菜の花や黒潮沖の近きまで



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 森  志保(浜 松)

停留所のベンチに座る雪だるま
囀や庭に撒きたるパンの屑
園児らの川覗きゐる涅槃西風
春泥の飛び散つてゐるズボンかな
牛小屋の藁に仔猫の寝てをりぬ


 髙島 文江(鹿 沼)

ここからは山道梅の匂ふなり
ぽつとあける埴輪の口や黄水仙
鹿沼産アスパラガスの茹で上がる
万歩計百歩にはげみ犬ふぐり
三月や伸びしと思ふ生命線



白光秀句
村上尚子


停留所のベンチに座る雪だるま  森  志保(浜 松)

 バスを待つ退屈な時間。本来ならそんな時間が過ぎるはずだったが、思わぬ景に目を細めている作者である。誰が作った「雪だるま」か。「座る」と擬人化したところにこの句への親しみがわいてくる。わずか十七文字でありながら、読者には色々な物語が見えてくる。俳句ではとかく言い古された「停留所」に新しい息吹が感じ取れる。
  牛小屋の藁に仔猫の寝てをりぬ
 猫に関する季語で最も多く使われるのが猫の恋。こちらは恋をまだ知らない「仔猫」。寝ている場所が意外だったところに目が止まった。掲出句は共に何の作為も感じられない素直な作品だが、視点はしっかり定まっている。

万歩計百歩にはげみ犬ふぐり  髙島 文江(鹿 沼)

 「犬ふぐり」と言えば、白魚火の標語のようにもなっている、西本一都の〈わが俳句足もてつくるいぬふぐり〉が思い付く。
 作者はしばらく体調を崩されていると聞いていたが、今月の作品はすべて明るかったことに安心した。この日も「万歩計」を持って出掛けた。「百歩にはげみ」にはひたむきな姿が見える。足元の犬ふぐりに励まされ、俳句を拾いながら、どの位歩かれたのだろう。
  三月や伸びしと思ふ生命線
 「犬ふぐり」の延長線の句と思う。「生命線」が急に伸びるとは思えないが、明るくなった日差しに開いた掌に見るその線は、確かに伸びていると感じた。「三月や」に込められた思いが強く伝わってくる。

自販機の生み立て卵春浅し  大澄 滋世(浜 松)

 今や日本は、世界に誇る自動販売機大国とも言われている。飲物はもとより、日用品や軽食まで買える。この日作者が買ったのは「生み立て卵」だった。「春浅し」は作者ならではの感覚である。

ポッケより魔法のやうに出るつくし  大菅たか子(出 雲)

 春の楽しみの一つに摘草がある。芹、蓬、たんぽぽ、嫁菜等々……。持っていた袋は既に一杯になってしまった。あとはポケットに入れるしかない。敢えて「ポッケ」としたところもこの句の効果の一つになっている。

下ろし立ての靴春泥を一つ飛び  樫本 恭子(広 島)

 新しい靴を履いたときの気分は格別。少しの汚れも気になるところだが、たまたまぬかるみに出くわしてしまった。しかし作者には、その場を「一つ飛び」する気力、体力は充分あった。

先頭の母は八十青き踏む  稗田 秋美(福 岡)

 最近は平均寿命より、健康寿命という言葉をよく聞く。人の手を借りないで老後を過ごすことが出来ればそんな幸せなことはない。「先頭の母」の姿はまさにその通りである。そのうしろに付きながら「青き踏む」作者の姿も喜びに満ちている。

あたたかや柴犬の鼻ぬれてをり  中野 元子(浜 松)

 犬の鼻が乾いているのは病気の証だと聞いていた。この句は敢えて正常な姿に注目している。下十二のつぶやきのような言葉が「あたたかや」の季語と出合い、詩が生まれた。

盆梅をほめ雑貨屋の客となる  原田 妙子(広 島)

 ここには盆梅展のように鉢がたくさん並んでいる訳ではない。店主の趣味か借り物かも知れないが、あまりにも立派な「盆梅」につい声が出た。「雑貨屋」という身近な店に置かれているところも面白い。

飛びはぬる仔山羊の尾つぽ山笑ふ  大原千賀子(飯 田)

 春を迎える喜びは人間だけではなさそうである。「仔山羊」の様子が手に取るようによく見える。周囲の野山も木の芽や花が咲き揃いすっかり春の様相となり、仔山羊の成長を喜んでいるようだ。

星残る朝の蛇口のつららかな  加藤 明子(牧之原)

 作者のお住まいは、日本でも一、二と言われている暖かい場所。しかし今年の寒さは厳しかった。雪は降らなくても放射冷却で朝夕はかなり冷え込むことがある。珍らしい「つらら」も日が射してくるとじきに解けてしまう。

ふんはりと長きまつ毛に雪が乗る  安川 理江(函 館)

 こちらは今年も大雪で苦労された函館市。三十八歳という、若い作者の長い「まつ毛」に一片の雪が「ふんはり」と乗ったという。雪の日のほんの一齣。これだけで充分である。


    その他の感銘句
縁側に猫のうたたね山笑ふ
黄のパンジーもつとも光かへしけり
身じろげばきしむベンチや水温む
新しき杖を下ろして青き踏む
故郷を離るる朝の蜆汁
戦場からの父の文ありあたたかし
日の暮るるまで涅槃図の声を聞く
春愁ひ紅茶の湯気の消えやすく
渡さるるバトン春へと飛び出せり
ふくらめる艶紙の鶴山笑ふ
如月や金平糖の専門店
氷ごとがばと漬物取り出しぬ
自販機の珈琲を待つ春隣
かさあげの防潮堤に若布干す
あたたかや夫のチョッキを手放せず
⻆田 和子
早川三知子
高橋 茂子
宮﨑鳳仙花
高内 尚子
高田 茂子
斎藤 文子
飯塚比呂子
林  浩世
牧沢 純江
石田 千穂
山羽 法子
松本 義久
加茂川かつ
埋田 あい


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 鹿 沼 中村 國司

冬木立ひときは高き法務局
鉛筆の尻に消しゴム春近し
手の平に流れの重み芹洗ふ
虚子風生一都正文涅槃西風
春めけり電車連結部の音も

 
 磐 田 斎藤 文子

立春のピアノより音溢れけり 
靴篦の立てかけてあり涅槃寺
如月の布巾干す竿拭ひけり
理科室の不思議なにほひ蝶の昼
教室に人影のあり春夕焼



白魚火秀句
白岩敏秀


虚子風生一都正文涅槃西風  中村 國司(鹿 沼)

 伝統とは貴重なものである。『白魚火』は先師荒木古川によって昭和三十年九月に第一号が発行された。五月号で通巻七五三号になる。以来、師系が正しく受け継がれて今日に至っている。
 揚句は虚子に始まる『白魚火』の師系の系図。遠くなった師もいれば、まだ身近にいるような師もいる。涅槃西風が西方浄土の先師達の声を運んで来るようである。
手の平に流れの重み芹洗ふ
上流で始まった雪解水がようやく下流に届く頃、野川では芹摘みが始まる。雪解水には冷たさもあるが、流れに勢いもある。
 〝重さ〟は下方へ働く力であるが、ここでは横に働く力と捉えている。「流れの重み」の着眼が独創的である。

立春のピアノより音溢れけり  斉藤 文子(磐 田)

 窓越しに聞いているのか、演奏会で聞いているのか。ピアノから打ち出される曲は軽快そのもの。冬の寒さで凍っていた音符が、春とともにどっと溢れ出したと思うほどである。
 弾く人もピアノも全身で春の喜びを奏でている。
靴篦の立てかけてあり涅槃寺
 誰もが見て知っていながら、だれも読まなかった情景である。八方に張った作者の俳句アンテナがキャッチした一句。
 この句のよさは「立てかけて」にある。靴篦は通常、吊り下げてあるものだが、それが出来ないほど大勢の参拝者があり、帰っていったということ。善男善女あり、良き法話ありの涅槃寺である。

御座舟のもそろもそろと和布刈祭  三原 白鴉(出 雲)

 一読して出雲の日御碕神社の和布刈神事のことと分かる。歳時記には和布刈神事は北九州市の和布刈神社の神事とある。出雲の伝統ある「和布刈祭」も季語として認めてもいいのではないかと思っている。
 揚句の「もそろもそろ」は『出雲國風土記』に出てくる言葉。「そろりそろり」と訳してある。(『出雲国風土記』 荻原千鶴全訳注 講談社学術文庫)。この句は同書の世にいう「国引き神話」の言葉を背景にして、和布刈祭の厳粛さを表現している。

笹小屋を訪ふ橋閉ざされて山眠る  小林さつき(旭 川)

 笹小屋を訪ねたとき、確かに橋を渡った。橋の下を流れる川が石狩川の源流だと聞いたような遠い記憶。平成十五年に旭川で行われた全国大会。あのときは青葉の美しいころだったが、今は冬。橋が閉ざされてここを訪れる人もいない。しんとした雪の笹小屋。小屋にカムイが居そうな幻想的な句。

梅の宮巫女の結べる恋みくじ  萩原 一志(稲 城)

 白梅が咲き揃ったある神社での出来事。神に仕える身といえども、まだうら若い乙女の巫女である。胸に秘めた恋があるのか、美しい恋を願ってか。はにかむように神籤を結んで去っていった。白梅と巫女の恋みくじの取り合わせ。その意外性に瞠目。

湯たんぽのくすくす笑ふごとき音  佐久間ちよの(函 館)

 湯たんぽを寝床に入れようとしたとき、ぽちゃぽちゃと鳴った。小さい音だったが、くすくす笑いのように聞こえたという。夜の寒さから守って、添い寝してくれる湯たんぽへのあいさつのような句である。

卒業の四人送りて閉校す  渡邉知恵子(鹿 沼)

 四人の卒業生だから、過疎化の進んでいる地域なのだろう。式には地域の全員が出席して卒業生を送っている。皆がこの学校の卒業生なのである。卒業を祝う気持ちと母校が消えていく寂しさが入り交じった、複雑な心境の出席者…。

チャレンジと蕗味噌食ぶるマットさん  島津 直子(江 津)

 昨今は外国人客や留学生が多くなってきた。日本のよさを十分に吸収して欲しいものである。
 揚句は好奇心の旺盛なマットさんが蕗味噌のほろ苦さに挑戦しているところ。きっと蕗味噌の味にはまってしまうことだろう。マットさんは日本贔屓のようで微笑ましい。

教室の朝のストーブ皆囲む  森山真由美(出 雲)

 白息を吐きながら、教室に入ってきた生徒たち。早速にストーブを囲んで、賑やかにお喋りをする。元気な教室の一日の始まりである。「皆囲む」に生徒たちの明るい笑顔が見える。


    その他触れたかった秀句     

蓬摘む畦となりたり晴朗忌
どの部屋も梅活けてあり中宮寺
北風吹けば駱駝前足よりたたむ
放課後の黒板拭きの余寒かな
天平の古道まつすぐ鳥帰る
突然に鳴るオルゴール雛の間
少年の声はソプラノ青き踏む
開きある蔵の高窓風光る
春疾風電話で済ます事多し
白梅や腕振り登る男坂
背負ひ来し齢つくしの野へ下ろす
水音の響く棚田の蓬摘む
雛納め暗き土蔵の梯子段
交番の裏に抜け道恋の猫
ふらここの漕ぎ捨てられて揺れ残る

佐藤陸前子
大澄 滋世
原  和子
福本 國愛
金織 豊子
吉村 道子
古家美智子
北原みどり
村松 典子
倉成 晧二
山本 美好
西沢三千代
町田 道子
曽布川允男
市川 泰恵 

禁無断転載