最終更新日(Update)'17.08.01

白魚火 平成29年8月号 抜粋

 
(通巻第744号)
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 8月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    谷山 瑞枝 
「ピラミッド」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(一部掲載)坂本タカ女 ほか
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
鈴木 喜久栄、田口  耕  ほか    
白光秀句  村上 尚子
句会報 静岡白魚火 総会記  本杉 郁代
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
     池谷 貴彦、秋穂 幸恵 ほか
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(唐 津) 谷山 瑞枝   


なぐさみに花火手にして老二人  金井 秀穂
(平成二十八年十月号 鳥雲集より)

 手花火には、ススキ花火、線香花火、変色花火、スパーク花火などがあるようだ。
 ご夫婦のどちらから花火を言い出されたのでしょう? 買い物に行き、花火を選んでから、暗くなるのを待って…。花火はあっけなく消えてしまうが、お二人の楽しいひと時が見えて、心温まる一句。今夏は久しぶりに線香花火をやってみようと思う。
 
逃げ回りつかみどころのなき裸  水出 もとめ
(平成二十八年十月号 白光集より)

 入浴後、裸のままはしゃいで走り回る子供、笑って追いかけ、頃合いを見て抱き寄せる大人。暖かな家族の今日の一日が恙なく終わろうとしている。裸の季語にエロチックさが微塵も見えない楽しい一句。

 呼ぶやうに応ふるやうに恋蛍  中嶋 清子
(平成二十八年十月号 白光集より)

 乱舞している蛍も、水面に映る蛍も実に美しい。その蛍を守るための河川清掃や草刈り作業などの活動は、近隣の住民によって支えられている。
 蛍の命は約一週間。命の限りに恋に身を燃やす。鳴かぬ蛍が身を焦がすとか。作者はなんとロマンチストな方か、きっと素敵な思い出がおありなのでしょう。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 蝮  草  坂本タカ女
回り道して桜トンネル通りけり
真青な空の深さや花辛夷
週一度通るこの道桜咲く
山下りてくる山の風蝮草
新品の自販機一基夏来たる
たんぽぽに埋めつくされし代田道
景鎮め殊のほかなる代田かな
青嵐笹小屋の真赤な消火栓

 焙炉上げ  鈴木三都夫
囀りに包まれてゐる伽藍かな
一夜さの雨に挙りし茶の芽かな
手といふ手みな借り出されたる茶摘
摘みごろの茶の芽一芯二葉かな
茶工場の灯の耿々と焙炉上げ
焙炉上げ酔へばちやつきり節も出て
牡丹の雨の重さに崩れけり
くしやくしやに崩れし雨の牡丹かな

 麦 の 秋  山根仙花
子に聞かす蛙鳴く夜の物語
裏戸の灯沈め蛙の夜となりぬ
麦秋の一戸へ急ぐ郵便夫
み仏は暗きに在す麦の秋
一枚の白紙吹かるる五月かな
合歓吹かれ風の一樹となりにけり
花合歓の夕べ音なく舟戻る
卯の花や旅の始めの峠越す

  扇   安食彰彦
をかしくてハンケチ出して涙ふく
食前酒はフランスワイン夏料理
特選句この句と決めてビール呑む
蔵の中にも見あたらぬ竹夫人
夏座布団飛ぶ敗れたる横綱に
一枚の簾の隠す五輪塔
なにげなく通りすぎたる白日傘
四段の左手扇閉ぢ開き

 軒 菖 蒲  村上尚子
帽子屋の鏡に見られ五月来ぬ
白と緋のぼたん触れ合ひつつ開く
一人づつ渡る吊橋青嵐
石楠花の根に浮石を抱へたる
富士山の雲入れ替はる軒菖蒲
目の前の富士を見てゐる端午かな
麦秋や富士の雲居の定まらず
ものの無きことの涼しき座禅堂

 父 仰 ぐ  小浜史都女
小賀玉や水琴窟に両の耳
釣れさうな棹ついてをり浦島草
冷めてより塩効きにけり豆の飯
親竹をしのいでをりし今年竹
梅雨の蝶高くとばしてゐる晴間
長々と書いてありさう落し文
遮断機の前にいきなり夏の月
父仰ぐごとく泰山木仰ぐ

 草を引く  鶴見一石子
闇雲に生きし歳月朧なり
ごぼごぼと富士の霊水木の芽張る
叩かれて叩かれ太る走る野火
黒雲の押し寄せ来たる野火のいろ
忽と消ゆる人の寿命や涅槃吹く
いろは坂四十八文字山笑ふ
生きてゐることが倖せ帰る雁
百までは生くるぞけふの草を引く

 青 田 風  渡邉春枝
青空へとび出す帽子夏に入る
けもの径抜けて一息谷若葉
椅子一つ足して客待つ柿若葉
更衣へて昨日と違ふ風にあふ
青田風入れて書棚の探しもの
岩海のかすかな水音夏つばき
念願の一書得てより風涼し
洗顔のあとの目薬虹立てり

 梅雨兆す  渥美絹代
住職の炊きたる蕗の味うすき
牡丹咲く母の居らざる母の家
柿若葉トタンの錆びし山羊の小屋
浮苗を直して茅花流しかな
足場解く大きな音や梅雨兆す
雨あとの日の射してゐる蟻地獄
夏柑を参道脇にすこし売る
緑蔭に店出す移動販売車

 桜 咲 く  今井星女
挨拶は先づは桜の様子から
学校の門に桜が枝のばす
グランドをはみ出してゐる桜かな
大ゆれにゆれて桜のまだ散らず
メーデーの終点花の五稜郭
満開の桜の下で酌みかはす
雲海のさくら色なす城址かな
故郷の香りなつかし笹粽

 持 久 走  金田野歩女
堅香子を見に行く誘ひ即答す
楤の芽を一握り程お裾分け
花吹雪校門飛び出す持久走
更衣通学列車喧し
明易し靄纏ひたる森の宿
九輪草清流跨ぐ赤い橋
鳴子百合刻印明治の野の佛
落し文開く勇気を囃さるる

 風  蘭  寺澤朝子
メトロ出て仰ぐ青空端午の日
初夏の風に帽子が飛びたがる
曳綱に揃ふ真新な祭足袋
桜の実熟るゝ区役所通りかな
梅雨前の明るさ眼科オペ室に
夜を匂ふ風蘭父の在りし日の
束の間の夢に母をり明易し
香水の残り香夜の昇降機



鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 童 話 館 (宇都宮)星田 一草
葉牡丹の竝び茎立つ童話館
聖五月教会は扉を開け放ち
ポピー咲く畦は自転車通学路
田植機の納屋に休める月曜日
尾を跳ねて涘に百尾の鯉のぼり
木漏れ日の降り注ぎをり破れ傘

 新 樹 光 (東広島)奥田  積
病室の窓に遠山夏つばめ
麦秋や体温計のピピと鳴る
手術痕きれいと言はれ新樹光
家にゐることのしあはせ豆の飯
豚舎より豚の鳴き声薯の花
笹百合や田の面を風の渡り来る

 嫁 ヶ 島 (松 江)梶川 裕子
葱坊主指切りをして子等別る
鋤き返す田の息づいて五月かな
卯波たつ悲話のありたる嫁ヶ島
桐咲ける寺に石工の来てゐたり
万緑や武道館より声弾け
ど忘れの一語を探す薄暑かな

 水 中 花 (藤 枝)横田 じゅんこ
粽ときつつ母に拗ね姉に拗ね
草笛を身振り手振りで教へをり
菖蒲田を抜け来し風につつまるる
早起きの一日長し水中花
睡蓮のまだ見えてゐる日暮かな
風よりも速きさざ波蓮巻葉

  音  (苫小牧)浅野 数方
座禅草夜は水音あふれしむ
余花の空仰げば波の音消ゆる
若葉光みづうみの色手に掬ふ
粗彫の狛の息づく青楓
朴散華ひねもすけぶる湖畔かな
風薫るとろりと眠き波の音

 春 の 候 (松 江)池田 都瑠女 
春風も連れ城の堀巡る船
ぼんぼんと鳴る大時計蝶の昼
春愁や己の書きしメモの誤字
春潮路フェリーが繋ぐ隠岐四島
一之宮に手燭の如き黄の菖蒲
縁先の柿の若葉が眼を癒す

 写真貼る (多 久)大石 ひろ女
母の日や一年分の写真貼る
音立てて貝の砂吐くみどりの夜
青葉木菟鳴いては星を瞬かす
山城の馬の背径や夏薊
風音の乾いてゐたる麦の秋
老鶯のこゑに暮れゆく関所跡

 観 音 堂 (群 馬)奥木 温子
みほとけの燭のさゆらぎ風涼し
火砕流の修羅を昔に針槐
裸電球夏炉に暗き古畳
みはるかすキャベツの村の遠郭公
石楠花や避難ドームのちんまりと
仄暗き観音堂に露けき灯

 若  楓 (牧之原)辻 すみよ
風に乗る高さの凧となりにけり
一天を動かぬ凧の高さかな
若楓平らに風を去なしけり
夕さりの空に紛るる桐の花
軽鴨の二羽ゐて恙無かりけり
防風も浜昼顔も実となりぬ

 茅花流し (東広島)源  伸枝
松風の御堂に日傘たたみけり
馬の脚すらりと茅花流しかな
河骨や亀の顔だすにごり池
陶土練る新緑の風遊ばせて
葉桜の風の中なる遭難碑
牡丹のくづれて雨の如意輪寺

 水  鶏 (松 江)森山 暢子
代官は神となりたり竹の秋 
賽子の裏目に春を惜しみけり
水鶏鳴く合せ鏡をしてをれば
先の世も後の世も桐咲きにけり
銀山に鳴いて鶯老いにけり
病葉や白黒写真は過去となり

 初  鰹 (栃 木)柴山 要作
花茨野川の嬉々と声あげて
日曜ミサ鈴蘭の香のほのかなる
句を詠めることの幸せ初鰹
初鰹買ひ来て早き夕餉かな
麦刈の大きなマスクサングラス
麦秋の野に佇つ何もかも遠し



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 鈴木 喜久栄(磐 田)

缶詰のぱかつと開く立夏かな
夏めくや閼伽井に山の水あふれ  
滝落ちて水やはらかくなりにけり
物忘れ多きつむりを籠枕
言ひそびれハンカチ握りしめてをり


 田口  耕(島 根)

牡丹剪る庭師に迷ひなかりけり
ゴスペルの余韻や薔薇のブーケとぶ  
船小屋の舟に昼顔からみをり
夏の月隣家の子守歌聞こゆ
滝しぶく神木岩を抱へけり



白光秀句
村上尚子


物忘れ多きつむりを籠枕  鈴木喜久栄(磐 田)

 「近頃物忘れが多くてねえ」という言葉をよく耳にするようになった。その都度、私も頷いている。当然、若者の会話には出てこない言葉である。あまり度が過ぎれば笑ってばかりはいられない。作者は自分の「物忘れ」を認めつつ、その頭を「籠枕」に委ねたのである。最近の世相や建築様式を考えると、その出番は減ってきたように思うが、やはり日本人の昼寝にはよく似合う。
 〈身のまはり少し片づけ籠枕〉と細川加賀も屈託なく詠んでいる。
  夏めくや閼伽井に山の水あふれ
 この墓苑は水の豊かな場所にあるらしい。山から流れ出てくる水をたっぷりと汲み、墓前へと向かった。「夏めくや」は作者の生気にもつながると見た。

牡丹剪る庭師に迷ひなかりけり  田口  耕(島 根)

 〝立てば芍薬座れば牡丹………〟とは、あまりにも有名な、美人を形容する言葉。そのなかでも最も華麗と言えば、やはり「牡丹」であろう。丹精して咲かせたものは一つ剪るのにも心を籠めて鋏を入れる。ところが、この庭師は何の「迷ひ」もなく剪ったという。専門家というのは情にほだされてはならない。来年、あるいはもっと先のことを考えて、美しい盛りを犠牲にしたのである。十七文字の勢いと、最後の強い切れにより、その様子が小気味よく表現されている。
  ゴスペルの余韻や薔薇のブーケとぶ
 教会で行なわれた結婚式のあとの光景であろう。幸せそうな新郎新婦を囲んでのワンシーン。一瞬の間を宙にとぶ「薔薇のブーケ」。「ゴスペルの余韻」に、そのあともしばらく作者の心は満たされていたに違いない。

麦秋の木曽川渦を立ててをり  塩野 昌治(磐 田)

 木曽川は、長良川、揖斐川と共に木曽三川の一つ。古代以来大洪水により、国境紛争もあり、又、交通や軍事上の要衝でもあった。作者は目前の川の「渦」だけを見て、その歴史に思いを馳せたのである。「麦秋」のあとは長い梅雨が待っている。

口紅のつきし吸殻花は葉に  後藤 政春(高 松)

 喫煙の場所がやかましく言われる昨今、たばこを吸わない者にとって、この光景は珍しくなった。季語から察すると、作者もかつては愛煙家だったかも知れない。「口紅のつきし吸殻」に読者の想像は広がるばかりである。

鯉のぼり泳ぐ津波の避難塔  相澤よし子(牧之原)

 東北の大震災以来、津波の防御壁や避難塔の工事が進められている。掲句が被災地の景かどうかは分からないが、あの日々の光景に思いを巡らせていることは確かである。元気に泳ぐ「鯉のぼり」に作者の思いが託されている。

みつ豆や茶房に高き笑ひごゑ  村松ヒサ子(浜 松)

  最近の喫茶店のメニューには着いていけない。「みつ豆」と聞いて少し安心している。この「笑ひごゑ」はたぶん中高年に違いない。主婦のささやかな休息と、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。

団欒の輪や手作りの草だんご  山本 絹子(出 雲)

 屋外にビニールシートなどを敷いただけの集りであろう。それぞれの包みから出てくるものは、自慢の手作りのものばかり。その中の一つに「草だんご」があった。一口食べるたびに声が上がる。春ならではの「団欒」の景。

広島の空に雲なし昭和の  日森 志保(浜 松)

 昭和二十年八月六日の空には、原爆によるきのこ雲が発生したというが、この日の広島の空には雲一つなかった。昭和を生きてきた人達にとって忘れてはならない出来事だった。明るい景であるが、「昭和の日」の季語は非常に重い。

夏めくや桧の香る鉋屑  山口 和恵(東広島)

 〝かんな〟で材木を削る作業を見る機会は少なくなった。たまたま出合った景から、桧の香りだけを捉えた。春でも秋でも冬でもなく「夏めくや」により一句が成り立った。

カーネーションの鉢を抱へて巡査来る  溝口 正泰(磐 田)

 既に制服から私服に着替えられている「巡査」。日常とはまた違う素顔に出合った。このような巡査が近くに居てくれることが何よりうれしい。

一人静二人静も雨の中  赤城 節子(函 館)

 花穂が一本あるのが「一人静」。二本あるのが「二人静」。形は違うがどちらも林の中で清楚にひっそりと咲く。「雨の中」で出合ったことで詩が生まれた。


    その他の感銘句
釘隠しの螺鈿の光る夏はじめ
薫風やバスより下ろす車椅子
兄思ふ蛍よぶにもこゑ出して
寝返りを打つ幼子や菖蒲葺く
帰省子に犬の鳴き声変はりけり
絵手紙に描く筍を据ゑにけり
雲海の下へと夕日落ちにけり
母の日の花屋に白き花を選る
水音を辿りクレソン畑かな
先生はいつも真ん中チューリップ
留守番の犬が顔出す柿若葉
みどりごを抱かせてもらふ花菖蒲
独り居に人の寄り来るアマリリス
栴檀の花やいつもの古物商
絵画展出でて緑雨の中にあり
高橋 茂子
埋田 あい
榛葉 君江
石川 寿樹
鈴木 敬子
横田 茂世
西川 玲子
東 不二重
山羽 法子
柴田 純子
樋野久美子
高井のり子
太田尾千代女
古川志美子
髙橋 圭子


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 浜 松  池谷 貴彦

転校の児の出目金の引き継がれ
海開きクルスの海女も祓はるる
数珠振つて僧まくなぎを払ひたり
薫風や赤子が腕を伸ばすとき
薫風や埴輪の大きイヤリング

 
 東広島  秋穂 幸恵

太蕗のけぶれる香り刈りにけり
万緑の家の中より人の出づ
薫風をまとひ山門まで歩く
蜘蛛尻を振りて夕日に網を張る
梅雨寒のサランラップの端が拗ね



白魚火秀句
白岩敏秀


転校の児の出目金の引き継がれ  池谷 貴彦(浜 松)

 クラスの飼育係りの児が転校することになった。登校した時や昼休みに水を替えたり、餌をやったりして、大切に育ててきた出目金。その飼育をクラスメートに任せることになった。餌をやる時間や分量を細かく友達に伝えている。こうして出目金の世話も友情も引き継がれてゆく。クラスの温かさが伝わってくる。
薫風や赤子が腕を伸ばすとき
 赤子が初夏の爽やかな風のなかで眠っている。どんな夢をみているのか、思い切って大きく腕を伸ばした。この句、「腕を伸ばすとき」と、恰も赤子が薫風を掴み取ったような詠み振りが魅力。

梅雨寒のサランラップの端が拗ね  秋穂 幸恵(東広島)

 サランラップは便利なものだが、失敗するとぐちゃぐちゃになって使いものにならなくなってしまう。どうやらこの句も包み損ねたようだ。端の方が拗ねたようにぴんと捲くれ上がってしまった。梅雨寒にサランラップが拗ねたという見方が新鮮。日常で誰もが経験していることを巧みに掬い取っている。
  万緑の家の中より人の出づ
 万緑に囲まれた家から人が出て来たのではない。万緑そのものが家だと思い切った飛躍が眼目。満目、青葉若葉の世界を彷彿とさせる。

一村は空つぽ初夏の運動会  計田 芳樹(東広島)

 近頃の運動会は秋よりも春や初夏に行うことが多いようだ。この小学校も五月の運動会らしい。田植えのまだ始まらない時期だから、村人たちがぞろぞろと応援にくる。
 「一村は空つぽ」で、山間の過疎の村とも取れるが、子ども達の元気な運動会を村の全員が、夢中になって応援をしていると想像した方が楽しい。

ここだけの話ここだけ片かげり  池田 都貴(宇都宮)

 「あのネ、知ってる」で始まるここだけの話。見れば日盛りのなかにここだけが片かげりとなっている。移動していく片かげりを追って、ここだけの話も移動してゆく。いつまでも続くここだけの話。「ここだけ」の繰り返しが絶妙な効果をあげている。

薫風の運びし言葉ありにけり  村上千柄子(磐 田)

 「薫風南より来たり、殿閣微涼を生ず」と中国の詩文にある。青葉若葉を吹く風がその香りを運んでいると感じている。日本人の繊細な感性を感じる季語である。
 揚句は具体的なことは何も述べていない。それでも、言葉が楽しいものであり、嬉しいものであることは分かる。季語に全幅の信頼を置いて詠まれているからである。

夏草に人巾の道ありにけり  加藤 葉子(群 馬)

 久し振りに畑へ行こうとすると夏草の茂った道になっている。一瞬、草の勢いに戸惑うが、よく見ると人巾ほどの道があるではないか。夏草の勢いに負けない人間の行動力に驚いている作者。踏みしだかれた夏草の青さが新鮮に見えてくる。

たんぽぽが沢山咲いて秘密基地  安川 理江(函 館)

 子ども達が原っぱの草に隠れるように遊んでいる。冬の間、家に閉じ込められていた子ども達が自由に遊べる空間。秘密基地である。たんぽぽが秘密基地を守るように沢山咲いている。童画のような楽しさがある句。

香水のいよいよ傍若無人かな  砂間 達也(浜 松)

 夏は服装が軽快になり、原色のものが目立ち始める。それに伴って香水が活躍し始める。電車やエレベーターの中は言うに及ばず、いたるところで様々な香水が歩いている。しかも傍若無人…にである。中村草田男に〈香水の香ぞ鉄壁をなせりける〉がある。

定位置にペン置き夏の立ちにけり  前川 幹子(浜 松)

 〈暑き故ものをきちんと並べをる 細見綾子〉の句のように、暑いときは身の周りをきちんと整理整頓した方が、涼しく感じられる。この句もペン置きはここ、辞書はこちらとすっきりと片付けている。暑く長い夏を乗り切るための生活の知恵でもある。


    その他触れたかった秀句     

流木に腰掛け浜の立夏かな
蜘蛛の子の透き通る身の散りにけり
禅問答めくや田螺の心字池
田水張る田毎の癖を知りつくし
駄菓子屋の猫となかよし一年生
麦秋の明かりに開く便りかな
幣の縄張つて祭の町となる
引越しの荷に鳴る時計梅雨に入る
鯉のぼりくたんとなつて地に降りぬ
山辛夷咲いて祭のやうな村
更衣肘のあたりの落ちつかず
草笛や村の子みんな小鳥好き
夏薊小さき滝へ小さき径
畳屋の肘の力や玉の汗
ものの芽の息づく土に温みあり
夏帽子水玉模様のリボン揺れ
浜木綿や出稼ぎ漁師戻り来る

小林さつき
中山  仰
石川 寿樹
中村美奈子
篠原 凉子
秋葉 咲女
西村ゆうき
富岡のり子
野田 美子
広瀬むつき
鈴木 ヒサ
大平 照子
脇山 石菖
高野 房子
福田はつえ
町田 道子
小沢 房子

禁無断転載