最終更新日(Update)'15.10.01

白魚火 平成27年10月号 抜粋

 
(通巻第722号)
H27. 7月号へ
H27. 8月号へ
H27. 9月号へ
H27.11月号へ


 10月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    岡 あさ乃 
「泉」(作品) 白岩敏秀
曙集鳥雲集(一部掲載)坂本タカ女 ほか
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
弓場 忠義 、吉村 道子  ほか    
白光秀句  村上 尚子
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
      中村  國司、阿部 芙美子 ほか
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(出 雲) 岡 あさ乃   


秋灯身をしなやかに技芸天  鷹羽 克子
(平成二十六年十二月号 白光集より)

 秋篠寺の技芸天は、一種の不思議な光が放たれ、あたりを気高い雰囲気に満たし、心ひかれる。流れるように麗しいお姿で立っていらっしゃる。どれ程の多くの人びとに仰がれてきたことか。気韻にしんと澄み切っている。それが秋の灯の元でなら尚さらである。
 美しいお姿が一層うるわしく、あでやかに浮びあがっている。

爽やかに父のミットに投ぐる球  計田 芳樹
(平成二十六年十二月号 白魚火集より)

 二人の息子が低学年の頃に、三人で三角キャッチボールをした事がなつかしく想い出された。キャッチボールの経験も、グローブにも触れた事もない私が、子ども達にせがまれてする破目になった。子ども用グローブを使用し、どうにかボールを掴む事が出来る様になり、段々とリズムよく、ボールの音が決まって来た。夕食前の三十分の楽しい時間だった。
 掲句は、父子のキャッチボールであるが、父親のミットめがけて投げる力強い球の音が、さわやかに響き合って、父子の心模様までも読み取れる佳句と思う。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 双  葉  坂本タカ女
蜷局巻きたる蛇であるとはつゆ知らず
枕木僅か五本の鉄橋にゆうの花
親鴉鳴くとき翅に力こめ
川はづれ二羽の鴨とぶ薄暑かな
道端のバイク気になる袋掛
木木を風拔けゆく鶯老を鳴く
夏枯や今もその名を姫小路
一週間目の大根の双葉かな

 合歓の花  鈴木三都夫
ぼんやりと一人ぼつちの梅雨の月
梅雨雲の蓋を被せて動かざる
夏萩とおぼしき花を風に見せ
滴りの苔に滲みては滴れる
嫋々と風を去なして合歓の花
炎天へ出て緑蔭を返り見る
鳴く河鹿恋の姿は見ずじまひ
しばらくは河鹿と別れ惜しみけり

 炎  天  山根仙花
降りさうな気配となりぬ栗の花
一筋の道伸び青田貫けり
妻も出て梅雨夕焼の中に立つ
炎天の影落しゐる大樹かな
炎天の砂飛ばし掃く竹箒
何もなきことの涼しき一間かな
風鈴の音見上げつつ薬飲む
片蔭を語りつつゆく乳母車

 きりぎりす   安食彰彦 
草の戸のサドルに休むきりぎりす
一泊のホテルの美しき夏布団
墓参り系図正しき大檀那
スーパーで買ふ魂棚の盆供かな
花芙蓉昔の呉須の皿五枚
重さうに自慢の西瓜提げてくる
唐津屋の角の真赤な百日紅
新涼や小津の入江は海を抱く

 遠  蛙   青木華都子
窓といふ窓全開に梅雨明くる
燕来る駅長室の出入口
待ち合はす無人駅舎に燕の巣
東京は眠らぬ街や濃あぢさゐ
昨日、今日、明日も雷雨予報なる
発つ気配全くなくて通し鴨
ひと声がやがて合唱遠蛙
鳴き出してふつと鳴き止む遠蛙

 山  泉  村上尚子
紫陽花やまだ濡れてゐる石の皺
自転車の僧の涼しき袂かな
鵜の首を立て急流に逆らはず
昼寝の子乗せて一両電車行く
花茣蓙の花と向き合ふ子の旨寝
納屋にあるブリキの盥ういてこい
先生のこゑ聞いてをり山泉
夕蟬や背に真榊を揺らしゆく

 木洩れ日  小浜史都女
自然薯の花八十が目の前に
軸涼し竹の一字に節ありき
まばたきをして藻の花を増やしけり
神職の片手間に草刈つてをり
南部風鈴有田風鈴どれも好き
木洩れ日を浴び木洩れ日を踏む晩夏
かなかなを聞きつこの村好きになる
朝顔や予定なき日も眉描きて 
 バラの花  小林梨花
しつとりと濡れたる町や緑濃し
夏燕雨に羽摶き大空へ
梅雨晴れて町の甍のきらきらと
九階の窓辺群れ飛ぶ夏あかね
病室に開きかけたるバラの花
生還の口に冷たき氷水
火の雫落つるが如き夏入日
窓開くるネオンの町の涼しさに

 遠 花 火  鶴見一石子
歳月のとどまるはなし遠花火
草笛を吹き戦中の兄を呼ぶ
向日葵や大地の恵み欲しいまゝ
晩節の朝の力や草を引く
黄泉へゆく道筋を問ふ蓮の花
昼寝覚め職場の友をふと見たり
夏草や格子の中の地蔵尊
祭足袋大地をしかと踏みしめり

 被 爆 樹  渡邉春枝
一瀑を抱き名峰背を正す
海を来て海の色なる揚羽蝶
被爆樹の茂りの許の乳母車
吊皮に日焼の腕伸ばしけり
愛用のタオル離さぬ昼寝の児
帰省子の大の字に寝る佛の間
蟻道の渋滞つづく日暮どき
水打つて沈む夕日をとどめけり

 遠  雷   渥美絹代
職退きし弟の飼ふ目高かな
滝口に日のすぢとどく午後三時
遠雷や肘掛け剥げし革の椅子
ぎす鳴くや三和土の広き祖母の家
雨粒をつけて七夕竹届く
火をつけてより風はたと止む門火
盆の客庭の通草の実に触るる
節多き板の間盆の風通る

 夏炉焚く  今井星女
夏炉焚く北海道に住み馴れて
紫陽花や海を見てゐる異人墓地
東京の砂町恋ひし波郷の忌
函館に縁ありたる波郷の忌
庭に出る度雑草を引きにけり
盛つけに紫蘇の葉一枚加へけり
鉄拳をふり下ろすごと雷雨来る
雷雨去り深き睡りに落ちにけり

 島 航 路  金田野歩女
終便の機体の光る白夜かな
歯科の器具みんな尖るや半夏雨
青田風大納屋全開してゐたり
家苞に加ふる島の布海苔かな
帰省子も郵便も着く島航路
夏野菜変身さする髭のシェフ
夏見舞黄泉の国へも届けたし
白抜きの幟出てゐる新豆腐

 星 合 ひ  寺澤朝子
七月の小諸も佐久も霧の中
夏霧や煙も見せず浅間山
梅雨深し北前船の着きし浜
お城下の名残りの櫓夏つばめ
入江より仰ぐ立山驟雨過ぐ
朝曇港にどつかとロシヤ船
星祭る回船問屋の蔵屋敷
星合ひや老いて姉弟といふは佳き


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 松 の 蕊  森  淳子
マロニエの美しき片陰続きけり
松の蕊城址に残る顕彰碑
万緑の山の迫りて来たりけり
玫瑰や下ろしたてなるスニーカー
対岸は倉庫街なり夏の雲
六月の海へ突き出すレストラン

 晩  夏  諸岡 ひとし
何処に居ても暑い暑いと見舞状
台風に備へ天幕撤去せり
初捥ぎの葡萄を父母に供へけり
初咲きの木槿を挿せる茶会席
築山に一叢斑入りの青芒
宣誓の若人夏の甲子園

 青ぶだう  大村 泰子
官田に白鷺一羽紛れ込み
経机に引き出しありて韮の花
揚花火ずどんと胸をつらぬけり
青ぶだう澄みたる声のいづくより
ざぶざぶと炎暑の水を使ひをり
納涼舟動くともなく動きけり

  蛍   荒井 孝子
沿線を逸れて鉄道草と言ふ
子燕に覗かれてゐる朝寝かな
蛍火や闇には闇の襞のあり
あをあをと闇濡れてをり蛍の夜
月落ちてゆく中蛍眠りけり
揚花火時折月の覗きけり

 緑  蔭  安澤 啓子
緑蔭に稚児かんむりを正しけり
渡御船の鳥居ぐらりと揺れにけり
救命の胴衣積み込む祭船
みなづきの水草絡む水車
祭壇の塩溶けてゐる半夏生
踊の輪炭坑節に膨らみぬ

 淩 霄 花  宇賀神 尚雄
迫り出して風の寄り添ふ淩霄花
通り雨青鬼灯の生き生きと
山百合の咲き連なれる杉並木
夏菊に目を細めゐる六天仏
緑蔭に入りて爪先まで憩ふ
涼しさは北へ流るる千曲川
 汗の喪服  佐藤 升子
くれなゐの紐を十字に蛍籠
水平線明し窓辺に百合挿して
木杓子に片減りありぬ半夏生
緑蔭に人の集まる葬の前
窓開けて汗の喪服を吊りにけり
帯に団扇はさみ手水を使ひけり 

 夏  衣  出口 廣志
軒簾懸けて世間を遠くせり
百歳も自立してこそ夏衣
銀輪の僧飄々と青田風
病窓に凭りて港の遠花火
白山の雪渓著く聳え立つ
みちのくの風鈴吊し旅心

 望 遠 鏡  星  揚子
合歓の花片目を瞑る望遠鏡
大木の息するやうに蝉の声
列なさぬうちは勝手に動く蟻
濡れ縁は一尺の幅蚊遣香
古文書に暗号のごと紙魚のあと
なめらかに動く筆師の指涼し

 魂 送 り  本杉 郁代
忘れたる頃に上がりし花火かな
献立の一品はまづ冷奴
迎火や十年の日々矢のごとし
棚経の僧の風生む衣かな
魂送りいつもの日々にもどりけり
兄弟の二人欠けたる天の川

 万  緑  渡部 美知子
白南風や床に広ぐる世界地図
簾越しいつもの声と二三言
黒揚羽胸元に来て反転す
炎昼や街騒を断つ大鳥居
万緑へ谺となれる四拍手
百年の暖簾受け継ぐ笑み涼し


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 弓場 忠義

夏満月妻を迎へにゆきにけり
息すればけむりのゆるる蚊遣かな
空つぽの祭會所やこもかぶり
ぱりぱりに乾くTシャツ広島忌
天金の子規全集のきらら虫


 吉村 道子

葉に揺るる豆粒ほどの青蛙
蝉涼し島崎藤村記念館
新しき円座馬籠の喫茶店
夕立に風走り出す馬籠坂
七月やずんずん伸ばすゴムホース



白光秀句
村上尚子


空つぽの祭會所やこもかぶり  弓場 忠義

 夏から秋にかけては祭シーズンである。
 全国的に名を馴せているお祭には、町の人口の数倍にも昇る人出でごった返す。かたや地方では人口の流出で、何百年も続けられた祭事も継承しにくくなってきた。日本文化の衰退の一つと言える。
 「こもかぶり」は勿論四斗入りの酒樽を指す。誰も居ない「祭會所」に酒樽だけが鎮座している。作者はそんな裏のシーンに目を止め一句を成した。読み下したときのカ行と全体のリズムが、お祭りのうきうきした気持に通じるところも面白い。このあとは大いに盛り上がったことだろう。
天金の子規全集のきらら虫
 最近あまり目にしなくなった豪華な洋装本。そこに「きらら虫」が住み着いていた。子規もさぞ驚いたに違いない。
 外見は温厚な作者だが、最近は「白魚火」発展に対する強い思いを燃やしている。

夕立に風走り出す馬籠坂  吉村 道子

 馬籠は妻籠と共に長野県を通る中仙道の宿場町の一つ。島崎藤村の生誕地であり「夜明け前」の舞台となった。「馬籠坂」と言われているように坂の途中に街道が通っている。山の天気は変りやすい。遠くにあった黒雲は俄に大粒の雨を降らしながら近付いてきた。同時に静かだった街道も騒がしくなった。雨と風と一緒に人も走り出した。「夕立」はめっきり減ってしまったが、掲句は「馬籠坂」ならではの風情を大いに感じさせてくれた。
七月やずんずん伸ばすゴムホース
 日頃の庭への水遣りの風景であろう。飾り気のない素直な表現が、作者の動きをより鮮明にしている。「七月」の季語も動かない。

ごきぶりの紛れ込みたるノアの方舟  後藤 政春

 ユニークな作品である。「ノアの方舟」は旧約聖書の創世記にある。大洪水の中一族と全ての動物が、この舟に乗ってアララト山に漂着したという。五、七、七であるがリズムの上では問題ない。「ごきぶり」君も本望であろう。俳句を楽しんで作られている作者に大きな拍手を送りたい。

水番の携帯電話鳴りづめに  竹内 芳子

 稲作にとって大切な水。副題に「水盗む」や「水盗人」の穏やかならぬ言葉があるように、日照りが続くと農家は必死である。「電話鳴りづめに」がその緊張感と臨場感をよく表現している。

幼子に触れさせてゐるおじぎ草  今津  保

 葉に触れると閉じお辞儀をしたようになるという植物。子供の頃はよく遊んだ。作者もお孫さんと楽しんでいるのだろう。こういうことは大人になっても忘れない思い出となる。

水打つて一番星を待ちにけり  中嶋 清子

 打水の効果は草木を蘇らせると共に、実際に周辺の温度が二、三度下がるという。その中で「一番星を待つ」とは何と優雅なことか。今だからこそ、そんな時間を大切にしたい。

遠ざかる船や海月の漂へり  中山 啓子

 同じ海に棲む生物でも魚と違い、骨もなく波にまかせて浮遊しているだけのように見える「海月」。そのそばを目的地に向かって進んで行く船。人間の勝手かも知れないが、なぜか悲哀を感じずにはいられない。

ねぢればな三度ねぢれて高く咲く  河野 幸子

 「ねぢればな」をよくよく観察しなければ「三度ねぢれて」の言葉は出てこない。具象的作品の典型である。リズムも良く一度読んだら忘れられない。高野素十の〈甘草の芽のとびとびのひとならび〉を思い出す。

少しだけ歪みて月の涼しさよ  大澤のり子

 「月の涼しさよ」は、月の涼しげなさまと、美しさを表現しているが、多くは満月に使われることが多い。掲句は満ちてゆく月か、欠けてゆく月か分からないが、その途中のことを「歪みて」としたところが独創的である。

水槽のみづ替へてゐる熱帯夜  計田 芳樹

 「水槽」のことを言い出すと、中に飼われているもののことを言いたくなる。掲句は下五まできて「熱帯夜」という季語を据えた。そのことによりこの作品は一気に浮上した。

蝉しぐれ湯上りに爪切つてをり  久保美津女

 夕暮のくつろいだひと時。今日も暑かった。一日の出来事を思い出しながらも、それなりに満足しているのであろう。外では蝉が短い命を一生懸命謳歌している。


    その他の感銘句
町なかの分水嶺や花カンナ
走り去る自転車の子ら浮輪して
ゆづること覚えし童さくらんぼ
夏羽織総代席に着きにけり
長梅雨の気配天ぷら揚げにけり
曲り角に来てハンカチを振りにけり
新涼や仕上げの飾りミシンして
烏賊の腸すつぽり抜けて夕立来る
開拓の野や羊蹄の花盛り
十薬の毟り出されて山積に
田草取る敵の如く投げつけて
蝉時雨浴びて耳欠く道祖神
雪渓の緩みて天塩川となる
首まはすラジオ体操花南瓜
大夕立七福神を濡らしけり
樫本 恭子
神田 弘子
山田 春子
植田美佐子
塩野 昌治
村松ヒサ子
陶山 京子
鈴木 敬子
小林さつき
斉藤かつみ
江角トモ子
内田 景子
山羽 法子
三浦 紗和
太田尾千代女


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 鹿 沼  中村 國司

掴まれて青空泳ぐひきがへる
誉め合へることの幸せ韮の花
碧潭に飛び込むわつぱ夏旺ん
夜更けて紅のさしくる月見草
掛けようと思えば電話夜の秋

 
 浜 松  阿部 芙美子

川風にかがり火爆ずる鵜飼かな
山小屋の灯へ吊橋を渡りけり
夏霧や岩場に鎖下ろされて
放牧の牛に夕焼来てをりぬ
路地一つ入りて銀座のソーダ水



白魚火秀句
白岩敏秀


誉め合へることの幸せ韮の花  中村 國司

 子どもでも大人でも誉められることは嬉しいことだ。お互いの美点を認め合って「誉め合へる」ことは幸せである。ここまでは道理に適った叙法であるが、配した季語が違った。仁尾先生の『自注句集』に「波郷は、あれもよい、これもよいと一句の中に持ち込んでも駄目だと落選理由を述べた」とある。
 この句はよいことずくめの内容を「韮の花」がきっちりと押さえ込んでいる。薔薇や百合の花に置き換えてみるとよく分かる。
 碧潭に飛び込むわつぱ夏旺ん
 碧潭とはあおあおとした深い淵のことである。そこへ子ども達が巌の上からジャンプして飛び込む。これが出来ないと仲間として認めて貰えない。
 青々した淵には真夏の光がキラキラと輝き、巌には子ども達の声が弾ける。子ども達にはあまりにも短い夏である。

山小屋の灯へ吊橋を渡りけり  阿部芙美子

 歩きづめ、登りづめだった登山路も今日の行程がようやく終わりに近づいた。山小屋の灯が木の間にちらちら見えている。ふっと安堵の溜息が出そうだが、もう一つの難所の吊橋がある。呼吸を整えて、ゆっくりとしかも確実な足取りで一歩一歩吊橋を渡っていく。光は希望である。目的へ向かっていく行動が力強く感じられる。

戦争を語らぬ父の原爆忌  高内 尚子

 今年の八月は太平洋戦争が終わって七十年目にあたる。八月は日本人にとって重たい月である。戦争を知らない世代が増えているが、戦争の悲惨さを伝えることは平和への道のりでもあろう。しかし、戦争を語らぬ人がいる。真のかなしみは言葉にはならないし、言葉にすればその実態が消えてしまう場合がある。言葉は人の思いに届かないことがしばしばある…。巡って来た原爆忌に新しいかなしみが湧く。

短夜のところどころを眠りけり  山口 悦夫

 夏は夜は短い。その上、暑くて寝苦しい。それでも眠ろうと思いつつ横になる。まどろみては醒め、醒めてはまたまどろむ。気がつけば窓がすでに明るくなっている。寝たような寝てないような曖昧さが「ところどころ」を眠る。起きた時の何とも奇妙な気分に納得させられる。

山百合の咲くや卒寿をつつがなく  椙山 幸子

 日本人の平均寿命は女性が八十六歳で世界一、男性が八十歳で三位だそうだ。卒寿といえばこの平均寿命を越えている。それも「つつがなく」だ。日常の立ち振る舞いも百合の花のように凜として、年齢を感じさせないにちがいない。見事である。この句は「卒寿を」であって「卒寿の」でないことに注意したい。

桃の実やくりくり動く嬰の足  佐々木智枝子

 畳に寝かされた赤ん坊の元気な足の動き。丸々とした可愛い足の動きを「くりくり」と言い取ったところが絶妙。これで赤ん坊のすべてが見え、囲む人達の幸せな顔も見えて来る。季語の「桃の実」も童話の「桃太郎」を連想させて微笑ましい。

入道雲がくんと崩れどつと雨  加部あきら

 青空に大きく伸び上がっていく入道雲。それが突然がくんと崩れた。と思う間もなくどっと雨が降り出した。瞬く間の出来事であった。異常気象なのか、天変地異の前触れなのか。「がくんと」「どつと」に切迫した緊張感がある。

汗のシャツ梯子に掛けて庭師かな  大菅たか子

 通りすがりの景なのか、或いは作者の家の庭でのことなのか。いずれにしても、夏の暑い盛りに庭師が庭木の枝払いを行っている。「剪定」は春の季語であり「木の枝払ふ」は夏の季語である。
 掲句は汗のシャツを「梯子に掛けて」と具体的に、目に見える形で景を示している。仁尾先生は「映像が鮮明であることは秀句の欠かせぬ要素」と教えている。しかも、リズムもあって口誦して耳に快くひびく。


    その他触れたかった秀句     

悠々と泰山木は空の花
石蹴りの続き残して夕焼雲
思ひ切り泣いていつしか昼寝の子
日盛りのしじまに蝶のふれ合へり
斥候の黒蟻二匹戻り来し
生涯の海女にひと日の祭髪
青岬フェリー港へ舵を切る
新調のリボンの揺るる夏帽子
真つさらな色に徹して木槿かな
よき形と褒めて涼しき子種石
容赦なく炎昼の日の突き刺さる
太陽を眞上に見つめ汗ぬぐふ
墓洗ふ今ならわかる母の愚痴
送り火の尉となりてもただ無言
炎昼の郵便物の熱きかな
木下闇抜け海までの一本道
ふるさとの山河に目覚め秋立ちぬ

内藤 朝子
中野 宏子
高山 京子
植田美佐子
後藤 政春
渡部 幸子
寺本 喜徳
村松ヒサ子
大石 益江
髙島 文江
町田由美子
黒川美津子
市川 泰恵
松下 葉子
吉田 柚実
杉山 俊子
伊藤 政江

禁無断転載