最終更新日(Update)'14.12.01

白魚火 平成26年6月号 抜粋

 
(通巻第712号)
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 6月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    田口  耕  
「秋 の 虹」(近詠) 仁尾正文
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
檜林 弘一 、原  みさ  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
中津川白魚火早苗会  田口 啓子
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          渥美 尚作、計田 芳樹 ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(島 根) 田 口   耕    


砂浜に親鸞像や冬ざるる  増田 一灯
(平成二十六年二月号白光集より)

 親鸞は承元の法難により後鳥羽上皇の怒りに触れ越後国国府(新潟県上越市)へ配流となった。掲句の像は親鸞上陸の地、直江津 居多ヶ浜に立つものではないか。「主上・臣下、法にそむき義に違し忿をなし怨を結ぶ」(教行信証)天皇から臣下に至るまで法難を引き起こした者への親鸞の怒り。そして流刑後九十歳にて亡くなるまで非僧非俗を貫いた厳しく激しい親鸞の姿をこの像は表している。まさに冬ざるる一生を思いやった句である。

初霜のあり森林太郎の墓  松原  甫
(平成二十六年二月号白光集より)

 森林太郎は森鴎外の本名である。石見国(島根県津和野)に生まれ小説家・軍医として位人臣を極めた。しかし、死に臨んでは「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と遺言し、その墓には一切の栄誉と称号を廃して「森林太郎墓」とのみ刻された。
 この句は津和野町永明寺にてのものであろう。墓の俳句は銘を示さねばならず難しいと仁尾先生は教導下さる。しかし、この句は敢えて「森林太郎の墓」と叙した所に作者の林太郎への深い敬愛の念と同じ島根県人としての誇りが推察され読者の胸を打った。石見人森林太郎の生涯を初霜に重ねている。

新酒酌むほの温かき指の先  塩野 昌治
(平成二十六年二月号白魚火集より)

 この八月句友と隠岐を吟行し隠岐酒造を訪れた。十四種試飲した中に室町時代の製法による酒があった。同じ材料で造りながら甘みが強く、あと切れがよい。そして、琥珀色なのだ。視覚でも楽しませて貰った。この作者は、よほどの酒家なのだろう。そう思い、白魚火に寄稿された「風の吹くままに」をつぶさに再読したところ、やはり、夕食時には必ず酒を嗜んでおられた。酒と言えば、新酒は格別。ぬる燗の純米吟醸酒をぐい飲みに注ぎ指先の触角までも使い堪能しておられるのだ。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 秋 刀 魚  安食彰彦
鈴虫や無職としるす職業欄
隣りより残り蚊連れて帰りけり
まとまりし議論の末の秋刀魚かな
止り木に座れば秋刀魚出て来たる
父逝きて書棚に残る栗日記
採り残す柿を夕日の離さざる
疎開児を迎へし寺の熟柿かな
赤い月異国の朋友を想ひけり

 草清水・苔清水  青木華都子
橡茂る樹下にだあれもゐぬベンチ
ねぢること忘れてをりし捩り花
お寺にも抜け道のあり灸花
神杉に絡みつきたる蛇の衣
その上にまた雲のあり揚雲雀
人通るたびに揺れゐてあきざくら
一人づつ渡る木道草清水
手柄杓でいただく山の苔清水

 城  山  白岩敏秀
シーソーに重さ加へて秋の蝶
震災忌川に厚みのなき流れ
紙反古のすぐに燃え尽く二日月
十六夜の砂の落ちきる砂時計
宵闇や水の匂ひの風の来て
漁り火の沖へ砂丘の流れ星
仲秋の朝の小さき旅かばん
城のなき城山ほのと薄紅葉

 鳥  兜  坂本タカ女 
見損ひけり大姥百合のその盛り
いつせいに咲いて散りぎは花虎杖
身をのりだして草藪の鳥兜
かなへびの尾を虫籠に余したり
萩揺るる蜂のきてゐるところだけ
人を待ちをりコスモスに紛れさう
のぼるたび梯子の揺るる庭木刈る
水使ひ果して父母の墓洗ふ

 今日の月  鈴木三都夫
待宵の雨の洗ひし今日の月
月天心一管をもて奉る
月の出を挙りて囃す虫時雨
貝割菜畝を外れて間引かれし
今一度間引かんほどの貝割菜
洗ひ場の水を豊かに澄めりけり
外陣の秋の藪蚊に刺されけり
刈り終へし棚田の落穂拾ひかな
 小鳥来る  山根仙花
洗ひ場に乾く砥石や小鳥来る
小鳥来て峡の暮らしに加はりぬ
木の実落つ川の流れにさそはれて
裏戸より始まる秋の日暮れかな
水の辺に点りて露けき灯となりぬ
駄菓子屋の土間の隅より昼の虫
育ち来し泥に打ち伏す破れ蓮
門燈の汚れて点る虫の闇

 ちからぐさ  小浜史都女
秋のこゑ茶室へ美しき四つ目垣
昼の鵙ひとりの茶漬塩辛く
黄鶺鴒水呑みにきて黄をひろぐ
大花野言葉貧しくなりにけり
ちからぐさかもじぐさ秋深みけり
ゆつたりと山を離しぬ望の月
夜は月を持ちあげてをり蕎麦の花
原発に遠からず住み月仰ぐ

 出雲の空  小林梨花
我が影の波止に長引く良夜かな
月光に濡れて音なき舫ひ舟
名月や竜の目玉のごと光る
湖風の吹き込む御堂月祀る
月影や少し横向く太師像
十三夜出雲の空のくれなゐに
後の月いつの間にやら湖の上
説法の声の途切るる初時雨

 流 れ 星  鶴見一石子
磐梯を支ふる湖の水澄めり
羽衣の松の大樹の星月夜
羽衣の浜へ天女の流れ星
天の川三万石の城下町
伝承の蛇姫様の昼の虫
道の辺に除染芥や冬隣
露寒や晩年は死の話など
皆既月食半月となり虫すだく

 山 頭 火  渡邉春枝
秋水を豊かに路地の静もれる
山頭火現れさうな路地の秋
軒ごとに山頭火の句カンナ燃ゆ
山頭火泊りし家や新松子
裏口に煮炊きの匂ひ虫すだく
紅芙蓉紅の雫をこぼしけり
香煙を胸に頭に秋澄めり
頭陀袋身に添ふほどに秋深む


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 小鳥来る  大石ひろ女
連山を正し筑紫の稲熟るる
小鳥来る一杓甘き神の水
湖心より波の生れ来る赤まんま
鳥おどしいにしへ人の塚に鳴る
零戦の基地の町かな曼珠沙華
つくつくしこゑを嗄らして三の丸

 節  穴  森山暢子
美人塚おんなじ貌の螇蚸とぶ
芋茎干し迷彩服も干してをり
下り簗日に幾たびも狐雨
天井のどこか軋める良夜かな
しばらくは洗濯岩に秋燕
八雲居の戸の節穴も雁のころ

 下 り 簗  柴山要作
秋灯百年経たる藍の布
太陽光パネル百枚螇蚸飛ぶ
山がかる一郷蕎麦の花盛り
子らの手を零れ落鮎跳ねまはる
錆鮎に串打つ漢黙すまま
下り簗水の匂ひの濃くなりぬ

 鰯  雲  西村松子
もう秋の来てゐる水辺歩みけり
借りつくりつつ生きてをり鰯雲
雁渡る流木に座し沖を見る
旅愁ふと秋水に五指触れてより
梵鐘に一山の霧霽れにけり
秋深し深紅の僧衣縁に干す

 金  風   久家希世
塀越しに青空見ゆる秋桜
山窪に影の短き稲架一本
満月を真向ひにせる帰り道
金風や曲る大河の水光る
秋雨に海の俄に暮れにけり
野紺菊山路の雨に色を増す

 木 の 実  篠原庄治
昨夜の雨にはかに秋を深めけり
溝萩や足早にくる湖の秋
零れつつ咲きつつ萩の日暮れかな
笑み落ちし栗の実にある日の温み
拾ひたる木の実遊ばす掌
鉄塔の四つ脚どつかと紅葉山
 蔦 紅 葉  竹元抽彩
野の風にみな秋草のそよぎけり
待宵や地酒を据ゑて友等待つ
手囲ひで線香点す秋彼岸
花野来て顔の優しくなりにけり
天辺に一筋上る蔦紅葉
梯子酒に付いて来る友十三夜 

 一 筆 箋  福田 勇
友垣の一筆箋や秋の風
桐一葉役行者を祀る里
金木犀香る社の赤鳥居
夕闇の迫る深山や月の影
秋出水木曽の大川にごりをり
足棒に歩む木曽路や走り蕎麦

 虫 の 音  荒木千都江
芋の葉のくぼみ深まる露の夜
虫の音の荒ぶる中に佇めり
なすこともなき灯を点す秋の暮
揺れやすきものばかりなる秋の草
秋風に紙飛行機を乗せにけり
田仕舞の煙を潜り郵便夫

 小豆干す  大村泰子
座りなほして聞き役の端居かな
こゑ先に渡つて来たり大花野
秋芽吹く古墳の小さき出入口
格子戸に人つと消えて白露かな
鉦叩ときどき闇をたたきけり
小豆干す筵に莢の乾く音

 蛇  籠  小川惠子
澄む秋の大きく開く如来堂
秋の簗蛇籠に疲れみえてきし
ひと刷毛の錆の噴きたる鮎を焼く
水甕のきゆうくつさうな布袋草
夕日透く糸の解けし秋簾
すぐ翳る山ぎりぎりの稲架襖

 秋 の 草  奥野津矢子
碑の台座に秋の草少し
ねこじやらし句碑は達筆ばかりなり
一跳びは秋草の丈ひもす鳥
やまべ釣る秋の流れの真ん中で
蜻蛉の交尾む忙しきにはたづみ
丹田に力満ちくる鬼胡桃



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 檜林 弘一

風そよと九月の暦よぎりけり
つくつくし声を降らせる火葬塚
秋気満つ楸邨句碑の胸広し
潮風も髪の靡きも秋の航
水の秋掘割多き城下町


 原  みさ

両腕に抱へて括る秋桜
突堤へ波の寄せ来る良夜かな
唐破風の剥落しるし秋の蝶
何か佳きことある兆し小鳥来る
小刻みに歩く靴音十三夜



白光秀句
白岩敏秀


秋気満つ楸邨句碑の胸広し  檜林 弘一

 この句は隠岐で詠んだもの。楸邨の句碑は隠岐神社の参道脇にある。〈隠岐や/いま/木の芽を/かこむ/怒涛/かな/楸邨〉。碑はこのように七行で刻まれている。かなり横幅のある句碑である。作者は「胸広し」と表現して、句碑の大きさのみならず、楸邨の人柄をも賞賛しているのである。楸邨のこの句について『白魚火』第七百号記念号Ⅰに田口耕氏が緻密な評論を書いている。
 十月号の「白魚火の窓」に作者ら八人が地元在住の句友の案内で隠岐、松江を吟行したことが載っている。白魚火の誌友は全国にいる。お互いの交流を深めながら、各地域を探訪し俳句の見聞を広めることは良いことである。
潮風も髪の靡きも秋の航
 句の並びからすると隠岐から松江へ行く船中詠のようだ。青々とした海と髪を靡かせて爽やかに吹いてゆく潮風。
 隠岐の句友との別れを惜しみながら、次の吟行地への期待がある。句の明るく弾むようなリズムから申し分のない吟行で終わったようだ。

突堤へ波の寄せ来る良夜かな  原  みさ

 寄せて来る突堤の波を詠みながら、遠い沖の波まで見えてくるような大きな明るさがある。
 遠くの沖の波も突堤に来る波も全て名月の清明な光りのなかにある。空も海も地上も中天の月に照らされて輝いている。
 万古から変わらぬ月の美しさと現代的な構造物である突堤との組み合わせが新鮮。

好きに居て家族それぞれ良夜かな  本杉 郁代

 全ての部屋に灯が点り、家族がそれぞれの部屋に引き上げていく。しばらくすると、二階の子ども部屋からは音楽が流れくる。夫のしわぶく声が聞こえてくる。作者は読んでいる本から時折、名月の明るい庭に目を遣っている。家族は各自好きなことをしながら、各自で十五夜の夜を楽しんでいる。
 平穏で幸せな家族の家を、良夜の光りが静かに包みつつ夜は更けていく。

一霊に一杉の墓いわし雲  髙島 文江

 由緒ある墓なのであろう。一本の杉に守られるように静かに佇む一基の墓。生前の名誉も不名誉も一切墓のなか。黙す墓と黙す杉。時の止まったような無窮の静寂。鰯雲の広がりだけがこの世の時の流れを知らせている。

姉ちやんと僕と薄の長い影  山羽 法子

 夕焼け空があり、遠くに煙突が見える。どこか映画のラストシーンめいた句である。勿論、現実には日暮れまで遊んでいた僕を姉ちゃんが迎えにきたのである。姉ちゃんの少し怒ったような顔と照れくさそうな僕の顔。風の薄が長い影を揺らしてさよならをしている。子どもの頃へ逆戻りしたようなノスタルジアを感じさせる句。作者の純真な気持ちが読者を童心に誘っている。

熱の児に見えきしゑくぼ秋うらら  加茂川かつ

 作者の安堵感が強く伝わってくる句である。何日か続いた熱が引いて、児の顔に笑いが戻ってきた。熱も決しておろそかにすることは出来ない。心配な日や夜を過ごしてきた作者にとってこんな嬉しいことはない。児が笑ってくれたときの笑窪が何と可愛いことか。気持ちの重荷が解けるような秋うららである。

図書館の窓流れゆくいわし雲  松原 政利

 図書館の窓は採光のために大きくとられてている。大きな窓から明るい秋の日が閲覧室に差し込んでいる。それぞれが本のページめくる音、ノートをとる音。咳をするさえも憚られるほどの静けさである。窓の外を見上げれば、青空を押すように広がっていくいわし雲。
 外と内の静けさの中で生まれた一句。何も言わないことが詩になっている。

由佳丸は娘の名らし秋の海  中山  仰

 新造船の名前であろうか。船に横に大きく由佳丸と書かれている。船の名に娘の名前を付けるのは珍しいことだろう。海の男の娘を思う繊細で優しい気持ちが現れていて微笑ましい。作者は高知に在住しているから、由佳丸は鰹船かも知れない。



    その他の感銘句
背開きの魚の乾く震災日
地震走る金木犀の匂ふ午後
母の亡き暮しに馴れて敬老日
秋晴れや出掛けるための鍵ひとつ
金木犀薫る維新の志士の墓
酒蔵のちひさき鳥居小鳥来る
大根を蒔く板橋ひとつ架け替へて
地下足袋を軒端に干して文化の日
猫に椅子ゆづりてよりの夜長かな
夜明けより鳴く郭公や神饌運ぶ
標高を上げゆく列車山葡萄
線香の残り火長し秋彼岸
木戸先のコスモス揺らし妻かへる
秋灯身をしなやかに伎芸天
肩車運動会の帰り道
岡 あさ乃
荻原 富江
田久保峰香
金子きよ子
舛岡美恵子
今泉 早知
小村 絹代
若林 光一
松下 葉子
岡崎 健風
佐藤 琴美
滝口 初枝
杉原  潔
鷹羽 克子
脇山 石菖


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

 浜 松  渥美 尚作

正面に御獄見ゆる草の花
鳥渡る一の鳥居を潜りけり
急坂となる参道の葛の花
稲架を組み青竹二本余りをり
飯田線の音を近くに下り簗

 
 東広島  計田 芳樹

担任のオルガン囲む秋夕焼
十人の居残り勉強ちちろ鳴く
校門の錠前おろす夜寒かな
爽やかに父のミットに投ぐる球
秋の山大きく蹴つて逆上がり



白魚火秀句
仁尾正文


正面に御嶽見ゆる草の花  渥美 尚作

 御嶽山は古来より〝木曽のおんたけさん〟と呼ばれ、標高三千六十七メートルの修験道の霊峰である。その山頂は早や雪で覆われ始めた。
 九月二十七日の噴火により五十七名の命が奪れた。高山の割には交通の便もよく、三、四時間も登れば頂へ立つことが出来る身近かな山であったはずである。未だに七名の行方不明者がいるが、今年の捜索は中止となった。
 作者はそれらの思いで「御嶽」を眺めているのである。足元にある「草の花」はあたかも犠牲者を慰めているように見える。自然はやさしくもあり、人間の力ではどうしようもない恐ろしい力を持っていることを知らされた。鎮魂の句として多くの人の心に刻まれることと思う。

十人の居残り勉強ちちろ鳴く  計田 芳樹

 「居残り勉強」から読者はいろいろなことを思い出すに違いない。その時の先生のこと、友達のこと、家で待っている家族のこと、そして回りの風景のこと等…。しかし作者は教師である。「ちちろ鳴く」の季語により教室に流れる時間の経過と児童への思いやりが垣間見える。それが季語の持つ力である。
担任のオルガン囲む秋夕焼
校門の錠前おろす夜寒かな
 これらも児童と過ごす時間の中から率直に生まれた作品である。

鰯雲倒立の足揃ひけり  西村ゆうき

 運動会か体育の時間であろう。二人が一組になり、笛を合図に一斉に倒立の足が揃った瞬間である。その足はまっすぐに空へ向かって伸びている。
 風景が鮮明に見える爽やかな作品である。

秋寒や知らぬ間に減る置き薬  市川 泰恵

 「置き薬」と聞いて思い出すものに〝富山の反魂丹〟がある。今ほど医療機関が充実していなかった頃は多くの家庭がこれらの「置き薬」を利用していた。現在でも軽い頭痛や腹痛、切り傷などには重宝する。この作者もそれほど重病とは思えない。何となく薬を飲んだ方が安心だという位であろう。昼になり暖かくなってくれば忘れてしまうのである。「そぞろ寒」、「冷まじ」となったら要注意。

新米のおにぎり天辺から食らふ  永島 典男

 毎日食べるお米も新米の味は格別である。それもお塩だけで握ったものがよい。形にも色々あるが掲句は三角だとすぐ分かる。その「天辺」から食べるのが一番食べやすいのも分かっているが、「食らふ」と表現したことでこの句の存在感が強まった。うまいものは上品に食べるよりも食べやすいように食べるのが一番である。

登校時案山子と握手して行けり  米沢  操

 「案山子」について詳しいことは語られていないが、きっと子供達が思わず握手をしたくなるような恰好をしているのであろう。大人の温かい目に見守られて登校する子供達の姿と声が生き生きと表現されていて読者も笑声に誘われる。子供は愛情を注がれて育つのが一番である。

違ふことしつつ夜長の灯の一つ  松下 葉子

 掲句は夜の一つの部屋に流れる時間の一齣の風景である。何をしているのか分らないがそれを認め合い干渉はしない。「違ふことしつつ」の軽い表現に、日常の家族の平穏な暮しぶりが見え好感がもてる。

黄落や木椅子の端と端に人  古田キヌエ

 色付いた木の葉が舞い落ちる中に細長い木の椅子が置いてある。たぶん知らない者同志が、まん中を開けて座っている。二人の間にはそれぞれの時間が流れている。切れ字の効果により一句に深みが生まれた。晩秋の美しい一枚の絵を見ているようだ。

草紅葉鳶が声を落しけり  塚本美知子

 どこにでも見られる風景をいかに表現するかによって俳句の良さが変わってくる。掲句は読みながら「ぴいひょろろ」という「鳶」ののどかな声が聞こえてくる。その下には「草紅葉」が広がっている。視覚と聴覚に訴える鮮やかな作品である。

ぎこちなき嬰の寝返り稲は穂に  吉野すみれ

 誰もが見たことのある赤ちゃんの「寝返り」。そんな数秒か数十秒の間の様子を「ぎこちなく」と具体的に表現したところが良い。「稲は穂に」により赤ちゃんの成長も見えるようだ。

指先で粒確かめて大根蒔く  佐々木智枝子

 種によって作物の出来不出来が大きく変わる。上十二迄の具体的な表現はそれをしたことのない人には分かりにくい。作者が「指先で」で実感して生まれた言葉に揺るぎはない。俳句をうまく作ろうとするわざとらしさもなく好感がもてる。


    その他触れたかった秀句     
長き夜や復刻本の「草枕」
落葉踏む一人の音を一人聞き
秋日傘こゑかけられて畳みけり
月明の机に小さき木の列車
村祭四手作る役貰ひけり
月の夜の大鯉水を打ちにけり
大甕に投げ入れてあるななかまど
秋うらら誉められてゐる嬰の足
小百姓なれど父祖の地赤のまま
ドロップの缶振ってみる良夜かな
お下がりを着こなしてゐる案山子かな
飛び立ちし鴉の嘴に今年藁
盆荒れや烏歩いて道渡る
吾亦紅八十路まだまだ働き手
馬肥ゆる獣の匂ひ少しさせ
松原はじめ
花木 研二
小林 久子
大隈ひろみ
大橋 時恵
中山 雅史
樋野久美子
吉田 美鈴
佐藤 貞子
田久保峰香
滝口 初枝
秋葉 咲女
富田 倫代
藤尾千代子
今沢 孝之

禁無断転載