最終更新日(Update)'14.11.01

白魚火 平成26年6月号 抜粋

 
(通巻第711号)
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 6月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    竹元 抽彩  
「新  酒」(近詠) 仁尾正文
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
渡部 美知子 、原  みさ  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
鳥雲逍遥  青木華都子
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          鈴木 百合子、田口  耕 ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(松 江) 竹 元 抽 彩    


神々を迎へて注連の太かりし  小浜 史都女
(平成二十六年一月号 曙集より)

 陰暦十月(陽暦十一月)は「神無月」と言う。語源は全国の神々が出雲大社に集まるために諸国に神がいなくなる月であることからの俗説。出雲では神が集まるので「神在月」と言う。初冬の季題で神送り、神の旅、神渡し、神迎え、神集う、神等去出等の傍題がある。掲句は「神迎えの神事」を詠まれた初冬を代表する一句であり頂いた。
 全国から集う八百万の神々を迎える出雲大社の神迎え神事が旧暦十月十日(平成二十五年十一月二十三日)出雲市大社町の稲佐の浜で厳かに営まれた。夜の訪れとともに注連縄を巡らせた砂浜の斎場は静寂に包まれ、篝火が白装束の神職を照らし出した。県内外から参集した大勢の信者等が手を合せる中、神職が祝詞を奏上、海からの神々を迎えると、神職達は神々の乗り移った「ひもろぎ」と呼ばれる、榊を絹垣で覆ったものを龍蛇神の先導で約二キロメートル先の出雲大社に向かった。
 出雲大社の神楽殿では神在祭が営まれた。入口に張られた巨大な注連縄が参拝者のど肝を抜く。神楽殿に安置された「ひもろぎ」は神々の一夜の宿舎となる。その後本殿周辺の東西十九社に奉安される。
 この年は古事記編纂千三百年を記念する「出雲古代博」が開催され多くの人を集めた。又出雲大社の六十年ぶりの「平成の大遷宮」に伴う大規模な改修工事を終えて、チャン塗りの千木、鰹木等色鮮やかな檜皮ぶきの大屋根が全容を現わし拝殿の大注連も新しく掛け替えられて神々の集う拝殿の入口に張られた。掲句作者が「注連の太かりし」と詠まれた大注連は胴回りの太さ九メートル、長さ十三・五メートル、重さ四・五トンの大きさである。
 神々は神在祭の一週間を出雲に滞在し、大国主命を囲んで向こう一年間の縁結びや農事等の話し合いをされ、最終は「万九千神社」で神等去出祭を済ませてお帰りになる。これより出雲は本格的な冬に向かうのである。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 星 月 夜  安食彰彦
秋暑し蔀戸閉ざす御本殿
葛の葉の囲む社の定書
稲穂垂る峡の歪な三角田
物思ふ一人種なし葡萄食む
白萩をあかるく賞でし配達夫
すさまじや声ををしまず法師蝉
三枚の秋の簾をもてあます
いくたびも起きて師のこと星月夜

 日  雷  青木華都子
もう一つ増ゆる肩書き万愚節
涼しかり京の老舗のおばんざい
イヤリング外し涼しき耳朶
老鶯の声どこからかあの木から
十薬や鍵のいらぬ農具小屋
日雷男体山の真上より
堂々と神域に入る黒揚羽
働き蟻働きづめに日暮れまで

 秋 立 つ  白岩敏秀
ナフタリン服に匂ひて秋立ちぬ
地下街の飾る七夕竹低し
溶接の火花の青く残暑かな
秋蝉や水打ち当てて顔洗ふ
乱読のごとく咲き継ぐ紅木槿
朝顔の紺を育てて理髪店
迎火を息吹きかけて炎え立たす
きりぎりす畦道に沿ふ水の音

 縷 紅 草  坂本タカ女 
向き揃へとぶ鷺草の一斉に
鷺草花を終へしと言へり通りぎは
ひゆるひゆるとこゑあぐる風や縷紅草
御手洗の手押喞筒や蟻溺れ
ファスナー布に噛みつく油照
日焼して怪しかりけり骨密度
催眠剤小粒なりけりちちろ鳴く
墨を磨ることもてはじむ句座涼し

 地 蔵 盆  鈴木三都夫
熊蝉の息衝く暇もなかりけり
鳴き立てて否応もなき蝉時雨
しばらくは片陰へ逃げ風を待つ
山百合の花の重さを乗り出せる
蓮散華今日を証の一句とす
地蔵会の百万遍の念誦かな
地蔵会の鉦の聞ゆる夜店かな
流灯の逢瀬はかなく消えにけり
 水 澄 む  山根仙花
でで虫や晩年急ぐこともなし
水打つて一番星を輝かす
崩れんとしてとどまれる雲の峰
小さき川小さき音ゆく星月夜
爽やかに言葉交して別れけり
爽やかに髪吹く風を得て急ぐ
割烹着真つ白厨の水澄めり
峡に古る暮しの井戸の水澄めり

 破  蓮  小浜史都女
蓮散華地球の裏も見たるかな
気まぐれのお天気雨や残り蓮
吹く風に裏おもてあり破蓮
歩けさうなり城濠の菱畳
畑に石灰撒いて八月終りけり
防災の日や猪の出て猿の出て
人参の芯まで朱し木歩の忌
からむしもいたどりも花秋深む

 鈴  虫  小林梨花
鳴き初めし鈴虫の声初々し
割箸をもて鈴虫の餌を替ふ
次々に鈴虫絹の羽根広げ
鈴虫の籠を幾度覗きけり
鈴虫の鳴いて華やぐ老いの家
耳痛くなる鈴虫の鳴き競ひ
鈴虫の我がもの顔に鳴く屋敷
すがれ虫すがるる声の夕べかな

 流  星  鶴見一石子
羽衣の浜より富士へ流れ星
大甕に秋の七草陶器市
地獄絵の鬼にあいさつ盆の寺
ゆたかさはほどほどがよし実紫
星飛べる空の大きさ九十九里
爽やかに句はつくるべし生くるべし
ひやひやと風透きとほる放射線
粧へる深き山裾廃棄物

 霧 深 し  渡邉春枝
朝刊の占ひを先づ生身魂
新涼やピアノに弾む白き指
朝ごとの早足歩き秋の虹
木道のつづく湿原草紅葉
霧深し柵を逃げ出す仔牛ゐて
露草の瑠璃より明くる隠れ里
三名山制覇のりんご甘かりし
言葉なく坐る二人の良夜かな


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 案 内 図  梶川裕子
案内図の真ン中は城天髙し
金秋の城を指しをる藩主像
色鳥やハーン好みし城の径
蝉の殻箱にをさめて児の宝
川音も草吹く風も盆の果
渓音を先立ててくる涼気かな

 流  灯  坂下昇子
電球に虫飛んで来る夜店かな
法師蝉割り込んで来てひとしきり
門火焚く後ろ姿の母似かな
流灯を引きたる汐の速きかな
新涼や寝転んで見る星の数
登るほど霧のつまつて来たりけり

 つくつくぼふし  二宮てつ郎
迎火や見馴れし山に向き合つて
新盆の母へ黙つて鉦叩く
ひとり聞けばつくつくぼふしは遠き蟬
蓑虫の海が眩しと泣きにけり
電柱の釣瓶落しに立つてゐる
前山の八月逝ける鳩の声

 流 灯 会  野沢建代
川施餓鬼の足場石を二つ置き
足元の石に躓く流灯会
里芋の葉に水の実の供へあり
三方をはみ出してゐる新午蒡
傘させばすぐにやむ雨流灯会
ふる里を訪ひ落鮎を追ひにけり

 夕かなかな   奥木温子
今年竹最後の皮を吊しけり
暮れがての四囲の紫夕かなかな
夜の秋岐阜提灯の墨絵かな
隠れ耶蘇の墓に精霊蜻蛉かな
穂芒や大股で来る行脚僧
無住寺の磴百段や小鳥来る

 西  瓜  辻すみよ
昼寝して夢の彼方に居るらしき
嫌はれしへくそかづらのほの匂ふ
かなぶんの体当りして転げ落つ
鳴き尽くし風に転がる蝉の骸
仏飯の乾く八月十五日
蔓枯れて置いてきぼりの西瓜かな
 新  涼  源 伸枝
新涼や門まで鳴らす男下駄
虫食ひの木槌の艶や小豆打つ
稲妻の夜を野ざらしの石の臼
秋雨や熱き湯で拭く馬の貌
口開けしままに月夜の鬼瓦
好きな曲聞きつつ灯下親しめり 

 八月六日  横田じゅんこ
炊きたての御飯八月六日かな
かなかなやひとり暮しの楽しさも
すぐ草の色に染まりて子かまきり
野川澄む子の口笛に鳥発てり
きのこ赤し月より毒をさづかりぬ
小鳥来る買物籠を手に持てば

 新  涼  浅野数方
待ち侘びてゐる新涼の風少し
藍蔵の戸口二間や涼新た
掻きたらぬ藍甕の泡原爆忌
わらわらと飛び出しにけり新小豆
廃校の礎に校歌鰯雲
ぎす鳴くや水嵩低きあばれ川

 敗 戦 日  渥美絹代
峰雲や下駄脱ぎ憩ふ猿田彦
本復の僧や夜店を見てまはる
敗戦日山から遠き山眺め
盆休み峠越ゆれば雨のきて
水澄んで父の生国変はらざる
新涼の箪笥の匂ひ袋かな

 秋 の 雨  池田都瑠女
葛餅や豊かさ知らず逝きし母
戦なき城の威風や蝉しぐれ
聞き馴れし山鳩のこゑ八月来
鉤曲りてふ町筋や木槿咲く
夾竹桃咲き大叔父の忌の近し
遺句集の掌に重かりし秋の雨

 落 し 文  大石ひろ女
遠花火灯りの潤む漁師町
ひたひたと潮満ち来る盆の月
帰省の子いつものやうに遺影拭く
封印のどこにもなくて落し文
筆塚を洗ふ雨音赤まんま
蟬の骸まなこを開けしままなりし



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 渡部 美知子

須佐神社百日紅の高く咲く
秋日傘差しつたたみつ神の杜
一本の神杉の黙秋日濃し
賽銭箱覗くや鬼の子と会ひぬ
川音の耳を離れぬ秋の宮


 原  みさ

城閣の漆喰剥がれ台風禍  
国引きの神話の浜や星飛べり
玉虫の骸なれども拾ひけり
大花火枝垂れし先のまた弾け
湖かけてパノラマ広ごる大花火



白光秀句
白岩敏秀


一本の神杉の黙秋日濃し  渡部美知子

 一連の作品が須佐神社での吟行詠のようだ。須佐神社は出雲市佐田町須佐にある。祭神は須佐之男命と妻の稲田比売命そして比売の父母である足摩槌命、手摩槌命の四神。『古事記』に載る由緒ある神社である。
 『須佐神社の由来』(須佐神社社務所発行)の冒頭に「…石の鳥居をくぐり玉砂利をふみ、豊富に湧出する「塩井」に身心を清め神前に額ずく。…巡りて社殿の後に至る。亭々として天を摩す老杉あり。周囲二十余尺(七米余)樹高百尺(三十米余)木肌の一つ一つに千数百年の世の盛衰栄枯の歴史を秘め黙して語らず…」とある。
 作者が神杉の前に立つ以前の千数百年の黙そして作者が立ち去った後に続く黙。気の遠くなるような時間を、天に向かって立つ神杉の生命力の神秘に作者は感銘を受けている。秋日に包まれた神杉は今も黙を通している。
  川音の耳を離れぬ秋の宮
 神社の隣りを流れる素鵝川のせせらぎ。秋の水が澄んだ音で流れている。素鵝川を知らなくても観賞できる句である。
 吟行地の固有名詞で始まって、吟行地を離れる句で終わっている。作品は前後の句に凭れ合いがないので、一句独立の句として観賞できた。

国引きの神話の浜や星飛べり  原  みさ

 『出雲国風土記』には島根半島はヤツカミズオミヅヌノミコト(八束水臣野津命)が海の彼方の三方の国から土地を引き寄せて造ったとダイナミックに伝えている。国引きの地は東は地蔵崎(松江市美保関)から西の日御碕(出雲市大社町)まで。距離は直線にして約六十五キロメートルある。
 作者は日本海の荒波の音を聞きながら、雄大な神話の世界に思いをはせているときに流れ星を見た。その強い印象が「星飛べり」と感動的に強く表現されている。ものに深く感じて出た言葉は純粋である。

籾殻の山の高きに豊の秋  大石 益江

 農家にとって稲の出来、不出来は大変な問題である。日常の管理に手落ちがなくても、冷害や風水害など自然現象はどうにもならない。稲が順調に成長して、穂が重く垂れ下がったのを見るのは喜びである。脱穀して豊作と分かれば尚更に大きな喜び。その喜びの大きさが籾殻の山の高さで表されている。
 豊作によって、一年間の苦労が報われた喜びと安堵が素直に伝わってくる。

稲の花一族の墓かこみをり  田原 桂子

 田圃のど真ん中にある一族の墓。一族が営々と耕作、守ってきた大事な田圃である。今年も一族に見守られて、無事に稲も花をつけた。秋には稲が一族に十分な実りを見せる番だ。日本の稲作は祖先から親へそして子へ受け継がれ、大事に見守られて来たのである。

延縄の船待つ妻の夏帽子  生馬 明子

 延縄漁の歴史は古く、すでに『古事記』にみえているという。掲句の延縄船は近海で漁を行っているのだろう。そして、妻は魚の水揚げや仕分けの作業をして、夫を助けているにちがいない。
 海鳥が舞う小さな漁港の情景。岸では今日も夫の無事と豊漁を願いつつ妻が待っている。潮風の煽る妻の夏帽子が印象的だ。

休暇明け小学校の窓が開く  長谷川文子

 子ども達の元気な声があってこその小学校である。夏休みが終り生徒達がぞくぞくと登校して来ると教室や校庭にまた活気が戻ってきた。校舎の窓は開け放され、子ども達の声が響いている。夏休みのたくさんの楽しい思い出を話す元気な声なのである。

見失ひたるより蛇をおそれけり  大山 清笑

 人間の心理をよく衝いた句と思う。人は蛇に出会った瞬間は怖さよりまず驚きが先に立つのではないだろうか。驚きが去ってからじわりと怖さが生まれる。そして、しばらくは蛇の舌の動きや全身のうねりが脳裏を離れない。その怖さが…放心したような「おそれけり」である。

柔らかに土の湿りて貝割菜  山本 美好

 根菜類は土を深く柔らかく耕さないと立派に育ってくれない。この句の土はよく手入れされた土である。しかも、適度の湿りもある。絹布団のような土に新しい貝割れ菜の命が育まれていく。初々しい貝割菜に作者の丹精が込められている。



    その他の感銘句
葡萄熟るどこか異国の匂ひして
秋蝶と思ふ高さとなつてをり
終戦日道にころがる紙コップ
喪服着ることの続きて夏終る
山霧に芯まで濡れし髪を梳く
しんしんと更けて信濃の星月夜
遠雷や眠る稚児の爪を切る
萩の花風にゆられて咲きはじむ
扇風機廻り人居ぬ守衛室
秋澄めり正法眼蔵学びたる
足元に寄り来る栗鼠や夏木立
秋蝶のおぼれんばかり草の丈
花の絵の盆提灯をともしけり
秋立てり水脈まつすぐに隠岐航路
吾亦紅棚田の畔のうねりかな
大庭 南子
林  浩世
村上  修
吉原絵美子
秋葉 咲女
北原みどり
池森二三子
河島 美苑
髙橋 圭子
後藤よし子
高田 喜代
早川三知子
鈴木 滋子
佐々木よう子
伊藤 政江


鳥雲逍遥(10月号より)
青木華都子

天空の夜も仄明き晩夏かな
物置かぬことが一番夏座敷
石仏に恵山つつじを供へけり
盆棚の脇に供ふる菓子袋
出港を見送る日傘廻しけり
雷鳴の走る湖面に嫁が島
竹皮を脱ぐまぶしさの藩主寺
力瘤失せし腕を汗伝ふ
足元に波の寄せ来る踊かな
空を裂く音に始まり大雷雨
黒揚羽陸軍墓地を低く舞ふ
身八口揃へてたたむ土用干
嫁いでも娘は娘ところてん
里訛通ずる友と氷菓食ぶ
千年の樹齢つくつく法師かな
梅干して母の身丈を思ひけり
炎昼やさゆらぎもせぬ木々の影
一夜愛で朝は放ちぬ籠蛍
墓洗ふ父に遺言なかりけり
風鈴や脳天洗ふ風の来て

寺澤 朝子
松田千世子
今井 星女
笠原 沢江
上村  均
奥田  積
梶川 裕子
金井 秀穂
坂下 昇子
奥木 温子
源  伸枝
横田じゅんこ
浅野 数方
池田都瑠女
大石ひろ女
森山 暢子
西村 松子
篠原 庄治
大村 泰子
諸岡ひとし



白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

 群 馬  鈴木 百合子

帰省子の背筋をぴんと近付き来   
父の忌や町を跨げる虹の橋
ありがたうを繰り返しゐる生身魂
涼新た巫女に釣銭貰ひけり
夜半の秋ぐぐぐと鳴ける魔法瓶

 
 島 根  田口  耕

胸元に海風を入れ涼新た
舟小屋の屋根に石据ゑ新松子
古墳群土をぬぐひて椎拾ふ
国造家にのこる駅鈴秋澄みぬ
試飲する十五種類の今年酒



白魚火秀句
仁尾正文


夜半の秋ぐぐぐと鳴ける魔法瓶  鈴木百合子

 始めて魔法瓶を見かけたのは何十年前だっただろうか。最近は電気ポットが主流だが、停電のときや戸外では何の役にも立たない。掲句の「ぐぐぐ」は魔法瓶ならではの音であり、誰もが一度は聞いたことがあると思う。
 百合子さんは平穏な暮しの中で、その数秒間の音を聞き洩らすことなく俳句にした。「秋の宵」でもなく「秋の夜」でもなく「夜半の秋」であってこそ一句が引き立ったのである。
  父の忌や町を跨げる虹の橋
 「父」はかつて白魚火の重鎮であった鈴木吾亦紅氏のことである。虹を見上げしばし尽きぬ思い出の中に身を置いている作者の姿が鮮明に見えてくる。

国造家にのこる駅鈴秋澄みぬ  田口  耕

 国造(隠岐ではこくぞうと呼ぶのであろうか)は大化の改新以後群司となり、祭祀に関する世襲の職を務めてきた。その一人が作者の住んでいる隠岐の玉若酢命神社の宮司であり、現在迄代々宮司を世襲してきた。そこの宝物殿で見かけたものが「駅鈴」である。古代律令時代には公用の旅や通信の為に駅馬、駅船、人夫を常備しており、必要の際にはこの「鈴」を鳴らしてそれらを徴発していた。千三百年以上の歳月を顧みた時、その感動が「秋澄みぬ」という言葉を生んだ。
胸元に海風を入れ涼新た
 隠岐の風を存分に受け止め、この地に生きる喜びと覚悟を作者の姿に重ね合わせて見ることができる。

散髪をして二学期の顔となる  清水 純子

 散髪をすることは特別なことではないが「二学期の顔となる」としたことで特別な作品となった。新学期に備えての身だしなみはもとより、夏休みに終止符を打ったということである。その姿を見守る家族の温かい視線も見え爽やかな作品である。

薔薇好きの子に薔薇の束供へけり  加茂川かつ

 「供へけり」まで読み下して始めてこの一句の重みを知ることとなる。「薔薇の束」は一般的にはプレゼントやお祝いに使われることが多い。この日は子供さんの命日だったのだろうか。作者は九十一歳である。母親が子供を思う気持はいつ迄経っても変わらない。表現はいたって簡潔であるが内容は奥深い。

精霊舟土産たくさん積みこみし  吉原絵美子

 お盆の行事のやり方は土地によってさまざまである。掲句は唐津市のやり方であろうか注目すべきところは中七にある。この世でお盆を過ごした霊にせめて好きだったものをたくさん持たせてあげようというのである。平明な表現の奥には死者への深い思いが垣間見える。

揚舟に夜干しの梅の匂ひけり  安食 孝洋

 家庭で梅を干す風景といえば大き目の平たい笊か、茣蓙の上に並べ庭先に置くというのが一般的であろう。それを三日三晩することによりおいしく出来上がる。掲句はその場所が「揚舟」だという。空には星がきれいに瞬いている。波音と夜風に混り、干されている梅の匂いに気がついたのである。平凡な季語も場所が変わることにより新しい風を感じさせてくれる。

虹を見し少年ペダル軽く漕ぐ  沼澤 敏美

 どこに居ても偶然虹に出合った時の喜びは大きい。作者と少年は少し離れた所で一つの虹を見た。「ペダル軽く漕ぐ」の表現は瞬間的に少年の心の内に変化があったことを察したからである。そこには夢多き少年へのやさしいまなざしがある。

秋の虹赤子にしかと蒙古斑  高田 茂子

 蒙古斑は赤ちゃんのおしりから背中にかけて見られる青色の斑紋。その大きさや濃さは色々で成長するに従い消えてしまう。作者はそんなつかみ所のないものをしっかり掴み十七文字に仕上げた。「秋の虹」との取り合せも絶妙でありここで説明する余地は全くない。

サイダーの暴れまはつて喉通る  野崎 京子

 作者はその時の実感を素直に表現したことにより一句を成した。今私は始めてサイダーを飲んだ日のことを思い出して頷いている。今後も「サイダー」を飲むたびにこの句を思い出すことであろう。

声援の母の日傘の揺れやまず  大河内ひろし

 「声援」とは明らかに声を出して助勢することである。この景はきっとグラウンドであろう。作者にとって何の競技であるかはどうでもよい。既に視線は揺れやまぬ「日傘」に集中している。下五にこの母のエネルギーの全てが表現されている。競技を見に行っても作者は俳句を忘れていなかった。


    その他触れたかった秀句     
送り火や遠くで電話鳴つてをり
節穴の多き駄屋の戸秋日濃し
夕霧に溶けてしまひし川漁師
リハビリの杖の鈴鳴る今朝の秋
終戦日卒寿を過ぎてよく語り
秒針の大きく響く夜なべかな
蝉時雨大き胼胝ある木地師の手
大花火一湾浮かせ果てにけり
林檎剥く赤きリボンを解くごと
高塀の忍びがへしや秋の風
新刊書高く積まれて秋に入る
ていねいに鎌研ぐ夫や蝉時雨
一の字に皿に乗つたる秋刀魚かな
籾殻を持ちあげてゐる貝割菜
忘れゐし二百十日の日記閉づ
塩野 昌治
溝西 澄恵
佐藤  勲
松本 光子
増田 尚三
竹内 芳子
鈴木 利久
福間 正子
難波紀久子
森田 陽子
三原 白鴉
多久田豊子
桜井 泰子
川本すみ江
古田キヌエ

禁無断転載