最終更新日(Update)'14.03.01

白魚火 平成26年3月号 抜粋

 
(通巻第703号)
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 3月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    清水 和子  
「花茶の香」(近詠) 仁尾正文
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
小林布佐子 、石川寿樹  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
鳥雲逍遥  青木華都子
句会報 飯田白魚火かざこし俳句会  北原みどり
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          中村國司、荒井孝子 ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(浜 松) 清 水 和 子    


花見の日手帳に残し逝きにけり  横田じゅんこ
(鳥雲集 平成二十五年五月号)
 
 楽しみにしていた花見も叶わず逝ってしまわれたご主人。「今年はあの公園へ出かけましょうか」などと話し合い、作者も同行されるはずだったお花見。思いもかけないことになり、動顚しながらもてきぱきとその日に為すべきことを為し、次第に落ち着かれていく様子が連作の句からうかがえます。そして最後の句、
  私から逢ひに行きます春帽子  じゅんこ
 じゅんこさんらしく詠まれていてこちらもホッとします。
 どうかご主人様、急いで呼びに来ないでくださいね。きっと待ちくたびれた頃にゆっくりと出かけて行かれることと思います。

二番目に好きと云はれて卒園す  上野 米美
(白光集 平成二十五年五月号)

 「一番好き」と言われなくて少しがっかりした時「二番目に好き」と言われ、素直に喜んでいるかわいい姿が目に浮びます。一番でも二番でも「好き」と言われたことだけが心に響いていることでしょう。一番と二番の違いの重さを知るにはまだまだ時間がかかりそうですね。これから成長していく幼い心を見守りたい気持です。
  子供達の幼かった日々が思い出されます。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 年明くる  安食彰彦
年明くる傘寿にプラス一を足す
名刺受に弟よりも先に置く
破魔矢手に栗饅頭を買ひにけり
破魔矢受く陶工ネクタイ締め直す
とりあへず駄句をつぶやくお元日
江国さんの句集「癌め」を読み初む
野仏の頭雪解けはじまれり
雪解雫庭の木の黙充満し

 初 飛 行  青木華都子
厚氷つついてをりし雀の子
大壺に活けてこぼるる実南天
除夜詣神主さまが案内役
思ひ切りのけ反つて撞く除夜の鐘
除夜の鐘余韻男体山にまで
仏頭に雪うつすらと積りたる
ヘリコプター編隊を組み初飛行
初飛行男体山をすれすれに

 鳥  声  白岩敏秀
十二月海を見てゐる八日かな
夜の障子機織る影の動きけり
青空のかたさたんぽぽ返り咲く
大根引く貸農園の夕明り
鳥声の入れ替りけり枇杷の花
甘樫の丘の夕暮れ冬ざくら
冬至の日のせて花屋の花赤し
退院の空晴朗に水仙花

 万 歩 計  坂本タカ女 
昨夜に見し月残りをり霜柱
雪に抜く大根雪に土こぼす
冬の鯉噴水あげてありにけり
雪腰かけてゐる公園のベンチかな
山眠る万歩知らざる万歩計
冬帽とるをとこ手櫛を入念に
コート脱ぐとりし電話のすぐ切れし
煤掃きの扉ミシンにつかへたる

 敷 松 葉  鈴木三都夫
無患子の落葉を急かす風の音
霊山の一水縷々と冬に入る
沢の水水車を止めて涸れにけり
短日の雨戸を閉ざす峠茶屋
既にして枝賑ははす辛夷の芽
趣の庭に適ひし敷松葉
日を恋うて花びら解く冬薔薇
杉戸絵の寺格の鶴も褪せたれど
 年 迎 ふ  山根仙花
海の音ある日なき日や大根干す
足弱の妻と踏みゆく落葉道
暮れ早し追はるる如く急ぎけり
行くあてもなく着ぶくれてゐたりけり
窓拭いて家輝かす十二月
大欠伸して冬至湯に遊びけり
数へ日の何時もどこかで救急車
散らかりし机上そのまま年迎ふ

 絵 蝋 燭  小浜史都女
天山に雲をあづけて冬落暉
帰省子の加はりメリークリスマス
柚子風呂に力瘤なき腕のばす
絵蝋燭ともして年を惜しみけり
文机に膝深く入れ賀状書く
一度だけ撞きしことある除夜の鐘
灯火はいたはりのいろ去年今年
初雀とて好きな木と嫌ひな木

 凪 の 江  小林梨花
真向ひの山晴々と初日影
初凪や背戸に小鳥のちちと鳴く
早や三日過ぎて夫との二人の餉
砂浜に黒く残れるどんど跡
小寒の波止に動かぬ鷺一羽
三方に供へし海苔の塩噴ける
凪の江の薄紫に残る鴨
淡雪に髪を濡して港町

 羽衣の松  鶴見一石子
雪晴の富士をまともに三保の松
羽衣の松の根方の枯れし蔓
千本の三保の松原敷松葉
雪襞のかくも美しきや男富士
羽衣の浜応々と冬の雁
晩節を生き抜く力雪の富士
安倍川の流れたゆたふ冬の色
磯節の涛白く立ち初日出づ

 初日の出  渡邉春枝
かざす手の形それぞれに初日の出
行間に面ざしみゆる初便り
数の子の一粒づつの音を噛む
喜寿と言ふ齢うべなふ初鏡
初夢のうしろ姿の夫を呼ぶ
三が日娘一家のにぎにぎし
北窓を塞ぎ素顔のままの日々
煮返しの魚の匂ふ冬ごもり


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 年詰まる  池田都瑠女
冬天に深呼吸して脱稿す
皇帝ダリアの青める花に雪催ひ
病癒えし友の電話や冬うらら
咳神に小さき輪飾団地口
柱時計うから見まもり年詰まる
バス降りて歩く五百歩寒の入

 初 景 色  大石ひろ女
年忘れ無口な人の隠し芸
ふるさとの山又山の初景色
子に配る守り袋や今朝の春
初詣水琴窟に耳寄する
日のひかり蔵に届きて竜の玉
常のごと時の流るる三日かな

 葱 囲 ふ  森山暢子
十夜僧塩辛ごゑをしてゐたり
人にみな還らざる日々葱囲ふ
炉話や国司の恋をひとくさり
溝蓋を踏む音のして寒夜かな
湖昏るる遠くの鴨の遠きまま
富士を見に御出でなされと賀状かな

 去年今年  柴山要作
街川の橋も電飾十二月
己が背に嘴を突きさし鴨眠る
霜の花牛の乳房の温きかな
枯野行く二つの影にある齢
半畳みのクレーン空に去年今年
大神の黒き杉の秀初茜

 冬  耕  西村松子
牛小屋の牛と目の合ふ時雨かな
綿虫を城の鬼門に見失ふ
とんがつて寒さ来てゐる歩道橋
畦に火を育ててひとり冬耕す
板前の白長靴も十二月
聖樹点滅松葉杖つく少年に

 初 東 雲  久家希世
ほのぼのと初東雲や大河口
雲染めつ湖面を染めつ初日の出
粲さんと吉兆幡立つ三ヶ日
波滾るままに水鳥見え隠れ
日矢へ首ぐぐと伸ばすや鶴親子
潜る鳥潜らぬ水鳥湖の面
 
 初  雀  篠原庄治
鴨降りて少し華やぐ山の湖
藁衣着せて囲へり冬野菜
晦日蕎麦仕上げ厨の灯をおとす
神の庭真砂に弾む初雀
貼ればすぐ温もる懐炉神詣
頑に守る家例や鳥総松 

 虎 落 笛  竹元抽彩
野は枯れて梵鐘の音透き通る
着膨れて膝の重さをもて余す
撫で牛をなづれば黒き寒気かな
朝な朝な吐く息白し登校児
五線譜を高く奏づる虎落笛
白魚火誌七百号で年終る

 井伊谷宮  福田 勇
お歳暮に泥付くままの薯送る
忘年会果てて北斗の星仰ぐ
地下足袋を一つ潰せり十二月
青刈りの藁で注連縄作りけり
初富士や尉と姥との軸を掛け
宗良の井伊谷宮に初詣

 冬 の 朝  荒木千都江
夕されば真つ直ぐに来る寒さかな
冬雲の重たき影を肩に受く
落葉踏む音に温みのありにけり
師走くる朝の紅茶のにがみかな
雨粒の一つ一つや冬芽たつ
雲のなき残月きらり冬の朝

 霜  夜  大村泰子
叩くほど匂ひの増せる今年藁
前掛けの男結びや根深汁
釘打つて小箒吊るす霜夜かな
短日や二度拭きしたる夫の部屋
手の平に受く綿虫の息づけり
神保町のあたりぶらつく年の暮

 落葉焚く  小川惠子
神苑の静けさを掃き落葉焚く
驚かすつもりなき鴨おどろかす
まだ燃ゆる色を留むる冬薔薇
筑波嶺の裾の端山の初茜
万歩計ゼロに戻して年迎ふ
失せし物こんなところに初箒


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 小林 布佐子

お降りの吹雪となれり大鳥居
破魔矢売る漢三人コップ酒
初日記三行といふ平和かな
初鏡わが新しき割烹着
寒雲の埋め尽すなりオホーツク


 石川 寿樹

紅葉散る山路に消えし郵便夫
積雪を告ぐる山より下りてきて
冬の蜘蛛ぽとりと落ちて膝の上
枯葦の癖のつきたる隠れ沼
荒海に清めし注縄の雫かな



白光秀句
白岩敏秀


初日記三行といふ平和かな  小林布佐子

 平和-①やすらかにやわらぐこと。おだやかで変りないこと。②戦争がなくて世が安穏であること。辞書は平和をこのように説明している。いつもの手順で変りなく営まれて毎日の生活。それが辞書の①にいう平和であり、この句の平和である。
 一日のなかで起こるさざ波のような小さな出来事は、さらりと呑み込んでしまうおおらかさ。何事もなく三行で書き終わった日記が家族の新しい年を寿いでいるようである。
  初鏡わが新しき割烹着
 きりっと身の締まる思いのする句である。初鏡に映す真っ新な割烹着の姿。今日が昨日と違う一日であることを示し、作者の新しい決意のありどころを示している。
 作者の思いを「もの」を通した表現した一句である。

荒海に清めし注連の雫かな  石川 寿樹

 注連縄のシメは占めるの意で、神聖な場所を区切ったり、不浄の侵入を防ぐしるしである。天照大神が天の岩戸より出たとき『即ち布刀玉命、尻くめ縄をその御後方に控き度して白言さく、「これより内に得還り入りまじ」とまをしき』(古事記 次田昌幸訳 講談社学術文庫)。この後方に張った尻くめ縄が注連縄の始まりという。
 精進潔斎した男達が荒海で清めた注連縄。注連縄からしたたり落ちる雫さえ尊いものに感じられる。日本には古来から守り継がれてきた格式ある伝統が数々ある。この注連縄の行事もその一つ。神様にも人間にも新しい年が始まる。

ふる里の山に一礼年迎ふ  山本 康恵

 石川啄木は「ふるさとの山に向かひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな」と『一握の砂』で詠った。
 自分を育て、今の自分をあらしめているふる里である。ただ黙って向き合っているだけで十分。自ずと湧き上がってくる感謝の念が深い一礼をさせる。
 ふる里を愛し、ふる里からも愛されて、作者が迎えた新しい年である。

神々を送りしあとの小春かな  牧野 邦子

 神々が出雲での一ヶ月の会議を終えて、もとの神社お戻りなるのが十一月一日。出雲ではその前に神々を送る「神等去出祭」が行われる。神々は十月十七日に出雲大社を、二十六日には出雲国を後にすると言われている。
 神々が去ったあとにやってきた出雲の小春日。神奈備山も宍道湖も明るい日差しに包まれている。それは神々が数多くの良縁を結んだ明るいしるしのようでもある。

大根の味も夫婦の月日かな  山田 春子

 大根の味付けは難しい。辛い甘い、固い柔らかい…等々。時計の振り子が大きく左右に揺れるようなものである。
 この句の大根の味には微塵の揺れもない。とは言え、ここに至るまでの夫婦の月日。お互いがお互いに同化してしていった貴重な時間がある。来し方の夫婦の月日を、両手でそっと包み込んだような慈しみのある句である。

正月をして出稼に行くと言ふ  三関ソノ江

 他人に囲まれての一年間の仕事は厳しかったものに違いない。家族との再会を思って耐えた一年でもあったろう。しかし、今は家族や故郷の皆に囲まれて楽しく過ごしている。
 正月が終わればまた出稼ぎ。「行くと言ふ」と一人言のような表現に家族や故郷と別かれる淋しさが垣間見られる。

睨みたる猫を罵り漱石忌  重岡  愛

 漱石忌は十二月九日。夏目漱石の『わが輩は猫である』が念頭にあるだろう。それにしても、睨んだ猫を罵ったとは誠に元気。
 気持ちのよい日向ぼこの邪魔者を追い払うつもりの睨みが、逆に罵り返されて猫も驚いたことだろう。漱石先生や苦沙弥先生も泉下で驚いているに違いない。

豊原会の復刻版読む開戦日  加藤 数子

 豊原は「日本領有時代の南樺太(からふと)南東部の地名。樺太庁の所在地であった。第二次世界大戦後、樺太(サハリン)のソ連領有に伴い、ユジノサハリンスクと改称」(精選版日本国語大辞典)。
 豊原会の復刻版とは日本領有時代を綴った本なのであろう。重たい意味をもつ季語「開戦日」である。


    その他の感銘句
冬菊の白が支ふる一間あり
男体山の白きにとんで初鴉
マネキンの顔のつるりと寒に入る
縁側は午後の日溜り賀状書く
書き出しのインクの滲む霜夜かな
三日早や昆布巻の帯ゆるくなる
一樽は母へ大根漬けにけり
寒禽の声の降り来る父祖の墓
冷蔵庫ぴかぴかにして十二月
初時雨三国連山けぶらせて
十二月八日の朝日上りけり
指先に陽の当りたる毛糸編み
空つ風風紋いつも生きてゐる
上州の風に乗りきり凧揚がる
短日や拇印で済ます承諾書

宮澤  薫
高島 文江
阿部芙美子
陶山 京子
小村 絹代
田久保峰香
斎藤 文子
中村美奈子
今泉 早知
宮崎鳳仙花
太田尾利恵
金原 敬子
加茂川かつ
岩崎 昌子
大山 清笑


鳥雲逍遥(2月号より)
青木華都子

亀石を囲む玉砂利冬ざるる
日を受けて色失ひし返り花
山茶花の塀が目印母の里
切株の千年の渦紅葉寺
冬はじめ路地の出口のキムチ店
佐久産の寒鯉捌く手並かな
土いろに馴染む刈株冬深し
束の間の日差しの中の冬桜
大杉の霊気頂く冬の霧
父母にはさまれ歩く七五三
出店早や畳みはじめし紅葉山
雪雲の息苦しき程低くなり
吊橋の一歩をそつと冬紅葉
手を浸す十月の湖透明に
五つ六つ枝ごと貰ふ柿重し
石仏に己が仏心石蕗の花
沈黙も対話のひとつおでん酒
根菜を黒く煮染むる桃青忌
猪垣に戸板一枚足してをり
雪催紙の捩りの戻る音

富田 郁子
桧林ひろ子
武永 江邨
関口都亦絵
寺澤 朝子
野口 一秋
福村ミサ子
松田千世子
三島 玉絵
織田美智子
笠原 沢江
金田野歩女
上村  均
加茂都紀女
星田 一草
奥田  積
池田都瑠女
大石ひろ女
森山 暢子
桐谷 綾子



白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

 鹿 沼  中村 國司

大鬼怒の空を回して冬の鳶
八方の嶺はむらさき冬菜畑
連山に朝日農家の屋根に霜
口開けて暫くそこに冬の鯉
団栗の落ちて鼓の響きせり

 
 群 馬  荒井 孝子

手の届く距離に物あり冬座敷
算盤の方が正確事務始
三代を担ふ商家の松飾
門礼のおん僧に香のほのとあり
吹越の中へ僧衣の翻り



白魚火秀句
仁尾正文

 団栗の落ちて鼓の響きせり  中村 國司

 一物仕立ての客観写生であるが「鼓の響きせり」の飛躍が秀れている。客観写生には溢れる主観が必要である。ただ、その主観を述べても作者の心は読み手に伝わらないので、具象的に、具体的な手法を取る。掲句は、それが一歩突き抜けて「鼓の響き」という切れ味の鋭いポエムとなった。虚飾の俳句は駄目だが、純粋な一句であることを評価した。
 なお、一月号巻頭の「大文字山から秋の時雨かな 高島文江」のふりがなは選者の誤り。「だいもんじやま」でなければならない。大文字山は「如意ヶ岳」この西方で盆送りの大文字が焚かれる。

吹越の中へ僧衣の翻り  荒井 孝子

 群馬県吾妻地区の作家は「吹越」を詠め、秀句が沢山出来ると八戸の「えんぶり」の如く歳時記に採録されるようになると呼びかけて来た。会員の篠原酔生君が熱心に取り組んできた時期もあって平成二十年刊の『角川 俳句大歳時記』に風花の副季題として録された。三国山脈を越えて越後から来る雪は粒も大きく勢いもあり東海地区のような軽々としたものではないが、加藤秋邨の「吹越に大きな耳の兎かな」句集『吹越』が一躍吹越の名を全国区にした。「吹越に翔ぶや風の子川烏 堀口星眠」もあるが、吾妻の作家は荒々しい吹越をもっともっと強く詠める筈だ。
 掲句の、本腰を入れてこれに取り組んでいる作者にエールを送る。

手の平の覚えてゐたり手毬唄  渡部 幸子

 幼い頃から乗りこなしていた自転車を二十年ぶりに乗ってみると体が覚えていてうまく走れたというような経験は誰にもあることだろう。何十年ぶりで手毬をつくと手の平の感触だけでなく手毬唄の歌詞も覚え一節を唄いこなしたのである。今、白魚火集投句の最高齢は九十四歳の上武峰雪氏である。若い時から俳句を始めた氏は語彙の豊富なことは社中の十指の中に入る。手毬唄と同じように氏も覚えていた言葉が流れるように出てくるのでなかろうか。

十二月八日新聞束ねけり  池谷 貴彦

 十二月八日を知らぬ世代が国民の殆んどになっているが、太平洋戦争の始まった日を知っている人には「新聞束ねけり」と取りあわされると深い感慨を覚える。軍民合せて何百万の命と莫大な焦土を残して敗戦した。それが復興して現在の日本がある。「新聞束ねけり」は現在の安定した日本の象徴だ。
 なお「十二月八日」の副季語に「開戦日」があるのは如何なものか。「太平洋戦争開戦日」とすべきで第一次世界大戦の開戦日は七月。

お年玉二重瞼の子供達  金原 敬子

 内孫外孫が揃う正月にお年玉をやるのは祖母の楽しみだ。だから句も千篇一律で採れる句は無いといえる。だが、この句の「二重瞼の子供達」と視点を少し変えたので新鮮に思えた。選者が大抵採らない言葉を二、三挙げると「はしやぐ」「見え隠れ」「過疎」「街薄暑」

元旦の遺影に見する七百号  荒木 悦子

 極めて私的な句で社内外でも分らぬ者が多いと思うが古川先生、松浦村風、北浜句会の方々に感謝して敢えて鑑賞する。この句の遺影は松浦村風。セメントの副原料の石膏生産量日本一であった平田市の鰐淵鉱山は原油精製の折の硫化物除去のとき生じる化学石膏が(産業廃棄物であったので)天然石膏鉱山は全滅した。その中で村風一人が「坑道句会」を守り古川先生、北浜句会が応援して呉れて「坑道北浜句会」は島根県一の大句会に発展している。「七百号」も不十分であるが白魚火創刊七百号である。これを村風の仏前に広げて見せたのである。句会を生みっ放しにして来た選者は、うるうるしながらこの句を見た。

飯としか言はない夫の十二月  鈴木 敦子

 無口の上亭主関白の夫であろう。だが経営能力はよく、十二月であろうと二月三月であろうと平気のようだ。「夫の十二月」はあわただしさを少しも感じさせない。

まだ届く母の名宛の年賀状  本杉智保子

 二月号で批判した「妣」「妣」のように字画で意味を分らせようとする演歌流の語訳は俳句では通じない。この句のように詠めば何の無理もなく母は詠めるのである。母も家も土地の郵便屋さんにはよく知られていて母の人柄さえ出ているのである。


    その他触れたかった秀句     
初雀八つ岳の光の届く畦
枇杷の花親しき友は背戸より来
卒業の記念樹冬芽おびただし
引出しの奥に犬棒かるたかな
湯豆腐や微恙はあれど永らへて
山眠るけふも正しき腹時計
背中丸めて担ぎ出す畳替
ことことと豆煮る音や掃納
数へ日やどうして歯など痛くなる
ちよこちよこと近づいてくる冬帽子
葉の落ちし谷の深さをのぞき見る
北風吹いて立往生の電車かな
駅伝は平塚辺り日脚伸ぶ
遮断機のへの字に上がる年の暮
海鳴りの音を間近かに野水仙
代はる代はる中途半端の初電話
宮澤  薫
早川 俊久
石川 寿樹
加茂川かつ
岡田 暮煙
内田 景子
金原 恵子
坂田 吉康
山田 春子
山羽 法子
福田 とみ
榛葉 君江
小野寺七十六
久保美津女
高木美也子
井上 科子

禁無断転載