最終更新日(Update)'14.03.01 | |||||||||||||||
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季節の一句 清水 和子 |
「花茶の香」(近詠) 仁尾正文 |
曙集・鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか |
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載) 小林布佐子 、石川寿樹 ほか |
白光秀句 白岩敏秀 |
鳥雲逍遥 青木華都子 |
句会報 飯田白魚火かざこし俳句会 北原みどり |
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載) 中村國司、荒井孝子 ほか |
白魚火秀句 仁尾正文 |
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季節の一句 |
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(浜 松) 清 水 和 子 |
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花見の日手帳に残し逝きにけり 横田じゅんこ |
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曙 集 | |
〔無鑑査同人 作品〕 | |
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年明くる 安食彰彦 年明くる傘寿にプラス一を足す 名刺受に弟よりも先に置く 破魔矢手に栗饅頭を買ひにけり 破魔矢受く陶工ネクタイ締め直す とりあへず駄句をつぶやくお元日 江国さんの句集「癌め」を読み初む 野仏の頭雪解けはじまれり 雪解雫庭の木の黙充満し 初 飛 行 青木華都子 厚氷つついてをりし雀の子 大壺に活けてこぼるる実南天 除夜詣神主さまが案内役 思ひ切りのけ反つて撞く除夜の鐘 除夜の鐘余韻男体山にまで 仏頭に雪うつすらと積りたる ヘリコプター編隊を組み初飛行 初飛行男体山をすれすれに 鳥 声 白岩敏秀 十二月海を見てゐる八日かな 夜の障子機織る影の動きけり 青空のかたさたんぽぽ返り咲く 大根引く貸農園の夕明り 鳥声の入れ替りけり枇杷の花 甘樫の丘の夕暮れ冬ざくら 冬至の日のせて花屋の花赤し 退院の空晴朗に水仙花 万 歩 計 坂本タカ女 昨夜に見し月残りをり霜柱 雪に抜く大根雪に土こぼす 冬の鯉噴水あげてありにけり 雪腰かけてゐる公園のベンチかな 山眠る万歩知らざる万歩計 冬帽とるをとこ手櫛を入念に コート脱ぐとりし電話のすぐ切れし 煤掃きの扉ミシンにつかへたる 敷 松 葉 鈴木三都夫 無患子の落葉を急かす風の音 霊山の一水縷々と冬に入る 沢の水水車を止めて涸れにけり 短日の雨戸を閉ざす峠茶屋 既にして枝賑ははす辛夷の芽 趣の庭に適ひし敷松葉 日を恋うて花びら解く冬薔薇 杉戸絵の寺格の鶴も褪せたれど |
年 迎 ふ 山根仙花 海の音ある日なき日や大根干す 足弱の妻と踏みゆく落葉道 暮れ早し追はるる如く急ぎけり 行くあてもなく着ぶくれてゐたりけり 窓拭いて家輝かす十二月 大欠伸して冬至湯に遊びけり 数へ日の何時もどこかで救急車 散らかりし机上そのまま年迎ふ 絵 蝋 燭 小浜史都女 天山に雲をあづけて冬落暉 帰省子の加はりメリークリスマス 柚子風呂に力瘤なき腕のばす 絵蝋燭ともして年を惜しみけり 文机に膝深く入れ賀状書く 一度だけ撞きしことある除夜の鐘 灯火はいたはりのいろ去年今年 初雀とて好きな木と嫌ひな木 凪 の 江 小林梨花 真向ひの山晴々と初日影 初凪や背戸に小鳥のちちと鳴く 早や三日過ぎて夫との二人の餉 砂浜に黒く残れるどんど跡 小寒の波止に動かぬ鷺一羽 三方に供へし海苔の塩噴ける 凪の江の薄紫に残る鴨 淡雪に髪を濡して港町 羽衣の松 鶴見一石子 雪晴の富士をまともに三保の松 羽衣の松の根方の枯れし蔓 千本の三保の松原敷松葉 雪襞のかくも美しきや男富士 羽衣の浜応々と冬の雁 晩節を生き抜く力雪の富士 安倍川の流れたゆたふ冬の色 磯節の涛白く立ち初日出づ 初日の出 渡邉春枝 かざす手の形それぞれに初日の出 行間に面ざしみゆる初便り 数の子の一粒づつの音を噛む 喜寿と言ふ齢うべなふ初鏡 初夢のうしろ姿の夫を呼ぶ 三が日娘一家のにぎにぎし 北窓を塞ぎ素顔のままの日々 煮返しの魚の匂ふ冬ごもり |
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鳥雲集 | |
一部のみ。 順次掲載 | |
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年詰まる 池田都瑠女 冬天に深呼吸して脱稿す 皇帝ダリアの青める花に雪催ひ 病癒えし友の電話や冬うらら 咳神に小さき輪飾団地口 柱時計うから見まもり年詰まる バス降りて歩く五百歩寒の入 初 景 色 大石ひろ女 年忘れ無口な人の隠し芸 ふるさとの山又山の初景色 子に配る守り袋や今朝の春 初詣水琴窟に耳寄する 日のひかり蔵に届きて竜の玉 常のごと時の流るる三日かな 葱 囲 ふ 森山暢子 十夜僧塩辛ごゑをしてゐたり 人にみな還らざる日々葱囲ふ 炉話や国司の恋をひとくさり 溝蓋を踏む音のして寒夜かな 湖昏るる遠くの鴨の遠きまま 富士を見に御出でなされと賀状かな 去年今年 柴山要作 街川の橋も電飾十二月 己が背に嘴を突きさし鴨眠る 霜の花牛の乳房の温きかな 枯野行く二つの影にある齢 半畳みのクレーン空に去年今年 大神の黒き杉の秀初茜 冬 耕 西村松子 牛小屋の牛と目の合ふ時雨かな 綿虫を城の鬼門に見失ふ とんがつて寒さ来てゐる歩道橋 畦に火を育ててひとり冬耕す 板前の白長靴も十二月 聖樹点滅松葉杖つく少年に 初 東 雲 久家希世 ほのぼのと初東雲や大河口 雲染めつ湖面を染めつ初日の出 粲さんと吉兆幡立つ三ヶ日 波滾るままに水鳥見え隠れ 日矢へ首ぐぐと伸ばすや鶴親子 潜る鳥潜らぬ水鳥湖の面 |
初 雀 篠原庄治 鴨降りて少し華やぐ山の湖 藁衣着せて囲へり冬野菜 晦日蕎麦仕上げ厨の灯をおとす 神の庭真砂に弾む初雀 貼ればすぐ温もる懐炉神詣 頑に守る家例や鳥総松 虎 落 笛 竹元抽彩 野は枯れて梵鐘の音透き通る 着膨れて膝の重さをもて余す 撫で牛をなづれば黒き寒気かな 朝な朝な吐く息白し登校児 五線譜を高く奏づる虎落笛 白魚火誌七百号で年終る 井伊谷宮 福田 勇 お歳暮に泥付くままの薯送る 忘年会果てて北斗の星仰ぐ 地下足袋を一つ潰せり十二月 青刈りの藁で注連縄作りけり 初富士や尉と姥との軸を掛け 宗良の井伊谷宮に初詣 冬 の 朝 荒木千都江 夕されば真つ直ぐに来る寒さかな 冬雲の重たき影を肩に受く 落葉踏む音に温みのありにけり 師走くる朝の紅茶のにがみかな 雨粒の一つ一つや冬芽たつ 雲のなき残月きらり冬の朝 霜 夜 大村泰子 叩くほど匂ひの増せる今年藁 前掛けの男結びや根深汁 釘打つて小箒吊るす霜夜かな 短日や二度拭きしたる夫の部屋 手の平に受く綿虫の息づけり 神保町のあたりぶらつく年の暮 落葉焚く 小川惠子 神苑の静けさを掃き落葉焚く 驚かすつもりなき鴨おどろかす まだ燃ゆる色を留むる冬薔薇 筑波嶺の裾の端山の初茜 万歩計ゼロに戻して年迎ふ 失せし物こんなところに初箒 |
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白光集 | ||
〔同人作品〕 巻頭句 | ||
白岩敏秀選 | ||
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小林 布佐子 お降りの吹雪となれり大鳥居 石川 寿樹 紅葉散る山路に消えし郵便夫 |
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冬菊の白が支ふる一間あり 男体山の白きにとんで初鴉 マネキンの顔のつるりと寒に入る 縁側は午後の日溜り賀状書く 書き出しのインクの滲む霜夜かな 三日早や昆布巻の帯ゆるくなる 一樽は母へ大根漬けにけり 寒禽の声の降り来る父祖の墓 冷蔵庫ぴかぴかにして十二月 初時雨三国連山けぶらせて 十二月八日の朝日上りけり 指先に陽の当りたる毛糸編み 空つ風風紋いつも生きてゐる 上州の風に乗りきり凧揚がる 短日や拇印で済ます承諾書 |
宮澤 薫 高島 文江 阿部芙美子 陶山 京子 小村 絹代 田久保峰香 斎藤 文子 中村美奈子 今泉 早知 宮崎鳳仙花 太田尾利恵 金原 敬子 加茂川かつ 岩崎 昌子 大山 清笑 |
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鳥雲逍遥(2月号より) |
青木華都子 |
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亀石を囲む玉砂利冬ざるる |
富田 郁子 |
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白魚火集 |
〔同人・会員作品〕 巻頭句 |
仁尾正文選 |
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鹿 沼 中村 國司
大鬼怒の空を回して冬の鳶 群 馬 荒井 孝子 手の届く距離に物あり冬座敷 |
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白魚火秀句 |
仁尾正文 |
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団栗の落ちて鼓の響きせり 中村 國司 一物仕立ての客観写生であるが「鼓の響きせり」の飛躍が秀れている。客観写生には溢れる主観が必要である。ただ、その主観を述べても作者の心は読み手に伝わらないので、具象的に、具体的な手法を取る。掲句は、それが一歩突き抜けて「鼓の響き」という切れ味の鋭いポエムとなった。虚飾の俳句は駄目だが、純粋な一句であることを評価した。 吹越の中へ僧衣の翻り 荒井 孝子 群馬県吾妻地区の作家は「吹越」を詠め、秀句が沢山出来ると八戸の「えんぶり」の如く歳時記に採録されるようになると呼びかけて来た。会員の篠原酔生君が熱心に取り組んできた時期もあって平成二十年刊の『角川 俳句大歳時記』に風花の副季題として録された。三国山脈を越えて越後から来る雪は粒も大きく勢いもあり東海地区のような軽々としたものではないが、加藤秋邨の「吹越に大きな耳の兎かな」句集『吹越』が一躍吹越の名を全国区にした。「吹越に翔ぶや風の子川烏 堀口星眠」もあるが、吾妻の作家は荒々しい吹越をもっともっと強く詠める筈だ。 手の平の覚えてゐたり手毬唄 渡部 幸子 幼い頃から乗りこなしていた自転車を二十年ぶりに乗ってみると体が覚えていてうまく走れたというような経験は誰にもあることだろう。何十年ぶりで手毬をつくと手の平の感触だけでなく手毬唄の歌詞も覚え一節を唄いこなしたのである。今、白魚火集投句の最高齢は九十四歳の上武峰雪氏である。若い時から俳句を始めた氏は語彙の豊富なことは社中の十指の中に入る。手毬唄と同じように氏も覚えていた言葉が流れるように出てくるのでなかろうか。 十二月八日新聞束ねけり 池谷 貴彦 十二月八日を知らぬ世代が国民の殆んどになっているが、太平洋戦争の始まった日を知っている人には「新聞束ねけり」と取りあわされると深い感慨を覚える。軍民合せて何百万の命と莫大な焦土を残して敗戦した。それが復興して現在の日本がある。「新聞束ねけり」は現在の安定した日本の象徴だ。 お年玉二重瞼の子供達 金原 敬子 内孫外孫が揃う正月にお年玉をやるのは祖母の楽しみだ。だから句も千篇一律で採れる句は無いといえる。だが、この句の「二重瞼の子供達」と視点を少し変えたので新鮮に思えた。選者が大抵採らない言葉を二、三挙げると「はしやぐ」「見え隠れ」「過疎」「街薄暑」 元旦の遺影に見する七百号 荒木 悦子 極めて私的な句で社内外でも分らぬ者が多いと思うが古川先生、松浦村風、北浜句会の方々に感謝して敢えて鑑賞する。この句の遺影は松浦村風。セメントの副原料の石膏生産量日本一であった平田市の鰐淵鉱山は原油精製の折の硫化物除去のとき生じる化学石膏が(産業廃棄物であったので)天然石膏鉱山は全滅した。その中で村風一人が「坑道句会」を守り古川先生、北浜句会が応援して呉れて「坑道北浜句会」は島根県一の大句会に発展している。「七百号」も不十分であるが白魚火創刊七百号である。これを村風の仏前に広げて見せたのである。句会を生みっ放しにして来た選者は、うるうるしながらこの句を見た。 飯としか言はない夫の十二月 鈴木 敦子 無口の上亭主関白の夫であろう。だが経営能力はよく、十二月であろうと二月三月であろうと平気のようだ。「夫の十二月」はあわただしさを少しも感じさせない。 まだ届く母の名宛の年賀状 本杉智保子 二月号で批判した「妣」「妣」のように字画で意味を分らせようとする演歌流の語訳は俳句では通じない。この句のように詠めば何の無理もなく母は詠めるのである。母も家も土地の郵便屋さんにはよく知られていて母の人柄さえ出ているのである。 |
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