最終更新日(Update)'10.05.30

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第658号)
H22.1月号へ
H22.2月号へ
H22.3月号へ
H22.4月号へ
H22.5月号へ


3月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    竹元抽彩
「花の雲」(近詠) 仁尾正文  
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
   檜林弘一、栗田幸雄  ほか    
平成二十二年度  第十七回「みづうみ賞」発表
白光秀句  白岩敏秀
句 会 報  栃木白魚火鹿沼いまたか句会
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          大石益江、渡辺晴峰 ほか
白魚火秀句 仁尾正文

季節の一句

(松江) 竹元抽彩


抱へ来し洗濯物の薮蚊かな 水鳥川弘宇
(平成二十一年八月号 曙集より)

 蚊は孑の時、水中で育った所為か湿った処を好む。洗濯物を干すと、湿気のあるうちは中に良く潜んでいる。掲句は雨が降り出したのであろう。「洗濯物をお願いね…。」の声に、まだ少し湿りの残る洗濯物を男手で取急ぎ一括抱えて部屋に取り込んだところ、薮蚊が飛び出したのである。掲句から梅雨入りを連想させ、薮蚊の出現から確たる六月を感じさせる。さすがに白魚火を代表する曙作家の「技有り」と言える季節の一句だ。

いつまでも暮れぬ日永の海鼠壁 江見作風
(平成二十一年八月号 白光集より)

 海鼠壁は貼り付材の継ぎ目(目地)に漆喰をかまぼこ形に盛り上げて塗った壁。日本家屋の豪邸や、土蔵などの外壁に用いられ、贅を尽した如く重厚で特に良く目立つ。故にそこだけは暮れないでいる気がする。一年で一番日永な夏至六月、太陽が沈んだ後も暫は暮れ泥む。そして夜の帳を降し、短夜へと移行する。作者はそのことを海鼠壁で具象した。

紫陽花の出迎へうけて寺巡る 黒川美津子
(平成二十一年八月号 白魚火集より)

 梅雨時の花の少ない時期に咲く大輪の紫陽花は殊に目立つ。全国各地には、紫陽花寺と称する処は多い。白魚火全国俳句松江大会(平成二十年)の吟行地「月照寺」もその一つ。紫陽花は梅雨六月を代表する季題の一つではある。作者は横浜市に住む人。紫陽花の名所として有名な鎌倉は隣市である。鎌倉幕府が置れた歴史ある街で、建長寺、円覚寺、長谷寺の名は全国区。そんな寺巡りを楽しんで、羨ましい一句を貰われた。季節がはっきりと感じられる秀句だ。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   


  花 三 分   安食彰彦

菜の花の土手に雨降る景もまた
風をよぶ村のうしろの花菜土手
花三分浦の交番誰れも居ず
赤鳥居並ぶ稲荷や花三分
無惨なや雨朦朧と花三分
義勇の碑崖の桜は三分咲き
携帯電話手からはなさぬ花三分
紅色の馬酔木の花に紅雫


 黄砂降る  青木華都子

酒蔵は女人禁制木々芽吹く
お土産の京菓子どれも春の色
草おぼろ水きらきらと輪王寺
風荒ぶ風が咲かせし山桜
よろづ屋のどれも百円しやぼん玉
日光責めはじまる法螺の音の合図
黄砂降る風速二十二メートル
春惜しむぶ厚き雲を下に見て


 御所の空   白岩敏秀

観梅やよく晴れてゐる御所の空
畑を打つ畝の長さを目に計り
花種を振つて明るき音選ぶ
摘草に飽きし子川を覗きけり
百千鳥雑木林に色の出て
野の花を足して彼岸の墓飾る
春眠の風ほど軽き身となりぬ
すみれ咲き野の花一つ増えにけり


 シクラメン  坂本タカ女

吊橋立入禁止立札鳰
吊橋の狐の置いてゆきし骨
連れのなき鳰の潜りをさみしめり
波郷全集秋櫻子全集シクラメン
音もなく来てゐし手紙二月逝く
居間の灯の及びし雛の金屏風
三月の新顔なりし月忌僧
狛犬の厚き胸板たびら雪


  桜    鈴木三都夫

白木蓮の万灯点す寂光土
花便り秘めし万朶の蕾かな
焦れつたく待ちて見る間の桜かな
咲きそめし花に三日となき日和
山桜借景にして花の宴
花おぼろ両岸に灯の点りたる
春の滝ぴしやぴしやぴしやと落しけり
うぐひすも加へて山の笑ひそむ
  花の茶屋  水鳥川弘宇
甘酒のややぬるめなる花の茶屋
猫二匹あるじのごとし花の茶屋
玄海の雨移り来し花の山
頂上の雨も上りて花盛り
春の旅女ばかりの席にゐて
玄海を侍らせ美しき春の山
道一つへだてし火事の静けさよ
春寒やひと言で済む子の電話

 早 春   山根仙花
早春の空に向ひて歩きけり
早春の影落しゐる大樹かな
咲き満ちし白梅青き翳をもつ
門灯の届きしあたり草おぼろ
路地曲るうしろ姿のおぼろかな
散らかりしままの机上や暮遅し
文机に肘つき永き日と思ふ
砂山の砂ほろほろと夕永し

 卒 業   小浜史都女
二つてふ親しき数や蕗の薹
鷹鳩と化し念入りに顔を剃る
薔薇の香の線香を炷き入彼岸
捨て犬のころころ雀隠れかな
声変りして卒業の答辞読む
小畑に卒業証書見せに来る
茱萸の花日落ちてよりの畑仕事
黄水仙姑といふ字は嫌ひなり

 方丈の軒  小林梨花
大束の供華抱き抱へ彼岸かな
方丈の軒にひらひら干若布
花時の帰路は寄り道回り道
母忌日姉の忌日や桜咲く
純白の花の何処かにある翳り
今は人住まぬ豪邸花杏子
山桜廻り廊下を廻りけり
茶工場の廃れしままや茶の芽吹く

 若さとは  鶴見一石子
九十九里横一列の春の涛
野火放つ勢子野火守る勢子かな
種袋振ればあしたの夢立てり
菠薐草根茎の朱の茹であがる
夜の桜雪洞もよし闇もよし
けふの憂し忘るる桜酒利かず
湯と染めし紺の暖簾や夏隣
若さとは桜吹雪のやうなもの

 竹 の 秋   渡邉春枝
花冷の一歩にゆるき靴の紐
竹秋の日ざしをとどめ連子窓
初花や土間通りぬく頼旧居
竹の秋竹のマリンバ叩きもし
頼山陽歩みし路地や緑立つ
囀りを集めて広き塩屋敷
塩田のありし辺りの陽炎へり
段畑の一鍬ごとに囀れり


鳥雲集
〔上席同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 風 信 子   浅野数方
春の雪母ゐる夢を見て目覚む
ヒヤシンス一族といふ十五人
桃の花銀の匙より離乳食
乱切りの豆腐浮かすや啄木忌
春潮や空おし退けてかき寄せて
春陰や蛇の化石の石仏

 桜 東 風   源 伸枝
啓蟄や貝の化石のうす光り
菜箸の紐のからまる春の雪
縄とびの土打つ音や木の芽風
色糸のもつれをほぐす目借時
豪商の名残りを土間に桜東風
貝寄風や潮のさしくる能舞台

 万 愚 節  横田じゅんこ
滾りたる南部鉄瓶春障子
垣繕ふ縄の結び目生き生きと
縁側の母に春日のたゆたへり
駅長が時計を正す万愚節
花の下大きな楽器運ばるる
帯に合ふ春の日傘を買ひにけり

 大山玲瓏   富田郁子
岩壁に胎貝はりつく波止の昼
大声に栄螺蛤糶られをり
安鱇の悲しきまでの小さき足
保冷車に積み込む鰆・桜鯛
耕人に遠き大山玲瓏と
ゆるさるる朝寝に老を知りにけり

  梅 見 月  橋場きよ
嫁といふ意識うすれし女正月
にほふてふ美しきことばや梅見月
白まぶし飛ぶ初蝶も花嫁も
鶴引くや買ひそびれたる月刊誌
囀の間合ほどよき峠道
春雨といへど激しきひと日かな

 大 朝 寝   桧林ひろ子
灰汁抜きの色旨まさうな蕨かな
風に色あらばむらさき寒あやめ
浜通り生活の一つ若布干す
一人来て又二人来て嫁菜摘む
蕗の薹三日見ぬ間の育ちやう
顔の皺少し伸びしか大朝寝

 木の芽時   田村萠尖
神の杉抜けし日を追ひ畑を打つ
竹伐りて明るくなりし木の芽坂
鳥たちのリズムよき声木の芽立つ
牧水の見返り峠木々芽吹く
反り深めかたかごの花雨弾く
里ことばもて呼びかくる苗木売り

 春 炬 燵   武永江邨
春炬燵朝から僧の来たりけり
雑談の中にも諭し春炬燵
めのは売り季節を告げに来たりけり
さくさくと焙り若布や朝の卓
石蹴りの子の靴跳んで風光る
歌聞きに行く朧夜の薄化粧

白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

       牧之原  大石益江

父の声そつくり貰ひ卆業す
野良帰りひと臼ぶんの蓬摘む
無造作に鋤き込まれゆく紫雲英かな
茶摘み女となるひとときの花見かな
茶摘みの手借りて田植の結ひ返へし


        津山  渡辺晴峰

山の色濃くし三月はじまりぬ
茎立の菜を抜き土を休まする
のはうづな枝を約めて桃剪定
税申告すませ立ち寄る喫茶店
さくら咲き三鬼の句碑を明るくす


白魚火秀句
仁尾正文
当月英語ページへ


父の声そつくり貰ひ卒業す 大石益江

 この句の主人公は、大学もしくは高校を卒業した青年。背丈も筋骨も既に父を凌駕している。話し声も父親そっくりなのである。かくてこの一家の血統は「生きかはり死にかはりして打つ田かな 鬼城」の如く無事に次の代に受け継がれたのである。
 同掲に「茶摘みの手借りて田植の結ひ返へし 益江」がある。「結い」は茶摘みや田植などの折手間を借し合うことで、一時代前は隣近所や親戚の間で盛んに行われていた連帯感のつよい慣わしであった。頭掲句は、必ずしも農に係っていると解さなくてもよいが、受け継いできた命を次に繋ぐという大事を果したもの。すべての日本人、すべての家々で重んじられなくてはならぬ、と強く思う。

のはうづな枝を約めて桃剪定 渡辺晴峰
 
 のはうづは、ずうずうしいさま、横着なさまが原意だが、この句の場合はあっちに向き、こっちに向き八方に枝を広げている状態。これを切りつめてが「約めて」である。
 花屋に並んでいる花桃は、枝が真直で恰好よく整っているが奔放に伸びた枝を機械で筒の中を強制して通し整え針金などで真直になる迄緊縛しているのである。私どもが気付かぬ所にも農家は「約めた」に手間暇をかけているのである。

一足で乘り遅れたる花の駅 古藤弘枝
 
 第三セクターの鉄道では、通勤通学時間帯以外は、一時間に一便という所が結構多い。掲句のさも悔しく腹立たしそうな声調は、ほんの一足、一分弱で列車に乗り遅れたのである。満開の駅の花を一時間かけて見る気には到底なれないのだ。
 
啓蟄やゆるりと捲る松の菰 木村以佐
  
 地虫が出て来る頃の啓蟄。一句をものにせんと逍遥していると松の幹に巻いた菰外しの景に遭遇した。この菰の中には、害虫を含む蟄虫が出てきて、卵を生みつけたものもある。庭師は注意してゆっくり菰を外しているのである。「啓蟄や」がよく効いた一句だ。
 
男にはをとこの嫉妬朧月 遠坂耕筰
  
 嫉妬というと先ず女性を連想するが、男にだって嫉妬はある。男の嫉妬は政財界はもとより職場や趣味の俳句の世界にだってあることはある。ただ、男の場合は、かなり抑制された形なので見えにくい。この作者は、男の嫉妬を朧月で表徴した。月をかすませて茫々とした朧月はネガティブとはいえないが却ってどろどろとしたものも見えなくはない。
 
草萌ゆる川は力を音にして 荒木千都江
 
 この川は斐伊川のような大河ではなく、作者の家の前を流れる湯谷川程のもの。「川は力を音にして」の「力」は雪解水が出水の如く勢っているのである。童謡の「春の小川」は四月半ばのやさしい川だが、三月の川は荒々しい。先師が大いに楽しんだ川向うの菜園は今も耕されているのだろうか。
 
遠汽笛防風林の木の根明く 高橋静香
 
 旭川付近には函館・宗谷両本線の他に富良野線や留萠線が走っているので「遠汽笛」はそこを通る列車のものだろう。それらの鉄道の防風林に雪解が始まって木の根が明いた。「木の根明く」は残雪一m程になると樹木の呼吸熱により木の根元に楕円形の黒土が顔を出す。北国の人々には何ヶ月ぶりに見る土で春の到来を実感するのだ。この佳い季語がどの歳時記にも収録されてないのは、大変におかしい。「木の根明く」の秀句を沢山作って是非収録させようではないか。
 
深空より一直線に初燕 田中いし
  
 燕は南方から来るのであるが、作者は深空から一直線に降ってきたと表現した。あの颯爽とした初燕なればこのフレーズに違和感を持つどころか俳句は創作だと強く共鳴した。
 
菜の花に胸照らされて帰郷せり 丸田 守
 
 この花菜畑は観光用の一町歩もあるものと違って一畝程の畑であろう。だが、「胸照らされて」が故郷に錦を飾る程の慶事があっての帰郷であろう、と思った。
 
朝刊をめくる手止むる初音かな 若林眞弓
 
 しなやかで平穏、その上に読者をなごませてくれるナイーブさがある。表現にも破綻がなく今後が楽しみな作家だ。 

    その他触れたかった秀句     
明日雨の遣つ付け仕事芋植うる
神木の欅にたしかなる芽吹き
風に髪あづけて少女蝶を追ふ
煙流れ忽ち現るるすぐろ山
じやが植うる字は赤土平かな
花曇ていねいに拭く老眼鏡
桜東風真珠色なる貝釦
墨堤の花雪洞のすべてに灯
春泥を終日鴫の忍び足
枝垂桜潜りて闇へ消えゆきぬ
旅発ちの男の子のをりて木の芽晴
春霞大砲の先今も海
横文字の名前呼ばれて卒業す
ぎこちなく結ぶネクタイ朝桜
満開の花を見上げて見下して
大村泰子
赤城節子
宮原紫陽
村松典子
後藤よし子
清水春代
小林さつき
阿部晴江
高間 葉
稲井麦秋
佐々木よう子
大澤のり子
青木いく代
大石美枝子
大坂勝美


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

  檜林弘一

一切の明りを絶ちて修二会待つ
水取の闇に火の香の立ちにけり
回廊に火の押し登る修二会かな
水取の炎に風の育ちをり
平城山の春満月を上げにけり


  栗田幸雄

神鶏の蹴散らしてゐる春の土
種袋振ればいのちの弾みけり
朝焼けの海に漕ぎ出す鰆舟
仮名書きの三島暦や初つばめ
安達太良の風やはらぎて辛夷咲く


白光秀句
白岩敏秀

回廊に火の押し登る修二会かな 檜林弘一

 修二会は奈良東大寺二月堂で三月一日から十四日まで行われる行法。陰暦二月に行われていたので修二会という。
 掲句はお水取の情景。参拝者の最も注目する帯となって走る炬火を詠まず、頭上に降りかかる火の粉を詠んでいない。回廊を押し登ってくる炎の大きな塊に目を凝らしている。
 「火の押し登る」にお水取りの壮観さに対する作者の強い感動がある。骨太な写生だ。
平城山の春満月を上げにけり
 前句を一転して気息の大らかな句である。
 奈良はかって、「那羅・平城・寧楽」とも書かれたと辞書にあるから、「平城山」は〈ならやま〉と読むのだろう。
 「あをによし奈良の都は 咲く花の薫ふがごとく今盛りなり 小野老」(万葉集)。「平城山」のひびきがかっての平城の都の栄華を偲ばせる。眼前の写生がただの写生句に終わっていないのが魅力だ。今年は平城遷都千三百年にあたる。

種袋振ればいのちの弾みけり 栗田幸雄

 この句には日野草城の「物の種にぎればいのちひしめける」が下敷きにある。しかし、発想には別の趣がある。山本健吉は草城の句に「…生命力にあふれているというより、生命力への郷愁といった或るさびしさを、この句から受け取ることができる」と書いている (「現代俳句」角川文庫)。
 掲句には生命への賛歌があり、弾む種の生命力に全幅の信頼を寄せている。振れば鳴る音は生命の音であり、音はそのまま充実した生命力の弾みでもある。蒔かれた種はまた新しい生命を生む。繋がれていく生命の躍動感がみごとに詠まれている。

ジョギングの声の一団風光る 大滝久江

 散歩の途中で出会った光景であろうか。背後からジョキングの掛け声が聞こえて来たと思うと、やがてその姿が作者のそばを通り抜け後ろ姿となって走り去って行った。
 作者はどのような人達のジョギンクなのか、人数はどのくらいなのか一切説明していない。しかし、「声の一団」や「風光る」でそれが学生のしかも運動部のジョギングだと想像がつく。季語を十分に信頼してつくられた若々しい句だ。

鑑真の瞼とぢられ花の風 江連江女

 唐招提寺の開山堂には瞼を閉じた鑑真像が安置されている。
 幾たびの困難を乗り越えて、失明しながらも日本にやって来た、鑑真の不屈の魂に対する畏敬の念がそのまま句になっている。
 閉じられた目に替わって、鑑真の心の目は何を見ているのでろう。吹く風に耐えて咲いて桜に自分の姿を見ているだろうか。ふと、そんなことが思い浮かんだ。

下萌の足裏に弾む力あり 早川三知子

 下萌えの野を歩くことは楽しい。足裏に弾む力は大地が生命を押し上げる力。足裏に漲る力は新しい生命が生まれる力。
 下萌えの地に寝転べば雲に声を掛けたくなる。「おうい 雲よ/ゆうゆうと/ばかに のんきそうぢやないか/どこまで ゆくんだ/ずつと 磐城平のほうまで ゆくんか」(山村暮鳥「雲」より)。
 春の野は人の心を平和にしてくれる。

ちよつといゝ話小耳に春うらら 大石登美恵

 人間というものは妙なもので、他人のすごくいい話を聞くと妬ましくなる。ちょっとぐらいが丁度よい。しかも、小耳にはさんだのだから、尚いい。
 ちょっといい話が春うららの季語に包まれて軽やかに弾んでいる。

淡雪に傘借りて出る美容室 甲賀 文

 「はい お疲れさま。綺麗にセットできましたよ」「おおきに。おや、冷えると思ったら降ってきましたよ」「いやでねぇ。傘はお持ちですか。よかったらこの傘をどうぞ」
 美容室の会話から俳句が生まれた。「…あなたの俳句は必ずどこかであなたを待っている」(『芭蕉百名言』山下一海 富士見書房)という言葉が思い出される。

芋植うる畦に上衣と魔法瓶 若林光一

 作物の植え付けには時期がある。この句から時期に植え付けを終わろうとする懸命な姿が見えてくる。脱いである上衣や喉の渇きを癒すための魔法瓶がその証しである。
 懸命な植え付けは収穫の期待の大きさに繋がっている。しかし、芋植に魔法瓶とは意外のものを見た思いだ。

    その他の感銘句
鳥交る鋤きしばかりの田が光り
生命線伸びきつて水温みけり
一人静淋しさゆえに目立ちをり
うどん屋の待ち席にゐて花疲れ
五家宝をさくりと噛んで桃の花
柔らかに一針二葉茶の芽吹く
花曇り水平線に及びけり
卒業式終へて読み継ぐ一書あり
燕来る雲太の雲を切り返し
尼寺の池浅くして水草生ふ
一ひらが散りて揺れ出す桜かな
一本の納屋の古釘燕来る
観音のすらりと立ちて暖かし
しやぼん玉垣根を越えて弾けたり
洗顔の泡の七色日脚伸ぶ
大山清笑
奥野津矢子
秋葉咲女
大久保喜風
宇賀神尚雄
山西悦子
水鳥川栄子
石田博人
高橋陽子
高間 葉
藤浦三枝子
川本すみ江
劔持妙子
柴田佳江
加藤数子

禁無断転載