最終更新日(Update)'08.05.31

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第633号)
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・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
季節の一句    西田美木子
「五万羽」 仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
池谷貴彦、辻すみよ ほか    
15
・「みちのく」(原田青児主宰)4月号転載
白光秀句  白岩敏秀 42
・白魚火作品月評    鶴見一石子 44
・現代俳句を読む    村上尚子  47
・百花寸評   青木華都子 49
・「俳壇」5月号転載 52
・北海道俳句年鑑2008年版転載 53
・鳥雲集同人特別作品 54
・こみち 「お灸との出会い」 井筒生子 56
・俳誌拝見「小鹿」2月号  森山暢子 57
 句会報 松江千鳥句会 58
・おおひと梅まつり俳句大会に参加して   富田育子 59
・句集「ひだまり」を読んで  三浦香都子 60
・「萠」転載 61
・「山繭」転載 61
・今月読んだ本       中山雅史       62
・今月読んだ本     林 浩世      63
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          吉村道子、本杉郁代 ほか
64
白魚火秀句 仁尾正文 112
・窓・編集手帳・余滴       

季節の一句

 (江別) 西田美木子 



エルムの芽汝も大志抱きここに来し  仁尾正文
              (平成十九年七月号 主宰作品)
 平成十九年四月二十二日より二泊三日で、仁尾主宰・安食副主宰をお招きして北海道吟行会が催されました。最初の吟行地は春まだ浅い北海道大学構内。正門から入り道なりに少し進むと左手にこの大学の前身、札幌農学校の初代教頭で札幌を離任するにあたり「ボーイズ・ビー・アンビシャス(少年よ、大志を抱け)」という有名な言葉を残したクラーク博士の像があります。その像の見守る先にはこの大学の代名詞ともなっている「エルム(春楡)の森」があり、広場では丁度留学生歓迎の交流会が開かれていて、主宰も学生達とにこやかに談笑されていました。キャンパス内はエルム、楓、柳などの芽吹きが一斉に始まり、これから羽搏こうとしている若者達の姿と重なり希望に満ち満ちている様子があちらこちらに見受けられました。

囀にまみるる北大農学部   安食彰彦
      (平成十九年七月号 鳥雲集)
 北大は東京ドーム三十八個分という広大なキャンパス。農学部の農場や九~十世紀の竪穴住居跡が多数保存され雑木林も残されています。落葉樹の多い構内は様々な鳥が訪れ、芽吹き前のこの時季は鳥の姿も容易に見られるので、毎年ゴールデンウィークには野鳥の会の初心者探鳥会が開かれます。この日も四十雀など沢山の鳥の囀が聞こえていました。

エルムの芽むかし札幌農学校   東條三都夫
          (平成十九年七月号 白魚火集)
 北海道大学の前身は明治五年に東京芝増上寺内に設立された「開拓使仮学校」。明治八年に札幌に移り「札幌学校」。翌年「札幌農学校」と改称されました。当時の面影を残し堂々と聳え立つエルムの森。その芽吹き。この大学の百三十年以上に渡る歳月を見守って来た木の歴史は又、北大のみならず北海道の歴史とも重なり合います。


鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  


     牡 丹 雪   安食彰彦

一息も入れずに降るよ牡丹雪
あつけなく消ゆる玻璃戸の牡丹雪
牡丹雪この静けさに堪へてゐし
暮るる一日白一色の牡丹雪
柴折戸に下がる短かき氷柱かな
丁地蔵の瞼を覆ふ牡丹雪
牡丹雪降る古墳径けもの径
牡丹雪六時の鐘の鳴りにけり


  春 二 番   青木華都子

トンネルを出ては入りて四温かな
シグナルの赤き点滅春二番
手庇に春の雪嶺を引き寄する
音の無き木の芽起しの朝の雨
鶯のまた別の声後ろより
未明より黄砂鎮めの雨となり
芦を焼く一字煙攻めにして
刻を経てまだくすぶつてゐる大末黒


  良 寛 忌   白岩敏秀

嶺々の百相解いて春を待つ
出雲より戻りて因幡春の雪
てのひらのしづくとなれり春の雪
早春の空の水色良寛忌
蕗の薹水は日差しを乗せ速し
蛍烏賊網をこぼれてひかりけり
海に雲雲に夕映え冴返る
クロッカス影より色の生れけり


  狼  魚    坂本タカ女

壁掛の馬具や手斧やペチカ燃ゆ
横向きのポストや屋根の雪落つる
閊へてゐる屋根の雪雨水かな
鉄色の剥製羆結氷期
魚氷に上る狼魚は水槽に
書き損じたるきさらぎの葉書かな
雛飾る捻子巻く柱時計鳴る
湯あがりの手首しろじろ春障子


 後 生 車   鈴木三都夫

冬牡丹あえかなれども凜として
震へ咲きして双輪の冬牡丹
落椿よんどころなく転がれる
金縷梅の花の縮れの仔細かな
稜線の雪また尖り冴返る
羽衣の松の薦巻解かれたる
春めくや五百羅漢の五百相
東風寒し摺り減り著き後生車
   柱 時 計   小林梨花
産土のしつとり濡れて蕗のたう
浅春の柱時計の弾む音
師の一句読み返す度冴返る
落ち合ひし川たつぷりと雪解水
浅春の曙色の伯耆富士
白梅に夕日かがよふ隠れ里
  
 春 の 草   石橋茣蓙留
初音聞くこのごろ頓に物忘れ
花辛夷影を落してをりにけり
花菜畑立ち入る隙間なかりけり
春うらら週一本の鋸目立て
春の草手かざしで見る地平線
三椏の花や速歩のご老体

 蕗 の 薹   桧林ひろ子
臘梅の一樹丸ごと香りけり
愛せらるる形に生まれ蕗の薹
地虫出づ辺りの草はまだ覚めず
その中に文読む羅漢あたたかし
涅槃寺この世に花粉症流行り
携帯電話いつも片手に卒業す

 君 子 蘭   田村萠尖
暮しぶりふくら雀にのぞかるる
窓叩く吹雪に目覚む妻もまた
浅春や銭の生る木の花小さき
あどけなく紅差しそめし君子蘭
君子蘭花弁崩さず散りにけり
君子蘭散り敷きてより色深み

 春  隣    橋場きよ
羽ばたける手品の鳥や春隣
迎春花開・閉会の手話の歌
町筋の栄枯盛衰春北風
団子味噌ほつぺにつけて午祭
きめかぬる助詞の一文字春炬燵
傾ける童女の墓や揚雲雀

 若布刈り神事  武永江邨
女人禁制島に若布刈りの神事かな
祢宜覗く若布刈り神事の箱眼鏡
三方に刈りし若布を雫ごと
寒泳の漢きりりと赤褌
為すこともなくて春田を打つてをり
何気なく見し初蝶を見失ふ

 雪 解 雫  金田野歩女
冬晴や槌音こんな遠くまで
大鷲の煽られ時化に逆らはず
突堤の灯台に吼ゆ冬怒涛
寒風にバス待つ頬を庇ひつつ
流氷をでんぐり返す舳先かな
雪解雫振子眠つてゐる時計

 田螺鳴く   上川みゆき
久方の烽の山や春動く
逢ひにゆく五百羅漢や黄水仙
伎芸天訪ふと決まりて青き踏む
露座仏の螺髪を仰ぎ田螺鳴く
白粥の箸落したる春の雷
しやぼん玉医王山への磴のぼる


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

        
     中津川  吉村道子

ほつそりと冬の木曽川曲りけり
凍道を行く決心も途中まで
料理本広げ眺むるしづり雪
立春の山を白雲這ひ上がる
梅林の一輪を撮るカメラマン


      牧之原  本杉郁代

涅槃図の繕ひきれぬ破れかな
囲はるる菰の温みに寒牡丹
菰内に蕊を晒せし寒牡丹
いつせいに空に挙りし辛夷の芽
小躍をしつつ流るる春の水


白魚火秀句
仁尾正文
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凍道を行く決心も途中まで 吉村道子

 昨日降った雪が少し凍った道、これ位なら駅位までなら歩いて行けるだろう、まだ若いのだからと決心して歩き始めた。が、少し歩いている内に何回も足を滑らし当初の決心がぐらついた。見栄を張って転倒し怪我でもしたら元も子もない、途中で決心を翻したのである。今冬も雪崩注意報が出ているにもかかわらず山スキーを続けていて遭難したニュースが報じられた。引き返すということも勇気が要るのである。
 同掲の「立春の山を白雲這ひ上がり 道子」は雨後の白雲のエネルギッシュを眩しんだものである。

小躍をしつつ流るる春の水 本杉郁代

 秋の水も冬の水もよく澄んで静謐であるが、春の水は雪解けの水がどっと押し出すので水量も豊かで勢いがある。春の小川のような牧歌的なものとは趣を異にする。
 掲句は、「小躍りをしつつ」の描写がよい。「春の水」の本意、本情を掴んでいる上に作者の、春到来の弾んだ気持も乘せている。一句のしらべも句に適っている。同掲の「涅槃図の繕ひきれぬ破れかな 郁代」は古刹の由緒ある涅槃図。何回も修復してもう修理が出来ぬ破れた一処である。一処を克明に詠んで古寺の本堂を浮び上らせている。

生命線くぼめて数ふ年の豆 野田早都女

 齢を重ねると撒いた年の豆を齢の数まで仲々食い切れぬ。が、座敷に散らばった豆は掌を窪めて拾わねばならぬ。「生命線くぼめて」は手垢のついてない措辞である。こういう所作をくり返して年の豆を拾っている。

石橋を土橋を渡り梅探る 稲井麦秋

 石橋というと平戸島のオランダ橋などが真先に想起される。江戸時代からの石橋も各地に残っているが文化遺産のようなものだ。木橋も峽奥では今も折々見られるが石橋よりは鄙びている。掲句は町場から順次田舎へ向った探梅である。「石橋を土橋を」の「を」に作者の技が見られる。

飛石をくの字配りに梅白し 船木淑子

 飛石は日本風の庭園の通路に伝い歩き用に作られたもの。大きな池には五尺も六尺もある飛石を配している。草庵式の茶室の露地には作庭の名手が趣向をこらして飛石を配している。掲句の飛石はくの字に石を配ったというもの。作庭師が技の限りを尽した雅びやかなものであろう。季語の梅も青軸の清楚なものであろう。

梅咲くや樹齢はいうに百余年 福田 勇

 単純化がはかられ十七音のすべてが機能している。苦労をした痕跡を全く残していない。先師は、こういう作を「無技巧の技巧」として称讃された。筆者も師と同じ言葉で作者を褒めたい。

雪原に鮮血鷹の発ちしあと 五十嵐藤重

 雪原を鷹が飛び去った後鮮血だけが残されている。捕えてきた獲物の肉を引き裂いて食い尽くした鮮血である。
 真白な雪の原に真赤な血は美しいが、自然界の食うか食われるかの生存競争の跡なのである。大自然の厳しい摂理を視覚に訴えたところに、この句の切れ味がある。

裸木の清貧にして安らげる 古川志美子

 文献が見つからぬので不正確かもしれぬが「昔より聖者は痩せて枯芭蕉 狩行」がある。この「聖者は痩せて」は清貧の象徴、行いが清らかで私欲がないため貧しい暮しだが心は自由闊達なのである。
 掲句は、裸木を見て清貧を思った、奥深い一句である。

句碑一歳傍に婀娜冬牡丹 曽根すずゑ

 静岡市の大きな観光園に乞われて鈴木三都夫氏が句碑を建てた。その一周年記念に静岡白魚火会の有志が吟行会をした。
 掲句の「婀娜」は女性の美しくたおやかな風情。一年を経た句碑の傍の冬牡丹を美女になぞらえて句碑を褒めたのである。なお、婀娜にはふりがなついていてよい。読めぬと誰も採ってくれぬ。

輩は旧正月の国より来 中野宏子

 「ともがら」は仲間、友人のことであるがひびきは、その中でも殊に親しい友を思わせる。旧正月は春節のことで中国では一年中で最も大切な祭日である。その春節に来日したということは余程の事情によるのであろう。そして用が終った後作者の家を訪ねてきてくれたのである。うつくしい友情は国を越え、言葉を越えた。

その他触れたかった秀句        
樏を鳴かせて一歩また一歩
代読の祝辞かへるの目借時
山笑ふ明日を信じて生きてをり
早春の空落つこちて映る池
思ふ程膨らまぬなり春財布
針仕事永きひと日を使ひきり
雪残る湯けむり橋を渡りけり
宍道湖を黄金に染め春夕焼
朴葉味噌焼く香漂ふ雪の宿
雛飾る我家の系図以下余白
西田美木子
鈴木敬子
前川きみ代
有田俊子
角田和子
岩崎昌子
角田しず代
螺良由美子
井筒生子
弓場忠義

白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

       
         池谷貴彦

一樹づつ観し梅林を離れ見る
思ひきりふらここ漕ぎて卒業す
啓蟄やトランペットが音外す
風光る似顔絵上手の巡査来る
肩車して春月に歩み寄る


        辻 すみよ

真つ新な菰を貰ひて冬牡丹
枝垂れ梅句碑ある方を正面に
張る枝に競ひの満てる枝垂れ梅
太郎冠者次郎はいづこ椿園
羽衣の松の浜辺のあたたかし

白光秀句
白岩敏秀

一樹づつ観し梅林を離れ見る 池谷貴彦

 大写しされた梅の花が徐々に小さくなり、やがて梅林の全景が映し出される。撮影のロングショットのような場面である。
 「滝の上に水現れて落ちにけり 後藤夜半」は滝のスローモーション、「牡丹百二百三百門一つ 阿波野青畝」は牡丹へのクローズアップの場面。
 作者は梅の一本づつを丁寧に観て廻り、更にその全体である梅林を見たという。しかも、観梅にあたって、一樹の梅は「観る」、梅林は「見る」と表記して、視界の広がりに行き届いた配慮をしている。
 近景と遠景の梅、個としての梅と纏まりとしての梅。作者は情趣の異なる梅のそれぞれの美しさを楽しんでいる。馥郁した梅の香りがいつまでも漂っているような句である。
 「肩車して春月に歩み寄る」
 子どもは高いところが好き。肩車に喜ぶ子との会話が聞こえて来そうである。春の月に影を伸ばして歩く親子の楽しいひととき。

真つ新な菰を貰ひて冬牡丹 辻すみよ

 冬牡丹は十二月から一月にかけて咲く。人間の細やかな世話で華麗な花が咲くのであるが、昔は「人功をもつて天地造化の力を盗んでこれを成す。まことに怪しむべきものなり」(滑稽雑談)と造化の力を盗んだように言われていた。
 掲句の冬牡丹は「天地造化の力」を盗んだものでなく、人間の丹精が咲かせた冬牡丹である。
 「真つ新な」には、みごとな冬牡丹を咲かせてた作り手への懇ろな挨拶があり、華麗に咲いてくれた冬牡丹への感謝の気持ちが含まれていよう。
 新しい菰を貰った冬牡丹が一段と鮮やかに目に映る。

オホーツク青し流氷遠ざかる 小林さつき

海明けや海には海のにほひかな 萩原峯子

 「流氷や旅びとだけに美しき 今 鷗昇」歳時記にある流氷の一句である。流氷は旅人にとって美しい光景であろうが、そこの生活者にとっては、厳しい生活を強いられる。それだけに春の到来は何事にも替えがたい尊いものであろう。
 一句目は流氷が沖に遠ざかるにしたがって現れてくる、目に染みるようなオホーツクの海の青さ。思わず万歳をしたくなるような喜びが溢れている。
 二句目。「海明」とは「視界から二分の一の流氷が去った初日を言う」と歳時記は説明している。
 この句から全身を包むような潮の香が漂ってくる。冷たさを忘れ、海水を両手で掬い上げたいほどの喜びである。
 一句目は視覚で、二句目は臭覚で極寒の地の春の始まりを知り、全身で喜びを表している。流氷が去れば海では漁の準備が始まり、大地では芽吹きの準備が始まる。

犬啼いて鶏鳴いて長閑かな 宮崎都祢

 まことに長閑な句である。陶淵明のユートピア「桃源郷」を思わせる。 
 「良田・美池・桑竹の属有り。阡陌交わり通じ、(けい)(けん)相聞こゆ」(大意=よく肥えた田畑、美しい溜池そして桑の木や竹の林。家々を結ぶ道やあぜ道は縦横に通い、鶏や犬の鳴き声がのんびりと聞こえてくる。)(『陶淵明』一海知義著 岩波新書)
 作者はゆったりと時が流れ、たっぷりと自然があり、相睦み合う隣人がいる世界に身を置いている。掲句は人影も映さず、辺りの風景も叙さず、犬と鶏の鳴き声のみで、春駘蕩の長閑さを描いている。

春の虹潜りて電車遠ざかる 池田都瑠女

 春の虹は淡くて消えやすい。遠ざかる電車の音が消える頃には虹も消えていることであろう。春の虹とスピードのある電車の一瞬の出合いを「潜りて」と緊迫感をもって表現して、続いて「遠ざかる」と息を抜いたように緊張を解いている。僥倖ともいえる場面に遭遇した気持ちの弾みが飾り気なく詠われている。「足もて作る」俳句の恩寵の一句である。

麦踏み人トラクターを動かせり 浜野まや子

 先程まで黙々と麦踏みをしていた人が、突然にトラクターを動かした。足での移動から機械での移動への変化。この思いがけない行動に作者は興味を覚えたのである。
 満目春を迎えた田畑の忙しい農作業を、農夫一人の動きで具象化した。

一片が解けて百花の白木蓮 山田ヨシコ

 なかなか咲いてくれない木蓮がある日ある時一片の花びらを開く。それを合図に一斉に他の花びらが解けて、たちまちに木蓮の白浄土。白木蓮の百花に春の壮んな生命力を見る思いである。

厨妻指より先に春に入る 伊東美代子

 作者は食事の支度をしながら、使う水がいつもとは違うことに気付く。それは微妙なものではあるが、指先に伝わる水の感触は確かに春。水を使うことの多い主婦でなければ感じない生まれたての春である。

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如月の学生服の金釦
恋猫の大きな影の通りけり
髭剃つてゐる一浪の合格子
雪晴れや県境を越すバス発てり
下萌の土手に預けしランドセル
啓蟄やけふ十歳の丈測る
水平線春の丸さになつてきし
島の子に臨時の渡舟大試験
よきことの自分に飾るチューリップ
待春や同窓会の下話
渥美尚作
阿部晴江
高間 葉
原千恵子
郷原和子
田久保柊泉
藤田ふみ子
萩原寿女
桑名 邦
剱持妙子

禁無断転載