最終更新日(Update)'08.02.29

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第630号)
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2月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
季節の一句    富田郁子
「水噴き出せり」 仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
錦織美佐子、横田じゅんこ ほか    
17
白光秀句  白岩敏秀 44
・白魚火作品月評    鶴見一石子 46
・現代俳句を読む    村上尚子  47
・百花寸評   奥田 積 49
・こみち 「一万歩」 横田美佐子 52
・「白魚火賞」発表 54
・「同人賞」発表 58
・俳誌拝見「原人」  森山暢子 63
・「同人賞」発表 64
・「俳壇」2月号転載 68
・鳥雲集同人特別作品 69
句会報 浜松白魚火 梧桐句会  71
・今月読んだ本       中山雅史       72
今月読んだ本     林 浩世      73
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          金原敬子、渡辺晴峰 ほか
74
白魚火秀句 仁尾正文 122
・「白魚火燦燦」ができました。 124
・窓・編集手帳・余滴       

季節の一句

(松江) 富 田 郁 子

浅草はいつもお祭り日脚伸ぶ 鈴木三都夫
(平成十九年四月号 鳥雲集)

 東京都台東区浅草。三社祭、ほおずき市、羽子板市など一年中お祭がある。しかし掲句は特定の祭ではなく、仲見世や六区興行街のお祭のような賑わいであろう。季節は寒気のまだまだ厳しい一月下旬頃か。いつもの浅草の雑踏の中で作者はふと今までと違ふ夕暮れ時の明るさに気付いたのである。三都夫先生はそこに春の近付いていることを確実に感受されたのである。浅草の固有名詞の働きも大きく、景の中に叙情がある。

汲み置きの水に日脚の伸びにけり 山根仙花
  (平成十九年四月号 鳥雲集)

 大寒の頃は寒気が最も厳しく、その凍るような感じから「鐘凍つ」「月凍つ」などと言われる。これらは感じであって実際には凍るわけではないが「水道」が凍るのは恐い。そこで用心に水を汲んで置くのである。
 昨夜、いくつかの器に汲んでおいた水。その水に作者はふと、日が伸びたなと感じたのである。ふだん、何の気もなく見過ごしてしまう汲み置きの水に、鋭く働く写生の目と、季節の推移に敏感な仙花先生の感受力をすごいと思う。日野草城は
日脚伸ぶいのちも伸びるごとくなり 草城 
と詠んだが、仙花先生は寒気の緩んできた日常のよろこびと共に、もうそこまで来ている春に「いのちも伸びる」と感じられたかもしれない。そうであって欲しいと思う。

 秋分の頃からだんだん昼が短くなる。短日の続く日々、私はひたすら冬至を待つ。冬至以後は畳の一目ずつ日が長くなっていくと言われているからである。実際には一月半ば頃から日が伸びていることを感ずるのだが。十九年の冬至は十二月二十二日であった。


鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

  心願成就   安食彰彦

禅林の雀いつしか着ぶくれて
扁額にまだ縋りゐる冬の蜂
宝篋印塔の梵字薄るる藪柑子
神の留守クレーン動かぬ造船所
小春日や心願成就の鐘を撞き
水子地蔵南天の実の喜捨受けて
小春日や阿吽の獅子のおどけ顔
五輪塔の影伸びてゐし冬田かな


 黄 落   青木華都子

男体の山すれすれに鳥渡る
黄落や海抜千の山上湖
一人づつ渡る木の橋刈田焼く
黄落や磴百段の百段目
韓国で買ふ新海苔の塩加減
温突に座せば会話の弾みけり
冬蝶のかすかに動く気配して
花石蕗や下駄の鼻緒の生乾き


 冬 服   白岩敏秀

夕風に音の加はる花芒
銀山の間歩の出口の秋の暮
奈良に来て奈良を忘れて秋惜しむ
灯台の影の尖りて冬めける
渡船待つ冬服紺の女学生
海風は砂丘眠らせ冬銀河
抽出に短日の影しまひ込む
山眠る狼火のごとき雲を置き


 鷹 の 宮  水鳥川弘宇

金柑苗植うるわが家の一等地
寒波来る群青色の空と海
ほどほどの息もて吹ける火吹竹
鷹の羽の幔幕はらむ新嘗祭
小さき注連飾りふたりの古机
見馴れたる玄界なれど明の春
いささかの耳の衰へ年酒酌む
潮の香の五体に沁むる初湯かな


 山 眠 る  山根仙花

堂裏の小さき日溜り花八ッ手
掃き寄せし落葉の嵩の日に匂ふ
天金の一書傾き時雨をり
冬帽子目深に人とすれ違ふ
まだ父の匂ひのありし冬帽子
山眠る野に傾ぎ合ふ童子仏
火消壺土間に転がり山眠る
ふところに一通の文山ねむる
  
   白鳥来る   福村ミサ子
ひらひらと月光引きつ銀杏散る
雲板を揺らす風あり十夜寺
白鳥来神の引きたる国めざし
帯解きの神鼓を打つは女禰宜
度の強き酒汲み交す里神楽
猟夫ゆく姫神祀る山めざし

 芭蕉の忌   松田千世子
穭田の明るさにありほとけ道
山門へ押し寄せてくる紅葉光
門前に蒟蒻を買ふばせをの忌
芭蕉忌の過ぎし近江の片時雨
凍蝶の祈りの翅を合はせけり
綿虫の何を告げんと顔に寄る

 小 六 月   三島玉絵
目薬師の門前に売る羅漢柚子
ふかしつつ売る饅頭や小六月
お賓頭盧さまの蹠撫でて冬
石蕗咲けり古刹に消防格納庫
餌買つて鳩に寄らるる冬うらら
抱きついて松の薦巻く三の丸

 冬 銀 河   森山比呂志
火伏神たぢろぐほどに照紅葉
塵ひとつ残さず女菊師去る
足元に寒さのこりし神送り
鰭酒を運ばれて来し霜夜かな
蛍の子育つ川筋冬銀河
使者などと言はれ初鴨飛来せり

 みちのくの旅  今井星女
もみづれる樹海を縫うてバス走る
十和田湖を一望したる紅葉晴
二つ三つ捥がせてくれし林檎園
牧場は黒牛ばかりやがて雪
雪婆牛連れ戻す牧の道
新藁をふんだんに敷き牛を待つ

 冬 日 和   大屋得雄
冬菊の蕾ばかりを選びけり
若き父子を抱きながら日向ぼこ
花八手葉にこぼれをりこぼれをり
冬の日や花のごとくにレモン熟れ
林檎来る忙がしさうな冬帽子
あのこともこのこともあり冬日和

 一 の 酉   織田美智子
顔狙ひくる秋の蚊を打ち果す
灯ともして甘味処や初しぐれ
うしろより名前を呼ばれ一の酉
朝まだきいてふ落葉を踏み来たる
きのふけふいてふ落葉の無尽蔵
ひとつづつ手にとりて買ふ冬りんご


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

    福岡  金原敬子

大念珠ゆつくり回す青木の実
不意に鳴る小さき踏切冬菫
旅鞄一つにまとめ冬の雁
石段の手摺冷たき寺の町
冬雲雀夫の役割灯油買ひ

    津山  渡辺晴峰

もろもろの雑木きそひてもみぢせり
置床の菊は小さく活けてあり
莢打つて小豆をこなす槌の音
風呂灰も入れて蚕豆植ゑ終る
ストーブに寸を合はせて薪を切る
  


白魚火秀句
仁尾正文
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大念珠ゆつくり回す青木の実 金原敬子

 十一月二十五、六日の尾道における鍛錬会には七十名が集り盛会であった。掲句はその折のもの。
 この大念珠は百万遍に用いられるものであろう。百万遍は弥陀の名号を百万遍唱える念仏会。どの歳時記にも見当らぬが唯一「北鈴」発行の『八戸俳句歳時記』に春の季語として収録されている。それによると八戸では旧二月初め精進事の一つとして行われる。数珠の玉は百八の煩悩を絶つとして百八個。人の輪の大小により八畳間に余ることもありカンカンと叩く鉦の音とともにナンマイダ、ナンマイダと唱えながら回し百回で打ち切る。大般若六百巻の転読の如く百回で百万編の功徳をいただくというのである。
 掲句は大勢で大念珠を回している所に遭遇した。「百万遍善人のみな骨太に 村上しゅら」の例句の如く漁に携わる信心深い人々が穏やかな顔をして回していることに感銘して「ゆつくり回す」と詠んだ。季語の「青木の実」がしっくりしていて何ともいい。

ストーブに寸を合はせて薪を切る 渡部晴峰

 三陸在住時、薪ストーブを座敷で使ったがやわらかい暖さがよかった。焚き止めても燠の温みが暫く続いた。だが、薪の準備は大変だった。買った長さ三尺程の薪をストーブに入る一尺位に鋸で切り揃えねばならぬ。太いものは斧や鉞で割らねばならない。何より面倒なのは煙突に溜る煤を始終掃除せねばならなかった。薪ストーブは煮炊きにも用いられた。気心の知れた家族が寄ってジンギスカン鍋を囲んだりして北国の冬籠りも快適だった。
 灯油ストーブが主体の現在も掲句は、薪ストーブの良さが忘れられずせっせと薪を切り揃えている。郷愁の如きものを感じた。

雲に足かけ浄土寺の松手入 山崎建郎

 「片足を宙に浮かせて松手入 華都子」があるが掲句はこのような景を誇張したもの。スケールが大きくて面白い。誇張も比喩の一つで代表的なものが李白の「白髪三千丈 愁ひに縁つて筒の似く長し」だ。掲句は雄大に松手入風景を描いて大寺浄土寺に挨拶をしたのである。
 浄土寺という固有名詞は「露の山から朝日さす安部医院 龍田」の安部医院が特別なものではなく町医者を固有名詞に名を借りたのと同じ。極楽寺、阿弥陀寺、観音寺等各地に沢山ある寺の一つである。
 
手の平に乘せて全き木の実かな 辻すみよ

 先師一都に「生涯に木の実のごとき全き句を」という秀句がある。木の実には果実もあるがこの句では椎の実、団栗、胡桃など固い皮を被った、艶々として堅固、よい形をしたものを言っているようだ。掲句は先師の句に感銘し、手の平に置いて凝視し先師の思いを諾なっているのである。なお掌を「て」と読ませることに筆者は反対だ。手に受けるのは掌に受けること、手の甲で受けるのはお手玉だけであろう。
 
神主のとんがりてをり足袋の先 中西晃子

 一瞬つっけんどんな神主かと思ったが、とんがっていたのは足袋の先であった。それは下ろしたての真新しい白足袋で、それが分ると俄かにこの神主が清浄潔白に見えてきた。
 
漉き重ぬる紙の底より滴るる 柴山要作

 紙漉を見ていて、重ね積みの漉き上げた紙を剥がすのに、くっつきはせぬかと案じるのである。だが、紙漉は何の懸念もせず、また一度たりとも剥ぎ損じを見せたことがない。漉き重ねた紙の底から水が滲んで滴っているのを見ている作者も不思議に思っているのではないかと思う。

顧みて短日のごと喜寿迎ふ 渡辺美代子

 子供の頃七十を越えた人はひどく老人に見えたが、古希を越え喜寿となっても自身は老いたという気はしない。ふり返ってみると、来し方は短日の積み重ねの如く決して永いとは思われないのである。共感の向きは多いことであろう。

鉢物を出しては戻す霜予報 藤田多恵子

  天気予報で霜が降るだろうと放映される度あわてて軒下に出した鉢物を取り込む。特別珍しいことではないが、 掲句「出しては」の「は」に進歩が見られる。作者は二十九歳で一番若い層の一人である。

工場の閉鎖つつじの狂ひ咲き 服部遊子

 万策尽きて工場が閉鎖になった。作者は経営者や従業員の頑張りに同情し、社会の格差に憤慨している。「つつじの狂ひ咲き」は「返り咲き」では納まらなかった感情である。ちなみにこの作者は九十六歳、社中最高齢者である。創刊間もなく入会し会員歴は五十年を余る。

    その他触れたかった佳句     
燃え盛る篝火に神集ひたる
聞き馴れぬ声の交りて小鳥来る
紅葉晴木道のまだ濡れてをり
雷一鼓二鼓あと湖に時雨来し
菜箸のきびきび動く牡丹鍋
踊子の裾蹴り上げし日和下駄
十日夜明けて藁屑散らばりぬ
天辺のひよつとこ顔の榠樝の実
息白く馳け来てないしよ話の子
冬紅葉右も左も信濃かな
土江比露
高見沢都々子
松本光子
池田都留女
油井やすゑ
林 雅子
田中藍子
櫻井三枝
井上科子
塩野昌治


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

      錦織美代子

翔ぶものを許す寺院や神の旅
枯れてゆくものの匂ひの中に立つ
小春日や今日はその日の色を着て
冬凪の海を眼下にロープウエー
銀山へつづく街道神の旅


     横田じゅんこ

朴落葉がさりと人を呼びにけり
影飛んで来て綿虫でありしかな
野の草を空き瓶に挿し紙漉女
縄飛びの少女ひらりと富士を跳ぶ
落椿水底ことに賑はひぬ


白光秀句
白岩敏秀

翔ぶものを許す寺院や神の旅 錦織美代子

 平成十九年十一月二十五日、二十六日の両日、「白魚火鍛錬会(尾道句会)」が広島白魚火俳句会の主催で広島県尾道市で行われた。両日はぽっかりと穴が開いたような小春日で、歩けば汗ばむほどの温かい陽気であった。「広島白魚火俳句会」の皆様のお陰で吟行に句会に楽しい二日間を過ごさせて頂いた。
 尾道は寺院と坂と映画のロケ地の多いまち。掲句は第一句座(第一日目の句会)で私が特選に推薦した句。
 鳥にとっては神在も神の旅も関係ないであろうが、日常に縛られている者にとっては旅は非日常の世界である。鳥たちの自由な飛翔に解放された作者の気持ちが重なろう。そして、そこは寺院の空。仏の大きな慈悲に包まれた空間である。翔ぶことを許された鳥への祝福とそれを許した寺院への感謝の情の籠もる句である。
枯れてゆくものの匂いの中に立つ
 枯れるものには本来匂いがないもの。「枯れ」という厳しい現実を眼前にして、凋落してゆくものへの愛惜が「匂い」というストレートな発想を生んだのである。自分の感性を信じ切っての句。「匂ひ」をあえて「匂い」にしたのもそのためであろう。

落椿水底ことに賑はひぬ 横田じゆんこ

 「赤い椿白い椿と落ちにけり 河東碧梧桐」「落椿おのが一樹を囲ひつつ 鈴木久仁江」「火の独楽を回して椿瀬を流れ 野見山朱鳥」一句目の落椿は空中、二句目は地上、三句目は水上。それぞれ椿が落ちた所で詠まれている。水中の落椿が詠まれた句は手持ちの歳時記を調べても見あたらなかった。まさに意表をついた把握といえるであろう。
 作者は「水底ことに」と言っている訳だから、水底は勿論のこと枝にある椿、地上に落ちた椿そして水面に浮いている椿とさまざまな椿があるはず。十七音の世界で一本の椿の木から様々な椿の様態を想像して貰えたら、作者とって莞爾たる思いであろう。

軽皇子のさまよひし野や実南天 清水静石

 軽皇子の一人は『古事記』の允恭天皇の条にキナシノカルノヒツギノミコとして登場する。この皇子は同母妹の軽大郎女(カルオオイラツメ)と恋仲となって島流しとなり、後を追った軽大郎女と心中する。
 もう一人は後に文武天皇となった持統天皇の孫の軽皇子である。
 同時発表の句の「宇陀」「安騎野」からみると、この皇子は文武天皇となった軽皇子である。
 軽皇子は持統六、七年(六九二、三年)ごろ、父の日並皇子のゆかりの地の大和国安騎野で遊猟を行ったという。この遊猟に柿本人麻呂が従っている。その時の歌が『万葉集』にある。「東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ」(「新潮日本古典集成 萬葉集」 新潮社)はその中の一首である。
 作者はこの歴史的背景を頭に浮かべつつ、晩秋の宇陀の里をお歩きになったのであろう。宇陀は伊賀・伊勢に続く街道でもある。

重き柚子出して冬至湯仕舞ひけり 吉村道子

 冬至は昼が一番短く夜が長い。生命力が一番衰える日と言われている。「陰極まりて陽始めて至る」と一陽来復ではあるが、冬の寒さが始まる頃でもある。平成十九年は十二月二十二日であった。
 掲句は一読してすっと意味が通り、難しいところがない。しかし、一番風呂に入れた新鮮な柚子の軽い触感と仕舞風呂から引き上げた湯をたっぷりと含んだ重たい柚子の触感の違い。この落差のある触感を味わって貰えばこの句は成功である。いわばこれがこの句の隠し味。

寒卵ごくりと歳養へり 川上一郎

 日本人の平均寿命は男性七九・○○歳、女性八五・八一歳。男性は世界第二位、女性第一位である。ますますの長寿で目出度い。
 寒卵を飲む「ごくん」という音も健康そのものであるが、「歳養へり」と言い切った表現に屈託のない朗らかさがある。歳を加えるにかくも前向きの姿勢でありたいもの。作者八十歳。

せかせかと夕日落ちゆく十二月 長谷川千代子

 「せかせか」とは十二月の夕日の有り様をずばり言い当てた絶妙な措辞。      
 「夕日君、もう少しゆっくりしたらどうだい」夕日「そうしたいのはやまやまなんだけれどもネ。何しろ「初日の出」の用意があるから、これで失礼するよ」とこんな会話が聞こえてきそうである。

小春日を野良に存分使ひけり 知久比呂子

 たまたま賜ったような小春日。気になっていた野良仕事に精を出す。終わる頃にはうっすらと汗をかいている。野良に費やした一日をきっぱりと言い切って充実感がある。

     その他の感銘句
冬うらら四桁止りの万歩計
短日や電車ごつこの客となり
夕時雨奈良町筋の理髪店
裸木となり己が影新たにす
今落ちし一葉加はる厚みかな
竜の玉藍の染師の眉太く
焼芋屋かほりを引いてとほりけり
麦の芽の二寸ほどなる出雲かな
下校児の一人が刈田横ぎれり
冬日落ちネオンの街となりにけり
中野宏子
浅野数方
出口廣志
田久保柊泉
山本美好
西村輝子
飯塚比呂子
生馬明子
南 紫香
石前暁峰

禁無断転載