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最終更新日(Update)'08.02.29

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第629号)
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  謹賀新年
   本年も宜しくお願いします
          平成二十年元旦
 






  主宰          仁尾正文

  副主宰       青木華都子

  白光集選者 白岩敏秀

  同人会長    鈴木三都夫

  白魚火社(編集発行人)
  副主宰       安食彰彦

    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
季節の一句    坂本タカ女
「蔵出しの」 仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
大村泰子、荒木千都江 ほか    
17
白光秀句  白岩敏秀 44
・白魚火作品月評    鶴見一石子 46
・現代俳句を読む    村上尚子  47
・百花寸評   青木華都子 51
・「白桃」11月号転載 50
・鈴木三都夫句集「いのちなが」に寄せて 白岩敏秀 52
・「俳壇」1月号転載 57
・鳥雲集同人特別作品 58
・こみち 「十七音の少女」 桐谷綾子 61
・俳誌拝見「一葦」  森山暢子 62
 句会報 群馬白魚火 「こまくさ句会」   63
・群馬白魚火各受賞祝賀会   奥木温子 64
・「俳句生活」転載 65
・「草炎」転載 66
・今月読んだ本       中山雅史       68
今月読んだ本     林 浩世      69
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          森山暢子、村上尚子 ほか
70
白魚火秀句 仁尾正文 119
・窓・編集手帳・余滴       

季節の一句

(旭川)坂本タカ女

  太箸となさむアイヌの飾り箸 小林さつき
          (平成十九年三月号 白光集)

 平成十五年旭川で白魚火全国大会開催の折アイヌの笹小屋、墓地、記念館を巡り、会場のホテルではアイヌの口琴ムックリの演奏に感動したことは記憶に新しい。地元のアイヌの先住民族は大自然の厳しい気候風土の生活に耐えながら、神への祈りと感謝を怠らず恵みを戴き知恵を磨き多くのことを学び生きてきた。そこから生み出された芸術、文化は素晴らしいものがある。
大会の折、アイヌの手造り民芸品の飾箸を記念品とした。一位の木で作った箸でその先には見事な彫りの細工をしてある。
正月は昔から何でも縁起を担ぎ、箸も折れないように太箸を使う習慣がある。作者は一年の息災を願ってこの箸を太箸にと思ったようである。良い年であることを願ってのことであろう。

  煤払ひ藪から棒に蝶出でし 宮野一磴
           (平成十九年四月号 鳥雲集)

 正月を迎えるために普段手の行き届かないところの一年の汚れを丹念に掃除する煤払い。十二月の厳しい寒さの北海道に蝶とは、誠に藪から棒であったに違いない。外気は冷え切っていても、室内は暖房完備で暖かい。多分室内に活けてあった花か、植木鉢にどもついていた蛹が羽化したのではなかろうか。何時かは飛んで出てくる蝶であったのであろう。その蝶は煤払いもすんで正月を迎える家人に見守られて新しい年を迎えたことであろう。

  人寄れば鯉の口あく二月かな 長島啓子
           (平成十九年四月号 白魚火集)

 いつの季節も鯉は人の気配に敏感に反応する。春まだ浅い池は日差しも暖かくなってきて、水もゆるやかに温んでくる頃である。二ン月のゆったりとした人の優しさと鯉の息の通い合いが見えてくるようである。


鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

  如泥臼  安食彰彦

観月の茶会の島の如泥臼
新蕎麦の薬味は膳の片隅に
木犀の香を連れて乗る無人駅
さはやかに乗る茶髪の娘無人駅
どびろくを息を殺して飲みにけり
松手入格子戸つづくなまこ壁
初鴨の島影に浮く湖平ら
銀色に輝く湖の夫婦鴨

 人力車  青木華都子

霧の中より現はれし人力車
うどん屋の間口半間秋簾
長き夜やハングルで書く置き手紙
秋麗や等身大のキムチ壷
薪高く積み秋冷の登り窯
冬隣紙工房の広き土間
橋一つ渡れば他郷楮干す
小半日楮煮てゐる三斗釜


 秋時雨  白岩敏秀

隣田へ影を伸ばして稲架暮るる
穂芒やダムは夕日へ水落す
やや寒の檜を挽いて檜の香
初紅葉山は夕日の明るさに
神の木の落す木の実に打たれけり
埴輪の目いつも開いて秋時雨
漁船出づ秋の終りの波を押し
行く秋や牛は柱に角を研ぐ

 平 戸   坂本タカ女

旅馴れの携帶御薄夕月夜
昼きこえくる鉦叩殉教地
曼珠沙華コショロジヤガタラ焦れ文
刀豆のロザリオ隠れ切支丹
首動く舌出し人形さるすべり
鳥渡るさだかならざる踏絵の絵
小振りなる賽銭箱や守宮落つ
鱗雲平戸の昼の鯛茶漬

  月 見   鈴木三都夫

ひたひたと潮の満ちくる月を待つ
月を待つ転舵の水尾を島へ曳き
雁渡る月白の空傾けて
白銀の月を現じて秋夕焼
止め惜しむかりそめならぬ秋夕焼
湖の瀲灔(れんえん)として月見舟
寝そべりて月を仰ぎてゐて無心
万葉の遠つ淡海の今日の月
  渡 り 鳥   上村 均
渡り鳥行く手に晴るる岳並ぶ
初紅葉山家の人とまた逢ひぬ
朝顔や何処かの家で鳩が鳴き
座敷にも風の道あり赤とんぼ
秋耕や暮色が山を登りゆく
戸口まで妻を誘ふ十三夜

 戊辰の道  加茂都紀女
縺れつつ秋蝶低く低く飛ぶ
紅葉黄葉踏み来て山のレストラン
冷まじや戊辰の道の苔祠
牧牛の目に映りゆく雪ぼたる
霧降の霧より人の声動く
牧閉す牛を見送り戻りけり

 小 春 日  桐谷綾子
いくへにも山重なりて時雨けり
小春日をのせてロマンスカー湯本
赤い羽根つけて足湯に浸りたる
芋の葉に寒露一滴とどまりぬ
呼ぶ声の風となりたる芒原
一葉忌端切あつめ吊し雛

 秋まつり   鈴木 夢
一片の雲のなかりし御輿渡御
露払ひ役は虚無僧渡御みこし
殿は猊下の車御輿渡御
なかなかに穴見付からぬ赤棟蛇
硝子越しショー見せにけり尉鶲
流し場に残りゐし蚊のしつつこさ

 木 の 実  関口都亦絵
小鳥来る宿に七つの釣瓶井戸
足踏みのオルガン奏づ秋日和
境内は鳩の楽園木の実落つ
木五倍子枯る鬼の茶釜の硫黄臭
落葉坂ぬつぺらぽんの石仏
銀杏散る県民の日の美術展

  今朝の冬  寺澤朝子
穭田のひつぢ穂となる奥出雲
宿題と云うて子の打つ藁砧
とろろ汁麦飯などもあればなほ
初なりの榠樝玉ともてのひらに
さざめきを乗せゆく舟や銀杏散る
嫁ヶ島の近々と見ゆ今朝の冬

 断 腸 花  野口一秋
霧迅し烏頭(うづ)の兜を落しけり
珈琲のいま沸点や小鳥来る
断腸花手向けてありぬ水子仏
初しぐれ満員となる足湯かな
くるぶしに齢のたしか木の葉髪
漂ふも命の証雪螢


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

  松江  森山暢子

道楽に馬を飼ひをり草の花
今年藁湯立て神事に焚きにけり
どぶろくや時無しに鳴く社家の鶏
初鴨のすぐにつがひとなりにけり
頑丈なる馬穴を買ひぬ冬隣


  磐田  村上尚子

神苑に沿ひし抜け道曼珠沙華
豆はざの山の日離れ始めけり
山水を使ひ放題走り蕎麦
庭下駄のひんやりとあり十三夜
鬼柚子の尻の落ち着き具合かな
  


白魚火秀句
仁尾正文
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 謹賀新年。会員の諸兄姉には今年も健やかに暮らされることを強く祈念する。さて、十一月号、十二月号の本誌で申し上げたように一月号の新年の一句(色紙)で年賀状に代えさせていただきたくご諒承を得たい。会員各位の毎月の投句を拝見し、毎号の拙句を見て呉れれば常時便りを交しているようなものでお互いの消息はよく分る。今後とも賀状は下さらないようお願いしたい。

頑丈なる馬穴を買ひぬ冬隣 森山暢子

 バケツ売場ではビニール製の色とりどりのビニール製バケツが並んでいる。その中にブリキ製のものも交じっていた。掲句の「頑丈なる馬穴」とはこのブリキ製のものであろう。ブリキは「錻力」「鉄葉」の漢字を当てた程であるから見るからに頑丈そうである。
 如上のことは措いて、この句は頑丈なバケツと冬隣の取合せ。叙情的な言葉は見えないが、この一句が目に飛び込んできたのは、秋の花々がすがれ、朝寒夜寒の立冬前、作者の冬に立ち向かわんとする強い意志が読み取れたからだ。同掲の「どぶろくや時無しに鳴く社家の鶏」もやはり硬質の叙情である。

豆はざの山の日離れ始めけり 村上尚子

 熟した大豆や小豆は株ごと引かれ束ねて豆はざに掛けて干される。山の日にちりちり乾き、乾き切ると豆叩きをし殻を分別して収穫する。
 掲句は、燦々と豆はざに当っていた日差しが少し傾いて静かに昏れかけている。稲刈りという大事を終えた後であるから豆はざを見る目には余裕がある。景も情も穏やかそのものである。
 「過疎」という言葉は大雑把だから採らない、とかつて申し上げたが、足を使い、目を凝らせばなつかしい里山は色々な表情を見せてくれる。それを描けばよいのである。

秋草を飾る車に寝泊りし 沢柳 勝

 この作者は大型のキャンピングカーを所有し毎年夏から秋にかけて北海道から東北、関東を二ヶ月程夫婦で旅を楽しんでいる。一度車の内部を見せて貰ったが、ベッドはもとよりキッチン、バス、トイレの外照明や冷暖房も完備しテレビやビデオも見ることができる。
 掲句が心身共にくつろいでいるのは寝泊りする車に野の秋草を飾っているところ。震災地の避難所で自家用車に寝泊りしエコノミック症候群になるような恐ろしさは毛頭ない。

太ペンの師よりの手紙一位の実 片貝芳江

 敬愛している恩師からの手紙。昔から愛用されている極太の万年筆の字である。内容もさることながら筆圧がしっかりして矍鑠としていることが嬉しい。季語の「一位の実」がそれを象徴している。

握手して無言の笑顔夜学の子 手銭美也子

 俳句において「笑顔」という語は大抵不要。一句が喜びの句であるかどうかは「笑」の字がなくても分らねばロクな句ではない。しかし掲句の「笑顔」はよく効いている。必須だ。時間ぎりぎりに顔を合せた夜学の仲間。握手して笑顔を見せ合えば無言であっても心は十分に通じ合う。

腹の棒すーと抜かれし案山子かな 峯野啓子

 一読して「腹の棒」は着物を着せかけている「肩の棒」でないかと思ったが、これは脚から躯体を貫いていた棒であることに気付いた。役を終えた案山子は「腹の棒」を抜かれて案山子としての魂は消え失せたのである。凄味を感じさせた一句であった。

箍の竹のたうちてをる夜業かな 上野米美

 箍の竹は節や白い所を削ぎ落して残ったしなやかな竹の表皮である。樽の大きさ、すなわち箍の輪に合した幅に設らえ長さは三メートル程。これを放り投げるようにしながら編んでゆくが腕のよい職人の意のままにのたうちながら長さを縮めてゆく。「のたうちてをる」が的確な具象である。

のつけからホールインワン天高し 内田景子
 ゴルフコースであれグランドゴルフであれ「のつけから」は一番ホール。それがいきなりホールインワンとは幸先がよい。上々の秋日和、ゴルフの楽しさを満喫した一日であった。

腰籠をつけて僧侶の茸狩 曽我津矢子

 冬安居の寺も臘八の接心の外はゆっくりした日が続く。そこで腰籠をつけて住持も茸狩りを楽しんだ。ジーンズでも穿いていたのかもしれぬ。
 
体育の日なり勢出し歩きけり 瀬川都起

 体育の日の催しにウォーキングが計画されて参加した。お荷物にならぬよう勢出して歩き無事に終ることができて満足したのである。

その他触れたかった秀句        
秋天やすべるがごとく船の出て
茶会着を衣桁にかけて良夜かな
栗鼠の頬膨らませ冬支度かな
障子貼りおしるこの鍋気にしつつ
一人降り一人乗る駅十三夜
着せられて動きのとれぬ菊人形
朝寒や夫と体感温度に差
すすき原渡る風にも色ありし
狭庭にも好きな木のあり小鳥来る
顔知らぬ祖父の命日冬に入る
源 伸枝
鷹羽克子
今泉早知
藤江喨子
田久保柊泉
加藤美保
柳井英子
宮原紫陽
広岡博子
伊東美代子

白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

    大村泰子

秋冷の窓に灯の入る療養所
秋澄むや時の鐘聞く蔵の町
時雨傘地蔵通りに買ひにけり
ひよつこりと薬売り来る小春かな
木枯しや百騎の絵馬の揺るる音

    荒木千都江

木犀のどの路地となく匂ひけり
活けられて風を忘れし花芒
秋茜たてよこななめぶつからず
秋の雲湖に影落しけり
校正の遑に一句水澄めり

白光秀句
白岩敏秀

秋冷の窓に灯の入る療養所 大村泰子

 療養所と聞いてすぐ頭に浮かぶのは結核療養所である。しかし、今ではそんな施設はないであろうが、それにしても療療所というからには古い建物が想像される。そして、そこでの療養が長期であることも。
 療養所の灯は作者にとって見慣れた光景。それを今日、新鮮と感じさせたのは身を押し包むような夕暮れの秋の冷えである。
 秋の冷えの中に点った療養所の灯に、作者は暖かさを感じ、同時にその灯の許で暮らす療養者へ思いを寄せたのである。
 情を抑えた表現ながら暖かさを感じさせるのは、句の背後に療養者へ気遣いが籠められているからである。
 「木枯しや百騎の絵馬の揺るる音」
 木枯し音を聞きながら、かって見た絵馬を思い描いての句であろう。
 木枯しと絵馬の組み合わせに非凡さを感じるが、「揺るる音」とした表現を見落としたくない。普通は「触るる音」とするところ。しかし、「触るる」では木製の絵馬の音しか届かない。「揺るる」であれば読者の経験で木枯しの様々な音をイメージできる。さりげないが巧みな言葉遣いである。

校正の遑に一句水澄めり 荒木千都江

 「校正の遑に一句」とはなかなか洒落た句。とは言え、編集部はそれは忙しいところである。月の初めから原稿の整理、印刷所へ持ち込み、初校、再校、発送準備そして発送と息継ぐ間もないことであろう。そのお陰で我々は一度の遅刊も欠刊も合併号もなく、毎月きちんと『白魚火』を受け取ることができる。掲句の作者も編集部の一員。
 編集の、校正の忙しい最中で、授かりもののように生まれた一句。「水澄めり」がこの上もない清々しさを与えてくれる。

秋海棠縁より上がる母の家 宇賀神尚雄

 親と離れて住む距離はコーヒーの冷めない距離が良いと言われている。
 掲句から作者の家と母の家とはごく近く、いつも往来があること、親子の仲の良いことが分かる。そして、母の家が昔風の造りであること、庭もそれ相応な広さであることも分かる。それもこれも「縁から上がる」と言う表現によるものである。
 短い言葉で色々な事柄を伝えることは難しいことであるが、掲句はそれを事もなげに飛び越えた。身構えのない表現がそれを可能にしたのである。

雁渡る近江を過ぎて雨となる 長島啓子

 「雁渡る近江」と読むか「雁渡る」と切るか迷うところ。しかし、俳句は切れが大事。「雁渡る」で切って、あくまでも二行で読みたい。
 雁と近江と言えば芭蕉の「病雁の夜寒に落ちて旅寝かな」が重なる。芭蕉の句は近江の堅田で詠まれたものだが、旅の孤心がある。掲句には雨さえ楽しみに変える旅の開放感がある。雁の渡る大空と広い琵琶湖をイメージするからであろう。近江で雁に遇うことも旅の楽しみ。
  
故郷を訪ね花野に紛れたる 松本光子

 ある句会で女性は何歳になっても里の母親を気遣っているものだ、と言う話が出た。女性は母を何時も心の拠り所にしているそうだ。そんなものかと半ば得心した。
 さて、掲句。作者は久し振りに母の許に帰り、近くの花野まで足を伸ばしたのである。
 花野に立てば昔と変わらない花野である。そこには少女の作者が虫を追い、青春の作者が花を摘む。なつかしさが一面に広がっている花野に、作者は存分に甘えられたことであろう。掲句の「紛れ」は「甘え」と同義と解したい。正直な心情が素直に伝わって来る作品である。

酒蔵の壁に影置く実南天 柿沢好治

 晩秋の弱くなった日差しに、くっきりと影を置く実南天。酒蔵の白壁と実南天の影の対比が鮮やかである。目を移せば更に、南天の朱珠と葉の緑もまた見事。何れも遜色ない句材ではあるが、作者は色彩よりもモノクロの世界を選び取った。その潔い選択が実南天の影に集中して確かな写生句を得た。

立ち読みのなじみの顔の毛糸帽 米沢 操

 立ち寄った書店に見かけたおなじみの顔。声を掛けようか一瞬の躊躇があったが、声を掛けることにした。これはおなじみさんへの礼儀。この句の毛糸帽は動かない。毛糸帽が好々爺を連想させてユーモラス。

牛の声牧に伸びゆく草紅葉 安達みわ子

 秋うららかな牧場の一日。牛ののどかな啼き声が牧の空の遠くまで聞こえる。地上にはきれいな草紅葉。まさに、秋の大気のなかで、確かに呼吸していることが実感できる伸びやかな句である。 

 その他の感銘句
歳月を味はつてをり温め酒
小鳥来る綱引きの綱地に伸ばす
山迫る稲架のみじかき棚田かな
魚の影魚より太く水澄めり
旅疲れ残る夜寒でありにけり
外套のポケットに去年残りをり
独り居の庭にサルビア赤すぎる
秋うらら水平線は目の高さ
葡萄守小屋に番の小鳥飼ふ
川柳散り遠山の雪となる
渡部美知子
横田じゆんこ
竹渕志宇
稲井麦秋
大滝久江
池谷貴彦
佐藤玲子
村田相子
五十嵐藤重
石前暁峰

禁無断転載