最終更新日(Update)'07.09.14

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第625号)
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・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
・季節の一句    寺澤朝子
癌の句を」 仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
野澤房子、金原敬子 ほか    
14
白光秀句  白岩敏秀 40
・白魚火作品月評    鶴見一石子 42
・現代俳句を読む    村上尚子  45
百花寸評   青木華都子 47
・笛木峨堂氏逝去 50
・「俳壇」9月号転載 52
・こみち 「独りのこみち」 浜野まや子 54
・「俳句」8月号転載 55
・鳥雲集同人特別作品 56
・俳誌拝見「未来図」  森山暢子 58
 句会報 栃木白魚火 「鹿沼いまたか句会」   59
・柳まつり全国俳句大会報告       柴山要作 60
・「たかんな」「雉」転載 61
・今月読んだ本       中山雅史       62
今月読んだ本     林 浩世      63
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
     二宮てつ郎、福島ふさ子 ほか
64
白魚火秀句 仁尾正文 113
・窓・編集手帳・余滴       

鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

    晩 夏 光     安食彰彦

大滝の神に願ひの御籤結ふ
佛殿の屋根の阿吽の龍涼し
街騒をさけ地下室のビヤホール
美しき騎馬像に射す晩夏光
政宗廟常磐木落葉光り降る
青紫陽花杉参道の石畳
青葉光竹に雀の紋所
漆塗る錺の金具梅雨晴間


 青  霧   青木華都子

綿菅の綿とぶ男体山の裾
十一や修行の僧の青つむり
雨粒をつけ蜘蛛の囲の歪なる
木下闇くるると恋の鳩らしき
寡黙にて手八丁なる草刈女
のうぜんの絡まる駐車禁止標
身の丈をとうに越えたる立葵
青霧や霧の隠せる島幾つ


   蛍     白岩敏秀

辣韮掘る農婦に遠き海光る
とんとんと傘のしづくを切つて夏
青柿の落つる音して雨兆す
黒南風や天地無用の荷の届く
子の胸の水位にプール開きけり
苔咲かせ苔に老いゆく庭の石
蛍に男の胸を貸しにけり
日の暮れて今日を巻き込む青簾


 泣き黒子    坂本タカ女

汚れたる狐の消えし青虎杖
牛飼をやめるはなしをして遅日
賑やかな熊除の鈴楤芽摘む
足音を消しきつねゆく芒種かな
戸の開いてゐる農具小屋花林檎
行先を決めかねてゐる蛇の舌
重さうに藤咲いてをり揺れてをり
遠雷やかくしきれざる泣き黒子


  野  点   鈴木三都夫

葉畳を抽きし浅沙の黄なりけり
花挙げて一聨涼しななかまど
紫陽花の色の変るは雨を呼ぶ
田掻馬立往生の糞落す
竹煮草見するともなき花を挙げ
花が揺れ葉叢の騒ぐ蓮かな
否応もなくむんむんと栗の花
虎の尾の一輪挿しも野点かな
丹精の茶の芽を噛めば心ゆく
 青 山 椒   関口都亦絵

湯薬師の足湯処や朴の花
梅雨の灯を低く湯町の小商ひ
山家みな田植疲れの灯を消しぬ
割箸の杉の香ほのと冷奴
晩年の父眼裏に青山椒
よきこゑの祝詞の谺山開

 梅雨深む  寺澤朝子

枇杷熟るる湖北はまたとなき日和
けぶるごと栗の花咲く峡の寺
みづうみを出でて北指す夏の川
身丈なす山草刈りも二日三日
梅雨はげしサッカーボール置き去りに
旅に発つ前の墓参や梅雨深む

 九 輪 草  野口一秋

瞠目の菖蒲ヶ浜の九輪草
颯々と湖風渡る九輪草
富貴草菖蒲ヶ浜の畳なす
ゆくりなく仔熊と遭ひぬ青芒
捩花を陵守の刈り残す
胸圧す水のきほひや鮎を釣る

 再入院   故 笛木峨堂

癌に耐へ卒寿を過ぎて耕せり
千手観音祀る生家の藪椿
花菖蒲雨よろこんでをりにけり
よく笑ふ若き看護師合歓咲いて
榛名嶺を根城伊香保の山燕
病院の窓叩きをり火取虫

 月下美人  福村ミサ子

薄墨の出雲の空や花樗
舟川に沿ひし暮しや梅雨に入る
あぢさゐや雨に弾みのついて来し
舟川の光り返しや枇杷熟るる
傘さして梅雨の昏さの中にをり
対局の半ばに月下美人咲く

 棚  田  松田千世子

水の音繋ぎ棚田を植ゑ終る
青梅を拾ふ棚田の外れかな
木苺の奥へ奥へと谿伝ひ
水車小屋蛍の里へ径別れ
氏子らの挙りて結へる茅の輪かな
対岸の靄の中よりほととぎす

 本陣記念館  三島玉絵

萬緑に埋れ本陣記念館
老鴬に声かけらるる男坂
甲冑の声は空耳桐咲けり
衝立の虎や書院の梅雨深し
風が掃く池の紋様みどり濃し
水草の水の隙間に蜻蛉生る


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
    白岩敏秀選

  
   野澤房子

浦上の鐘きく坂や薔薇匂ふ
夏帽子祷りの椅子に置かれけり
曲るたびバスの軋みて麦の秋
河鹿聴く瀬音の中に耳を置き
朝顔市いま着きし荷を加へけり


   金原敬子

柚子の花友と歩調を合はせけり
旅の空アイスクリームの盛り上がり
切株に靴脱ぎにけり甘酒屋
あぢさゐの坂を登りて宿につく
  

白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選


   八幡浜 二宮てつ郎

カレー麺麭郭公のよく鳴く日なり
顔に雨一粒龍の髭咲いた
夏鶯休憩のいつ終るとも
夏至の雨棕櫚一本を濡らしづめ
首一つ回し六月終りけり


  群 馬   福嶋ふさ子

田一枚ほどの雪渓浅間山
岩燕電光石火の身のこなし
山祗に神事の跡や遠郭公
深山蝶この先人跡未踏の地
蛍にも宵つ張りてふありにけり
      
    


白魚火秀句
仁尾正文
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首一つ回し六月終りけり 二宮てつ郎

 蛇笏賞作家の相生垣瓜人氏は和漢の文学に造詣が深かった。「残暄も負ひぬ余暄も負ひにけり 瓜人」の自註には「桜は初花から花、残花、余花と続く。小生の日向ぼこりもそれに似た経過を辿る。立冬前から始って冬が終っても尚清明、穀雨に及ぶのである。」ここにいう「暄」は日向ぼこのことで氏の遺句集名も『負暄』。難しい字を難しく詠むので私共にはその味が分らなかったが、秋桜子、時彦、登四郎氏等には高く評価され「瓜人仙境」と讃えられていた。
 てつ郎君の掲句も言葉は平明であるが「てつ郎仙境」と言ってよく今号では一番面白かった。何も物を言ってないが詩があり、諧謔がある。同掲の「顔に雨一粒龍の髭咲いた てつ郎」も文語だ、口語だということを超えた「仙境」だ。

田一枚ほどの雪渓浅間山 福島ふさ子

 この句から「田一枚植て立去る柳かな 芭蕉」が脳裡を過ぎった。誰もがすぐに分るなつかしい景。「田一枚」という呼び方も庶民的だからであろう。真夏が来て浅間山の雪渓もどんどん解けて一処は田一枚程になっていた。「田一枚ほどの」の比喩は誰にでも一瞬で分る所がよい。成功の因である。
 こういう作品を見ると類想でないかと、めくじらを立てる向きがあるかもしれない。しかし有季定型の伝統俳句は九五パーセントが既に耕されていると波多野爽波は言ったが、まだ五パーセント未耕地があるということに勇気づけられる。四季の移り変りの正しい国土において単一民族である日本人が僅か十七音の短詩型の俳句を作るのだから百パーセント類想であっても少しもおかしくない。類句が出来ることも仕方がないが後発が先例より劣っていると判断すれば取り消せばよい。その判断は選者がする。

蓮の葉に雨粒一つ碧魚の忌 東條三都夫

 当時の同人集選者藤川碧魚先生は、平成七年六月二十四日満齢七十五で逝去された。この日は私の長兄の忌でもある。碧魚先生より一歳古い兄も満七十五歳だったので碧魚忌は宙で覚えている。
 昭和五十年刊の先生の第一句集『白きのんど』は徹底的に師風を真似た。昭和六十年刊の第二句集『雪地獄』は「一都何するものぞ」と師に追い付き追い越すことを宣言し激しい気概を示した。平成三年刊の第三句集『澪漂』は北海道俳句協会賞である鮫島賞を受賞したが「面白い句」を目途し、一物仕立が主の先師一都とは違った取り合せの句を主体とし、遺句集『遥かなり』でその作風を完成させた。「師に蹤いて師風を離れる」ことは師弟間の本道。泉下の一都も莞爾としていることであろう。また碧魚先生は北海道電力の若い社員に俳句を教え、三浦香都子、金田野歩女さんら白魚火社内だけでなく他結社にも有力俳人を沢山育成した。その功績は大きい。
 「蓮の葉に雨粒一つ」の景を見ているこの作者も筆者も碧魚先生を思い出している。磊落で熱血漢だった人柄がなつかしい。

割箸のきれいに割れて涼しかり 小林さつき

 割箸が木目どおりにぱりっと割れるのは気持よいものだ。「涼しかり」に共感できる。
 俳壇には、やたらと感動を強調するセンセイが居る。感動しなければ句を作ってはならぬと言っているように取れる。筆者らは感動というとオリンピックで金メダルを取った選手の涙の如く重く受け止めているので、三十分で五句の席題句会や毎月五十句六十句作るのに都度感動することなど出来る筈がないと思っていたら前出の爽波氏がこれに反対し、「おやっ」と思ったことや「はっ」としたことで作句して十分だと。筆者の考えていたことと全く同じであった。

先生に友達言葉キヤンプの夜 挟間敏子

 戦前戦中の頃の小、中学校の先生は威厳があって近寄り難い雰囲気を持っていた。だからいたずらをしたり規律違反には鉄拳が飛んできたが生徒もその父兄も当然と思っていた。テレビで「三年B組金八先生」を初めて見たのはもう二十年以上も前のことであろうが先生と生徒との間の雰囲気に驚いたのであった。掲句のキャンプの夜の師弟はもっともっと開放されて友達と何ら変らないようだ。「世に連れ」は歌だけではないのである。

甘藷挿すや風の重たき夕間暮 高村 弘

 青木昆陽が甘藷作りを広めてどれ程の命が飢饉から救われたことであろうか。掲句は楽しみに甘藷作りをしているのであるが、挿した夕方風が重くなってきたのは雨の兆し。ほっとしているのである。

菖蒲見に夫つれ出せば雨にあひ 田中いし

 出不精の夫をうまく誘って菖蒲園に連れ出したのであるが、生憎雨に遭ってしまった。作者のがっかりした顔が見えてくる。一句には巧まぬユーモアが滲み出ていて面白い。

 
その他触れたかった秀句        
黒南風や屏重門の片開き
いにしへのむらさきいろのかきつばた
手花火や反抗期てふ幼な顔
収穫の庭の胡瓜の尻に花
向日葵を育てし鉢のもう手狭
香水瓶鏡の前に置きねむる
風吹けば沼ごと動く花蓮
喉仏鳴らして畔の蛙かな
佐渡衆の焼きあごつくる大囲炉裏
星田一草
出口廣志
久保田久代
川崎ゆかり
井上科子
久家希世
高橋京子
八下田善水
高野房子
        
百花寸評
(平成十九年六月号より
青木華都子

はくれんの純白といふ華やかさ 大塚澄江

 この時期は日、一日と日脚も伸びて、柔らかい春の日射しに、はくれんの白は華やぎと気品を感じさせるのです。また春霞の中のはくれんは、ほのぼのとした匂うような白が、目を止め、足を止めて、見る人の心をなごませるのです。

缶けりの缶置き去りに花菜中 友貞クニ子

 作者と同年代の人であれば、缶けりの遊びの楽しさを知っているはずです。誰かが缶をけって、鬼になった子が、けられた缶を元の場所にもどして、その間に隠れた子達を見つけるという「かくれんぼ」の遊びなのです。缶詰の空き缶の一つで、日が暮れる迄遊んでいた記憶があります。今の子供達で缶けりを知っている子が何人居るでしょうか。
 少子化の中で、学校から帰って来るとすぐに塾通いでは、遊ぶ時間もありません。どの路地にも、大声で駈け廻っている子供の姿を見ることが出来ないのは、ちょっと寂しいですね。高価な「おもちゃ」よりも身近にある物を遊びの何かにする考える力がほしいのです。菜花畑に置き去りにされた缶けりの缶に明日もまた子供達が集まって来るのです。
挨拶は上州弁なり春耕す 清水春代

 上州弁の中で育った子が、やがて大学就職等で家を離れて、お正月やお盆に帰省をした時、上州弁で声を掛けられると、ほっとするのです。掲句「上州弁なり」と言い切ったことによって「春耕す」の季語が光るのです。

日の匂ひ土の匂ひの蕗の薹 高野よし女

 庭の片隅の蕗の薹を二つ三つ摘んで、細かくたたいて蕗味噌に、天婦羅にしていただく食卓を囲んで会話も弾むのです。それだけではなく調理をした厨房は蕗の薹の香りが、お日さまの匂ひや土の匂ひまで感じさせてくれるのです。旬の味、旬の香りはそれだけで元気が出るのです。蕗の薹のほろ苦さが春の匂ひなのです。

丸刈りの反抗期なる卒業子 谷田部シツイ

 中学生でしょうか、反抗期は成長の過程の通過点なのです。丸刈りの反抗期は、ほほえましく、第二反抗期なのかも知れません。さり気なく受け止めて、見守ってあげたいですね。

小児科の受付に置く雛かな 吉田志希子

 病院に連れて来られただけで、何をされるのかと半べそをかいているお子さんも、受付お雛さまを見て安心するのです。小児科ならではの心くばりが嬉しいのです。

息つめて雛の顔拭き仕舞ひけり 江良栄子

 先代先々代と受け継がれて、このお雛さまは古代雛なのでしょう。雛の顔や髪の薄埃を拭って薄紙で包んで納める時、掲句作者は、二た三言話し掛けているのです。

鶯の舌足らずゐてほほゑまし 石原登美の

正調のうぐひす聞きし旅の朝 橋本志げの

 何度も何度も発声練習をしている鶯、それでも「ホーケキョキョ」と舌足らずの声を、ほほえましく受け止めた作者と、しっかりした声で「ホーホケキョ」と鳴いている鶯の声に感動して旅の土産話に会話の弾む作者、いつどこに居ても、旅先でも作句に傾注して句帳にしたためている、その気持ちが嬉しいですね。

木の芽風雑木林の膨らめる 佐久間和子

 芽吹きから一気に新緑となって見通しの良かった雑木林も、照り降りにかかわらず緑が濃くなって、雑木林が膨らんで見えるのです。やがて万緑となり、更に膨らんで見えることでしょう。緑の美味しい空気を胸いっぱいに吸い込んで、散歩の一歩一歩が軽やかに、作者の弾む心が手に取るように解ります。
 
福袋不用のものと五分と五分 弓庭一翔

 五分はあきらめることにして、あとの五分に限りなく夢が膨らむのです。売り手の商魂のたくましさ、それが解っていても、五分の夢に賭けて買ってしまうのです。買った福袋を開ける瞬間の作者の表情を想像するだけでも楽しい一句です。
 
ランドセル持ちて笑む子や花菜風 土井義則

 何日か前迄は幼稚園生だった子が、急に大人びて見えるのです。通学路の花菜風が爽やかな一句。

蒲公英を摘む手は麻痺の残れる手 高橋京子

 はたで見ていると痛いたしいのですが、時間をかけて、蒲公英を摘むことによって、それがリハビリになっているのです。本人もつらいでしょうが、見ている方もつらいのです.根気良く続けることが、快癒する近道なのです。筆者も「がんばれ!」と応援の声をおとどけします。

春風に髪乱しつつ散歩せり 入江薑子

 春風を全身に受けての散歩は、少々髪が乱れても気にならないし、かえって心地良い春の風なのです。

声掛くるだけの見舞やシクラメン 早坂あい女

 そっと肩に手を掛けて、声をかけるだけで心は通じ合うのです。季語の「シクラメン」の、うつむきかげんに咲く、意味の深さが感じられます。

絵筆執る真正面に山笑ふ 坂田吉康

 山笑ふ絵はどのような色づかいなのでしょうか。「山笑ふ」想像を豊かにする季語。

  筆者は宇都宮市在住

その他目に止まった感銘句
薄氷踏みたる音を楽しめり
無数の目窓に映して冬電車
鳥雲に大工は口に釘ふふむ
みどり児の五指のつかめる春の風
電線に止まれぬ一羽春疾風
初燕島一巡し巣に戻る
髪切つて首筋たたく花の冷え
こぼれ種庭を彩る諸葛菜
西川玲子
中村國司
丸田 守
宮崎萌子
花島邦隆
石原幸子
森澤みよ子
七条きく子


白光秀句
白岩敏秀

夏帽子祷りの椅子に置かれけり 野澤房子

 この教会は同時発表の〈浦上の鐘きく坂や薔薇匂ふ〉から長崎の浦上天主堂と分かる。
 長崎は坂の多い街。暑い日中の坂道を来て、教会に入るとひやりとした空気に触れる。同時に敬虔な気持ちに満たされる。ステンドグラスを通した淡い光り、正面の十字架を背負ったキリスト像、そして決して新しくないが落ち着いた祈りの木椅子。作者は誘われるように椅子に座し、祈りの手を組まれたことであろう。
 「置かれけり」の慎みのある措辞に敬虔の深さが現れている。何事にも真摯に向き合う作者の姿勢が見えてくる句である。
 「朝顔市いま着きし荷を加へけり」
 朝顔市は東京入谷の鬼子母神境内で七月六日から八日まで開かれる。朝顔は秋の季、朝顔市は夏の季で少し妙な気がするが、朝顔市が戦後復活したものと聞けば納得できる。
 さて、掲句であるが朝顔は朝が勝負。いま着いた朝顔は遠くから夜をかけてきたのであろう。すぐさま荷が解かれ鉢が手際よく並べられていく。朝涼のなかで朝顔の瑞々しい紺が新鮮。表現の簡潔さに朝顔市の臨場感がでている。

あぢさゐの坂を登りて宿につく 金原敬子

 この宿は今年の「白魚火全国大会」が開催された松島の「ホテル大観荘」。
 作者は事もなげに叙しているが、なかなか苦労の坂である。宿に着くまでには、三、四回は息継ぎが必要である。それ程長く、つらい坂であった。私の地方では盛りを過ぎている紫陽花が道の両側に見事に咲いていた。
 こういう景は松島だけとは限らないが、大会の旅吟として是非残して置きたい句である。
 並記の「梅雨晴間写真撮影長引いて」も同大会での記念写真の撮影時のこと。  
 百六十余名の参加者の最高を撮るため、写真屋さんが細かく気を配って少し長引いただけのこと。出来上がった写真は立派なもので、参加者の顔が楽しそうに明るく輝いている。
 大会の一情景をさり気なく詠んで想い出深い。

投網打つ魚籠に鉄平八十歳 杉浦文月

 八十歳の高齢になってもまだ投網を打つ元気者の鉄平爺さんである。鉄平さんは若い時分から、この川で漁一筋に生きてきたのであろう。
 名前は随分と頑固そうだが、いい人なのである。川のことは隅々まで知っているし、洪水や事故のことなども全部知っている。鉄平さんは川の歴史そのものである。
 鉄平さんが亡くなれば、川は滅びるかも知れぬ。それ程鉄平さんがこの川で重ねてきた歳月に重みがある。
 これからも鉄平さんに元気で投網を打ち続けて欲しいもの。

瀧見上げしばしこの世に遠くゐる 木村竹雨

 この句、流れの細い滝ではこうはなるまい。轟音を立てて落ちる雄渾な滝こそ相応しい。
 滝の上に間断なく水が現れては落ち、そして轟音をたてる。滝を眼前にして、滝音と涼風に身を任せて立ちつくす作者である。
 この時、作者は「この世」も「あの世」もない忘我の刻の中に遊ばれていたに違いない。軽妙な詠みぶりに枯淡な味わいがある。

藤棚の影濃きところ乳母車 内山実知世

 乳母車と言えば「乳母車夏の怒涛によこむきに 橋本多佳子」を思い出すが、掲句には多佳子句のような激しさはない。むしろ、作者は平穏な静けさのなかにいる。
 天蓋のように広がる藤棚から乳母車へ確かな焦点を絞って見事である。
 涼やかに揺れる藤房の下の乳母車で安らかに眠る赤ん坊、それを見守る若い母親の満ち足りた幸福な顔が浮かんでくる。

子の声を聞きたく浴衣送りけり 海老原季誉

 何事かあればすぐ飛んで来てくれる息子であるが、この頃は忙しいのか電話もしてこない。浴衣を送ってやれば、何か言ってくるだろうという句意。母情の豊かな句である。先程、息子といったが、娘さんでは華やぎありすぎる。むしろ、家庭も顧みずに会社の責任ある仕事をこなしている息子さんの方が似つかわしいではなかろうか。

夫の留守盗み昼寝をしてをりぬ 飯塚富士子

 盗み昼寝とは無類に愉快な言葉。盗み食い、盗み撮り、盗み見等々「盗む」が付く言葉にろくなものはない。ただし、「盗み昼寝」は辞書にはない。辞書に登載する可否はともかくとして、このような大胆不敵な言葉を使って句が出来ることは面白い。俳句は大らかである。

郭公や届いてをりし京みやげ 竹渕きん

 近頃の宅配便は迅速に配達してくれる。送った京みやげが当人より先に着いている。「なんと」という軽い驚きと「やれやれ」という微苦笑が出そうである。仁尾先生の言われる感性が「おや」と軽く揺れて出来た句。


 その他の感銘句
六月や杉の梢は遠目にて
炎昼の石截る鋸の青火花
冷し酒ぶつぶつ切れる田舎蕎麦
てのひらの魚に塩打つ夕立かな
蛇行する坂東太郎雲の峰
街眠りレモンのやうな夏の月
図書館を出でて真向ふ虹二重
花南瓜見まはる始発電車過ぐ
どくだみの花の盛りを刈られたる
更衣高校生とよく会ふ日
石井玲子
五嶋休光
島田愃平
源 伸枝
川上一郎
小林さつき
早川三知子
原 菊枝
藤元基子
桑名 邦

禁無断転載