最終更新日(Update)'06.10.30

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第613号)
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・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
・季節の一句    林やすし
夏炉主宰近詠仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
       
梶川裕子、金井秀穂 ほか    
13
・白魚火作品月評    水野征男 39
・現代俳句を読む    渥美絹代  42
百花寸評    青木華都子 46
・俳句8月号転載 48
・俳誌拝見 (創生)      森山暢子 50
・白魚火浜松全国大会
・全国俳句大会グラビア 51
 ・大会作品 59
 ・浜松全国白魚火大会大会記 78
  全国大会参加記 85
 句会報「飯田白魚火句会」 93
・こみち (私の散歩路)   和田伊都美 94
・今月読んだ本       中山雅史       95
今月読んだ本      影山香織      96
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
     江見作風、田原桂子 ほか
97
白魚火秀句 仁尾正文 146
・窓・編集手帳・余滴       


鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 
荒 神 谷  安食彰彦

銅剣の出土の谷の若葉風
銅剣のレプリカ並ぶ木下闇
銅剣の谷に散りたるえごの花
なにもかも謎の銅剣草茂る
夏草に佇ち銅剣の森望む
上の間に燭台二つ若楓
竹の子の兜を飾る夏座敷



 母 の 日  鈴木三都夫
 
母の日の曝して長き母の文
牡丹の崩るる吐息吐きにけり
茶刈幾を捌く阿吽の夫婦かな
運び来し茶の芽を車ごと計る
今年竹諸肌脱ぎし男ぶり
楠大樹三百年の青嵐


  
 更 衣  青木華都子

どちらかと言へば辛党よもぎ餅
何も彼も忘れたき夜の遠蛙
鉄線花蔓の右巻きばかりなる
橡の花散らばる県庁前通り
更衣期限切れなる入湯券
生みたての玉子のとどく走り梅雨


    
  梅 雨  関口都亦絵

梅雨の傘たたみ師の碑にふれもして
師の句碑をぐるり人の輪濃紫陽花
白靴の土を払ひて句碑に佇つ
夏つばめ日矢一閃の出世城
明易の玻璃に髪梳くとほたふみ
遠州の言の葉涼し再会す


  緑 雨   寺澤朝子

銀明水井戸も乾びし梅雨の隙
青嵐や城に出世のものがたり
万緑に天守載せたり浜松城
山門に鳥居の隣る梅雨の坊
大寺に三尊在はす緑雨かな
青梅雨やタカ女を泣かす主宰句碑


 雲 母 虫 野口一秋

夏霧の詰まる墜道山法師
噴き昇る間欠泉の涼しかり
雲母虫虚子歳時記のぼろぼろに
一湾の膨るる卯の花腐しかな
釣宿の馳走のひとつ河鹿笛
捕虫網立てかけてあり露天風呂


 方 広 寺 笛木峨堂

姿態自由苔衣の五百羅漢かな
尺蠖の羅漢の顔を計りをり
方広寺大本堂に蟻地獄
虫運ぶ蟻に応援来たりけり
草刈つて草の中より忘れ鎌
竹の子を猪に掘られてしまひけり


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
    仁尾正文選

   梶川裕子

松並木のこる往還夏つばめ
観音に背を向けて飲むソーダ水
甚五郎の竜の牙むく蜘蛛の網
野面積の石の百相草茂る
蟻地獄天守真下の隠し井戸


   金井秀穂

蜜を吸ふ間も忙しなき揚羽蝶
夏帽子更に目深に畑の妻
掌に載せでで虫を這はせみる
旅先で妻に指示する田水守り
機嫌よき青田が迎ふ旅帰り


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

  津山  江見作風

時の日や飯炊き上る電子音   
時の日やがらくた箱の古時計
音耳に尾鰭のつきて夕端居
水神の御機嫌良き日田水引く
人疎ら紫陽花寺の昼餉どき

  鹿沼 田原桂子

松蝉や山まぶしさに満ちてをり
神杉に古き傷跡梅雨ふかし
四阿に先客のあり閑古鳥
胸板を誇る夏シャツ子を抱きて
落葉松の新樹の影を抜けにけり


白魚火秀句
仁尾正文
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音耳に尾鰭のつきて夕端居 江見作風

 世の中には地獄耳といって人の秘密をすばやく聞き込む耳の持主が居る。勘が鋭く、よく行動して情報入手に身を惜しまないのである。
 掲句の音耳は、自然に耳に入ってくる噂であるが、これとて人とのつき合いの悪い人や一日中家居していたのでは入ってくる情報も入ってこない。
 こうした噂話は、人から人へ伝る度に尾鰭がついて大きくなってゆく。端居をしながらお隣のご隠居と話している内に、くだんの噂話が随分と大きく膨れていることに苦笑している。庶民の罪のない「音耳」なら話が倍になっても三倍になっても笑い飛ばせるが。

観音に背を向けて飲むソーダー水 梶川裕子
                    (白光集)
 筆者の白光集選は本号が最後。永い間のご支援に深謝する。来号からは白岩敏秀選になるので期待していて欲しい。筆者は昭和六十三年九月より白魚火集選者に就き、平成六年頃同人集選者の藤川碧魚先生が病気がちとなりその代選をし、平成七年御逝去後はこの欄の選者も勤めてきた。この間一号の欠刊もなかったことに安堵している。
 掲句は、六月の浜松における白魚火全国俳句大会の吟行句である。旅吟ではそこの地名をやたらと入れたがるものであるが一連五句には固有名詞が一句もない。
 掲句は、観音さんに参拝の後茶店でソーダー水を飲んでくつろいでいる。「観音に背を向けて」と多少気遣っているが、たまたま椅子がそういう並びになっていたということ。
 旅吟に於て、「そこを詠む」ことは行きずりの旅人には至難である。「そこで作者自身」を詠むのである。歳時記の例句を見ても秀句はすべてそうである。掲句が成功したのも至極順調な旅の進行と、気に入った作句ができたことによる。

胸板を誇る夏シヤツ子を抱きて 田原桂子

 細身でスマートに見えるプロ野球選手が、身長一八〇センチ体重八三キロと紹介されて驚くことがある。意外と思える体重は、ストレッチなどによりよく鍛えられた筋肉によるのだという。体脂肪などは問題にならぬ位少ない。
 掲句はそのような人物。胸板を誇るかのようにはだけて、見る人を惚れ惚れとさせる。この魁偉に見える若者にも一子があり、可愛くて仕方がないように抱きかかえているのである。当り前といえば当り前のことであるが、この作者は意表をつかれたのである。

旅先で妻に指示する田水守り 金井秀穂
                (白光集)
 この作者の作品を見ると今どき珍しい専業農家のようである。浜松大会に出てきて、旅先から妻に電話で、気象情報に即した用水の調整を指示している。だから「機嫌よき青田が迎ふ旅帰り 秀穂」と満足したのである。なお、「掌に載せでで虫を這はせみる 秀穂」は「掌」を「てのひら」と読ませて好感した。掌に「て」の読みはないが多くの俳人は「て」と読ませている。

大念仏若き手さばき撥捌き 谷口泰子

 大念仏という季語は、静岡新聞社刊の『「しずおか」俳句歳時記』の外は何処にも登載されていない。遠州大念仏ともいわれる念仏踊である。浜松白魚火会が大念仏の一団を招いて浜松大会のアトラクションとして披露したので大会参加者には印象に残ったことと思う。
 元亀三年、家康信長連合軍が上洛中の武田信玄と三方ヶ原で激闘し家康軍が大敗した。毎年盆頃になると両軍の戦死者のうめき声が聞え住民がおびえたので、家康が命じて念仏踊を始めたのが今に残ったもの。
 大念仏の一団は三十名程の若者で、ピンクの長襦袢に手甲、脚絆、赤だすきを結び笠を目深に、太鼓、笛、双盤を持ち、初盆の家々を回り激しい念仏踊をくり拡げる。
 既に次のような優秀な例句もある。
大念仏踊るは男ざかりかな 稲葉光堂
婿に欲し大念仏の太鼓切 広田みさ江
 遠州地区の作家に呼びかけたいのは大念仏の秀句を作れ、ということ。秀句が沢山集ればどの歳時記も採り上げる内容を持っているのである。群馬の連衆が「吹越し」に取り組んでこれが、かなり歳時記に登載されだしたのと同様に。

風青し主宰の句碑の泰然と 柴山要作

 今回の浜松大会では方広寺にある筆者の句碑を見ることも吟行目的の一つであった。一般に句碑という題材は忌日俳句に似た所がある。門徒でない筆者には蓮如忌など何の興味もないのと同じように正文句碑詠の氾濫に辟易するのではないかと案じていた。ところが会員のどの句碑詠にも心が入っていて感動したのである。これには筆者自身予期していなくて驚嘆した。
 掲句も何でもないような句姿であるが筆者に寄せてくれた好意が身にしみたのである。句碑を詠んでくれた総ての会員に深謝したい。

留守番の夫にあれこれ明易し 大塚澄江

 この句も今回の大会に出かける早暁のことかもしれない。三日間も留守を頼む夫に食事の献立や食材準備、調理の方法まで、あれこれ説明しお願いしているのである。筆者も折々このように頼まれることがあるが「スーパーがあるのだから飢え死はあるまい」と上の空で聞いているので、いざ料理にかかると塩や胡椒の置場迄は聞いてなくてうろたえるのである。
 夫を亡くした未亡人は三十年も長生きするのに男は妻を失ったら三年も持たないといわれている。その弱い男に旅をする作者が気を遣って止まないのだ。ここはこの句の主人公の夫君に同情して置こう。

端居してそうつと煙草吸つてをり 高橋見城

 一日五十本ものヘビースモーカーだった筆者も断煙して十年が経った。ニコチンには肥満を抑える効能もあるのだが医師は「断煙すると体重は一割増える。が、ダイエットで元へ戻せばよろしい。」といとも簡単におっしゃる。体重は正しく一割増えたが、ダイエットは断煙の十倍も難しいことを今実感している。
 さて掲句。国が専売する煙草を吸うのが今や大麻吸引者の如く扱われているのは、けしからんことだ。この作者は打ちくつろいだ端居の時でさえ「そうつと吸つて」いるのである。

みてみいやまつことみどりのお城ぜよ 谷美富士

 白魚火は文語に徹しているがこういう愉快な口語俳句なら採るにやぶさかでない。
 最近「方言俳句」を募集している総合俳誌もある。
こいさんの恋奔放にリラの夜 赤尾恵以
飲みんさい忘れんさいと宿の春  林 徹
頭掲句は土佐弁であることが一目である上に気ツ風がよい。
 三年程前、白魚火会員空白県の高知に白魚火会が立上り会員十名余が石橋茣蓙留氏の指導で腕を上げてきている。今大会には八名が出席し二日目の夜の余興にはトップバッターを買って出るよさこい踊りを披露した。

    その他の感銘句
     白魚火集より
湯のたぎる夏炉の尉のつと崩る
沙羅の花古川に似たる羅漢かな
鮨食ふや東海道のど真中
駐車場の潦にもみづすまし
手作りの田植肴の届きけり
ひとり居るときを涼しと思ひけり
吊橋の少し揺れゐる滝仰ぐ
神苑に風の飛脚の落し文
時鳥弟恋しと鳴きにけり
吊り広告ガーベラ摘みを誘ひをり
蜘蛛の囲の必ず顔の高さかな
夏の蝶花の番地を探しをり
こあがりの蘭草座布団匂ひけり
紫陽花や潮騒届く保育園
福田 勇
荒木千都江
高島文江
野上 晢
山下勝康
新村喜和子
鍵山さつき
片瀬きよ子
岡田万由美
前川美千代
広岡博子
金子フミヱ
早坂あい女
浅野智佐子

     白光集より
御田植一人は腰に斧を下げ
自転車のハンドル取らる大西瓜
落葉焚く煙ひすがら荷茶屋
甚平着て余生の一日暮れゐたり
絶叫に蛇驚きて消えにけり
日当りて茅の輪の青き匂ひかな
青梅の粒揃へ役委せられ
草取の疲れし時は空を見る
甚平や無礼講にて候へば
松下葉子
諸岡ひとし
伊藤 徹
田久保柊泉
大石美枝子
塚本三保子
山中しづ
丸谷寿美子
荒木 茂


百花寸評
     
(平成十八年六月号より)   
青木華都子


春ショール腰に結はへて歩きけり 小沢房子

 セーターやショールを腰に結ぶスタイルは今風のファッションなのです。掲句春ショールを腰に結んだ作者の勇気とその気持の若さが尚若く見えるのです。春ショールを上手に使いこなして、さり気なく季節を演じて、そのことが日常生活の中に、また作句するにあたっても感覚の鋭さがにじみ出て来るのです。おしゃれ上手は、人の目も楽しませてくれるのです。

卒業といふ美しき別れかな 川島昭子

 「美しき別れ」素晴らしい表現ですね。
 入学は出合いのひとこまであり、卒業は別れのひとこまなのです。真黒に日焼けをして勉強はそこそこでも部活動で頑ん張った生徒、ひたすら机にかじり付いて参考書を片手にどことなくひ弱に青白く秀才と言われていた生徒も、様々な思い出を胸に、迎えた卒業式は感無量なのです。新たな人生に向って踏み出した一歩でまた一つ経験を豊かにするのです。別れに交わした握手は、それぞれの夢に向って「美しい別れ」の感動のひとこまなのです。

口開けてくしやみ待ちゐる四月馬鹿 竹渕きん

 いまにも出そうで出ない「くしゃみ」、鼻をむずむずさせながら、口を開けている表情は誰にでも覚えがありますね。周囲の人を驚かすほど、思い切りくしゃみをして、すっきりとした作者。掲句の場合の季語は、万愚節ではなく「四月馬鹿」と据えたことによって読む者を「うんうん」とうなずかせ、よく効いています。

四月馬鹿笑つてすまぬ事もあり 中山雅子

 前句とは微妙に違う「四月馬鹿」と受け止めます。「笑ってすまぬ事」とは何事だったのでしょう? しかし悩み抜いて困惑するほどの事ではなく、一寸した知恵と考え方を変えることによって「案ずるより生むが易し」で、笑ってすます事が出来たのかも知れません。「四月馬鹿」と季語で吹っ切れた一句。

指跡の太き草餅道の駅 荒川文男
 「指跡の太き」が嬉しいですね。
道の駅、旅の駅など行く先々で、ひと休みの出来る、このような場所があることは、有難いものです。新鮮な野菜や、手作りのお菓子など、近頃は作った人の名が記されていて、安心して買えるのです。掲句、道の駅で買った草餅に太く三本の指の跡がついていて、作者は、母親の作ってくれた草餅を思い浮かべて郷愁を感じての一句なのでしょう。

春寒や何度も計る血圧計 小渕つね子

 春寒の頃は、昼と朝夕の温度差があって、血圧の高い人、また低い人にとっても体調の気になる季節なのです。しかし、あまり神経質になるのも血圧には良くないのです。何度計っても、さ程変らないものでは? ちょっと寒いと思っても外気に触れて、背伸びをしてみたり軽い運動をすることによって意外に血液の循環が良くなるのです。暖かい春はもうすぐそこです。

耕しの外に趣味なく母老いぬ 松島江治

 働き手の一人として、早朝から星を仰ぐまで、田畑を耕して趣味を持つ時間など無かったのです。そして今、年を重ねて趣味と言える程度に土に親しみ、大地の気を全身に受けて、未だ未だお元気なお母さんに感謝をしながらしたためた句と受け止めます。

穴出でし蛇に山道譲りけり 杉浦千恵

 蛇を見て一歩一瞬たじろいたのでしょう。「道を譲りけり」と強気には出たものの、怖くて退いたのでしょう。掲句に筆者思わず苦笑い。

百年の母屋改築初燕 大石益江

 百年の歴史の重みは筆舌に尽くせない歴史の積み重ねなのです。煤光りのした太い梁、大黒柱、戸襖や床板の一枚一枚にも、百年間守り続けてきた祖先の様々な思いが染み着いているのです。作者の代になって母屋を改築をすることは、重責であり、であるからこそ後世、子孫の代にしっかりと伝えて、系譜の新たな一頁に記されるのです。
 今年も来てくれた初燕、改築の成った新しい軒先に初燕が同じ所に幸せを運んでくれるのです。

茶柱に話のはづむ春火鉢 安納久子

 朝一番に入れたお茶の茶柱を一気に飲むとその日一日、何か良い事があると聞きます。春火鉢に手をかざしながら弾む会話は、周囲の人も巻き込んで笑顔で過ごす一日。

老いて今反抗期なり山笑ふ 石田博人

 何度目の反抗期ですか? 誰に、何に反抗をするにも気力、迫力、体力を要します。頑張れ反抗期。

日脚伸ぶコーヒータイムしてをりぬ 平 律子
 ほっとした一人の時間、肩の力も抜けて。

春泥を顔に背に浴びボール蹴る 服部正子

 泥と汗にまみれて蹴ったボールが、「ゴール」

大風呂敷広げてをりぬ花見酒 藤尾千代子

 花見酒に酔いが廻ってくると、気が大きくなって、多弁になり、尚もう一杯と注がれてついつい広げ過ぎた大風呂敷であっても、いいじゃないですか。全て酒の上でのこと、次の酒席では「つまみ」になることも覚悟して。


 その他の感銘句

霜予報防霜扇の感知せる    大石ちよ
教え子の棺出でゆけり花の雨  西田 稔
春光を背にうけ散歩日課とす  山田春子
豌豆に雨赤き花白き花     影山 園
残雪の峰薄れゆく日暮かな   檜林弘一
鶯に練習不足ありにけり    鈴木 勲
もぐら道踏み固めつつ耕せり  杉原 潔

  筆者は宇都宮市在住
           

禁無断転載