最終更新日(Updated)'06.07.05

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第608号)
H17.10月号へ
H17.11月号へ

H17.12月号へ
H18.1月号へ
H18.2月号へ

H18.3月号へ
H18.5月号へ

    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
・季節の一句    檜垣扁理
白息(主宰近詠)仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
       
渡辺美知子、二宮てつ郎 ほか    
14
・白魚火作品月評    水野征男  42
・現代俳句を読む    渥美絹代 45
百花寸評    今井星女  48
・こみち(私のお茶と俳句)  岩佐眞佐子 51
・「俳句通信」-VOL30号転載  52
・「俳句四季」-三月号転載  53
・俳誌拝見(青嶺) 森山暢子 54

句会報   「静岡白魚火さつき句会」

55
・「俳句朝日」-三月号転載  56
・「俳句アルファ」-二・三月号転載  56
・「寒昂」-第十九号転載  57
・今月読んだ本        中山雅史       58
今月読んだ本      佐藤升子      59
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
     前田清方、森山世都子 ほか
85
白魚火秀句 仁尾正文 110
・窓・編集手帳・余滴
       


鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 
 牡丹雪  安食彰彦

日脚伸ぶ携帯電話もたされし
マスクして目で挨拶すもう一度
笹の上に降る雪笹を揺らさずに
笹の上の雪に重さのなかりけり
笹の上うすみどりなる牡丹雪
春雷の去つて電灯瞬けり
淡雪に足をとられてしまひけり
  
  
 
 寒牡丹   鈴木三都夫

枯菊の火となるまでを惜みけり
菰内に命はぐくみ寒牡丹
大銀杏一千年の雪間かな
残雪を躍り出でたる滝頭
枝の雪ふりこぼしたる辛夷の芽
芽吹かんと紫淡くけぶる山


   寒の明  渡邉春枝

地卵に産卵日付寒波急
思はざる船の余波うけ浮寝鳥
遺されし絵画観てゐる寒さかな
双手あげ幼かけ来る四温晴
新色の口紅ならぶ春隣
遠き忌も合はせ弔ふ寒の明
    
    


   待 春  小浜史都女

一月の菜の花にはや蜂の来て
待春や帽子嫌ひが帽子買ふ
ヘリコプター来れば見上げて春近し
なやらひの国産大豆粒太し
鬼の役決まらぬままに鬼やらふ
白鷺の嘴水平に寒明くる


  春立つ 小林梨花

折れをれて海光に咲く野水仙
一寸の枝にも早梅蕾みけり
寒の雨しづくとなりて光りけり
春立つや背山にあえかなる日差し
岬風に雪解雫の飛び散りて
雨霧の動く山襞春めけり


  滝氷柱  石橋茣蓙留

これよりは神の領域滝凍る
凍滝の橋に布敷くおもてなし
神刀の長さに氷柱しづかなり
急峻の道に氷柱のとどめ刺す
その間合即かず離れず滝氷柱
凍滝を背に三椏のつぼむ径
  


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
    仁尾正文選

    渡部美知子

厳冬の風に研がるる軍星
大壺に据りの悪き椿かな
桟橋に小舟の並ぶ春の川
動き出す春田の中を火の国へ
眠れぬ夜一度つきりの春の雷


   二宮てつ郎

どつと過ぐる七種以後の時間かな
雨に背曲げ風にも背曲げ寒に入る
雲厚しインフルエンザ注意報
寒暮の灯寒暮の峡へ洩れにけり
やすやすと一月ゆきぬ雨の中


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選


    松戸  前田清方

音がして冬の花火となりにけり
片付けし母の遺品の針供養
針千本呑まずに暮らし針供養
春浅き湖岸に一人もう一人
だんまりの底にいのちを蜆かな


  松江  森山世都子

寒泳の雄叫び鳥を翔たせけり  
ゆきずりの朝市に買ふ寒蜆
野水仙お台場に向く兵の墓
笹鳴や車道となりし女坂
風花や屋根だけ見ゆる階に住み


白魚火秀句
仁尾正文
当月英語ページへ


春浅き湖岸に一人もう一人 前田清方

 立春を過ぎてまだ日を経ない頃、湖岸の遊歩道あたりを人が一人歩いている。目を凝らすと後からもう一人が散策している。句はそれだけを敍して単純極まりない。だが、作者の思いは「春浅き」にすべてを委ねているのである。浅春の頃は、冴返る、余寒、春寒等々の季語が沢山あって真冬と変らぬ日が多い。しかし、折には三月中旬並みの気温という日もある。「春浅き」と冒頭に置いたのは、多分に、春の到来を実感したのである。
 この作者は『前田清方個人年鑑』を既に二冊出している。経歴を見ると十代後半から句作を始め「琴座」や「海程」等の前衛系の俳誌に入る外、いくつもの同人誌にも名を連ねている。反面「狩」など伝統俳句に来たりもしていてその遍歴は目まぐるしい。多くの俳誌や俳人と交流し俳壇のことにも詳しい。
 昭和三十七年の角川俳句賞の選者は、草田男、波郷、楸邨、不死男という豪華メンバー。当時俳句の登竜門として角川賞受賞作家は広く俳壇に名が知られた。この年この作者は予選通過作二十五篇の中に入り秋元不死男は〈涼の夜連木(れんぎ)漂うごと眠り 清方〉などの彼の作に最高の五点を投じ佳作に入選している。有季定型ではあるが、やや傾向が違っている。その作者が平成十年綜合俳誌の広告を見て白魚火へ入ってきた。鳥取県に老母を訪ねることが多く父祖の地もあったことによるという。〈芹ぬきし濁りながれてゆきにけり 一都〉に感銘するようになっているとするならば、在籍が過去一番長い白魚火に定着して一苦労してみては如何か。

大壺に据りの悪き椿かな 渡部美知子
            (白光集)
 生花の師匠に感じ入るのは、一抱えもある椿の中から花材を選び出し、ばさばさと鋏を入れて枝も葉も花も切り落すのである。見ている者をはらはらさせるが、花入れには、二三輪の要になる花と葉を残し、出来上ったものは藪椿の大樹を思わせるのである。
 一方大壺に椿を挿す場合は、当然の如く太い枝のものを、なるべく手を加えないで投げ入れて野趣を出す。掲句は、据りの悪い椿に取り組んで悪戦苦闘している。言うことを聞かぬ枝があるのである。宥めすかしても手に負えぬものは一旦切って、邪魔を除いて、そっと添え加えるのである。
 据りが悪ければ悪い程、何とか生け終えた後は格別。一句は少しくすぐりが効いていて愉快である。

笹鳴や車道となりし女坂  森山世都子

 寺社正面の急登を男坂というのに対して、迂回した、だらだらの坂を女坂という。女や子供のための参道である。女坂をゆっくりと歩くのも一興であるが、万事せかせかしたこの頃である。女坂を車で登る者が多いのである。中には寺社側が参詣者の便宜を図って舗装し駐車場まで設えたものがある。観光第一、信心は序でなのである。
 掲句は穏やかな表現であるが、よき時代のよき伝統がだんだんなくなってゆくことを愛惜しているのである。

どつと過ぐる七種以後の時間かな 二宮てつ郎
                   (白光集)

 「一月は去ぬ、二月は逃げる」といわれるが確かに一月二月の光陰は矢の如くである。元旦から数日間何処も休みとなっていること、二月は暦の上で三日少ないことが大きく影響している。
 この作者の俳句は何時見ても面白い。掲句の「どつと過ぐ」などは何の苦労もなく出た言葉のようであるが、仲々こうはいかない。瓢々として無造作のようであるが、俳句と無縁の日は無いのでないか。白魚火社でも老手の中の有力な一人だ。

小寒の山田鍼灸治療院   大村泰子
                  (白光集)
 飯田龍太に〈露の山から朝日さす阿部医院〉という作品がある。掲句のパターンもこれに似るが両句とも面白い。
 山田鍼灸治療院は誰も知らぬが一応は固有名詞である。龍太もこの作者も「阿部医院」「山田鍼灸治療院」に固有名詞の意識は持っていない。町医者、町の鍼灸院程のものである。きっと両者ともここの医師と親しいのであろう。変った表現であるので新鮮である。だが、やたらと亜流が出ると忽ち色褪せたものとなる句柄だ。

羽子板の裏のわが名は父の文字  梅田嵯峨
(白光集)
 初めて買ってくれた羽子板を今も大切にしている。当時の羽子板は板製で、表に絵が描かれ裏は専ら羽子を突くものであった。
 その板の裏に墨で作者の名を父が書いてくれたのがそのまま残っていてなつかしい。父も若かった。もちろん母も。

野火の向き変りて風を驚かす 阿部晴江

 野火の向きが変ったのは風の方向が変ったからである。そのことで風が驚いたというのが面白い。最初に野火の向きを変えたのは激しい火炎によって上昇気流が生んだ風。そのことに驚いたのは、この地方一帯に吹く今日の一般的な風である。風の種類が違っているのだ。足もて作ったために、想像を絶するすさまじい風景に出遭うことができたのである。

手と足の動く幸せ野水仙 田久和みどり

 手足が満足に動かなくて苦しんでいる人は随分と多い。意識をしないで手足が動くということが羨しくて仕方のない人もいる。この作者もその中の一人。手足を病んだ一時期があったのであろう。それが本復し改めて癒えに感謝している。季語に置いた野水仙がみごとである。

父逝くや尼子の渓の猫柳  田口 耕

 この父は最近急逝した鳥雲集同人の田口一桜氏である。一桜氏の経歴によると「昭和七年島根県広瀬町に生れる。」とある。広瀬町は尼子氏の本城富田城があったことで知られる。
 掲句は、一桜氏没後亡父の生れ故郷の広瀬町に帰り、父が生れ育った土地のすべてが知りたくて歩き回ったのである。そして月山から流れ出た渓の猫柳をしげしげと見たのである。
 
小百姓なれど律儀に鍬始 渡辺晴峰

一茶忌や父を限りの小百姓 波郷 
という句がある。この句の小百姓というのは職業を蔑称したもので使うべきでないが、頭掲句と同じように自らのことを詠んでいる。
酌婦くる火取虫より汚きが 虚子 
この句は許されない。この句が作られた時代を考慮しても不愉快である。火取虫の例句として、歳時記に載せているのもあるが、今後作る歳時記には載せるべきでない。

 

    その他の感銘句
     白魚火集より
画数の多き君の名クロッカス
水素二個酸素は一個寒に入る
かんじきやははの故郷村閉づる
探梅や遠くに見ゆる寺の屋根
寒卵生まれたてなり濡れてをり
母の背の小さくなりぬ年の豆
一月の一万匹の鰯雲
天と地のはざま挟まる雪一日
一月の日めくり今日で終りけり
色といふ色まだ持たぬ牡丹の芽
埋火や今では遠き人の文
林立のずはえに蕾梅を剪る
黒松の男振りなる霧氷かな
立春の黄金色せる陽の沈む
たちまちに逢ひたくなりし寒昂
計田美保
山口あきを
後藤よし子
西村輝子
横田じゅんこ
大塚澄江
鈴木桂子
宮崎都祢
田久保とし子
飯塚美代
鷹羽克子
岡本千歳
河村 翠
石前暁峰
山本千恵子

     白光集より
灰炭のほどよき温き掘炬燵
ぼたん雪夜を籠めてまたぼたん雪
結び目にふんはりと雪福みくじ
ジャケットの寸法合はぬ福袋
寒念仏物言ひて眉動きけり
波しぶき浴ぶ待春の潮仏
初市の両眼白き達磨たち
恵方巻祈りを込めて頬ばりぬ
冬ぼたん巫女の袴のひるがへり
八雲立つ鳰の湖日矢させり
野田早都女
安田青葉
奥野津矢子
鈴木千恵子
山岸美重子
福田恭子
佐藤都葵
太田昭子
尾下和子
武田美沙子


百花寸評
     
(平成十八年一 月号より)   
今井星女


柿食はぬ今日この頃でありにけり 高橋宜建

 この句を拝見したとき、柿が大好物であった正岡子規のことをふと思った。
 作者も柿が好きなので食べたいと思っているのだろうが、時期が悪いのか、ここしばらく口にすることがないことを残念がっている。
 大好物の柿を食べて、できることなら子規にあやかりたい―。そんな思いも少し。
  『 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺     子規』
 つい口ずさみたくなる句である。

大根の一句が飾る茶の間かな 海老原季誉

 大根の一句とは『流れ行く大根の葉の早さかな 虚子』の色紙だろうと思う。
 作者は俳人だから、各部屋にも好きな作家の色紙や短冊を飾っていることだろうが、この有名な大根の句はお茶の間が似合っているようにも思う。私が掲句で注目したのは一句をでなく一句がと表現されているところである。
 又、この虚子の句は昭和三年、虚子五十四歳の時の作で、虚子はこのころより花鳥諷詠、客観写生をさかんに唱導したといわれている。
 海老原様の俳句眼を、さすがと敬服した。

武蔵野の名残りの松や秋高し 鎗田さやか

 今はすっかり都市になった武蔵野だが、一本の老松は昔と変わりない。かつての武蔵野の景が彷彿と頭をよぎる。松の深い緑とぬけるような青空との色彩美に感動している作者。格調高い佳句である。
 ちなみに今年の俳人協会発行のカレンダーの一月号は水原秋桜子の色紙で、
『初日さす万津はむさし野にのこる松』である。(万津は松のこと)

野仏に百の顔あり野路の秋 澄田みち

 秋草の咲き乱れた美しい野路をゆけば、石仏に出合うことがある。それは道祖神であったり観音様であったりする。野仏との対面は、実に楽しい。一つ一つの野仏の顔が違っているのは、時代が違うのか、彫師の技が違うのか、五百羅漢に見るように、一つ一つの顔がみな違うのだ。百の顔ありと表現された作者の観察力に敬服する。
 最近、『かみつけし野のほとけと神』という本を読んだ。著者は村上鬼城賞(平成三年)を受賞した俳人伊藤和彦氏である。彼は野仏の魅力をカメラで捉え、独特の筆さばきで野仏をドラマチックに紹介している。
 俳句はたった一行だけれど、連想が広がり読者を楽しませてくれる。

野紺菊燭のあがれる瞽女の墓 塩野昌治

 瞽女さんは盲目の放浪芸人。
 先師西本一都先生は、日本でたった一組しか残されていない越後高田の杉本瞽女を二十年間通い続けて(昭和四十年~五十八年迄)多くの作品を詠み、その終焉をみとどけている。その執念ともいうべき作品はみごとという一言に尽きる(第十一句集「高田瞽女」
代表句
  『 瞽女かなし水仙ほども顔あげず 一都』
 瞽女の墓にお参りして下さった塩野様のやさしさに師も喜んでおられるに違いない。
 掲句、野紺菊がいいですね。秀吟です。

青空にゆらゆら笑ふ石榴かな 河原幹子

 ざくろの実は球状で熟すと裂けて淡紅色の肉のある美しい種子が現れる。
 こんな石榴を作者は「笑ふ」と表現した。ゆらゆらは風に吹かれて動いているともいえるが「ゆらゆら笑ふ」という表現がユニークで面白いのだ。
 ちなみに、有名は俳人杉田久女も感覚的な形容詞のたいそうユニークな人だったと、作家の田辺聖子が書いている。(フィクション小説 花衣ぬぐやまつわる……)
 掲句、青空が効いていますね。楽しくなる佳句である。

糸切れて真珠飛び散る星月夜 岡田万由美

 ふとしたはずみで、眞珠のネックレスの糸が切れてバラッと眞珠の玉が飛び散った。
 あれー困った!と思わず叫んだが、飛び散った一つ一つの眞珠の玉のなんともきれいなこと―。今夜は星月夜、もしかしたら星が眞珠になったのかも。そんなロマンチックな思いに浸る作者。若い感性が佳句をものにした。季語の星月夜がすてきだ。

肩先に無断着地や赤トンボ 尾下和子

 「肩先に無断着地」とは、面白い表現。模型飛行機? それとも草矢? いいえ赤トンボでした。なーるほど。
 子供の頃、「この指とまれ」なんていって人差し指を立てても、トンボはなかなか止まってくれない。そんなことをふと思ったが、トンボも人を見るのか、和子さんの肩に安心して止まったのでしょうね。無断着地なんて類句はありませんよ。拍手。

懐かしき軍歌連發敬老会 佐藤ひろ子

 今年の敬老会の一こま。
 戦後六十年。戦場で九死に一生を得て帰国した幸運な男性たち。支那事変、太平洋戦争とかり出されて、青春を謳歌することもなく軍国主義を叩き込まれた世代の彼等。
 歌といえば軍歌より知らない世代なのだ。
 美酒に酔えば軍歌が出る。なつかしい軍歌を次々唄いながら、亡き友への鎮魂の思いと、遣り場のない痛恨の涙が滲んでいたに違いない。日本の戦後を支えてきた彼らに幸あれ。
 俳句の表現方法として反語も又良しとされる。私はこの句には反戦の思いが込められていると解釈した。作者が女性であることに注目し、特にその思いを強くした。

沖縄の十一月のさとうきび 新屋絹代

 森山良子の「さとうきび畑」という歌が大ヒットしている。六十年前、十五万人の県民を失った沖縄戦。さとうきびが海風に靡き、やがて収穫の時期を迎える季節―。それは十一月頃なのであろうか。他に十一月という季節は沖縄にとって、特別の意味があるのかも知れない。森山良子の歌は詩もいいし、曲もいい。そして心をこめて唄うこの歌は何度きいても感動の涙を誘う。
 その沖縄で、一九九五年、米兵による少女暴行事件が起こった。沖縄の宜野湾市に集った抗議集会(八万五千人)の中で一人の女子高校生が訴えた。「私たちに静かな沖縄を返してください。軍隊のいない、悲劇のない、平和な沖縄を返してください!」と。
 掲句から、読者の思いは果てしなく広がる。

走り蕎麦食つてがんぜと奥会津 鮎瀬 汀

 「食つてがんぜ」は「たべて下さい」という意味の会津地方のお國言葉であろう。
 方言にはその地方独特の親しみと優しさがあって嬉しくなる。
 西会津のあたりから流れる阿賀野川は、新潟県に入り、やがて佐渡の見える日本海に注がれる。方言といえば「……がん」とよく会話の中で使われる。たとえば、
「お前もせっかく勉学に励んでいるがんを、学校やめろというがんもむごいろも、……」(作家宮尾登美子の「蔵」より)
 この場合のがんは「……の」という意味だが。
 私はみちのくという地方の共通の方言に興味をそそられた。会津地方の新蕎麦はさぞかしおいしいことだろう。方言ですすめられるとつい足も止まる。

秋大根泥付きのまま売られけり 荻原富江

 スーパーなどでは、きれいに洗われた眞白い大根が並べられているが、積物用の秋大根は農家から直接買うこともある。そんな大根は畑から抜き取ったままで泥付きであった。
 泥付きの大根の方が新鮮でおいしそうな気がする。特に牛蒡、人参、じゃがいもなど根菜類は土付きの方が好ましい。産地直送の野菜が一番で、私は輸入物は出来るだけ買わないことにしている。
 泥付きのままの野菜は中々今時は手に入らないなんて、見た目で買う消費者も考え直さなきゃいけませんよね。


 筆者は函館市在住
           

禁無断転載