最終更新日(Update)'16.06.01

白魚火 平成28年6月号 抜粋

 
(通巻第730号)
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 6月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    塩野 昌治 
「口 笛」(作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(一部掲載)坂本タカ女 ほか
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
西村ゆうき 、鈴木喜久栄  ほか    
白光秀句  村上 尚子
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
     古川 松枝 、五十嵐藤重   ほか
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(磐 田) 塩野 昌治   


馬防柵でで虫角を立ててをり  高田 茂子
(平成二十七年八月号 白光集より)

 五月下旬、奥三河・長篠の戦いを巡る吟行会を行った。武田軍と織田・徳川軍が激突した設楽原で、二キロにわたり築いたのが馬防柵である。この狭間より鉄砲の三段撃ちをしたという話が真偽定かならず伝えられている。現在の古戦場には田が広がっているが、馬防柵の一部が復元され、当時を思い浮かべる事ができる。そこで作者は角を立てているでで虫を見つけた。その姿を勝っても負けても戦いなんて詰まらないことは止めろと怒っているように捉え共感したのである。戦いの無常さ、平穏な世を求める気持ちを簡潔な言葉で表現した渾身の一句である。

麦秋の空へ両手を伸ばしけり  斎藤 文子
(平成二十七年八月号 白魚火集より)

 麦秋は麦が熟する頃、初夏の爽やかな時期でもある。筆者の町の近くにも広い麦畑がある。この頃になると、豊かな実りで黄金色に輝いている畑を見ることができる。揚句は麦畑にいるというより麦秋の季節感を捉えて詠んだ句と解釈した。ほっとした時の自然な動作だけで他に何も言っていないが、ひとつの事をやり終えて、さあ次へと夢と希望に向かってゆく作者の決意が「空へ両手・・」のフレーズから伝わってくる。

板前の閉店話夏の雨  大石 正美
(平成二十七年八月号 白光集より)

 小さな居酒屋の一コマ。カウンター越しに板前と話をしていると、唐突にもうすぐ店を閉じるという話を始めた。閉店と言っても暗さや湿っぽさが感じられず、むしろからっとして思い切りのいい雰囲気が感じられる。夏の雨という季語が閉店という暗さを力強さに変えた一句である。新しい店を出すというのか、店をやめて転進するのか、閉店に至った物語を聞きたいところ。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 万 愚 節  坂本タカ女
思ひおもひ咲いて睦まじ福寿草
膝入るのみの小机水仙花
草臥れてゐる手袋と帽子かな
尾を振つてゐて吠ゆる犬草萌ゆる
早朝の肩を寄せ合ひ蕗の薹
万愚節手作り麺麭を小包に
芽の出づる合掌をして黄水仙
春愁や重きピアノの蓋あくる

 涅槃絵図  鈴木三都夫
一山の嫋々として涅槃西風
須弥壇を隠し余せし涅槃絵図
衆生みな哭いて声なき涅槃絵図
鶴林に薬袋掛かる涅槃絵図
涅槃絵に遠く侍りて衆生われ
御詠歌の鈴の音揃ふ涅槃堂
間に合ひし鬼も平伏す涅槃絵図
涅槃絵に猫の居らざることの故

 囀  る  山根仙花
椿落ち思ひ思ひに地を飾る
地虫出て大地に影を引きにけり
分校の子等の大声山笑ふ
流るとも見えず流るる春の川
薬屋に貰ひし花の種を蒔く
高き樹の高きに見えて囀れり
囀りの真下見上げて通りけり
口笛をもて囀りに応へけり

 香  煙  安食彰彦 
香煙の満ち一片の花散らす
落花はげし最後の喝の声太し
陶房の屋根をこしたる山桜
更紗木瓜咲いて小庭の入日どき
昨日けふ木の芽の眩し小庭かな
草青むつはものどもの五輪塔
若き人小さき蜆を売りにきし
囀りのふと終唱となりにけり

 牡丹の芽  村上尚子
さへづりのまつ只中に目覚めけり
残雪や点して小さきヒュッテの灯
正文忌過ぎ紅梅の揃ひけり
塔頭の影のきてゐる牡丹の芽
アルプスのはだかる村の苗木市
たんぽぽの野に運びくる譜面台
桃の花遠山雲を被きけり
鳥雲に入る金堂の棟瓦

 天地返し  小浜史都女
子どもらに土管切株初桜
天山の水が気をあぐさくらかな
宝前の幟のきしむ養花天
千本のさくらに雨のぽつぽつり
武家屋敷通りに適ふ落椿
早蕨の五、六本とはうれしやな
金瘡小草徐福のゆきし道たどる
山笑ひ天地返しも終りけり

 国 来 岬  小林梨花
はるばると封書の届く雪解水
さんさんと背戸に差し込む春日かな
生還の我を励ます初音かな
待望の句集の届く花の頃
雲仙躑躅薄ら日返す狭庭かな
濡れ色の空を自在に初燕
今年又今年の花を愛でにけり
老鴬の声いづこより国来岬
 棕 櫚 縄  鶴見一石子
沈丁花米粒の紅弾けたる
雨一夜銀の裘辛夷咲く
大欅天に嘯き木の芽張る
雑木山右に左に囀れり
棕櫚縄にふくます水や垣手入れ
良寛の庵仔を呼ぶ草朧
雪柳ゆきの重さに自負ゆらぐ
花冷えの虚ろな心師如何に

 花 の 雨   渡邉春枝
地下道を出づ地虫穴出づるごと
湖を抱きて山の芽吹き初む
初蝶に蹤きつ蹤かれつ湖畔径
凭れあふ放置自転車花の雨
ニュートンのりんごの新芽ゆらす風
音もなく水の動ける蝌蚪の紐
キャンバスに石棺のありこぶし咲く
飛ぶ鳥の光となりて春深し

 薪  棚  渥美絹代
紅梅の散り込む畑に火を焚ける
初蝶や手押しポンプに呼び水し
墓山の裾にほほけし蕗のたう
蝶生る体の芯に熱ある日
春風や口元ゆがむ大き壺
サーカスの旗春の雲ほどけゆく
永き日の一字うづもる道しるべ
すこしづつ傾ぐ薪棚春深し

 白  鳥  今井星女
白鳥が来してふ便りふところに
白鳥と目と目の合ひし嬉しさよ
産毛まだ残りしスワン迎へけり
戯れに尾羽根噛み合ふスワンかな
はばたける大白鳥の威厳かな
茜さす湖に白鳥輝けり
白鳥に一期一会の思ひあり
白鳥を見し高ぶりの一と夜かな

 紙飛行機  金田野歩女
句碑の森春の堅雪真直ぐに
山笑ふ負けず嫌ひの次男坊
引鴨の沼がらんどう小糠雨
段畑を巧みに動く耕耘機
片面を焦がしてしまふ鰊かな
朝霞しはがれてゐるこけこつこう
ニアミスの紙飛行機や春の空
陽の差して山葵田の水黄金色

  花   寺澤朝子
そこはかと唐墨匂ふ桜の夜
ゆたゆたと猫がよぎりぬ花の墓地
飛花落花次の風待つカメラマン
飛花舞うて墓地のはづれの小公園
恍惚といふこと子にも花吹雪
またの日は猫もお客に花筵
椿寿忌の落花とどまること知らず
散る桜惜しみいのちを惜しむかな


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 春  霞  宇賀神 尚雄
暮れ残る日を惜しむかに黄水仙
三月の雨やはらかく雑木山
啓蟄や終日走る耕運機
頬撫づる風暖かし姿川
筑波山麓畝千条の春霞
花万朶父母の知らざる世に生きて

 春 の 雨  佐藤 升子
一対の左にかしぐ女雛かな
みづうみに雲置き鴨の帰りけり
てのひらに顎の重さや春の雨
春日や付箋の色を使ひきり
レコードのくぐもる音や春の月
昼よりは雲切れてきし桜かな

 花  筏  出口 廣志
鳥引いて湖面虚ろに広ごれり
啓蟄や一鍬毎の地の匂ひ
角落とす鹿とぼとぼと二月堂
今もなほ春愁秘むる阿修羅像
母の忌や門川を往く花筏
風車時折回り大儀さう

 おしやべり  星  揚子
おしやべりも日課の一つ黄水仙
三月の雀光の砂浴びて
春の昼ホースの先を舐むる猫
あたたかや発声稽古あえいおう
花びらは光の重さ桜散る
ふるふると出で来る稚児のしやぼん玉

 春  愁  本杉 郁代
居並べる彼岸の僧の足袋真白
春愁やまだ捨てられぬ夫のもの
喜寿の春校歌で締むるクラス会
絡まれる蔓にも芽吹き始まりぬ
夫の忌の近づいてくる桜かな
久闊の友と出会ひし花の道

 春 の 泥  渡部 美知子
優勝旗受くる両手に春の泥
春の夜や明かりの揺るる予約席
春の炉の火種くすぶる朝かな
菜の花や少し甘めのミルクティー
春の日にきらり白寿のイヤリング
春燈や話の尽きぬ三姉妹

 水 温 む  荒井 孝子
突然の廃業通知鳥曇
梯子より地下足袋ぬつと剪定夫
途切れなき剪定の音塀越しに
高空へ懸かる大橋水温む
蒼穹の風の自在に川柳
風荒き芽立ちの中の峠茶屋

 閉 校 式  生馬 明子
はやり風邪小児科に鳴る鳩時計
薔薇の芽のま青な空へほどけゆく
川音に芽吹きを急ぐ峡の木々
菩提寺の墓地の坂道椿落つ
風固き空に佐保姫来てをりぬ
閉校式の校歌流るる花の昼

 逃 げ 水  鈴木 百合子
啓蟄の日を浴び母の退院す
法要の香炉のまはる木の芽風
ひとあめに万の芽吹きとなりにけり
逃げ水に追ひ付くことのなかりけり
水底に絵文字のやうな蜷の道
あとがきをまづは繰りたる朧の夜

 惜  春  挾間 敏子
子を発たす朝遠山の花辛夷
春水のふくれふくれて岩を越す
花散るや退職教師囲む輪に
万葉碑そびらに鞆のさより干す
ひと日花に酔ひて吉野の坊泊り
百年の銀杏の芽吹き廃校舎

 桜 東 風  平間 純一
日に向ひて笑うてをりぬクロッカス
人恋ひの瞳のうるむ春の駒
ころころと寄する馬糞や地虫出づ
蕗のたう水音だけが聞えくる
名残雪木槌の遺る樽師小屋
注目の新人来る桜東風

 落 し 角  松本 光子
啓蟄や迷うて路地の行き止まり
風光る揺るる真珠のイヤリング
啓蟄や鴉が小枝銜へ飛ぶ
小緩鶏に誘はれ登る古戦場
初蝶の空濠越ゆる躊躇なく
食み跡のしるき杣山落し角

 桜  餅  弓場 忠義
包まれて美しきもの桜餅
春筍を貰ふ荒布を買ひにゆく
てふてふを風が攫つてゆきにけり
山吹を濡らす峠の狐雨
接骨木の花石臼の伏せてあり
朝ごとの花見る窓の薄埃


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 西村 ゆうき

ふと一羽発ちて百羽の鴨帰る
春の月真珠色して上がりけり
空の色透く百枚の干鰈
春の雷砂丘の端へ転げゆく
乗り捨ての自転車蔦の芽吹きをり


 鈴木 喜久栄

草萌ゆるダックスフントの足せはし
犬病みて満天星の芽の総立ちに
鳥帰る三角屋根の夕空を
ゆつくりと止まる日永のオルゴール
床屋の灯廻る蛙の目借時



白光秀句
村上尚子


春の雷砂丘の端へ転げゆく  西村ゆうき

 雷は、空中に上昇気流が発生し、雲と地上の間で放電することによって生まれる。その一瞬のエネルギーが落雷となり、ときには我々の暮しにも被害を及ぼす。雷は夏に発生することが多いが、春の穏やかな日々のなかにも〝菜種梅雨〟という季語があるように、「春の雷」と共に不安定な日が多いのも事実である。
 掲句の面白いのは全て、下の十二音に集約されている。「春の雷」ならではの表現であり、作者独自の感覚が光っている。
  空の色透く百枚の干鰈
 鳥取市にお住まいの作者にとり、「春の雷」の句も「干鰈」の句も見馴れている風景かも知れないが、ひと味違う表現が読者の琴線に触れるのである。

草萌ゆるダックスフントの足せはし  鈴木喜久栄

 何の説明の必要はない。犬好きの方にはたまらなく嬉しい一句である。犬の種類にもいろいろあるが、「ダックスフント」と言えば胴長で短足という姿がすぐ目に浮かぶ。その犬の喜んでいる様子が「足せはし」に表現されている。「草萌ゆる」の季語とあいまって目の前の景が鮮やかに広がってゆく。喜んでいるのは勿論犬だけではない。
  犬病みて満天星の芽の総立ちに
 犬の病と「満天星の芽」とは何ら関係はないが、「総立ちに」とまで言われると心が動く。犬の病に満天星が驚いて芽を出したように思えるのは、私の勝手な解釈かも知れない。

転勤の子に花種を渡しけり  樫本 恭子

 家族と一緒に暮していたお子様も、今日からは家を離れることになった。毎年庭に咲く花を一緒に楽しんできたが、それも出来なくなった。遠くに行っても同じ花を咲かせてお互いに頑張ろうということ。小さな「花種」を通して家族のつながりを感じさせる。

箱一つ余つてをりし雛納  古川 松枝

 来年のためにも一つずつ仕舞い、ほっとした途端一つだけ「箱」が余っているのに気が付いた。「雛納」としてはユニークな作品。さて、この後どうしたかと思わせるのも面白いところ。

春立つや赤児万歳して眠る  内山実知世

 赤ちゃんが両手を上げたような姿で眠っているのはよく見かける。それを「万歳して」と具体的に表現した。「春立つや」の季語には、それを見守る家族のやさしさと喜びも含まれている。

高千穂の峰より春の降臨す  鈴木  誠

 「高千穂の峰」は宮崎県と鹿児島県境にある霧島火山群の一つ。そこから天照大神の子孫が下りてきたという伝説がある。「降臨す」により「高千穂の峰」の固有名詞が際立った。

足と足触るれば縮め春炬燵  高木美也子

 このような経験は誰もしたことがあるはずだが、これほど具体的に表現した作品を見たことがない。この日も作者はあっと思い、足を引っ込めたのである。「春炬燵」のゆったりとした空気のなかにも、節度ある姿が見え、ほほえましい。

ぬかるみに敷く陣取りの花筵  岩㟢 昌子

 お花見で有名な所では、その場所を確保するのに数日も前から独占して不評を買ったりしている。掲句はそのために良い所がなかったのか、あるいはぬかるんでいてもお花見をしようとすることになったのか、いずれにしても「花筵」の下まで目を付けたところが良かった。花へ向けるエネルギーを感じる。

楽しげな雀ばかりや蕗のたう  山越ケイ子

 「雀」はいつ見てもよく飛びよく動く。単に雀の習性かも知れないが、あえて「楽しげ」と見て取ったのがこの句の面白さである。「蕗のたう」の季語にも助けられ、やさしさのなかにも春の息吹が伝わってくる。

春の雲お伽噺の生まれさう  相澤よし子

 春は気圧の移り変りが多いため雲が発生しやすいが、あくまでも穏やかで明るい。そんな雲のなかに魚や動物の形をしたものを見付けることがある。作者はきっと独自の「お伽噺」を心に描いて見ているのであろう。

囀やピアスはいつも左から  篠㟢吾都美

 人にはそれぞれ癖があり、無意識のうちにその行動をとっていることがある。それがある時はっと気付くことがある。作者にはそれが「ピアス」を付けた時だった。「囀」を聞きながら、心は既に外へと向いている。



    その他の感銘句
湯に開くとろろ昆布や花の昼
花吹雪かかとの高き靴が行く
菜の花や赤子の眠る乳母車
径の辺にひらくままごと春休み
芋植うる子等食べ盛り伸び盛り
表札の二枚を壁に木の芽風
永き日を終へ食洗器のスイッチ押す
雪しづり蝦夷栗鼠枝を移りけり
瀬戸の海春の夕日を呑み込めり
あたたかやじやんけんぽんで鬼となり
金雀枝のあふるる色をくくりけり
春蘭や飛行機雲の折り返す
スイートピー美容室で読む文庫本
駒返る草に降り来る雀かな
咲き満ちて夕べしづかな桜かな
髙島 文江
金原 恵子
鳥越 千波
陶山 京子
大滝 久江
田原 桂子
寺本 喜徳
吉田 智子
米沢  操
三谷 誠司
松下 葉子
新開 幸子
市川 節子
松本 義久
鎗田さやか


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 牧之原  古川 松枝

草萌ゆる小夜の中山西行忌
隠れ田の水の貧しく蝌蚪生る
鶯の声まだ育ち盛りかな
帰省せしやうな振りして燕来る
蜑老いて納屋に錆びたる若布刈鎌

 
 宇都宮  五十嵐 藤重

燭の灯に僧の貌出て涅槃かな
佐保姫に骨董市の布拡ぐ
誰よりも教師が小柄卒業歌
春北風にノートルダムの風見鶏
菜の花に双子の帽子一つ消ゆ



白魚火秀句
白岩敏秀


草萌ゆる小夜の中山西行忌  古川 松枝

 〈年たけてまた越ゆべしと思ひきやいのちなりけり小夜の中山〉は六十九歳で小夜の中山を越えた西行法師(一一一八~一一九〇)の歌である。西行の忌日は陰暦二月十五日。
 六十九歳という当時は高齢な西行が越えた峠も、新しい草の命が芽生えている。〈いのちなりけり〉と歌った西行を偲びつつ、巡って来た春を喜んでいる作者である。
  帰省せしやうな振りして燕来る
 一年振りに我が家の庇に戻ってきてくれた燕。燕はそれがしごく当たり前のように家のまわりを飛び回っている。「帰省せし」に帰って来た燕を家族のように迎えている姿が暖かい。

菜の花に双子の帽子一つ消ゆ  五十嵐藤重

 一面に咲きみちた菜の花。そのなかを仲の良い双子の姉妹が愉しそうに歩いている。或いは、跳び跳ねて遊んでいるのか。突然、帽子の一つが消えて見えなくなった…。このあとの展開は読者の想像に任せられている。普通なら、「帽子一つの見え隠れ」と終わるところだが、その一歩手前で踏みとどまっている。その余韻が読む人を楽しませる。

花種を蒔きてより日の新たなる  青木いく代 

 ていねいに土を起こし、肥料もたっぷりと施す。そして、花種を蒔き、名札を立てる。これからはひたすらに待つ日となる。芽が出て大きくなり、蕾が花となる。日常の生活に「待つ」という楽しい日々が新たに加わった。ものを育てる喜びと満足感。

春日傘手桶の水の揺れてをり  森下美紀子

 寒さも遠のいて、ようやく春が整ってきた彼岸の中日。墓参りに行く女性なのであろう。墓への道すがら知った人と会うごとに、春日傘を傾けて挨拶をしている。そのたびに持っている手桶の水が揺れる。
 スケッチのような淡々とした詠み振りながら、情景はよく伝わってくる。内容が単純化され、言葉に余計な負担がないからである。

転居六度終の住処を賜ふ春  佐藤  勲

 〈春昼の津波壁なす六丈余 勲〉が平成二十三年八月号の「白魚火秀句」に載った。平成二十三年三月十一日の東日本大震災による津波のときの句。「白魚火」への消息では罹災当時は生家に、その後は避難所、そしてアパートに移転し、五月には仮設住宅に入居とある。
 黛まどか氏が「引き算の美学」で紹介した〈身ひとつとなりて薫風ありしかな 勲〉の句がある。身ひとつになりながらも、幾度の転居や困難を乗り越えられた作者の真摯で前向きな姿勢に敬意を表する。

三月や少年急に大人びて  髙島 文江

 三月といえば卒業のシーズンである。この少年は小学校を卒業したばかりなのであろう。まだ子供々々していて、道で会っても恥ずかしそうに挨拶していたものだが、今日はしっかりと挨拶を返してくれた。背丈も少し伸びたようだ。大人へと一歩近づいた少年の成長への驚きと喜びが「大人びて」である。

制服をしつかりたたみ卒業す  市川 泰恵

 いつもは親に甘えてばかりで、後片付けも親任せであった。今日、卒業式を終えて帰って来ると、もう着ることのない制服をきっちりと畳んでいる。学校生活で世話になった制服への愛着と感謝。さまざまな思い出の籠もった制服への最後の挨拶である。

芹の根の深きに姿勢少し変ふ  中村 早苗

 芹はそんなに抜きにくいものではない。大抵はすーと抜ける。しかし、今日はどうしたことか、深い根の抵抗にあってしまった。いつもはたやすく出来ることが、何かの拍子に狂ってしまうことがある。こんな「おや」と思った経験は誰にでもある。仁尾先生は「「おや」と思ったり「はっ」としたことは句作によい材料になる」と教えられた。これがその句。

草に寝て鳥声を聞く秋の暮  金本 静磨

 作者はブラジルで農業と牧畜を営んでいる。ブラジルは乾期と雨期があり、日本とは季節が逆となっている。
 農業も牧畜もハードな作業であるが、一日の仕事から解放されて鳥の鳴き声を聞くこと至福のひと時であろう。「草に寝て」が熱帯の樹木に囲まれた牧草の大地を思わせる。



    その他触れたかった秀句     

山笑ふ大いなる河從へて
春疾風鋼の強さありにけり
ていねいに返す一鍬あたたかし
玄海の潮の目の濃し紅椿
啓蟄や遠出をしたる三輪車
木の根明く塚に斜めの一つ松
春落葉水面に弾み流れけり
春風や牛舎の窓の開きをり
掌のぬくみ添へて花種まきにけり
田を返すいつも遠くを雲とほる
春潮を引き寄せ河口ふくらめる
同じ空見上げてをりぬチューリップ
笑ひ声芽吹きの山をおりて来る
鶯の声の高さを仰ぎけり
春蝶の楽しんでゐる牧の風
春日や石燈籠に石工の名
咲き切りし桜に雨のしづかなり

野澤 房子
花木 研二
小村 絹代
富樫 明美
保木本さなえ
宮澤  薫
井上 科子
広川 くら
藤尾千代子
鈴木 利久
大滝 久江
太田尾利恵
市野 惠子
脇山 石菖
仙田美名代
中村 義一
金築暮尼子

禁無断転載