最終更新日(Update)'11.09.03 | |||||||||||||
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季節の一句 岡田暮煙 |
「藩校」(近詠) 仁尾正文 |
曙集・鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか |
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載) 荒井孝子、中山雅史 ほか |
白光秀句 白岩敏秀 |
句会報 「坑道句会報」 小林梨花 |
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載) 柴山要作、吉村道子 ほか |
白魚火秀句 仁尾正文 |
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季節の一句 |
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(東広島) 岡田暮煙 |
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被爆川に架る三差路蝉時雨 舛 岡美恵子 (平成二十二年十月号 白魚火集より) 広島市の中心部を流れる太田川は平和公園の北側で元安川と本川に分れ、平和公園を挟むように流れている。この分岐点に架かっているのが相生橋である。この橋はその中程で二股に分れ、平和公園ともつながっている。掲句の云うように、正に三差路となっている。 真偽の程は定かではないが、米機はこの橋を目標にして原爆を投下したと聞いたことがある。掲句は原爆忌という季語を使わずに、被爆川に架かっている橋を淡々と描写することによって、被爆地への深い思いを表現している。また、蝉時雨の季語もよくきいている。 肩上げを下ろす金魚の浴衣かな 大隈ひろみ (平成二十二年十月号 白魚火集より ) 掲句は前句とは異なり、日々の生活の一齣を詠んだ句である。句に述べられているのは浴衣の肩上げを下ろすという日常生活の些細な事柄であるが、このことから金魚の柄の浴衣を作った頃のこと、またその後の子供の成長などを思い出しながら、針仕事をしている主婦の姿が浮かび上がってくる。 これは昭和の中頃まではどこの家庭でも見られた情景であるが、そのことを淡々と詠むことによって、その背後に平和で静謐な家庭生活の一端が窺われる佳句となっている。 草茂る牛が舌巻き草を食む 米沢 操 (平成二十二年十月号 白光集より) 掲句は牛の採食行動をじっくりと観察することによって生まれた句である。このような句は頭で考えただけでは絶対に出来ない。筆者も牛の採食を何度も見ているが、舌で巻いて食べることには気付かなかった。言われてみれば、確かにそのように食べていたような気がする。 掲句は作句の際にじっくり観察することが如何に大切であるかを示している一句と云えよう。 |
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曙 集 | |
〔無鑑査同人 作品〕 | |
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「喜*」 安食彰彦 水馬水輪と己の影連れて 田植する老爺会釈を返しけり 辛口の大吟醸酒真鯵焼く 遠くより朋友の便りと水羊羹 土器に神酒注ぐ巫女の夏袴 奥宮の木の根を覆ふ梅雨茸 紙魚走る喜寿の「喜*」の字の額ありて そこだけは昔のままに著莪咲けり (*喜:原句は七を台形に三つ配置した字) 十 薬 青木華都子 十薬やお借りしますと寺の庭 十薬を干して昨日もけふも雨 新樹光眩し日光輪王寺 ねぢること忘れてをりし捩り花 ポストまで歩いて二分梅雨晴れ間 鉄線花絡まつてゐる連子窓 雨に咲く紫陽花毬を弾ませつ 逃げ水を追うて白河あたりまで 日の匂ひ 白岩敏秀 指に巻く包帯白き立夏かな 葉桜のゆたかさ映し川流る 夏めくやほのと少女に日の匂ひ ページ繰るやうに牡丹散りにけり アカシヤの花に触れゆく砂丘馬車 佳きことの起る予感に新茶買ふ 黒南風や海をきしませ波奔る 夏のシャツ胸襟開き干されけり 岐 神 坂本タカ女 梅咲いて句碑が背伸びをしてをりぬ 飛ぶ鳥を見失ひけり雑木の芽 立てかけてある竹箒もの芽出づ 柳の芽鯉がゆつくり離れけり 公園の楡の木どろの木鳥交る 連翹の涙のやうな蕾かな 対なして岐神めく座禅草 重さうな地神の注連や畑を打つ 更 衣 鈴木三都夫 丈違へ一人静の三姉妹 師に向かふごと牡丹に立ち向かふ 葉表に有艶競ふ牡丹かな ひとひらがひとひら誘ひ牡丹散る 運びきし茶の芽を車ごと量る 算盤の玉が弾きし新茶の値 一番茶先づお茶湯として供ふ 衣更へ今日からの日を新たにす |
昭和の日 山根仙花 炊きあがる飯の白さや昭和の日 筧水溢るる卯の花月夜かな 葉桜の騒げる影を踏みて立つ 恙なく老いて衣を更へにけり 締め直すネクタイの紺風薫る 田を植ゑて真昼音なき四、五戸の峡 蜘蛛の囲に夕月淡くかかりけり 一塵もなき箒目の庭涼し 薩 摩 小浜史都女 緑蔭の城山に見る活火山 磯庭の鶴と亀石みなみかぜ 化粧の間あやめに開けてありにけり 灼けゐたる林芙美子の孤独かな 鳩の脚真赤薩摩は梅雨の入 西郷の洞窟とあり青時雨 真向ひにあるはず梅雨の桜島 栴檀の花や裾引く薩摩富士 本 陣 小林梨花 四十年変らぬ小径麦の秋 睡蓮の花本陣の隠沼に 武士の面影沼に花菖蒲 鷺の巣を空に設へ古戦場 実楓の翼を空へ翔ばす風 本陣の庭の天水緑さす 甲冑を飾る藺草の匂ふ間に 旅伏嶺を遥かに本陣夏座敷 浮いて来い 鶴見一石子 芍薬や縁切尼寺の躙り口 地蔵橋渉り首塚袋蜘蛛 蟇出づる道鏡塚の竹矢来 僧正の白絹眩し更衣 白き涛寄す九十九里星涼し 生命線ふゆる横筋浮いて来い 次の世は覗かぬがよし太宰の忌 麦秋や晩年いそぐことはなし 夜の新樹 渡邉春枝 竹皮を脱ぐや返信急がねば 一万歩あるくつもりの夏帽子 達者かとメールの届く夜の新樹 被爆樹の支柱つぎ足す梅雨の晴 天守閣まで吹き上ぐる青葉風 朝ぐもり巫女の立てゐる箒の目 すぐに出ぬ木の名草の名夏の蝶 夏草に雀の学校あるらしく |
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鳥雲集 | |
〔上席同人 作品〕 | |
一部のみ。 順次掲載 | |
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神の釣場 富田郁子 隠岐見ゆる神の釣場や青嵐 国つ神の船かも遠く卯浪立つ 弧を描く水平線や夏がすみ 先生に近くゐる幸俵麦 路地涼し昔修学旅行宿 青葉して行在所跡黙深し 更 衣 桧林ひろ子 新緑に押し上げられし天守閣 椎の花生涯抜けぬ里ことば 十薬の白に血圧安定す エプロンは主婦の制服更衣 花菖蒲雲むらさきの影落とす 軽々と着れる羅ありがたき 水 芭 蕉 田村萠尖 白樺の米粒ほどの芽吹かな 湧き水のぽこりと噴けり水芭蕉 向き合へる親子兄弟水芭蕉 丈揃へ紅白の芥子揺れ合へる えびね蘭ひと夜の雨に咲き揃ふ 山寺のあぢさゐ通り兵の墓 春 炬 燵 橋場きよ 文書きて心やはらぐ春炬燵 素つ気なき別れほどなる春の雷 若き日は若き悲しみ夏帽子 粽載す木曽漆器よしガラス器も 粽解く子らを思ひつ粽結ふ 賑やかな母の日お茶を注ぐは母 |
不動明王 武永江邨 不動明王剣も炎も万緑裡 著莪の花水掛不動は苔衣 葉桜や半分読めぬ縁起文字 風薫る放牛鳴くを忘れけり 静けさを集めし沼やあめんばう あめんばう浄土の池を奔放に 下野おくのほそ道 加茂都紀女 楤の芽に性別のあり修験径 全容を植田に映す柳かな 草刈機唸りづめなる自刃の碑 青鷺の飛び去る方の分水嶺 戊辰戦争白河口のえごの花 遊船の8の字描く湖碧し 初 蝉 桐谷綾子 あざやかな鹿の子しぼりの日傘かな 初蝉の声すき透る法の庭 よろこびを語れる人と端居かな 帯芯のなき帯かろき更衣 生涯を箱根に住みて木の芽摘む ボランティア出発の夜は明け易し 夏 燕 関口都亦絵 俎板の出刃のひかれり初鰹 凸凹の旧家の土間や夏燕 梅雨寒のひと日を籠る疲れかな いさぎよく竹の皮脱ぐ夕べかな 紫陽花の青色ばかりクレヨン画 母の忌の撞木に天降る梅雨の蝶 |
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白魚火集 |
〔同人・会員作品〕 巻頭句 |
仁尾正文選 |
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鹿沼 柴山要作 牡丹や撞木の綱の垂れしまま 田水張り小学校は浮島に 穂麦わたる風はしろがね遠筑波 緑さす濱田庄司の轆轤部屋 社への磴ことごとく夏落葉 中津川 吉村道子 自転車の荷台に揺れて菖蒲太刀 柱時計止まりしままや余花の雨 白白といつまでも咲く利休梅 片仮名の文字の宿題カタツムリ 十代に戻る再会蔦青し |
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白魚火秀句 |
仁尾正文 |
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緑さす濱田庄司の轆轤部屋 柴山要作 人間国宝であった陶芸の巨匠濱田庄司(一八九四~一九七八)は民芸品であった益子焼に高い芸術性を付与、それら一連の業績により文化勲章を受章している。作者は今も残されている名工の轆轤部屋を見せてもらい、えもいわれぬ感慨を覚えた。それを「緑さす」の季語で表徴した。この句のような取り合せでは、作者の「こころ」を伝えるのは季語しかないが「緑さす」が実にいい。 「緑さす」は多くの歳時記では「新緑」の副季題として収録されているが、国語としてはどの辞典にも出ていない。恐らく俳人の造語と思われるが傑作だ。新緑が漢語で硬いひびきを持つのに対し緑さすは和語で語感がやわらかい。掲句は即物的な下十七に対し和語の「緑さす」とのバランスがよい。なお、「濱田庄司」も広辞苑に出ている国語。この名工を知らぬ者であっても辞書で索引できる。 片仮名の文字の宿題カタツムリ 吉村道子 私どもの小学一年の国語読本の冒頭は「サイタ サイタ サクラガサイタ」という片かなであったが戦後何時頃からか、最初は平がなから学び始めているようだ。掲句は一年生の夏頃から片かなが教えられ、宿題に「カタツムリ」の読みが課せられた。「かたつむり」と平がな書きが求められたのであろう。 投句稿の中には「バラ」「キツネ」の如く日本語の片かな表記があるが、都度平がなに添削をさせられている。「ペン」「ネクタイ」の如く外来語は片かな表記が一般的であるが日本古来の言葉の片かな書きはダメ。俳句は植物図鑑でも動物図鑑でもなく詩歌であるからだ。 上田三四二著の『短歌一生』の中に「片かなはなるべく使わない。片かなが二つ以上入ると、歌はまず駄目になると考えておいてよいようだ」の一節がある。その理由には触れていないが、短歌や俳句は日本伝統の詞芸。片かなが入るのは異様であるという思想が根底にあるのではないか、と筆者は思う。 春昼の津波壁なす六丈余 佐藤 勲 この作者は、かつて筆者が岩手県野田村の鉱山勤務の折坑内で一緒に働いた仲間で句友でもあった。この度の東日本大震災で野田村も甚大な被害を受けたことが報ぜられたので毎朝夕安否の電話をかけたが、この地区は電話がかかり難くなっているので時間を置いて掛け直すように、というメッセージが繰り返されるだけだった。そのうち編集部から白魚火三月号のメール便が届かず返ってきたというので電話番号入りのゴム版の住所印を押したハガキを出したところ、さすがは郵便屋さん。作者の被難地へハガキを届けてくれたのである。これにより被災地から電話が掛かってきた。奥さんの手を取って車で高台へやっと逃れたが家は跡形もなく流失し、私財は乘ってきた車一台のみとのこと。その後の消息は白魚火六月号「白魚火の窓」にある通り。六月仮設住宅に入り得たが何れ退出せねばならぬので小さな家を再建したいとの便りもあった。 さて掲句。一瞬で村を呑み込んだ津波は六丈余、十八メートルを越えた。避難した高台から見たのか、繰り返されたテレビを見てかは分からぬが被災者の悲痛な声が聞えてきた。 花は葉に一青居士の十年忌 中村國司 栃若葉からりと晴れし一青忌 星 揚子 衣更へて墓に詣づる一青忌 大野静枝 今月栃木の作家から橋田一青忌の句が沢山寄せられ、白魚火に大きく貢献した一青氏を改めて思いひそかに供養をした。氏は平成十三年五月十五日、八十三歳で逝去し十年が経った。現役時代は栃木県の教職にあって、栃木県高等学校長会長、全国高等学校長会副会長などを歴任し文部大臣賞受賞、勲四等の叙勲にも浴している。西本一都先生が昭和三十三年から三年間宇都宮地方貯金局長在勤中(昭和三十四年三月より白魚火選者、後主宰)は先師に傾倒し俳句に精進し多くの会員を増した。先師が宇都宮を離れた二十六年後の昭和五十二年六月、貯金局句会、鹿沼句会、那須句会を統合して栃木県白魚火会を結成し百名を越える大支部に育て上げられた。晩年はリウマチに羅患し、苦しみ抜かれた最期が痛々しかった。今回沢山の誌友が一青忌を詠んで故人を偲んでいることは、多くの人に慕われていたことが分る。今までに三名しか受賞していない一都賞受賞者でもある。 竜王と呼ばれる樹より青時雨 山口あきを 山本健吉の『最進俳句歳時記』にのみ収録されている「青時雨」は雨ではない。樹木の葉に溜っていた雨水が風によりばさりと落ちるもの。掲句は「青時雨」の好個の例句になり得る秀句だ。 |
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白光集 | ||
〔同人作品〕 巻頭句 | ||
白岩敏秀選 | ||
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荒井孝子 月射して代田の水の匂ひけり 子の墓を訪ひ母の日の終りけり 一山をけぶらす藤の盛りかな 雑木山いま渾身の若葉かな 水牢跡植田の風の通ひけり 中山雅史 また一人追ひ越してゆく祭の子 真正面だけを見てゐる蟇 蛇消えてより回り出す水車かな 海を飛ぶ鳥あり梅雨に入りにけり 空蝉の目にも涙のやうなもの |
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白光秀句 |
白岩敏秀 |
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雑木山いま渾身の若葉かな 荒井孝子 この雑木山は里山のことだろう。かっての里山は落葉や燃料の供給源として、大事に管理され手入れをされていた。しかし、今は手入れされることなく放置されているが、それでも休むことなく木々を芽吹かせ育てている。 季節は夏。芽吹きから始まった木々の成長は今、若葉のとき。渾身の若葉は次に来る開花や実りの準備である。 いっときもゆるがせにしない自然界の循環の中にあって、与えられた時期にベストをつくして若葉となった木々が、雑木山をみずみずしく彩っている。 月射して代田の水の匂ひけり 田植えを待つばかりになっている代田。一日中掻き回された水も今は静かに月の光りを宿している。激しい労働のあとの安息。風が、ときおりさざ波をたてて吹き過ぎてゆく。静かに更けてゆく代田の夜である。 また一人追ひ越してゆく祭の子 中山雅史 祭というものは幾つになつても楽しいものだ。まして子どもなら尚更のことだろう。 走っていく子はどんな祭半纏を着ているのだろう、可愛い鉢巻をしているのだろうか。想像するだけで楽しい。 ああ、また一人追い越して行った…。追い越していく人の数がそのまま祭への期待の大きさとなっている。 雄ごころや五月幟のはためける 早川俊久 雄ごころ―広辞苑には「おおしい心。勇ましい心」とあり、万葉集(巻第十二)の「天地に少し至らぬ大夫(ますらお)と思ひし吾や雄心も無き」(筆者がつけた大意=雄々しい心を持っていると思った私であるが、恋の前ではその心をなくしてしまった)が載っていた。 揚句の「雄ごころ」が万葉集の雄ごころとして詠まれるのはまだまだ先のこと。 五月の風に勢いよくはためいている幟のように雄々しく育てと希うだけである。 表札の名のひとつ増え鯉幟 後藤政春 庭の空に高々とあがった鯉幟そして一行が増えた表札。家族に新しい元気な歴史が加わったのだ。赤ん坊の声は家の中を明るくし、その明るさが家庭を元気にする。 表札に増えた名前の一つからこの家族の幸せが広がっている。 この家と一緒に古りて蚊帳吊らる 安納久子 前句はこの世に歴史の新しい赤ちゃんであったが、掲句は歴史の古い蚊帳。 今は色々と工夫されて夏の虫に悩むことも少なくなったが、かっては寝るときは蚊帳が頼りであった。蚊帳という一つの空間に家族が枕を並べて寝る。蚊帳の中で聞く話も楽しかったし、使う団扇の音も懐かしい。 この句「吊らる」とあるから、今も大事に使われているのだろう。家の歴史と歩を合わせながら古くなった蚊帳に、この家の格式あるたたずまいが想像される。 早苗饗や酒は西条樽仕込み 中組美喜枝 西条の酒といえば「灘」「伏見」と肩を並べる名酒。一六五○年頃から造られているという。酒に使う水は龍王山の潤沢な伏流水である。しかも樽仕込み。これで酒がまずかろうはずがない。早苗饗は大いに盛り上がったことだろう。 この句には米作りへの自負と故郷への賛歌が高らかに詠いあげている。 風鈴の音の誘ひし骨董屋 古川志美子 人通りの少ない道で聞いた涼しそうな風鈴の音。音は骨董屋の軒先から来ている。客の呼び込みに風鈴を使うとは、なかなか洒落た骨董屋である。 「誘ひし」の「し」にわずかな切れがある。この切れに作者の誘われてみようか止めようかという一瞬の逡巡が感じられる。 薄暗い店内と明るい戸外。風鈴はその二つをつないで、作者の迷いをよそに屈託なく鳴っている。 筍を数えて明日を待ちにけり 萩原しづ江 今年は筍の出が遅いと思っていたら、一雨を境に一気に顔を出し始めた。正に野放図な雨後の筍。 筍は朝取りが一番。灰汁抜きの準備を整えて明朝の筍掘りに備える。そして掘るべき筍を数えておく。明日を待つ楽しさが膨らんでくる一句である。 |
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その他の感銘句 |
草笛を吹いて夕暮色となる 初夏や鳩の形のビスケット 走り梅雨明るき色の傘を買ふ とろとろと太陽溶かし代田掻く 旧姓を括弧でくくる薄暑かな 蛍火や闇の奥にも闇ありぬ 子と住める穏やかな日々豆御飯 縄文の面構へして蟇 手回しで削る鉛筆朝曇 杜若風通りよき化粧の間 若葉風旅の鞄を干しにけり 遮断機の鳴りて卯の花腐しかな 紫のさらさら揺るる藤の花 玫瑰を庭に咲かせて海遠し 背開きの魚の干物蠅覆 |
久家希世 内田景子 今村文子 江見作風 阿部芙美子 小松みち女 大石益江 阿部晴江 齋藤 都 鳥越千波 峯野啓子 山崎てる子 佐川春子 長谷川文子 萩原峯子 |
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