最終更新日(Update)'08.01.05

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第627号)
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    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
・季節の一句    金田野歩女
「青酢橘」 仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
西村松子、荒井孝子 ほか    
14
白光秀句  白岩敏秀 40
・白魚火作品月評    鶴見一石子 42
・現代俳句を読む    村上尚子  45
百花寸評   田村萠尖 47
・第3回 西日本俳句大会―投句募集― 49
・「俳壇」11月号転載 50
・「俳壇」11月号転載(百花繚乱) 52
・鳥雲集同人特別作品 53
・こみち 「行く春」 斉藤 萌 54
・俳誌拝見「風雪」  森山暢子 55
・北海道旭川における西本一都  坂本タカ女 56
 句会報 静岡白魚火 「さざんか句会」   63
・句碑清掃。幹事会を実施    柴山要作 64
・「琅玕」「七曜」転載 64
・今月読んだ本       中山雅史       66
今月読んだ本     林 浩世      67
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
     坂下昇子、西田美樹子福島ふさ子 ほか
64
白魚火秀句 仁尾正文 113
・窓・編集手帳・余滴       

鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

  盗 人 萩   安食彰彦

秋扇内ポケットより出しにけり
海風につぶやき多き稲穂かな
声零しわつと翔ちたる稲雀
新涼の烏にもある淡き影
盗人萩賓頭廬尊者眼を瞑る
宝前に新涼の風貰ひけり
社家の前影の大きな秋茄子
階に曲る畦径痩案山子


  灸 花   青木華都子

乗り越して戻るひと駅蝉しぐれ
人通り途絶えし路地の灸花
蝉の殻踏み壊したる足の平
油蝉迷ひ込んだり会議中
新盆の供養の酒を廻し呑む
麦藁帽顔にうたた寝してをりし
秋暑しテントの中の診療所
涼新た塔に重ねし塔の影


   新 涼    白岩敏秀

水馬水輪のなかにある日暮
蝉しぐれ一樹縛してゐたりけり
蛾をつれて西日に向ふ列車あり
花火見し夜を美しく眠りけり
今朝の秋触るるものみな鮮しき
西瓜切る等分といふ偶数値
新涼を歩けば砂の鳴りにけり
鈴虫の飼はれて鳴きぬ六校時


 首 飾   坂本タカ女

向日葵の顔ちくちくと蜂ありく
天牛の麝香を放つ髭を振る
金亀子多士済済のカフェの客
朝顔やけふよき顔でありにける
学校図書室の踏台雲の峰
暑かろと言ひ熱き茶を淹れくるる
肩寄する頬よするかにダリヤ咲く
蛍火や胸に重たき首飾


 一 都 忌   鈴木三都夫

風はたと死に途絶えたる砂丘かな
風止んで息のつまりし暑さかな
後ろより日傘の蔭を貰ひけり
危ふげな葉先捉へし糸とんぼ
山の蟻句帖へ許す木下かな
曝す書に侍りて一都忌なりけり
一都忌の日に日に遠く門火焚く
一都忌の床に一軸水中花
  赤 い 月   佐藤光汀
八月十五日塩の効きたるおむすびよ
夕ながし今日月蝕の赤い月
鈴懸の葉裏を返す実なりけり
昼花火どどんと響き里祭
仰ぐもの生き生きとせる秋の蝉
小鳥来る街に夫婦のパン工房

 唐 黍   鶴見一石子
阿寒湖の星美しや虫の声
爽やかに句を作るべし生くるべし
つづれさせとぎれ鳴きして夜を深め
歩に合はぬ流星矢継ぎ早に消ゆ
唐黍の百万本の平野かな
狩勝峠靴先に秋の風

 登山の荷   三浦香都子
昔むかしの電信柱ぎす鳴けり
登山の荷負うて重心定まりぬ
山開き男結びに靴の紐
山清水五臓六腑を素通りす
薔薇匂ふほどの日差しとなりにけり
ふれてみたくて触れにけり京鹿子

 穴まどひ   渡邉春枝
船の上に舟の積まるる晩夏かな
尾の見えて遊び足らざる穴まどひ
放牛の空をあまさず鰯雲
栗の実の落ちて馬場跡牛舎あと
樹木医の仰ぐ神木秋気満つ
ひぐらしに攻められてゐる畑仕事

 蝉 の 骸   小浜史都女
草を引く軍手のままで黙祷す
蝉の骸鳴き尽したる軽さかな
盆過ぎや預りし子の爪を切る
子蟷螂見構ふることまだ知らず
鳳仙花路地抜けてまた路地となる
太陽のしろさよ野分近づきぬ

 花  芒   小林梨花
中天を向きし朝顔はりつめて
石走る垂水は海へ花芒
磯鴫の吹かれ来て又吹かれ飛ぶ
故郷の味の詰まりし梨を剥く
青梨の少し黄ばみて父母の味
闇深き背山より降る虫の声

 月 食    田村萠尖
かかあ天下の国に住み古り大昼寝
背高な朝顔にある明けの風
牽牛花喉の底までさらしけり
小さき花撓め蜜すふ揚羽蝶
皆既月食木槿の白き庭の闇
月食の戻りつつあり虫すだく


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選


  西村松子

星飛んで大きな窓の海の宿
天草を海の蒼さへ向けて干す
実玫 瑰食みはるかなる沖を見る
野ぶだうのひとつは海の色宿す
稲架組めば湖北は水の締まりたる


  荒井孝子

もろこし焼く浅間千里の風の中
石のごと釣人を置く湖の秋
湖霧や胸の奥までひた濡れて
新涼の研がれし鎌の匂ひけり
かなかなや只静かなり吾子の墓


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選


  牧之原  坂下昇子

ちんぐるま小さき雲の生まれけり
こめてゐし霧が動けば山動く
朝顔の蔓の先まで風絡む
鳥威光の縒れてをりにけり
蕎麦の花ここより先に家は無し


  江別  西田美木子

綿菅のうなづき合うて照り合うて
山上に沼のあまたや糸とんぼ
海霧晴るる日本海の碧さかな
月食の月上がりけり牛の牧
夕風や邯鄲の声途切れなく

    


白魚火秀句
仁尾正文
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鳥威光の縒れてをりにけり 坂下昇子

 稲田いっぱいに張り巡らされた赤と白のテープ。風の度にテープが少し捩れてぴかぴかと乱反射して稲雀を怯えさせている。案山子や鳥の骸を吊ったものは既に稲雀に侮られており、威し銃も音だけで実弾が飛んでこないことを見抜かれている。その中で掲句のテープは比較的新しいので効果がありそう。人々と稲雀の智恵比べ、闘いは未来永劫に続くのではないか。同掲の「朝顔の蔓の先まで風絡む 昇子」も風に絡んでいるのは朝顔の蔓であるが頭掲句同様倒置した詠み方で成功している。今回一連五句には平板を抜け出んと試み成果を出した。そこを評価した。

月食の月上がりけり牛の牧 西田美木子

 今秋は何年かぶりで皆既月食が見られたが生憎、北海道、四国九州の一部の外は見えない所が多かった。掲句は、期待の月食が期待通り上って満足している。この場合上十二句はすらすらと言葉になり易いが、座五が難しい。が、「牛の牧」と何の苦労もなかったように据えられている。そこに作者の「技」が見られた。同掲の「夕風や邯鄲の声途切れなく 美木子」の邯鄲はコオロギ科の体長十五ミリ程の虫でル・ル・ルと単調ながら微妙な声で鳴く。作者には「邯鄲の枕」が脳裡にあったようだ。貧乏で立身出世を望んでいた青年が趙の都邯鄲で仙人から栄華を意のままになるという枕を借りてうたたねをしたところ栄華を極めた。五十年間夢を見ていたが覚めてみると、炊きかけていた粟がまだ煮えてない程の短い間だったという故事。人の世の栄枯盛衰のはかなさのたとえであるが、句は未だ夢が覚め切っていない所で終らしていて面白い。

昼酒の過ぎたる土用太郎かな 弓場忠義

 土用は小暑後立秋まで。土用入りの日を土用太郎、二日目を次郎、三日目を三郎という。
 掲句。昼酒を飲み過したのは勿論作者であるが、句の形は土用太郎が主人公のよう。作者もそのように仕立てている。骨太で愉快な一句であった。

童顔の兄の遺影や終戦忌 森野糸子

 この兄は少年兵として戦死したのであろう。童顔の遺影は何十年経っても童顔のまま。生き長らえていたら傘寿を越えているのであろうが、そんな顔は思いもつかぬのである。「いつまでも夫は三十墓洗ふ 季子」は三十年も前に句座を共にした戦争未亡人の句であるが今も忘れられない。頭掲句とともに佳い句は人々の心を離さないのだと言いたい。

残暑見舞青きインクの男文字 中島啓子

 残暑見舞は青いインクの万年筆で書かれた達筆の男文字、作者とはどういう関係かは知らぬが好感を持っている人のようである。
 ここで会員諸兄姉に注意申し上げたいことがある。今号には「今朝の秋」という季語の句稿が随分とあった。「今朝の秋」は立秋の日の朝、今年は八月八日であった。この季語を用いていけない理由は何もないが猛暑のさ中で、この後も多治見などでは最高気温四〇・九度を記録する残暑があった。今号「今朝の秋」を採らなかったのは「秋の朝」と間違えているとしか思えぬ季語の使い方だった。すなわち新秋、爽涼を思わせるものとの取合せ、思い当る者は歳時記をもう一度見て欲しい。

稲びかり生家に鍵し去ぬるとき 前田清方

 この作者の生家は鳥取県、年老いた母堂が先年亡くなり故郷に心を残しながらも生活拠点の松戸市へ帰らねばならなかった。生家に鍵をかけ終ったとき稲妻が一筋走ったのである。作者には忘れることの出来ぬ稲光だった。

盆僧に聞かるる稲の出来具合 佐野栄子

 毎年来て盆の経を上げてくれる檀那寺の僧が今年の稲の出来具合を尋ねてくれた。この親しい一言に心が和む。檀徒として昔からずっと親しくしていることが分るし盆僧の人柄も伝わってくる。何時迄も大事にして貰いたいつき合いである。

虫眼鏡這はせる辞書に蟻が乘る 菊間千代子

 老眼鏡では画数の多い辞書の字が分りにくく虫眼鏡を使わざるを得なくなる。「虫眼鏡這はせ」がうまい。そしてその視野の中に蟻が出てきたのも予期せぬことだった。

パーの手もグーの手も在り雲の峰  鈴木 誠

 何本も立っている峰雲。パーの手の形のものもあれば不機嫌そうなグーの手形の雲もある。新鮮な一句であるのは作者が若いからだろう。一方「宝くじを妻は隠しぬ冷蔵庫 誠」には思わず声を出して笑ってしまった。

夏惜しむコップの氷揺り鳴らし 鷹羽克子

 ウイスキー等の水割りの氷であろう。揺るとコップと触れ合う音が涼しい。夜の秋の一景だ。

 

その他触れたかった秀句        
滝仰ぐ帽子のひさし押し上げて
風いつも先に来てゐる花芒
段畑の逃げどころなき残暑かな
茶道部につづく空手部阿波踊
新聞に捲かれて届く芒かな
母逝きて軒朝顔の種こぼす
青苔をまとうて顔のなき羅漢
引波のかすかなる音門火焚く
御裾分嫁から嫁へ秋茄子
筆談の夫の字細き熱帯夜
阿部芙美子
岡あさ乃
大石ます江
後藤政春
嘉本静苑
曽我津矢子
宮原紫陽
福田恭子
天野和幸
大田尾千代子
        
百花寸評
(平成十九年八月号より
田村萠尖

風邪ひいてゐる間に四月過ぎにけり 栗野京子

 四月は一年のうち良い季節として挙げられ、入学、就職、お花見など夢ふくらむ行事やら、野へ出ての散策など楽しさがいっぱいの月である。
 ふとひいた風邪が意外と長びいて、微熱が続き足腰への影響も出たりして抜けきれない。そうこうしているうちに期待していた四月も過ぎてしまった。悔やみきれない気持ちが句の中に溢れている。
 素直な表現に好感が持てる作品。

ふる里の棚田の田植手伝ひに 伊東美代子

 棚田のあるふるさと。こうした自然が残っている故郷があること事態が幸せというもの。このふる里にも高齢化が進み、棚田の植付けにも人手不足が現実の姿となって現れてきている。
 生れ育った家郷の田植の手伝いに進んで出掛ける作者の心根が、わずか十三文字の中に強く感じられ、胸を打たれる句である。

天道虫こぼれ上手の知恵を持つ 鮎瀬 汀

 家庭菜園で手こずる害虫の一つに、天道虫の中の二十八星の“てんとうむしだまし”がおり、茄子や馬鈴薯、胡瓜の葉まで食荒らしてしまう。野菜の収穫期近くになると、薬害を心配して農薬も使えないので、直接天道虫の捕捉となるのだが、天性とでも言うのか人の手の気配を感じるとこぼれ落ちてしまう。
 掲句の“こぼれ上手”とは言い得て妙、天道虫の実態を巧みに捉えている佳句。

すぐそこの海からも夏来たりけり 高木豊子

 「お母さん、夏はどこからくるの」
 「夏はね、すぐそこの海からも来るんだよ」。
 こんな会話が聞こえてきそうな句で、耳を澄ませると、波の音までが夏を呼んでいるように思え、明るさと夏を迎える楽しさがいっぱいの作品である。

朴咲いて辺りの花を小さくす 大石益江

 初夏の山を彩る黄白色の九弁の朴の花は、まわりの緑の中にあってひときわ鮮やかだが、下から見上げても広い葉に遮られて見えにくいのが難点である。朴の花の咲く時期と前後して開く水木の花や、山法師の花にくらべるとはるかに大型の花なので、他の花は小さく感じられる。
 中七から下五にかけての措辞が効いていて、朴の花の咲く自然豊かな山へと誘ってくれ、花の匂いすら感じさせてくれる句である。

田水張り空の二つになりにけり 田中藍子

 代掻も終り田植の準備も整った田に水をいっぱいに張った。そこには夏めいた雲を浮かべた空が田一面に広がっている。
 “あれ!!空が二つもある”と童心にかえったような作者の軽いおどろきの顔が目に見えてくるたのしい句である。

勝ち凧のうなぎ昇りを始めをり 檜林弘一

 勝ち凧という上五から凧合戦の一齣がこの句の中に見えてくる。互に競り合い戦い合った上での勝ち凧が、折からの上昇気流に乗ってぐんぐん昇り始めたという句意。
 “うなぎ昇り”の中七の言葉の斡旋と、下五の始めをりの“をり”の断定によって、この句を一層活気あるスケールの大きい句とした。

頭まで抜け切る辛さ夏大根 井上科子

 「山椒は小粒でもぴりりと辛い」ということわざがまず浮かんでくる。
 夏大根は秋大根より小型ではあるが辛味は強い。うかつに多目に口にすればその辛さが脳天を抜けるほどで、一汗かいた経験者も多いのではあるまいか。
 頭を叩いて辛さをこらえるユーモアさえ感じられる軽妙な句。

菖蒲湯の子の感想は熱かつた 福家好璽

 端午の節句に菖蒲の葉を浮かせた湯に入り、邪気を払った風習が今なお残されている。菖蒲湯に一緒に入って背中を流してやった子に、菖蒲湯の感想をたずねると“熱かったよ”と一言だけが返ってきた。
 こんな短い子供との会話の中にもこの家のあたたか味が伝わって思わずほほえんでしまった。簡明で明るい作品。

玉葱の一輪車ごと干されたる 七條きく子

 自家用の玉葱は収穫したものを風通しのよい軒下に吊るすとか、物置きの土間にころがして置き、自然乾燥させるのが普通のようである。掲句は収穫した玉葱が一輪車ごと干されてあったと詠まれているが、おそらくは自宅へ運ぶまでの一時的な状景を捉えられた作品と思われる。
 一輪車ごとの中七がユニークである。

棚田いま天の近くを打ち始む 稲野辺洋
 高齢化が進み、離農する人も多く農地の荒廃が目立ってきた。
 こうした世情の中に今年も棚田を守り育てる作業が始まった。
 “天の近くを”のことば使いによって、天空まで続く棚田の急勾配な景が目に見えるようで、その中に黙黙と田を打つ人の姿がある。スケールの大きな作品である。

鰹糶る言葉分らずじまひかな 飯塚美代

鰹糶る陰語わからず終ひかな 知久比呂子

 だいぶ前のことで、どこの漁港であったか定かでないが、鰹の糶市を見聞したことがあった。
 糶の威勢のよい短い声が飛び交うのだが、その言葉の意味が全くわからなかった。
 後ほど聞いてみると、あれは陰語といって糶に使う言葉とのことであった。
 掲出の二句に接して過ぎし日の港町での糶の記憶が呼び戻され、若返った気分に浸ることができた。

 
  筆者は  群馬県吾妻郡  在住


白光秀句
白岩敏秀

稲架組めば湖北は水の締まりたる 西村松子

 作者は島根県松江の人。松江の湖と言えば宍道湖である。
 稲架を組めば稲刈りが始まり、やがて晩秋から冬へと季節が移る。
 まんまんと秋の水を湛えた宍道湖は稲架の頃から冬への準備をするのである。否、むしろ宍道湖が冬の準備を始めたから、稲架を組むと言い直してもよい。人は自らの風土から多くのことを学ぶ。この句は長年、宍道湖を見つめてきた作者のしっかりとした風土観に支えられている。
  「実玫瑰食みはるかなる沖を見る」
 この句、花玫瑰であれば、青春俳句になったところ。実玫瑰として円熟の句境を示す。 
 秋の海は水平線まで見通せるほど朗らか。辿ってきた日々に多少の起伏はあったものの悔いはない。おのれの人生を信じ、おのれの感性を信じ切って迷いがない。

湖霧や胸の奥までひた濡れて 荒井孝子

 『白魚火全国大会』が平成十二年に伊香保温泉であった。吟行地は榛名湖であったが、霧が随分と深かったことを記憶している。
 掲句を一読して、成る程、霧の中であれば掲句のような状態もあるだろうと思ったが、再読して印象の違うことに気付いた。
 濡れる状況の説明であれば、「湖霧に」或いは「湖の霧」で十分である。つまり、「湖霧や」とは「湖霧よ 胸の奥まで濡らす私の悲しみは……」となるはず。
 私はこの句に「息子の戦死の報を微笑を浮かべて聞いていた母親が、テーブルの下ではハンカテを破れるほど握りしめていた」という芥川龍之介の小説を思った。
 掲句には悲しみの痕はない。あるのは眼前の深い霧の湖である。しかし、悲しみは霧のうしろにある。例えば、氷山の隠れた氷が大きいように。

妙法の火文字となりて魂送る 水出もとめ

 八月十六日夜、京都の五山で送り火が焚かれる。大文字、妙法、舟形、鳥居、左大文字の火である。この内、「妙法」は松ケ崎で焚かれる。今年、NHKがテレビ中継を行ったのでご覧になった方も多いことと思う。
 掲句は燃え盛る「妙」の字を「火文字」と一気呵成に詠み上げて臨場感がある。詩心の昂揚がなければ生まれない作品だろう。

迎へ火を焚きゐし母を迎ふる火 影山香織

 どこといって難しいところのない作品であるが、惻々とこころに響くものがある。
 見知らぬ余所に嫁して子をなし、盆にはその家の先祖のために迎え火を焚いていた母。そして今、母と同じことをしている自分。
 自分のなかに母を発見したような慕情のただよう句である。読み返してしみじみとした母への情がひそむ。

退院の母に乾杯螢の夜 山田春子

 純にして曇りのない作品である。
 この入院はそう長いものではなかったのであろう。長期であれば病人の体力の衰えが考えられ、こうまでまろやかには詠えないはず。
 まさに退院した母を囲む家族の笑顔そして笑顔である。
 作者にとっては、健康を快復した母がそこに居るだけで十分な螢の夜であったろう。明日からはまた母を囲んだ生活が始まる。

秋燕多弁になりて飛び交へり 加藤徳伝

 十月の始め頃になると、私の近くにある電線に沢山の秋燕が集まってくる。初めは番らしい二羽が来て、やがてその数を増やしていく。集まった燕は熱心に鳴き合っている。おそらく、南へ帰る仲間の情報や帰路を話し合っているのだろう。兎に角よく囀っている。
 掲句の秋燕も情報交換に熱心な多弁さであろう。この句、秋燕をただ眺めていてできた句ではない。秋燕の動きや声をしっかりと見とめ聞きとめたからこそ、「多弁」という揺るぎない言葉を得たのである。
  
街はみな深く沈みて月高し 広岡博子

 さて、この句、高みからみた景には違いないが、街全体が見渡せる場所はそうそうあるまいと思う。やはり作者の住む岡山県津山市の津山城趾あたりからの眺めか。
 朗々とした調べに夜涼の快さがある。家々の屋根に月明のさかんな輝きすら見えてくる。眼前の景を直截に切り取ってゆるみがない。

焼酎の水割り農の疲れかな 柳田柳水

 近頃は様々な焼酎が出回っている。それだけ焼酎党が増えたのであろう。
 作者は農の疲れなどと言っているが、冷たい水割り焼酎を前にして、会心の笑みがほの見える。飾り気のない気持ちが素直に伝わってくる句である。
 

 その他の感銘句
落し水盗みし水も混じりをり
軒先を雀に貸して三尺寝
蝉とんで樹海の涼を驚かす
卓上のすすきに風が吹いてゐる  
月食を抜けて鏡のやうな月
終戦日安否の便り書いてをり
狛犬のふんばつてゐる残暑かな
夏草の背丈の草を横に見て
高原の銀河溺るるばかりなる
太郎籠次郎籠据ゑ下り梁
古川松枝
東條三都夫
稲野辺洋
檜垣扁理
辻すみよ
久保美津女
谷山瑞枝
勝部好美
鷹羽克子
瀬下光魚

禁無断転載