最終更新日(Update)'08.01.06 | |||||||||||
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・しらをびのうた 栗林こうじ | とびら | ||||||||||
・季節の一句 金井秀穂 | 3 | ||||||||||
「葉脉」(主宰近詠) 仁尾正文 | 5 | ||||||||||
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか | 6 | ||||||||||
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載) 秋穂幸恵、辻すみよ |
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白光秀句 白岩敏秀 | 40 | ||||||||||
・白魚火作品月評 鶴見一石子 | 42 | ||||||||||
・現代俳句を読む 村上尚子 | 45 | ||||||||||
百花寸評 今井星女 | 47 | ||||||||||
・鳥雲同人特別作品「俳壇」12月号転載 | 52 | ||||||||||
・こみち(不滅の法灯を尋ねて) 野澤房子 | 53 | ||||||||||
・澤田早苗氏逝去 | 54 | ||||||||||
・「山陰のしおり」山陰合同銀行発行 '07 No.10 転載 | 56 | ||||||||||
・坂本タカ女さん歓迎吟行俳句会 | 57 | ||||||||||
・俳誌拝見(幡) 森山暢子 | 58 | ||||||||||
句会報 「浜松白魚火 天竜句会」 | 59 | ||||||||||
・「俳句四季」9月号転載 | 60 | ||||||||||
・うつのみや文芸協会俳句大会開催される 野澤房子 | 61 | ||||||||||
・今月読んだ本 中山雅史 | 62 | ||||||||||
・今月読んだ本 林 浩世 | 63 | ||||||||||
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載) 伊藤巴江、西村松子 ほか |
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白魚火秀句 仁尾正文 | 113 | ||||||||||
・窓・編集手帳・余滴 |
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鳥雲集 | |
〔無鑑査同人 作品〕 | |
一部のみ。 順次掲載 | |
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隠 岐 安食彰彦 隠岐へ隠岐へ色なき風に押されつつ 隠岐航路青のふくらむ秋の潮 天高し隠岐の駅鈴紫房持つ 秋暑し牛の角突く音かなし 山の辺の七段稲架に五段稲架 秋興の布袋竹林賑はへる 杉皮葦の土間の秋蚊に喰はれけり 曼珠沙華草月流の壷に咲く 落 栗 青木華都子 吊橋の眼下は秋のあばれ川 水底に戻る明るさ萩の花 萩芒活け小上りの三畳間 釣具屋に隣る仏具屋青棗 朝顔の蔓の絡まる京格子 大の字に寝て足元のつづれさせ なまけ鳴きしてをり夜明け前の虫 草の根を分けて落栗拾ひたる ひぐらし 白岩敏秀 鬼灯を鳴らし少女の遠目ぐせ 灯台は昼を眠りて草ひばり 十六夜のひかりに濡れて歩きけり 野の風を道連れにして秋遍路 コスモスに揺るる楽しさありにけり ひぐらしや峡の日暮れのきつね雨 赤とんぼ交みて沼をかがやかす 十月や石屋磨き出す石の艶 秋 深 し 水鳥川弘宇 やうやくに仕舞ひし夏の喪服かな 秋桜時間つぶしの陶店に 忌中札取りはづされし白木槿 遺句集の相談を受け秋の夜 菜を間引くいつか真顔となつてをり 信号に途切れし列の秋遍路 九月尽聴力二割減といふ コンビニのおにぎり一つ秋深し 藻屑焚く 山根仙花 稲刈られ日に安らげる大地かな 刃物研ぐ幾千万の露の中 露けしや十戸の谷の十戸の灯 秋天の落ち込んでゐる井戸覗く 何もなき空を沈めて水澄めり 鵙鳴くや今日の始めの眼鏡拭く 物差で背ナ掻く鵙に鳴かれけり 藻屑焚く煙の沖を鳥渡る |
白 芙 蓉 石橋茣蓙留 赤まんまこの先葷酒許されず 白芙蓉兄弟喧嘩すぐ止みぬ 球探す肩に薄の触れにけり 日程に少しの余白秋彼岸 会釈して径譲り合ふ萩の寺 山栗や遠回りして来しと言ふ 月 桧林ひろ子 今日の月湖に無言劇演じけり 名月のいつもの月となる夜更け 満月や寝ころんで見て座して見て 活花の露も一役池の坊 杣の道消えてしまひし葛の花 投げ入れの芒忽ち穂となりぬ 秋 扇 橋場きよ 藤村の遺筆黄ばみし秋扇 総身に小諸古城の秋の蝉 われもまた遊子古城の鰯雲 身に入むや姥捨山を越ゆる旅 トンネルを抜けては深む旅の秋 現世の遠ざかりゆく白露かな 銀山の秋 武永江邨 雨少し町を濡らして厄日過ぐ 塀の上に猫の寝そべる厄日かな 獺祭忌長き法話に疲れけり 世界遺産石見銀山カンナ燃ゆ 深秋の山の囲める天領地 秋澄めり銀山街道海に尽く 月 笠原沢江 月を見に日のあるうちに山越えす 月上げて潮のざわめき収まりぬ 暫くは月の虜となりにけり 月天心湖の真中に船を置く 満月を押し上ぐる潮位篊に見る 海に見し月を車窓に連れ帰る 退 院 金田野歩女 じやがいもを掘り終へ入院支度せむ いつまでも馴染まぬ病衣秋曇 ちちろ鳴く筆圧よわき術後かな 星月夜明日退院の荷繕ひ 髭もじやの主治医は優し秋桜 通院に一日使ふ白芙蓉 晩 節 上川みゆき 式部の実ひと恋ふる彩を極めけり 新藁の大蛇吹かるる小社かな 突堤に座して語るや十三夜 晩節の独り旅なる温め酒 憎まれて耳たぶあつき種を採る 赤い羽根繃帯取れし子の胸に |
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白光集 | ||
〔同人作品〕 巻頭句 | ||
白岩敏秀選 | ||
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秋穂幸恵 庭先に一枚羽織る良夜かな 咽鳴るやこの世に居りて栗おこは 指先の小さき切り傷衣被 鎌高く掲げすすきを選びをり 紫苑の葉かららかららと日暮れけり 辻すみよ 水鉄砲本気で打つてきたりけり 御開きの供物分け合ふ地蔵盆 波音のさやかにありし今日の月 名月を見てゐて星を忘れけり 貝殻を拾ひては捨て九月尽 |
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白魚火集 |
〔同人・会員作品〕 巻頭句 |
仁尾正文選 |
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浜 松 伊藤巴江 秋の夜をひとり短き縄を綯ふ 穴惑ひ藁小屋の前動かざる とほくより目星をつけて竹を伐る 吾亦紅たれか通りし跡のあり 稲刈りの予定を今年子が立てり 松 江 西村松子 秋澄むや驛鈴の音の透きとほる 木の実降る島を囲みし波の音 海坂の藍を深めて鳥渡る 新松子隠岐一の宮ざんざ降り 霧流れ牛突きの牛昂ぶれる |
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白魚火秀句 |
仁尾正文 |
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とほくより目星をつけて竹を伐る 伊藤巴江 小高い所の竹薮というよりは、よく手入れされている筍畑とでもいう所。二十本程の孟宗竹が適当な間隔で立っている。稲架竹に二、三本伐ろうとしているのであろうか。遠くから眺めてあの竹とこの竹にしようと目星をつけておいた。そして迷うことなく伐った。同掲の「穴惑ひ藁小屋の前動かざる 巴江」は蝮をさして怖れてはいないが不気味ではある。秋の蛇はよい天気なので穴に入るのをためらっているのだ。 この作者は、国の重要民俗無形文化財に指定された「寺野のひよんどり」の寺野に住む。徳川、武田が天下をかけて戦った長篠合戦に敗れた武田方の落武者がこの寺野に入植した。険しい山の中腹にあるが集落の結束は固い。作者はここから奥山方広寺の門前で毎月開く句会に五十ccのバイクで往復二時間をかけて十八年間通い詰めた。県道のバス停付近を除いてはすべて山。句会の終る夜の九時過ぎ、暗闇の中を一人バイクを走らせたのである。今年より犯罪や事故のこともあり昼の句会に変えたがバスを乗り継いで往復三時間以上をかけて通っている。根っからの俳句好きなのである。作者は旅吟を除いては、すべて土の匂いのする農俳句である。本誌十月号で「「過疎」は具体的でないので採らない」と申し上げたが、過疎地を詠むならば掲句のごとく場面を切り取って見せて欲しい。 木の実降る島を囲みし波の音 西村松子 島は海に囲まれているので何処からも波の音が聞えるのは当り前のことである。だが、この句には愁いのようなものが漂っている。栗や椎の実が落ちる中秋は、青春、朱夏、白秋、玄冬の五行説でいうと玄冬が間近かの季。島には一日中波音がしているのであろうが、波の音を耳にするのは夜更けの床の中である。「波の音」が沈思を誘うのはその為だ。一連五句は十月三日行われた「後鳥羽さん顕彰全国俳句大会」の旅吟であることは知っているが、それが分らなくても一句は独立していて殊に「波の音」と据えた所が佳絶。 更に一連は殆んどが一物仕立てである。取合せの俳句が圧倒的に多い俳壇の中で、これらは新鮮でさえありそこを評価した。 空をゆく一とかたまりの花吹雪 素 十 などは只管写生に徹した作品であるが、しらべがよく、景が鮮か。具象的であるので抑えに抑えた作者の主観が滲み出て、読者はそれぞれに余韻を受け取れる。筆者は「無常迅速」のようなものを思った。 草の花古井の底に水すこし 田久保峰香 昔は大抵の家に釣瓶井戸があった。深さは五、六メートル位だったと思うが覗き込むと底に水が光って見えた。少しばかりの水量のように思えたのだが、長さ五十センチもある釣瓶が一気に沈んだのだから水深は一メートルは優にあったのに違いない。こんこんと清水が絶えず湧いていた。そんな井戸が今も見られるとは羨ましい。 まむし草実となり夫を驚かす 奥野津矢子 かつて「金魚飼ふ夫は無駄なことが好き 津矢子」と詠まれた夫君もあれから二十年。貫禄十分になっていることであろう。その夫に今度はまむし草の赤い実を見せて驚かせたのである。蝮草は生えたとき茎がすでに気味わるく、黒い仏炎苞の花も青い実も妖しさを湛え真赤に熟れた実もどぎつい。驚かされた夫君も「俳人は何でこんなものに興味があるのだろうか」と言っている様子が目に浮ぶ。 SLの煙這ひゆく芒原 角谷 明 近くに大井川鉄道があるが、SL列車はいつも満員である。カメラを据えて待つマニアも多い。作者もその一人のようだ。カメラアイは乗っている時は見えない所迄捉える。「煙這ひゆく」絶好の場面を納めることができたのだ。 密漁の鮭貰ひたる星の下 佐藤 勲 作者の住む三陸は鮭が上ってくるので密漁監視が毎日立つ。星月夜密漁の鮭を有無を言わさず貰わされたが、忸怩としているのが掲句。 この辺の海は海胆や鮑も豊富でズボンの裾を捲って海に入るといくらでも手掴みできるために昼夜を問わず監視員が浜に張りついているが、あるとき友人が鮑を貰ってきたから一杯やろうというのでご馳走になった。聞くと密漁の鮑の剥き身を長靴の下敷にして持ってきたという。この作者と同じように密漁と同罪のように思ったことであった。 二つ三つ栗を拾ひし徐福かな 中村國司 泰の始皇帝に不老長寿の薬を探して来いと命じられた徐福は熊野や富士山で探し廻ったが見つからず帰国が叶わなかった。掲句は来る日も来る日も難行を続ける徐福が気休めに栗を二つ三つ拾っている図。二千余年前の徐福の挙措を眼前に見せられて驚いた。ユニークな一句だ。 |
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その他触れたかった佳句 | |
絵手紙の空より届く柿紅葉 追善の茶花に添へて数珠玉も 秋風や言葉少なに子を見舞ふ 月に挿す芒二本を人だのみ 稲架を結ふ食扶持だけの農なれど 地下足袋の御嶽講と氷菓食む 秋祭笛の二人は恋敵 風立ちて発火しさうな曼珠沙華 文化祭詩舞の袴結ひにけり 噴水の鰯雲まで届きけり |
荒木唐水 門脇美保 安食充子 木下緋都女 大山清笑 前川美千代 渋井玉子 尾下和子 大沼孤山 本倉裕子 |
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百花寸評 | |
今井星女 | |
(平成十九年九月号より) | |
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大瑠璃の声聞き分くる探鳥会 吉田智子 オオルリ(ヒタキ科)は北海道には夏鳥として渡来し、谷川沿いのうっそうと茂った森に棲息する。体も大きく雄は上体が鮮やかなルリ色で頭に光沢がある。枝などに止った時は上体を起こしぎみにして胸を張り、ピッピッギチギチと鳴く。 そして、コルリは雀ほどの大きさで、チ、チ、チという前奏のあとピュリ、ピュリ、ピルルルと高らかに歌い上げる。 作者は山歩きが大好きで、探鳥会にも参加しているので、オオルリの声とコルリの声の違いを聞き分けれるのだろう。探鳥会のたのしさが読者にも伝わってくる。 ちなみに、幸せを求める青い鳥というのはこのオオルリとコルリの事を云うそうだ。 聞き分くるがこの句の重点である。 曳く蟻は見えず曳かるる虫動く 大山清笑 俳人は、観察力がするどくなければ、と云われるが、すごい観察力ですね。 小さな蟻が自分より大きな虫を懸命にひっぱって巣まで運んでいる状景を見たのでしょうか。小さな蟻は見えないけど曳かれていく大きな虫に焦点をあてて、佳句をものにしました。さすがベテランの清笑様と感心しました。 玉葱を吊し一族無冠なり 重岡 愛 あのやさしく美しい絵で有名な、童画家のいわさきちひろさんは五十五才で亡くなりましたが、「病気がなおったら、今度こそ、無欲の絵を描きたい」とおっしゃっていたそうです。 欲のかたまりの人間世界の中で、少しでもちひろさんのような気持に近づけたら…と思うことしきりの私です。 その点俳句の仲間の間では、地位も名誉も関係ないし、○○さんとお互いに名を呼びあってお友達のようなおつき合いができるのが、嬉しいですね。 掲句、玉葱といういたって素朴な野菜を軒に吊した。どこにでもある農家の景色。それは大邸宅でもなければ、豪邸でもない一軒家だ。 親戚も多いけれど、特に有名人になったとか、大金持ちになったとかでなく、地位や名誉にも無縁な一族といっておられるが、それでいいんじゃないんですか。まじめに働いて、平凡な人生を送れたら、それって最高ですよ。 この句、玉葱と無冠が、ぴたっと決っていて佳句ですね。 母の名はウメと申せり梅筵 高梨秀子 何というほのぼのとあたたかい句なのだろうと思いました。作者のお母さんは明治か大正のお生まれでしょうね。名は体を表わすといいますが、梅の花のような、清楚で優しいお母さんなのでしょう。 申せりという敬語がこの句を引き立てています。さぞおいしい梅干が出来上ることでしょう。 凛々しさとやさしさの中に可愛らしさを秘めたウメさんを尊敬のまなざしでみている娘さん(作者)。佳句が出来ましたね。 矍鑠賞九十三才若葉風 木暮千代子 矍鑠賞とは、何とユニークで、たのしい賞の名前ですこと。九十三才でお元気な方。うらやましい限りです。尊敬します。 この句、季語の若葉風がいいですね。初夏を彩るうす緑色の若葉、希望の象徴の若葉、いつまでも若々しく、お元気で、がんばってください。 ところで、今、政府がきめた方針。七十五才以上の国民に対し、後期高齢者医療制度を四月から実施するとのことです。高齢者に対し、前期、後期とあえて差別して呼ぶことに私は抵抗を感じます。そう思いませんか。 天からの恵みの雨と昼寝かな 飯塚樹瀬 旱続きに待ちこがれた雨が降ってきた。喜雨だ!喜雨だ!と叫びたい気持。天に感謝感謝と拍手を打ちたい思いであろう。やがて、安堵の心が、急に睡気を誘う。雨の音が子守唄のようで、大の字になって昼寝をむさぼる作者がそこにいる。倖せな一と時。 復員し捨つる遺言山笑ふ 弓庭一翔 昭和六年の柳条湖事件から始まって十五年に渡る戦争が終ったのが昭和二十年八月十五日。この戦争で、失われた命はアジアだけで、二千万人以上といわれている。作者は好運にも九死に一生を得て日本に帰ってきた兵士の一人なのであろうと拝察する。太平洋戦争の末期、極限状況で死と向き合った兵士たちは家族にあてて遺言状を書いたのであった。 復員とか疎開とかいう言葉は、今の若い人には通じないかもしれないが、近代・現代の日本史を正確に学んでほしいと切望する。さて、掲句の背景にある重みは、長編小説にも匹敵するほどの一句である。そして季語に持ってきた山笑ふで救われた思いがした。 戦後、希望を持って生き抜いた作者に乾杯。 花うつぎ佐渡金山の狸穴 広瀬むつき 日本海に浮ぶ佐渡ヶ島は中世より流人の島だった。今は新潟港から二時間の船旅で、気軽に行けるようになったが―。 十六世紀なかば金銀山開発により繁栄した佐渡は、徳川家康の手によって天領とされたが、佐渡の歴史は金銀山とのかかわりをさけて考えることはできない。 十八世紀なかばから明治維新まで一八〇〇人の無宿者が江戸や大阪から相川金山に送られてきた。無宿の夢は、まじめに働けば、やがて平人になれることにあった。しかし多くの者は平人になれないままこの山に骨を埋めたのである。多くの労務者は石粉の毒で短い生涯を終えていった。当時の相川に住む、まずしい人びとが僧侶と共に涙ながらに水替無宿のために石の墓を立てている。 「狸穴」というのは、一人だけで掘り進んでいく狭い坑道のことで、狭いので、中に入った坑夫が出る時はUターンができないので、足から出てくるので狸穴といわれた。今も抗内には狸穴が無数に残っている。さらに坑内には涙なしには見られない水替作業に従事する労務者の等身大の人形などが置かれている。 汗と涙を拭いながら坑内見学をすませた作者の目に写ったのは、可憐なうつぎの花。きっと心が癒された思いがしたに違いない。 季語の花うつぎがいい。 筆者は函館市在住 |
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白光秀句 |
白岩敏秀 |
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咽鳴るやこの世に居りて栗おこは 秋穂幸恵 咽が鳴る―手元の辞書には「食べたくてうずうずする」とある。どちらかと言えば慎み深いとは言えない言葉。続いて「この世に居りて」と何やらあの世を連想させるただならぬ言葉が並ぶ。そして最後に「栗おこは」と再び現世に引き戻される。読み下しながら気持ちが上下する句である。 この句を倒置すれば「栗おこはこの世に居りて咽鳴らす」であろうが、これでは栗おこわが見えてこない。掲句のように読者の気持ちを揺らしながら詠まれてこそ栗おこわが現前する。しかも、湯気の立つ炊きたての栗おこわ。新米なれば一層の食欲をそそる。 「庭先に一枚羽織る良夜かな」 満月を仰ぎながらの動作が一枚羽織ったことのみ。或いはそれさえも忘却して、月にこころを寄せた無心忘我の時。中天に近づいていく月が静かな時の推移を知らせる。 御開きの供物分け合ふ地蔵盆 辻すみよ 私の地区も古くから地蔵盆が行われている。地区を二つに分けてそれぞれ地蔵盆がある。地蔵さんの一つは地区の籠り堂にあるが、後の一つは私の敷地にある。随分と古い地蔵さんで目鼻も風化してはっきりしない程である。地蔵盆の前日は子ども達や当番の婦人達が花を立てたり、飾り付けをしたりして随分と賑やか。 地蔵盆は御詠歌に始まり、お供え物を参加者に分け合ってお終いとなる。 お供え物を分け合うのは、地蔵さんと同じ物を食べて、地蔵さんの慈悲を貰い讃えること。いわば、地蔵盆の要に当たる。 簡単なようだが俳句の修練を重ねないと、こういう要には目が届かないもの。掲句は勘どころをしっかりとわきまえての作。 落葉松の影立ち並ぶ秋の沼 星田一草 美しい句である。どこか北欧の風景を見ているようであるが、これは間違いなく日本の景色。この沼は幾代もの落葉松を春夏秋冬に映し続けて来たのだろう。しかし、この句の清澄感は秋ならではのもの。 澄み切った沼に落葉松が映り、雲の影がゆっくりと横切る。落葉松の向こうにはアルプス連峰が顔を覗かせている。 句に表現されていない風景が見えてくるのは「影立ち並ぶ」による。「立つ」という言葉が句に立体感を与えたためである。さりげなく使われて周到な言葉。揺るぎない構図で、秋の沼の景色を見事に切り取って、詩心に冴がある。 エンジンの音平らかに秋耕す 竹渕きん 思わず帽子を取って、挨拶をしたくなるような朗らかな句である。エンジンの音の平らかなのはよく手入れされた耕耘機の機嫌の良い証拠である。 かっては牛馬で秋耕していたものが耕耘機に変わり、牛馬を励まし叱っていた声がエンジンの音に変わった。秋空に響く耕耘機の間断のない音は、冬に追われるように急ぐかっての秋耕の侘びしさはない。耕耘機の快調な音は来秋の豊作の予兆のように感じられる。 平らかなエンジンの音が秋晴れの耕しに至上の時を与えた。 宮大工目指す男の子と新酒汲む 石田博人 西岡常一(1908~1995)に「木に学べ」(小学館ライブラリー)の著書がある。氏は法隆寺の昭和の大修理や薬師寺の再建に携わった法隆寺宮大工の棟梁である。 この本に弟子に関する話がある。「見習いは一所懸命、仕事を覚えるわけです。木を見て、道具を見て、仕事ぶりを見て、技術を盗むわけです」と記している。 作者もおそらく同じことを言って、男の子を励ましたことであろう。新酒はそのはなむけに相違ない。 宮大工が少なくなったと聞く。この男の子が立派な宮大工になることを作者とともに期待したい。 大根蒔己が流儀のありにけり 勝本恵美子 質問「先生、人間は年をとると丸くなるといいますけど、うちの爺ちゃんはますます頑固になってきました」 医者「それは人生五十年と言われた頃のこと。今では五十歳を過ぎてから我がでて、自己流を通します」これはある新聞に載っていた川柳に付けられたコメント。掲句の作者は五十歳を過ぎた人。 稲刈りの男が一人日が傾ぐ 渡辺恵都子 広い田の稲刈りを一人でやっている男。刈り進むうちに風が冷たくなってきた。見上げれば日が大分西に傾いている。刈り終わるまであと一息。「日が傾ぐ」に時間に追われる緊迫感がある。 手に取りて秋のすだれのほつれかな 坪井幸子 夏の日差しを遮ってくれたすだれ。見ればすだれにほつれがある。作者にはそれがすだれの疲れと思えたのある。 「ほつれかな」には季節の移り変わりに対する作者のしみじみした述懐がある。 |
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