最終更新日(Update)'17.05.01

白魚火 平成29年5月号 抜粋

 
(通巻第741号)
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 5月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    寺本 喜徳 
「すこし斜め」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(一部掲載)坂本タカ女 ほか
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
早川 俊久 、西村 ゆうき  ほか    
白光秀句  村上 尚子
函館白魚火会新鋭賞受賞お祝会  森  淳子
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
     三原 白鴉、檜林 弘一 ほか
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(松 江) 寺本 喜徳   


北国の五月音たて動き出す  吉野 すみれ
(平成二十八年七月号 白光集より)

 今春、日本気象協会が発表した桜の開花予想によると、ソメイヨシノの一番早い開花は九州・四国・東海地方で三月二十五日。それから四月末にかけて桜前線が本州を北上、五月に北海道に渡り、札幌や作者の住む苫小牧地方は五月五日。道東の釧路・根室地方は五月十五日頃とあった。五月五日ははや立夏であるが、梅や桜に合わせて桃や李なども一斉に花開き、今頃色彩の競演の景を呈していよう。
 しかし、生動するのは花々に限らない。あらゆる生命体が活動を開始する。その坩堝の真中にいる作者には、それらの息吹が聞こえる。「音たて」は誇張ではない。

日暮きて水口に置く余り苗  上松 陽子
(平成二十八年七月号 白魚火集より)

 今日の田植は圃場整備された広い田に田植機で植えることがほとんどであるが、掲句は手植えを終えた小さい田が並んでいる田舎の田園風景を思わせる。「水口」は「ミナクチ」と読み、小川などから用水を引く最初の田の水の取り入れ口を言う。
 苗は、今日のハウス栽培と違って苗代田で育てたので、根はしっかり水を含んでいた。その日の田植が予定通り終わった後、余った苗は水の豊かな水口田に漬けておいて、翌日の田植や植え田の浮き苗の補充に用いた。
 掲句は一時代前の田園の風景を思い浮かばせるとともに、長い一日を無事に終えた安堵感を感じさせる。

 飽食のさみしさ蕗の皮をむく  大石 ひろ女
(平成二十八年七月号 鳥雲集より)

 現代は飽食の時代、食物の有り余っている時代と言われる。作者は蕗の煮物を菜の一つに加えるために、硬い筋が通っている水蕗の皮を、おそらくさっと湯に通した後剥いている。昔ながらの素朴な調理ではあるが、季節の味を食する楽しみがある。中七を二分した前半で「飽食のさみしさ」と時代批評を述べ、後半で自分の手作業へと転じた句法は巧みである。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 森 の 道  坂本タカ女
風花やスキップをして森の道
雪しぶきあげ屋根の雪落ちてくる
塩分を控へ三寒四温かな
雪降つてくる暗さと言うて鼻すする
しがみつき落つこちさうな軒氷柱
雪眼鏡とりてピアノの上に置く
水落す水道くくと寒の星
ゆるされてよき字余りや水温む

 二月富士  鈴木三都夫
探梅の人杖貰ふ女坂
白妙の姿全き二月富士
アルプスの雪を遥かに梅ふふむ
紅梅を愛で白梅へ歩を移す
落椿句碑突然に華やげる
落椿人形塚は供花一つ
法の池あぎとふ鯉の水ぬるむ
その数の帰る仲間の鴨ならむ

 山 笑 ふ   山根仙花
辞書の字の一字を探す寒灯下
白壁に春立つ木々の影動く
春立つと口笛空へ向けて吹く
目玉焼上手に出来て山笑ふ
握り飯正三角形や山笑ふ
縄飛びの縄蹴る大地かげろへり
鳥影の忙しき春の障子かな
ゆつくりと打つ大時計春の雪

 弥  生  安食彰彦 
むらさきのことに大きな蜆かな
春暁や新聞配りの靴の音
弥生来る退院の日の近づきし
訪ふ人もなき廃屋の梅薫りけり
托鉢の老僧の背に梅一枝
若き僧足早に過ぐ梅の下
陶窯に黒煙立つ梅真白
陶工の猫を抱きたる梅日和

 晴 朗 忌  村上尚子
みどり児の一語身に付け春立てり
人を待つ春の障子を少し開け
釣釜や袖垣近き人のこゑ
婆抜きのばばが来てをり春炬燵
早春の海と向き合ふ晴朗忌
乾きたるシャツはTの字名草の芽
白鳥の帰る高さと思ひけり
広げたる海図に重石つばめ来る

 畑締まる  小浜史都女
梅二月ひくりとうごく力石
神の梅しろといふよりうすみどり
せきれいの来て浅春の石たたく
末黒野に鴉歩いてゐたりけり
茎立や雨降るたびに畑締まる
引きどきの鴨のときどきしぶきあぐ
踏青や筑紫次郎の横たはる
無人駅朧の人を降ろしけり
 野蒜摘む  鶴見一石子
葉牡丹の渦は人の世縮図なり
機銃掃射享けし駅舎のつばくらめ
料峭や獄舎の窓の鉄格子
地虫出づ道鏡塚はまろやかに
先生の涙たしかに卒業す
庭仕事できる倖せ牡丹の芽
蝶を追ふ吊橋なかばみうしなふ
孫と住むことが倖せ野蒜摘む 
 
 日脚伸ぶ  渡邉春枝
予定なき一日ことに日脚伸ぶ
春の雨とろ火にかくるジャムの鍋
梅が香や僧の素足の艶めきて
のど飴を旅に買ひ足す梅二月
料峭の電子辞書より鳥の声
囀と嬰の泣き声まぎれ合ひ
永き日の糸を弾きて縫ひ始む
初ざくら駅のホームの端を染め

 正 文 忌  渥美絹代
柊を挿す猫の声近くにし
牛小屋を雀の歩く涅槃西風
午祭白雲ちぎれつつ流れ
起こされし畑の匂ふ一の午
大風のあとに梅の香正文忌
山笑ふ幔幕風をよくはらみ
岩山に天狗の祠黄砂降る
風光る磨き込まれし杉丸太

 採  氷   今井星女
百二十八島抱へ湖凍る
空晴れて氷湖を囲む針葉樹
大沼も小沼も凍り鳶舞へり
採氷や氷ブロック一千個
物好きと云はれ採氷見てをりぬ
採氷を積み上げジャンボ滑り台
氷像の白鳥としてはばたける
氷像の一等賞は鶴の舞

 海 明 け  金田野歩女
ちやんこ鍋親族の円かなり
大鷲の流氷海に羽搏けり
海明けを誘ふ陽気能取岬
気掛りを二つ抱ふる余寒かな
雛納む霰一つの転びゆき
お揃ひの春の帽子や子と母と
せせらぎに目覚むる木の芽真紅
卒業子涙こぼさぬやう仰ぐ

 卒 業 歌  寺澤朝子
母許りでありし日の倖春障子
山笑ふ関東平野遠巻きに
お涅槃の門の開けある無縁寺
訣れいくつ重ね仏の別れかな
おだやかな日にして春愁深まりぬ
別れゆく山河称ふる卒業歌
並走の電車は地下へ春一番
春泥といふさへいまは懐かしき


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 蘆芽組む (松 江)西村 松子
しんしんと雪匂ふ夜や便り書く
荒神に百の幣串深雪晴
罅ひとつなき立春の空の青
山毛欅林の芽吹きうながす風のいろ
漣はみづうみの私語蘆芽組む
初蝶のひかりとなりて垣根越ゆ

 正 文 忌 (浜 松)福田  勇
師の教へ守り残さむ正文忌
夕東風や虫食ひ目立つ阿吽像
水温む生地に残る釣瓶井戸
錆あるも自在に動く耕運機
轆轤挽く工房脇の黄水仙
窯出しの茶碗音せり春の風

 寒  肥 (出 雲)荒木 千都江
大寒の鴉の声の濁りけり
寒肥をたつぷり土に押し込めり
日本海雪の精のわたり来る
吸ひ込まれさうな青空冴ゆる朝
冬の日の後を見せて沈みをり
埋もれゐし草立ち上がる雨水かな

 神迎ふる浜 (出 雲)久家 希世
神迎ふる浜の四温や波の音
地均しの光る校庭水温む
水温む湖の底まで空の青
雛の間にもう少し灯を雨の音
校門を飛び出す笑顔風光る
庭木の実みな失せてをり小鳥引く

 座 禅 草 (群 馬)篠原 庄治
風邪ぎみの舌に転ばす白湯甘し
皹割れの指もて外すネックレス
弱き風なれど頬刺す今朝の春
深ぶかと朽ち葉褥に座禅草
峡颪捉へ畦火の奔りけり
春耕や畦踏みつぶす耕耘機

 蕗 の 薹 (松 江)竹元 抽彩
せせらぎに小さな春の音宿る
春暁や目覚し時計鳴り続く
地に触れて消ゆる定めや牡丹雪
蕗の薹土を擡ぐる薄緑
啼き交はし翔ぶ白鳥の北へ去ぬ
のどけしや膝で子猫の背伸びして
 雪像造り (江 別)西田 美木子
雪像となる雪塊の黙の中
粗彫のスコップ雪像造り初む
鉈振るふ乙女雪像作りかな
皮剥きの出番雪像仕上げ中
子等の声天に突き抜け春の昼
春の月勿体振つて出でにけり

 紙飛行機 (唐 津)谷山 瑞枝
琴の碑の透かし模様や四温晴
雛壇や純銀製の将棋盤
県庁の濠を駆けたり春疾風
足音でわかる介護士冴返る
懐メロの流るる春の骨董市
暖かや紙飛行機の浮き上がる

 途中下車 (江田島)出口 サツヱ
申し分なき青空や春立てり
一椀に磯の香朝の若布汁
春遅々ときこきこ鳴らす首の骨
春の灯を消したる闇のやはらかく
風光るふらりと途中下車の街
春光へひらりと跳べり女の子

 寒  紅 (函 館)森  淳子
遠き日の吾子と飾りし聖樹かな
刺一つ胸に残れる年の暮
省略もぎりぎりといふ年用意
寒紅のあとの残れる小指かな
ストーブに乘せし薬缶の鳴りにけり
節分や一握ほどの豆を煎る

 春 一 番 (浜 松)大村 泰子
みづうみの面たひらに寒明くる
椅子にいす重ね建国記念の日
春一番大きな甕が野ざらしに
空箱を踏みつけ潰す余寒かな
酒蔵の暗さの中にある余寒
地虫出てはや雨粒に打たれけり

 寒  明 (札 幌)奥野 津矢子
雪像を造る横浜育ちかな
三日目の雪像に足す鱗かな
身の透けし魚の骨格寒明くる
古里は北国ちぢみ菠薐草
桂剥きだんだん厚くなる余寒
春水と思へば愉しにはたづみ


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 早川  俊久(浜 松)

芳翰や梅一輪の添へられて
初ざくら恩師幾人胸に棲み
雨ときに嬉しき春の日もありぬ
逝きし師を恋ふ朝桜夕桜
密教の山より枝垂れ藤の花


 西村 ゆうき(鳥 取)

雪責めの刑か三尺雪を積む
きさらぎや潮は匂まだ持たず
春泥へ転がりやすき児のボール
畑の土ほのかにかをり春動く
願かけて飛ばすかはらけ木の芽晴



白光秀句
村上尚子


初ざくら恩師幾人胸に棲み  早川 俊久(浜 松)

 日本人にとって春を待つことは、桜の開花を待つことに通じる。そして、その桜と出合った時、決してその美しさだけに陶酔しているのではない。それぞれの胸に去来するものと、しばし向き合うのである。
 二月二十一日は、仁尾前主宰の三回忌にあたる。作者は早咲きの桜を仰ぎ、かつての多くの「恩師」に思いを馳せているのである。その思いは生涯忘れることはない。
  俳句の心髄とも言える、″言葉は少なく思いを深く〟語っている。〈さまざまのこと思ひ出す桜かな 芭蕉〉
  芳翰や梅一輪の添へられて
 「芳翰」は他人の手紙の尊敬語とある。そこに「梅一輪」が添えられていたという。切字からの展開が鮮やかである。

春泥へ転がりやすき児のボール  西村ゆうき(鳥 取)

 今年の冬は、特に雪に閉ざされた日が多かった。その分雪解けが始まれば外で遊びたいのは子供の常である。サッカーか野球かは分からないが、うまく受け止められなかったボールは、必ずどこかへ転がってゆく。それも一番転がっていってほしくない「春泥へ」である。子供の遊びに加減はない。春になった喜びが、一つの「ボール」によって温かく表現されている。それを見ている大人のうれしい悲鳴が聞こえてくるようだ。
  きさらぎや潮は匂まだ持たず
 ものを見てどのように感じるかは、おおかた似通ったものだと思うが、どこに焦点をしぼり、いかに表現するかである。「きさらぎ」ならではの捉え方である。

良き事の有りて菜の花飾りけり  友貞クニ子(東広島)

 人に花を贈ることはよくあるが、自分のために「菜の花」を飾った。近くの畑で摘んできたのだろうか。作者は昨年ご主人を亡くされたが、白魚火への投句は一度も欠かさなかった。やっと訪れた今日の「良き事」に、菜の花を飾って心満たされているのである。

真つ白な吊革春の来たりけり  陶山 京子(雲 南)

 最近の吊革は色も形もさまざまである。つい最近、私も「真つ白な吊革」をみたばかりだが、俳句には頭が回らなかった。「春の来たりけり」と受け止めてもらった吊革にも、いっぺんに息吹が通い始めた。

啓蟄やマトリョーシカの大きな目  神田 弘子(呉)

 「マトリョーシカ」はこけしからヒントを得て作られたという、ロシアの代表的な木製人形である。空箱を重ねて片づけるように、次々と体内に納められるように出来ている。その人形の「大きな目」だけに注目した。「啓蟄」とのユニークな取り合わせに、私は小さな目を見張った。

横文字の這ふ啓蟄の手帳かな  計田 美保(東広島)

 同じ季語でも先の作品とは趣が違う。「啓蟄」の作品は、とかく土や生物にとらわれやすい。しかし掲句は書かれている「横文字」から発想したところが独創的である。三月に入ったばかりの「手帳」には、次々と楽しい予定が書き込まれていくのであろう。

春あらし反魂丹がポケットに  阿部芙美子(浜 松)

 江戸時代に富山の薬売りが全国に広めたという「反魂丹」。それを「ポケット」に入れて外出した。元気な作者を知っているだけにギャップを感じる。「春あらし」は、この日の心境とも取れるが……。

水温む食器洗へば響き合ひ  広瀬むつき(函 館)

 食後の食器洗いは、主婦にとって嫌いな家事の一つ。しかし、この日の作者はどうであろう。北海道の長い冬から開放され、鼻歌まじりで洗っている。なお、「水温む」の本意は、あくまで川や沼の水が温かくなるということを前提とする。

スーパーの入口にある種袋  板木 啓子(福 山)

 冬の間店の奥にひっそりと置かれていた「種袋」。春になると一番目に付きやすい所へ並べられる。袋のカラー写真はどれも丹精込めた結果のものばかり。買うつもりがなくても、つい手に取って見たくなる。

ぶらんこを漕いでは山を揺らしをり  和田 洋子(静 岡)

 現実には出来ないことを出来たように言ってのけるのも俳句の手法。掲句が揺らしているのはあくまでも自分の体。これを文章にしたら大変なことになる。

鴨泳ぐ白き胸毛を突き出して  河森 利子(牧之原)

 群の中の一羽だけに注目した。「白き胸毛を突き出して」は単なる光景だけではない。子供を見るような慈愛に満ちた表現である。



    その他の感銘句
春きざす「誰が袖」といふ香袋
啓蟄や鴉一羽が付いて来し
佐保姫を迎ふる白のワンピース
どこまでも歩ける気分犬ふぐり
草青むオープンカフェの鉄の椅子
春一番捨て猫の名をハッピーと
月曜から始まる手帳冬珊瑚
自販機よりごとんとジュース草萌ゆる
犬ふぐり午後は青空広がれり
ラジオより株式市況畑返す
みどり児をまかせてもらふ初湯かな
百点のテスト置かれし春炬燵
コーラスの楽譜の整理鳥帰る
真つ直ぐな飛行機雲や松の芯
焦げ癖のつきし土鍋や寒戻る
小林さつき
金原 敬子
市川 節子
塩野 昌治
大隈ひろみ
中山  仰
石田 千穂
石川 純子
村松 典子
中野 宏子
船木 淑子
大菅たか子
仲島 伸枝
西沢三千代
島  澄江


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 出 雲  三原 白鴉

研ぎ上ぐる包丁の肌冴返る
薄氷の捉へてをりし風の跡
春の雨音やはらかに電車過ぐ
母と子の登校練習春の雲
堰越ゆるとき押し合へる春の水

 
 名 張  檜林 弘一

耕人のほぐしてをりぬ山の影
ここからは本流となる春の水
ありありと地声を交はす恋の猫
春眠の男に肩を貸してをり
目刺とは言ひ得て酷や食うてをり



白魚火秀句
白岩敏秀


薄氷の捉へてをりし風の跡  三原 白鴉(出 雲)

 詩人で童話作家の岸田衿子(一九二九年一月~二○一一年四月)にこんな詩がある。
  風をみた人はいなかった
  風のとおったあとばかり見えた
  (『ソナチネの木』 青土社)
 たしかに、我々はいつも風の通ったあとばかり見ている。風を見ることも捉えることもない。しかし、薄氷は確かに風を捉えている。
 この詩は続く〈風のやさしさも 怒りも/砂だけが教えてくれた〉。朝になってわれわれが見る薄氷の表情は、風の優しさであり怒りなのかも知れない。
  母と子の登校練習春の雲
 春に小学校へ入学する児童。母と学校への道順を確認している。狭い通学路や危険な曲がり角、そして横断歩道。子どもの好奇心があちこちと脇見をして、そのたびに母に注意されている。空にはぽっかりと春の雲。微笑ましい登校練習である。道草を覚えて、母を心配させるのはもう少し後のこと。

春眠の男に肩を貸してをり  檜林 弘一(名 張)

 時は春。場所は通勤電車の車内。「春眠暁を覚えず」とばかりに、うつらうつらと船を漕いでいる男がいる。身体は前後に揺れ、左右に揺れゆれ、やがて男の頭は隣の乗客の肩にぴたりと止まる。電車の心地よい振動が眠りをさらに深みへ誘っていく。下車駅まであと五駅。電車は、春眠と春眠に肩を貸した男を乗せて、ひたすら街を走っていく。

欠席の子に届けたる雛あられ  計田 芳樹(東広島)

 今日はクラスで雛祭りをした。ところが一人だけ病気で欠席した子がいたのである。そこでクラスの仲良しが集まって雛あられと雛祭りの話を持って見舞いに行った。よい先生や友達に恵まれて、病気もすぐによくなることだろう。教室に全員の元気な声が揃うのも遠くではない。

アルバムに溢るる笑顔春の雨  小林さつき(旭 川)

 どのような人の笑顔でも気持ちが和む。作者は先生とあるから、アルバムの笑顔は教え子たちのものであろう。春に学校を巣立っていく生徒たち。アルバムには笑顔のみならず前途への希望が溢れている。春という季語に明るさと華やぎが託されている。

神々の素顔は若し里神楽  佐藤  勲(岩 手)

 読み始めて「エッ、どうして若いと分かる?」と驚き、読み終えて納得する。
 舞終えた神楽面の下から現れたのは、みな若者の顔ばかり。地区の伝統の神楽を必死に守ってきた古老たちには嬉しいことである。若者たちによって引き継がれていく神楽。この地区には後継者不足の言葉はない。

菜の花や小さな村のコンサート  金原 恵子(浜 松)

 一面の菜の花に埋もれた小さな公会堂のようなところ。コンサートがあるということで、村人たちが三々五々と集まってくる。小さな村の祭のような楽しい一日。青空の下で菜の花がそよ風に揺れている。

彼方には青空ありて牡丹雪  鈴木 滋子(札 幌)

 牡丹雪は春のもの。ホラ! 見てご覧、空の向こうに春の青空が見える。長いきびしい冬に、別れの手を振るようにひらひらと降る牡丹雪。飯田龍太の句に〈いきいきと三月生る雲の奥〉がある。 

音はみな谺となりて春の山  冨田 松江(牧之原)

 春が生まれたばかりの山である。木々は芽吹き、大地は下萠える。万物が息づき始めた春の山。そんな活動的な様子を「音はみな谺となりて」と捉えて新鮮。山も作者も春に弾んでいる。

春寒し龍の群れたるやうに雲  竹中 健人(一 宮)

 春といえども冬の低気圧が、心地よさそうに居座っている。その低気圧を形にしたものが空を覆っている雲。しかも、龍が群れているようにである。
 この句は「やうな雲」ではない。「やうに雲」で動きが出て、いちだんと春寒が感じられる。たかが一字、されど一字である。


    その他触れたかった秀句     

春泥を跳んで明日へ近づきぬ
春めきて草の匂ひにひざまづく
寒念仏の声の近づき遠ざかる
若冲展見に行く春の川越えて
垂り雪音して影の落ちにけり
春の雨楓の幹に紅きざす
部屋ごとの時計の遅速目借時
花を買ひ本屋をのぞき日脚伸ぶ
桶伏せて仕舞湯落とす二月尽
影踏みの三つ編みはねて金盞花
弁当の数だけ頼む桜餅
みんな上向いて明るき犬ふぐり
踏切を越えてショールを掛け直す
早春の光を乗せて滝落つる
梟の間近に鳴いて仕舞風呂
梅林に入り梅の香の薄れけり
手の平にぬくもり残し春日暮る

西村ゆうき
大石登美恵
牧野 邦子
塩野 昌治
石川 式子
加藤 德伝
荻原 富江
宮﨑鳳仙花
高橋 茂子
中山 啓子
植田美佐子
山本 美好
畑山 禮子
安食 孝洋
樋野久美子
安藤  翔
加藤 葉子

禁無断転載