最終更新日(Update)'14.05.01

白魚火 平成26年5月号 抜粋

 
(通巻第705号)
H26. 2月号へ
H26. 3月号へ
H26. 4月号へ
H26. 6月号へ


 5月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    源  伸枝  
「朝  寝」(近詠) 仁尾正文
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
岡 あさ乃 、佐藤 升子  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
鳥雲逍遥  青木華都子
句会報 磐田支部「槙の会」  斎藤 文子
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          林  浩世、大山 清笑 ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(東広島) 源   伸 枝    


葉櫻の影の騒げる石畳  山根 仙花
(平成二十五年七月号 曙集より)

 桜は幾度私達に感動を与えてくれるのでしょうか。私達は少しずつ暖かくなり、桜の莟が膨んでくると心弾みます。そして咲き初める花や、満開の桜を謳歌し、散りゆく花の美しさに悲哀を感じます。又葉桜のそよぎに心ひかれ詩心が生まれてきます。
 葉櫻の影が石畳に揺れているのではなく「騒げる」とされた表現に感動致しました。

捨て惜しむ古書に五月の風通す  関口都亦絵
(平成二十五年七月号 鳥雲集より)

 「五月の風通す」の言葉は、とても爽やかでほのぼのとした表現だと思います。その爽やかな風を古書に通されたのです。
 本はなかなか捨てられず、増えてゆく本に悩まされていますが、作者も一度は捨てようかな…と思われた本に五月の風を通し又、本棚に納められたのでしょう。心あたたまるすばらしい句だと思います。

豆飯や昼餉の蓆水田べり  宮澤  薫
(平成二十五年七月号 白魚火集より)

 「昼餉の蓆水田べり」の言葉に田植を想像します。昔は田植の時大きな豆飯のむすびを作り、田の傍で輪になって昼餉を取ったものです。近所の人も手伝ってくれ、にぎやかな一時を過しました。一株一株手で植えるので辛い田植でしたが、人々とのあたたかい交流がありました。
 「豆飯」と「蓆水田べり」の表現に昔が思い出され、ほのぼのとした暖かい句だと思います。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 落  椿  安食彰彦
春暁の歓喜の光掴みけり
春雨や傘さしくれし女学生
名を知らぬものの芽もまた天を差す
紅梅を訪ひ来し人の逝かれけり
産土の空の青さよ落椿
くれなゐの椿小庭のせせらぎに
くれなゐを水が研ぎゐし落椿
落椿ぬれゐる赤の色が好き

 雪 達 磨  青木華都子
早朝の雪積二十七センチ
橇をお貸ししますと山の宿
足音も立てずに去りし雪女郎
雪の道転びさうなるハイヒール
中禅寺湖畔の宿の雪達磨
日が射してやせ細りたる雪達磨
本降りとなりたる雪の露天風呂
春の雪掃き寄せてある輪王寺

 堰 の 音  白岩敏秀
すれ違ふ犬に振り向く余寒かな
春寒しイルカの芸に拍手して
落葉松に春の雪降る信濃かな
梅ぽつと開いて影のふくらみぬ
行き合ひし巫女の目礼梅香る
春障子花の絵柄の透きにけり
雪解けのはじまつてゐる堰の音
木の芽風投句のなきを案じをり

 雪 女 郎  坂本タカ女 
駐在のまぐち一間雪女郎
身に覚えなき爪の疵鎌鼬
闇汁や豆電球といふがあり
荒縄の仁王の草鞋春浅し
氷彫の頬骨高きアイヌ像
雛調度なかの局の煙草入
雛遊び寺の柱の括猿
ぼろぼろの箱より鳥取流し雛

 犬ふぐり  鈴木三都夫
空堀は乱世の奈落笹子鳴く
落城の伝説非情梅寒し
二月はや茶山に人の動きそむ
針ほどの茶の芽の潜む雨水かな
春めくや山を見し目を海へ向け
東風寒し今は名残の蜑の路地
寄する波引く波日脚伸びにけり
吟行は先師の教へ犬ふぐり
 落  椿  山根仙花
枯山の枯れの匂へる母郷かな
新刊書ひらく遠嶺に雪来し日
素陶干す影それぞれに日脚伸ぶ
春来るとくれなゐ淡き菓子を買ふ
仰向くは安らぐ姿落椿
夕東風に町の灯またたきつつ点る
千代紙の模様散らばる春灯下
ぶらんこを漕ぐや蹴飛ばす日本海

 柳  川  小浜史都女
小ぶりなる鴨小ぶりなる水尾引けり
川下る舟にしつらへ春炬燵
御所人形どれも上向き春来る
もてなしの廊下に縁に雛飾る
雛の宿勘定部屋の箱火鉢
華やかに柳川手毬雛の段
つるし雛鳥に魚に虫に毬
からたちの芽吹きやうやくなまこ壁

 山 笑 ふ  小林梨花
カラフルな鉢物並べ春を待つ
久闊を叙する座敷や桜草
べた凪の湖に子連れの春の鴨
王墳をふはりと包む忘れ雪
三椏の花山肌に点るごと
径逸れて又みちそれて山笑ふ
山中の屋敷広々木々芽吹く
落人の谷間や梅の真つ盛り

 神  域  鶴見一石子
百窟に百の神域地虫出づ
街裏の五叉路三叉路灯朧
狢坂踏み朧の灯踏んでゐし
しろがねの鬼怒の流れの猫柳
戦禍の火振りきつて生き春の宵
啓蟄の土地を賜はり五十年
草青む道鏡塚の裏は窪
朧夜や九尾の狐舞はせたし

 啓  蟄  渡邉春枝
水替へて魚おちつく涅槃西風
留守電の赤き点滅春の雪
聴聞の末席にゐて梅香る
羽繕ひねんごろにして鴨引けり
鴨引きし後のさざ波日を返す
開け閉めの軽き格子戸地虫出づ
啓蟄や万歩を超ゆる万歩計
念願の歩き遍路の列にをり


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 麗  日  富田郁子
春浅し丈六観音伏目して
金色の観音像に梅香る
童子仏にゆらゆら回る風車
菅公の産湯の池も水温む
霾りて富士の望めぬ空の旅
「麗日」てふ吾が絵も画廊も麗らけし

 毛糸編む  桧林ひろ子
毛糸編む一人遊びのたのしさに
山笑ふ三里の灸の跡消えず
絵日傘のごと紅梅の枝垂れけり
芹摘むや水音かろくなつて来し
躓きし足元にある蕗の薹
恋猫の鉢を引つくり返しけり

 除  雪  田村萠仙
除雪車の幅だけ雪を掻きにけり
故障車の出るほど降りし雪を掻く
明治以来とふ大降りの春の雪
待避所の無き一筋の雪の道
農耕車一役買つて雪を掻く
春寒の挨拶肩を尖らせて

 黄 水 仙  武永江邨
寒椿うなづくさまに落ちにけり
春近し青さ深むる隠れ沼
黄水仙海岸通りの明るさに
海近き山手に住めり黄水仙
手を添へて首伸ばしやる黄水仙
春炬燵老斑しるき二人かな

 花 明 り  桐谷綾子
大雪や母を案じて会ひにゆく
ビビットカラーあざやかな種を蒔く
花明りする丘琴の音の聞ゆ
三彩の水指浅黄花点前
利休の忌つめたき淡き春時雨
忘れ雪連なつてゐるロープウエー

 梅 の 花  関口都亦絵
たもとほる上州古道梅の花
観音の見目やはらかし春の雪
ま青なる空を廻して春の鳶
草萌ゆる水琴窟の奏でかな
湯の里の万葉歌碑や地虫出づ
水温むゆつたり鯉の浅泳ぎ
  
 田螺鳴く  寺澤朝子
雪代やあはあはと日の傾きて
ビルの間に残る畳屋針祭る
大川に潮の満ちくる涅槃西風
師系たどれば波郷在せり雪椿
火袋に浮かぶ浮世絵夜の梅
        (湯島天神行灯)
田螺鳴くこよなき家郷想ふかな 

 鳥  曇  野口一秋
すれ違ふ巫子に一揖雪解風
鶯笛鳴虫山に向け吹きぬ
雪解水奔る田母沢御用邸
節分草に跼む双子の姉妹かな
饒舌の鸚哥は籠に鳥曇
覚束無き妻の手を曳き青き踏む

 牡丹の芽  福村ミサ子
大山の遠くかがやき魞を挿す
近くより遠くが光る雪解風
しののめの一角広げ鳥帰る
白鳥の北帰はじまる湖の町
果樹園の敷藁乱れ地虫出づ
野ざらしの鉢にも命牡丹の芽

 竹 の 子  松田千世子
耕しの土の匂ひを裏返す
薯植うる灰まぶしては塗しては
啓蟄の踏めば水浸む渡し板
竹の子の此の世覗きて掘られけり
竹の子の越境してはなりませぬ
つくしんぼあてなく摘める手一杯

 蕗 の 薹  三島玉絵
白障子閉め切り母はもういない
しみじみと一人なりけり葛湯吹く
雪吊りの縄乱れなき国造館
湯豆腐に加はる眼鏡外しけり
誰にとも無く摘む蕗の薹二つ
弧を描きともる橋の灯春の雪

 桜  餅  今井星女
葉の香りほのと広がり桜餅
仏壇に先づは供ふる桜餅
桜餅買つて旧交あたたむる
立春といへど厨は氷点下
寒卵一人にひとつ朝の膳
寒卵こつと割りたる朝餉かな



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 岡 あさ乃

船べりの板子の撓む多喜二の忌
西空に明星残し二月尽く
春暁や星を曳きゆく波の音
大空に声をつなぎて鳥帰る
啓蟄やメトロの出口探しをり


 佐藤 升子

揚げ舟に雨のしみ込む二月尽
蔵座敷の奥の深くて雛飾
青饅や膝をくづせば雨の音
藪椿沖の明るき日なりけり
割烹着の母の丈干す花菜風



白光秀句
白岩敏秀


船べりの板子の撓む多喜二の忌  岡 あさ乃

 「おい地獄さ行ぐんだで!」。小林多喜二の代表作『蟹工船』の冒頭の一節である。
 多喜二は明治三十六年(一九○三)秋田県に生まれ、プロレタリア作家として知られている。昭和八年(一九三三)二月二○日に特高警察に逮捕され、同日拷問によって死亡した。その日が多喜二忌。二十九歳であった。
漁をする人にとって海は死と背中合わせの世界である。多喜二忌の頃の荒れた海の上での必死の作業の描写が「板子の撓む」である。海に生きることは又海との闘いでもある。
 春暁や星を曳きゆく波の音
 寄せては返し、返しては寄せる波音が無限に続くように感じられる春の渚。波音が星を沖へ沖へと誘いやがて朝となってゆく春の渚。東雲の星を仰ぎながら歩く渚は、人を詩人にさせる。

割烹着の母の丈干す花菜風  佐藤 升子

 作者は何度も母上の割烹着を干したことだろう。そして、今更のように気付く。「何と丈が短くなったことか…」。
 老いてゆく母への愛情が「母の丈干す」に言い表されている。割烹着を干す行為に母との貴重な時間が籠められている。
 折しも菜の花を吹いてきて風が、干した割烹着の短い丈を揺らしていった。

来客に雪見障子を上げにけり  原  和子

 雪がたいそう降り積もった日に、中宮定子の「香炉峰の雪はどうだろう」という問いに清少納言が御簾を上げることで答えた話が『枕草子』(二百八十三段)にある。
 雪見障子を通して雪の庭を眺める主客。雪明かりが部屋に差し込んでいる。打ち解けた二人の間には静かな時間が流れる。
 雪見障子を上げることによって、美しい空間が生まれる。障子や畳が支えてきた日本家屋の空間美である。

東風吹くや瀬戸を斜めに渡し舟  高村  弘

 作者は瀬戸内海を一望に俯瞰できる位置にいる。蜜柑山だろうか。明るい日差しが感じられる。瀬戸を行き交う船の白い航跡が見えてくる。時折鳴らす船の汽笛も聞こえてくる。
 そんな風景の中に小さな渡し舟が懸命に瀬戸を渡っている。しかも斜めに…。
 十七音に収められた色のコントラストも瀬戸の海と渡し舟の小ささの対比も明るい瀬戸内海のものである。

駆足の鞄賑やか山笑ふ  稗田 秋美

 駆けていく子ども達の背に、ランドセルが躍る。ランドセルに筆箱が鳴り教科書が騒ぐ。学校から解放された子ども達の明るい姿がそのまま表現されている。
 芽吹き始めた山と子ども達の動きがリアルである。作者のものを見る目の確かさを感じさせる句。

吊し雛家族のやうに下がりたる  太田尾利恵

 お父さん雛が揺れれば、お母さん雛も子ども雛も揺れる。家族のようにかたまって下がっている雛。それぞれに下がっている雛を「家族のように」とは鋭い把握である。おそらく仕舞われるときも一緒なのだろう。そんな優しい思い遣りが感じられる。

剪定の鋏の音の一途なる  伊藤 寿章

 剪定は春の庭木でも行うが、この句は果樹の剪定であろう。鋏で剪り落とす音、鋸で枝を切る音。秋に多くの収穫を願い、寒さのなかで剪定の一途な音が響く。剪定は果樹農家には大事な作業。
 剪定の枝に花が咲き実がなり、秋の豊穣が約束される。鳥取の二十世紀梨の剪定はすでに終わった。

ふらここやきりんの顔の真正面  高部 宗夫

 思い切り空へ蹴り上げたぶらんこ。蹴り上がった途端に麒麟の顔を真っ正面に見てしまった。ぶらんこの人も驚いたろうが、麒麟はもっと驚いたに違いない。高さ自慢の麒麟の目の前に、突然人間の顔が現れたのだ。驚かない方がどうかしている。
 動物園で遊んだ春の楽しい一日であった。


    その他の感銘句
苗札に添ふる短き花ことば
涅槃図を息をひそめて拝みけり
待春の音を拾つてゆく水辺
夢殿の裳階に残る春の雪
土恋し室のじやが薯芽を伸ばす
鉢植ゑの篩くぐらす春の土
初蛙入日うするる路地の奥
たこ焼のくるりとかへる春祭
大根煮る忘るるほどの刻かけて
薄氷を舐めゐる猫の舌真つ赤
今日も又恋猫遠出してをりぬ
カステラの和紙の湿りや桃の花
立春や橋を渡れば隣村
石段に吉野の春の一歩かな
足伸ばし廻してゐたり春の縄
渡部美知子
柴田まさ江
大滝 久江
森井 章恵
萩原 峯子
井上 科子
伊藤 和代
鈴木 利久
三上美知子
後藤 政春
仙田美名代
高野 房子
鈴木 滋子
大澤のり子
武田 貞夫


鳥雲逍遥(4月号より)
青木華都子

目玉焼色よく盛られ春の雪
建国日大雪となるワシントン
手の三里足の三里や寒灸
ひび薬手足に塗りてけふ終はる
潮満ちて波の均せるどんど跡
口笛を吹いて犬呼ぶ枯堤
受験絵馬息詰まるほど犇めける
深閑として一月の雷神社
声髙き鴉が一羽春隣
冬鳥が縁先に来て稿終る
初蝶の黄色よき事ありさうな
神々は夜が好きなり初鴉
桜の芽園児募集の案内板
息白し廊下の角をまるくゆく
春立つや封書の糊の早や乾く
日向ぼこ胡座の中に稚を置き
一病もなくて軽やか四温晴
一湾の潮目定かに淑気満つ
雪催切り倒す木に×印
古暦いはくありげな二重丸

田村 萠仙
桐谷 綾子
三島 玉絵
織田美智子
笠原 沢江
上村  均
加茂都紀女
星田 一草
二宮てつ郎
池田都瑠女
大石ひろ女
森山 暢子
小川 惠子
奥野津矢子
齋藤  都
西田美木子
谷山 瑞枝
出口サツエ
村上 尚子
森  淳子



白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

 浜 松  林  浩世

係留の船みな白し春一番
薄氷の閉ぢ込めてゐる青き空
園児らの合唱そろふ黄水仙
振り返る眼鋭き恋の猫
剪定のつい切りすぎてしまひけり

 
 中津川  大山 清笑

足跡のめつたやたらや春の霜
春めくや色鉛筆の十二色
春光や指でたしかむる赤児の歯
モナリザの笑みをたたふる雛かな
雛の間に目覚めて雛と眼の会へり



白魚火秀句
仁尾正文


園児らの合唱そろふ黄水仙  林  浩世

 一連五句何れも平明で力みがない。投句稿の中には「至福」「凛として」「楚々」というようなものが多い。「凛として」は「凛々」はあるが「凛」という国語はなく力み返っている。至福や楚々も具象化、具体化をさせねばならぬモチーフに過ぎない。加藤かな文氏は「中部の文芸」の中で「力んで物を見ると風景はゆがんでしまう。不平をもらしたくなる。しかしほどほどに脱力すれば、真の姿が見えてくる」と述べている。
 掲句の「園児らの合唱そろふ」には随分と練習を重ねたことであろう。脱力が果せている「黄水仙」が実にいい。この句においては「黄水仙」に代る季語はない。加藤氏のいう「眞の姿」であろう。この作者は五十歳台半ば、初めての巻頭である。

春めくや色鉛筆の十二色  大山 清笑

 作者の年齢は九十二歳で白魚火では高齢作家グループの一人。職業欄を見ると「助産師」とあり現役である。この作者のみずみずしい叙情に驚き入ったのである。現職を務める外月何回かの句会に出、白魚火の投稿も欠かしたことがない活力に驚く。
 今年の二月臨済宗方広寺派本山の大井際断管長の百寿祝いがあり参列した。老師は鶴の如く痩せているが、挨拶の裂帛にマイクは不要であった。サミエル・ウルマンの『青春の詩』に「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相をいうのだ」「年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる」よく知られた詩であるが、この老大師も作者の清笑さんも青春の只中にある。

雛飾りパラリンピック見たりけり  有田きく子

 今回ソチオリンピックの句が沢山投じられたが採れた句はなかった。テレビ解説でバンクーバなる地名が出たが四年前オリンピックのあったこの地名は何処の国なのか忘れ去られている。ソチも四年後には忘れられていることであろう。時事は俳句に向かないのだ。
 それに対して掲句は、自宅で雛を飾りながらパラリンピックのテレビを時々見ている。身近かで地味なパラリンピックを見ているこの句は時事俳句ではない。身体障害者を激励しているかのようにも思えた。

吹雪去り雪陽炎のあらはるる  山田 春子

 陽炎の立っている池などの水面の空気が揺らいでいるのを歳時記にはないが「水かげろふ」と詠んだことがある。掲句は吹雪が止んで、俄かに強い日が差し、二、三時間後に雪面に陽炎が立っているのが見られた。極めて珍しい現象であるが、厳しい北国では内地の者の想像を絶することが起り得るのであろう。「足もて作る」白魚火会員であるから「雪陽炎」はそこに足を運んで実際に見たことを疑わない。是非一度見てみたい。

日脚伸ぶ机上に広ぐ時刻表  米沢  操

 「日脚伸ぶ」は冬の終り頃の季語であるが希望に満ちた本情である。掲句は、机上に時刻表を広げとだけしか言ってないが、旅のプランに余念がないのである。時刻表もJRや飛行機、長距離バスなど色々、心を膨らませている。句稿には「春の旅」が沢山あるが安易に過ぎる。掲句の如く具体的に詠むと旅の始まる前から春の旅の楽しさが読者に伝わる。

走り根と走り根の間の落椿  野田 弘子

 動詞が一つもない即物的、剛直な一句。ここには虚飾も力みも入ってくる余地がない。

ここに夫此処に子の居し炬燵かな  三加茂紀子

 この夫も此処に居た子も既に亡くなっている。歳月を経ては居るが、悲しい思いのする炬燵辺である。亡くなった父を「考」と表記するが「妣」と同じく煩わしい。掲句で十分だ。

後手はおんぶの名残り水温む  間渕 うめ

 若い頃は、二人も三人も子を背に縛りつけて子育てに必死であった。この句は孫や曽孫を背負った後の手持無沙汰の照れ隠しであろう。「後手はおんぶの名残り」はそれだけに終っていなく、自分史も含まれている所が面白い。
秀句である。

氷点下三十度住めば都かな  吉田 容子

 旭川地区では寒暖の差七十度の記録がある。その苛酷な環境にあっても住めば都、共鳴できる。

日当れば庇迫り出す雪布団  小渕つね子

 よく目を働かせた写実がよい。雪布団も造語であろうが、よくこなれていて誰にでも分かる状態を客観的に写生して佳什に仕立てた。

一頭の白馬の産まれ木の根明く 佐藤 琴美

 歳時記では「雪間」としてしか出てないが北国の人は「木の根明く」が好まれている。実際に株の囲りが樹木の呼吸熱で解けて空いて見えるのは春の到来を実感させる。

なまこ塀に弾ける光水温む  中山  仰

 奥さんの啓子さんと共にキリスト教協会で高知県に転勤になってきた。東広島で俳句に出合い、よき師よき友に恵まれありがたかった。高知でも指導者の力を借りて句会がしてみたいと書かれてあった。高知では川崎さん等白魚火で十年会員だった歴史があるので期待したい。


    その他触れたかった秀句     
そのかみの絵踏の里の春田かな
琅玕の風のざわめく余寒かな
壺すみれわらべ地蔵は眠たくて
挿木して明るき未来呼び寄する
麦踏の影は東に廻りけり
水温む向きを揃ふる鯉の群
店先に活花用の猫柳
梅林へ誘ふ風のありにけり
梅林や静かに人の込み合へる
余寒なほ梅の形の和三盆
姑の年季の入りし大根漬
座布団を少し薄目の春柄に
真夜中の屋根の雪解にたまげけり
涅槃図の裏に残りし修理跡
中山 雅史
清水 春代
坪井 幸子
渡部美知子
坂田 吉康
星  揚子
板木 啓子
藤浦三枝子
保木本さなえ
渥美 尚作
田久保とし子
江角真佐子
関 うたの
本杉智保子

禁無断転載