最終更新日(Update)'14.06.01

白魚火 平成26年6月号 抜粋

 
(通巻第706号)
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 6月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    中村 國司  
「草  餅」(近詠) 仁尾正文
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
荒井 孝子 、花木 研二  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
鳥雲逍遥  青木華都子
句会報 浜松初生句会報  
句会報 ひらめき句会  鈴木 利久
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          萩原 峯子、原   和子 ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(鹿 沼) 中 村 國 司    


跡継ぎの見回る青田風生るる  中組 美喜枝
(平成二十五年八月号 白光集より)

 句の切れどころから見て、季語は青田。そこに風が生まれたと解釈する。青田に稲穂はまだ出ていないが、この時期の水の管理が収穫を左右する。だから朝晩の見回りが重要と父に教えられてもいる。掲句の父はすでに亡いと言外に読める。
 さて、句の背景はめずらしく風のない青田である。跡継ぎとしての責任を自覚した彼(または彼女)が畦の水口を見回ると、稲の青葉をかき分けるように風が生まれた。あたかも彼を見守る父が其処にいるかのように。それを作者は見ているのだ。

緑蔭に声出して読む古川句碑  安食 希久江
(平成二十五年八月号 白魚火集より)

 句碑となった荒木古川元「白魚火」主宰の、その句を私は知らない。しかし声に出して読まれるとは、何と幸せな句碑ではないか。俳句が韻文であるとは誰もが知るところ。だが音読という味わい方を近頃はあまりしない。ゆえに「声出して読む」という措辞には鮮味がある。
 掲句は緑蔭という季語を配し、声出して読む動きを加えて古川句碑との近しさを示した秀句。周囲に人のいる感じを残したのは好みであろう。

樺若葉空と交信してゐたり  西田 美木子
(平成二十五年八月号 白魚火集より)

 八月号から季節の一句を選ぶという作業をして気付いたのは、北海道はまだ春なのだ、ということである。「白魚火集」中、北海道の地名の項の俳句には、梅、桜、チューリップ、鶯、初燕、百千鳥などなど、春の訪れを悦ぶ季語が満ち溢れてエネルギッシュである。
 その中の掲句、初夏の光を浴びて煌めく樺の若葉は、大空と交信の最中なのだと、そのように迎夏の悦びを表現している。北海道ならではの大柄な詩情と、清涼感を湛えた心地よい一句である。「交信して」いるのが、作者自身でもあることは言う迄もない。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 蝌  蚪  安食彰彦
傘寿までやつととどきし青き踏む
若布売の老婆の笑顔来たりけり
春耕や昔寺領と国衙領
春の鹿古墳の径をゆつくりと
蝌蚪の群れ人の足音知つてをり
月宿る枝垂桜の下の句碑
影落す気負ふことなき糸桜
山を負ふ庄屋の庭の糸桜

 花 粉 症  青木華都子
何となくうす桃色の花の雨
観桜会未だ七、八分咲きなれど
露天風呂舞ひ込んで来る飛花落花
散るさくら未だ蕾なる八重桜
お似合ひの若きカップル花の下
暮れ際の桜を散らす風少し
対岸もにぎはつてゐる花見客
目も鼻もくしやくしやにして花粉症

 凪の午後  白岩敏秀
三月の黙祷海は凪の午後
ぶらんこの地に近づきて影縮む
出揃ひし土筆の土手の暮れてゐる
まつすぐに朝の来てゐる黄水仙
風動く黄泉比良坂春の闇
春愁やなぞりて和紙の裏おもて
堰に来て小さき渦生む芹の水
囀や杉板百枚立てて乾す

 結 氷 期  坂本タカ女 
きさらぎのまなこやさしき埴輪かな
露天湯の手すり結氷してをりぬ
引きずりし湯疲れ伊予柑置いてあり
供養の雛人形の風呂敷包み解く
鳥雲に立ちて寝る馬ねまる馬
小屋蹴つて外恋ふる馬結氷期
消燈をして馬小屋や朧月
余すなき馬柵の噛み傷大雪解

 花ほくり  鈴木三都夫
安らぎの手枕のごと涅槃像
結跏趺坐羅漢百相春を待つ
引く鳥に取り残されしごと送る
春蘭に上がるともなき小糠雨
愛しきよしあえかに挙げし花ほくり
牡丹の秘めたる色を未だ見せず
初蝶に寄辺の花のおぼつかな
筍の疼きそめしか土の罅
 辛夷咲く  山根仙花
バス降りてすぐ梅匂ふ磴のぼる
梅梅梅天神様に詣でけり
峡深し田毎の畦の草青む
走り根に躓くことも春寒し
辛夷咲く水音いつも峡濡らす
並べ置く鉢それぞれに芽吹きけり
春眠の枕の凹みよかりけり
竹林の真青に濡るる春時雨

 身 の 丈  小浜史都女
寒明けてよりよく咲けり寒あやめ
紋ひたき紋はつきりと三月来
雨にまだ冷たさのこり地虫出づ
風ありてよしなくてよし蜷育つ
生くることに欲が出てきてうららけし
けふの日がたつぷりとあり黄水仙
身の丈の句を詠み青き踏みにけり
しなやかに生きてしぶとき草を引く

 古川句碑  小林梨花
鶯の声と微睡む夜明けかな
塗り盆に戴く護符や玉椿
蒼天へ捧ぐる花の二三輪
八方へ遊び心の花辛夷
満開の花の奥なる古川句碑
一片の花蒼石の句碑に舞ふ
夕影に光り輝やく山桜
眉程の月中天に夕桜

 春 の 夢  鶴見一石子
菜の花に明けゆく大地加波筑波
山の日をうけて陣敷く蝌蚪の紐
たんぽぽの鬼怒の堤の昼の月
春の日の溢るる宿場水車
渋滞や鳴き虫山の春霞
おほらかに生く晩節の菊根分
職退きて二十五年の春の夢
夜桜は紫に見ゆ息づかひ

 花 菜 風  渡邉春枝
すれ違ふ僧に一礼花菜風
菜の花や四国三郎あばれ川
山寺に一夜を泊まる花の雨
山笑ひそめしか風の向き変はる
初蝶の万葉歌碑に翅たたむ
片づけてまた散らかして暖かし
織柄の表裏たしかむ春燈下
端切れもて日永の刻を継ぎ合はす


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 初ざくら  織田美智子
啓蟄の幼き草をひきにけり
巣作りの鴉遠目にきのふけふ
花ミモザ指切りをして別れけり
戸障子の滑りなめらかあたたかし
来ぬ人を待つ鞦韆に腰掛けて
初ざくら仰ぎて齢重ねけり

  雛    笠原沢江
還暦を過ぎたる雛一並べ
抜きてみる五月幟の飾太刃
脇差しの一つ余りし雛飾り
薄紙に顔包み雛納む
摘み合うて土筆の丈を競ひあふ
ネクタイを決めかねてゐる新社員

 春 の 土  金田野歩女
繕うてひらく歳時記竜天に
嬰児の初めての靴春の土
蒲公英や園児集むるホイッスル
春灯独り法師の検査室
鉛筆を削つて貰ふ入学子
傾ぎたる国有林の古巣かな

 弥  生  上村  均
初燕川をくねらす洲の数多
自転車を土手に放りて土筆摘む
放送は迷子の知らせ梅の花
炊煙のたゆたふ山家桃の花
マンションの影の被さる畑を打つ
繋船のこすり合ふ音月朧

 浅  春  加茂都紀女
日光連山聳然とあり水温む
梅日和解体されし登り窯
二の鳥居潜りて直ぐの初音かな
迂闊にも踏んでしまひし蕗の薹
雛納む箱書昭和十四年
初花の空にとけさう昼の月

 梅 の 宮  星田一草
薄氷の解けゆく水の透き通る
樹木医の手当の枝垂れ栗芽吹く
閼伽池のうす濁りして暖かし
せせらぎや芽はさみどりの水芭蕉
撫牛の眼のおだやかや梅の宮
見はるかす山々霞ゐたりけり

 初  桜  奥田  積
天窓のあかりや笊に蕗のたう
迎春花石垣高き札所寺
茎立つや参道雨に洗はれて
雨傘の触れあふ近さ初桜
列車追うてバイクつき来る花ぐもり
桃の花ゑまひておはす観世音 

 甲州印傳  梶川裕子
富士川の大曲りして雪解水
落葉松の芽吹きの遅き奥信濃
信玄の火葬塚とや緑立つ
家苞に甲州印傳風光る
残雪の嶺まなかひに馬籠宿
木曽馬の振分け荷物鳥雲に

 吹  越  金井秀穂
吹越の時に蒼天透けてをり
南限の吹越今日も舞つてをり
天井まで雛千体の段飾り
香煙も供花をも攫ふ彼岸西風
ほろ苦さ花菜の精と思ふべし
耕され早くも通ふもぐら道

 たんぽぽ  坂下昇子
雛供養雛の形の尉残る
防風掘る片手で帽子押さへつつ
大空の点となりたる雲雀かな
たんぽぽに茣蓙をずらして座りけり
靴脱ぎて子等の駆け出す春の草
ランドセルかたかた鳴らす花の雨

 春 夕 焼  二宮てつ郎
日々色を変へては山の芽吹きけり
春雨や袋に入るる新聞代
覚めてなほ暫く春の夢にをり
花冷の髭剃りて行くところ無し
春夕焼岬の空に雲すこし
痛いところだらけの体花曇

 花 御 堂  野沢建代
片栗に屈めば土の柔らかし
花御堂葺くに思案の空鋏
花の昼出動中の消防車
織殿の小さき錠前桜咲く
井戸蓋に石を置きあり黄水仙
浦島草釣糸手繰る両の手で



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 荒井 孝子

山の日を切に離さぬ座禅草
春時雨土の匂ひの轆轤小屋
隠岐よりの文読み返す春の風
観音の御手滑りゆく春日かな
行く春のさみしき時は土鈴振る


 花木 研二

鉛筆の丸と六角入学子
解氷期夜つぴて風の能取岬
オホーツクの海光届くしやぼん玉
膝一つ詰め寄る話春炬燵
山笑ふ一朶の雲を肩に掛け



白光秀句
白岩敏秀


観音の御手滑りゆく春日かな  荒井 孝子

 うらうらとした春の日が観音の腕に柔らかく当たっている。吟行句であろう。吟行句は吟行仲間にはその情景が分かっても、一般の読者には分からない場合がある。吟行地を詠もうとするからだろう。吟行に行ったら吟行地で詠めとは仁尾先生の教えである。
 掲句はその教えのままに詠まれているから、情景がよく分かる。しかも「御手滑りゆく」の表現で観音の大きさも分かる。対象の一部を取り上げることによって対象全体を浮かび上がらせている。技に冴えのある句である。
山の日を切に離さぬ座禅草
 「切に」はひたすらにという程の意だろう。山間の水辺に、春を待ちかねたように咲く座禅草にとって、太陽の光はなによりのものである。大きな仏炎苞にしっかりと春日を包み込んでちんまりと咲く姿は微笑ましくもある。春はやがて山を下りて村や町にやって来る。

膝一つ詰め寄る話春炬燵  花木 研二

 「…ところで、この話は」と膝を一つ詰め寄られて始まる話。といっても、それ以上は炬燵の脚に遮られて詰め寄ることはできないのだか…。それが分かっていても詰め寄られると思わず身構えてしまう。しかし、季語が春炬燵。深刻な話ではないことが分かる。
 この句、最初におやっと思わせておいて、最後になるほどと納得させる。そこに生まれる上品な笑いが楽しい。

風が押すだれも乗らない半仙戯  竹内 芳子
 
 半仙戯はぶらんこのこと。なかば仙人になったような気がすることからこう名付けられたと辞書にある。
 静かな公園の光景である。子ども達の乗らないぶらんこは春風と囁き交わすように小さく揺れている。学校や幼稚園が終わって、元気な子ども達が公園に戻ってくるまでのぶらんこの休息のときである。
 子ども達のいない静かな公園の真昼どき…。いつか、どこかで見たような懐かしさのある光景である。

鳥雲に入る故郷の史料館  河島 美苑

 「鳥雲に入る」と「故郷の史料館」は無関係のようにみえながら、不思議に響き合っている。史料館には作者の育った故郷の歴史がある。作者の故郷はどこか知らないが、故郷が随分と遠くなっているのだろう。その思いが越冬地を置いて遙か北へ帰っていく鳥に重ねられている。鳥雲に入る眼前の情景に故郷が二重写しになる。

アイロンを利かすブラウス春きざす  田口 啓子

 春きざす=春めく、春動くと実際に感じられるのは三月頃であろう。木々の芽が膨らみ、草の芽が土を割ってくる。人々は厚ぼったい冬服を脱ぎ捨て、明るい春の服装を準備する。その手始めがブラウスのアイロン掛け。
 「利かす」に春へ弾む気持ちがよく現れている。本格的な春はあとひと息である。

一人より二人で居るはあたたかし  萩原 峯子

 二人で居ると喜びが倍となり、悲しみは半分となるとはよく言われることである。特に夫婦の場合はそうだろう。共に暮らした年月が長ければ長いほどその思いは深いに違いない。春の暖かな雰囲気が二人をやんわりと包み込んでいて、まろやかな味わいがある。

楷芽吹く昌平坂の孔子廟  松原  甫

 昌平坂は東京湯島にあり、ここに孔子廟がある。孔子廟は一六九○年(元禄三)に将軍綱吉によって上野忍ヶ岡からここに移された。昌平坂の名前は孔子の生地である中国山東省曲阜市の郷の名に由来する。その昌平坂の楷が芽吹いたという。楷は孔子の墓に植えられたと伝えられる儒教ゆかりの木。
 孔子を敬う人達によって丁重に守られている孔子廟。孔子の教えは日本人の心の奥深くに生き続けている。

鳥帰る洗ひ終へたる白き皿  鈴木 滋子

 食後の皿を洗い終えてふと窓を見ると、隊を組んだ鳥が北へ向かって帰っていく。遠景に北帰行の鳥達、近景に洗い終わった白い皿。日常生活の中で切り取った一瞬のスナップである。俳句の神様は何時でもどこにでもいるものだ。


    その他の感銘句
春愁は愛憎の間を漂へり
遮断機の上がり踏切かげろへる
雪柳ほどけて風となりにけり
花冷えを残して雨の上りをり
鳥啼いて御室のさくら吹雪けり
飛火野の椿真つ赤に落ちにけり
花種を蒔き袋絵を土に挿す
花冷や雨の滴は真珠色
鶴塚にささやく程の春の風
王朝の夢にまどろみ花いかだ
ひとときの薬のやうな春日射し
茫として桜見てゐる男かな
春風や腹話術師の旅かばん
春炬燵話上手と聞き上手
出口 廣志
徳増眞由美
大石 越代
村上  修
江連 江女
林  浩世
高橋 陽子
加藤 德伝
森井 章恵
奥村  綾
三関ソノ江
岡本 千歳
中山  仰
八下田善水


鳥雲逍遥(5月号より)
青木華都子

片栗に屈めば土の柔らかし
啓蟄や切株の芯赤らみて
間をあけて捨印二つ雁帰る
足振つて脱ぐ長靴や鳥雲に
上手とは言へぬ初音を聞きに出づ
遠ざかる帽子まだ見ゆ花大根
水音のどこかにありて梅匂ふ
雨さつと通り過ぎたる花なづな
日は海にゆつたりと入る桜かな
醤油屋の裏に船路水温む
万葉の山を烟らせ葺を焼く
疲れ目を辛夷の空へ移しけり
春雨や熊の里のなんでも屋
炊煙のたゆたふ山家桃の花
うららかや渡し番屋に猫眠り
水音のして紅梅の散り続く
たびら雪止み梟の足踏みす
かたかごの今を盛りの花の反り
抱卵の雉子に雨の募りけり
牛の尾の空をまさぐる日永かな

野沢 建代
森山 暢子
浅野 数方
出口サツエ
村上 尚子
横田じゅんこ
三島 玉絵
渥美 絹代
西村 松子
谷山 瑞枝
小川 惠子
桧林ひろ子
福田  勇
上村  均
寺澤 朝子
清水 和子
奥野津矢子
辻 すみよ
源  伸枝
関口都亦絵



白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

 旭 川  萩原 峯子

樏や森へ入れば獣めく   
榛咲くや橋の袂の母の家
鳥雲に拡大鏡の辿る地図
春笋の息に湿りし新聞紙
春灯や最上階のピアノバー

 
 出 雲  原  和子

前掛にポケットがありふきのたう   
さんざめく潮入川の春日かな
遠近の畑に人ゐて地虫出づ
灯ともして仏間に隣る雛の間
沈丁の一枝で足る匂ひかな



白魚火秀句
仁尾正文


鳥雲に拡大鏡の辿る地図  萩原 峯子

 平成十五年白魚火は旭川にて全国大会を開催した。アイヌの笹小屋の辺で誰かが「青葉木菟だ」と指差し、吟行子は一斉に枝に止った青葉木菟を見た。夏の夜鳴声を聞いたことがあるが姿を見たことはなかった。烏より少し小さい、真黒で何の変哲もなかったが、この作者は「月色の目をしてをりぬ青葉木菟 峯子」を俳句会に投じ、ロマンチストだと感心したことがあった。「月色の目をしてをりぬ」は青葉木菟賛であることに違いない。
 さて掲句。旅をせんとしている場所を天眼鏡をずらしながら細部の電車や道路などを確かめている。心は既に旅をしていることは季語からも察しがつく。投句稿には「春の旅」「夏の旅」と安直な句が多い。季語は選び抜かれた日本語であるから「春の旅」などは季語の資格がないといえる。春の旅は、掲句の如く具体的に、切れ味よく詠むべきだ。

前掛にポケットがありふきのたう  原  和子

 「前掛にポケットがあり」といわれると、男であっても見たことがあるよう思える。「ふきのたう」と続けると、このポケットには摘んできた蕗の薹が四つ五つ入っていることが見えてくる。単純化が図られ肝心のものだけを呈示して仔細は読み手に委ねている。俳句は作者の技倆の外に読み手も加って評価される。読み手に分らせようとくどくど説明をしてはならぬ。読者を信頼すべきである。

堅雪に差す剪定の脚立かな  平間 純一

 北国にも漸く春が到来したが残雪はまだ一尺もある。固く緊った雪に忙がねばならぬ剪定の脚立を差し込んでいる。半年近い風雪から解放された北辺の人々は春が来れば来たで嬉しい忙刹に会う。一句には作者の主観は欠らも見せないが、言葉自体が躍動している。

たんぽぽの絮風に乗り雲にのる  倉成 晧二

 「たんぽぽの絮風に乗り」までは特別のことではないが「雲にのる」で俄然面白い句となった。上空の雲より高く揚った絮は何千里の先までたんぽぽの種を伝搬するであろう。更に李白の「白髪三千丈…」の誇張した比喩も思わせ読者を楽しませてくれた。

抽斗のゼムピン散らけ地虫出づ  髙橋 圭子

 文房具を入れた抽斗ではゼムピンが一番散らかる。容器の関係もあるが取り出すとき散らかり易いのである。これと「地虫出づ」つまり啓蟄の頃の取り合せに距離がある。この隔りは大きい程火花が散って迫力が出るが句が分らなくなる。掲句は限度一杯の所の鋭い句だ。

遠嶺のかがやく日なり薯を植う  水出もとめ

 十数年も前のこと。濃霧の榛名湖畔を作者の運転する車に乗せて貰ったことがある。視界は十メートル程、ヘッドライトを点けて走るが速度が落ちないのである。年齢は喜寿位だったと思うが気性、運動神経が若々しいことに感じ入った。作句の方も九十歳を越えた今も衰えを見せない。「遠嶺のかがやく日なり」と内容も前向きで溌刺としている。

霾天や城下の町の景変はる  福間 弘子

 天然現象なので仕方がないが春先中国やモンゴルからの黄砂が季節風に乘って日本に飛来するのは迷惑この上もない。今年はその中の最微細粒が体内に入り健康を害すと問題にされた。どんよりとした土曇りによりお城下の町も息を潜めた如く活力を失っている。こういう景を描いたのは天然現象だけでなく大陸への恨み節のような気がしないでもない。

ネクタイを少し緩めて春の夕  計田 芳樹

 「春宵一刻直千金」という漢詩があるが、サラリーマンの風雅を具体的に言い止めるとこういう所になるのであろう。感動、感動をお題目の如く言う居士には賛同しない。居士はこのような作品をどのように評価するのであろうか。

万歳をして産まれくる仔馬かな  佐藤 琴美

 馬は生れて間もなく立ち上り歩く景をテレビでよく見て生命力の強さに驚くが、生まれる刹那は万歳をした形だとは、よく見ている。とにかく物をよく見て映像を伝えることは大切。読者は色々考える自由を与えられて心楽しい。
 今号「前月分」として二句になった句が目に付いた筈である。投句締切は毎月十日必着である。選句選評の稿はレターぱっくで送るので毎月二十三日には編集部に着く。そして翌々月の二日には会員の手元に届くようにしている。何かの都合でこれが一日遅れると編集部にはクレームの電話が沢山かかってくる。そんな発刊の流れの中で十七日十八日に投句稿が着くのは困るのである。今回の措置は警鐘。理解して協力して欲しい。次に投句稿の住所、本名、年齢、電話番号、職業は選句の上必要である。これ等に記入のないものはワンランク落とされる。古稀や喜寿になっても年齢など書かない女流があるが、投句というのは、すべてを投げて選者に拾ってもらうものだと心得て欲しい。


    その他触れたかった秀句     
病室の夫と見てをり春満月
風早の万葉歌碑に花の雨
朝練のオールの水脈や風光る
海明けて水脈一文字に出航す
長閑けしや猫の眼の半開き
盛り付けも馳走のひとつ木の芽和
囀りや真玉贈りて恋を得し
くちびるのいろよりうすき桜餅
三月尽夜半に引継ぐ火消し番
蓬摘む籠のラジオの時を告ぐ
今年より仲間入りせし花粉症
朧夜の一献に酔ふ二人かな
靴下をひとつ買ひ足す流氷期
風光る筵模様の水田あり
青木いく代
友貞クニ子
佐々木よう子
花木 研二
北原みどり
斉藤かつみ
石川 寿樹
渡部美知子
金原 恵子
仁科スエコ
平田くみよ
河森 利子
吉野すみれ
藤島千惠子

禁無断転載